君の還る場所
作:鈴羽みゆう





 ………噂が、あった。

 最近、学校に霊が出るって噂。俺の学校は中学で、三十年くらい昔の校舎だ。割と古くて、外観自体も汚れてたから、七不思議だのなんだのの噂が、やけに飛び交う場所だった。
 俺も、入学したてのころは、その噂たちを面白がって友達と話していた。夜にこっそり校舎に忍び込んだりして遊んだこともあった。
 しかし、二年生になった今、お化けや妖怪なんかの噂話にはすっかり飽きて、たとえそんな話が耳に飛び込んできたって、相手にしなくなっていた。…大抵のやつらは、そうなる。
 それでも飽きないやつらだって、いるもんだが。

「おぉーい、魚谷!」
 机の前、ぼんやりと肘をついて座っていた俺に、悪友の葛原が呼びかけてきた。俺はのろのろと首を動かし、葛原の顔を見た。
「何」
 短く返事。葛原は黒く焼けたその顔に満面の笑みを浮かべ、俺の背中をばしばしと叩いた。
「そうつれない顔すんなって! 元気ねーじゃねーか〜。また新しい情報が入ったんだぜ!」
 俺は、またか、とため息をつき、首を振った。
「情報、ね。今度はなんの妖怪? 理科室の実験ガイコツ? 踊るリカちゃん人形?」
「そんなんじゃーねーよ! あのな……」葛原は、もっともらしく声を潜める。「幽霊なんだ」
「…はぁ?」
「だ〜か〜ら〜! でるんだよっ、霊が! 放課後、一人になるとくんだってよ」
 俺は眉をしかめ、少し体を動かした。
「……で、なんの霊なの? 犬? ネコ? 魚?」
「ばーか、人間にきまってるだろ! あ〜、でも今まで霊がでなかったってのは不思議だよな〜。妖怪なんかの噂はたくさんあんのに。…でな、その幽霊ってのが、俺らと同じくらいの女子だってよ!」
「…………女子?」
 女子の幽霊。何故か俺には、どきりとするものがあった。遠い、遠い記憶に、何か忘れられたものがある気がした。
「…おーい。魚谷?」葛原が俺の目の前で手をぶんぶんと振る。「だいじょぶか?」
「…大丈夫だよ」
 ほんとかよ〜、と腰に手をあてて口を尖らせる葛原。…いいよな…能天気で……
「ん〜、ほんでなっ、本題に入るんだけど」
「今のが本題じゃなかったのか」
「硬いことは言うな!」
 葛原が俺の頭をつんつん突く。とりあえず、言われることが予想できたので、すぐに返事をできるように身構えた。
「……噂のこと、確かめにいかねーか?」
「やだ」
 …即答。
「硬いこと言うなって言ったじゃね〜かよ〜! なんで嫌なんだ?」葛原はぶんぶんと両腕を振り回す。俺は、は〜っと、わざとらしいため息をついてやった。
「今まで何度も付き合ってきただろ。今回はパス」
「ちぇっ、ケチだな〜、ったく。おまえの家、ほら、なんだっけ・・霊媒師とか、霊能力とか・・・そんな商売やってんじゃんか。おまえだって霊を倒すのとか、成仏させるのとか、できんだろ?」
「できなくもないけど、面倒くさいから。」
「はぁ〜っ、しょーがねーなー。幽霊に取り付かれたって知らね〜ぞ〜」
「おまえもな」
 そこで、授業のチャイムが鳴った。

 放課後。
 部活も終わり、全員が全員、さっさと学校をでていく…勿論、俺も。
 下校もやっぱり、葛原と一緒。部活は違うが、そもそも、家が近いからというのが最初の理由で友達になったのだから。葛原は、くだらない話を一人でぺらぺら話し、一人でげらげら笑っている。……まるで、オヤジだ。
 そのとき、葛原はふと何か思いついたように俺を見た。
「……何」
「おっ、よく解ったな。あのさぁ、今日の宿題なんだっけ?」
「聞いてなかったのか〜? 宿題は英語のドリル………」
 俺ははっとした。
 やべぇ……ドリル教室に置いてきちまった………!!
「ん? どした?」
 葛原がぼりぼりと頭をかきながら聞く。
「…わりぃ。先帰ってて」
 俺はそう告げると、くるりと向きを変え、葛原から離れた。
「あ〜ん? …あ、解った。おまえ、ドリル置き忘れただろ?」
 からかうように言う葛原を無視して走り出す。結構学校からは離れてしまっているが……根性で行くっきゃない。なにしろ、英語の教師はめちゃくちゃおっかないのだ。
 走ること五分、学校にたどり着いた。陸上部に入っていてよかったと、改めて思う。
「やれやれ……」
 俺は、生徒は誰もいない校舎に踏み込み、廊下を歩き、教室に入った。自分の机からドリルを引っ張り出す。
「あったあった。ふぅ、全くドジしたな〜。」
 つい独り言がでるのは俺のクセ。もしかしたら、他人といるときより喋ってるかもしれない。
 時計を見ると、すでに七時だった。外も、太陽が沈み、空が黒に近い青に染まっている。まだらになったその色が、なんとなく、不気味だった。葛原の言っていたことが思い出される。
『幽霊が出るんだってよ……』
 俺はため息をついた。うちの家系はもともと霊感が強いほうで、父さんは霊媒師、母さんは祈祷師……なんか怪しげな両親なのだ。そんな二人から生まれた俺だから、霊感が弱いはずがない。不気味なところで、その存在を確かに感じることがあるし、姿が見えたことだって何度もあった。両親は、そんな俺の能力を喜んだが、多くの友達は信じなかった。…葛原は別だが。
 それから、もう一人、信じてくれるやつがいた。少し霊感が強い、同い年の女だった…名前は思い出せないが、八歳くらいのころに出会って、随分と遊んだ記憶がある……しかし、何らかの形で別れた気がする。何か、とても重大なことがあって、そいつと会わなくなった気がする。
 そうだ、これだ。さっき、葛原が「女子の幽霊」といったときに感じたこと。
 俺は考えた。しかし、どうしても思い出せない。
 俺がもう一度ため息をつき、帰ろうとした瞬間。
 どきん。
 心臓が高鳴り、背筋がびんっと伸びた。体全体から何かオーラのようなものが発せられていく。この症状は……そうだ、この世のものではないものと出くわしたときになるやつだ!
 俺は振り返った。辺りを見回すと……教室の隅に…何かがいる!
「おまえ、噂の幽霊か!?」
 思い切り叫ぶ。霊とかそういうのは、こちらの気合や気迫が勝っていれば勝てるものなのだ。けれど、いきなり机が浮かび、飛んできた。
「うわっ!!?」
 慌てて避ける。が、次々に飛んできて、きりが無い。
 俺は廊下に飛び出し、駆け出した。鞄を背中から下ろし、中から経文を取り出す。…後ろから、追ってくる気配。
「でええいっ!!!!」
 経文を広げ、ありったけの霊力を込めて、後ろの気配に叩きつける。
「ぎゃあぁ!」
 叫び声があがり、気配が動かなくなった。俺は振り向き、その霊に近づいた。…噂では、俺と同じくらいの女子のはず……
 幽霊は、最初、真っ白な光が激しく輝いて、揺れているようにしか見えなかった。もう一度集中して見ると、光の中に人の姿が見えた。
 おかっぱの黒髪、細い体。確かに女子のようだ。俺はさらに近づき、しゃがんでその幽霊を眺めた。先ほどの攻撃で、正気を取り戻したのか、幽霊はゆっくりと顔をあげた。
「…っ!」
 そいつの顔を見たとき、俺はめまいを覚えた。遠い、忘れた記憶を、無理やり外に引っ張り出されるような感覚に襲われた。 幽霊の顔立ちは、八歳のころに出会った、あの女にそっくり…いや、ほぼそのまんまだ。しかし、そうなると…あの女は…死んだのか?
 いったい、いつ………どこで…………?
「ぐ…ぐあああああああ!!!!」
 頭が割れるように痛む。猛烈な吐き気がこみ上げてくる。俺は頭を抱え込んで倒れた。
 その時、何か優しいものが俺の頭に触れた。その途端、頭痛と吐き気が嘘のように消えた。俺が顔をあげると、あの女の顔をした幽霊が、俺の頭から手を離したところだった。
「お…おまえ、が、俺を……助けたのか?」
 幽霊が哀しそうな顔で頷く。見れば見るほど、あの女に似ている、その顔で。
「おまえは、いや、君は…誰だ……? 俺の知ってる女に…似ている…が……」
 俺の質問に、幽霊はぶるぶると震え、うつろな瞳で喋りだした。
「わたしワ…わ…わたしは…あなたト………昔に会ったわ……」
 途切れ途切れな言葉で話し続ける。
「ど、どこで会ったんだ?」
 奇妙な胸の高鳴りを押さえながら、訊ねる。
「昔…昔、昔…山の下の、村……私とあなた、山に、いった、わ……」
「山??」
 山と聞いた瞬間、また記憶の奥で何かがはじけたような気がした。幽霊の手が、もう一度俺の頭に触れる。
 途端、どっと映像が流れ込んできた。
 俺と、あの女が、はしゃぎながら山の中を走っていく。やがて、周りは早送りをしたようにみるみる暗くなっていき、お互い離れ離れで迷子になってしまった俺たち……
「うっ」
 また頭痛が走った。けれど、俺は目を閉じなかった。むしろ大きく見開いて、その頭から映し出されてくる映像を見ようとした。…あの女の悲鳴が響く。俺が悲鳴を頼りに声の方にいくと、あの女は、悪霊にとり憑かれそうになっていた。俺は震えていた。なんとか助けようとした。しかし、八歳の子供では、とても太刀打ちできなかった……。あいつは倒れた。一瞬、魂のようなものが見えて…それに悪霊が飛びついた。そこに父さんたちが駆けつけて……
「どう、なったんだ……?」
 幽霊は俯き、俺の頭から記憶を探し出し、その映像を俺に見せた。
 父さんの手が、ショックで口も聞けなくなった俺の、額にあてがわれている。……思い出した………!!!
 消えたと思っていたものが、脳の中で爆発した。そうだ。父さんは、俺の記憶を消したんだ。いや…封じ込んだんだ。俺が元気になれるように・・・あの、残酷な、あいつが悪霊にとり殺されているシーンを忘れさせるために……!!
  思い出した瞬間、俺の口をついて言葉が飛び出た。
「…み…美奈……?」
 幽霊に震えが走り、周りの光がばちばちと音を立てた。
「君…幽霊……美奈、なのか……?」
 美奈の瞳から涙が溢れ、こぼれだす。夢中で頷き、俺の手をとろうとした。
「美奈、なんでこんなところにいるんだよ…! 君には、いくところが…還る場所が、あるだろ!? なんでまだ地上に残っているんだ……!!」
 美奈の目から、また涙がこぼれる。その時、美奈に異変が起こった。
「う……う……ウウウ……!! ああああああ!!!!」
「み、美奈っ!?」
 美奈はがくがくと震え、頭を抱え、床につっぷした。そして、再び顔をあげたとき……その顔は、美奈の顔とは似ても似つかぬ、醜悪で恐ろしい狐の顔に変わっていた。
「!!??」
 美奈がいきなり霊力を放った。俺は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「うぐ……」
 すさまじい痛みが背中に走るが、のんびり痛がっている場合ではない。俺はすぐさま起き上がり、立ち上がった。
「お、おまえ…あのときの悪霊……!?」
 美奈をのっとった化け物が、高らかに哂う。俺はかっとなった。体から、これまでとは比べ物にならないがふつふつと湧き上がってくる。
「おまえが…美奈をいままで操って……だから美奈は成仏できなかったんだ……」
 握り締める拳に力がこもる。美奈が…いや、悪霊が…襲い掛かってきた。横に跳躍して避ける。
「美奈、今度こそ君を助けてやる!!!」
 懐から先ほどの経文を取り出し、唱え、霊力を高め……美奈に叩きつけた。
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 美奈の体から悪霊が飛び出し、自らこちらに向かってきた。俺は精神を両手の中に集中させ、霊力の塊をつくり、目の前で固めた。
「思い知れ…悪霊め!!!」
 霊力が手を離れ、突っ込んできた悪霊に直撃する。悪霊は絶叫し、弾けて床に落ち、消えてなくなった。俺は息を整えながら、美奈に近寄る。
 美奈は、完全に正気を取り戻したようだった。理性の灯った瞳で俺を真っ直ぐ見つめてくる。
「魚谷くん」
 あの時と同じ声が、俺の耳をくすぐった。
「わたしを救ってくれてありがとう……わたしを、助けてくれてありがとう…」
「美奈」
 美奈は俺の声に反応し、優しく微笑み、天井を仰いだ。
「わたし…いかなきゃいけない、よね……」
「……ああ。ようやく助かったんだから、な。君は、いかなければ」
 俺は、美奈がしたように、真っ直ぐ美奈の顔を見つめた。
「君の、還る場所へ」
 美奈は頷き、ちょっと寂しそうに笑って、俺に手を差し出した。
「還る……その通りだわ。わたしはもともと、死んだ直前はその場所にいたんだもの…悪霊につかれていたせいで、落とされただけ………」
 俺は黙って、美奈の手をとった。美奈は、今度ははにかみながら笑って見せた。
「あなたの手で、成仏させてね」
「………ああ」
 俺は経文を広げ、それで美奈の体を覆った。経文を読み、霊力を伝わらせる。
「…この魂を、救いたまえ…安らぎを、与えたまえ……!!」
 美奈は強く輝き、廊下は光に満たされた。俺は目を閉じ、瞼の奥で、天に還る美奈を見送った。再び目を開いたときには、そこには床に落ちた経文しかなかった。

「元気でな……」



 次の日、何かを嗅ぎつけたらしい葛原が、大興奮で俺に話しかけてきた。
「おいおい、おまえ、なんかあったんだろっ! 昨日、八時前くらいにおまえの家に電話したら、まだ帰ってないっていってたぞ! 忘れ物とるのにそんなに時間かかるわけないよなっ?」
「あ…ああ」
 ごほごほと咳をして誤魔化…せるわけないんだけど。
「で、霊いたのかっ!?」
「………ああ、いたよ」
「マジで!!?? くっそー、俺も戻ればよかった。で、そいつどんなんだった? ほんとに女子だった?」
「うん。女子だった。おかっぱで、細い体の」
「へー、可愛かったか?」
 俺は力なく笑った。
「……可愛かったよ」
「へぇ〜〜! 悪いやつじゃぁなかったのか?」
「全然。ただ、悪霊が憑いてたけどな……そいつはおっぱらったし。」
「へぇえええ〜! 教師は気づかなかったのか?」
「後でいってみたら、みんなそろって気絶してた…たぶん、あの悪霊に憑かれていたときの幽霊にやられたんじゃないかと………って、おい、ほんとに信じるのか?」
「当たり前じゃん。で、で、どうやって倒したんだっ?」
「……………」
 呆れながらも、俺は窓から空を見上げた。美奈は、無事成仏して、天国で幸せに暮らしていることだろう。
 教室のドアが開く音がした。一時間目は、確か、英語……
「さぁ、おまえら、宿題はやってきたか!?」
 俺の頭がフリーズする。

「………やばい……」


 その日、俺は、英語の教師によって、廊下に立たされたのだった。

 END