王子様(代理)にお願い! 第三章(前編)
作:草渡てぃあら





第三章『凍れる月夜のプレリュード』(前編)


 月の美しいある晩のこと――。
 コンコンコンと三回、ドアを叩く音がする。そっと開けてみると小人が二人立っていた。
 二人の小人さんは、声をそろえて言う。
「王子様にお願いがあるんです」


 なーんて、メルヘンちっくに始まってしまった……。
 でもよくみると、それは五歳ぐらいの小さな男の子と女の子でさ。
 泣きそうな表情でカチッと固まったまま、二人はしっかりと手をつないでいる。
「ど、どうしたの、こんな時間に? お母さんは?」
 完全夜更かし型の俺が「もう寝ようかな」と思ってたところだ。時間は深夜をとっくに過ぎている。
 お城で迷子になったとか?
「僕の名前はカント。こっちは友達のミル」
 男の子の方が自己紹介してくれる。
 女の子は、大きな瞳で俺を見上げながら泣きそうな顔で黙ったままだった。
 どうか、とカントは言う。
「僕達のお願いを聞いてください! シセ王子様」
 二人ともチビなもんだから、見上げる首はこれ以上後ろにいきませんってぐらい上がっている。もっと後ろに下がれば楽なのに……というのは大人の意見か。
「お願い? 俺に?」
「姉ちゃんの話を聞いてたら、頼れるのは王子様しかいないって思って――あ、でもここに来たってことは姉ちゃんには内緒だよ?」
 カントは言う。姉ちゃん? あ、ひょっとしてこいつ――!
「カノンちゃんの弟か?」
 こくりと頷く。
 俺達が退治した盗賊団に憧れてたっていう一番下の弟だ。
 そういえば、目のあたりに面影がなくもない。となれば、むげにも断れないよな。
「どうした? 困ったことでもあったか?」
 俺の言葉に、二人はパッと顔を輝かせた。
「カゴをとって来て欲しいの」
 初めて女の子の方が、口を開いた。ええと、ミルだっけ。
「カゴ?」
「うん。ママからもらったミルの大事なカゴなの……あれがないとお花摘みもできないの」
 それだけ言い終えるまでに、どんどん泣きべそになる。
「あああ……泣くなよ。カゴぐらいとって来てやるから」
 ホント? とカントが聞いた。本当だとも! 王子様なんだから、国の民のお願いは叶えてやらなくちゃな。
「で、どこにあるんだ? そのカゴは」
「ドラゴンの巣!」
「……え?」
「だから、ドラゴンの巣だよ。ミルがドラゴンの卵を見つけて、そのカゴにいれといたんだ。でも、昨日お母さんドラゴンがくわえて持ってちゃったんだよ」
「あ、そう……じゃあ、そのカゴはドラゴン親子へのプレゼントってことで」
 違うもん! とミルが頬を膨らませる。
「あのカゴはミルのだもん……!」
 小さくも揺るぎなき決意を持って、ミルちゃんはつぶやいた。
 まったく命知らずなんだから――これだから子供は困る。
 この王国に疎い俺でも、北の山脈に住むドラゴンの噂はよく耳にする。
 大きなもので全長三十メートル、身体は硬いウロコで覆われており、魔法も含め、いかなる攻撃も受付けない。
 たまーに飛んでいるのを見かけるが、よっぽどの悪さをしない限り人間には無害だ。
 とはいえ、その可能性がゼロともいえない。言い伝えによると、ドラゴンを生け捕ろうとした村を、一瞬で全滅させたこともあるという。
 そんな生き物の巣にいくなんざ、無謀もいいところだ。
「代わりにすごーく大きいカゴをお兄ちゃんがあげるから、な?」
 それぐらい、このお城のどっかを探せばあるだろう。
「やだ」
「じゃあ、すごーく可愛いやつ」
「やだやだ、あれがいいの! 王子さまっ、あのカゴをとって来てぇー!」
「でも……ドラゴンが」
「だから、ドラゴンはどうでもいいの! 大事なのはそれが入っているカゴ!」
 ミルがすかさず言い返す。あーのーなー、逆だ、逆!
「カゴはどうでもいいの。大事なのはドラゴン!」
 いいか、とガキどもに教える。
「お母さんドラゴンはきっと、お前らに卵を取られただけでメッチャ怒ってる。お前らのお母さんだって、怒ったら怖ぇだろ?」
 二人はこくりとうなずく。よーし、いい子だ。
「その上、また巣に近付いてみろ、今度こそギッタギタにされっぞ?」
「大丈夫だもん!」
「なんで?」
「王子さまが行ってくれるから」
 おいおいおい。何なんだ? この子供独特のド厚かましさは! その上ちっとも嫌味じゃない無邪気でキラキラした瞳はっ!
「――とにかく、俺がいい方法を考えるから。今日はもう帰って寝ろ」
 もちろん、俺が考えるいい方法ってのは、二人を説得する方法なんだけど。
「王子様だったら……願いを叶えてくれると……思ったのに」
 カントがポツリと言った。
 俺はそのとき、少しだけ気になってはいたんだ。
 けど、まさか自分達だけでドラゴンの巣に向かっちゃうなんて――。
 そして助けに行った俺が、死んだはずのレノマールとの再会するなんて――。
 本当に。
 思ってもみなかったんだ。


「カントがっ……弟がいなくなったんです!」
 早朝――憔悴しきった顔で、カノンちゃんが部屋に飛び込んできたのを見たとき、俺は瞬間的に事態を理解した。
 迂闊だった。大体、子供ってのは辛抱ができない体質なのだ。
「俺の、せいだ」
 驚いたように顔を上げるカノンちゃん。しまった……カントとの約束で、奴らが来たことは内緒だったんだ!
 事態が深刻化すればそうも言っていられないが、とりあえずギリギリまでは、男の約束を守らなきゃな。
「う……なんでもない……でも、ちょっと心当たりがあるんだ。カノンちゃん、ここは俺に任せてくれない?あんまりオオゴトにせずに」
「で、でも……」
「ええと、二日……いや今日中に戻らなかったら、北の山脈方面に捜査隊を出して。シセ王子の命令だって言ったらファイアルトやグランシスが協力してくれる」
「北の山脈! そんな危険なところへ何故?」
「ちょっと――内緒なんだ。ごめんね。でも大丈夫、絶対俺が連れて帰ってくるから」
 相変わらず戸惑っているカノンちゃんを、強引に納得させて、大急ぎで部屋を出る。
 子供の足だ。そう遠くまでは行けないはず――今大騒ぎして、カント達がひどく怒られるのだけは避けたかった。だって……かわいそうだろ?
「駿馬を一頭用意してくれ。ちょっと遠乗りに出かけたい」
 馬小屋のおっさんにそっと頼む。
 このおっさん、もともとあまり深くモノを考える性質ではないらしく、王子がお一人で? とか危険です、とか護衛兵みたいなややこしいことは一切言わない。
 王子様の命令だってことで、いつでも大急ぎで準備してくれるのだ。
 息が詰まるような王子様生活――実際はそんなでもないんだけど――にちょっと疲れたときによく利用させてもらっている。
「ありがとな」
 もったいないぐらい深々と頭をさげる馬小屋のおっさんに、俺は軽く礼をいうと、大急ぎで北の山脈に続く道を走らせた。
(まったく……人騒がせなガキどもだぜ……)
 カント達が部屋を訪ねてきたのが深夜、その直後に出発したとしてもまだ数時間しか経っていない。
 どうせまた、近くの道端でべそかいてるに違いない。
 颯爽と駆ける馬に、朝の風が気持ちいい。今度用事がないときにでも、改めて遠出に来てみようなんて、俺は呑気なことを考えていたのだ。
 ところが。
 半日かけて休むことなく馬を走らせ、お昼を過ぎてもカント達を見つけることができなかったのである。
 おかしい――いくらなんでも、こんな遠くまで来れるはずがない。
(やばいな……辺境の盗賊団にでもやられたか?)
 この辺りは、ところどころ大きな森があるものの、ほとんど城から一本道だ。
 わざわざ森に入ることさえなければ、迷うことはまずない。
(どうしよう……引き返しながらもう一度探すか)
 馬の鼻先を百八十度変えながら、森に目を凝らしてみる。でもそこにはただ、静かに緑が揺れるだけで――。
「!」
 突然、顔のすぐそばで、鋭く風を切る音がした。
 ザッ!
 地面に突き刺さったそれは、一本の槍。マジかよ?
「誰だ!」
 とりあえず、森の奥に向かって叫ぶ。
 影が動いた。二人? いや、もっと多い――五、六ってあれれ?
「神聖なる竜の領域を侵す悪党め!」
 そのセリフと同時に、ザァァと姿を現したのは数十人の男達。
「何ゆえに竜を狙う?」
「ご、誤解です! 竜なんて全然、興味ないもん!」
 両手をブンブン振って、俺は無実をアピールする。だかその言葉に、リーダー格のおっさんの頬がひくりと動いた。
 あれ……俺、まずいこと言った?
「興味がないとは情けない……竜がこの世界の玉(ぎょく)を守っておるというのに」
「そ、うなんですか?」
「王都の民は平和ボケらしいな」
 困ったようにおっさんがため息をつく。知らないんだからしょうがないじゃん!
 で、さらに神経を逆撫でするようで悪いんですけど。
「あんた達って……何者?」
「我らは竜の民――ドラゴンの巣を守る一族だ」
 ああ、それでみんなピリピリしてるわけね。
「今一度聞く……お前は誰だ? 何の目的でこの聖域を侵した?」
「誰って……俺はシセ、この国の王子だよ。目的は――」
「はっ! 王子だと? 我ら一族は、嘘をつく人間が一番嫌いだ」
 俺の言葉を最後まで聞かずに、竜のおっさんは鼻で笑う。
 むっ! 嘘じゃないやい! ――そりゃ、代理だけどさ。
「ホントだよー、俺、王子だって。で、子供がカゴをさぁ探しに来たんだけど」
もうよい! ときつい口調で遮られる。
「子供? なにがカゴだ! 怪しいやつめ……皆のもの、捕らえろ!」
 もう! なんでこうなるわけっ?
 一度に何十人もの人間――しかも厳密に言うと敵っていうわけでもないし――を相手にたいした抵抗もできずに、俺はあっさり捕まってしまった。
「ちょ、ちょっと! 話ぐらい聞けよっ!」
「村に帰ってからゆっくり聞こう。しかし」
 とおっさんはギロリとにらむ。
「内容によっては、ドラゴンの巣に連れていき、竜の餌になってもらうぞ」
 い、嫌だぁぁぁぁ!!
 俺の心の叫びは、誰の耳にも届くことなく頭の中で響き渡った。


「あーあ……カントとミル、無事かなぁ……カノンちゃんも心配してるだろうなぁ」
 暗くて寒い、その上さみしい牢屋に閉じ込められて、俺は一人三角座り。
 わざわざ言うまでもないが――サイアクだ。
 とはいえ、今日一日我慢すればカノンちゃんがファイアルト達に連絡して、応援を寄越してくれるだろう。そこで、俺が王子だって証明してくれたら牢屋からは出ることができる。ま、ちょっとかっこ悪いけど。
(でもそれまでにドラゴンの餌になっちゃう可能性もあるんだよなぁ……)
 うーん、やっぱりなんとかして脱出した方がいいに決まってる。
 第一、カントやミルが危ない目に遭ってたらコトだし――でも、情けないことに、脱出方法がまったく思いつかなくてさ。結局、こうやって大人しく待っているのだ。
 ところが、である。
 牢につながれて1時間ほど経った頃、ふいに騒がしくなって新たな罪人が連れてこられた。まったく、逮捕が趣味なんじゃねぇの? この一族は。
 しばらくガヤガヤとしていたが、やがて見張り役の男も姿を消した。消したって言ってもどうせ、階段を上がってすぐのところにいるんだろうけど。
「どうなっちゃうの? 私達……ドラゴンに食べられちゃうの?」
「うーん……わかんない」
 壁があって顔は見えないけど、すぐ隣の牢から聞こえてくるその声には、確かに聞き覚えがあって――。
(な、なにっ? ……カントとミル?)
 あいつらー! なんでこんなとこにいるんだよ?
「わかんないって……カントのバカぁ! ミル達だけでカゴを取り返せるなんて言うから……っ」
 ミルのセリフは、途中で泣き声に変わる。それに答えるかのようにカントの、努めて明るい声が重なった。
「大丈夫だよ! きっと王子が助けに来てきくれるって」
 おいおいおい。勝手に決めんなよ! ところが、それを聞いたミルの反応がまた、素早くてさ。
「そうだよねっ。ごめんね、王子様を信じなくちゃね」
「そうだよ! 王子様を信じて待とうぜ――あ、二人でお祈りしようぜ、王子様が助けに来てくれるように」
 うん、と元気なミルの返事。
「あのー……」
 とりあえず控え目に、声を掛けてみる。イタイケな幼子の夢を壊して悪いんだけど。
「シセ王子様! どうか早く助けに来てくださいっ!」
 だめだこりゃ……全然、聞いてないよ。
「あのぅ!」
「なんだよ! うるせぇーな、俺たちは今、王子様へのお願いで忙しいの!」
「……その王子がいま、隣にいるんですけど」
「……」
 少しの沈黙があって、隣の牢屋からカントがひょっこりと顔を出した。
 おお、やっぱり子供は小さいなぁ、こんな隙間から顔が出るなんて。
 続いてお祈りの手を組んだまま、ミルが顔を出す。
「ホントに王子様が助けに来た……!」
 ガクッ――助けに来たんじゃなくて、だ。
「捕まってるの! 大体、なんでお前らがこんなところにいるんだよ?」 
「王子様の部屋を出てから僕たち、自分でドラゴンの巣に行こうと決めたんだ。けど途中の森で眠っちゃって……それでね、起こしてくれたのが竜の人達だったんだ」
 あちゃー! 俺の考えが甘かった――そうだよな、お子様が徹夜で歩きつづけられるわけがないんだ。
 でも、まあ、無事で良かった。それに。
「ちょうどいいや――お前ら、顔が出せんだから、きっとそこから抜けられる! 鍵持ってこい、鍵!」
 無理だよー、とカノンが顔をしかめる。
「いくら小さくても、顔しかだせないよ」
「大丈夫、顔が通れば身体は通る!」
 あれ? それは猫だっけ? 
 とにかく俺の言葉を信じて、およそ一時間ほど格闘したカントは、ゼイゼイと肩で息をしながら恨めしげに言った。
「王子様の……嘘つき」
 うーん、やっぱり猫と人間の子供は違うか?
「こら、お前達。なにを騒いでいる?」
 げ! 見張り役の男が階段から降りてきた。腰でじゃらじゃらと鍵が鳴っている。
 クソー、これ見よがしにっ! ――て、待てよ……いいこと思いついたぁ!
「おい! こんな小さな子供までぶち込んでどういうつもりだ! これが竜の民のやり方なのかっ?」
 俺は正義の味方よろしく、見張りの男に怒鳴りつける。
 なんだかなぁ、俺って、そういうキャラじゃないんだけどねー。
 だが効果は十分、見張りはうろたえたように言いわけしてくる。
「い、一時的な処置だ。子供は身元が分かり次第手厚く保護する」
 そうなの? 子供って得だなぁ……と違う違う、これでは、俺のスベシャルな大脱出作戦が成り立たないではないか!
「なぁ、子供だけでも助けてやれよ」
「ダメだ。第一なんでお前に説教され……」
「でもこの子はさっきから、トイレに行きたいと泣いてる!」
 カントを指差してとっさに言う。一瞬、ぽけっとしたカントだったが、すぐに俺の意図を読んだ。
「おしっこー! おしっこー! おしっこー行きたいよぅー!」
 よーし、いいぞ!
「かわいそうだなぁ! 竜の民は、気高く優秀なドラゴンの守り手だと聞いていたのに……実際は子供ごときにビビッてトイレも行かせないなんて!」
 おしっこ大合唱に乗せて、たたみかけるようにそう言う。
「し……仕方がない。お前だけだぞ」
 男はしぶしぶカント達の牢に手を掛ける。
 カントが黙って俺の顔を見た。
 俺は腰の鍵に目を向ける――伝わるかな?
「ミルもおしっこ!」
 鍵が開いた時点で、ミルが叫ぶ。
「仕方ない。大人しく付いて来い」
「俺も、俺も!」
 試しに言ってみるが、
「調子に乗るな。お前はダメ」
 と冷ややかな答えが返ってきた。
 ちぇ、つまんねぇの――。
 やがて、カントとミルが牢を出る。それを確認して、俺は大きく息を吸い込んだ。
「ちょーっと待ったぁ!」
 突然、大きな声を出した俺に、見張りの男は驚いて振り返る。
「何を隠そうっ! 俺は今世紀最大の占い師だったのだぁー! 今、お前を占うように神の啓示が届いたぁー」
「……アホか、お前は」
「アホとは無礼なっ! だが許してやるー、何故なら! お前には死相が出ているのだからなっ!」
「なっ! いい加減なこと言うな!」
 俺との会話に気を取られている隙に、カントがそっと男の後ろにまわる。
(よし、いいぞ……鍵を取れ! そっとだぞ、そっと)
 できるだけ、さりげないジェスチャーとアイコンタクトで指示を出す。
「いい加減ではなーいっ! 今から五分以内に儀式を行わなければ」
 だが、何故かカントはグズグズしている。
(早く取れよ!)
 焦る俺に、カントは片手をいっぱいに伸ばしてみせた。大きな目をぱちくりさせる。
「……」
 俺はすべてを理解した。
 カントの手は、鍵のある男に腰にまったく届いていなかったのである――マジ?
「おい、囚人! 儀式って何だ?」
「あ? う、うん――儀式はだなぁ!」
 やばいよ! こいつの興味引いたって、これじゃあ意味ねぇじゃんっ。これだからチビは使いモンになんないつーの!
「!」
 俺の視線の端に、ミルの姿が映った。
 ミルは、壁の隅に立てかけられた、俺の長剣に手を伸ばしている。
(しめたっ! えらいぞ、ミル!)
「儀式は……だな」
 と俺は、指で男に近くに来るように合図する。俺が丸腰だと知っている相手は、油断しまくりでやってきた。
「ここに跪け」
「ばっ! できるか、そんなこと!」
「あああ、死ぬぅっ! お前は確実に死ぬだろうぅ!」
「わ、わかったよ」
 戸惑いながらも、俺の目の前に座り込む見張り。そのすぐ横から、ミルがそっと長剣を差し出した。よし、気付かれてないぞ!
「そうだ。そのまま目を瞑れ……いいか、イチ、二の、サン!」
 がこっ、と鈍い音がして、俺の長剣の柄(つか)が、奴の脳天に直撃。
「がっ!」
「やた……!」
 気を失った男から、カントが鍵を外す。それを使って俺は素早く牢屋からでた。
 はぁーいいねぇ! カタギの空気は。
「ぐ……っ……お前ら……」
 ようやく意識を回復した見張りが、うめき声を出した。痛む頭をなんとか持ち上げて、信じられない様子で俺達を見ている。
 だが、立ち上がるのはちょっと無理かも。
 気の毒だが、回復までにはまだもうちょっと時間がかかりそうだ。
 その間に、逃げちゃえ!
「お前ら……グル、だったの……か……!」
 苦しげな見張りの言葉に、俺達は振りかえる。
 俺たち三人は、ニッと笑って答えた。
「そう、俺たちグルなんでーす!」
 

 地下牢の階段を駆け上って、見張りが出られないように鍵を掛ける。ちょっとかわいそうだけど、竜の民もスペアキーぐらい持ってんだろ。
 で、ここからが問題。
 俺達が選べる扉は、二つある。
 ひとつは、俺やカント達が連れてこられた扉――その先には竜の民の村がある。今行けば当然、捕まって牢屋に逆戻りだ。
 で、もうひとつの扉は、ドラゴンの巣へと続く山道。
「どっちも行きたくないなぁ」
 俺の真っ当で正直な意見に、ミルがびっくりして見上げる。
「ええー! ミルのカゴ、取りに行かないのーっ?」
 ミルちゃん、と俺はミルの頭に手を置くと、大人の雰囲気たっぷりにたしなめた。
「気持ちはわかるよ? だが人間、大切なものを手放して初めて大人になれるんだ……」
「そんなの知らないもん!」 
 ありゃりゃ――思ったより手ごわいな。
 ミルは俺を振りほどいて、だぁぁっとドラゴンの巣の扉に駆け寄る。
 そして、その小さな腕を偉そうに組みながら「言っておくけど!」といった。
「王子様を助けたのはミルなんだからねっ」
 これにはまいった! 小さくてもやっぱり女の子――で、年齢に関係なく、ほんっと俺って女の子には勝てないんだよなぁ……。
「分かった。分かったよ。カゴ、とりに行こう」
 諦めて肩をすくめる。
 ほんと! とミルはたちまち笑顔になった。その邪気のない瞳ったら――。
「……お前の彼女、将来いい女になるぜ」
 そっとカントに耳打ちする。
 そんなんじゃねぇやい、と言いながら、カントは真っ赤な顔で下を向いた。
 いやぁ、愛だねぇ――! おじさん参っちゃうヨ。
 ニヤニヤしながら俺は、ドラゴンの巣へと続く扉を開けた。
 さっさとカゴとって帰らなくちゃな。ところが、である。
「……は?」
 眼前に広がる景色に、俺は言葉をなくしていた。だって、だってだよ?
「なんで一面の銀世界なわけ?」
 そうなのだ。俺達の前には、まさしく南極大陸を彷彿させるような雪と氷の世界が広がっていたのである。
 そりゃ、お城に比べてちょっと寒いかな、とは思ったけど、牢屋までの道には雪なんてひとかけらもなかったんだぜ? どうなってんのよ、一体?
「牢屋までは、人の領域。ここからは……」
 カントが白い息を吐きながら言う。
「竜の領域だよ」
「竜の……?」
「王子、知らないのー? 勉強嫌いだって姉ちゃんが言ってたけどホントだな」
 あきれ顔のカントとミル。う、うるせー! 
「竜は、この世界を創造する玉(ぎょく)を守っているんだ」
「玉(ぎょく)?」
「それがこの王国のすべてを生み出したんだって」
 あ、そういえば竜の民もそんなこと言ってたなぁ……しかし、そんな大事な所に、俺達が侵入していいのかよ?
「……ね、やっぱ帰らない?」
「王子!」
 ミルが声を張り上げる。はいはい、分かりましたよ。
 さらさらと降り続く雪。霞んで見えるなだらかな坂は、上に行くほどだんだん傾斜がきつくなっている。それは巨大な氷河だった。
 見方によっちゃ、スキー場にも見えなくはない――試しにリフトを探してみるが、もちろんそんなものは、あるはずもなく……。
「頂上が玉(ぎょく)の神殿。その奥の谷がドラゴンの巣だよ」
「そこにカゴがあるんだね!」
 チビすけ二人の言葉に、俺は上を仰ぐ。その頂上は遥か彼方……雪で見えなかった。
「仕方ない。ここを登るか」 
 氷河の一番はしっこを、覚悟を決めて歩き出す。そんな俺の両脇に、カントとミルがくっ付いてきた。二人とも、俺の手にしっかりつかまっちゃってさ。
 可愛いんだけど、遠足の引率じゃないつーの! 怖いんなら、来なきゃいいのに。
(ミルはカゴの為、カントはミルの為――か)
 女って強いよな……でもって、男ってせつないよなぁ。
 カントの緊張した横顔を見ながら、俺は人知れず感動していた。
 えらいな、カントは――こんなチビなのに、ちゃんと『男』だよ。
「ねぇ、王子さま」
 氷河登りも中腹にさしかかったあたりで、ミルが改めて俺を呼んだ。
 さっきまで、隣の村のばあさんが作ったというお菓子の話を延々と聞かされ、いい加減に聞き流してた俺は、その呼びかけにワンテンポ遅れる。
「んん?」
「なんか――音がしない?」
 耳をすませてみる――しんしんと降る雪の音。風、それから。
――!
「伏せろっ!」
 反射的に二人の頭を押さえつける。最後に伏せた俺の頭上を、大きな何かが通過した。
――途端。
 ゴォォォンッ!
 というものすごい音がして、背後の壁が崩れた。
 俺はとっさに、二人の上に氷のかけらが落ちないように覆いかぶさる。二人とも、その中にすっぽりと収まっちゃってさ。チビで良かったぜ、まったく。
 音が派手な割にたいした怪我もなかったのは、俺達に向けて放たれたのが、大きな雪の固まりだったからだ。
「……にしても」
 俺は、ゆっくりと壁から振り返る。
「雪合戦にしちゃ……度が過ぎないか?」
 その生き物は一見、大きな氷の塊に見えた。でもよく見ると、ちゃんと手足があってーー心臓部に赤いゼリー状のようなもの揺らめいている。
「サムイ……アタタカイ……クレ……」
 寒い、暖かい? 何言ってんだこいつ?
「ネツ、クレ」
 なるほど『寒い』から『暖かい』、『熱、くれ』か。言いたいことは分かったけどさぁ。
「却下!」
 大体、いきなり雪の塊を投げつけるなんて、人に物を頼む態度じゃねぇよ。だろ?
「アタタカイ……オマエ、ノ……クレ」
「わ、近付いてくんなよっ!」
 伸ばされた氷の手――その中で雪が生まれる。その小さな吹雪は、渦を巻きながらどんどんと形成されていく。
 まずい――さっき撃ってきたのはあれか?
「カント! ミル連れて逃げろ!」
「で、でもっ」
「早く!」
 傾斜の下側に陣取られているため、上に向かって逃げるしかない。
 雪の坂を駆け上るのはキツイだろうけど――頑張れ!
 意を決したカントは、大きく頷くとミルの手を引いて走り出す。
「クレェェェネツッ……!」
 氷男の手から、カント達に向かって雪が放たれた。
「させるかっ!」
 だがそれよりも早く俺は長剣を抜くと、直径一メートル程の巨大な雪球を、正面から叩き切る。雪弾は、俺の目前で砕けた。
「グッ……ッ!」
 だが腕には、思っていたよりすごい衝撃が走る。これは雪というより、氷の粒の塊だ。こんなのまともに食らったら、失神間違いなしって感じ。
「ネツ……クレ……ネツ……」
 奴は、表情を変えることなく不気味に近付いてくる。――の、ヤロウ!
「そんなに熱いのが好きならっ」
 俺は、自分の片腕をグッと前に出した。刹那――拳に炎が宿る。
「くれてやるよ!」
 ドウッ!
 鈍い音がして、俺の手から放たれた炎が、奴の心臓部を直撃する。
 炎の魔法に関しては――パザマのときはちょっとかっこ悪かったけど――あれから俺も勉強したんだ。
「グゥ……ッ!」
「ホラッ! もう一発っ!」
 すかさず二度目の攻撃。今度はカンペキに奴の中心を捉える!
「ガァァッ……!」
 地を這うような断末魔を残して、氷男は砕け散る。
 見よ! これぞグランシス仕込みの魔法授業を受けてきた成果だっ!
「まったく――氷のくせに、熱いもん欲しがるからだ」
 足元に転がってきた氷の破片を蹴り飛ばす。まったく、人騒がせな奴俺は、ほっと一息ついた。――ところが。
「ネツ……」
「……アタタ、カイ……」
「クレ……! クレ!」
 不気味な声とともに、あっちからもこっとからも似たような氷男が出現したのである。
 何だ何だなんだー! こいつら、自殺願望者の集団かっ?
 まとめて成仏させてあげたい気もするが、俺の魔法だって無限ではない――っていうか正直、打ち止め! 二発だけかいって感じだけど見た目より疲れンだよ、魔法ってのは。
 でも、そんな理屈が通る相手では、もちろんなく――。
「うう……これはちょっとヤバイ、かな」
 とりあえず退散! そうと決めたら行動は素早い。
 俺は、その氷男集団に背を向けると、カント達を追って坂を駆け登った。
 やっぱりガキの足――俺はすぐに追いつく。
「退治してくれたの?」
 白い息を吐き出して、カントが言った。うーん、それがだなぁ。
「作戦変更。逃げるぞっ」
 ドォォンッ!
 そう言った俺のすぐ横で、巨大な雪球が砕けた。ヤバイ!
「ちっ! もう追ってきたか」
「やだー! 数増えてるよ? 王子!」
 俺の背中越しに、ミルが悲鳴を上げる。
「走るぞ!」
 俺は両脇にカントとミルを抱えて、さらに上を目指して走り出した。
 うをっ! さすがに重いぞ、これは!
 時間を稼いで、少しずつ魔法攻撃を――と考えてたんだが、これでは先に体力が尽きそう……まったく! なんで、俺が日曜日のお父さーんみたいに、ガキ二人抱えて走らなきゃいけないんだよー。
 おまけに氷男達の雪弾は、とどまる事を知らない。腕は痛いし、寒いしー!
 このままでは、氷男達に囲まれるのも時間の問題だ。
(どうしよー! 限界だよ、もう!)
 だが、その心配は突然――杞憂に終わった。
 深追いし過ぎたとばかり、あんなに執拗だった氷男達が、慌てて姿を消していく。
 空気の質が変わった。ピシリという耳鳴りのような音がして。
「なんだ……ここは?」
 その空間にはもう、雪も氷も存在しなかった。
 生き物の気配は皆無なのに、誰かが息をひそめてじっと見ているような――気味の悪い緊迫した空気が流れる。
 俺達が足を踏み入れたのは、さっきカント達が言ってた玉(ぎょく)の神殿だった。
「こーんな山奥に、よくこんな神殿作ったなぁ」
 カントとミルを下ろすと、感心しながら奥へと進む。
 その先に、オブジェのようなものがあった。
 花びらみたいに幾重にも重なったスプーン形の銀皿の上に、大きな大きな球体が浮いている。それがまた、途方もなくでかくてさ――。
 俺達三人は首を限界まで曲げて、ただバカみたいに見上げるしかなかった。
 なんだか蓮の花みたい。
(……ビミョーなセンスだな)
 というのが、俺の素直な感想だ。だがもちろんこれはオブジェなんかではなく。
「世界の玉(ぎょく)だ……」
 隣でカントが、小さくつぶやいた。

                        (後編へつづく)