古い城の狼 3
作:坂田火魯志





 食事を終え僕は城を出た。そして神父のいる教会に向かった。
「そうですか、夜明け頃にですか」
 彼は僕の話を聞き頷いた。
「確かに妙ですね」
 彼の目が光った。
「それはかなり怪しいですね」
「やはり」
 僕はその言葉に頷いた。
「はい。貴方が昨日森に行かれなかったのを口惜しがっていたというのも気にかかります」
 彼は言葉を続けた。
「人狼は森を住処とするもの。そして夜にその真の力を出します」
 それは知っていた。映画等で満月の夜に変身する姿をよく見たからだ。
 しかし夜にだけ変身するかというとそうではないらしい。吸血鬼も昼にも出て来るし人狼も同様だという。だから一昨日あの森での事件があったのだろう。
「私の予想が正しければおそらく彼女は・・・・・・」
 最後まで言わずともよくわかった。そうならば彼女がその整った姿の端に見せるあの怖ろしい顔が説明出来るからだ。
「貴方は昨日森に行かれなくて正解でした」
「といいますと」
 僕は尋ねた。
「おそらく彼女は昨日森で貴方を待っていたのでしょう」
「・・・・・・・・・」
 僕はそれを聞いて沈黙してしまった。それが何を意味するのか嫌でもよくわかった。
「貴方は異邦人です。消えても誰も不思議には思いません」
「はい・・・・・・」
 それはよくわかった。おそらく日本から来た旅行客が行方不明になった、それで終わりだろう。運がよければ死体か骨が発見されるだろうが。
「古来からそうだったのです。吸血鬼や人狼に狙われるのは異邦人達でした」
「そうだったのですか」
 吸血鬼と聞いて僕は心を凍らせた。人狼は吸血鬼と関係が深いと何かの本で読んだことがあるからだ。
「貴方はもう城に戻ってはいけませんね」
「はい」
 僕はその言葉に頷いた。おそらく戻れば餌食にされるであろう。
「暫くここに留まったほうがよろしいかと。おそらく向こうも探していますよ」
「神父様さえよろしければ」
 こうして僕は神父のいる教会に留まることになった。城の方には電話を入れておいた。
「そして今何処におられます?」
 電話に出て来た執事が尋ねて来た。
「それは・・・・・・」
 僕は話しながら考えていた。おそらく追って来るつもりなのだろう。
「ミュンヘンの方へ向かっているところです。ヒッチハイクでもしようかな、と思っています」
「そうですか」
 彼は残念そうな声で電話を切った。
「・・・・・・どう思われます?」
 僕は側にいた神父の方に顔を向けて尋ねた。
「おそらく信じてはいないでしょうね」
 彼は言った。
「すぐにでもこの辺りを探し回ることでしょう。使い魔等を使って」
「使い魔ですか」
 僕はふと黒猫や蝙蝠を思い出した。
「使い魔は何も黒猫や蝙蝠だけではありませんよ」
「おっと、そうでしたね」
 僕はその言葉を聞いて思い出した。使い魔は鼠や梟、蛇等が使われることもある。一概には言えないのだ。
「気をつけたほうがよろしいですね」
 彼はそう言うと窓のカーテンを閉めた。
「彼等はその力が弱い為教会には入って来れませんが目と耳、そして鼻が利きます。それこそ網の目のようにね」
「網の目ですか」
「ええ。それが魔性の者達の目であり耳なのです」
 かって魔女達は自らの使い魔を使い情報を集めていたという。それは人狼にも言えることである。
「おそらくこの教会にもすぐに来るでしょう。気を緩めてはなりませんよ」
「はい」
 それから数日僕は神父の教会に身を潜めた。
 昼は部屋に閉じ篭もっていた。窓にはカーテンをかけじっと息を潜める。
 そして夜になると眠る。こうして使い魔達をやり過ごしていた。
「しかしこうしてばかりもいられないでしょう」
 夕食の席で僕は神父に対して言った。
「はい。いずれ倒さなくてはなりませんから」
 彼は落ち着いた声で言った。
「それなら何故今まで息を潜めていたのです?」
 僕は問うた。
「こちらにも用意があります故」
 彼は言った。
「用意!?」
「はい。人狼を倒す為の用意が」
 その時彼が微笑んだように見えた。
「人狼は強力な力を持っています。その為普通のものでは倒せません」
 彼はそう言うと僕を礼拝堂に案内した。
「これを御覧下さい」
 彼はそう言うと一振りの大振りの剣を取り出した。
「それは・・・・・・」
「これは銀で作られた剣です。法皇様より直々に授けられました」
「銀ですか。しかも法皇様から直接渡されたということは」
「そうです。これは破魔の剣です」
 彼は鞘から刀身を抜いた。
 剣は白銀の光を放っている。それは冷たい光で部屋を照らした。
「魔族は銀を嫌います。これに一月の間聖油による清めを行ないました」
「それで力をより強くしたのですね」
「その通りです」
 彼は答えた。
「これによりこの剣の持つ力はより一層強まりました」
 彼はそう言うと別のものを取り出した。
「あとこれも用意しました」
 それは短剣であった。見ればこれも銀で作られているようである。
「これも法皇様より授けられたものです。剣と同じ様に聖油で清めました。これは貴方がお使い下さい」
「有り難うございます」
 有り難かった。ひょっとすると銀の銃弾が込められた拳銃を渡されるかと思ったからだ。生憎僕は拳銃は使えない。
「そしてこれも」
 今度は多量の塩と聖水であった。
「これは言わずもがなでしょう」
「はい」
 両方共魔物退治には欠かせないものだ。
「これだけあれば大抵の魔物は大丈夫なのですがね。ですが今回の相手はどうか」
「用心はしておいたほうがいいですね」
「そうですね。こちらも作戦を練りますか」
 僕と神父は今後の戦い方について話し合った。そして夜が明けた。

 翌日僕は暫く振りに外に出た。そしてあの城へ向かった。
「おお、お久し振りですな」
 執事は僕の顔を見て驚いた声をあげた。
「結局道に迷ってしまいましてね。ようやくこちらに戻って来たのです」
 僕はあえて情無い顔と声で言った。
「そうですか。しかしご無事で何よりです」
 やはり本心からは言っていなかった。何処か空虚な声だ。
「けれどもう部屋はないでしょう」
 僕は残念そうに言ってみせた。
「いえいえ、ちゃんと空いておりますよ」
 彼はすぐに答えた。
(やっぱりな)
 僕はそれを聞いてそう思った。
「ほら、こちらに」
 彼は僕を以前の部屋に案内した。
「これはどうも」
 僕は再びその部屋に入った。
「それではごゆっくり。食事の時間になったらお呼びいたしますので」
「はい」
 彼はそう言うと部屋を後にした。僕は部屋に入ると窓の方に歩いて行った。
 窓の下を見る。そこには神父がいた。
「よし、丁度いい」
 僕はそれを見て微笑んだ。彼は城に音も無く近付いて行く。
 そして城壁を登っていく。どうやら手に鍵爪を着けているようだ。
「どうぞ」
 僕は窓を開き彼を出迎えた。彼は素早く部屋に入ってきた。
「有り難うございます」
 彼は部屋に入ると僕に対し礼を言った。
「いえいえ、それでは行きますか」
「はい」
 僕は銀の短剣を受け取った。そして二人で部屋を出た。

「・・・・・・恐ろしい妖気ですね」
 神父は城の中を歩き回りながら言った。
「そんなに凄いですか」
 僕は尋ねた。
「はい。ここまで凄いのは今まで数える程しかありません」
「数える程、ですか」
 どうやらこの神父はかなりの修羅場をくぐって来たようだ。言葉がそれを物語っていた。
「人狼は女の方が力が強いと言いましたが間違いありませんね。これは女の人狼の気です」
「女の、ですか」
 すぐに感づいた。あの奥方だ。
「もうすぐ夜にあります。奴等が来ますよ」
 見れば目の前からメイドが一人やって来る。
「あ・・・・・・」
 彼女は僕と神父の姿を見て思わず声をあげた。
「ムッ」
 神父は彼女の姿を認めてすぐに動いた。前へ突進し懐に持っていた聖水をかけた。
「ギャッ」
 それを浴びた彼女は思わず声をあげた。そして全身が溶けていく。
「これは・・・・・・」
 僕は溶けたその姿を見て思わず絶句した。それは生きた人のものではなかった。
「・・・・・・クグツです」
 神父はその溶けた屍骸を見下ろして言った。
「強力な魔力を持つ者が死せし者を操る術です。死せる者をね」
「ブードゥー教のゾンビみたいなものですか?」
「似ていますがね」
 彼は答えた。
「しかしこれは少し違います。生きている者にそのまま術をかけ死者として自らのクグツとするものなのです」
「・・・・・・・・・」
 僕はそれを聞いて言葉を失った。生きている者をそのまま死者とし自分の操り人形にしてしまうとは。何と怖ろしい術なのであろうか。
「おそらくこの城にいる殆どの者がそれです。安心してはいkませんよ」
「・・・・・・はい」
 僕はようやくこの城にいる人達のおかしさが理解できた。彼等は生きている者ではなかったのである。だからこそ動きも何処かぎこちなく生気が感じられなかったのだ。
 廊下を歩いて行く。メイドがまたやって来た。
「あっ!」
 そのメイドは思わず叫び声をあげた。神父は聖水をかけた。
 全身が溶ける。だが遅かった。その声は城全体に響いてしまった。
「・・・・・・まずいですね」
 僕は神父に対して言った。
「いえ、構いませんよ」
 神父は言った。
「探す手間が省けるだけです」
 その顔はあくまで強い表情だった。彼は窮地にいるとは思ってはいないようだった。
「・・・・・・そうですか」
 僕はその表情を見て少し安心した。僕も動揺してはいけない。そう思った。
 すぐに来た。前後から僕達を取り囲む様にやって来た。
「いけませんな、騒がれては」
 執事が前に出て来て言った。やはり生気の無い眼だった。
「奥様が帰って来られるまで静かにして頂かないと」
 彼は音も無く前に出て来た。そして腕を突き出してきた。
「ムッ」
 腕が僕の首にかかった。凄まじい力で締めてくる。
「糞っ」
 このままでは殺られる、そう直感した。手にする短剣を振るった。
「グッ」
 短剣が執事の腕を切った。すると瘴気を出して溶けた。彼は溶けた手を押さえて怯む。
「どうやら銀に弱いというのは本当だな」
 僕はそれを見て言った。
「だから言ったでしょう。魔物は銀に弱いと」
 背中合わせに神父が言った。彼は背中に背負っていた銀の剣を抜いていた。
 彼は剣を振るった。そしてクグツ達を次々に倒していく。
 僕は執事を相手にしていた。彼はその力を頼んで僕に襲い掛かって来る。
「だがっ」
 僕は短剣でその腕を切った。すると腕が落ちた。
 腕を落とされた執事は怯んだ。僕はそこで前に出た。
「それっ」
 僕は短剣を心臓に突き刺した。それを受けた執事は溶けていった。
「これで終わりか」
 執事を倒した僕は廊下を見回しながら言った。
「はい。まだ残っていますか?」
 神父は廊下に転がる屍を見下ろしながら僕に問うた。
「そうですね・・・・・・」
 元々この城には人はあまりいない。使用人は執事の他はメイドも数人程しかいなかった。
「後はこの城の主人だけですね」
 あの生気の無い主人だ。彼もおそらくクグツなのだろう。
「そうですか。そして彼は何処に?」
「それは・・・・・・」
「私はここです」
 不意に後ろから声がした。
「!」
 僕達はその声に総毛立った。咄嗟に声のした方から間合いを離し身構えた。
 そこにはあの主人がいた。豪奢な服を着て立っている。
「御安心下さい、私は貴方達とは戦うつもりはありません」
 彼は静かな声で言った。
「というと?」
 僕は探る声で尋ねた。
「私は貴方達にお話したいことがありこちらに来たのです」
「話したい事・・・・・・」
 それは一体何であろうか。僕も神父も考えた。
「ここでは何ですからこちらへ」
 彼は僕達を城の奥に案内した。
 そこは城主の間であった。窓から夕闇が見える。夕陽が今落ちようとしている。
「貴方達は私がクグツだと思っておられますね」
 城主は部屋の中央まで来ると僕達に向き直り問うてきた。
「はい」
 僕も神父も答えた。どう見てもそうとしか考えられなかった。
「それは事実です」
 それを僕は当然のように受け取った。それ以外考えられなかったからだ。
「そして私の妻ですが・・・・・・」
 彼はさらに語った。
「人狼です。それも強大な力を持つ」
「・・・・・・・・・」
 驚ろかなかった。今更、という気もした。
「そしてその貴方が僕達に一体何をお話されるというのですか?」
 僕は少し高圧的な声で尋ねた。やはり相手が人でないと警戒を解けない。
 神父もだ。手から剣を離さない。
「私はこの家の跡継ぎとして生まれました」
 彼は静かに語りだした。
「そして跡を継ぎ妻を娶りました」
「それがあの奥方だったと」
「はい。彼女はあの森ではじめて会いました」
 僕の問いに対し彼は答えた。
「初めて会った彼女はとても美しい女性でした。私はその美しさに心を奪われたのです」
 彼は話を続けた。
「私は彼女に結婚を申し込みました。そして彼女はそれを受け入れてくれたのです」
「そしてその後で彼女の正体に気が付いた、と」
「いえ、既に知っていました」
 僕達は彼の言葉に驚いた。
「初めて見た時には既に人ではありませんでしたから」
 彼女は正体を表わしていたのだ。
「美しい姿でした。私は一目でその姿に魅了されてしまったのです」 
 それは彼女の持つ魔力であったのだろうか。
「私は神の道に反してしまったのでしょう。しかしそれでも湧き起こる想いを抑えることは出来ませんでした」
 彼の目は半ば恍惚としていた。
「私は彼女を城に連れて行きました。そして妻としたのです」
 人狼に心まで支配されてしまっていたのだ。
「人の姿をとった彼女の姿も美しいものでした。私達は幸せに暮らしました」
 彼は自分の幸福を語っていた。それは別段不思議に感じなかった。人の幸福というものはその人にしかわからないものなのだから。
「しかし」
 彼は顔を曇らせた。
「彼女はやはり異形の者でした」
 彼はその声を暗いものにした。
「彼女は私を愛してくれてもその心はやはり魔性であったのです」
「やはり・・・・・・」
 神父はそれを聞いて呟いた。
「彼の者達の心は我々とは違います。それ故に魔物なのですから」
 僕はその言葉に心の中で頷いた。人間とはその心で人間であるのだ。姿形はどうあれその心が魔界にある者は魔物であると思う。
 そう考えるようになったのは皮肉にも人の歴史を学んでからであった。フランスで美少年を殺戮した狂気の同性愛者青髭ジル=ド=レイ。鉄の処女というおぞましい機械で少女の血を絞り取りその血の風呂に身体を浸し永遠の美を望んだ血塗れの伯爵夫人エリザベート=バートリー。罪無き者を魔女に仕立て上げその全てを奪ったうえで惨たらしく殺していった悪辣な異端審問官達。彼等の心は人のものではなかった。魔物のものであった。
 僕は考える。その人の心がそのまま外見を現わしたならばどうなるのだろうか、と。だがそれはある程度はわかる。人の生き方は顔に出る。
「彼女は人を襲いました。そしてその肉を喰らったのです」
「あの森の事件もそうですね」
 僕はそれを聞いて言った。
「はい。その通りです」
 主人は哀しそうに言った。おそらく彼は本来は優しい心の持ち主だったのだろう。
「しかし私にはそれは止められませんでした」
 彼は瞑目して言った。
「それは何故ですか?」
 神父が尋ねた。
「私ももう人ではなくなっていたからです」
 彼は哀しい声で言った。
「彼女を妻とした時に私は生者ではなくなりました」
 彼もまたクグツであったのだ。
「執事も使用人達も。この城にいる者は全て彼女の僕、いや人形となってしまったのです」
 それが魔界の者の心なのであろうか。愛してくれている者をもクグツとするということが。
「しかし私はそれでもよかった」
 彼は言った。
「彼女と共にいられるのだから」
 彼は悲しい声のまま言った。
「私の彼女への愛は変わらなかった。例え彼女が何者であろうと」
 そう、彼は奥方の魔力に心を奪われたのではなかったのだ。
 彼の言葉通り彼女に心を奪われたのだ。それは最早何者にも如何ともし難いものである。
「私は自分が彼女を愛しているだけで充分だった。それが私にとって全てなのだから」
 彼は一言一言噛み締めるように言った。
「しかし彼女は違っていた」 
 彼は哀しい目をした。
「彼女はやはり魔物だった。人を貪り食いクグツとする魔物だった」
 彼の心はそれに耐えられなかったのだろう。
「私は彼女のそんな恐ろしい姿を見たくはなかった。だが彼女はそれを止めなかった」
 当然であろう。それが魔物の生きる術なのだから。
「そして私は長い間それに耐えてきた。しかしもうそれも限界だった」
「そしてその時に僕達が来た」
 僕は言った。
「はい。私は今日という日が来るのをどれだけ待っていたことか」
 彼は微笑んで言った。
「彼女にこれ以上の恐ろしい行いを止めさせるその時が来るのを。それがようやく来たのです」
「しかし」
 神父が尋ねた。
「それが何を意味するか貴方はご存知の筈ですが」
「はい」
 彼はその言葉に微笑んだまま頷いた。
「それは覚悟のうえです」
 主が死ねばクグツも滅ぶ。それは定めだった。
「私は既に生者ではありません。今更これ以上この世にあっても意味はありません」
 彼は静かに言った。
「私の望みはただ彼女がこれ以上罪を重ねないこと。といっても魔性の者である彼女には理解出来ないでしょうが」
 彼はそう言うと静かに僕の前に来た。
「これをお借りしますね」
 彼はそう言うと僕の短剣を手に取った。