王子様(代理)にお願い! 終章
作:草渡てぃあら





終章『夢の続き』


 やがてカプセルがゆっくりと開いた。
 そこは見慣れた日本の、どこにでもあるビジネスオフィスで――。
 俺の涙で歪んだ視界が、慄然と並んだパソコンを映し出している。
(涙……?)
 覚醒しきれない愚鈍な感覚の中で、俺は自分が泣いていることに気づく。
 頬を伝う涙だけが、俺が王国から持ち帰った唯一の物だったってわけだ。
「ありがとう。素晴らしいデータがとれたよ」
 横から、聞きなれない声が聞こえる。なんつーか、感動に満ちた湿った声だ。
 その声をする方をみると、やたら恰幅のいいおっさんが立っている。
 わけも分からず、ガシッと手を握られた。
「いやぁ、実にいい物語だった……ありがとうっ、志誠君!」
「父ちゃんの会社の南社長さんだ」
 その横には、オヤジがいる。社長?
「新開発のゲームは、普通の王子が成長していく育成型ロールプレイングゲームにしたかったんだ。だが、どうしてもリアルな成長や様々な葛藤を描けなくてね……だが、そこで登場したのが、このカプセルだ」
 まだコスト面で実用化は難しいが、と南社長は自慢げにカプセルを叩く。
「一種の催眠術だと考えてもらえるといいかな。この中で行われるゲームプログラムに志誠君の意識をシンクロさせていく。そしてそのときにとった行動、想いなどのデータをとらせてもらったんだ」
 悪いけど、頭が全然付いていかない。
 ゲームプログラム? シンクロ?
 そっか、この会社はゲーム会社だったのか……きっとたいしたヒット作もないから、俺、オヤジが会社で何やってるかなんて、興味なかったんだよ。
「データを採取するモデルとして、最初から立派な少年では意味がない。己の生き方に劣等感を抱えてて、且つやる気のない若者がいないか――そこで登場したのが」
 南社長は満足げに俺をみつめる。
「志誠君、君だよ」
 むっ……なんかむかつくなぁ。
 だが俺の嫌な顔はまったく無視されて、ご機嫌な社長の話は続いていく。
「志誠君は予想以上の素晴らしさで成長してくれた。その軌跡こそが、このゲームソフトの面白みであり核だったんだよ。いやぁ、実に素晴らしかった! 本当のところ、志誠君から私の期待に沿うようなデータが取れなければ、このソフトの製作は中止と決定していたんだが――開発者である君のオヤジさんには悪いがね」
【お前は創造神も叶わなかった願いを超えて『クラリエンジ・アナーシャ王国』の消滅を救う――最後の光だ。】
 頭の中でオヤジの声が甦る。
(そっか……こういう意味だったんだ……)
 そんなことをぼんやり考えながら俺は一人、目を閉じる。
 王国のことを思い出すと心に痛みが走った。
 王国のみんなのこと考えるのはとても怖かった。つきつけられる真実があるから。
 それでも。
 それでも俺は、次の瞬間に大切な人の名を口に出していた。
「レノマール、は……?」
 言ってすぐ、後悔する。答えは予想がついた。
「志誠君がこのゲームの主人公として本格的に取組みだしたのは、レノマールの死が大きなきっかけになったはずだ。彼はこのゲームのナビゲーターとして設定された。我々が作り出したゲーム内容と、王国をリアルに結ぶため、彼のようなキャラが必要だったからね」
 社長がすらすらと答える。
 これが。これが答えだ。俺があんなに知りたがった真実なんだ。
 俺がクラリエンジ・アナーシャ王国で偽者だったみたいに、彼らはこの世界では偽者――ただのゲームキャラってわけだ。
 ひどく疲れた気分になって、俺は両手に顔をうずめる。
 ゆっくり休んでくれ、と社長は俺の肩をたたいて去っていった。
「全部、夢だったんだな」
 顔をうずめたまま、俺はオヤジにぽつりと言った。
「確かに、志誠にとってはその表現が一番ふさわしいだろうな。だが、目覚めると消えてしまう儚い夢の方じゃない」
 俺はゆっくりと顔を上げる。また……言いたいんだ? このなぞなぞマンは。
 オヤジはやれやれ、と肩をすくめる。
「父ちゃんが、自分のソフト開発中止を避けるためだけに、大事な息子を提供したと?」
 俺は可能な限り、しっかりと首を縦に振る。
「父ちゃんが、己の出世のためだけに、大事な息子を餌にしたと?」
 もう一度、大きくうなずく。他になんの理由があんだよ? なぁ?
 情けないっ、とオヤジは拳をフルフルさせて嘆いた。
「お前がこのカプセルで見た夢は、自分の将来を描く方の『夢』だ。泣きながら、苦しみながら、自分の手で現実を勝ちとって見るほうの『夢』――きちんとしたビジョンがなくてもいい。今の自分が嫌で、もっと思い描いたとおりの自分になりたいという気持ちだって、立派な将来への夢だろ?」
 そして志誠、とオヤジは俺の名を呼んだ。
「お前の夢は、まだ始まったばかりなんじゃないのか?」
 カプセルのカバーが黒く艶やかに光っている。そこには、見慣れた俺の顔が映っていた。
「その顔で、美砂ちゃんに会って来い」
「なっ……! なんで美砂ちゃんのことをっ?」
「ききき……父ちゃんはっ何でもカンデモ知っている〜志誠のメルカノ、可愛い美砂ちゃん〜ある日、おうちにやって来たぁ〜」
「変な歌、勝手につくってんじゃねぇっ――っ!」
 思わず胸倉を掴んで叫んだ俺は、だがその歌の意味に気づく。
 ええっ? オヤジ、今、なんて――。
「美砂ちゃんが……家に、来たって?」
 いかにも、オヤジの顔がにやりと笑う。
「大体、二学期開始の前日に引っ越してくるわけなかろうが? お前がプールに行ってた日に、美砂ちゃんが引越し挨拶も兼ねて訪ねて来たんだよ。二週間ほど前かなぁ」
 なにぃぃぃぃ! 
 じゃあ、俺は二週間も、まったく無意味に悩み続けていたってわけか? 
「なんでいわねぇんだよっ?」
「あのときのお前じゃ、美砂ちゃんを悲しませるだけだったよ……」
 悲しげに首を振るオヤジに、俺は言葉を詰まらせる。
 そうだった。俺はメールで、散々、嘘を並べ立ててたんだっけ。
「劣等感の塊みたいに自分のことが大嫌いで。弱くて暗くて嘘つきで。だからといって何を変えるということもなく、一人でウジウジ悩んでばかりで」
 情け容赦のない言葉が、俺の心に突き刺さる。わかってるよ、そんなこと。
 だから、美砂ちゃんには会いたくないんじゃないかよ。
「だから、このゲームソフトのモデルは志誠じゃないと駄目だったんだ」
 突然、話が元に戻った。驚いて顔を上げる。
 そこには、今まで見たこともないオヤジの顔があった。
「現実が辛過ぎてフィクションに逃げ込む子供達、ゲームへの依存や残酷性の増長――分かったような大人の、そんなゲームへの批判を聞く度に父ちゃん、悔しかったんだ。お前らだって、トムソーヤに冒険を教わり、チャンバラごっこで仲間を学び、鶴の恩返しや人魚姫から、愛や優しさを得たんじゃないのか? たとえ土壌がゲームに変わっても、フィクションの世界で、子供は心を育てるんだよ。人生を学ぶんだよ」
 そのことを、とオヤジは続ける。低く、でもしっかりした声で。
「証明したかったんだ。志誠、お前の行動で」
「……」
「――美砂ちゃんはまだ、お前の嘘には気付いていない。でも大丈夫、今のお前なら夢を叶える力がある。そりゃ、上手くいかないこともあるだろう。ひょっとしたら、また水をぶっかけられるかもしれない。でも、だから面白いんだろ、ゲームも人生も」
 時計を見た。午後六時を少し過ぎたところだ。
 俺がカプセルに入れられてから、まだ八時間しか経っていないなんて――。
(そりゃ、携帯の電池も持つよな)
 ぼんやりとした頭で考える。
 今からでも間に合うかな。新しい学期を、美砂ちゃんと迎えられるかな。
 分からない。分からないけど。
「頑張ってこい! 父ちゃんはお前の味方だ」
 思ってた以上に、暖かく大きな手の感じが伝わった。
 ありがとう、オヤジ――と言おうとして、やめる。
 オヤジかっこいいよ、と言おうとして、またやめる。
「オヤジ……似合わねぇよ」
 最終的に俺が選んだ言葉に、オヤジはガーンと頭を抱えた。
「夜も寝ないで考えたセリフなのにぃ」とおいおいと泣いている――まったく、このオヤジは。
 感謝してないわけじゃないよ。俺は、深いため息をついた。
 頭の中には、あの王国での日々が、まだリアルに残っている。
 真実が明らかになったからって、そのすべてを「たかがゲームだ」とはとても思えない。
 そう――確かに人生はゲームじゃない。作り物の小説でも漫画でもない。
(……でも)
 オヤジの言葉が浮かんでは消える。
 でもそんなフィクションの世界から、本物の自分を見つけることもあるんだ。
 それらは決して、現実の世界に無用なものじゃないんだよな。
 俺は――今からそれを証明する。
 いや、証明しなければならないんだ。あの王国の王子様代理の最後の仕事として――。
(今から駅に向かえば、間に合うかな?)
 ちらりと時計を見て、俺はゆっくりとカプセルから立ち上がった。
 それはあたかも、俺自身の人生の第一歩を踏み出したかのような強い決意で。
 大きく深呼吸する。
 今、俺の人生は輝かしい光にあふれ、天使とかがうじゃうじゃ祝福のラッパでも鳴らしていることだろう。真っ直ぐに伸びた一本道は、どこまでも続いてて。
 ――ま、ただのイメージなんだけどさ。

                             (完)