皇・氷・穿   第三章<相>
作:鋼



第三章<相>




 氷樹から意識が戻ったとき、真っ先に心に浮かんできたことは、何故だ、ということだった。無限のループのように、頭の中でエコーがかかってひたすら繰り返される。
(何故だ)
 ここは自分の家の前だ。それはいい。
(何故だ)
 日の落ち具合から考えて、夕方だろう。少し時間がかかったようだが、それもよしとできる。
(何故だ)
 コートは着ていない。が、手に持っている。これも別に問題ない。
(何故だ)
 しかし、手にはコートと別の布の感触がある。
(何故だ)
 ついでに言えば、口にも異質の感じがある。
(なるほど)
 落ち着いて考えれば、簡単なことだった。氷樹が気をきかせてくれたのだろう。
(しかし、僕じゃなくて鈴木さんに気をきかせてどうするんだか)
 唇を離しながら口の中で毒づく。
「皇・・・・」
 背中に回っている腕に力が込められる。
 それに応えて、こっちも力を入れる。
「・・・はっ!」
 呼気と気合いを吐き出して、下腹部を全力で蹴り飛ばす。
 3メートル吹っ飛んだが、彼女は受け身を取ってあっさり体勢を整えてみせた。
 その手には、きらりと光る銀の刃が握られている。
「殺気を出したら気づくに決まってる」
 彼女は舌を出して、
「あとちょっとだったのにね」
 と少し残念がってみせる。悪びれている様子は全く無い。
 しかしそれも当然だろう。
「まだまだ二流ってことだ。どうする?このまま一流達とやり合うか?」
 吹っ飛ばした隙に着たコートから格闘用ナイフを二本引き抜く。
「やめとく」
 と、彼女はあっさり武器をしまった。
「鈴木血香。梨香の副人格。僕の氷と穿と同じ暗殺業請負人。まだキャリアは浅いが、実力は折り紙付きだ」
「知ってたの?」
「当然。どこのブラックリストにでも載ってる。初めて見たときは、さすがに目を疑ったけどね。今回は僕を消すために派遣された暗殺者ってとこか」
「ご名答。でもね、今回はあまり気が乗らないんだよね。だって、梨香が好きな人が標的なんて、ね」
「梨香は僕と君の仕事を知っているのか?」
「知ってるわよ。ね、私にも質問させてよ」
「何だ?」
「ズバリ、あなた皇樹は梨香のことどう思ってるの?」
(何だそりゃ)
 仕事のことを聞かれるものと思っていたのだが・・。
「・・・・世界最高の・・・天敵」
「は?」
「世界最高の天敵。そうだな。それが正しい」
 自分で言って確認する。正しい。
 血香はわずかにほうけていたが、
「あ・・いや、そうじゃなくて、好きか嫌いかってことを聞きたいわけよ、うん」
「天敵を好きになるヤツがいるか?」
 即答で切り返す。
「ま・・確かにそりゃそうだけどさ・・」
「じゃ聞くな。ついでに、さっきのキスは僕じゃない。氷樹が勝手にやったんだ。あ・・・なるほど。氷樹と君は相性良いのかもな」
「なっ・・・」
 火がついたように彼女の顔がボッと赤くなった。
「なるほどねぇ」
 意地悪く笑ってみせる。
「感情を顔に出しているようじゃまだ二流だな」
「何が?」
(・・・・・・しまった。訂正しよう。一流だよ)
 表情がさっきとは微妙に変わっている。暗殺者の顔ではない。
「なんてね、さっきは私の意識もあったわけ。残念。せっかく皇樹とキスできたと思ったのに」
 今度はこちらの顔が赤くなる。
 と、彼女、入れ替わった梨香が舌を出して笑ってみせた。
「おやぁ?表情に出すうちはまだ二流じゃないのぉ?」
「ぐっ・・・・」
(世界最高の天敵。やっぱりこれだな)
 再度確認する。
 と、彼女は次は突然真面目な顔つきをして見せてくれている。
「でも、何で赤くなったの?」
(・・・ナイフを持って襲ってこられるよりタチが悪い)
 言葉を探して目が宙を縦横無尽に泳ぎ回る。が、空中に言葉が浮いているわけがない。言葉以外のことは分かった。しかしあきらめてため息を吐き出す。
「つまりは、君は・・・・世界最高の天敵だって事」
「え・・・・っと・・・・」
 ピンときたのか、今度は彼女の目が宙を泳いでいる。
 そして、僕はゆっくりと間合いを詰める。簡単に言えば、歩み寄る。
手が届く距離になって、彼女はハッと顔を上げた。一層赤くなっている。
 まだ僕は進むのをやめない。
「ちょ・・・ちょっと・・・・」
 身体が触れ合う寸前でようやっと止まる。
 数瞬間後には、お互いの腕の中にいた。もちろん、両方とも武器なんぞ持ってないし、殺気もない。
 もっとも、氷樹なら殺気を出さないで攻撃することも出来るが今は皇樹が出ている。
 数秒後、少し腕をゆるめて目を合わせた。
 数瞬間後、唇に異質の感じがある。
 さっき意識が戻った時と全く同じ感触だ。
「そう、世界最高の、ね・・・」
 体を離しながら、聞こえるようにつぶやく。
「ん?」
 コートのポケットの中で何かが動いている。
「ごめん、ちょっと待ってて」
 携帯電話だ。もちろん、見た目は市販のものと同じだが、中身は全く別物に改造してある。
「はい・・・・そうです。・・・・・報酬は?・・お断りします」
 電源を切って、ポケットにしまい直す。
「仕事?」
「そう。鈴木血香を消せだと」
 珍しいことではない。むしろ、当たり前のことだ。
 暗殺者が暗殺者を殺す。現に、さっきも彼女は僕のことを殺そうとしたのだから。「ふーん。ね、ご飯はどうしているの?」
 彼女も理解しているのだろう。大して驚かずに、話題を変えてみせた。
「親もいないし一人っ子だから、コンビニ弁当か自炊」
「たまには、人が作ったの食べてみたくない?」
「・・・・食べてみたいけど、毒でも入れられたらね」
 彼女はまだ僕を殺す仕事を持っているのだ。
 気は許しても気を抜くことは出来ない。暗殺者とはそういうものだ。
 彼女はむっとした顔で、電話をダイヤルし始めた。
「はい、そうです・・・・あの仕事、下ろさせて貰います。はい、申し訳ありません。では」
 やはり彼女も電源を切ってから、ポケットにすとんと落としこんだ。
「・・・・まいった」
 ついに僕は両手を上げてギブアップしてしまった。



「眠いっ!」
 目の下にクマができているのは確実だ。二日連続での徹夜なのだから。
「分かったから、もう支度しないと学校遅刻だよ」
(分かってない・・・断じて分かっていない。僕は徹夜が苦手な体質だ)
「今日は休む。んで一日中寝る」
 ベッドの奥深くに潜り込む。
(出かけるんならさっさと行け・・・・)
「じゃ、私は学校行くからね。寝るんなら、ちゃんと服着なさいよ。裸のまま寝てると風邪ひくよ」
(ウルサイ)
 ガチャッと、ドアの閉まる音を聞いてからモゾモゾと這い出す。
「う〜」
 少し頭がフラフラする。
(ヤバイ・・・寝ないと次の仕事に関わる・・・・)
 玄関のドアが閉まる音が階下から聞こえた。梨香が出かけたらしい。
「眠いってのに・・・」
 皇樹は暗殺者ではないが、二人の超一流暗殺者のサポートをやっているうち、彼自身も暗殺者として超一流の感覚を身に付けていた。氷樹や穿樹のように突出したものはないが、バランスでは皇樹が一番優れている。
 しかし梨香はそこまで上達してはいないだろう。良くて三流と呼べるかどうか。身のこなしを見ていて分かる。加えて、彼女は疲れている。
(人の弱点を攻める。常套手段だけど、やられる方はやっぱり迷惑だよな)
 彼女が捕まったら面倒なことになる。
(別に梨香が殺されてもいいんだけど・・・)
後味が悪くなる。
(自分の女くらいは守れってね)
アンダーウェアの上にいつものコートを羽織る。
 装備は9ミリの狙撃ライフル(組み立て式)。バラバラにすればコートのホルダーに入れて持ち運べる特注品だ。
「さて」
 階段を駆け下りる。
(ん?)
 玄関へは食堂を通るのだが、そこで朝食を発見する。
(へぇ・・・作ってくれたのか)
 とりあえずタコウィンナーを二本放り込む。
(ポイントは3カ所)
 靴を履きながら考える。
(まず一つ目はここ、玄関から出たところ)
 しかし近く、少なくとも狙撃可能な範囲に殺気はない。
(二カ所目は、学校手前の大きな交差点)
 自転車では追いつかない。バイクのエンジンを動かす。
(あそこで止まっている時が一番危ない。回りがかなり高い建物だから死角と狙撃ポイントはそれこそいくらでもある)
 交差点に近づくにつれて、殺気が強くなる。
(隠れているな・・・一人。あそこのビルか)
 狙撃ポイントを探す。
(向かいの雑居ビルがいいな。あそこの三階が死角だ。梨香が来るまで、もう少し時間があるな)
 バイクを立てかけて、ビルの階段を駆け上る。
 スコープをのぞいてみると、やはり向かいのビルの屋上に一人、双眼鏡で交差点を見ている。
(甘いんだよっ!)
 即座に組み立てたライフルを引き絞る。振動が肩へと突き抜けた。
冗談のようにあっさりと倒れるスナイパーと、いつかやったゲームの場面が重なる。
(次は学校の駐輪場だけど・・)
 動いている目標の狙撃は難しい。となれば止まった所を狙うのが正攻法なのだが、次に確実に止まるのが駐輪場になる。しかし駐輪場には屋根があるため、狙撃ポイントはかなり限定される。
 自分が狙われたときのためにチェックしておいたのだが、学校の屋上の、一番端からしか狙えないのだ。
(もしかして、学校の屋上だったらここからでも見えるんじゃないのか?)
 雑居ビルの屋上まで駆け上る。
(いないな)
 かろうじて屋上からは完全に学校の屋上が見渡せた。
 しかし、不審な人影はない。男子生徒が一人煙草を吸っているだけだ。
 あの学校に暗殺業者は二人だけ。
 新手も考えられるが、あの男子生徒が雰囲気からして暗殺者とは思えない。
(終わり、か。ん?)
 屋上に、新たな人影が現れる。間違いなく、暗殺者だ。
 男子生徒が慌てて煙草を隠す。
 だがその人物は別に見咎めるわけでもなく、あっさり通り過ぎてフェンスに寄っかかった。
 そしてこちらに投げキスをよこす。
(三流は訂正。せめて1流半って所かな)