王子様(代理)にお願い! 第一章(前編)
作:草渡てぃあら





第一章『登場! 天下無敵のバカ王子』(前編)


 まぶしい。きっと誰かがドアを開けたんだ。そんなことしなくて良いのに……起きなきゃいけないじゃないか。俺はもう少し、このまま眠っていたいんだ。できればこのまま、ずっと――だが、そんな俺にお構いなく、遠くで誰かが呼んでいる。お……うじ……? オウジ?
「王子!」
 急に耳元でリアルな男の声がする。
「わ!」
 驚いて飛び起きた俺は、さらに二段仕込みでビックリする。
 目の前には二十歳ぐらいの男がいた。明らかに日本人ではなく、かといって何ジンという聞かれても困るような……誰だ、このお兄さんは? いや……それよりも!
「どこだよ? ここ」
「どこって……ご自分の国ですよ。ちょっと遠出しておられたみたいですが」
 まわりを見渡すと、一面の草原だった。ちょっと、待ってくれよー! なんだこの展開は? 
 まさか、オヤジの言っていたなんとかって王国――。
(いやいや、待てよ。俺はあの変なカプセルに入れられて、そこから……)
 記憶が、ない。どうやってここまで来たんだ? ここはどう見ても日本じゃない。じゃあ外国か? でもどうやって……飛行機? それとも船? 
 オヤジは一体、何の交通手段を使ったんだ? その前に俺、五歳ンときの家族旅行でハワイ行ったっきり、パスポート切れてるぞ?
 国外逃亡、という文字が俺の頭をよぎる。
 確かに、あの街から逃げ出したいとは思っていたが――。
「やべぇよ、オヤジ……これじゃあ俺、犯罪者じゃねえか」
「犯罪者とは……たかが武術の稽古を抜け出してお昼寝されてただけではないですか」
 目の前の男が笑う。目が優しい感じのお兄さんだ。
 相変わらず頭ン中?だらけの俺を、そのお兄さんは心配そうに覗き込む。
「無理に起こしてしまって申し訳ないです。しかしそろそろお城に戻らないと」
「お城……」
 そうだった。俺は、オヤジの卑劣な罠にはまり、かなり強引に王子代理を任されたんだっけ……。
「そうだ! オヤジ!」
 あのヤロウに一言いいたいことがある! いや、一言どころではない! 俺はとっさにポケットから携帯を出していた。
「うわ、携帯生きてるよ……」
 アンテナが三本、キッカリ立っている。自分で言い出しといてなんだけど、スゲー違和感……俺は思わずマジマジと液晶画面に見入ってしまった。
――と、んなことで感心している場合じゃなーい。とにかくオヤジに連絡だ!
 ツーコールで、聞き覚えのある声が出た。
「おう! どうだ志誠、クラリエンジ・アナーシャ王国は」
「どういうつもりだよ、この不良オヤジ! ちゃんと説明しやがれっ!」
「説明はもうしたじゃないか。お前はそこでしばらく王子として頑張るんだ。あとはその青年に聞いてくれ」
 オヤジの言葉に合わせて、俺は思わずそのお兄さんを見上げる。タイミングを合わせたように、オヤジの解説が始まる。……なんで合わせられるのか謎だが。
「彼の名はレノマールさん。王子の貴重な側近だ。大丈夫、うちの会社と縁の深い人でな、信頼できるお人柄だから安心してなんでも相談するんだな。では、さらば息子!」
「って、おい!」
 ツーツーという通話不能の音がむなしく響く。
 オヤジ……お前は一体、どういう会社に勤めているんだよ? 
 俺は呆然と、家族や学校生活との突然の別れを感じていた。
 なんだよ、この展開……俺は思わず口に手を当てて考え込んでしまう。
 で、出したとりあえずの答え。
「レノマールさん!」
 俺は、お兄さんの名を呼んでみる。はい、と人の良い返事が返ってきた。
「俺、王子じゃないんだけど! 実はオヤジに騙されて……」
 驚いたことに「承知しております」とレノアールさんは言った。
「へ?」
 正直に話してレノマールさんを失望させてから、適当に帰してもらおうという俺の計画は早くも狂い始める。
「王子代理の方ですよね? お父上から聞いております。王子と呼んだのは、志誠君が記憶をなくしている可能性もあるとのことでしたので……それならはじめから王子として始められるのが得策かと」
「そ、そうなの?」
「はい。でもこの事実を知っているのは私だけです。お城に帰れば、誰もみな本物の王子として接してきます。志誠君もちゃんと対応してください」
 レノマールさんはそう言ってにっこりと笑った。


 そういうわけで俺は今、お城で王子様として生活している。王子の名はなんとシセ! シセ・アナーシャ王子だ。このクラリエンジ・アナーシャ王国の第一王子、といっても一人っ子だから唯一の後継者ってわけ。
(なんとなくおさまっちゃうあたり、俺って案外、順応性があるのかもな)
 もちろん城の者はそれなりの対応はしてくれる。なんてったって王子様だ。メシもうまい。
 だがこのシセ王子、とんでもないバカ王子だったらしく、みんな敬語こそ使っているがそれ以上の親しみはなく、態度もこの上なく冷たい。
 今も、侍女のカノンちゃん(これがメガネの似合うかわいい女の子でさ)が事務的にてきぱきと掃除をすると、一言も口をきかずに部屋を出ていってしまった。
 両親にあたる王様や女王様って人たちは、ここに来てから一度しか会ってない。忙しい人達なのだ、きっと。王子の俺が、それで済んでいいのかって気もするけど。
(ま、俺は本物が見つかるまでの代理だから、別にいいけど)
 そう思いながら、ゴージャスなベットに寝そべる。親しく接する者がいないってことは、俺にとってありがたい。偽者のボロも出にくいだろうし。
 ひとりって感じでケッコウ孤独だが、そんなの日本での俺も同じだ。第一、仲良くなるのって面倒じゃん。
――それに……。
 頭の中に、美砂ちゃんとのメールが浮かぶ。
 どうせ戻ったところで良いことなんかなんにもない。あれから十日は経っている。二学期を欠席し続けている俺は今頃、転校生美砂ちゃんに嘘つき呼ばわりされているだろうか?
「もう、どうでもいいけどさ」
 だれもいない部屋でひとり、声に出していってみる。なんとなくスッキリして、俺は機嫌良く昼寝を決行することにした。
 そんな、のん気な生活が一ヶ月ほど続いた。
 とりあえず、不思議なことが二つある。ひとつはこの携帯――この一ヶ月、電池がきれないのだ。液晶画面の電池は、今日も元気に満タンを示している。
 で、二つ目がオヤジ。まぁ、これはいつも不思議の塊みたいな存在なのだが。
 たまにかかってくる電話によると、王子はまだ見つからないらしい。仮にも一国の王子が失踪してるってのに、そんな悠長なことで大丈夫なのか? 
 とはいえ、当のオヤジの口調から察しても、俺が心配するほど事態は深刻ではないみたいだし、それはこの国でも同じだ。王子という存在さえあれば、それがどんな人間であろうといいってことか。
「どっちにしろ、俺が考えることではないかなぁ……」
 大きなあくびとともに、伸びをして窓を見る。王国は今日も晴れ……国民は皆、労働に勤しみ、王子様はといえば――ひたすらヒマだ。一応、魔法や武術の勉強は毎日あるが、先生達も王子をバカにして、ちゃんと教えようとしない。
 出来なくても良いのだ。誰も俺を怒らない。適当に仕えて甘やかしては、裏で『バカ王子』を軽蔑している。楽は楽に違いないが、どうも気分が良くない。
 気分が良くないどころか、俺は最近、このまったりとした生活になんとなく苛立ちを感じ始めている。かと言って、具体的な行動を起こすことの無ないまま、俺はグータラとした生活を過ごしていた。
「王子! また武術の稽古をさぼったんですか! ダメですよ? ちゃんとしないと立派になれません。自分が後悔することになります」
 まったく、教科書みたいな説教をしやがる……俺はゆっくりと声にする方に視線を向けた。
 こんな風に俺を叱るのはレノマールだけだ。その当の武術の先生が怒らないのに、だよ?
「いいの! どうせ俺は代理だし」
「代理でも、毎日の生活の中で何か得るものはあるはずです」
「剣だの魔法だのって、この国で学んでも日本じゃほとんど役に立たないって」
 でも内心は、少し嬉しかったんだ。だって、この城の人間はみんなよそよそしくて、どこからでも王子への陰口が聞こえてくるんだから。
 だが、レノマールだけは違う。本気で俺の――っていうか、王子の――ことを考えてくれている。うっとうしいと思いながらも、この生ぬるい生活の中で、それが唯一の慰めでもあった。だから――甘えてただけなんだ。あの夜のことは。
 もう、今となっては取り返しのつかないことなんだけど。
「いい加減にしてくれよ!」
「ですが、王子」
「王子なんかじゃない! ついでに言うと俺は立派でもなければ、今後なる予定もないんだよ。俺はくだらない人間でいいし、誰にも迷惑かけてないんだからほっといてくれ!」
 その時のレノマールの悲しそうな顔。今でも忘れない。
 ちょうどその晩遅くに――レノマールは、俺の目の前で。
 ……死んだんだ。


「お逃げください、王子! 早く!」
 緊迫したレノマールの声が、俺の部屋に響く。あとで考えると、俺はすぐに廊下に出て護衛兵を呼んで来るべきだった。だが、俺は動けなかったのだ。
 レノマールをおいて逃げられないとかかっこいいもんじゃなくてさ。ビビッて固まってたんだ、単純に。マジ、情けない話だけど。
 全身黒ずくめの刺客は、確実に俺を狙っていた。立ち尽くす俺に向かって、音もなく動く。
「危ない!」
 レノマールが叫んだ。俺を庇う様に立ちふさがる。刺客はうっとうしげに長剣をかざした。
 一瞬の出来事だった。
 レノマールがスローモーションで倒れていく。ひどく赤い血があたりに飛び散った。
「レノマールッ!」
 俺はバカみたいに叫んだ。その声を聞きつけて、護衛兵が駆け込んで来る。
 刺客は、軽く舌打ちすると窓からすらりと飛び降りた。護衛兵がどたどたと追いかけている。現実感がないまま俺は、ただそれを見送っていた。それよりも――。
「おい……しっかりしろよ、レノマール」
 すでに顔色が普通じゃない。出血多量ってやつか? こんな風に人が死ぬなんて、俺の許容範囲を超えてるってば!
「レノマール?」
 頭が真っ白で、たいした処置が浮かばない。
 王子、とレノマールは苦しげに息を吐いた。
「初めから立派な人なん、て……いないんです……貴方は下らない人間なんかじゃない……どうか」
 俺の服をつかむ、強い力。
「どうか……立派な王子、におなり下さ……い」
 そしてレノマールの身体から、力が抜けていく。
 バカな。そんなバカなことがあるかよ? 俺の唯一の真実を知っている人間が、死ぬなんて――そんな!
「レノマール」
 声がかすれた。突然過ぎて――涙も出ない。
 それから明け方まで、お城のなかは大騒ぎだったらしい。らしいってのは、俺はずっと部屋に閉じこもっていたから。
 どんなに大変な事件が起こっても、バカ王子のやることなんてなんにもない。無事だったらそれでいいんだ。
 窓からぼんやりと白い月を見上げる。
 レノマールの最後の言葉が、頭から離れなかった。
『立派な王子におなりください』
 レノマールは俺が代理だってこと、分かってるはずだ。ってことは、あの言葉は。
「俺に言ったんだ……俺自身に」
 自然と唇をかんでいた。強く。血の味が口の中に広がったが、痛くなんかなかった。こんなの痛みじゃない。
 レノマールは、こんな俺を庇って死んだんだ。
 こんなくだらないバカ王子を庇って――なにかしないと。何かしないと俺は本当にダメになってしまう。でも。
 俺は自分の拳を握り締める。限られた時間の中で、何の取り柄もない俺に――。
(……一体、俺に何が出来るんだよ……!)


 強くなりたい。その一心で俺は朝一番に、ファイアルトの部屋のドアを叩いていた。
 ファイアルトは、シセ王子のお守り役兼、剣術指南の先生である。赤い髪が印象的な背の高い男で、歳は二十歳そこそこ。肩書きに比べて若すぎる気もするけど、実は百戦錬磨の大騎士だと聞く。
「俺、いままで剣術とかサボってて何たけど……もう一度一から教えてくれないかな?」
 俺の目的を達成するには、この先生の協力が必要だった。
 第一声、俺のセリフに、寝ぼけ眼のファイアルトが苦笑いで答える。
「はぁ……おかわいそうに、昨日の一件がよほど恐ろしかったんでしょうな。ご安心下さい。護衛兵の数を増やしますゆえ」
 違うんだ、と俺は首を振った。
「それもあるけど……一番の目的は違うんだ」
 少し、勇気がいる。ひとつ息を吸い込むと俺は、ファイアルトの目を見て続け言った。
「レノマールの――仇を討ちたいんだ、自分の手で」
 バカ王子の意外な言葉に、先生は「ほう」と目を細めた。まったく信じてない。
 でも、そんなことはどうでも良かった。お願いします、と俺は頭を下げる。
 これが俺の出した答えだ。
 王子が戻ろうが戻らまいが関係ない。俺は、レノマールを殺した人間を、この手で討つ。それまでは、日本には帰らないつもりだった。
 その日から俺は、死に物狂いで剣術を学んだ。
 同時に、稽古のあと、傷だらけの疲れた身体を引きずって図書館に通いつめる。護衛兵達や城の者に聞いても、レノマールを殺した刺客の当てはなにも聞き出せなかった。
 それどころか、あの夜の一件を口にするだけで「王子は何もお気遣いなさいませんように。我々が解決いたします」の一点張りでさ……王子にいっても無駄だと、誰もが思っていることがわかる。
 こうなったら、俺なりに調べるしかない。敵と呼べる存在はすべて当ってみるつもりだった。そのためには、この国の状況を正しく理解しなければならない。
 たった一人の孤独な作業が続いた。


 十日ほど経ったある日。
「よう、バカ王子! 最近、剣術に精を出しているんだって?」
 聞きなれない声が稽古場に響く。素振りの腕を止めて顔を上げると、俺と同じぐらいの年恰好の少年が立っていた。王子である俺にタメ口きいてるとこや家来を引き連れているあたり、位の高そうな感じではあるが――。
「誰だお前?」
 俺は正直に聞いてみることにした。
「だ、だれって、お前! 従兄弟の顔も忘れたか?」
 従兄弟? 俺が本当の王子じゃないって知ってる唯一の人間、レノマールがいなくなってから、新登場されても困るんだよなあ。
「ファイアルト、このバカ王子の面倒見るのも大変だな」
「とんでもございません、キサ王子。シセ王子も最近はずいぶんご熱心に剣術に打ち込まれておりますよ」
 ファイアルトがにこやかに答える。生徒がバカ王子呼ばわりされてるんだぜ? ちょっとはフォローをしろっつーの! 思わず突っ込みそうになるが、それよりもこの会話の収穫は名前だ。 
「ああ、キサ王子だったっけ? ごめんごめん、俺、バカだからさぁ……」
 この従兄弟殿の名前が聞き出せただけでもよしとしよう。ほっとした俺は、かなり素直に喜んだだけだったんだが――。
「シセ! お前俺のことバカにしてんのかっ!」
 キサ王子が、怒り出した。
「バカになんてしてないって。バカは俺だって言ってんじゃん」
 わかんねー奴だな。頭が悪いってのがこの王族の血統なのか?
「う、うるせーぞ!」
 顔が赤い。ふっ、すぐムキになるあたり俺より子供だな……このキサって従兄弟殿、けっこうカワイイ性格してるのかも。
 だが、次のセリフがいけなかった。
「いい機会だ、シセ! お前の腕を試してやる……決闘だ!」
 キサは腰の長剣を抜くと、勢い良く俺にかざす。ファイアルトが慌てて止めに入った。
「シセ王子はまだ剣術を始められたばかりですゆえ、今回のところはお許し下さい」
 その言い方にカチンときた。だって、これじゃあ、俺が戦わずして負けたようなもんだろ?
「その勝負、受けてやるよ」
 ほとんど無意識に、俺はそう言い返していた。
 毎日の地味な練習の中で、そろそろ成果もみたいところだったし。運動神経にいまいち自信のない俺だけど、自分なりにこの十日間、必死に頑張ってきたんだ。
 俺はゆっくりと自分の長剣を抜く。間合いの詰め方をひとつずつ思い出しながら、大きく息を吐いた。大丈夫だ、あれだけ頑張ったんだから何らかの結果は出るはず――。
 だったのだが。
「!」
 一撃、だった。
 俺を打ちのめしたキサ王子が、家来を引き連れて笑いながら帰っていくのが見えた。
 仰向けに倒れた俺の目に、青い空が映る。それが、やたらキレイでさぁ――。
 情けなさ過ぎて、涙よりも笑いが出た。
 マジかよ……俺はこんなに弱いのか? それなりに頑張ってきたつもりだったのに。努力してもまったく無駄なことってさ、世の中にあるんだよな。
「シセ王子……大丈夫ですか?」
 ファイアルトが心配げに声をかける。
「大丈、夫……」
 そんな心配しなくても大丈夫だよ、あんたが悪いんじゃない。俺がダメ人間なだけだ。よく分かったよ、良い機会だった。
「もーやめ、やめ!」
 大きく息を吸い込むと、俺はやけくそみたいに大きな声でそう言った。
 そうだよ、最初から俺には無理だったんだ。目の前で、人が死んだもんだから、ちょっとナーバスになって熱に浮かれてただけ。
 肩の力を抜くと、世界が急に明るくなった。それが、今の俺にはなにより嬉しかった。
 何てことない、元のバカ王子に戻れば良いんだ。
 レノマールの仇を討つなんて大それた事を考えたから、こんなみじめな自分を思い知らされる。あの部屋に帰って、今度こそ王子が見つかるまで一人でのんびり過ごそう。
 何も頑張らなくて良い。誰にも誉めてもらえなくて良い。
「!」
 そのとき、俺は突然、胸倉をつかまれた。
「バカヤロウ!」
 目の前には、ファイアルトの怒った顔があった。こんなに怒った先生を見たことがないってなぐらい――怒っている。
「だからお前はダメなんだよっ!」
「あ、あの……先生?」
 これが、あのファイアルトか? カンペキ人格が変わっているんですけどっ!
「しっかりしろよ! すぐにやめるとか言うな!」
 俺の胸倉をつかんだまま、ファイアルトが強く揺さぶる。し、視界が回る……。
「でも才能ないですし……頑張っても無理だってわかりましたので」
 一応、俺、王子なんですけど、剣幕に押されて思わず敬語使っています。だって、ファイアルト、怖いんだもん。
「まだ十日だろーが。才能とか頑張ったとか気安く言うなよ、バカ!」
 と同時に、手を離される。当然、俺はそのまま地面に背中を打ちつけられた。はっきり言ってかなり痛い……。
「す、すみません……」
 とりあえず謝ってみるものの、ファイアルトの怒った理由がよくわからなかった。だって、不甲斐ない王子に腹を立てるなんて、今まで一度もなかったんだぜ?
 ファイアルトの、王子に対する接し方をずっと見てきた俺からすると、何をいまさらって感じで――。
 王子さんよ、とファイアルトは自分の赤い髪をかき上げる。
「……俺はな、レノマールの仇討ちをしたいって言ったあんたを、全然信用してなかったんだ。どうせ、また気まぐれで言ってるだけだって――けど」
 強い瞳を俺に向ける。
「毎日、別人みたいに頑張るあんたを見て、なんか嬉しかったんだ」
 そこには、初めて真剣に俺と向き合っているファイアルトがいた。
「俺は……嬉しかったんだからな」
 ファイアルトは、それっきり黙った。二人の間に沈黙が流れる。
 俺はなんだか、ファイアルトの顔を見ているのが辛くなって、背を向けるように、身体をくの字に曲げた。そのまま、自分の膝を抱くようにうずくまる。
 切れた唇が痛い。肩も腹も……全身が悲鳴を上げている。でも、なんかもっと胸の奥の方が一番痛くて。熱いものが喉までこみ上げてきて――またそれを堪えるのが大変でさ、正直。
 ……まいった。


 この「シセ王子惨敗事件(もしくはファイアルト、キレるの巻)」が、あってから、俺の毎日は急激にスピードを上げていった。しかも上昇気流に乗ってますって感じの、かなりの充実度でさ。
「お前なー! 何度言ったらわかるんだよ? そこは、こう入らないと、後ろ取られるだろーがっ!」
 遠慮なしのファイアルトの指導が飛ぶ。ついでに言うと、あの日以来、ファイアルトは完全にタメ口だ。……いいけどさぁ、別に。
「で、でも! こう向いたらここががら空きになるじゃんか!」
「違う! こっちから、こう回り込めばいいのっ!」
「……あ、ホントだ……」
 というわけで、ファイアルトの指導は、口は悪いが武術指南の腕は確かだ。っていうか、俺のレベルの問題って感じもするんだけど……とにかく、技のひとつひとつが、ちゃんとモノになってるって実感がする。
 こういう練習は、キツイけどかなり楽しかった。
「こら! なにボケッとしてんだ! もう一度、最初ッから!」
「は、はい!」
 あわてて、構えなおす。その時。
「失礼します」
 新しい声が加わった。見ると、護衛兵が敬礼して立っている。ファイアルトが、俺を一人前の王子として指南を始めてから、俺に対する周りの扱いも少しは変わってきた。
 いやぁ、ファイアルト様サマだぜ。
「たった今、王子を襲った刺客の居所が掴めたとの連絡が入りました」
 ほら、こんな風にレノマールの事件に関する情報も直接入ってくる……ってオイ!
 俺とファイアルトは、思わず顔を見合わせる。それこそ、待ちに待っていた情報だった。
「良かったなー、王子! これでレノマールの仇が討てるぜ」
「おう! ついにこの時が……ヤッたるぞー!」
 ガッツポーズの俺の頭をガシガシと撫でながら、ファイアルトは護衛兵に、
「で、どこからの情報だ?」
 と聞いた。何気ない問いに、護衛兵はなぜか言葉をにごす。
「それが……グランシス大魔導師様でして……」
 ファイアルトの顔色が変わった。なんだよ? ガッツポーズのまま、俺も固まる。
「王子、お前はここにいろ」
「な!」
 なんでだよ! 反論しようとする俺を、ファイアルトが目で制する。
「とにかく俺が詳しい話を聞いてくるから、王子はここで待機。いいな?」
 なんか、まずいことあるのかな……あるんだろうなぁ。
――でも!
「ヤだよ、俺も行く!」
 そんな簡単に納得できるかっつーの、そうだろ?
「師匠に逆らう気か? 罰として素振り百回だ」
「そんなの十分で片付けて、すぐあとを追ってやるからな!」
「じゃあ千回にしよう……頑張れよ」
 ガーン……いらんこと、言うんじゃなかった。
「なんとか話、着けてきてやっから。おとなしく待ってろ」
 緊張した横顔のまま、ファイアルトはそう言った。


 で、俺はファイアルトの言ったとおり、おとなしく千回の素振りをして待機――なんて、するわけがない。
「絶対、ついてっちゃうもんねー……」
 小さな声で、ひとりつぶやきながら中庭の植木をガサゴソと移動する。
 ファイアルトの影は、宮殿の豪華な中庭を横切り、その奥にあるコテージ風の建物に入っていく。全面に大きなガラス張りの窓があり、中にはとりどりの観葉植物と品の良いテーブルセット……その椅子に、ひとり腰掛けて読書している人を発見した。
(んん……女の子……?)
 最初はそう思ったけど、よく見ると違ってた。色白でキレイでほっそりした、いわば美少年って雰囲気の――ひょっとして、アレが大魔導師様ってやつ? イメージ違うよな、もっと貫禄のあるおじいちゃんとかと思ったぜ。
 ファイアルトは、その少年の正面に腰掛けた。何か言ってるが遠くて聞き取れない。もう少し近づかないと――。
「……せよ、そこから叩くしか……だろ?」
「……」
「けど……ってたら……」
 ああ、くそ! 大魔導師様の声が小さくてまったく聞こえない。俺は、そのコテージの裏側に、さらに近づく。
「それはそうと貴様、最近シセ王子相手に、真面目に稽古をつけてやってるそうじゃないか?」
 よく聞こえるようになったと思ったとたんに、俺の話題だ。盗み聞きってだけでもドキドキなのに、おれの話題となると――なんか照れるよなぁ。
「そうなんだよ、グランシス。俺も意外なんだがな、あのバカ王子、この頃良い感じだぜ?」
「ふん、どうだか……」
 グランシス大魔導師様は、冷たく鼻を鳴らした。――これまた、キツイ話だよ……まぁ、良いけどさ。
「それで、さっきの話だが、王子も連れて行きたいんだ。レノマールの仇をとらせてやりたい」
 おお、ファイアルト偉い! 俺は思わず拳を握り締める。
「断る」
 はやっ! 
「足手まといもいいところだ。それに……王子に、レノマールのことを気安く口にする資格などない」
「グランシス……」
 その言葉を聞くと、ファイアルトも黙ってしまった。
 俺だって胸が、痛い。レノマールのことを考えると、今でも狂おしいぐらいの後悔の気持ちで息が詰まる。でも――俺に出来ることが、他に見つからないんだ。
「そりゃ、王子の失態がレノマールを殺したかもしれない。だが、今はあいつなりに、その傷を埋めようと必死なんだよ」
 ファイアルトの声は、心なしか小さくなってる。そりゃ、そうだよな、図星だもん。
「それがこの態度ってわけか?」
 突然、俺は大きな風に包まれた。
「わわ!」
 俺を隠してくれていた草木が一斉に揺れ、気がつくと目の前に、呆れ顔のファイアルトと、依然、厳しい表情のグランシスが立っていた。
「ご、ごめんなさい」
 えっ……と、とりあえず謝っとこ。
 だがグランシス大魔導師様は、俺の「ごめんなさい」など聞いてなかった。
「もう一度言う。レノマールの敵討ちなど――絶対に断る。王子だからって甘えるな」
 そう吐き捨てると、踵を返して去っていった。
 これは難しいぞ、とファイアルトが顔をしかめる。
「あいつ――王子嫌いで有名なんだ。わざと敬語を使わないのもそのためだ」
「なんで?」
 王子が、とファイアルトは、腕を組んで考え込んだまま短く言った。
「バカだから」
 ああ、なるほどね――納得。
 コテージに、やたらさわやかな風が吹き抜けていった。















あとがき

 ども、草渡てぃあらです! なんだかノリがパワーダウン? って感じですが(汗)後編の方は今週末あたりにお送りする予定ですので、よろしくお願い致しまーす。あ、そうだ。しんじさん、草渡はクサワタリという読み方が正解です! 別にソートさんとかでも全然問題ないんですけど(笑)