恋する魔法使い(前編)
作:ASD





     1

 リューイリアは、思わずため息をついた。
 吐く息の白さが、昼間でも分かるほどの寒さだ。鎧の下に何枚も着込んでいるのに、寒さは完全には防ぎ切れてはいなかった。外気の冷たさが、彼女の頬を容赦なく刺す。彼女は、手袋にくるまれた両手を無意識に擦り合わせる。
 この年、王国の北部の辺境地帯は、記録的な寒波に見舞われていた。
 その周辺の村々は元々、開拓民たちが森林地帯を切り開いた土地である。ただでさえ痩せた土地なのに、彼らは寒波による不作から、飢えながら凍えるより他にはないという状況に追い込まれていたのである。
 そんな北方の辺境地帯に、救援物資を送り届けるべく派遣されたのが、タイタス将軍であった。
「遅い」
 少女は……リューイリアは寒さの中、いらだちを覚えながら呟いた。
「もう少しですよ。待ちましょう、リューイリア」
 彼女のかたわらに立つ士官が、彼女をたしなめる。彼女よりは年かさだが、まだ若い青年には違いない。青白い顔に、戦士らしからぬ華奢な体格。本当に剣を振り回して戦えるのかと不安に見えてくる辺り、リューイリアと大差がない。
「フレデリック」
「……なに?」
「ここは戦場で、今は作戦行動中だ」
「……それが、どうかしたの?」
 首を傾げ、真顔でそう答える青年に、リューイリアは苛立ちを隠そうともせずに、刺々しく言葉を吐いた。
「フレデリック少尉。私は一応、お前の上官だぞ」
「ああ、そうか……申し訳ありませんでした、大尉」
 フレデリックと呼ばれた青年は、一応は恐縮する素振りをみせた。その取って付けたような素振りが、リューイリアの苛立ちを一層募らせるのだが。
「……しかし、寒いですね。大尉」
「お前に言われなくても、分かっている」
 寒さの中で、彼女は不機嫌そうに吐き捨てた。
 フレデリックはフレデリックで、何故彼女がそんな些細な事で機嫌を損ねるのか、図りかねて頭を悩ませていた。機嫌のいいリューイリアというのも珍しくもあったのだが……。
 ぼんやり黙っていると、彼女がふいに口を開いた。
「こんな辺境、まっぴらだな……早く王都に帰りたい」
「珍しい」
「……?」
「軍務に不平を漏らすなんて、リューイリアらしくない」
「放っておいてくれ」
 その指摘に、リューイリアは何も言わずに、恥ずかしそうに顔を背けた。呼び捨てにされた事には、一言も苦情を言わずに。
 その時だった。
「リューイリア! 危ない!」
 不意に、フレデリックが叫んだ。
 その叫びに、リューイリアははっとして慌てて振り返った。見れば……そこにいたのは、獣の毛皮を身にまとった大男だった。友好的でないのは、雄叫びとともに高々と振り上げた大剣を見れば分かる。
 一瞬、リューイリアの反応が遅れた。その手が剣の柄にかかるが、それ以上は硬直したまま動く事が出来ない。
「……チッ」
 舌打ちと共にフレデリックは剣を抜き放った。
 大男が振り上げた切っ先は、まっすぐにリューイリアに振り下ろされようとしていた。フレデリックはその間に割って入り、敵の剣を、その細腕で辛うじて受け止めた。
 金属のぶつかり合う、甲高い音が響き渡った。
「ぐっ……」
 フレデリックの口から、歯ぎしりが漏れる。相手はと言えば、言葉かどうかも分からぬうめき声を洩らしながら、彼に肉薄する。異国の言葉ゆえに、二人がその意味を知ることはない。
 二者の間には、明確な体格差があった。フレデリックは力負けし、バランスを崩して後ろ向きに倒れてしまう。
 うっすらと積もった雪の上に、フレデリックは仰向けに転がってしまった。
 その彼に向かって、男が再び剣を振り上げた。
「止めろっ!」
 ふいに、横からリューイリアの声が飛んだ。
 突然の声に虚を突かれ、男の動きが一瞬だけ静止する。そのほんの一瞬を狙って、リューイリアはその小柄な身体で思いっきり体当たりした。
「……!」
 恐らくは罵倒の言葉だろう、聞き取れぬ音を発しながら、男はよろめいた。バランスを立て直しながら、自分の邪魔をした相手を見やる。それが年端も行かぬ少女であることを知って、男はあからさまに不満の表情を示した。
 そこに、一瞬の隙があった。
「てえいっ!」
 戦場で、遠慮は存在しない。リューイリアは間断挟まずに、剣を抜き放って男に踊りかかった。体格で言えば、二回りもそれ以上も差のある相手である。
 男もまた、剣を振り上げようとする。しかし、リューイリアの方が動きは早かった。
 彼女の手の中の得物は、その体格にはいかにも不釣り合いに見える大剣だった。彼女はそれを軽々と振り回し、男に迫る。
 男は慌てて後ろに飛びすさろうとする。しかし、遅かった。
「……!」
 男の表情に、驚きの色が浮かんだ。次の瞬間には、リューイリアの切っ先が男の肩口に叩きつけられる。そのまま斜め方向に、切っ先は肩口から胸部へ、胸部から腹部へ……柔らかい脇腹の肉をずばっと斬り裂いて、切っ先は下方へと抜けていった。
 次の瞬間……。
「……!」
 苦悶の叫びと共に、傷口からは真っ赤な液体が堰を切ったようにほとばしった。
 真っ白な雪の上に、生臭い液体がどぼどぼと振り注いでいく。鮮烈なまでの赤色が、見るものの視界に焼きついていく。その奔流は、リューイリアの真っ白な鎧までも、毒々しいまでに目に鮮やかな赤色に染め上げていった。
「……」
 最後に男の口から漏れた言葉の意味を、リューイリアは知らなかった。男はそのまま、うっすらと雪の積もる地面にがくりと膝を付き、そのままどさりと倒れ伏した。その場所にも見る見るうちに、赤い水溜まりが出来ていく。
 リューイリアはその血溜りを避けるようにして、一歩後ずさった。ふと薄暗い空を見上げると、雲の隙間からかすかに日の光が照っていた。
 差し込む光が浮かび上がらせる。赤と白のコントラスト。それが彼女の目には眩しかった。
 リューイリアは倒れる男を見下ろす。その身体が、呼吸を続けているのか微かに上下しているのを見ると、今度はおのれの靴が汚れるのも構わずに、血溜まりの中に足を踏み入れていく。
 男はうつ伏せのまま、おのれ自身が流した血にどっぷりと漬かっている。リューイリアはその傍らに歩み寄り、心臓のあたりに切っ先をあてがうと、そのまま体重を乗せるようにして深々と突き差した。
 それで最後だった。男はそれ以上、二度と動かなかった。
「……こんなところに、まだいたのか」
 リューイリアはため息を突くと、突き刺さった剣を引き抜こうと物言わぬ男の背に足をかけた。ここで軽々と引き抜くことが出来ない非力さだけが、彼女を少女らしく見せていた。
「……手伝おうか?」
「お前の世話にはならない」
 かたわらにぼんやりと転がるフレデリックの申し出をすげなく断ると、彼女は力任せに剣を引き抜いた。その傷口からも血が溢れ出してくる。彼女はそれを避けるように身を引く。切っ先に刃こぼれがないことを確認しながら、彼女は何気なしに言葉を吐いた。
「大丈夫か?」
「……何とか」
 ため息まじりで言うフレデリックを、リューイリアは叱責する。
「何とか、で分かるか。怪我があるとかないとか、それを報告しろと言っている!」
「……だ、大丈夫であります」
 渋々そう返事をしながら、フレデリックは立ち上がった。やれやれ、と呟いた独り言は、リューイリアは聞かなかった事にした。
「……でも、リューイリア。一体どうしたんだい」
「何が?」
「こいつが踊りかかってきたのに、すぐに動かなかったのはリューイリアらしくないな、と思って」
 フレデリックのその一言に、リューイリアはきっかり一秒間、思案を巡らせた。
「……ひょっとして、私はお前に助けられた事になるのか?」
「結果的には、ね。最終的に命拾いしたのは、僕の方だけど」
 その言葉にリューイリアは何も言わず、そのまま倒れ伏す亡骸に、ちらと視線をやる。
 斬れ味の悪い、まるで金属の板切れそのままのような幅広の大剣、満足に身体を防御しない脆弱な鎧、そして獣の毛皮をそのままはぎ取ったかのような防寒着。目の前に倒れているのは、国境の向こう側に住んでいるはずの異民族だった。
 王国を襲った大寒波。それは、国境の向こう側も同じだった。救援物資を持ってやってきたタイタス軍を出迎えたのは、この冬の寒波で食い詰め、食糧を求めて王国の村々を襲っている、彼ら北方の民だった。救助のための遠征は、そのまま彼らを追撃するための遠征へとその目的を変えつつあった。
 そしてその村で、リューイリアの部隊は敵に遭遇したのだった。
 彼女とともに死体に目をやって、フレデリックが呟くように洩らす。
「……取り敢えず、もうこれで最後だといいけど」
「皆と合流しよう。損害を確認せねば」
「追撃は?」
「しない。やつらの掃討よりも、この村の安全を確保するのが先決だ。ここで将軍閣下の到着を待つ」
 その将軍というのは、彼女の父親であるタイタス将軍の事である。その将軍を戦場では決して父と呼ばないのが、リューイリアの流儀だった。
「了解」
 フレデリックはそう返事をすると、先に立って歩き出した。
 その後に続いて、歩き出そうとしたリューイリア。その彼女は、不意に足を止める。
「……」
 フレデリックを呼び止めようとするが、彼はリューイリアが立ち止まったのにも気付かずにずんずんと歩いていく。彼女はぼんやりとその場に立ち尽くして、あらためて周囲を見回した。
 言ってしまっては何だが、見るからに貧しそうな村である。いくさになるというので村人達は家々に隠れて息を潜めているか、もしくはどこかへ避難したのだろう。往来にはほとんど人の気配はなかった。
「……こんな村を襲って、何になるというのだ」
 思わず呟いてしまった、独り言。だが意外にも、それに対する返答はあった。
「お嬢様も、そう思われますかえ?」
「……誰だ」
 予期せぬ声に、リューイリアは思わず剣に手をかける。声の方を振り返ってみると、道端の家の軒下に、一人の老婆が腰を下ろしていた。
 リューイリアは眉をひそめた。さっきからずっとフレデリックと二人そこにいたはずなのに、二人ともが……少なくとも彼女自身は、今の今までまったく気付かなかったのだ。意外、を通り越して、不審にさえ覚える。
 とは言え……あらためて見れば、見過ごすのも無理はないかも知れない、とも彼女は思った。皺々の顔、腰はすっかり折れ曲がり、その場にまるで根を這っている枯れ木のような、そんな雰囲気を漂わせていた。側に枯れ枝でも積んでおけば、完全に風景に溶け込んでしまうだろう。
「……婆、こんなところで何をしている」
 不審に思う気持ちを隠し切れぬまま、リューイリアは問いかけた。
 その言葉に、老婆はまるで枯れ枝が風にびゅうと吹かれるかのようなしゃがれ声で返事をかえした。
「何を、と申されても、このあばら屋が婆の我が家にて」
 老婆はそう言って、顎をしゃくった。見れば、確かにそこは民家の前だった。
 見渡せば、彼女が先ほど倒した敵兵はすぐそこに倒れている。老婆のこのくつろぎ様と、その凄惨な光景とが、同じ場所での出来事であるようにはまったく見えないあたり、混乱を覚えずにはいられなかった。
「何ゆえに、このような時にこのような場所にいるのだ。……どのような事態か、知らぬわけでもあるまい」
「ようく心得ております。お嬢様も、先程は勇敢でいらっしゃいましたよ」
「……見ていたのか」
 知らぬうちに見られていたというのは、やはり気恥ずかしかった。
「婆、北の蛮族は逃げていったが……ここは寒い。こんな所にいると風邪をひくぞ」
「おう、なんとお優しいお言葉で……」
 そう言って、老婆は笑い声を上げる。これもしゃがれ声で、何の音かと耳を疑うかのごときものだった。
「それでは、中に戻るとしましょうかえ……」
 老婆はそう言うが、老婆はいっこうに身動きしようとしない。
「……どうした?」
「何、婆は腰が悪うて……何、時期に立てるでしょうよ」
「仕方ないな。……ほら、つかまれ」
 リューイリアはため息混じりに、手を差し伸べた。
「おお……かたじけない」
 老婆は恐縮しながら、リューイリアの肩に掴まる。彼女は老婆を支えたまま、老婆の我が家だという建物に足を踏み入れた。




     2

 室内は暗く、そして寒かった。老婆は長いこと外にいたのだろうか、近いうちに火をくべた形跡がない。それとも、北の民を恐れて煙も立てずに息を潜めていたか。
 リューイリアは老婆を、テーブルのわきの椅子に座らせた。老婆は小さく礼の言葉を洩らしながら、テーブルの上の燭台の蝋燭に、震えたおぼつかない手ぶりで……それでも慣れた手つきで、火を灯した。
 その明かりにほのかに浮かび上がった光景に、リューイリアは息をのんだ。
 部屋の一方の隅に、何かがうず高く積まれていた。目を凝らしてよく見れば、それらはすべて何かの書物だった。そして壁面を見渡せば、戸棚という戸棚には何かのつぼやら瓶やらがずらりと並んでいる。
「婆は……何者だ? 占い師か? 魔法使いか?」
「さて。何者であったのか、もはや忘れましてございますよ」
 そう言って老婆は笑う。椅子から一人で立ち上がり、よたよたと暖炉に向かうのに、リューイリアがまた手を貸してやる。
 そこで老婆は、火打ちの石も何も使わなかった。しゃがれた声で何かをぼそぼそと呟いたかと思うと、次の瞬間にはくべられた木炭に赤く火が灯っていた。
「……驚いた」
「驚くほどの事はありますまい。お嬢さまは王都からいらしたのであれば、魔法使いなどいくらでもいるでしょうに」
 そう言って、老婆はまた枯れ木がざわめくような笑い声をあげた。
「……そう言えば、婆は私を男とは見間違えないのだな」
「何をおっしゃいますやら。……その勇ましいお姿もお似合いですが、あと何年もしないうちに、王都中の男があなたさまを放っておきますまいて」
「婆、お世辞にしては言い過ぎだぞ」
「お世辞ではございませぬ。婆にはすべて、お見通しにございますれば」
 そう言った老婆の手には、いつどこから取り出したものか、緑色に濁った水晶球が握られていた。王都の、いかさままがいの占い師が持っているような、透き通った大きなものとは違って、それは老婆の小さな手のひらにもすっぽり収まるような小ぶりなものだった。
「……婆の占いも、まだまだ捨てたものではございませんよ。この寒空の下、あのようなところにおったのも、面白い客人に会える、とお告げがあればこそでして」
「……初めから私を待っていたのか。あの場所で」
「ある意味、そうとも言えますなあ」
 そう呟いて、またしても笑みを洩らす老婆。そんな彼女に、リューイリアはついつい疑わしい眼差しを向けてしまう。
 どこか警戒しているようなリューイリアに向かって、老婆はふいに、こんな言葉を吐いた。
「いかがでしょうな。何でしたら、お嬢様を占って差し上げても構いませぬが」
「……何だって?」
 リューイリアは一瞬、おのれの耳を疑った。
 ちらと老婆を見やれば、皺だらけの顔に何やらにやけた笑みを貼りつけて、彼女の返事をただ黙って待っていた。
「……私を? 占う?」
「見料は、結構でございますので」
 何も見料の心配をしているのではない……思わず、声を上げて反論してしまう所だった。まさかこんな寒村で、こんな老婆相手に、占いをしてもらうなどと……雪の中馬を駆ってこの村を訪れた時点で、全く予想もしていない事だった。
 リューイリアは、少しだけ迷った。無論、今が作戦行動中であることを考えれば一も二もなく丁重に辞退すべきなのだったが……。
 だが、それは意外に容易ではなかった。彼女の中で、好奇心が鎌首をもたげ始める。剣を振り回し気丈な兵士を装ってみても、所詮彼女も年頃の娘に違いないのだ。あやしげな申し出を前に、好奇心が何よりも勝った。
「……では、お願いしよう」
 意を決して、そう言い切った。
 老婆は彼女に、両の手のひらを見せろと言う。彼女は重い手袋を脱ぎ捨てて、白く細い手のひらを差し出した。老婆は皺だらけの手でそれを取り、しげしげと眺めた。
「ふむ……」
「……どうだ」
「お美しい手ですなあ」
「婆、冗談を言っている場合ではないぞ」
「いえいえ、美しいと申したのは、相が美しいと申したのです。お嬢様の、まっすぐなお心がここに現れてございます」
「……」
 どう言葉を返せばよいのか分からずに、彼女は黙り込んだ。老婆はなおも手のひらに見入っている。リューイリアは黙って、次の言葉を待った。
「そう……ですな。お嬢様は今現在、何かを思い悩んでおられる」
「悩み……?」
 その言葉に、少しだけどきりとする。
「いかにも……。そう、そしてそれは……恋のお悩みでございますな」
 そう言って、老婆は顔を上げてリューイリアを見やった。まるで、自分の見立てが合っているかどうか、確認するような視線で。
 寄る年波に、目も悪くしているのだろうかその瞳は灰色に濁っている。それでも、まっすぐに見入られてリューイリアは思わず目を逸らしてしまった。
「いや……その、それは」
 リューイリアは、言い淀んだまま次の言葉を発する事が出来なかった。うつむいたままの彼女を見て、老婆は笑う。
「いやいや、恥入る事ではございませぬ。お若い人は、多いに悩めばよろしい」
「そういう問題では……」
「この婆とお嬢様は、このような辺境でたまたま相まみえ、またお嬢様が王都にお戻りになれば二度と会うこともありますまい。思い切って、婆に話してみてはいかがですかのう?」
「……」
「ご心配なさらずとも、婆は先の短い身ゆえ……お嬢様の秘密もいずれすぐに天国なり地獄なりに持っていくことになりましょうぞ。ささ、ご遠慮なさらずに……」
「そうは言っても……」
 リューイリアは途方に暮れた。
「そなたのような見知らぬ年寄り、私の秘密を誰に洩らすわけでもないという理屈は分かるが……相談した所で、どうにかなる問題ではない」
「……なるほど」
「思い悩んだ悩んだ所で、どうにかなるわけでもないのだ。力になってくれるという、その言葉は嬉しいが」
「なるほどなるほど」
 老婆はそう呟くと、にやにやと笑い始めた。その表情に、リューイリアは少し後悔を覚え始める。
「……婆、つまらぬ好奇心で人の秘密を暴き立てようとするなよ」
「なんの。そのような不埒な事は、かけらも思ってはおりませぬ……お嬢様は、叶わぬ恋にお悩みで」
「……放っておけ」
「それを、どうにかしたいとはお思いになりませぬか?」
「……何だって?」
 この老婆は、何を言おうとしているのか……リューイリアには予測もつかなかった。ここで話を切り上げて立ち去るべきだ。理性は確かにそう主張している。けれど……。
 けれど心の奥底で、何かが囁く。
 この場に止まり、成り行きを確かに見守れ、と。
 リューイリアは、ごくりと唾を呑んだ。少しだけ緊張しているのが、自分でも分かる。
「……婆、何が言いたい。どうにかするなどと……どのようにするというのだ」
「こうすればよろしい」
 婆はそう言うと、しばし待てと言い残し、席を立って戸棚に向かった。様々な壷やら壜やらがぎっしりと並んでいるそこを、婆は蝋燭を手に順番にまさぐっていく。
 やがて、壷の後ろに隠れた小さな小ビンを見つけると、よたよたという足取りで彼女の元に戻ってきた。呆然と成り行きを見守るリューイリアは、思わず手を貸すのも忘れて見入ってしまっていた。
「……婆、それは一体」
「お嬢様のお悩みを解決する薬です」
「薬」
「いかにも」
 言いながら、その小壜を蝋燭の明かりにかざす。頼りない明かりの元で色ははっきりとは分からないが、少し赤みががった、透き通った液体が中で揺れていた。
「……何と言う薬だ?」
「さて。名前などありませぬが」
 笑いながら、老婆はその小壜を差し出してくる。リューイリアは恐る恐る、それを受け取った。
「お嬢様が、本当にその殿方を想っておいでなら……これがきっと、お役に立つでしょう。ほんの一滴……効果はたったそれだけで現れまする。お嬢様の想い人に、これを飲ませなさいまし」
「……」
「お食事かお飲み物に盛るのが、何より手っ取りばやいでしょうなあ。必ずお嬢様手ずから盛っていただく事、これだけはお忘れなきよう」
「……どうなる」
 リューイリアは、緊張してうわずった声で、老婆に問いかけた。
「これを飲ませると、どうなる?」
「すべて、うまくいく……それだけの事です」
「……」
「もちろん、お使いになるか、なられないかはお嬢様のご自由ですよ。……差し上げますので、取っておいて下さいまし」
「……」
 小壜を手にしたリューイリアは、それを要らないと言って突き返す事が出来なかった。
「……ひとつ、聞いていいか?」
「何なりと」
「婆には、亭主はおらぬのか。これが婆の言うような薬なら……」
「あいにく、それは」
 老婆はそう言って、高らかに笑う。
「婆も若い時分には、色々とございましてな。このような薬があればといくたびも願うたものです。しかしながら、ようやっとこの手にした頃にはもう……まあ、そういう事です」
 そう言ってけらけらと笑い出す。本気なのか、彼女をからかっているのか……今ひとつ判別は付かなかった。その言葉に、リューイリアはただため息をついた。
(どうしろと言うのだ、私に)
 途方に暮れたまま、彼女はもう一度小壜を見やった。




     3

 老婆に別れを告げて、リューイリアは外に出た。
 空はどんよりと曇ってはいたが、あばら屋の中とは打って変わって眩しく映った。
「ん……?」
 外に一歩踏み出してすぐに、彼女は村の空気が騒がしいのに気付く。
「やっと、到着したか」
 ため息まじりに、彼女は歩き出した。
 往来を行けば、どこで息を潜めていたというのだろう、村人たちの姿もちらほらと見える。彼女が村の中央の広場に足を向けると、そこでは荷馬車を取り囲んで、穀物の袋を下ろすのに大わらわの若い兵士達の姿があった。
「リューイリア」
 遠くで、自分を呼ぶ声がする。
「フレデリック」
 駆け寄ってきた青白い青年を、彼女はちらと見やっただけだった。
「どこへ行っていたんだ」
「……少し、寄り道していた」
 さっきあった事を、どう説明したものだろうか。……いや、彼女はそこであった事を、誰にも言うつもりはなかった。誰かれに告げられる話ではない、そう思ったのだ。
 やってきた荷馬車は三台。補給部隊の兵士が慌ただしく駆けずり回っている。その馬車のすぐ近くに、リューイリアの見知った顔があった。
 歩み寄っていくと、彼女が何か言う前に向こうから彼女を見出し、大股で歩み寄ってくる。
「リューイリア!」
 目の前にいる初老の男は、リューイリアを見るなり険しい表情をこれでもかと言わんばかりに崩してみせた。
「将軍閣下」
 そこにいたのは、彼女の父――タイタス将軍その人であった。リューイリアは父親の前に歩み寄ると、格式ばった敬礼をしてみせた。それとは対照的に、タイタスの方は鷹揚な笑顔を見せる。
「いやあ、リューイリア! 我が娘よ。心配しておったぞ」
「将軍閣下にはこのような所までご足労いただき、かたじけなく思います」
「何を言うか。娘の危機を見過ごす父親が、この世界のどこにいるというのだ。……おお、鎧に血がついているではないか。どこか怪我でもしたか?」
 急におろおろとする父を前に、彼女はため息をつく。
「……これは返り血にございます」
「おお、そうか……無事ならそれでよい。いやあ、つい今し方フレデリックから、敵と交戦したと報告を受けて……俺は気が気ではなかったぞ」
「将軍閣下」
 リューイリアは、少々神経質な声を上げる。
「……なんだ、かしこまって」
「今は作戦行動中です。部下の目もあります……」
「堅いことを言うな」
 フレデリックに言ったのと同じ言葉を、将軍はその一言で軽く受け流した。リューイリアは、ため息をついた。




     4

「と、まあそういう事だ」
 話し終えたタイタス将軍は、そこで一息ついて、ティーカップを口に運んだ。
 北方での数々の出来事も、もはや数週間前の出来事になろうとしている。王都に無事帰還したこの親子は、再び平穏な日々に戻っていた。
 父の話を聞き流しながら、リューイリアもまた静かにカップを手に取る。軍務から離れた彼女はさすがに軍服こそ着てはいないが、それでも男物の服を身にまとい、まるで少年のような凛とした姿を見せていた。
 そしてその場に同席しているのは、魔法使いパルミエリとその美しき妻、タナーシアの二人……。ここ最近、頻繁にお茶会に呼ばれている客人だった。
「しかし、戦争にならなくてよかったですね」
 パルミエリが、したり顔で相槌を打った。
「うむ。北方の蛮族が組織だった動きを見せれば、我ら王国も安穏とはしておれぬからな。……とは言え、あやつらもよっぽど食い詰めておったのだろうなあ。国境の侵犯はこれまで幾度となくあったことだが、今回のはまったく野盗の如きものだったからなあ……」
「そろそろ、雪も溶ける頃合です。奴等が報復に出るということは考えられませんか?」
「まあ、その時はその時だ。……無用な交戦は連中を刺激するだけとは言え、あの村での事は不可効力だよ。リューイリアには、自分の娘だから処分しないのかと散々なじられたがな」
 そういって笑う彼に、リューイリアが真顔で問いかける。
「実際の所、どうなのですか。父上」
「さすがに、我が家では父と呼んでくれるか」
 将軍のからかう言葉には反応を示さずに、リューイリアは淡々と語った。
「戦争になれば、犠牲になるのは北方の開拓民達です。加えて、多くの兵士が危機にさらされる事でしょう。一介の兵士の独断が、そのような事態を招くとあれば……」
「それゆえに責任を追求するか。……やれやれ、お前の部下になると大変そうだなあ」
 将軍はそう言って肩をすくめた。
「あれは不可効力だと言っておろうが。別にお前でなくても、誰であっても俺は処分するつもりはないぞ」
 その言葉に、リューイリアは納得が行かなさそうな目を向けた。タイタス将軍は、思わずため息をついた。
「やれやれ……休日ぐらい、軍務を忘れてはどうだ」
 将軍はそう言って、パルミエリを見やる。
「まったく。こいつは絶対、俺よりも軍人に向いている。いいかげん跡を継がせて、引退したいよ」
「引退ですか。それはお気の早い」
「早いもんか。そろそろ、剣の重さも馬の長旅も堪える歳だ」
 ため息を付く将軍に、タナーシアが何気なしに言う。
「……将軍閣下の跡目を継がれるのは、大尉殿を花嫁に迎えられる殿方では?」
「どこかに適当な男がいるのなら、紹介しては下さらぬか。タナーシア殿」
 将軍はそう言って、もう一度ため息をついた。リューイリアが、そんな父親を冷ややかな目で見ている。
「父上。私は結婚など」
「分かってるよ。分かっているとも」
 投げやりに呟くタイタス将軍。
「でも、大尉だって年頃ですから、そういうお話も色々あるんじゃないですか?」
 そう問いかけたのは、よりによってパルミエリであった。タイタスは思わずパルミエリを見やり、次いでリューイリアを見やる。リューイリアはそのまま、そっぽを向いた。
「……まあ、話だけは無いことも無いんだが」
 将軍は力無く語り始めた。
「俺も将軍なんて大層な肩書きをぶら下げてはいるからな。宮廷じゃ、それに見合った婿をつけさせようとあれやこれや言われているが……所詮、俺は庶出に過ぎん。娘を貴族に嫁にやれば、孫は貴族様ということになる……自分の孫に頭を下げるような事は、ごめんこうむるよ」
「はあ」
「幸い、跡目の事はなんにも気にしなくていいからな。誰に似たのやら、こんな娘に育ってしまって……」
「こんな娘で、悪うございました」
 そう言いながら、娘は父親を睨み付ける。
「跡目を継ぐって……大尉にその気はあるんですか?」
「心配かね、パルミエリ」
「あ、いえ……」
 将軍に問われて、パルミエリは言葉を濁す。リューイリアはと言えば、澄ました冷ややかな表情でこう言ってのけた。
「父上が将軍の位を譲って下さると言うのなら、私はありがたく頂戴させていただきますが」
「頼もしい」
 さしたる感慨も無さげに、タイタスは返事をした。
「まったく、我が娘ながら行く末が不安であるな。パルミエリ、お前が独身なら、お前に面倒をみてもらいたい所だが」
 父のそんな言葉に、リューイリアは焦りを隠し切れなかった。
「こんな美しい奥方がいてはなあ……頼むに頼めぬ」
 そう言って一人溜息をつくタイタス。慌てた表情を見せたのがパルミエリで、リューイリアは不機嫌な表情のままそっぽを向いてしまった。ただ一人、タナーシアだけがフフと笑って見せたのみである。
「……タナーシア、おかしいかい?」
「だって、ああ言われて悪い気はしないでしょう? パルミエリ」
「あのね、君の旦那の話だよ?」
「あら、分かっていますよ。言われなくっても」
 そう言って笑ってみせるタナーシアに、パルミエリは真意を図りかねて溜息をつくより他になかった。
 そのタナーシアに向かって、タイタスが不意に口を開いた。
「時に、タナーシア殿」
「はい?」
「いつもの事ながら、あなたの煎れてくれたお茶は最高にうまいな」
「どうもありがとうございます」
「リューイリアに教えてやってはくれぬか。どうやったら、こんなうまい茶が入れられるのか」
「あら、私別に変わった事は何もしていないのですけど」
「そんなはずはない。同じ葉を使っているのに、こんなに味が違うのはおかしい」
 タイタス将軍は十万の兵士に向かって熱弁を奮うかのごとく、力強く力説した。その娘が、彼を横目で睨みながらぽつりと言う。
「父上。それはまるで、私の茶の入れ方に問題があると言っているようではないですか」
「そうは言っていないがなあ……もし自覚があるのなら、この機会に教えてもらいなさい」
 くくく、と笑って、将軍は再びお茶を口に運ぶ。リューイリアは見るからに不機嫌そうな表情で、父親を睨みつけた。彼女が何か言い返そうと口を開きかけた時、屋敷の使用人がやってきた。
「失礼します。ヒューム伯がお見えになっていますが」
「……ヒューム伯だって?」
 歓談の場に申し訳なさそうに現われた使用人の言葉に、タイタスはやれやれと言いたげな表情を見せた。
「……どうせ、また仕事の話だろう」
「今日はお子様方も一緒にございますが」
「何? ……それはまた珍しい」
 出迎えのために席を立とうとした将軍だが、それよりも前に客人は自らその場に足を運んできた。
 入ってきたのは、痩せた色白の青年だった。
「……申し訳ありません、勝手に上がらせていただきましたよ」
「フレデリック。よく来たな」
「ご無沙汰しております、将軍」
 そう言って敬礼したのは、北方遠征でリューイリアの配下にいた、フレデリック青年その人だった。
「遠征以来だな。元気にしておったか」
「おかげ様で」
 そう言っている彼の後ろから、客人が一人、二人と続けてやって来る。合わせて三人の来客が、パルミエリ夫妻の背後に居並んだ。
 一人は、やや太った小柄な白髪の紳士。その後ろに付き従っているのは……先にやってきたフレデリックと、そっくり同じ顔をした女性だった。
 一行に向かって、タイタス将軍は気さくな挨拶を投げかけた。
「ようこそ、ヒューム伯」
「お茶の時間に、失礼するよ」
 老紳士はそう言ってにこやかに笑顔を見せた。
「フレデリカ。久しぶりだな」
「将軍閣下、ごきげんよう」
 フレデリカと呼ばれた女性は、そう言ってにこやかに挨拶をした。その顔はフレデリックと瓜二つだが、陰気な彼とは違って彼女はぱっと花が咲いたような華やかな笑顔を一同に向ける。
「……で? 親子三人揃って、当家のお茶会に飛び入り参加かね?」
 将軍が嫌み混じりで尋ねる。答えたのは老紳士……ヒューム伯その人だった。
「いや、将軍。休日に申しわけないが、今日は仕事の話で来たのだ」
「なんだ、それは」
 タイタス将軍はあからさまに機嫌の悪そうな表情に変わった。
「今日は、ではなく、今日も、だろう。茶もゆっくり飲めんとは一体どういう事だ」
「誠に申しわけない」
 言いながらも、伯の表情は笑っていた。
「……だったら二人が一緒なのはどういう事だ」
「あら、私達はついでに遊びに来ただけです。リューイリアとも、しばらく会ってませんでしたし」
 快活にそう答える少女――二十歳を過ぎてそう呼称するには、若干抵抗があったが――に、将軍は笑顔を向けた。
「うむ……そういう事なら、ゆっくりして行きなさい。私はしばし中座させてもらう……用件を早く終わらせて、この年寄りを追い返すとしよう」
 笑いながら、将軍は席を立ち、ヒューム伯を伴って部屋を出ていった。
 二人の姿が消えるなり、口を開いたのはリューイリアだった。彼女は部屋に残された客人……正確にはその二人のうちの一人を、思いっきり睨み付ける。
「フレデリック。何しに来た」
「ご挨拶だなあ」
 フレデリックはそう呟いて、途方に暮れた表情を見せた。
「僕はフレデリカのお守りだよ。彼女がどうしても君に会いたいっていうから」
「あら、私はあなたがリューイリアに会いたいんじゃないかと思って、連れて来てあげたのに」
「余計なお世話だ」
 そう言って、そっぽを向くフレデリック。その彼に、リューイリアが辛辣な言葉を吐いて見せる。
「なら、さっさと帰れ」
「……大尉どのもきついことをおっしゃる」
 ぼやきながらも、空いた椅子に断りもなく腰を下ろす。そんなやりとりを満足そうにみながら、フレデリカも席についた。
「リューイリア、こちらは?」
 席に着いた彼女は、いかにも興味津々といった表情で……先に来ていた客人を差し示した。
 そう、言うまでもないパルミエリ夫妻だ。
「パルミエリ殿と、その奥方タナーシア殿」
 リューイリアはため息をつきながら、面倒だと言いたげな素振りで二人を紹介する。その二人はと言えば、この状況下に借りてきた猫のように大人しくしていた。
 澄ました表情のタナーシアと、その隣で少し表情をこわばらせているパルミエリ。特に彼は、何故か双子達と目を合わせないようにしていた。
 その彼の横顔を、フレデリカが遠慮無く覗き込む。
「……お見受けした所、魔法使いでいらっしゃる?」
「ええ、まあ……」
 パルミエリは、そう言いながらも顔を背ける。
 そんな様子を見ながら、フフフと笑い声を上げたのはタナーシアだった。それをいぶかしむ一同に向かって、パルミエリはいかにも苦しげな表情を見せた。
「……どうかしました?」
 フレデリカが、問いかける。返事はパルミエリではなく、その傍らのタナーシアから返って来た。
「お嬢様、申し訳ありません。パルミエリは、南のラナンシアの生まれでして……ご存じかどうか分かりかねますけど」
「ラナンシア。……植民地の方?」
「生まれは、です」
 震える声で、パルミエリが補足する。
「僕の国の、風習でして。迷信だとは分かっていても、こればかりは」
「……何? その迷信って」
 フレデリカが、好奇心に目を輝かせながら身を乗り出す。
「フレデリカ。失礼だよ、初対面の人に」
「だって、気になるじゃないの」
 弟がたしなめるのも聞かずに、フレデリカはパルミエリを問い詰める。悪戯っぽく目を輝かせるフレデリカに、パルミエリは恐る恐る問いかけた。
「……お気を悪くなさいませんか?」
「教えてくれない方が、よっぽど機嫌を損ねるわね」
 ならば、とパルミエリは語り始めた。
「僕の故郷では、双子は忌避すべきものとされておりまして……決して見てはいけないとされているのです。失礼に思われるかも分かりませんが、こればかりはどうにも」
「ああ、なるほど」
 間の抜けた納得の台詞をはいたのはフレデリックだった。
「それじゃ、仕方がないな……パルミエリ殿、急に押しかけたのはこちらゆえに、お気を悪くされたのなら謝りますよ」
「いえ、僕らもこの屋敷に呼ばれている身ですから……」
 パルミエリはただ恐縮して、か細い声でそう答えた。フレデリカはと言えば、少しばかり納得の行かなさそうな顔をしていた。
 彼女が、何か言おうとして口を開きかける。一同がその言葉を待つが、彼女は何も言わず黙り込んでしまった。
 その場に、沈黙が訪れた。
「……」
 パルミエリは、窺うような目で周囲を見渡す。取り敢えず笑顔を絶やさないのは妻のタナーシア。リューイリアはどことなく不機嫌そうで、フレデリックは所在なさげにぼんやりとしている。フレデリカはと言えば、何となく詰まらなそうな表情のまま。
「……せっかくのお茶会です。お茶にしませんか?」
 不意に、静寂を破ってそんな事を口走ったのは、タナーシアだった。彼女はそう言って、不意に立ち上がる。
「お二人にも、お茶をお出ししないと……」
 それを見て、リューイリアも反射的に立ち上がった。椅子ががたりと音を立てる。急に立ち上がったので、一同の目が何故か彼女に集まってしまった。
「あ……」
「? どうされました?」
 タナーシアが何となしに質問する。リューイリアは、少し慌てた素振りを隠しながら、たどたどしく言葉を吐いた。
「あ、あの……私が用意する。私の客だ」
「あら、お構いなく。こちらもお呼ばれしている身ですし、このくらいの事は」
 タナーシアは、パルミエリの方をちらと見ながら言った。ここで二人で席を立って、この双子と一緒に残されるパルミエリの身を案じているのだ。
 だが、当の双子の片割れである、フレデリカがこんな事を言う。
「……そうね、リューイリアの煎れてくれるお茶も、久しぶりだわ」
 その言葉に、リューイリアとタナーシアは思わず顔を見合せた。
 ついで、タナーシアはパルミエリを見やる。
「……いいよ。二人で行ってきたら」
「でも」
「さっき将軍も、あんな事を言ってたし」
 パルミエリはそう言いながらリューイリアを見やる。その言葉を聞いたリューイリアは、恥ずかしそうにうつむいたまま、やっとの思いで次の言葉を口にした。
「……せっかくだから、ご伝授願えないだろうか」
 タナーシアは逡巡したが、しばしの思案の末、リューイリアに向かってにこりと笑顔を投げかけ、言った。
「よろしいですよ」
「……すまない」
 そのまま、二人はパルミエリを置き去りにして部屋を出ていった。
 残された三人の間に、言い知れない奇妙な沈黙がのしかかる。
 フレデリックは何も言わずに、窓の外を見やった。フレデリカはここぞとばかりに、身を乗り出して口を開いた。
「パルミエリ殿」
「……何でしょう?」
「あなたのお国の、風習とやらの事。せっかくですから、お聞かせ願えません?」
 その問いに、パルミエリはあからさまに苦しげな表情を見せた。フレデリックはそんなパルミエリの苦渋の表情をちらと見やる。その心中を察して、彼は同情を禁じ得なかった。