血脈と誇り(前編)
作:緑





 黒い服を着た人々が次々に焼香していく。
 曾爺様の遺影が有る。
「こんな時でさえ本家の連中が先なんだね」
「しょうがないの。そんな事を言わないで。聞こえるかもしれない」
 翠(みどり)の言葉に、母は辺りを見回してから、声のトーンを落として言った。
 怯えたように恐ろしく小さい声だった。
「……母さんも、本家の連中が怖いの?」
「怖くないと言えば、嘘になるわね。問題でも起こしたらとんでもない事になるもの」
 過剰なまでの翠の母の物言い。
 しかし、これは、事実だ。
 少なくとも、もうこの街では暮らしていけなくなる事は間違いが無い。
 ―この街の全ては本家の者に握られていると言っても過言ではなかった。
 

 故人、翠の爺様は、曾爺様の第4子であった。
 そして、末子である彼は、唯一厳格な曾爺様にこの『御屋敷』から出て行くことを命じられた者でもあった。
 旧家に生きる者にとって、当主の住む『御屋敷』に住むという事は、一つのアイデンティティであり、また、それこそが、自分が本家の者だという証だった。
 翠達一家は、『御屋敷』に住む事が許されないゆえに―血脈は本家筋で有りながらも―分家、いや、それ以下の扱いを受けていた。
 爺様は、婆様の体に翠の父を宿すと、すぐに死を迎えてしまった。
 夢の様な御屋敷暮らしに慣れていた彼に、『外』での暮らしは、気を病ませる物でしかなかった。
 また、同じ道を辿るように、その父も、翠が8歳の時に死んだ。
 爺様も、父も居ない、翠。
 この土地で生まれた頃から育った翠にとって、自分の血は、恥じ、忌む物でしかなかった。
 

 曾爺様の死から、一ヶ月ほど経った頃だろうか。
 本家の者から、翠の母に呼び出しが掛かる。
 この家の財産分与についての、一族の話し合い。
 いや、正確にはそれは正しくない。
 曾爺様の、私有財産の、分与。
 当主である曾爺様は、それと同時にある会社の会長でもあった。
 遺言により、一族の全ての者に、莫大な遺産が分けられる事になる。
 幸いにも裕福な翠の母は、そんなものを欲しては居なかったが、本家の呼び出しに逆らう程の勇気は持ち合わせていなかった。
 

『御屋敷』に辿り付くと、まずは当主―曾爺様に挨拶をする決まりになっている。
 もう既に死んでしまったとはいえ、時期当主が決まっていない今は、誰もが曾爺様の遺影に焼香をするのであった。
 そして、ここでも、その順番が、ある種、身分化されたものとなっていた。
 本家と、そうでない者の違い。
 翠はそれが不服で、しかし同時に、自分の『血』は、例えその全てを体の外へ流してしまっても変えられない物だという事を知っていた。
 12歳の翠に、その事実は重く、特に『御屋敷』の中では、翠は居心地が悪そうだ。
「焼香だけしたら、貴方は外に遊びに行って来なさい」
 母はそんな翠を気遣った。
 翠は言うまでも無くその好意に甘える事にした。
 

 外へ遊びに行く、とはいえ一人で遊ぶのでは面白くないだろう。
 それでも、『御屋敷』に居るよりは随分マシだろうが。
 かと言って、自分を見下している本家の子供達と遊ぶ気にはならないので、翠は『御屋敷』の下働きの者の子供でも捜しに行こうと思った。
 当主の住む館は『御屋敷』の最も奥深くに有り、下働きの者の住む所は、入り口の最も近くに有る。
 かなりの距離ではあるが、どうせ入り口には向かわなければならない。
 当主の屋敷から出て、他の館に続く渡り廊下を歩いていくと、翠は途中の庭園に着物姿の少女が居ることを発見した。
 年の頃は、翠より少し年上の―でも10代には違いない―肩まで伸びた艶やかな印象的な美しい娘だった。
「ねえ。キミはココで働いてる子かな?」
 翠は出来るだけ親しげに話し掛けた。本家の者でもないのに、この血の為に彼女に下手に出られたくは無かった。
「ええ。そうです。分家の方ですか? どのような御用でしょうか?」
 外見に似合った、良く通る声だった。
「うーん。うちは分家でも本家でもないの。今、ちょっと空けられるかな?」
 突然の言葉に面食らったようだが、特に気を悪くした風でもなく少女が答える。
「構いませんが、どのような事で?」
「さっきも言ったように、うちは本家でも、分家でもなくて」
「…………?」
 少女は良く分からない顔をした。翠が何を言いたいのか解らない様子だ。
「居心地悪くて。抜け出してきたんだけど、一人で遊ぶのもつまらないからさ。一緒に遊ばない?」
「私が、ですか?」
「そう」
「他にも本家の方がいらっしゃるのでは?」
「さっきも言ったでしょ? 気まずいんだって」
「はあ……」
 少女は何かを考え込んでから、続けた。
「つかぬ事をお伺いしますが」
「はいはい?」
「本家でも分家でもないような、とは、もしかして四郎様方のお方ですか?」
 四郎とは、翠の爺様の名前だ。
「うん。大して年変わらなく見えるのに、良くそんな昔の事を知ってるね」
 ちょっと含み笑いをして、少女は答えた。
「私もこう見えて、この家に勤めさせて頂いて長いですから」
「? ふーん」
 翠は、相手の少女が顔の割に、実は結構年上なのかもしれないと思った。
「それに、四郎様には、生前随分良くして頂きましたから」
「え? 今何て?」
 翠は、本当は聞こえていたのだが、聞き返した。
 父でさえ、顔を見た事の無い爺様に、この少女が会える筈は無かった。
「いえ。大した事では御座いませんゆえに……」
「そう」
 深く追求する事はしなかった。爺様の子供は、翠の父一人だし、どちらも死んでしまった今となっては、大方この少女も、この二人を勘違いしているに相違ないからだ。
「で、一緒に遊んでくれるのかな?」
「ええ。それは全く構わないのですが」
 少女は心底申し訳無さそうに言った。
「この屋敷の外へ出てしまう事は、許されていないのです」
「それで?」
「この屋敷の中なら、是非お相手させて頂きたいと思います」
「ん……。しょうがないね」
 ちょっと考えてから、翠は頷いた。
 別に屋敷内でも、本家の人間さえ居ないなら構わない。
「ーしかし急にココで遊ぶって言ってもホント何も無いよね。ストイックな所だよ。こんなに広いんだったら、ブランコでも作ればいいのに」
「うふふ」
 少女が軽く笑った。
「……って、言っても、この屋敷の中全部知っているわけではないんだけどね」
「そうですか……」
 複雑な表情になる少女。恐らく本家とのしがらみの事を考えさせてしまったのだろう。
「ま、生まれた時からしょうがない事だって解ってるけどね」
 少女の様子を察した翠は、出来る限り明るい声で話した。
「……あの」
「はい?」
「よろしかったら、ですけど」
「うん」
「……この屋敷を案内させていただきましょうか?」
「うーん? それもいいね」
 翠はすぐに許諾した。
 見ず知らずの少女と何をして遊べばいいのか解らなかったし、『御屋敷』で働くこの少女に、あまり本家の事を悪く思っているとは知られたくなかった。
 それに、翠自身、住む事を許されないこの『御屋敷』の普段見ない場所が気になっていたのだ。
 

「―それでは、あちらへ参りましょうか」
 少女に言われるがままに、まず翠が連れて行かれたのは、下働きの者の住む所でも、翠の知っている所でも無かった。
 今まで、その存在さえも知らなかった、倉、のような所だった。
「ここは宝物庫です。私がここにお連れした事は、本家の方達には、内緒にして下さいね」
「う、うん」
 呆けたように翠が答える。
「さすがにこの屋敷で働いているだけの事は有るね。宝物庫なんて、存在すら知らなかったよ」
「左様ですか」
 少女はあまり興味無さそうに答え、宝物庫の扉を開いた。
 錆びた鉄の、嫌な音がした。
「鍵位かかっていてもいいのにね」
「ふふふ」
 少女が含み笑いする。
 色々と謎が多い娘だった。
 そこで翠は、この少女の名前さえも聞いていなかった事に気が付く。
「ねえ、キミの名前は何ていうの?」
「……」
「名前ね。何て言うの?」
「それは翠さんが、自分で思い出して下さい。ごめんなさい」
「??」
 翠は自分の名前を名乗っていない。
 また、以前にこの少女に会った覚えも無かった。
 もしかすると、四郎の孫で解ったのかも知れないが、下働きの娘が、一族の者全ての名を覚えているとは思えなかった。
「ねえ、キミって―」
「どうぞこちらへ」
 恐らく意図的に、翠の言葉を遮って、少女が宝物庫の中に入るように促した。
 
 













あとがき
 
 こんばんは。緑です。
 短編としては始めて(とは言っても連載も掲載作品は『最後のお楽しみ』のみですが)の作品です。
 今回は思いっきり路線を変えてみました。テーマは、『和』です。
 お気づきの方も居るでしょうが、実は主人公、字は違うけど同じ「みどり」です。
 これ、事実を元にしたものなんです。いつかやりたかったんですけど。
 昨日母と親戚の話してて、書こうかなと思ったんで書きました。
 とは言っても、半分は創作です。私が生まれた時には、既にその街から東京へ出て行っていたし、本家とも絶縁していました。父も生きていますしね(笑)。
 無論遺産もなし(かなしひ)。
 これからは益々フィクション色が強くなりますが、続きもよろしくお願いしますね。