王子様(代理)にお願い! 第二章(後編)
作:草渡てぃあら





 第二章『王女様の秘密』(後編)


 馬鹿でかい洋館を前に、俺は一人、ゴクリと息を飲んでいた。
 真夜中の暗闇にそびえ立つ、古めかしい建物には人影もない。
ヒュオーと嫌な音をさせて風が吹き抜け、致命的な絡まり方をしている蔦の葉が一斉になびいた。それがまた、ことさら不気味さを醸し出しててさぁ――。
 だいたい俺は、不気味とか不吉とか不合格とか不景気とか、とにかく「不」のつく言葉が大嫌いなんだよ――あー、やだやだ。
 あれから、徹夜でグランシスから魔術指南を受けた俺は、正真正銘、一睡もせずに、フレイラ姫が囚われているこの館にやって来た。
はっきりいって、フラフラである。
 前の剣術会得もかなりきつかったが、今回の魔法は比べモンにならない過酷さだった。
 だって、グランシスの奴ときたら! あんな状態であーんなことをしろなんて、そのうえ同時にこれとあれをって……もう、これ以上はR−15指定で言えないっつーの!
 全身疲労困憊のまま、俺は一人、館のでっかい扉に手を掛ける。
 鍵とかかってたら、俺はそのまま帰って寝るからな! ……かかってないかなぁ?
 だが予想に反して、その重そうな扉は、俺が押す一歩手前で勝手に開いた。
「……わお、自動ドアかよ、見かけによらず近代的だな」
「魔法だ、バカモノ」
 頭上で声が響く。ロビーに広がる大階段。
 その上りきった踊り場に――奴がいた。
 身長二メートル以上、尖がった大きな耳と牙にギラギラと異常に赤い目、明らかに人間とは違うゴワゴワの黒い肌……なんだ、このCGノリの生き物は?
「……お前がパザマか?」
 いかにも、とのお答え。
「なーにが「いかにも」だっ! 余計な手間増やしやがって! さっさと姫様渡して、魔界に帰りやがれ!」
 俺は一気にわめき立てる。目的は知らんが、お前のおかげで俺はさんざんな目に遭ったんだからなっ――はっきり言って、かなり八つ当たりなんだが。
「そうあわてるな」
 パザマのセリフを合図に、俺の周囲が突然、騒がしくなった。無数の影がうごめく。
 さっきまで誰もいなかった場所に、だよ? それだけでも十分不気味なのに――。
「げ! 気持ち悪ィー」
 いかにも「魔っ!」って感じの大小様々な奇妙な生き物20匹ほど、俺に牙を向けている。どれも凶暴そうで、ヤーな感じ。
 まぁ、きゅりんきゅりんの可愛い瞳の敵とかでも、それはそれで戦いにくいんだけど。
「まずは私の部下達が相手だ……人間界ではお決まりだろう?」
 階段上から、パザマの余裕ぶった声が響く。コノヤロー……!
 だが、言い返すより早く、パザマの手下どもが飛び掛ってきた。
 俺は素早く長剣を抜くと、手前の悪魔犬もどきをなぎ払う。剣術なら、少しは慣らした腕なんだぜ?
「悪の手先がすぐやられるってのも」
 刃に付いた血のりをザン、と振り払う。
「人間界のお決まりなんだよ!」
「魔剣か――こしゃくな真似を」
 そうなのだ。俺を過酷な修行で痛めつけながらも、グランシスは暇を見つけて、俺の長剣に魔力を封じてくれたんだ。なんつーか、マメな奴だろ?
 けど、これはあくまで雑魚用――純粋な魔法攻撃でないと、パザマには傷ひとつ付けられないだろうってのが、グランシスの見解だ。
 そこまで手際よく準備できるのなら、グランシスが姫さんを助けてくれたらいいのに!
 王子そっくりの人形とかをグランシスが遠隔操作とかしてさ、あいつなら出来そうだろ? 俺がわざわざ出向くなんて非合理的だよ、まったく。
 数十分後、あらかたケリはついた――最後の一匹、『巨大熊、悪魔仕立て』な生き物をのぞけば。
「お前が最後だ!」
 無駄な抵抗はやめて、さっさと退散しなさい! と言おうとして、俺は思わず固唾を飲み込んだ。
 相手は、そんな甘っちょろいテンションじゃなくさ。――ひょっとして、ひょっとしなくても。
「……ものすごく怒ってる……?」
 返事の代わりに、地響きするような咆哮が返ってくる。
 同時に、悪魔クマ(言いにくっ!)は大きく右腕を振り上げた。
 俺の左側で豪風が唸った。思わず目を閉じる。
 刹那。ガラァァァァという音がして、足元の石畳が盛り上がっていく! その始点に目を走らせると――奴の振り降ろされた右腕があった。地面に鋭い爪が食い込んでいる。
「マジ?」
 こんなの食らったら、一撃で即死だ。
 とにかく距離を置いて、下段で構える。落ち着けェ――落ち着けよ、俺。
 とはいえ、こんな怪力相手に剣なんか役に立つ気がしないってば!
 ついでにいうと補助系や防御魔法は一切、教えてもらっていない。とりあえずパザマ用の一撃必殺攻撃魔法を猛特訓、あとは自力で逃げ回れって作戦。
 実に乱暴な話だけど仕方がない。時間がなかったのだ。
 でかい図体だけに、奴の攻撃は少しだけ緩慢で大雑把。その点で辛うじて助かっているって感じで、今のところなす術なく逃げ回る。
 だがそれも時間と体力の問題で――。
 絶体絶命の大ピンチの中で、俺の頭の中にはなぜか隣のお姉ちゃんとその愛犬ジョンの姿が浮かんだ。
 なんだ? 俺はもうすぐ死ぬから、最後に一番好きな人の姿を思い出したのか?
――でも俺、あのお姉ちゃん全然タイプじゃない……。
 しかも愛犬ジョンも一緒?
 あのねセイちゃん、とお姉ちゃんは、俺に言う。そう、あれは幼稚園ぐらいのときだ。
「犬の弱点はおなかなの。一番柔らかい部分だからね。そのおなかを撫ででってジョンがいうのは、セイちゃんが『大好き』だよっていってるのと同じなんだよ」
 そのジョンが死んだときは俺も悲しかったなぁ……と、そんな場合ではない。
「そうか……腹かっ!」
 俺は、逃げ回る足を止めて急ブレーキ――足元でザッと砂塵が舞い上がった。
 二メートルは裕に越える巨体魔熊を見上げる。
 犬の弱点なら、猫も熊も同じだろ? たとえそれが、異常に大きい悪魔的なクマさんであっても――。
 ありがたいことに、奴は仁王立ちで咆哮を上げている。
 ひえー、すごい迫力っ。
「けけけ、ケリ着けようぜ……!」
 かなりビビりながら、剣を構える。
(ええい! どうにでもなれっ!)
 やけくそみたいに、相手の懐に走り込む。
 全身全霊の力を込めて、俺は敵の中央つまり腹の部分に体当たりした。もちろん魔剣もしっかり携えて――一瞬の間。
「ギャァァァアー!」
 耳をつんざくような断末魔が響き渡る。
 その声を聞いただけで、逃げ出したいような衝動に駆られるが、ここは我慢!
 俺はトドメとばかりに、深く刺さった長剣を鳩尾沿いに切り上げる。
 なんとも言えない気持ちの悪さで、鮮血がしぶく。わーお俺、熊さばいちゃった……。
 なんとか勝てたか? そっと見上げる。だが、問題はここからでさ。
「わわ!」
 意識を失った相手が、なんと俺目指して倒れてくるではないかっ。
 あわてて剣を抜き取って逃げようとしたんだけど、全然間に合うタイミングじゃなくて。
「わっ……ムグゥゥ」
 な、内臓が出るー! ものすごい圧迫感と戦いながら、俺はなんとか脱出に成功。まったく、最後まで手間掛けさせやがるぜ――と、手間をいえば!
「パザマ!」
 下手な小細工使いやがって! 時間稼ぎにしては悪趣味だぜ?
 と言おうとして、俺は言葉を飲み込んだ。何故なら――。
 パザマはそこにいなかったのである。
「なっ!」
 俺は絶句した。パザマがいないどころか、さっきまで奴がいた場所は、普通の踊り場だったにも関わらず、今では異空間よろしく、どこまでも果てしなく続く階段に変わっていた。
 もちろん、洋館の外見から推測される物理的根拠をまったく無視した巨大さである。
 絵本の世界でしか見たこともない、行く先が「点」で終わっているほど気の遠くなる長さの階段で――ほの赤く輝いているのが妖しさを増していてさ。
 正直、これには参った。
 この階段を上れってか?
「おーい!」
 とりあえず、パザマを呼んでみる。
 シーン……。
 水を打ったような静けさがあたりを包む。おいおい、マジっすか?
「出てこいよ、パザマ。俺、こんな階段登るのヤだぜ?」
 変化なし。俺はだんだん腹が立ってきた。この階段を登れってか?
 拷問に近い魔法教育を一睡もせずに受けた俺に、その上わけのわからん悪魔的アニマル集団と死闘を繰り広げた俺に?
 ンノヤロー! あの悪魔めー!
「何をやらかしてくれるんじゃいっ!」
 俺は、怒りに任せて、その階段を一気に駆け上がる! ――ってのは嘘で。
 しかたなく、睡眠不足の身体を引きずって、のろのろと登り始めることにする。
 もう、どうにでもなれ――って感じ。疲労はピークに達っするどころか、さらに進んで下り坂だよ。
 敵の大将と決戦って、一番盛り上がるシーンで悪いんだけどさ……。
 さらに、最初は新たなる敵の襲撃にビクビクしながら登っていたが、その様子はまったくなく、ピリピリしていた俺の神経も、徐々にダレ始める。
「大体……なんなんだよ? この世界は?」
 ひとりごちる。
 この国は、俺が本来生まれ育った日本ではない。そんなの当然なんだけど、じゃあ世界のどこかっていうと、これがまたよく分からないんだ。
 以前に、オヤジと交わした言葉が甦る。
 お前はアリだ、と携帯の向こうでオヤジが言った。
 これが、俺の「この国は一体どこにあるんだよ?」と聞いた答えである。
 相変わらずメチャメチャだろ?
「家の裏の空き地に、一匹のアリがいたとする」
「……は?」
「そのアリには、延々と続く空き地が世界のすべて――家の中の人間から見ると、アリの世界は限りなく二次元に近い。だが、家に住む人間の日常は、言うまでもなく三次元だ。そこには階段があり屋根があって、家族が生きている……分かるな?」
「分かるけど……何の話だよ?」
「つまりだ。お前が今いる王国は、そういう世界なんだよ」
「……」
「その世界が理解できないお前は、裏の空き地のアリと同じ」
 完全黙秘の俺に、オヤジはさらに続ける。
「アリと家。日頃から、お前のすぐそばに存在しながらも、普段は交わることのない場所……それがクラリエンジ・アナーシャ王国だ」
 延々と続く階段。ちゃんと進んでいるのか疑わしくなる長さだ。
(日頃からすぐそばに存在しながらも、普段は交わることのない場所……)
 心の中で繰り返す。その話を聞いたとき、俺は軽ーく流していた。
 内容がさっぱりわからないってのもあったし、オヤジの言葉を真に受けるのも不安だろ? でも。
 今になって改めて考える。
(……オヤジの話はあながち嘘ではなかったのか?)
 気付くのがちと遅い気もするが、前回は俺も精神的に一杯ゝでさ、そんなことゆっくりと考えるヒマがなかったんだよ。
 いや、今も十分一杯ゝなんだけど。
(しかし、中世ヨーロッパもどきの王制主義、魔法に魔族――)
 これでは、まるで……。
 ゴンッ!
 鈍い音がして、俺の額に激痛が走る。
「……ってー!」
 気がつくと、階段は終わっていた。いや、これは俺がボーとしてたうちに登りきったとかじゃなくて、元の場所に戻っていたのだ。
 つまり、最初のパザマと会ったときのシチュエーションに、だ。
「おのれー、幻覚だったのかっ! 卑怯だぞ、悪魔め!」
「魔族だ。いつ幻覚の罠に気づくと待っていたが……噂通りのアホだな、お前は」
「う、うるせー!」
 くぅ―痛いところを突かれたぜ……っ!
 それにしても、とパザマはゆっくりと階段を降りて来る。
「なかなか良い剣さばきだった……だが私には効かぬぞ」
「知ってるわい! この俺が魔法を使えないとでも思ったか!」
 そう言うと、俺は長剣を鞘に収め、右腕を前方に掲げる。
「何……?」
 パザマの顔色が変わった。
 ふふん、驚いたか! 俺は、この瞬間のために徹夜で頑張ったのだ。
「見せてやるよ、俺のとっておきの特大攻撃魔法をなっ!」
 即席だということは、もちろん黙っておく。
 俺はパザマを前にして、ゆっくりと瞳を閉じる。
 敵を目前にして、精神統一だ。――これが魔法術、最大の難関といっていい。はっきりいって、ものすごい恐怖である。
 この恐怖心に打ち勝つために、俺はグランシスの修行で散々な目に合ったんだから!
 ああ、思い出すだけでも身の毛がよだつぜ……。
 閉じた目の、暗闇の世界に炎をイメージする。燃え盛る赤の揺らめきを、高ぶる熱の激しさを、できるだけリアルに細部まで描き出していく。
 グランシスに話によると、俺は炎の属性だという。ホントはどうか、わかんないけど、かなりイイ感じで、俺の――イメージの――炎は像を結び始めていた。
 大きく構える。息を整えて――。
(今だ!)
 俺は、カッと目を見開いた。
「食らえ! 王子様スペシャル!」
 黄金の右腕から放たれる灼熱の炎を――今ここに!
「ギャラクティスファイヤー!」
 パザマが一瞬、身をすくめる。オーケー、その姿のまま丸焦げにしてやるぜ!
 渾身の力と思いを込めて、俺は――右腕を振り下ろしたっ!
 ……へろ……。
 はい?
 俺の黄金の右手から放たれたのは、なんともショッぼーい炎だった。
「……」
 パザマも俺も呆然と、その“炎が生まれるハズだった空間”を見つめる。
 ちょっとした沈黙が流れた。
(うーん……ちょっと、精神統一が足らなかったかな?)
 俺、一人プチ反省会……。
「あ、遊びはここまでだ」
 その場の空気を取り戻すように、努めて威厳を保ちながらパザマが言う。
「あえて出来もしない魔法に挑戦した王子を称えて、私も素手でお前を倒そう」
 真っ赤な目を、不気味に細めるとパザマは、拳を固めた。
 刹那。
 俺の鳩尾に、信じられないような衝撃が走る。
「ッガハッ……!」
 追って激痛が全身を貫く。それは傷みより悪寒に、近い。
 う、嘘だろ……こんな強いなんて――。
「の、ヤロ、ウ……」
 左手で腹部を押さえながら、俺はなんとか長剣を抜く。
 ほとんど祈るような思いで、その刃をパザマに思いっきり投げつける。だが。
 剣は飼いならされた犬みたいに、パザマの前でスピードを緩めていく。
 パザマは完全に動きを止めたその剣を、邪魔臭そうに軽く払った。
「効かぬと言ったはずだ」
 やはり、グランシスの言った通りか……こっちは物理攻撃無効なのに、あっちが殴るとイタイってこれ、どーいうコト?
 不公平だよ! まったくもう!
 だが、文句を言う暇もなく、奴は俺に近づいてきた。
 パザマは、鳩尾の傷みにうずくまる俺の首を掴んで強引に立たせると、さらに高い位置へと持ち上げていく。
 ギリギリと、鋭い爪が喉元に食い込んだ。
(い、息が……っ……!)
 全身の血が逆流していく――苦しい!
 必死にもがく俺を、パザマは面白くもなさそうに壁に投げつけた。
 成す術もなく、まともに背中を打ちつける。
「グッ……」
 耐え切れず、俺は内臓から出たようなドロリとした血を吐く。鉄のにごったような味が、口中に広がった。
「逃げろ」
「……!」
 パザマの意外な発言に、俺は一瞬、傷みも忘れて顔を上げる。
 そこには、冷ややかなパザマの目があった。
「このまま逃げればよかろう……愛してもいない王女のために、何も死ぬ必要はない」
 そ、それはそうだけど。勝てる見込みはゼロだし、このままでは死ぬの確実だということは、いくら頭の悪い俺でも――分かる。
 けど。「逃げる」というその言葉が。
 俺の、一番弱いところを試されている気がして。
 俺は、ほとんど無意識に言い返していたんだ。
「うるせーな! 俺は命張って、フレイラ王女を助けに来たんだよ!」
 あ、頭がクラクラする.……いいのかな? こんなこと言って。
 言っちゃってから、ほんの少し後悔。
 でも、一度噴出した感情は、簡単には収まらなくてさ。
 そうだよ、俺は王女を助けに来たんだ。それなのに。
 拳をギュッと握り締める。
「助けられないまま逃げるなんてっ……そんな、そんな風に生きても」
 最後の力を振り絞って、俺はパザマをキッとにらみつけた。そんな人生はっ――!
「意味ねぇーんだよっ!」
 パザマがゆっくりと足を上げた。その緩慢な表情とは対照的に。
「ガハッ!」
 俺の後頭部を思いっきり踏みつける。のヤロウ……好き勝手しやがって。
 パザマはその体勢のまま、ギリギリと力を込めていく。
「そうか……では死ぬがよい」
 おそらくそれでとどめだ。パザマが大きく拳を振りかぶる。悔しいが、俺はそれを目で追うことぐらいしかできなかった。
 覚悟を決めて目を閉じる。
 そのとき。
「やめてー!」
 聞き覚えのあるキレイな声。フレイラ王女?
(良かった……まだ無事だったんだ……)
 全身の気が抜けた。かすむ目で、王女の姿をなんとか捉える。
「フレイラ姫。ごめん、自力で逃げて……」
 ホント、情けないけど俺じゃ守りきれないよ。王女の「やめて!」でやめてくれるようなパザマだったら、俺がすでに黄色い声で何度も頼んでいるだろうし……。
「王子!」
 フレイラ姫が俺に駆け寄る。一応、自由の身ではあったのね。
「なんで? なんで逃げないのよ!」
 なんでって……? そりゃ、姫を――。
「助けに……きた、から……」
 それだけ言うのに、かなり時間がかかる。やばい、俺、マジでやばいよ。
 目の前が、自動的にフェイドアウトしていく。
 でもそれは、とっても気持ち良い感覚でさ……眠りたい。
 頼むから、このまま眠らせてくれ――意識は、その深い海へとゆっくりと落ちていく。
 死の安らぎが、俺を優しく包み込んで……。
――と!
「ちょっと! ヒトが大切な話してんだから、ちゃんと聞きなさいよっ!」
 フレイラ王女の一声で、俺は無意識の海から、強引に引きずり出される。
 勘弁してくれよ、もー。
「私……いままであなたこと嫌いだったの」
 よく知ってるってば。
「だから……あなたを困らせようとしてパザマを召喚して――お願いしたの」
 なになにショウカン? 何の話? 全身疲労と出血多量と寝不足のトリプルパンチを食らった俺は、当然ダウン寸前で――悪いけど、フレイラ姫の言っていることがよく理解できない。
「シセ王子のことだから来ないか、来てもすぐ逃げ出すだろうって……そしたら、今度こそ結婚話はなくなるかもしれないって」
 なんか、泣いてる。キレイな人は泣いてもキレイだなぁ、なんてぼんやりと思う。
「でも、私……今、戦うシセ王子見てたら……私……っ!」
 なかなか言い出せない思いに、声を詰まらせる王女。
 その言葉が何なのか、なんとなく分かる気がした。
 だから俺は、ゆっくりとひとつため息をつくと、出来るだけ優しく言ってあげる。
「いいよ――今は無理に答えを出さなくても」
 俺は代理だし、という言葉はグッとこらえる。
「まだ……若いんだし」
「でも……!」
 泣きじゃくる姫を、少しでも安心させたくて、俺は精一杯の笑顔をつくる。
 血だらけの俺の顔じゃ、逆に怖いだけかもしれないんだけど――。
 そのとき、俺の顔にフレイラ姫が近づいた。ふわりと、花のような良い香りがする。
「!」
 血の味が残る俺の唇に、柔らかな姫の唇が重なる。
 その感触が、たとえようもなく気持ちよくてさ。俺は――今度こそ本当に――意識を失っていたんだ。


 俺的にはこう、グランシスとかファイアルトとかが心配そうに覗き込んでで、カノンちゃんあたりが「気が付いてよかったぁ!」とか言って、抱きついたりしてくれるのを期待していたんだけど……。
 見覚えのある王子の部屋には誰も、いない。
 しばらく待ってみたけど、やっぱり誰も来ない――冷たいなあ、この城の奴らは! 生死の境をさ迷った王子が、たった今目覚めたっていうのに、なんだよ、この扱い。
 仕方なく、ベットに腰掛けたまま窓から見える雲をぼーと見ていたら、コンコンと控えめなノックの音がした。このたおやかな叩き方は――カノンちゃんだ!
「王子」
 少しびっくりしたような小さな顔。昨日の悪夢のおかげで、なんだか妙に懐かしく感じる。会いたかったよ、カノンちゃん!
「まだ寝ていたんですか?」
 ガクッ!
「まだって……俺、死にかけたんだぜ?」
 そりゃないよーとふてくされる俺に、カノンちゃんは「大げさですわねぇ」と笑った。
 カノンちゃんの話では、俺がフレイラ王女に助けられてこの城に戻ってきたときは、全身血まみれ、意識不明の重態ってことで、国中騒然となったらしいんだけど――。
 よーくみたら、血はほとんどが返り血で、身体のいくつかに打撲が見られるものの致命的ではなく、意識不明ていうのも、極度の睡眠不足によるものだと診断されたそうなのだ。
「それで、そのときの怪我はグランシス大魔導師様がサッと治癒して下さって……」
 あとは心配なし、となったそうだ。
 なんだかなぁ――治癒の魔法っていうのもどうかと思うよ? だってあんなに痛い思いして頑張ったのに、「サッと治癒」で片付けられちゃうんだから。
 とはいえ、改めてみると身体は完全に治っていた。どっこも痛くない。
「へぇ……やっぱり便利だな、魔法って」
「そう思われるのでしたら、今度から魔法の授業も真面目に受けてくださいね?」
 そう言って、カノンちゃんは可愛らしく微笑んだ。
 へーい、と気のない返事をしながら、俺は大きく伸びをする。
「とりあえず元気になったことだし、ちょっくら散歩にでもいって来るかな」
 何気ない俺の言葉に、カノンちゃんは驚いて口に手を当てた。
「忘れてた! ――王子、早く準備なさらないと」
「準備?」
「舞踏会の、です」
 にっこり笑うカノンちゃんに、俺はマジに固まった。
 ぶ、舞踏会―っ! すべての悪夢の元凶、その言葉を聞くだけで悪寒が走るぜ。
「ヤダヤダ! 俺、今度こそ絶対行かねぇーぞっ!」
「もう、王子様ったら……今度は、我が国にフレイラ姫が参られますのよ?」
 俺の服の仕度をしながら、カノンちゃんは言った。
「なにー! あのお姫様が? 何しにっ……?」
「王子様に助けていただいたお礼に――それから、正式に婚約したいとのことです」
 こ、婚約?
 そうだった。俺はパザマに殺されかけて、んで王女が出てきて……唇に。
 思わず自分の唇に、手を当てる。あれは夢じゃないよな。
「良かったですわね、王子様」
「でもさ、女の子って不思議だよな。舞踏会では、カッコつけていったのに手ひどく嫌われてさ、ボッコボコに殴られてる俺見て惚れちゃうなんて」
 その言葉を聞いて、カノンちゃんはくすりと笑った。
「でもわたし、王女様のお気持ちはよく分かりますわ」
「そんなもんかなぁ……」
「そんなものです!」
 自分より二つも歳下、十五歳のカノンちゃんにそう断言された俺は、やっぱり女の子は難しい、と改めて実感するのだった。


 今夜の舞踏会で俺は、大人気だった。しかも、俺を取り囲んでいるのは――!
「囚われの姫を助けに来てくれる王子様……なんて素敵なんでしょう!」
「本当ですわ、うっとりしちゃう!」
「わたくしにもそんな出来事があればいいのに……!」
「そのときは助けにいらして下さいね、シセ王子様!」
 そう、みーんな女の子なのである!
 どうやらこの手の物語は、女の子の大好きなシチュエーションらしくて――ホントはそんなカッコイイもんじゃなかったんだけどさ。
 わいわい騒いでいる女の子達の向こうに、グランシスの姿が見えた。
 お、今日もキレイな顔ですましちゃって……でも、とりあえず怪我を治してくれたお礼を言わないとな。
「グランシス!」
 女の子をかき分けて近づく俺に、グランシスが笑顔で振返る。
「今回は、いろいろありがとな。せっかく教えてくれた魔法は役に立たなかったけど……」
「王子に教えた火炎系魔法はかなり上級者向きでしたから、いきなり成功は無理ですよ」
「なにっ? 無理ってお前っ……俺、死にかけたんだぞ!」
 王子、と呆れ顔のグランシス。やれやれと首を振っている。な、なんだよ?
「本当に姫がさらわれたのなら、そんな危険な場所に、僕が王子を送り出すわけがないでしょう?」
「……ってまさか、おい!」
 気付いていたのか? フレイラ姫の計画に。
「フレイラ王女が召喚魔法の名手だってことは、以前に聞いたことがありますから」
「召喚魔法?」
 んんーなんかそんなこと言ってたような気もするけど、あの時の俺って、意識がほとんどなかったからなぁ。
「でも俺! 死ぬトコだったんだからなっ!」
 納得がいかない。あの死にもの狂いの魔法特訓はなんだったんだよっ!
 さらに文句を言ってやろうと身構える俺に、グランシスはさらりとこんなことを言った。
「女性の心を射止めるには、やはり命がけでないと」
 そういってスマイル。視線だけで示したその方向には――。
 やはり息を飲むほどお美しい、フレイラ王女の姿があった。
「王女様のおなーりー!」
 家臣の、間延びした声が大広間に響く。
 ワルツの軽快な調べに乗って、舞踏会の夜はまだまだ続くのであった。