光陰の車
作:玉蟲



※この作品は第24回企画短編「イラスト競作:その2」参加作品です※
以下のイラストを元に書かれました。

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(イラスト提供:玉蟲さん)




 緩く半円を描く柱廊は、何処とも知れぬ深い暗闇の座所へ続いているようだ。
 白を基調とした神殿、陽光も差し込む明るい空間であるはずなのに、だ。明るく清らかな光はまた、後ろに濃い影を残すものだ――そんな風に。
 均等に並ぶ石造りの柱は神を讃える聖句一万が、まるで装飾のように彫られている。しかし、原典の字形に忠実なその聖句は最早滅びた言語、これを読める人間は一握りであると言われている。
 すれ違う神官と礼を交わして通り過ぎる。相手が顔を上げた途端、ちらりと不審そうな表情を見せるのは、何も今日が初めてではない。
 無理もない。白と赤を基調とした法衣は、今すれ違った神官のものよりもずっと丈が短く、動き易いようになっている。その上、神の御座で帯剣しているのだから当然のことだとアリーは思う。
 しかし、この神殿に勤める人間は実際に見たことはなくとも、アリーの様な存在――あらゆる武器を帯びてはならぬと神殿の律文にも謳われているにも関わらず、その例外が認められている人間がいることを知っている。先の神官は此処へ来て日が浅いのかもしれない。アリーにも見覚えのない顔だった。
 やがて一つの扉の前に立って名を告げる。
 入るように促されて、扉を開く。
 ――扉の閉まる音は、錠が落ちる音に聞こえた。


 奥神殿に立ち入る事が許されているのはほんの僅かな人間だけで、アリーも本来ならば正神官や礼拝者と同様に正神殿までしか入れない。
 この神殿は太陽神を奉る神殿で最も古く、太陽神を信仰する者達の聖地と言える。
 広い神殿は礼拝者が自由に祈りを捧げられる正神殿と、神器の鏡が奉られた大神殿、そして世界の誕生を初めとする神代の物語から太陽神の残した言葉をも書き留めた原典――それは古代、神の声を語り、神の耳となったという一人の巫女が記したとされている――が安置されている奥神殿とで構成されている。
 太陽を象徴する円形の神殿は、もし俯瞰するならば美しい三重円が白い紋様のように見えることだろう。
 祭壇の前で古き慣習に則った、複雑で正式な礼を取った男はまだ若い。三十を幾つか越えたくらいの青年だ。
 白と赤を基調にしていることは他の神官と変わらないが、金糸の刺繍の施された幅広の飾り布を右肩から斜めに掛けている。そして右手に持つ金の錫杖は、太陽神殿でも最高位の神官――導師しか持つ事が許されない。
 異例の若さで至高の位に就いた青年は、アリーに視線をやって柔らかく笑んだ。
「急に呼び立てて済まない」
「例外も程々にして下さい」
 そう返すアリーの口調も何処か呆れた響きがあった。
 この青年のやり方と言えば、柔和な笑顔でごまかされがちだが、かなり強引なのだ。
 礼拝者の身辺警護が必要だろうと、神官兵を構成したのもこの青年が言い出したことである。
 提案した当初は猛反発を食らったが、当の礼拝者、巡礼者からの要望が高まると渋々ながらも認めることとなった。結果的に今では無くてはならないものになっている。
 この様な神官兵の存在は太陽神殿にしかなく、今では月神殿や星辰神殿に向かう礼拝者・巡礼者の護衛も請け負っている。その神官兵の先駆とも言えるアリーは、当初から主要な戦力としてかり出されている。
 まだ青年が正神官の位を賜って間もない頃、海沿いの小さな街に巡礼に向かった事があった。
 その場処にあった神殿以外、殆ど形を残さぬ程、壊滅状態にあった街の中に呆然と座り込んでいた唯一人の生存者が、アリーだった。
 津波で水没した街から少年を連れ出し、太陽神殿に保護したが、何が起きたのかを問いただしても答える事なく、名前すら名乗らなかった。
 一週間経っても態度が変わらぬ少年の扱いに困った神官達は、正神官になりたての青年に全部を押しつけたのである。
 当時から年輩の神官達に煙たがられていた彼は、内心やれやれと思いながらも完璧な笑顔で承諾した。
「私の名前はシャアーディースと言う。大概はシアードと呼ばれるけどね」
 青年――シアードの名乗りにも、少年は無反応だったが、彼は気にしなかった。
「名前がないと不便だね。そうだな……アリキーノにしよう」
 勝手に話を進めるシアードに、少年は不審そうな表情を浮かべた。
 その小さな反応に手ごたえを感じながら、続ける。
「話したくないならば黙っていると良い」
「……」
 少年は黙ったままだったが、戸惑っているのは確かだろう。今までは話せと強要されていたのでは無理もない。
「原因を知ったところで何が出来るわけでもなし。寄進が少々減っただけのことだ。気にすることはない」
 シアードの言を少年が理解しているのかは疑問だが、先ずはこれでいい。子供を手なづけるにはこちらの懐が広いことを示すのが大切だ。
「自然は人間の力でどうこう出来るものではないからね」
「……違う」
「何?」
 シアードが問い返したが、少年は言葉を続ける事はなかった。
 ただ、口を堅く引き結んで、出会った時からずっと手放さない剣を抱き込んだ。一目で古い物と分かる代物で、柄に巻かれた色鮮やかな組紐が目を引いた。
 赤い鳥が羽ばたく瞬間を捉えた意匠のそれは、この少年の身元となりそうだなとぼんやりと思ったことを覚えている。
 アリーは必要以上のことは話さなかったが、読み書きを覚えること、剣術を習うことには興味を持った。
 というよりはそれなりに手ほどきを受けていた形跡があったのだ。その全ては父親から為されていたようである。物覚えが良く、筋もあると、剣術の師を引き受けたカーナートも嬉しそうにしていた。
 カーナートは元々武人の家系だったが、俗世に馴染めずに太陽神殿に入った人物である。穏やかな性格で、争いごとには向かないが、幼い頃の習慣が抜けきれずに今でも鍛錬を欠かさない。彼くらいしか任せられそうになかったので、シアードが是非にと頼み込んだのだ。
 そのカーナートが言うには、恐らくアリーはそれなりの家名がある、武人の子であろうとのことだった。
「あの剣も、かなりの業物ですよ。恐らくは何百年と受け継がれてきた品でしょうね」
 それに、とカーナートは続ける。
「剣の柄に巻いてあった飾り紐ですが、あれは綬ですね」
「綬?」
「はい。王家に仕える諸官皆が身につけている飾りのことです。綬は官位を表す、と聞きます」
 色や組み方、意匠によって、その官吏が文官であるか武官であるか、どの官位の者なのかを示すものであるらしい。
「王家に仕えるだけのお家に生まれたんでしょう。……気の毒ですね。アリーならさぞかし立派な武官になれたでしょうに」
 と、我が事の様に残念がるのを見て、余程見込みがあるのだろうと思ったものだ。
 そんな折にシアードは遠方の太陽神殿へ行くように命じられた。新しく建てられた神殿だが、元々太陽信仰が浸透していない土地故に、打ち捨てられた形になっている場所だった。そこに信仰の根の根を広げよ――つまり、忌憚なく言えばその土地を手懐けろ、という命をシアードに下したわけだ。その旅に、アリーだけを連れて行く事にした。
 当然の事ながら、無防備だ、神殿の面子に関わる等、反論が上がったが、その全てを鉄面皮の笑顔で封じ込めた。曰く、『大勢を供にするより一人の方が太陽神の加護の存在を信じさせやすい。この子の腕は私が保証する、失敗した所で私の命が無くなるだけ。それに何か問題はあるのでしょうか?』
 ぐうの音も出ないとはこういう事か、と同席していたアリーはしみじみと思ったものである。同時に、この見た目だけ柔和な男の真意も量りかねた。剣の腕では、その辺の破落戸に劣らない自信はあったが、こんな事をさせる意味が分からなかったのだ。
 結果、シアードの予想通りに事は進み、青年は正神官から左神官へと位を進め、正式に神官兵制度を定めた――
 それが、四年前のこと。
 まだ子どもの頃の柔らかさは残っているものの、時は確実に少年を成長させた。
「アリー、君に頼みたいことがある」
 急に改まった様子で切り出したシアードを、銀髪の少年は首を傾げて見やった。
「君に蘇りの巫女の護衛を任せたい」
 少年は表情を変えない。ただその淡青色の瞳を僅かに細めた。
「但し非公式の申し出だから」
「シアードの言うことって大概、『非公式』だろ」
 青年の言を遮って、アリーは笑った。
「しかと承りました」
 冗談めかしてそう答える。一礼すると踵を返してその部屋を辞した。


 蘇りの巫女とはその名の通り、全てのものに蘇りをもたらすと言われている。
 彼女によって救われた街は百とも千とも言われ、神と同一視する声も高い。
 太陽神が、人の身でありながら自らの声を聴き、自らの言葉を語れると、とりわけ愛した巫女の末裔――それが蘇りの巫女だそうだ。
 十七年に一度代替わりを行うのも、夭逝した巫女に倣うものだと聞いたことがある。
 その巫女が所望した行き先は水没した海辺の街――かつての少年の故郷だった。
 随行の者は巫女を除いて僅か三人。皆四十を越えた女達だった。
 女達は白と青を基調とした法衣に身を包んでいる。かつては真っ白であったろうそれは年月とともに黄味を帯び、それがそのまま彼女達の信仰の長さ、深さを表していた。
 その女達の中で頭格の女僧はアウラと名乗った。
「こちらが巫女リージャイーラで御座います」
 アウラは言って、青い衣の少女を手で示した。
 少女は優雅とも言える仕草で礼を取ると、にこりと笑った。
 すると、それまでの近寄り難い空気が薄れて妙に幼い、年相応の表情になった。
 法衣の染めはやや退色したような矢車草の色。同色の布には神の加護を願う聖句と、魔除けを意味する『眼』の意匠が刺繍されていた。それを頭から全体を被い隠すように被っている。少女が身動きする度に豊かな蜜色の髪が揺れる。それが好対照となって人の目を惹いた。
 優しげな面立ちの少女――リージャイーラには似合いの色だった。
「アル・キルイースです。もっとも、アリキーノと呼ばれることが多いですが」
 俗世を捨て神の庭に籍を置くと、導師から名を貰うのが普通だ。しかしシアードに拾われた時点で名を与えられたアリーはその限りではない。
 ただ彼の名は信徒に付けるには余りにも不遜故、二つ目の名を貰うことになったのだ。しかし、アリー本人にも彼の周囲にも新しい名前は定着せず『不遜な』名ばかりを名乗っている。
 案の定そう付け足すと、アウラが得心した様に相槌を打った。
「存じておりますわ」
 彼女は少女の様に微笑み、歌うように続ける。
「導師シアード殿には魔神が憑いている」
 まるで、吟遊詩人の語る一節の様だ。陰ながらそう言われているらしいことは知っていたが、実際に聞いたのは初めてだった。
「憑きたくて憑いてるわけじゃないですけど……」
 アリーは本心でそう言ったのだが、この発言は一同の笑いを誘った。
「でもこんなにお若いとは思いませんでしたわ」
「……実は千年生きてるかもしれません」
 肩をすくめて言った科白にまたしても笑い声が上がる。
 アリキーノとは、太陽神が平らげた七十二の悪魔の一人の名。のちに護法神として神の眷属――魔神となった。
 公平だが残忍な性格で、護法神たる前は自らに翻意あるものは決して許さず、これに背けば惨たらしい死しか残らない。神の眷属となってからも、太陽神に背くもの、原典・教典を外れるものを容赦なく罰する存在として、殊に畏れられている。
 シアードの側で護衛を続けている間に、その護法神になぞらえられてしまったのだ。年に見合わぬ剣の冴え、銀の髪と小麦の肌という珍しい外見が、その噂を加速度的に広めていった。
 シアードは平然と、言わせておきなさいと笑ったが、このことが神官兵制度に一役買ったことは言うまでもない。むしろそれを見越しての命名なのではないかと疑っている。
「それで、滅びた街に何の用で?」
 この時期、雨期を迎える前に、と巡礼に出る者は少なくない。高名な蘇りの巫女ならばそれも当然、何も隠すことはないと思うのだが。
 問うと、女達の空気が変わった。
 アウラが声を低めて告げる。
「代継の儀式の為です」
「……?」
「リージャイーラはこの儀式を最後に巫女の位を下られるのです」
 青い衣の少女は、紫紺の目を細めて笑った。
 その儚げな微笑みは、溶けて消えそうな色をしていた。


 例え神の信徒だからと雖も、全ての危険から避けられるものではない。
 それが、女ばかりの旅では尚更である。人数が少ないせいもあるだろうが、ことあるごとに狙われるので流石に辟易する。
 ずらりと並んだ剣の切っ先が、こちらに突きつけられているのを少年は冷静に眺める。
 相手――野盗は相当な場数を踏んでいるだろうが、アリーも負けてはいないだろう。幼い頃から振るってきた剣は既に腕の一部とも言えたし、足裁きやとっさの判断は考えるより先に身体が反応する。
 少年の泰然自若とした態度に怯みつつも頭の男が顎で示す。
 それを見て取った少年は素早く剣を鞘から引き抜き、抜き放ちざまに手近な一人に一太刀くれてやった。
 血飛沫と悲鳴とが闇の中で鮮明に散った。
「何だ、この餓鬼!?」
「相手はひとりだろうが!!」
 忽ち怒号と鞘走りの音に支配され、静寂が斬り裂かれる。
 少年一人に対し、相手は十を越える。魔神と囁かれている程の腕でも、多勢に無勢なのは明らかである。
 巫女とアウラ達女僧には、戦闘が始まると同時に逃げるように言い含めてある。都度落ち合う場所を決め、そこで合流する手筈になっているのだ。
 気合いを発し、斬りかかって来た男の足を、かわしざまに払う。すっ転んだ男の鳩尾に蹴りを加えて気絶させた。
 鮮やかな手並みで二人目を片付けたところで、この場を逃げ出す為の突破口を探る。
 別に野盗を全滅させるのが目的ではない。巫女達が逃げるだけの時間が稼げれば良い。
 こういう時、自分の外見が有利になることを――癪ではあるが――良く知っている。
 例えば彼の剣術の師であるカーナートは、がっしりとした身体つきをしている。そのカーナートが野盗五人を倒したとすれば、人は驚きつつも納得するだろう。しかし同じ事を線の細い、少女めいた容貌の少年がするとは思っていない。油断は禁物だと相手も分かってはいるのだろうが、見た目だけで侮ってかかる連中の、なんと多いことか。
 現に今も屈強な男二人が、あっさり沈められた事で動揺している。少しは慎重になったのか、じりじりと間合いを取りながら攻撃を繰り出す隙を狙っている。
 しびれを切らして飛び出して来た男と一合、二合と剣を交え、一歩退いた男を追撃する形で剣を一閃。男は仰け反って避けたが、体勢を崩したところに少年の蹴りが入って呻く。更に首に手刀を加えて三人目を片付けた。
 すぐさま別の男が斬りかかり、勢いを殺すようにして受け流す。男の太刀筋そのものは粗いが、一撃一撃が重く、力負けするのは体格差から言っても仕方のないことだ。
 振り下ろされた剣を、空いた左手も使って受け止め押し返す。
 大きく空いた胴に剣の柄で突きを入れて、これで四人目である。
 わあっと声が上がったから、その男はかなりの手練れだったのかもしれない。どう、と倒れた男を跨ぎ越し、怯んだ男達の手を打ち据えて剣を落とす。そのまま囲みを抜けようとした所で、お頭、と呼ぶ声が聞こえた。
「どうした!?」
「女がいやすぜ!」
「何!?」
 その会話を聞いて、少年は小さく舌打ちした。戦力を分散させていたらしい。
 男達に腕を引っ張られ、姿を現したのは青い衣の少女だ。相変わらす布を目深に被っているものの、長い蜜色の髪は闇夜でも目立つ。アウラ達も男三人に囲まれていた。アウラと目が合って、申し訳なさそうな表情を捉えた。
「へぇ、尼さんか。……小僧の連れか?」
 今更ながら、少年の服装が普通の旅人のそれではない事に気付いたらしい。白は神職の色だ。どの神を信仰していても、神職にある者は必ず白い法衣を纏うことになっている。
 蘇りの巫女だけが、青い衣を纏う。青は空の色、海の色、そしてこの世の色――ひいては神の色だ。それが許されるのは、彼女を於いて他にない。
「お前らに関係ない」
 吐き捨てるようにアリーが言って、頭領の男が笑う。
「その言い種はないだろうよ。まぁ良い、この巫女さんは上玉だ」
 俯いていたリージャイーラの顎を掴み、上向かせる。間近に少女の顔を覗き込んで検分する間も、少女は平然としていた。
 その落ち着きぶりに、アリーの方が戸惑う程だ。たおやかな外見だが、意外に気丈な質らしい。
「尼さんを置いていくってんなら見逃してやろう」
「……下衆が」
 ぽつりと漏らされた呟きは、少年ではなかった。一瞬、誰がそれを言ったのか分からなかったが、少女がぱっと男の手を振り払ったのを見て、先程の言葉が少女の口から漏れたことが知れた。
「お前如きが触れて良いとでも思っているのか? 思い上がりも甚だしい」
 少女の朱唇から漏れるのは、澄んだ鈴の音の如き玲瓏な声。しかし、その内容は恐ろしく高慢なものだった。
 呆気に取られる男達を尻目に、少女は笑った。アリーが初めに見た、消えて無くなりそうな類ではない。にやりという形容詞がぴたりと当てはまる、人の悪い笑みだ。
「蘇りの巫女を傷つける?」
 リージャイーラはくすりと声をもらす。そして不意に、優雅とも言える雰囲気を鋭い刃の様な、凛とした緊張感に変えて言い放つ。
「その意味を知らぬ癖に」
 それに気圧されて誰もが動きを止める。アリーですら、反応できなかった。
 皆が彫像のように固まっている中をリージャイーラは悠然とした足取りで進む。
 危険など無いと確信している――危険かもしれないという可能性すら否定する様なその姿は、何か他の別次元の存在に見えた。時には縄張り争いから同じ荒くれ男達と剣を交えてきた彼らが、ほっそりとした体躯の巫女が近寄ると剣を引き、道を譲る。
 此処に居るのは単なる小娘ではない。神と同一視される、太陽神の愛し子――蘇りの巫女。改めてその事を知ったかの様に。
 全員の視線を集めた少女はにこりと笑った。
「道を空けなさい」
 柔和ながら迫力のある笑顔で命を下すと、敵わないと思ったか頭の男が舌打ちと供に退却の合図を送った。それをきっかけに男たちは弾かれた様に動き出し、そのまま走り去った。
 解放されたアウラ達は巫女に駆け寄り、深々と頭を下げた。
「申し訳御座いません。わたくしの落ち度ですわ」
「良いの。皆無事だったのだから」
 そう言って労る姿は普通の少女の表情で、浮き世離れした感は相変わらずだが、先ほどの威厳――と言うよりは威圧に近いだろうか――は微塵も感じられなかった。
 しかし、一つ確信したのは、外見は儚げで折れそうな少女だが、中身はシアード以上の曲者かもしれないということだ。
 アリーは深いため息を漏らして呻いた。
「最初からああしてれば良かったのに……」
 それを聞きつけたリージャイーラは少年を見、唇に指を当てた。
「切り札というのは、そう簡単に切るものではない」
「……」
「そうでしょう?」
 最早否定する要素すら無く、アリーは天を仰いだ。
 何だってこんな最終兵器みたいな女を巫女などに据えたのか。
 ……ある意味ではとても適当な人選なのかもしれない。


 時折、物盗り目当ての襲撃があったものの、概ね平穏な旅路だった。
 昔、通ったであろう街道を歩いていても、故郷へ帰るのだという感慨はあまり無かった。
 幼い頃の記憶は曖昧で、真っ先に浮かぶのは青い海が金色に染まる、穏やかで美しい様。次いで、海の嘆きと風の鳴き声、雨の怒り――恐らく、これが故郷の風景なのだと思う。
 太陽神殿に来てからの記憶が鮮明で、過去は脳のどこか隅の方に追いやられてしまっている。覚えていたはずの両親の顔すらぼんやりと靄がかかっている様だ。
 地が出たリージャイーラ――長いのでリージャで良いと笑った――は当初とは違って良く笑い、喋った。しかし、人と対等に接した機会が少なかった少女は歯に物着せぬ言い方をする。それが原因で小さな諍いに発展することも増えた。
 最初はその功績や名前に遠慮があったアリーだが、いつの間にか無くなって、言葉遣いも粗くなった。
 元々堅苦しいのは苦手だし、少女は少女でそんなアリーの態度に寛容だった――寧ろ、新鮮な驚きがあっただけで面白がっている節があった。
 慌てているのはリージャに付いてきた女僧二人で、少年少女の言い争いを聞いて卒倒しそうな顔をしていた。
 アウラだけは穏やかに微笑んで見守り、二人の言葉がある程度尽きると宥めて収める。その余裕のある態度に、年若い二人は舌をまく思いで押し黙るのだった。
「代継の儀式って何をするんだ?」
 目的地までは後数日、と言うところでアリーはリージャにそう問うた。
 少女はいつも被っている青い布を取り払っているので、その豊かな蜜色の髪が露わになっている。
「そのままの意味だけど。次の巫女に私の役目を引き継いでもらう儀式」
「……滅びた街で?」
 重ねて問うと、リージャは瞼を僅か伏せた。
「……代継の儀式は、大がかりな鎮めの儀式の様なものよ。だから、滅びた街とは限らない。戦場で行った巫女もいるわ」
 彷徨える魂を神の庭へ導く役目を持つ彼女たちは、不浄な場所を清める力を持つ。どうしてかは分からないが、彼女たちが鎮めていった場所は後に聖域となることが多かった。
 アリーは目を逸らした少女を見つめて、試す様に言葉を接いだ。
「リージャの目的地は……――俺の故郷だった」
「……」
「蘇りの巫女が鎮めの儀式をしいてれば、滅びなかった」
 努めて、冷静に告げた。
 今更、街が無くなったことで報復しようとは思わないが、澱のようなものが、ずっと胸を塞いでいるのは確かだ。
 この目の前の巫女がしたことではないと分かっていても、事実を突きつけたかった。どう思っているのか、――そして何故見殺しにしたのか、その理由を。
「……それで?」
 少女はアリーに視線を遣る。鋭く、斬りつけるような強い眼で。
「理由を聞けば納得するの? 巫女に責任を転嫁して?」
 返ってきた答えには刺が含まれていた。
「そんなこと言ってないだろ」
「言ったも同然よ」
 そう吐き捨てるように呟いて、視線を逸らす。
「『巫女がいたら』? 残念だけど巫女が何でも出来る訳じゃない。どうしようも無いことは幾らでもある。結局は無力だってことを知りたくなくて何かのせいにしてるのよ」
「でも、それがお前の役目だろ?」
 棘のある少女の口調につられた形で、アリーの言葉にも皮肉めいたものが混ざった。
「分かってるわよ」
 断固とした口調で、そう答えた。その眼の強さに、腹が立つよりも驚きが勝った。
「……分かってる」
 もう一度呟く少女の目が潤む。涙を堪える為にか瞬きを繰り返す。
 少女は立ち上がると痛たまれなくなったようにその場から逃げ出してしまった。
「……余り、巫女をお責めなさいますな」
 そっと声を掛けてきたのはアウラで、さっきのやり取りを見られていたかと、アリーはややばつの悪い表情になった。
「……別に泣かすつもりは無かった」
 言うつもりの無かった言い訳が、口を衝いて出た。
 幼い頃から巫女を見守り続けたアウラは、母親のような存在で、もし少年の母親が生きていたとしたら、恐らくは今のように窘められるのではないかと思うのだ。
「……貴方の故郷は災難でしたね」
「……俺の処だけじゃない」
 言ってアウラから視線を外した。
「きっと巫女が救う数よりも滅びるほうが多いだろう」
「確かに」
 アウラは頷き、だが確固たる口調で続けた。
「ですが、巫女は必ずお救い下さいます。街も、貴方も」
「俺は、別に」
 救われたいわけじゃない、そう否定しようとしたがアウラは首を振った。
「いいえ、お救い下さいます」
「……酷いこと言ったのに?」
「自覚がおありなら、すべきことはお分かりでしょう?」
 ふわりと笑ってから、心配気な顔をした。
「……あの方はいつも独りでしたわ。こんなに楽しそうにしているあの方は初めてです」
 アリーの返事を待たずに、アウラは立ち上がった。
「わたくしは女僧とお話して参りますわね」
 と言い、本当に立ち去ってしまった。
 アリーは息を吐きながら頭を掻いた。これでは仲直りしろと暗に言われたようなものだ。
 しかし、自分に非があるのは明らかなので、気が重いが仕方ない、と少女の姿を探した。
 焚き火から少し離れた所でリージャは海を眺めていた。
 風に煽られた青い衣がはためく。海は少し荒れているのか、規則的な波の音が大きく聞こえた。
 少し迷った後、側に寄った。少年が近づいたことに気付いただろうが、リージャは海に目を向けたままだった。
「……本当は、八つ当たり」
 しばらくの沈黙の後、リージャが呟いた。謝るにしても、そのきっかけが掴めなかったアリーは首を傾げた。
 少女の視線は海に向けられたまま、横顔だけで笑った。自嘲の色が混ざる、痛々しい顔で。
「すべきことが、出来なかった……本当のことを言われて、腹立たしかったの」
「いや……別に、俺の街はリージャがやったわけじゃないし」
 同い年の巫女に出来るわけがない。先代の時代だっただろうから。
 出鼻を挫かれた形のアリーはそんなことを言った。
 この少女のことだから。威勢良く反論するか無視を決め込むか、くらいの事は覚悟していたのに、いきなりしおらしくなられると、余計に此方が悪かったような気がする。
「だから、俺も言い過ぎた。悪かった」
 早口になってしまったが、そう言うと、何となく肩の荷が下りた気がした。
 ぱっと此方を振り向き、驚いたような表情をしていたリージャが、やがてくすくすと笑い声を上げた。
「アリーって律儀だよね」
「……うるさいな」
 憮然と言った少年の顔が面白かったらしい。笑い声が止む気配はない。止めたところで聞きそうにもなかったので、そのままにしておいた。
 やがて落ち着いたのか沈黙が訪れた。
「……もうすぐ、この旅も終わる」
 リージャが呟く。それを聞いて、アリーは初めてそれを知ったかのようにどきりとした。
 寂しいような切ないような、複雑な思いが胸中に渦を巻く。目の前の海に呼応するように。
 これまでの旅路は長いようで、短かった。何故か少女の傍には長い時間の流れが在って、自分自身もその中に組み込まれていた――そう、自覚することも無い儘に。
 それなら、いっそのこと、自覚しないままでいた方が、良かったかもしれない――
「最後にアリーと会えて良かったと思ってる」
「じゃあ巫女、続けたら?」
 何気なくそう返すと、リージャが再び目を瞠る。その濃い青は、荒れた海に似ていた。複雑な、様々な思いが少女の瞳に宿っては溶けていくのを、長い間眺めていたような気がした。
「……それは、無理。出来たら良いんだけどね……」
「……そっか」
 海を眺める。荒れていたと思ったが、今は凪いでいる。
 それでも、酷い海鳴りで耳を閉ざされているように、アリーには思えた。


 ――嵐になった。
 旅の間は殆ど好天候続きだったのが、そのつけが一気に巡ってきたかのように崩れた。
 同じだ、と思った。全てを失ってしまった時と同じ嵐。アリーの記憶の殆どを占める故郷の景色そのままに。
 視界が悪い中を、リージャは迷いもなく進んでいく。雨水を吸って濃い青に変じた衣装は重く、まとわりついて歩を進めるのにも一苦労のはずなのだが、そんなものを一切感じさせなかった。
 一瞬にして遺跡のようになってしまった街に、懐かしさを感じさせるものは無かった。
 ただ少女が向かっている方向には神殿らしき柱が数本見える。それが唯一、記憶の中と一致していて、此処が生まれた場所なのだと確信させるものだった。
 本殿は高台にあり、津波の被害は受けなかったが人が訪れることもなかった為、まだ原型を留めている。その分朽ちた有り様が一目瞭然だった。下に広がる街は、最早古代の遺跡のようだ。
 神殿の構成は概ね簡略化されていて、本殿の奥を抜けると階が設けられ、その先には祭壇がある。とは言え、人が数人いれば手狭になるくらいの広さで、四隅に柱が立っているだけだ。お世辞にも祭壇とは言えない、ただの空間である。
 遠くからは眺めたことのあるその場所へ、彼らは向かおうとしていた。階の元で一行は立ち止まる。
 見上げれば鉛の空、階はその空へと続いているように見えた。
「巫女、代継を」
 アウラが神妙な面持ちで言葉を発し、女僧二人と供にその場に膝をつき礼を取った。
 その礼の形を見て、少年は違和感を覚えた。
 彼女らが取ったのは死者に対する、葬送の礼――
 アリーには不可解に思えたが、よく考えてみれば鎮めの儀式のようなもの、と言っていたから、この礼はこの地に留まった死者に対してのものなのかもしれない。
 リージャは一つ頷くと階に向き直り、一歩一歩確かめるように登り始めた。
 それにアウラ達も続く。
 アリーはいわば部外者なので、待つべきだろうと思ったが、アウラに視線で促されて、戸惑いながらも後に続いた。
 相変わらず、風も雨も強かったが、リージャの足取りは揺らぐことがなかった。
 長い階を登り終えると眼下に広がるのは荒れた鉛の海。白い波が岩場に弾けて、広げた手のひらのようだった。まるで手招きをするように黒い岩に覆い被さり、消える。何か計り知れない意志がそこにあって、彼らを呑み込もうとするかの様に。
 祭壇の端まで進み出でたリージャは、海に向かって最高礼で以て頭を垂れる。
 優雅で舞のようなその型は、シアードがするよりも緩やかで、別のものを見ているようだった。
 リージャの背中を見つめていると、少女が礼を解き、立ち上がる。被っていた青い衣をずらして髪を露わにする。
 少しだけこちらを向いて、視線が合う。
「!」
 その表情を見て、アリーは背中に戦慄が走った。
 少年が声をかけるよりも早く、少女は祭壇から、宙に身を踊らせた。
「――リージャっ!!」
 最後に振り返った時の笑顔――最初に出会った時の、溶けて消えそうな。
 名を呼んで駆け寄ろうとして、アウラに阻まれた。
「アウラ!! 何で――」
「これが、代継の儀式ですわ!!」
 小柄な女僧は、これまで発したこともない強い声で、アリーの言を封じた。叱りつけるような調子だったが、アウラは泣いていた。
 誰よりもリージャを長く慈しんで来たのは、彼女なのだ――
「……これが? 巫女を死なせて、それで……」
 呆然と呟いた声は、他人のものを聞いているようだった。アウラはアリーの問いにもならない言葉に、無言で答えた。
「……迷っておられましたわ」
 誰が、とは言わなかったが、それがリージャを指すのは間違いなかった。
「じゃあ!」
「しかしあの方は街を、貴方を、救うことを望みました」
 私は、私の罪を償いたいと思う、それは別にアリーとか街の人たちの為とかじゃない――リージャは、アウラに向かってはっきりとそう言った。
『実は、私が救われたいのかもしれない。私の命一つで全部の罪が精算出来るなんて、思ってもないけど……』
 それでも、とリージャは続けた。
『私が出来ることって、これしかないもの――』
 だから、儀式をする、と静かに告げた。一つだけしか残されていない選択肢を、リージャはむしろ誇らしげに選んだ。覚悟を決めたリージャは巫女の顔をしていて、本来の寂しがり屋で強がりの少女の面影は、何処にも見あたらなかった。
 その顔を見たアウラには、とても引き留めることなど出来なかった。例え引き留めたとしても、それを是とする少女ではない。それを知っているだけに、アウラは頷くより他、なかった。
「たしかに巫女は多くを救える。ですが、その代償が巫女自身の命と知って、どうしてそれが受け入れられましょう……?」
 しかし、蘇りの巫女たちはそれを受け入れてきた。命を賭して死者を慰め、人に街に蘇りをもたらして来た。
 それは、気高い行為と言えるだろう。しかし、アウラにとっては。
「……残酷ですわ」
 それだけを言って、後はすすり泣く声に消された。アリーは打ち拉がれたその背を撫でてやりながら、辺りが白んでゆくのを感じた。
 いつの間にか嵐は去り、穏やかな海を金色の陽光が染め上げてゆく。まるで、祝福するような神々しいとも言える景色だが、今はそれが憎らしく、口惜しい。
 不意にアウラが動き祭壇の端に寄る。思わず手を引いたアリーだが、アウラが大丈夫だというようにやんわりと微笑み、少年の手を振り解いた。
 アウラはしゃがみ込み、何かを抱え上げた。振り向いた彼女の腕に抱かれていたのは、青い布にくるまれた何か。アリーの側に戻ってきたアウラの腕を覗き込むと、そこには安らかな寝息を立てる赤子が収まっていた。
「……この子は?」
「巫女ですわ」
「……え?」
 アウラの返答の、意味が分からずアリーは声を上げた。アウラは赤子を見つめながら、また涙を流した。
「この子が次の巫女になる……。こうして、蘇りの巫女は存在し続けるのですわ」
 これは、気高い巫女の行為に対する神の慈悲なのだろうか。それとも、犠牲の上に生きゆく人に対する神の罰なのだろうか。
 いずれにしてもそれは――
「奇跡ですわ」
 人には為し得ないことが出来る巫女。いつでも人の世の為だけに在り続ける――だから人は敬意を込めて呼ぶのだ。生と死の連鎖を繰り返す彼女を、蘇りの巫女と。
 アウラはまだ涙の残る目を眩しそうに細めて笑った。
「わたくしも行かなくては」
 赤子の頬をそっと撫でてから、アリーに手渡した。
 無論、赤子など触れるどころか見たこともあまりない少年に、赤子の抱き方など分かるわけがない。アウラの介添えで、なんとか腕に収まった子どもは、抱き手が変わったことを敏感に感じ取ったらしく、ぱちりと目を開いた。その濃い青の目は、リージャと同じ色をしていた。
 アリーは一瞬泣くかと思ったが、ぱっと陽が差したような笑顔になって、その小さな手を伸ばしてきた。
 思わず握り返そうとして、その小ささに戸惑う少年を優しく見守っていたアウラは、不意に海に視線を向けた。
「わたくしの心残りもようやく消えましたわ」
「アウラ?」
 どうしたのか、という問いに独り言のような言葉が返ってきた。
「この街に」
 言葉を切って、彼女は少年をひたと見つめた。
「ひとりで取り残された子どもが、気がかりでしたの。
 ……でももう、大丈夫ですわよね?」
 そう言って、アリーを振り返り微笑んだアウラの顔が、薄く透けていく。手で触れようとしたら、霧のように消え失せてしまった。
 いつの間にか付き従っていた女僧の影も無くなり、少年と赤子だけが取り残された。
 アリーはしばらく、何が起きたのか、起きていたとしたらそれは、本当に現実の事だったのだろうか、とぼんやりと考えながら景色を眺めていた。しかし、この腕の中の小さな存在が、全ての答えだという気がした。
 少年は階を降り始める。
 何となくもう一度振り返ると、曙光の中青い衣を翻す、凛とした面差しの巫女の姿を、見た気がした。


「……子供の成長というのは大人の想像以上に早いんだな」
 アリーの連れて帰ってきた赤子を見ての、シアードの第一声がそれだった。
「は?」
 思わず問い返したアリーだが、除々にその意味を悟ると慌てて首を振った。
「違う、別に俺の子じゃない」
 アリーは真剣だったのだが、シアードはそんな少年に向かって軽く吹き出した。
「当たり前だろう。そんなのは見ていれば分かる」
 シアードにからかわれて憮然とするアリーの腕の中で、赤子までもが声を上げて笑った。何だか莫迦にされたようで癪だったが、無垢な笑顔は無条件で可愛かったので良しとする。
 シアードは驚いたように数度瞬いてから、少年の顔を覗き込んだ。
「このまま巫女の親にでもなるか?」
「え?」
「そうすれば、私の苦労も分かるだろう」
「知ってたのか?」
 アリーの問い掛けに、シアードは実際に見たのは初めてだが、という言葉で返事とした。
「そもそも、代継の儀式は導師が見届けることになっている」
「じゃあ、何で俺に?」
「そうだな……一つには、蘇りの巫女という存在を知って貰いたかった」
「……」
「二つめには、お前の気持ちの整理が付けられればと思った。まあ、お節介という奴だ」
 シアードの科白を聞きながら、赤子を見下ろした。小さな手が、少年の一房だけ伸ばした髪を弄っているのをそのままに、口を開いた。
「……何で、蘇りの巫女が死ななきゃならない……?」
 かつて太陽神に愛されていた巫女は、太陽神に従順で世を思い、人を思う、優しすぎる程に優しい女だった。まだ世界が黒い影に覆われている事を悲しみ、自らの身で救えるのならば、とその命を賭して鎮めの儀式を行った。
 太陽神はその死を哀れみ、巫女の魂を手放そうとしなかった。自らの手で人の肉体を作り、そこに巫女の魂を宿した。巫女が自らの傍に在って欲しい、という一念で行ったそれは、他の神々の顰蹙を買い、そこから神々の争いが始まった――
 人でもなく神でもない巫女は、神々の戦乱を平らげた太陽神が天の座所へ納まった後、あらゆる街と人を救っていった。それは人々の賞賛を浴び、気高い巫女としての名声を確立した行為だったが、その賞賛の裏で、巫女は死して太陽神の御許へ召されることを、望んでいたという。
 繰り返し、繰り返し、同じ生だけを生きなければならない巫女は、叶わぬ願いと知ってなお、死への願望を持ちながら人を救っていった。
 巫女が蘇ることを知る人間は、巫女を不当に死へ追いやった。その度に彼女は太陽神の面影を見ることを夢見たが、結局未だにそれは果たされていない。その証が、蘇りの巫女の存在である――
 勿論これは、神代の話だ。本当にリージャがその蘇りの巫女なのかを確かめる術はない。だが、突如として現れた赤子の存在を、どう説明したら良いのか、アリーには見当もつかなかった。
 アリーが知る巫女は、普通の少女で、普通の人間だった。とてもそんな暗い望みを抱いているようには見えなかった――そう、彼女は儀式に対して躊躇いさえ見せていた。
 例えリージャが、神話に語られる巫女自身だとして、そんな望みを持っていたとしても、時が移ろうにつれて変化していたかもしれない。遠い存在に焦がれ苦しむ道よりも、近くに存在する幸福に触れる道を辿れたかもしれないのに。
「……そんなのは、辛すぎる」
「では、簡単だ」
「何?」
「お前が、その前例を作ればいい」
 言われて、アリーは呆気に取られたように黙り込んだ。シアードはにこりと笑って、赤子の顔を覗く。
「精一杯この子を大切にするんだな。そうすれば、巫女の連鎖を断ち切ることが出来るかもしれない」
「……みすみす、不幸にさせるのかもしれない」
 巫女が、本当に望んでいるのは太陽神の元に逝くことなのだ。それを自分の勝手で引き留めても、良いのだろうか――?
「人でも神でもない巫女は、きっと孤独だろう」
『あの方は、いつも独りでしたわ――』
 シアードの言葉に被さって、アウラの声を聞いた気がした。
 だが、と青年は続ける。
「その存在自体を受け止めてくれる者がいれば、その内巫女も変わるさ」
 その軽やかな口調に、アリーは苦笑いを漏らした。相変わらず、人をその気にさせるのが上手い。困難を、困難で無いように言うから質が悪い。
「……シアードって時々どうしようもなく楽観的なんだな」
「お前は時々、どうしようもなく優柔不断だな」
「……」
 不服そうに黙り込んだ少年に、シアードは微笑んだ。
「まずはその子の部屋を用意せねばな」
「……シアードは、どうしてそんなに俺に良くしてくれるんだ?」
 実は、以前から疑問だったのだ。一神官が、押しつけられたにせよ、孤児を身内同然に扱うなど、聞いたことがない。せいぜい成人まで保護するが、その後神殿は一切関知しない。適当な街で仕事を紹介する事などはあるが、それからは自分の手で生きてゆかねばならない。それに比べれば、アリーは酷く運が良い。
 少なくとも衣食住に関しては困ったことはないし、生計の手段すらシアードの護衛という形で立てることが出来た。血も繋がらない他人に、普通ここまで出来るだろうか。
「同じ境遇だったから、かな?」
「シアードも?」
「ああ」
 シアードもまた、幼い頃に災害で街を無くし、太陽神殿に保護された孤児だった。後に蘇りの巫女が同時期に別の街で鎮めを行ったと聞いて、腹立たしい思いを抱いた。働く事よりも神学に身を入れ、神官への道を進んだ。いつか、蘇りの巫女に彼の故郷を奪った罪を、突きつけるためにだ。
 しかし、蘇りの巫女の代継を目にした時、シアードもまた何も言えなくなってしまったのだ。彼女たちは神の代理人などではなく、迷い傷つく人なのだと強く意識したことをはっきりと覚えている。
 そして、アリーに出会った時、昔の自分と同じ目をした少年を、放っておくことが出来なかった。
 神殿で地位を確立するために、形振り構わず邁進してきたが故に敵も多く、居場所もなかったシアードは、アリーに自分のような思いや考えを持って欲しくはなかった。だから、出来るだけこの少年の為に居場所を作ってやりたかったのだ。
 ――それが今の彼の地位であり、神官兵制度なのだ。
「なんだ」
 気の抜けたような声でそう言って、アリーはシアードを見上げた。
「ん?」
「意外にまともな理由だったんだ」
「……どういう目で私を見ている?」
 アリーは答えず、ただ笑った。腕の中の赤子も楽しそうな声を上げた。顔を顰めて無邪気な二人を見ていたシアードも、結局は穏やかな笑顔になった。

 ――緩く半円を描く柱廊は、何処とも知れぬ深い暗闇の座所へ続いているようだ。
 白を基調とした神殿、陽光も差し込む明るい空間であるはずなのに、だ。明るく清らかな光はまた、後ろに濃い影を残すものだ――そんな風に。
 だが、闇に焦がれる心はまた、光を求める、切ない願い故なのかも知れない。
 少なくとも、アリーにはそう思えるのだ。















あとがき

 まずは謝ります。
 間に合わなかったよぅーと泣きついたら締切を延ばして下さったASD様。
 結果的に一ヶ月も延ばして頂いたにも関わらず、とんでもなく締切に近いギリギリセーフラインに投稿してしまって、申し訳御座いません。
 何という為体。精進致します。
 題となったイラストも、今回提供させて頂きました。
 ……絵を描いている時は本当に何も考えていませんでした。
 とか言うのも何だか失礼な話なので、何となく中東的なような東洋的なような和風な様な話になりました。
 最後の最後まで題名が決まらないという、さり気ない危機を迎えていた作品でした。
 とにかく、参加出来て良かったです。
 ご拝読、有り難う御座いました。