王子様(代理)にお願い! 第四章(後編)
作:草渡てぃあら





第四章『破滅の王子』(後編)


 かすかな月光を受けて、ファイアルトと俺は国境目指して馬を走らせる。
 さすがって感じの鮮やかさで、見張りの隙を突いたファイアルトは見事、俺を城外へと連れ出してくれた。
 王宮警備隊長であるファイアルトにとっては、そんなに隙があっていいのかという不安もあるみたいだけど……ま、いいよな、この場合。
「この丘を越えれば国境だ。見張り塔にグランシスがいなければ、俺達は国境破りで牢屋に逆戻りだぞ」
「……そんなんで牢屋に帰ったら、キサ、怒るだろうなぁ」
「まったくだ」
 キサの真っ赤に怒った顔を想像して、俺は一人肩をすくめた。
 いつでも逃げられるように、出来るだけ遠くからファイアルトの姿を確認しようと思うんだけど、暗くてよく分からない。
「覚悟を決めて飛び込むか?」
 隣でファイアルトがつぶやく。そのときだった。
「あ! ファイアルト、あれ」
 見張り塔のドアの前には、見覚えのあるシルエット――間違いない。
 グランシスだ。
 俺達はほっと胸をなで下ろす。でも、その隣にもう一人いて――。
「代理だがなんだか知らないけど……!」
 相変わらず、輝くような美しさでフレイラ姫は俺を見上げる。
「私は……あなたが好きだったんだから」
 涙目のまま、キッとにらみつける。就寝中だったのか、軽装に薄いストールを羽織っただけの姫は、それでも十分神々しくてさ。
 城から出てくるだけでも、本当はとても大変なことなのだろう。
 それでもこうして顔を見せに来てくれて、その上"好きだ"とまで言ってくれちゃってさ――もったいないお言葉だよね、実際。
「色々ごめん。でも俺……」
「待ってるなんて言わないんだからっ! 別のいい人見つけて結婚するんだから!」
 俺の弱気なジャブを、姫は相変わらず、強気な発言でばっさりと切り捨ててくれる。
 だから、とフレイラ姫の声がかすれた。
 そして、それ以上の涙を見せまいと、俺の胸に顔をうずめる。
「だから、それまでは……好きでいさせてよね……」
 鼻先に、フレイラ姫の柔らかな髪がかかる。
 俺は、触れるか触れないかぐらいにそっと、フレイラ姫に手をまわした。
 今度会えたら。この人ともし再び会うことができたら。
(そのときはきっと……力一杯、抱きしめるから)
 だから。
 俺は目を閉じる。いつか、俺にキスしてくれたときと同じ香りがした。


 真夜中の闇に、その山は不気味にそびえ立っていた。炎というより、溶岩をイメージさせる赤黒い光が全体を覆っていて――かなり不気味。
 目を凝らすと岩だらけの道が、頂上目指して細々と続いていた。
 ここを登っていったら何とかなるだろう。一本道だから迷子になりようもないし。
「あとは一人で行くよ」
 前を行くファイアルトとグランシスに声をかける。
 ここまでだ。別れのときは、俺が切り出さなくっちゃな。
「しかし」
「大丈夫。心配性だな、グランシスは」
 精一杯の虚勢で笑ってみせる。もちろん、そんな嘘、すぐバレちゃうだろうけどさ。
 ええと、と俺は不器用に切り出す。
「色々……ホント、色々ありがとな。ファイアルト、それからグランシス」
 もう二度と会えない気がしているのは、俺だけじゃないんだと思う。
 それでも、二人は黙って見守っててくれた。
「上手くいえないけど俺、絶対この世界を救うから」
 うつむいたまま、俺はそれだけ言った。
「どうかお気をつけて」
「帰って来い、必ず。お前は王子なんだからな」
 二人の言葉に、俺はゆっくりと顔を上げる。
 そこには俺に"命"を預けてくれるという、二人の親友がいた。
 俺のことをとても心配してくれて、でもそれ以上に信頼してくれた仲間。
「すぐ話つけてくるからさ、城で待ってろよ」
 振り切るようにそう言うと、二人は黙ってうなずいた。
 俺は一人、馬から下りて歩き出す。背中に、暖かい視線を感じながら。
 今はまだ――泣くときじゃない。


 その巨大な岩の扉の前で、俺は足を止めた。俺の一人登山は、すでに山の中腹あたりに差し掛かっている。
 もう一度、目を凝らして見てみる。
 一見、ただの巨大な一枚岩なんだけど、よ―く見ると人工的に細工されててさ。
 ……あやしい。
 あやしいよな? この"いかにもっ"って感じの扉。
 でも、いまいち入り方が分かんなくて――。
 しかし、次の瞬間。
 ゴゴゴゴゴッ。
 扉は大きな音をさせてひとりでに開いた。
「な、なんだここ?」
 中は真っ暗で先も見えず、どんな空間になっているのか見当もつかない。
「ようこそ、というべきか? 待っておったぞ、破滅の王子シセ。いや、桐田志誠」
 暗闇の奥から低い声が響いた。
 か、神様か? 俺、マジで神様と話できんの?
「さすが神様……全部、知ってるんだ」
 俺の返事に、その声は笑った。
 それは、どこかで聞いたことのあるような懐かしい声だった。
 姿は見えない。いや、姿どころか、気配すら伝わらない。
 扉の向こうは依然として真っ暗で、広いのか行き止まりなのかもわからない。
「お願いがあるんだけど、いいかな?」
 仕方ないから、闇に向かってテキトーに話してみる。神様にタメ口っていいのかなぁ? でもなんとなく大したことなさそうな声だし。ここは強気に。
「シード神だっけ? 創造神なんだろ? この世界を救えるよな」
「いかにも……どうとでもなる」
「だったら!」
 どうして滅ぼそうとするんだ? その答えはしかし、俺が聞く前に言われた。
「……くだらない世界ならいらない。また新しいのを作ればいい」
 なるほど。神様らしい意見だ。下らない、ね。
「俺は、この世界を救いに来た。神様なら知ってると思うけど、俺みたいなどうしようもないダメ人間で偽者の王子代理が、王国の為に――大好きな人達を助ける為にこんなに必死になってるのって、やっぱ下らないかな?」
 少しの沈黙が流れた。神様ってこんなとき、何を考えているんだろう?
「いいか、よく聞け! 俺はこの世界を救いたい。その為だったら何でもする覚悟だ!」
 俺はもうちょっとテンションを上げてみる。
 どうだ。聞いたか? 俺のこのセリフを!
 人間の純粋な思いに、心打たれてみろってんだ。
「ひとつ、賭けをしよう」
 それはシード神の提案だった。
「志誠、お前の覚悟を知りたくなった」
 その声を合図に、まるて光が差すように、今まで真っ暗だった空間が姿を現す。
「……な!」
 だがそれは、見えない方が断然良かった景色だった。
 ムッとする熱気。ゴツゴツとした岩が、赤く照らし出される。
 足元の大きな割れ目からは、真っ赤に煮えたぎるマグマが見えた。
 本物のマグマってかなり迫力あるよ――俺は足がすくむような恐怖を感じていた。
「そこに飛び込め」
「はい?」 
 意外な展開に、俺は思わずハイトーンで聞き返す。う、嘘でしょ? 冗談だよね?
 慈悲深き神様が、まさか!
 そんな、ひどいことをっ。
「この世界の為に死ね」
 しかし、はっきりきっぱりと言ってくださった。
 ええと、ですね。
「救いたいという気持ちはあるんですけど。もうちょっと……別の方法は?」
「ない」
 ひえー! こんなとこ飛び込んだら骨どころか、灰だって残らないぞっ。
「偽りの王子よ……そなたには飛び込めまい。だがそれで良いのだ、そなたは間違ってはいない。この世界は、お前にとっての現実ではない。所詮、作り物――フィクションだ。そのために人生の全てを捨てて死ぬことはないだろう? この世界は私の元で、何度でも生まれ変わる。そんなに惜しむことはないのだ」
「滅ぼすのか、この世界を?」
 沈黙が流れた。肯定する気か? コノヤロー。
「今なら元の世界に返してやる。志誠、お前の現実は別の場所にあるだろう?」
 その言葉は、俺の中に甘く浸透していった。俺の、現実?
 そうだ。俺には日本での生活こそが現実なのだ。毎日、学校行って、テキトーに遊んでメールして――懐かしい美砂ちゃんの顔が浮かぶ。
 じゃあ、ここは?
 ここで出会った仲間達は何だったんだ?
 レノマールを失った悲しみ。ファイアルトやグランシスと心が通じ合えた瞬間。
 あの気持ちは。
 俺にとって――何だったんだ?
「……ふざけるなよ」
 低い声で俺はつぶやいた。
 神様だか何だか知らねぇが、バカにすんじゃねぇよ……っ!
「ここで起きたすべては、俺にとって作り物なんかじゃねぇ」
 簡単に捨てられない。ここで育んだ感情の数々。大切な思い。
 あんなに泣いたり笑ったり――そんな感情をすべて作り物なんて言わせない。ファイアルトの暖かい手を、グランシスの優しい微笑を、別世界の人間だからって捨てられるか。
 そうだよ。
 キサやフレイラ王女がくれた涙やカノンちゃんの思いやり。カントやミルの憧れが。
 そのすべてが、俺の中にある。真実として――本物の世界として胸に染み付いてるんだ。
「……そうすることでしか世界が救えないのなら」
 小さな、けれど確かな気持ちで俺は言った。
「俺は死ねるよ」
「まことか?」
 シード神がゆっくりと訊ねる。懐かしい……やっぱりどこかで聞いたことがある。
 俺は姿の見えない、神様に向かって叫んだ。
「できるよっ……偽者だけどできるんだよ! この国の人達が俺を信じてくれたからっ……それで俺は強くなれたから! だから! 俺はこの国を守るために死ねるんだよ!」
 この世界を救えないまま逃げるってことは、ここで強くなった俺自身を作り物にしてしまうことになるんだ。
 見てろよ、シード神とやらっ。
 俺は大きく息を吸い込む。
 そして――勢いよくマグマの中に飛び込んだ。落ちていく。熱い風が耳元でうなる。
「……っ……!」
 轟音がやんだ。耐えられないほどの熱風――それから闇。
 全身にものすごい重圧を感じていた。熱い? ――いや、違う。寒いんだ。
「……後悔はしていないのか?」
 暗闇の中で、神の声が聞こえる。
 耳に残る、その響き。聞き慣れた声。
「あんたはどうなんだよ? こんな風に俺を失うってこと、どう思ってるんだよ」
 俺の言葉に、シード神は沈黙する。
 飛び込んだときには分かっていた。この声の主は――間違いなく。
 夢か現かわからぬまま、俺はもう一度叫んでいた。
「答えろよ、オヤジ!」


 遠くで携帯が鳴っている。
 俺はうっすらと瞳を開けた。
 目の前には、近すぎてピントが合わない草が揺れている。
 ゆっくりと身を起こしてまわりを見渡してみた。
 そして、ここが俺が初めてこの世界に来たときの草原であることに気づく。
 携帯は鳴り続ける。
 オヤジからだった。その内容は聞かなくてもわかる。
 王子は死んだんだ。
「志誠、大丈夫か?」
「ああ……ひどい気分だけど」
 ひょっとしたら王子は今頃、無事に城に帰っているかもしれない。
 でもここにいる俺は、桐田志誠でしかないんだ。
 すべてを知ってしまったから。
 オヤジがこの世界を創った。
 この草や風、城、王国――そしてそこに暮らす人さえも。
 オヤジがどうやって創ったのか、何故俺が来れたのか、そこまでは分からないけど。
 でも、ただひとつ言えることは。
 もう、あの王国に俺のいる場所は存在しないんだ。
「帰るときが来たんだよな」
 オヤジが向こうでうなずくのがわかった。
 分かってる。でも。
 それでも俺は言わずにいられなかった。
 オヤジ、と俺は呼びかける。
「俺、その世界には戻りたくない……ここが好きなんだ。日本の生活なんて俺、悲惨だし」
「王子だって最初は悲惨だったぞ?」
 オヤジはそんな言い方をした。そうだっけ? そうだったよな。
「会わなきゃいけない人がいるんじゃないのか? 志誠」
 美砂ちゃんだ。
 ゆっくりと瞳を閉じる。そうなんだよな。逃げても何も始まらない。分かってるよ。
 現実に戻るときがきたんだ。俺は逃げてきただけなんだから。
 ケリを着けなきゃ、前には進まないもんな。
「分かったよ」
「……あと少しだけ時間をやるから、な」
 そう言って、オヤジは電話を切った。ったく、いつも一方的なんだから。
 明け方の白い月光を受けた柔らかな夜の中、俺は一人歩く。
 ふと振り返って、城のあるあたりを探してみた。
 草原の柔らかな暗闇の中で、俺は城の明かりを見つける。
 遠くて、月よりもずっと小さな明かりだけど。見慣れた明かりだ。
 あの中心部あたりに俺の部屋がある。そして廊下を突っ切ったら中庭があって、その先はグランシスの部屋。その裏手には兵舎があって、ファイアルトの執務室だ。
 大きな風が吹いた。
 草原の草がいっせいに揺れる。
(帰りたい……!)
 突然俺の中に、強い思いが突き上げた。
 それはものすごい衝撃だった。息も出来ないほどの。
 帰りたい、あの暖かな場所へ――。
 帰りたい、帰りたいよ……あの城に戻ってみんなに「ただいま」って笑えたらどんなにいいだろう。
 部屋にはいつものようにカノンちゃんがいて、「お帰りなさいませ」って言うんだ。すぐにファイアルトが入ってきて、そのあとすぐにグランシスもやって来る。キサだっていつもの文句を言いたそうな顔でさ。
 週末には舞踏会。フレイラ姫の相手が大変なんだ。カントやミルも手をつないで遊びに来るだろうな。俺は思わず目を伏せる。
 涙がこぼれた。
「王子……」
 柔らかな声がする。振り返るとレノマールが立っていた。
 出会った頃の優しい笑顔で。
 レノマールは俺に近づくと、静かに手を伸ばす。
 涙で濡れた俺の頬に、そっと触れられる指先。
「シセ王子……本当に立派になられた」
 レノマール、と俺は声を詰まらせながら言った。
「……つらかっただろ? オヤジの命令とはいえ、自分の世界を滅ぼす役なんて……」
「でも、あなたが救ってくれた」
 穏やかな温もりが俺を包む。
「何度、この物語が繰り返されようと、私は」
 繰り返される? 問おうとした俺に、レノマールはゆっくりと首を振って微笑んだ。
「私は決して……あなたを忘れない」
 その言葉はきっと、さよならの変わりなんだろう。
 俺の視界は急速に暗くなっていく。これが、レノマールの最後の仕事か。
 やがてその声すら、微かになっていく。
「お別れです、シセ王子……ありがとう」
 そして、完全な闇が訪れた。