旅の料理人 話の参 食の都の大騒動
作:みのやん




話の参 食の都の大騒動





 大陸でも帝都に次ぐ賑やかさと言われている食の都チャンナン。シャオロン達は、通過点とは言え、ようやく落ち着ける大きさの街に辿り着いた。二人は料理人として当然、まずは市場へと足を運ぶ。この辺りはお互いに心が通い合っていて、なにも言わずともそうなっていた。
 そして市場に来ると、二人は生来の料理人魂を発揮させて、目を輝かせていた。
「おい、あの肉、滅茶苦茶うまそうだぞ!」
「なにを言っている。あっちのナマコの方がうまそうではないか」
 しかしながら、好物の違いは確実に出ている。海と山の違いは大きい。やはり見たい店も違ってくる。ということで、二人は別々に市場を回ることにした。これまた騒動の始まりだとも知らずに……。



 シャオロンは、やはり肉を中心に見て回ることにした。だいたい自分は肉が好きなのだから、とどんな食材にも公平であるべき料理人らしからぬ考えを持って。
「さて、まずはやっぱり……でかい店からだろうな」
 シャオロンは市場の中でも一番大きな肉屋へと足を運んだ。その店はとんでもない大きさで、他の店の、ゆうに五倍はあるようだった。そこには何人も店の者がいて、絶えず客への応対をしている。が、シャオロンには気になることがあった。それは、品物の質である。どうも店頭に並べてあるものと、渡しているものとが違うように見えてならない。まさかこんな所で騒ぎを起こすのも、とは思っていても、やはり首を突っ込んでしまうのがこの男の悪いところである。
「なあ、そこの豚肉をくれるか?」
 店の者にそう言ってみたシャオロンは、その直後に自分の行動をひどく後悔することとなった。あからさまに非難めいた視線を浴びせかけられたのである。
「……あんた、何頭分欲しいんだい?」
「いや、何頭分って……一塊程度でいいんだけどな?」
 店員のいきなりな言葉に一瞬唖然とするシャオロン。まさか身一つで来て、何頭分もの豚肉を買うはずもない。どう見ても旅人の格好であるシャオロンに向けて、親切な店員がこんなことを言うはずもない。明らかに、悪質な店員の姿がそこにはあった。
「……あのねえお客さん、悪いけどうちは店に卸すやつしか扱ってないんだよ。家で料理する分程度のものは置いてないんだよ」
 男は素っ気なくそれだけ言うと、さっさと他の客への対応に当たってしまう。この態度にはさすがのシャオロンも頭に来たが、そこはやはりいつも通りの弱い父である。なにも言わずにすごすごと立ち去った。
「う〜ん……気になるが、まあしょうがねえよな。君子危うきに近寄らず、ってな」
 シャオロンがそう自分に言い聞かせて立ち去ろうとしたとき、その騒ぎは起こった。それはたった今まで自分がいた肉屋の方から聞こえてきた。
「おい! なんなんだ、この肉は! こんなもんが客に出せるわけねえだろうが!」
 シャオロンはその声を聞いて慌てて引き返した。すると、なにやら若い男が店の者を相手取って言い合っている。
「あのねえお客さん、うちはこの市場でも一番の大手で最高の品を約束しているんですよ? それがこんな、誰がすり替えたかわからないような肉を売ると思うんですかい?」
「なんだと! じゃあ俺が嘘をついてるってのか!」
「さあ? それはあんたが一番良く知ってるんじゃないんですかねえ? 違うんですかい? 元大繁盛店『南鱗酒家』の跡継ぎさん。店が繁盛しないのをうちのせいにされても困るんですよ」
「こ、この野郎!」
 今にも殴りかかりそうなその男を、シャオロンは羽交い締めにして止めた。あまり厄介事に首を突っ込める立場でもないのだが、つい、そうしてしまったのだ。
「やめときな、兄さん。こんな所で殴りかかったりしたら、下手すりゃ役人に連れてかれちまうかもしれねぇぞ」
「な、なんだよあんたは!」
「いいからいいから、押さえろって」
 シャオロンはその男を捕まえたまま、とりあえず市場の外へと出た。あのまま中にいては危ないとの判断からだ。
 男はまだ二十歳そこそこという程度の若さで、力強い光をその瞳に宿している。手にはあの店で買ったらしい肉の入ったカゴを持ち、シャオロンを睨み付けるように立っていた。
「……なんで俺の邪魔をしたんだ? 俺は一人の料理人として、ああいう奴らを許せないんだ!」
「……ああ、そうだな、俺もそう思ったよ。だけどなぁ、ああいうでかい店ってのは結構そういうことを平気でやるもんだぜ? 他の店に客が行かないのをいいことに、あの手この手で儲けばっかり増やしやがる。あんな店で仕入れるのはもうやめて、あんまり大っぴらな批判はやめておくんだな。店がでかい分、お偉方なんかにもコネがあるんだろうし」
「……あんたも料理人か? だったらわかるだろう、俺はああいう奴らを許せないんだ! あの店が直営している『栄華楼』って料理屋だって、汚い手を使ってうちの店の客を奪いやがったんだ! ……まあ俺の腕が未熟なのは認めるよ。だけどな、あいつらは俺の親父を、夜闇に紛れて襲ったんだ! そのせいでうちの店は……」
 シャオロンは、そう言いながら力無くうつむく男をなぜか放っておけない気がした。これほどまでに料理を愛し、また誇りに思っている若者が今、何人いるだろうか。こういう者が料理人の宝だと、ひいき目なしにそう思った。
「……お前さん、なんてぇ店の人だい?」
「ん? ああ、うちの店は『南鱗酒家』ってんだ。昔は結構有名だったらしいんだが……」
 シャオロンは男の言葉を聞いて驚きをあらわにした。その名前は記憶にある。おまけに主のことも良く知っていたのだ。
「南鱗酒家? するとお前、コウリン親父の息子か?」
「……あんた、親父を知ってるのか?」
「ああ、もう二十年以上前になるが世話になったことがある。あの店で働いてたこともあるんだぜ?」
 シャオロンはあまりに偶然な出会いに驚いた。この街へ来たのだから南鱗酒家を訪ねてみようとは思っていたものの、こんな出会いがあるとは、正直思っていなかったのだ。そして世話になった男がそんな目に遭っているとは、やはりどうしても信じたくはなかった。が、とりあえずは現実を見つめなければいけない。そしてシャオロンは男にこう声をかける。
「……なあ、悪いが今日は大人しく帰ってくれねえか? んでもって、親父さんにシャオロンが後で訪ねるって言っておいてくれよ。俺も世話になった人の息子が捕まるのを黙って見てるわけにもいかねえからな。 ……どうだ?」
「……そうか、親父の知り合いならしょうがないな。わかったよ、今日はもう帰ることにする。後で必ず寄ってくれよ?」
「ああ。連れを見つけてから行くことにする。それから……あんまし気に病むなよ、今度のことは。俺が代わりに良さそうな店を見つけてきてやるよ」
「そうか? じゃあ頼むよ。実を言うと俺、材料の目利きが苦手でさ。さっきの肉だってあれほどひどくなかったら、気付かなかったかもしれないくらいだ」
「はっはっは! おし、任せておけ! じゃあまた、後でな」
 男が手を挙げて去っていくのを眺めていたシャオロンは、自らも踵を返して市場の中へと戻っていく。約束通り、代わりになるようないい店を探すために。



 パイランは、シャオロンとは対照的に魚介類を中心に見て回っていた。すると、なにしろこれだけ大きな市場だ。とんでもない種類の食材が目に飛び込んでくる。海水魚、淡水魚、そして魚以外でもアワビ、ナマコ、ウナギなども見ることができた。そんな数多くの店の中で、パイランはもっとも小さいが変わった品揃えの店で立ち止まった。その店は、店頭に少ない種類の魚介を置くだけで、それ以外のものはなにもない。しかし、その置いてある品がもの凄い。普通では考えられないような巨大アワビ、全長が軽くパイランの背丈を超えるような大ウナギ、そしてなにより驚くのが、明らかに輝きの違う、それでいて巨大な鯛である。ほとんど黄金に近いような輝きを放つ鯛は、明らかに鮮度がいい。おまけにこの鯛は半身をそがれている。つまり、既に半身は売れているのにまだ泳いでいるのだ。いったいどういうことなのか、パイランは非常に気になった。そして燃え上がらんばかりの料理人魂が、そのまま立ち去ってしまうのを押し留めた。そうしてパイランは店の主、非常に気の難しそうな親父に声をかけてみた。
「主、この鯛はまだ生きているようだが……いったいどうなっているのだ?」
「ああ? なんだお前は?」
「料理人だ。他にこんなことを気にするやつがいるか?」
 パイランは相変わらずの調子で素っ気ない。が、主は怒り出すでもなく、ただ訝しげな目つきで答える。
「……こいつは内蔵をとってない。だから半身をとったって死にはしないんだ。もっとうまくやれば、骨と頭と内臓だけでも水槽で泳ぐらしいぜ」
「ほう、それは面白いな。ぜひ今度やってみよう。そういう派手なのは親父も好きだからな」
 パイランは珍しく嬉しそうに口元を緩めた。彼女の場合、何事においても父親が基準になっているようだ。
 そうしてくつくつと笑いながら、パイランは他の店を見て回ることにした。この市場は魚や野菜だけでなく乾物なども置いているようで、とりあえずそちらの方にも足を運んだ。
 パイランは乾物屋で品物を見て回ると、ふとある一つのことに気付いた。それは、明らかに品物の質が悪いのだ。どれも形が悪く小さい。おまけに加工にも手をかけている様子がまったく見えない。先ほどの店はそうでもなかったのだが……。
「……いったいどうなっている? これで本当に食の都なのか?」
 パイランはついそう口に出し、慌てて口を塞いだ。こんなことを街の人間に聞かれてはまずいと思ったからだ。そしてそれは、なんとか聞かれずにすんだようだ。周囲の人間は誰一人としてパイランの方を向いていない。
(私としたことが……少し迂闊だったな)
 パイランは自分でもそう反省して、とりあえず先ほどの店に戻ることにした。あの店は自分の目から見ても、かなりいい物を置いていたはずだ。
 パイランは先ほどの店へと来ると、相変わらず難しそうな顔をしている店主に声をかけた。
「すまない主、少し話を聞きたいのだが構わないだろうか?」
「なんだ、さっきの客か。俺に話を聞きたいなんて、ここ二年ほど南鱗の旦那以外にはいなかったがな」
 主の言葉に、パイランは眉をひそめた。どうやらこの主が嫌われ者らしいことに気付いたからだ。しかし、品物の質はやはりここが一番いいように思える。いったいどういうことなのか、パイランは聞かずにはいられなかった。
「主、この店の品はどれも一級品ばかりだ。それは認める。しかしその割にはあまりに店が小さいように思う。いったいどうなっている?」
「へえ、珍しく物を見る目のある客だな、あんたは。若いのに大したもんだ」
 主がびっくりしたように目を見張ってパイランを見た。が、パイランにはそんなことなどどうでもいい。早く話を進めないかと苛立った。そして主もそのパイランの気配に気付いたらしく、肩をすくめて話を続けた。
「俺の店は確かに一級品を揃えている自信がある。他の店はどんなにでかくたって、並べてる物が二級品ばかりだ。まあいろいろあってな、しょうがないって言やぁしょうがないんだが」
「なぜしょうがないのだ? 食材店ならば自信の持てる物を置くのが当然ではないのか?」
「いや、しかしだ、この街じゃあそれすらもままならねえんだよ。なにしろこの街は今、実質栄華楼の手に握られちまってる。あの店は食材店もでかいのを作りやがって、ほとんどの一級品が高値で買い占められてるんだ。だから普通の店は二級品しか置けないか、あるいは廃業するしかない」
 主は力無くそう言うと、ため息を一度つく。
「俺は昔からの知り合いに船を出してもらってるし、ウナギは俺の持ってる水田の近くで獲れるからな」
「すると、この街ではその栄華楼が一番の名店なのか?」
「いやいや、そんな馬鹿な。一番の名店はなんと言っても南鱗酒家だ。あの店はもう五代以上も続いている名店だからな。だが……」
 なにやら言いにくそうな表情で、主は言い淀んだ。が、パイランは容赦せずに厳しい視線を浴びせ続ける。
「……南鱗の主人が、つい最近暴漢に襲われてな。大事な利き腕を折られちまったんだ。よしんば腕が治ったとしても、もういい歳だからな……。料理人として再起できるか怪しいもんだ」
「南鱗酒家、か。しかし腕ずく力ずくで街の料理屋を潰そうなどとは……まったく最低な連中だな。その栄華楼とか言うところの連中は」
 腕組みしているパイランの言葉に主は大層驚いて、その息を止めてしまうほどに口を押さえつけた。
「おいおい、誰もそんなことは言ってねえだろうが! そんなことをこの街で言ってみろ。それこそ命がねえぞ!」
「んん……ふう。いきなり他人の息を止めるものではない。危うく死ぬところだったではないか」
 パイランは男の手を強引にどけて、ようやく息をつないだ。どうやら本当に息が止まってしまっていたらしい。この主、かなり強引な男である。
「しかしだ主、そんな奴らは本当にのさばらせていてはいけないと思うぞ」
「んなことはお前みたいな余所者に言われなくてもわかってる! だがな、あいつらと来たら役人まで味方に付けやがって、もうどうしようもねえんだよ!」
「……そうか。余所者の私の出る幕ではないのだな?」
「ああ、そうだ。わかったらさっさと帰ってくれ」
 男はもう話しもしたくないと言うように、手でパイランを追い払った。パイランは哀れむような視線を主に向けると、そのまま振り向いて市場を出た。と、ちょうど向こうからやってくる父に気付き軽く手を挙げてみせる。
「親父、いいものは見つかったか?」
 先ほどのことを忘れようとするように、無理な笑顔で言ったパイランだが、それとは裏腹な、意外な言葉が父の口から出た。
「悪いものなら見つかったぜ。どうやらこの街は今、とんでもねえことになってるみてえだな」
 そう言うシャオロンの苦しそうな表情は、パイランの目から見てもすぐにわかった。そしてその言葉の意味しているものが、自分の気にしていることと同じだということも。
「……栄華楼へ行くのか、親父?」
「ん? 俺はそのつもりだったが……なんでお前までそんなことを言うんだ?」
「決まっている。その店に、非常に興味があるからだ」
 こうして二人は噂の店に行くことに決めた。その店が、いったいどんな店なのかを自分達の目で知るために。





 チャンナン最大の料理店『栄華楼』は、街の中央を走る一番大きな通りに面して建っていた。どうやら街一番の店という話は本当らしく、表には凄い行列が続いていた。
「へえ、確かに凄え行列だな。他の店には全然客が入ってねえのに……」
「それはそうだろう。なにしろ材料の買い占めまでやっているらしいからな。まったく料理人の風上にも置けない連中だ」
 二人は列の最後尾に並び、ひたすら列が進むのを待つ。並んだのはまだ昼前だったというのに、店に入れたのはもう陽が傾き始める頃だった。
「やっとかよ。ま、これでうまいもんが食えるなら……」
「不謹慎だぞ、親父。私達は敵状視察に来ているんだ。それを忘れるな。昔世話になった南鱗酒家の主が泣くぞ」
「へいへい」
 二人は席に着くと、パッとメニューを開いてみる。すると、おかしなことに中にはお任せコースしか書かれていない。どうやら単品での注文はできないらしい。
「随分と自信があるのだろうな、こうさせている料理人は。余程の自信がなければこんなことは出来ない」
「まったくだぜ。俺でもこんな、まあ悪い言い方をすりゃあ客の好みを考えねえ料理の出し方はできないぜ?」
「まあ親父にできなければ相当なものだな、この店の悪逆さ加減というのは」
「……なんか気になる言い方だな。俺と比べるから、まるで俺が悪逆料理人みたいじゃねえか?」
「……違ったか?」
 シャオロンは娘からの愛ある一言で机に突っ伏してしまう。パイランの方は、そんなことなど気にせずに、コースを二人分で注文する。
「さて親父、なにか気になる話はあるか?」
「うん? ああ、それならさっき話した南鱗の息子の話くらいだ。なにしろ目利きが下手なんだってよ」
 シャオロンは笑いながらそう言った。が、パイランはそんな父の態度にきつい一言を放った。
「ならば相当親父に似ているのだろうな、その若主は。なにしろ親父も目利きは苦手だったろう?」
「ば、馬鹿。そりゃあえらい昔の話だ。今はちゃんとできるだろうが」
「そうだったか? 確かこのあいだなどもハマチとブリを間違えていたが……」
「アホかお前は! 漁師でもない俺がどうやって出世魚の差を見極めるんだよ!」
 そのシャオロンの叫びに、パイランは平然と答える。
「私は見極められるが?」
「お前は別だ! 俺は川魚と肉が専門なんだよ!」
「ふむ。まあそう言われてみると、私の専門は海魚と点心だったな」
 ようやく納得がいったのか、パイランも目を瞑って頷いた。
 と、こうして相変わらずの親子漫才問答を繰り返して待つこと半刻ほど。出てきた料理はカニの唐揚げ。しかも山盛りである。
「ふむ、まあまともな料理が出てきては……うん? いや、しかしいきなりこれでは……」
「……おいおい、なんだこりゃあ? いきなり揚げ物で、おまけにこの量かよ?」
 なにやら訝しげになるパイランと、あからさまに非難するシャオロン。
 まさか一品目からこんなに重い物を、しかもえらく大量に出されるなどとは思ってもみなかった二人は、小声ながらも不満をあらわにした。
「ま、まあ食べてみるとしようじゃねえか、パイラン。ひょっとしたらあっさりと食べられるような工夫がしてあるかも知れないぜ?」
「まあ私の見立てではそんなことなど絶対にないが、親父がそこまで言うならば食べてみるとするか」
 と、とりあえず一口ずつ食べてみるこの親子。食べ方は二人でまったく違い、パイランは上品に、シャオロンは豪快に口に入れる。しかし食べ方は違えど感性は同じだった。二人は同時にむせ、慌てて口を押さえる。が、こんなところで吐き出すわけにもいかず、かなりの無理をして唐揚げを飲み込んだ。
「こ、こいつはまったく……とんでもねぇな? ある意味殺人料理だぜ?」
「……この油の悪さ。下ごしらえのいい加減さ。そして油から上げるタイミング。まったく、帝都でも有名な二流店にも匹敵する酷い物だな。素材は良いが腕の方がすこぶる悪い。三級料理人でももっとましなものを作るぞ? これだけ素材の持ち味を殺せるとは、この店の料理人は恐ろしいものだな」
「しかしだ、それでも差し引き二流の上くらいの物にはなってる。まあ俺達の期待してたようなもんじゃなかったから驚いちまったが、他の店が二級品しか使えねえんだったらこれでも客は来るんだろうな」
 二人は思い切り辛口な感想を、やはり小声で述べると、それきりその料理には口をつけようともしない。そのうち二品目が来ると、二人はまたもげっそりとした顔になる。
「最悪だな、親父。こんな店にこれ以上いなくてはいけないとは……」
「今度は鯉の丸揚げか? いったいどうなってんだ、この店は?」
「油ものばかりだな。これでは吐いてしまう客もいるのではないか?」
 確かにそれくらいしつこい料理が続いた。その後も青椒牛肉絲や回鍋肉など、油っこい炒め物や揚げ物が容赦なく出てくる。
「……繰り返すが最悪だ、この店は」
「おいおい、あんまり大声でそう言うなよ。店の奴らがにらんでいるぞ」
「おまけになんなんだ、この取り皿の少なさは? 全部で四品も大皿料理が出ているのに小皿が一人一枚とは、客を馬鹿にしてるとしか思えないぞ。辛味噌炒めと甘味噌炒めを同じ皿で食べろと言うのだからな。常識がないにも程がある」
 さすがにここまで言うと、店の者も出てくるというものだ。店員は二人の席の横に仁王立ちし、出口の方をビシッと指差した。
「営業妨害するんならとっととお代を払って出てってもらえますか?」
 まさしく不機嫌そうな声で店員がそう言うと、こちらも不機嫌そうな声で言い返すパイラン。
「なにを言う。こんな料理を、おまけにこんな順番で出しておいて偉そうなことを言うな。お前の店の料理人は三流だぞ? それならよっぽどうちの親父の方がマシだ」
「そうだそうだ……って、なんか複雑じゃねえか、俺の立場は?」
 パイランの言葉に乗りつつ、ちょっと納得のいかない顔になるシャオロン。と、パイランは一応慰めの言葉を口にした。慰めにはなっていないのだが。
「気にするな親父」
 とだけだが……。
「まあとにかくだ、こんな一口つけるだけで嫌になるような料理に、正当な金額は払う気にもならない。金を払って欲しかったらもっとマシな料理を作れ」
 強引とも取れるようなことを平気で言うパイランだったが、さすがにこれでは食い逃げと同じである。店員は大慌てで役人を呼ぶように叫んだ。が、これはまずいとシャオロンが間に割って入る。
「すまねえすまねえ、金はもちろん払うぜ。まったくうちの娘と来たら常識ねえよな、まったく」
「こ、こらっ、親父、なにをする!」
 シャオロンは手早く金を払うと、パイランを肩に担ぎ上げて店を足早に出ていった。後には呆然とする店員と、見物していた客が残されるだけだった。





「……こら親父、いい加減に降ろしたらどうだ? まさか変な妄想などを抱いてはいないだろうな?」
 シャオロンの肩の上に担がれたまま道を行くパイランが、父親に軽蔑するような眼差しを向けた。特に意識もしていなかったシャオロンだが、そう言われてみると自分の娘の発育に目を見張るものがあったらしい。
「そう言やぁお前もなかなか……メイランも胸が結構でかくてな。こうボ〜ン、キュッ、ボンってな」
 そう言って自分の胸から腰、そして尻へと手を動かすシャオロン。しかしそれは、確実に娘の気に障ったらしい。
「知っているか、親父? そう言うのを異国では『せくはら』と言うのだぞ」
 そしてシャオロンの言う通り、確かに大きめな自分の胸の下にあるシャオロンの肩に思い切った肘鉄を食らわせる。
「ぬおぉぉぉぅぅっ!」
 シャオロンはその場にうずくまり、パイランは難なく肩から降りる。
「あまり馬鹿なことを言っていると、次はその大事な腕をもらうぞ」
「す、すみません……」
 と、やはりこの親子は相変わらずであった。
 さて、二人はそのまま南鱗酒家へと向かっていた。大通りから二本ほど中に入った、いくらか細い路地を歩いていく。その通りには小さな料理屋だったと思われるものがいくつかある。そして傾いた看板を直しもしない店、南鱗酒家もそこにあった。すでに客が来なくなって久しいらしく、窓には埃が積もり、蜘蛛の巣が張っているところも目についてしまう。そんな店を見たパイランは、正直な感想をシャオロンに告げた。
「これでは入る客も入らなくなるとは思わんか、親父?」
「……ま、とりあえず入ってみようや。これでも昔の名店だからな」
 正面の扉を開けると、意外にも中はきれいに掃除されていた。表から見たのとは随分違う整頓された机も、その上の小さな花瓶も、どことなく可愛らしさを感じるが確実にきれいになっていた。
「ちょいとすまねえ、誰もいねえのか?」
 シャオロンは大きな声で奥の方に声をかけてみる。すると、なにやら人の動く気配があり、今度はドタドタと走り去る音が聞こえてきた。これにはシャオロン達も頭をひねる。
「なんだ、いったい?」
「どうやら今のは子供の足音のようだったぞ? 随分と軽く、歩幅も小さい音だった」
 ほんの一瞬で、いきなりのことであったにもかかわらず、パイランは冷静に分析していたらしかった。シャオロンもそんな娘に笑いかける。
「まったくお前は、とんでもねえ奴だな。まあ俺にだってわかんねえことはねえが、お前みたいにはちょっと……なあ?」
 扉の前でそんなことを話していると、今度は先ほどの足音が、向こうの方から近付いてきた。そして調理場の影からひょっこりと子供が小さな顔をのぞかせた。
「……おじさん達、誰だい?」
「おう。俺はシャオロンってんだ。ここの主はどこに行っちまったんだ?」
「やっぱりおじさんがシャオロン? じゃあこっちに入ってきてよ。父ちゃんと母ちゃんと爺ちゃんが待ってるから。あ、扉は閉めて、閂も降ろしといてよね」
 子供は忙しくそれだけ言って、またも奥の方へと走っていった。シャオロン達は一度顔を見合わせたが、結局子供の言う通りにした。
「じゃあ行くか」
「待て親父。扉の閂も降ろしてこいと言っていただろうが」
「そういうのは力持ちの仕事だろ? だったらパイラン、お前の仕事だ」
 自分の非力さをまったく恥じるでもなく、シャオロンはそう言ってパイランに仕事を押しつけた。しかし、パイランがそんなことを言われて黙って従うはずもない。
「待て、馬鹿親父。どこの世界に力仕事を娘に押しつける親がいる」
「この世界のここにいる。ほらほら、とっととすませちまえよ」
 結局パイランは従うことになってしまう。なんだかんだ言ってみても、パイランはシャオロンに口では勝てないのだ。女にしては珍しいものだと、父でありながら思ってしまうシャオロンであった。
 そうして二人が奥へ行くといくつかの小さな部屋があり、その一番奥まったところに四人はいた。一人はシャオロンが市場で会った男。一人は先ほどの子供。そして後の二人も、間違いなく家人であることには間違いないようだった。
 その中でも寝たきりのようである老人が、シャオロンを見るやいなや懐かしそうに顔をゆがめて笑いかけた。
「おお、懐かしいのう。随分と立派になりおって、あの小坊主が」
 この南鱗酒家の元店主、老人コウリンのそんな一言目にシャオロンも破顔して言葉を返す。
「親父さんも元気そうでなによりだ。ま、寝たきりになったって目は死んじゃあいねえからな」
「はっはっは、言うのう。ところでシャオロンよ、少しは料理の腕も上がったのかな?」
「まあそこそこには。でもまだ親父さんに食わせられるほどじゃあねえよ」
 シャオロンは肩をすくめてそう言う。と、老人コウリンはゆっくりと身体を起こし、左手で脇に置かれていた茶を一口すするとそのままシャオロンの方に手をさしのべてきた。
「いや、お前は随分と成長したようだ。それくらいならば一目でわかる」
 シャオロンはコウリンの言葉に優しい目を向け、そして憚りながらも辛い一言を告げた。
「……親父さん、言い難いんだが……この街はもう駄目だな。あんな馬鹿みてえな店が大手を振るってるようじゃあ……」
「……ああ、無論わしらとてわかっておるよ。しかしなシャオロン、わしらにとって、この街は生まれ故郷なんじゃよ。……やはり故郷は捨てきれんものじゃ。わしらはたとえ死んでもこの街でやり抜くと、もう決めたんじゃよ」
「……」
 あまりに思い詰めた、そして完全に決めたというコウリンの言葉に、シャオロンはもうなにも言えなくなってしまった。そこへコウリンの息子、現南鱗酒家店主コウハが言葉を足してくる。つい先ほど、市場でシャオロンと出会った男だ。
「シャオロンさん、親父から話は聞きました。俺がまだ小さい頃に、うちにいた料理人があなただったと。だからあなたが父のことを思ってくれることも、この店のことを思ってくれることもわかります。でも、俺も、父も、妻や子も、皆が一緒になって決めたんです。この店はどんなことをしても守ると」
 コウハの言葉は、いつしか意を決したものになっていた。シャオロンにも、その決意の並々ならぬ固さは伝わってきていた。そしてそれが、もう覆せぬものだということも。だからシャオロンも腹を決めた。そして娘の方に顔を向ける。
 と、そのパイランはふっと小さく笑って父を見た。
「私はもとよりそのつもりだぞ? 親父一人で悩んでいただけだ。私はあんな連中をのさばらせておいてやるほど心が広くない。親父はどうだか知らないがな」
「馬鹿言え。俺ほど正義感の強い奴がそうそういるか。やるならとことんやってやるさ」
 シャオロンは娘にそう告げると、さっそく腕まくりをしてやる気を見せた。
「よし、じゃあ久々に掃除から始めるとするか」
「そう来なくてはな。私も久々に腕の振るい甲斐があるというものだ」
 二人はそう言って店の方へと戻っていく。それを見ていたコウリンは息子夫婦に声をかけ、手伝うように言う。
「コウハにヘキレイさんや、どうかわしを信じて、シャオロンを頼ってみてはくれんか? わしは彼の眼に希望を見た。老骨最後の願いと思って、この店を任せてやってくれ」
 あまりに思い詰めたような父の言葉に、コウハも逆らうことはできなかった。そして妻のヘキレイを連れ、自分達も店の方へと消えていった。後には自然と、コウリンと孫の二人が残された。
「……チョウリンや、お前も父を手伝ってやりなさい。わしはもう大丈夫じゃからな。なにしろ古い愛弟子が帰ってきてくれた。シャオロンはわしの弟子の中でも、群を抜いた腕の持ち主じゃった。きっと今では一級の腕くらい持っておるじゃろう。だから心配することはない。父にない技を盗むつもりで、一生懸命手伝ってやっておくれ」
 孫に優しい言葉で頼んだコウリンは、そのまま床に横になる。そのコウリンに手を貸した孫チョウリンは、一度力強く頷いて店の方へと走っていった。コウリンは孫の、そんな姿を見て安心したのか浅い眠りについた。



「おい、パイラン! 窓拭きの方は終わったか?」
 厨房から大きな声でそう言ったシャオロンは、調理人がたった一人になって使われなくなっていた鍋を磨いていた。シャオロンの手の中で、つい先ほどまで黒ずんでいた鍋が淡い銀色の光を取り戻そうと必死になっているようにも見える。
「叫ぶな親父、埃が落ちてくるだろうが。そんな簡単に終わるほど窓拭きというのは楽な仕事ではない。どうせなら代わってみたらどうだ?」
「へへん! 俺は鍋磨きで忙しいんだよ」
 大人げないシャオロンの返答を聞いて、コウハは頭を抱える思いだった。こんな人が、本当に頼りになるのだろうか、と。しかし父との約束は守らなくてはいけない。そんな葛藤の中で、彼も厨房の調理台をきれいに掃除していた。
「おう、コウハって言ったよな。お前、料理人資格の一級は持ってんのか?」
 シャオロンは、初対面にしては失礼な質問をした。しかし、一緒に仕事をする以上、相棒になる者の正確な腕前を知っておくことも大事だろう。そう思ってコウハも怒らずに返答した。
「まだ一級は持っていない。二級を受けてからすぐに親父が……腕を悪くしたんでな。そんな暇はなくなってしまった」
 すぐ横で一生懸命包丁を研いでいるチョウリンを気にしてか、父の腕の話は控えた。シャオロンもそれには気付いたらしく、それ以上の追求は避けた。
「……そうか。で、俺はお前の補佐に回ればいいのか?」
「いや、親父はあなたに任せたほうがいいと言っていた。来て急な頼みとは思うが、父のためにも任されて欲しい」
「……まあ俺たちはそれでも構わねぇんだが……お前は、それでいいのか?」
 シャオロンは曲がりなりにも現店主であるコウハに気を使って、真顔でそう聞いた。しかし、コウハは笑ってそれに答える。
「いいんだ、やってくれ。今まで俺には店の再建はできなかった。恐らくあなたに手伝ってもらってもそれは同じだろうからな」
「……わかった。謹んで受けさせてもらおう。じゃあコウハには刀工に徹してもらう。確か二級審査は刀工が主だったよな?」
 刀工というのは、いわゆる包丁使いのことである。三級では鍋使い、二級では包丁使い、一級では総まとめという具合に、料理人審査にもランクがあるのだった。
「ああ。刀工だけには自信がある」
「じゃあ頼むぜ。それから娘のことなんだが……」
 シャオロンはさも言いにくそうな表情になる。コウハもそれを察したようで、小声になったシャオロンの口元に耳を寄せる。
「……あいつはわがままで暴力的だから、あんまり逆らわねえ方がいい。俺もそれで何度も床に伏せることになったからな」
 あまりに真剣な顔でシャオロンが言うので、コウハも真剣にそれを受け止めたらしい。頬の辺りをひくひくと痙攣させ、厨房の渡し口からそっとパイランの方を見る。すると、言われてみれば怖そうな顔にも見える。まあそれは生来の仏頂面なのだが、そんなことをコウハが知るわけもない。そのまま目が合わないうちに引っ込んでしまった。
 だがパイランも、そんな二人の行動に気付いていないわけではなかった。しかし相手にするだけ無駄だとわかっていたので、あえてなにも言わずに黙々と窓を拭き続ける。そのうち、ヘキレイが深めの桶に水を入れてパイランの所まで持ってきた。
「私も一緒に手伝います。これで雑巾を濯いでくださいね」
「ああ、すまないな奥さん。私はあまりこういうことをしないから気付きもしなかった」
 パイランは少し笑みを浮かべながらそう言った。そしてそんなパイランのことをヘキレイもよくわかったようで、にっこりと微笑んで言う。
「パイランさんはあまり感情を表に出すのが苦手みたいですね? 本当はとても可愛らしい方なのに、そんな仏頂面ではもったいないと思いますよ?」
 パイランはいきなりそんなことを言われたので思い切り焦ってしまった。いつもシャオロンから可愛げがないのなんのと言われているだけに、突然そう言われてもしっくりこないのだ。しかしパイランにも相手の好意は強く伝わってきた。だからにっこりと笑い返してやった。かなり無理をして、ではあったが。
「そうそう、やっぱりそうしていた方が可愛いですよ」
 パイランはどうも調子を崩されながらも、ヘキレイと一緒になって窓を拭いていた。
 パイランは、そうして窓拭きを続けながらほとんどヘキレイの方を眺めていた。ヘキレイという人は非常に上品で、清楚で、可愛らしくて、そして優しい。こんな人ならば、きっと求婚者も後を絶たなかったのだろうなと、正直そう思った。そして自分と比較してみて、呆れるほどの大差がついてしまう。
(……私の社交性が一とすればこの女性は十。私の優しさが一とすればこの女性は十。私の可愛らしさが一とすればこの女性は十。つまり、まったく勝てるところがないというわけか。私も女として失格だな。あまり親父を馬鹿にはできないようだ)
 パイランはそんな風に、自分自身に思いやられながらも窓拭きを一通り終わらせた。そして父と二人で買い物に出かける。コウハ達は市場の者達に顔が割れているから、という配慮からである。





 つい先ほど来たばかりの市場だったが、買い物をするとなるとその雰囲気は違っていた。冷やかしの時とは違った、鋭い目つきで品物を見つめるパイラン。シャオロンの方はと言うと、ほとんどパイランに任せきりであまり熱心に食材を見てるようには見えない。そのことにパイランも気付き、訝しげな視線と言葉を父に向けた。
「親父、やる気がないのか? ないなら帰っていてもいいんだぞ?」
「……やる気がないわけじゃあねえんだよ。ただな、あの店の名物は海鮮料理が主なんだ。そうなるとお前の独壇場だろ? 俺の出る幕じゃあねえよ」
 肩をすくめてそう言うシャオロン。しかしパイランは呆れたような視線をシャオロンに向ける。そしてため息を一つつくと、父の頭を軽く小突いた。
「この頭は飾り物か、親父? 親父が得意な肉料理の名物がないなら作ればいいだろうが。それとも川魚で作るか?」
 パイランの的を射た意見にシャオロンはぽんと手を打った。そう言えばそういう考え方もあるな、と。
「おお、お前頭いいな? そっか、作りゃあいいんだよな。そうかそうか、そうだよなあ」
「……まったく、親父の人生数十年のうち、三分の二くらいは無駄だったのではないか?」
 パイランのきつい言葉にも、シャオロンは反論できずにいる。と、パイランはそんな父親に目もくれず、いきなり脇の店の方へ向かってしゃがみ込んだ。どうやら良い食材が見つかったらしい。
「親父、このスズキは良さそうだ。こっちの鯛もいいぞ。この辺りを使ってはどうだろう?」
「鯛とスズキ、か。まあその辺はお前にかかってるんだ、海鮮料理の女神様」
「……そういう呼び名は好きではないな。余計なことを言ってないで、さっさと自分の食材を探してきたほうがいいのではないか?」
 かなり険悪になったパイランの表情を見て、逃げ出すように去っていくシャオロン。相変わらず弱い父親の後ろ姿であった。



 さて、シャオロンはさっそく肉の店を探した。しかしあまり良い店が見つからない。相変わらず二級品ばかり並べている店が目立つ中、ようやく見つけたまあまあの牛肉。
「すまねえ、この牛肉をもらえるか?」
「うん? なんだ、見かけない顔だな?」
「ああ、ちょいと手伝いでな。南鱗酒家の方に持ってってほしいんだが、構わねえか?」
 シャオロンの言葉に、店主は一瞬驚いて顔を上げた。そしてシャオロンの肩を強引に掴んで店の奥へと引っ張り込む。さすがに危険を感じたシャオロンはなんとか逃れようともがいてみるが、店主の握力はもの凄かった。
「お、おいっ! 暴力反対!」
 情けない発言をするシャオロンだが、店主はまったく力を緩めようとはしなかった。
「いいから中へ来い! 黙って着いて来るんだ!」
 中に連れて来られたシャオロンは、通された部屋を見てとんでもなく驚いた。そこにはなんと、数は少ないながら一級品の品物が並んでいたからだ。
「……これは……」
「あんた、南鱗酒家はコウリンの弟子なんだろ? さっきあそこの孫がコウリンからの手紙を持って来たぜ。あんたにこの街を任せたいってさ」
「なんだよ、そんなことまで言ってんのか、あの爺さんは」
 シャオロンは肩をすくめて困った顔をする。実際困っているのだが、それは謙遜と取られてしまったらしく、店の主が思いきり肩を大笑いしながら叩いてきた。
「はっはっは、そう謙遜するなって! あのコウリンが手放しで誉めるくらいなんだろ? だったらこいつを、隠してた一級品を使ってもらういい機会だ。栄華楼に買収された役人どもに徴収される所だったんだが、なんとか隠しきってやった。こいつを使って街を建て直せるなら、あんたに賭けてみようじゃねえか」
「……いいのか? 俺は余所者だってことを忘れないでくれよ?」
「心配すんな。どうせ栄華楼の金と権力に勝てる奴なんかこの街にはもういねえんだ。それなら余所者にだって、可能性が少しでもあるなら賭けてみたいと思うさ」
「……そういうことなら使わせてもらおう。その代わり、駄目で元々だと思っといてくれよ?」
「ま、気にしなさんな。期待しないで投資するんだから」
 どこか気になる言い回しの主に、シャオロンはなんとも返答できなかった。そしてその代わりに苦笑いを浮かべ、店を後にした。こうなったらもうやるしかない。少し憂鬱ではあるが、これは自分に課せられた使命なのだと割り切ることにした。