恋する魔法使い(後編)
作:ASD





     10

 何か、夢を見ていたような気がする。
 目を覚ましてみれば、その夢がどんな夢だったのか思い出せないという事はよくあることで……その朝も、結局はそうだった。
 どんな夢だったんだろう。
 思い出そうとするけれど、まるで思い出せない。
 もどかしさに思い悩みながら、片方では諦めの気持ちでいっぱいだった。そんな中途半端な夢ならば、覚えていない方がいい。忘れてしまいそうな夢なら、忘れてしまうのがいい。
 そんな夢にどんな意味があったのか、考えるだけ時間の無駄だった。その夢はとてもとても甘く、切なく……その夢の中に生きている限り、彼はとてもとても幸せだった。
 いつまでもいつまでも、見ていたかった夢。いつまでもいつまでも、続きはしなかった夢。
 醒めてみれば、彼を待ち受けていたのは悪夢だった。……いや、その前まで見ていた夢そのものが、もしかしたら悪夢だったのかも知れない。そんな夢が醒めてしまった今、その夢から続いているこの現実は、まさに悪夢そのものだった。
 けれどそれは、夢なんかじゃない。目が醒めれば霧のように消え去ってしまう、そんな幻ではない。
 幻であったら、どんなに良かったのか……何度も何度も、そうやって悔やんでみる。悔やんだ所で、どうにもなるものではない。そんな夢、見なければ良かった? いいや、その夢の端から端まで、すべてがとてもとても大切な宝物だった。忘れてしまいたい? 忘れてしまえば、すべての苦しみから開放される。その代わりに、せっかく手に入れたはずの宝物まで、手放してしまうことになるけれど。
 その宝物は、痛み無くしては手に入れられないものだったのかも知れない。そう思って、自分を慰める。
 必要な犠牲を払ったからこそ、心の中には大切な思い出が残り、現実にはとてもとても大きな痛みが残ったのだ。彼は――パルミエリの心には、後悔の念など実際はひとつもありはしなかった。
 時が、すべてを忘れさせてくれると思った。彼の苦しみを、癒してくれると思った。彼の知る周囲の人間は、皆そう言って彼を慰めてくれた。
 けれどそれは、多分嘘だったのだと思う。
 思い出は、時を経るごとに彼の中で大きくなっていく。彼を容れ物に例えるなら、その容れ物を満たしているのは「今現在の彼自身」ではなく、「思い出」が全てだった。かつては「彼自身」に満たされていたはずなのに、「幸せ」が入り込んで来ることで「彼自身」はこぼれ落ちてしまい、彼のすべてを満たした「幸せ」は、「思い出」という毒になって彼自身を蝕んでいく。
 それでいい、とパルミエリは思っていた。
 毒に侵されることが、今の彼には幸福だったのだ。すべてを忘れて……毒のすべてを容器からこぼしたとしても、代わりにそれを満たす「何か」はどこにも存在しない。彼自身、思い出を捨て去ってしまえば……いや、思い出と共にあってなお、彼は「からっぽ」の存在に過ぎないのだろう。
 すでに……「容れ物」としての役割を、彼は終えてしまったのだろう。
 毒にむしばまれ、新たに容器を満たすことも適わない。パルミエリ自身が、それを良しとしない。そんな自分に気が付いているからこそ、彼はすべての終わりを実感していたのだ。
 終わらせるのは簡単だった。彼は魔法使いなのだから。
 常人には聞き取れぬ言葉が、彼の口から漏れる。それを聞くものはそこには誰もいない。その意味を知るものも、それが呟かれたことを知るものも……そして、その結果どうなるのかを見届けるものも、誰もそこに居はしなかった。
 それでいい、とパルミエリは思った。
 指先に、ほんのりと炎が浮かび上がる。小指の先ほどの、キャンドルの灯火のような炎。だが、彼は優れた魔法使いだ。その炎がひとたび燃え上がれば、燃えかすも灰も残らない紅蓮の業火となるだろう。その炎が彼自身を燃やし尽くす事……それがあってはならない事だなどと、彼は思わなかった。熱さを感じるまもなく己自身を燃やし尽くす事など、彼にはたやすい事だった。
 それでいい……それでいいのだ。
 小さな家には、彼女との思い出が詰まり過ぎている。思い出に囲まれて、そのまま朽ちていくつもりだった。それが待ちきれないのなら、朽ちるより早く自分で手を下せばいい。
 何のためらいも、そこにはなかった。
「パルミエリッ!」
 不意に、声が聞こえた。続けて聞こえてくる、ドンドンとドアを叩く音。
「パルミエリッ! いるのだろう、返事をしろ! ここを開けろ!」
 あの声は……。そう、それは彼の知っている声だった。声の主の名を思い浮かべようとした瞬間、ドアを蹴破る音が聞こえた。ドン、という大きな音がしたかと思うと、その次にはバリバリと何かが壊れる音。
「パルミエリッ!」
 その叫び声が、今度はすぐ近くで聞こえてきた。どたどたと騒々しい足音とともに、部屋に駆け込んでくる小さな人影。
「……パルミエリッ!」
「大尉」
 その人影の正体を、パルミエリは見やった。
 リューイリアは肩で息をしながら、まっすぐに彼を見据えた。睨みつけるような視線を真っ向から受け止めて、パルミエリは少しだけ身じろいだ。
「……何事ですか」
「パルミエリ。その炎で、何をするつもりだった」
「……大尉には関係のない事です」
「本当に、そうか?」
「……」
 パルミエリは何も答えなかった。指先の炎をじっと見つめ、そしてリューイリアを見て、交互にその二つを見比べる。
「……大尉、お願いですから、止めないで下さい」
「パルミエリ……」
「僕には、彼女がすべてだったんです。彼女を失った時点で、僕はこうするべきだったんだ」
「……やめろ」
「止めないで下さい。彼女のいない世界に、僕が存在している意味なんて、何もない」
「やめろ!」
 リューイリアは我知らず叫んでいた。
「……大尉」
「大尉と呼ぶな」
「リューイリア。僕は……」
 何かを言おうとするパルミエリの前に、リューイリアは小さな小壜を差し出した。赤みがかった透明な液体が、その中でかすかに揺れていた。
「パルミエリ。あのお茶を覚えているか」
「……」
「お前はあのお茶を飲む前に、不審そうな顔をしていたな?」
 その一言で……。
 不意に、パルミエリの表情が変わった。正体を失ったうつろな眼差しに、光が戻ってくる。
「……僕に、何か魔法をかけたんですね?」
「そうだ。魔法使いなら、魔法を破ってみせろ」
「……見せてください」
 彼女の差し出した小壜を、パルミエリはさっと受け取る。中の液体を光にかざし、無言のままにじっと見やる。
「これを、僕に盛った?」
 リューイリアは、黙って肯くばかりだった。
 まるで、目を見開いたまま、夢を見ているような感覚。
 目の前の現実が、夢なのか現実なのか、それがまったく定かではない、そんな不安定な感覚。
 リューイリアは、不思議そうな表情のパルミエリをじっと見つめた。そのパルミエリが、彼女の視線を、まっすぐに受け止める。
 まっすぐに見返されて、恥ずかしそうに顔をうつむかせたのはリューイリアの方だった。
「……済まなかった」
 消え入るような声で、彼女が謝る。
 その瞬間――。
 耳のすぐ側を、何かが通り過ぎていった。目に見えない冷たい手に、首筋を撫でられたかのような不快感。ぞわりと嫌な感覚に、彼女は首をすくめた。
 微かに、耳鳴りのようなものが聞こえる。ぼんやりとした不快感が、彼女の感覚を徐々に浸蝕していく。
 不快感に、リューイリアは顔をしかめる。ふと見やれば、パルミエリもまた何かを我慢するように目を閉じていた。
 次の瞬間――。
 ふわり、と身体が浮き上がったような気がした。つむっていた目を、不意に見開く。その瞬間には、感じていた不快感はすべて消え失せていた。
 感覚が、急速に遠ざかっていく。
 リューイリアは、ふと顔を上げる。正面にいるパルミエリをまっすぐに見やると、彼もまたきょとんとした表情で、彼女を見ていた。
「今のは一体……」
 二人同時に同じ事を口走ってしまい、慌てて口をつぐんだ。リューイリアは恥ずかしそうにうつむいてしまう。パルミエリは顔を上げ、部屋の中を見渡した。
 深呼吸をする。澄んだ空気が、彼の肺に流れ込んでくる。見るも無残に散らかっていた部屋も、いつしか小奇麗に片付いていた。
「……どういう事だ?」
 景色の変化には、リューイリアも気付いたようだった。一体、何が起きたというのだろう。二人はまたしても、不思議そうに顔を見合わせる。
「パルミエリ、今のは一体……」
 彼女がそう尋ねた瞬間……玄関の方で、物音がした。
 今度は、音の正体が明確に分かる。誰かがドアを開いた音。
「ただいま」
 遠くで、そんな声が聞こえてきた。足音が、段々こっちに近づいてくる。
「……誰」
「あの声……大尉は、聞き覚えはないですか?」
 不思議そうな顔をしながらも、パルミエリの表情からは思い詰めたような暗さが消え去っていた。
「パルミエリ? 帰って来ているの?」
 再び声がする。ドアごしに、パルミエリは戸惑いまじりながらも、快活な返事を返した。
「ああ……おかえり」
 その声に引かれて来たかのように、部屋の扉ががちゃりと開く。誰が来たのかとリューイリアは気が気ではなかったが、ドアの隙間から覗いていたのは彼女もまた見知った顔だった。
「ただいま、パルミエリ」
 そう言って笑顔を投げかけてきたのは……言うまでもなく、タナーシアその人だった。
「……あら、大尉も来ていらっしゃったんですか?」
「ああ……近くに立ち寄ったもので……」
 驚きの中、リューイリアは辛うじて、うわずった声でそう答えた。
「遅くなってごめんなさいね。今すぐ、夕飯の支度をするから……あ、そうだ。大尉もどうですか?」
「あ、えっと、私は……」
「いつもお茶にお呼ばれしていますもの。たまにはよろしいでしょう? ……そうは言っても、そう大したおもてなしも出来ませんけどもね」
「……」
 リューイリアの返事を待たずに、タナーシアは笑顔のまま彼女の前を去っていった。ノーと言うチャンスを、彼女には与えないつもりなのだろう。
 リューイリアはパルミエリをちらと見やると、恥ずかしそうにうつむいた。
「……厄介になる」
「どういたしまして」
 パルミエリはそう言って、会釈を返した。




     11

 パルミエリ一家の夕食は、つつましくも楽しいものだった。笑顔を忘れないタナーシアの前で、今日はリューイリアの方が借りてきた猫のように大人しかった。
「あら、大尉。今日は何だか、元気がないのですね?」
「いや、そんな事は……」
 彼女は恐縮し切って、それ以上の言葉が出ない。
 タナーシアはお茶を煎れるのがうまいばかりでなく、料理の腕も確かだった。パルミエリ一家の晩餐は決して豪華なものでもないし、急に一人分増えて彼女も困惑しただろうに、それをおくびにも出さない。それが何となく分かっているから、リューイリアも口数が少なくならざるを得なかった。
「……ひょっとして、お口に合わなかったかしら?」
 心配そうな表情を見せるタナーシアのその言葉を、彼女は力強く否定した。
「そんな事はない」
 慌てて口走る彼女に、パルミエリが笑いながら告げた。
「大尉殿。このさいですから、お世辞を言わなくてもいいんですよ?」
「パルミエリは、奥方の手料理に不満でも?」
「とんでもない」
 パルミエリもまた、やんわりとその言葉を否定する。
「僕はとても、満足していますよ」
「パルミエリ。お世辞を言わなくてもいいのよ?」
「お世辞なんか言わないよ」
 タナーシアの言葉に、慌てる素振りを見せるパルミエリ。リューイリアの目には、その二人の姿がとても幸せそうに見えた。
(私は……一体何をやろうとしていたのだろう) 
 やがて晩餐が終わり、食後のお茶が終わり……リューイリアは席を立った。
「そろそろ、おいとまさせていただく」
「もう行かれるんですか? ……もう少しゆっくりしていって下さっても」
「タナーシア殿。その言葉ありがたいが……父上が心配しているだろうし」
 雑務に追われ帰宅もままならないタイタス将軍だったが、さすがに四日も外泊する事はないだろう。
 何にしても、これ以上二人の邪魔はしたくない。……リューイリアは、そんな事を考えていた。
 にも関わらず、席を立ったリューイリアに続くようにパルミエリもまた席を立つ。
「送っていきますよ」
 何気ない表情でそう告げるパルミエリ。タナーシアもそれを引き止める気配はない。
「パルミエリ、お願いね?」
「分かっているよ。……将軍閣下に、謝らなくちゃいけないかな」
「……そこまでしてもらわなくても」
 リューイリアはその申し出を丁重に断ろうとした。何せ彼女もいっぱしの軍人、腰に下げた剣は決して飾りではない。
「けどね……一応は年頃の娘さんだからね。夜道を一人で送り出したとあっては、やっぱり将軍閣下に申し訳が立たないよ」
「一応は余計だ」
 不満を漏らすリューイリアを急かすようにして、パルミエリは表に出た。
「さ、早く家に戻らないと、将軍が心配されてますよ」
 タナーシアに見送られる形で、二人は玄関から出ていった。リューイリアが蹴破ったはずの扉は、何事もなかったかのように元通りになっていた。
 手を振るタナーシアを、彼女は振り返りながら呆然と見ていた。正確には、彼女が立つ戸口を、というべきか。
「私は確かに、ここを蹴破ったはずなのに」
「大尉も無茶をしますね」
「……それは」
「鍵は開いてたんですよ。お気付きになられなかった?」
 パルミエリの言葉を聞いて、彼女はいかに自分が慌てふためいていたかを知った。耳まで真っ赤になるのが、自分でも分かる。
「……済まない」
「でも、分かりませんよ」
 夜道に広がる、闇のその向こう側をじっと見つめながら、パルミエリはまるで独り言のように、呟くように言った。
「僕は鍵はかけなかったけれど、それは僕がそう思っていただけかも知れない。大尉はドアを蹴破ったつもりでも、事実はそうじゃなかったかもしれない。あの薬には、そういう力があったのでしょうね」
「……」
「彼女が死んだ、っていうのは、僕の幻想だった」
「でも、父上も老師も皆その事を知っていた。私以外は……」
「僕の幻想を、皆が共有していた」
「知らなかったのは、私だけか……」
 リューイリアは、寂しそうにうつむいて、ため息をついた。
「大尉、あの薬……」
「……リューイリアでいい」
「ではリューイリア。あの薬、どこで手にいれたのです?」
 パルミエリに尋ねられるままに、リューイリアは辺境の村での出来事を話した。老婆に出会った事。その老婆が魔法使いだった事。秘薬は、その老婆から托されたものであること。
「……あの老婆、何者だったのだろう?」
「その薬、その人が作ったのだとしたら……大変な魔法使いですよ、きっと」
「夢と、現実の、境い目のなくなる薬……」
「他人同士の夢が、ひとつにくっつく薬です」
 したり顔でそう言ったパルミエリから、リューイリアは顔を背けた。
「本当に、すまないと思っている。私は……」
「言いっこなしです。タナーシアは生きていましたし……でも、リューイリア。何でこの薬を僕に盛ろうなんて思ったんですか」
「へ?」
 思いがけない問いに、リューイリア思わず立ち止まってしまった。上げてしまった声もまた、思いがけない大きな声。
「そ、それは……」
 そう言えば……確かに彼には、一言も告げてはいなかった。
 老婆にもらった秘薬が、恋の秘薬だなどとは、一言も。
 ……確かに、この薬の効果はリューイリアの恋わずらい云々と言った話を、大きく飛躍していたかも知れない。けれど……何のために彼女がそんな薬を使ったのか、そのくらい察しが付いてもいいような気もするが……。
「……内緒」
「へ?」
「内緒といったら、内緒だ」
 リューイリアは、そっぽを向いたままそう答えた。
「ひどいじゃないですか」
 気付いていないのなら、口が裂けても言えるものか……。不平を漏らしたパルミエリを前に、リューイリアはだんまりを決め込んだ。
 夜道は真っ暗で、月明かりだけが二人を照らしていた。吐く息が、少しだけ白かった。
「……さすがに、冷えるな」
 リューイリアは呟いて、夜空を見上げた。傍らにはパルミエリが並んで歩いている。彼が側にいる事が、彼女には心地好かった。……けれど同時に、二人の間にはちょっとだけ距離があった。物理的にも、そしてお互いの心にも。
 彼女はその分だけ、外気の冷たさをより寒いと感じた。
 その時だった。
「……?」
 リューイリアが視線を前方に落とす。
 不意に立ち止まった彼女を見て、パルミエリもまた足を止めた。
「どうしました?」
「誰かいる」
「……?」
 リューイリアは暗闇を凝視する。つられてパルミエリも、闇に視線を向ける。その暗がりの中に、白い影がぼんやりと浮かんでいるのが、二人の目に映っていた。「誰だ」
 リューイリアが短く誰何した。人影は、二人に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。浮かび上がってきたのは、軍服をまとった若い青年の姿だった。
「……フレデリック?」
 その呼びかけに、パルミエリも前方の人物を見やる。この間のお茶会でパルミエリを質問責めにした、あの双子の片割れ。
「こんなところにいた」
 フレデリックは立ち止まると、ため息まじりに答えた。
「……私を探していたのか?」
「実は夜分遅くですが、父と一緒にそちらのお屋敷に窺いまして。帰りが遅いとのことで、心配された将軍閣下が僕を寄越したのです」
「上官を気安く呼ぶな」
「今はプライベートですよ。リューイリア」
 フレデリックはそう言い放つと、リューイリアの反論を待たずにパルミエリに告げた。
「……この間の、魔法使い殿ですね?」
「いかにも」
「先日は、姉が失礼しました。……それはそれとして、リューイリアは僕が送っていきます。お引き取り願えますか」
「フレデリック! パルミエリに失礼だろう?」
「いや、僕は構わないけど……」
 パルミエリの密やかな呟きは、言い争う男女には届かなかったようで。
 フレデリックはまっすぐにリューイリアを見据えたまま、もう一度ため息をついた。
「リューイリア。腕の立つ君が、どうしてこんな男を頼りにするんです?」
「彼は恩人であり、友人だ。彼を侮辱するのか?」
「リューイリア。彼には……」
「言うなっ……!」
 リューイリアが鋭く叫んだ。
 その彼女の視線が、そわそわと落ち着きなく泳ぎ出す。フレデリックを見、パルミエリを見、そのまま後ずさっていく。
「リューイリア、いい加減に現実を受け止めて。……君らしくもない」
「それ以上何も言うな!」
 もう一度、リューイリアが叫んだ。
「言われなくても分かっている! けど……けど、何もこんな時に……こんな場所で言わなくてもいいだろう!? 私は……私は……」
 そのまま――。
 そのまま、リューイリアは黙り込んでしまった。
 その場に崩れ落ち、膝をついてうつむいたまま、立ち上がろうともしない。そんな彼女を、男二人はなすすべもなく途方に暮れて見下ろす事しかなかった。
「……大尉?」
 心配そうに声をかけたのは、パルミエリの方だった。だがそれへの返事というわけではなしに、不意に彼女は口を開いた。
「帰れ」
「……?」
「フレデリック。このまままっすぐに、お前の屋敷に戻れ。そしてもう二度と、私に顔を見せるな」
「……リューイリア」
 フレデリックは何度目かのため息をついた。
「……一体どうすれば、君に満足してもらえるのかな」 
 そう言って、彼はちらとパルミエリを見やる。パルミエリは、自分に聞くなとでも言いたげに、首を横に振った。
「どうです、パルミエリ殿。ここは古式ゆかしく、彼女を賭けて決闘でもする、というのは」
「……!」
 驚きのあまり、顔を上げたのはリューイリアだった。
「……突然、何をいうのだ」
「僕が勝ったら、彼女は僕が連れて帰ります。あなたが勝ったら、あなたがお屋敷までお送りすればいい。……なに、命のやり取りをしようなんて言いません。簡単な、練習試合だと思ってもらえれば」
「練習試合って……」
「もっとも」
 呆然とするパルミエリに、フレデリックはぴしゃりと言ってのけた。
「使う得物は、これですけどね」
 そう言って彼は、腰の剣をゆっくりと抜き放った。
「ええと……」
 とまどいを隠し切れないパルミエリは、うわごとのように何か呟こうと口をぱくぱくさせるが、それ以上言葉にならない。フレデリックはと言えば、すっかりやる気だった。何か言った所で、聞く耳を持つような状態とはとても思えなかった。
 若き騎士は剣をまっすぐに構える。パルミエリは……彼はそっと、諦めのため息をついた。
 と言うより、腹が座った、というべきか……おろおろと戸惑う、そんな素振りはもうどこにも見当たらなかった。
「どうぞ、お好きにすればいい。どうなっても、僕は責任持ちませんよ」
「いいだろう」
 そう返事をした、次の瞬間――。
 真っ先に動いたのはフレデリックだった。一歩踏み込んで、あっという間にパルミエリに肉薄する。パルミエリは身を翻し、寸でのところで切っ先をかわした。
 続く一撃を放つまでの間に、パルミエリは口の中で呪文を唱え終える。フレデリックは横凪ぎに一閃した剣を今度は高々と振り上げ、力任せに振り下ろした。
 甲高い金属音が、きーんと響き渡る。フレデリックの剣が、空中で静止していた。まるで見えない盾が、それを防いでいるかのように。
 パルミエリが魔法で生み出した、見えない壁だった。
「く……」
 フレデリックの次の一撃が、パルミエリの胴を狙う。模擬戦とは名ばかりの、真剣勝負だった。
 不意に――。
 フレデリックの視界が、真っ赤に染まった。
 パルミエリの指先から、真っ赤に燃えたぎる炎が、憤怒のごとくほとばしった。間近に迫る熱気を肌で感じ取り、フレデリックは大慌てで身を翻した。
 その、一瞬だった。
 二人の間に、何かが割り込む。
 小さな人影。その手には、抜き身の刃が握られている。
「リューイリア!?」
 パルミエリが思わず声を上げる。そのリューイリアの手には、例によって体格に不釣り合いな大剣があった。
 刃と刃がぶつかって、甲高い金属音が響いた。次の瞬間には、フレデリックの剣が夜空高くに舞い上がっていた。
 得物を失ったフレデリックは、身の不安を察知し反射的に後ずさろうとする。その足元に、リューイリアはおのれの爪先を割り込ませた。
 フレデリックの足首が、その爪先に引っかける。リューイリアはそのまま、両手で握った剣の、柄の先端で彼の胸をぐいと押した。
 フレデリックの身体が、ぐらりと傾いた。
「うわっ」
 フレデリックは、慌てた表情を貼りつかせたまま、後ろ向きに倒れていった。尻持ちをついて、そのまま大の字になって地面に転げてしまう。その彼の胸部を、リューイリアの軍靴がぐいと踏みつけた。
 地面に釘づけになった彼の首筋に、リューイリアは冷徹な表情で切っ先を突きつける。
「無様だな、フレデリック少尉。これが戦場で、私がお前の敵ならば、お前は死んでいる」
「……確かに、君は強いさ。でも」
「パルミエリが手加減しなければ、お前は死んでいた」
「あんな炎、簡単にかわしてみせた!」
 強がって見せるフレデリックを、リューイリアはただ静かに睨みつけた。そして諭すような口調で、告げる。
「彼がその気になれば、お前は最初の一撃を振るうこともなく、灰も燃えかすも残らず、塵になっていた」
「……」
「魔法使いとは元々そういうものだ。勉強が足りなかったな、少尉」
「……」
「ひ弱な外見に、くみしやすしと剣を抜いたか。戯れに凶刃を振るう人間は、部下には要らない。……私の夫としても願い下げだ。出直してこい」
 リューイリアは、そっと足を離す。それでも切っ先は突きつけたままだったで、フレデリックは這うような姿勢でゆっくりと後ずさり、切っ先から離れた。
 上体を起こしながら、彼は自嘲気味に笑った。
「ざまあないな」
 それは、自分に向けて言った言葉だった。
 彼はそれ以上何も言わず、立ち上がって剣の落ちている辺りにとぼとぼと歩き始める。ゆっくりと拾い上げ、鞘に収めると、そのままリューイリア達を二度と振り返ることなく歩み去っていった。
 リューイリアは、そんな彼の背中をいつまでもじっと見つめていた。その眼差しは、どこか厳しい。
「……あれで、良かったんですか?」
 パルミエリが、ぽつりと呟いた。
「奴もこれで懲りただろう」
「彼の父とあなたの父上との、お仕事上のつき合いは」
「これしきの事を親に泣きつくような男なら、ますます許嫁として不釣り合いだろう。私がいいと言っても、今度は父上が首を縦に振らない」
「でしょうね。あの御仁なら」
 そう言って、パルミエリはため息をついた。
 その横顔を、リューイリアの目がじっと見つめていた。その視線を感じて、パルミエリは振り向く。
「……何か?」
「そんな、心配そうな顔をするな」
 そう言って、リューイリアはかすかに笑みを浮かべた。
 その笑顔を、パルミエリは呆然とした顔で見ていた。その顔を見て、リューイリアの笑顔が途端に不機嫌そうになる。
「だからっ! どうしてそんな顔をするのだ」
「……大尉が笑っているのを、初めて見ました」
 呆然と呟く彼に、リューイリアは不審の目を投げかけた。
「……パルミエリ」
「はい?」
「やっぱり、私は一人で帰る」
 彼女はそう言うと、ぷいとそっぽを向いて一人で歩き出していった。大股でずんずんと歩いていって、パルミエリからどんどんと離れて行く。
「……リューイリア?」
「大尉と呼べ、大尉と」
 遠くから声をかけるパルミエリに、リューイリアは背中を見せたまま、そう答える。
「大尉。本当に、お一人で」
「ついてくるなよ!」
 そう叫ぶ声に、パルミエリはため息をついた。
 リューイリアはそのまま振り返りもせずにずんずんと進んでいく。けれど、しばらく行くと不意に立ち止まって、パルミエリのいる方を、振り返った。
「……大尉?」
「……追ってこないのか?」
「追いかけて欲しいんですか?」
「……」
 その言葉に、リューイリアは恥ずかしそうにうつむいた。否定も是正も、何の言葉もなく、彼女はまたしてもそっぽを向いて歩き出す。
 パルミエリはくすくすと笑うと、彼女の後についてゆっくりと歩き出した。














あとがき

 21世紀に、間に合いました(笑)
 とまあイキナリ某エコカーのキャッチコピーのような事を書いておりますが(笑)、20世紀中に辛うじて完成しました。前作「アフタヌーン・ティーはあなたと」のあとがきで予告しましたように、続編をお届けします。
 しかしですね。「評判悪くても続きは書く」とは申しましたけど、まさか感想が1通しか来ないなんてまるで予測してませんでしたよ(爆) 皆さん年末でよほど忙しいのか、前作がよっぽどつまらなかったのか、はたまたASDによっぽど人望がないのか……(笑)
 後ろ二つだったらちょっと嫌だなあ、と思うんですけど……一応更なる続編の構想って、ない事もないんですけど、このまま反響無いんだったらやめちまいましょうか(笑) それでも、実は作者自身がリューイリアをすげえ気に入っているという事情がありますので、皆様にイヤがられていようとも恐らくまた書んじゃないかなあと思います。その気に入りっぷり、まさに一龍さんがフレイアを偏愛しているがごとく、であります(笑)
 ところでこの作品、何でこんなに長いんでしょうかね(笑) 前作は20枚くらいのつもりで書き始めて50枚、今回は40枚くらいのつもりで書き始めて120枚……何だかくらくらしてきましたよ(笑) 前回一人称だったのが三人称になったのは、主人公がパルミエリからリューイリアに移動したせいもあるんですけど、「男の一人称だと長い」というのを過去の長編で(ボツにしたものも含む)経験しておりますので、それで三人称にしたんですけど……あんまり関係無かったみたいです。大しておおげさな内容でもないのに、長くて申し訳ないッス。

2000.12.29