RPGの主人公
作:シオン





「―はぁあぁああ。」
「何、溜め息なんかついてるワケ。」

 カーテンを完全に閉ざした薄暗い部屋の中に、一人の少年と一人の少女が座り込んでいた。どちらも十に満たないほど幼い。それでいて、子供らしくない大人びた表情でじっと前を見つめていた。
 彼らの目の前では、大きくて薄っぺらい箱のようなものがある。赤や青、緑や黄色といった多彩な色を放ちながら光るそれは、二人の子供の顔さえも不気味な色に染めていた。


「―はぁあぁあぁああ。」
「だから、何?」

 気だるい、気の抜けるような重苦しい溜め息を繰り返す少年に、少女は鋭い声で問いかける。というより、突き放す。その間、少年も少女も、光る箱から決して目を離すことはない。
 その光る箱からは、何やら謎めいた紐が伸びていた。その紐は、光る箱よりももう少し小形の、黒塗りの箱へと繋がっている。さらにその紐の接合部分の反対側からは、これまた別の紐が伸びており、その先をたどれば不思議な形状をしたものがくっついている。それを少年が両手で握り、手元を見ることなくいろいろな箇所を押したりいじったりしている。


「―はぁあぁあぁあ―」
「だから何だって訊いてんでしょうが。」
 少年のしつこい溜め息を断ち切るように、少女は苛立った口調でぴしゃりと返す。その幼い声に含まれた鋭いトゲに気圧されたように、少年はふう、と一息ついてから、ようやく口を開いた。

「いやさぁ。RPGの主人公って、どうなってんのかなぁと思ってサ。」
「あんたの頭の中がどうなってんのかと思うけどね、あたしは。」
 
 ひでぇよルリぃ、オレ今ちょっとマジメモード入ってたのにぃー、と少年は唇を尖らせて拗ねて見せる。少女は全く取り合わず、小さくふんと鼻を鳴らした。
 そして、沈黙。



「だってさぁ、おかしいと思わねぇ?」
 
 唐突に、少年が口を開く。あぐらをかいて背中を丸めているのが苦しくなってきたのか、どっこいしょと立ち上がって、それからまたよっこいしょとうつ伏せに寝転がり、上半身を持ち上げて肘でその体勢を保った。
 何が、と一言だけ少女が返す。光る箱から、「ぐぎゃおおぉ」という醜い咆哮が聞こえてくると、少年は忙しそうに手元の物体についている突起を連打する。
 少女は箱の中で繰り広げられている壮絶な戦いを見守った。そしてそこから甲高いファンファーレの音が響くのを待って、再度尋ねる。

「ヨースケ、それで?」
「え?」
「それで、何がおかしいの?」
「何が?」
「……わかった、おかしいのはあんただってワケね。」
「???」

 噛み合わない会話に疲れ、少女はこれ見よがしに溜め息をついた。少年は少女が何を言わんとしているのか全く掴めず、手元の物体―コントローラーを手放して、うーんと考えこんでしまった。
 

 数十秒後、ようやく自分の過去の発言のことを思い出し、少年はまた唐突に話し始める。

「そうだ、そうだ。だからさ、RPGの主人公って、どこかおかしいと思うわけ。」
「だから、なんでそう思うの。」
「んー。なんでっていうか……変じゃん?」

 少女は少し沈黙し、それから大袈裟に溜め息をついてみせ、呆れ口調で嘆いた。

「あんた、やっぱりもう少し国語の勉強した方がいいんじゃないの。」
「シツレイな。国語は得意分野だぜ?」
「算数の10点に比べれば、そりゃ国語の15点の方が見栄えはするでしょうよ。」

 苦い過去の話を持ち出され、少年は憮然として口を閉ざした。が、すぐに恨みったらしい顔をして、とびっきりドスのきいた声で呟いてみせた。

「……ルリは頭いいもんな……。」
「ヨースケは馬鹿だもんね。」

 皮肉も通じず、しかもさらりと酷いことを言われ、少年はばたりと倒れこむ。少女はそれを見て、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるように呟いた。
 その内、また少年はむくりと起き上がり、器用に指先を動かし始める。彼の指先の動きに対応するように、画面の小さな人間が右へ左へと動いていく。それを少女は、ただじっと眺めているだけだ。


「……うまくできすぎてるだろ、って思うんだよなぁ……。」

 またしばらくしてから、少年がぽつりと呟いた。すかさず、少女が短い返事を返す。

「何が?」
「いや、そのさっきの話。」
「RPGの主人公の話?」
「そう、その話。」

 歯切れが悪い少年を気にしつつ、少女は話の続きを待つ。少年は、心の内をうまく言葉にできないようで、何度も口を開いたり閉じたりを繰り返していた。そうして、慎重に言葉を絞り出していった。

「例えば、主人公が旅に出る時とかあるだろ。」

 少女は黙って続きを待つ。その沈黙が自分の話に注意を傾けてくれているから生まれたものだと承知している彼は、そのまま思うことを言葉にしていく。

「そういう時って、必ずと言っていいほど手助けしてくれる人がいるだろう?地図をくれる人とか。ドコソコに行けばナニナニが手に入るよって教えてくれる人とか。ポーションを分けてくれる人とか。武器を貸してくれる人とか。旅の仲間になってくれる人とか。」

 徐々に饒舌になってきた少年は、手を動かすこともなく、ただ怪しく光る箱を見つめながら続ける。

「しかも、旅に出る時って絶対に目的があるだろう?モンスターを倒すだの、お姫様を助けに行くだの、世界の危機を救うだの。そういうのって、なんか……なんか、さ……。」 

 急に消え入るような声で、少年は言葉を詰まらせる。少女は箱から目を離し、ずっとすぐ傍にいる少年を見つめた。少年は、救いを求めるように少女に視線を送る。その泣きそうな表情が意味するものを理解し、少女は憐れむように助け舟を出した。

「―ズルイ、って?」
「……うん。」

 蚊の鳴くような声で肯定した後、少年は見るからに消沈しきってしまった。今までずっと手の中にあったコントローラーさえ、ぽとりと手放してしまう。
 
 少女は、彼が落ち込んだ理由が痛いほどわかっていた。だからこそ、この沈黙が嫌だった。
 閉め切ったドアの外から、彼らよりもずっと幼い子供たちの泣き声や、叫び声や、笑い声がもれてくる。―ここは、そういう場所だ。『そういう子供たち』が集まり、暮らす場所。
 
 普段は自分から語ることのない彼女が、この日、長い長い独り言を呟いた。
 

「あたしらはさー……捨て子、じゃん。」

 特に感情も込めることはなく、ただ淡々と少女は呟く。少年に諭すためではない、自分に言い聞かせるためでもない。ただ事実を、ありのままの真実を言葉にする。ただそれだけのことだった。

「生まれてすぐに、親に捨てられて。
 助けてくれる人も、どうすればいいのか教えてくれる人もいなくて。
 何のために生まれたのかわからないから、何をして生きればいいのかわからなくて。
 望まれて生まれてきたのわからないから、何かを望んでいいのかもわからない。」

 そうでしょう?と、少女が小さく囁く。その声は、微かにだが震えていた。
 少年はその問いに答えることができなかった。少年は、泣いていた。
 少女は、隣で身を縮こまらせ、懸命に嗚咽を噛み殺している少年の背中に自らの小さな手を乗せ、ゆっくりとさすってやる。

「そうだよね、ズルイよね。ゲームの中の人間には、ちゃんと存在価値があって、存在理由がある。在るべきだから生まれてきて、ただその役割を果たすためだけに存在すればいい。……ズルイよね。」

 少女の瞳に、きらりと光るものが浮かぶ。涙のせいで、様々な光が崩れてぼやけて見える。けれど彼女は、それを指先で拭うこともなく、ただ流れるままにしておいた。
 
 彼らは、自分たちの生い立ちを真摯に受け止めようとしてきた。けれど、やはりどうしても、不安でたまらない時がある。―どんなに強がっていても、彼らはまだ幼い子供でしかなかった。


「ねえ、ヨースケ。RPGの主人公に……なりたい?」

 涙が大方枯れてきた頃、少女は少年に問いかける。少年は意味がわからず、赤くはれた目で少女の目を見つめ返す。彼女の目元もまた、うっすらと赤みがかっていた。

「困ったら助けてくれる人がいるし、苦しい時支えてくれる人もいる。モンスターを倒せばお金だって簡単に手に入る。強い敵が出てきても、良い武器を買えば弱くても勝てるかもしれない。」

 それに、と少女は続ける。どこか悲しそうに微笑みながら。

「RPGの主人公なら……絶対に、ハッピーエンドになれるよ。」


 少年は、じっと少女の目を覗き込むようにして見つめ続けた。それから、ふいにテレビの画面を見つめる。そこには、ただ目の前の敵を倒しさえすれば良いだけの人間がいて、ヨースケの指示を待って足踏みを繰り返していた。
 少年は無言のまま手元に転がったままのコントローラーを持ち上げ、手の中でかちゃかちゃといじってみた。二頭身の小さな主人公は、彼のでたらめな操作にもきちんと従って、じぐざぐと意味のない徘徊をした。
 柵があっても前進し続けようとし、村人にぶつかっても何も言わずにタックルをし続ける。

 少女は、その主人公の滑稽な行動を、少年の考え込むような様子を、何も言わず見ていた。


「―ルリ。」
「……何?」

 少女は緊張して、強張った声を返す。少年はコントローラーをぽいと放り投げ、テレビ画面から目を逸らした。
 そして、きっぱりと断言した。

「オレ、いいわ。主人公になれなくて。」
「……ホントに?」
「うん、いい。」
「どうして?」

 少女の穏やかな問いに、少年はほんの少しだけ、うーんと唸ってみせる。それから、子供らしい満面の笑みを浮かべて、こう言った。


「だって、誰かに操作されてうまくいく人生なんて、つまんないもんな!」



 *―ゲームを終了します。データをセーブしま
 
 プツッ・・・