旅の料理人 話の六 その名も龍蘭対極親子麺
作:みのやん




話の六 その名も龍蘭対極親子麺





 シャオロンは最後の料理に、かねてから考えていた一つの料理をパイランに提案した。
「こういうのはどうだ? 俺達の、溢れんばかりの親子愛を料理で表現するってのは?」
 このシャオロンの一言には、さすがにパイランも眉をひそめた。
「気持ちの悪いことを言うな、親父。 ……だが、まあ、そういうのもいいかもしれないな。どうせ向こうはバラバラなのだから、こちらが絆の強さを見せるというのは良い考えだ」
「だろ? じゃあよ、俺達二人の愛情を、麺で表現してやろうぜ」
「ふむ。で、どういうのを作る気だ?」
「へっへっへ、もう構想は練れてるさ。お前はお前の作るべきあんかけを作ってくれればそれでいい」
「……難しい注文だな? だがまあ、親父がそう言うならば引き受けよう。では親父、ほかは頼むぞ」
 そして二人は左右に散る。ここからは己の腕がものを言うのだ。



 パイランは、自分が作るべきあんかけと言われて、実のところ本気で首を傾げてしまっていた。自分はなにを作るべきか。そんなことは、今まで一度も深く考えたことなどなかったからだ。海の物と点心。自分の得意料理はそれであるはず。しかし今作るべきものとなると……やはり海鮮で攻めるべきなのであろうか?
「海鮮あんかけ……か。だがしかし能がない気がするな? それに、親父があそこまで言うからには違う気がする」
 パイランは一瞬浮かんだ海の幸を、頭の隅へと追いやった。それはそれで確かにうまいはずだ。それはわかる。だが、それで天帝食医を束ねるあのモウカイを越えることができるとは到底思えない。そして親子の絆など表現していないことも気になった。
 ここへ来て、パイランは初めて自分の壁を見つけた気になった。
(……そうだ、私の料理人生になにか答えはないのだろうか?)
 パイランは刻々と進む時間の中、ふとそんなことを考えた。今まで自分が過ごしてきた日々を思い返してみる。すると、真っ先に思い出したことがあった。それは、パイランの人生の中でも特に情熱に燃えた瞬間。それはもう三年も昔の話。それは初めて兄と共に、料理の楽しさと素晴らしさを知ったときのことだった。





 それは朝靄の中から覗く、巨大な建物の一室での出来事。
 その時間にはとても似合わないような声が、三件隣の黄一家すら起こすのではないかというほどの声が響き渡る。
「いつまで寝ている気だ、親父!」
 もはや帝都では名物となり得るほどの目覚ましが、建物から外へ、そして街中へと響き渡る。声の主はそう、見目麗しきパイランであった。ほっそりとした身体に編み上げた髪。今日も大層な美しさである。が、今よりもずっと幼い、可愛らしさが勝るような年齢である。
「……ううぅ、もう少し寝かせてくれよ、パイラン。俺は昨日も帰りが遅くって……」
 寝台の上で布団を抱えながら眠りこけている父親を、娘パイランは乱暴に蹴落とした。
「ん……どあぁっ!」
「兄貴が朝飯を作っている。早く起きぬようならば実力行使もいとわないとのお申し出だぞ? さあ、どうする親父?」
 腕組みをして仁王立ちするパイラン当年十五歳は、よもやその年齢からは想像できないような視線で父親を射抜いている。これは危険だ。寝起きのシャオロンですらそれには気付いた。なにしろこの娘は、一昨日も近所の同年代の男達五人を足腰立たないようにして帰ってきた。まあ理由がか弱い女の子を泣かせていた方が悪い、というものだったので叱るわけにもいかなかったのだが。
 とにかくそんな、か弱くない娘を恨めしく思いながらも、シャオロンは寝ぼけ眼ですっくと立ち上がった。天帝食医青龍天シャオロン当年三十六歳は、いたって不機嫌ながら娘に逆らうこともできずに食卓へと向かった。



 机の上にはシャオロン自慢の孝行息子、コソウの作った朝食が並べられていた。料理はいたってシンプルに、肉団子と卵入りの粥と薬味の乗った豆腐。とてもシャオロンのような地位の人間が食べるとは思えないほど粗末なものだが、それでもシャオロンはこういうものが好きだった。
 本来、皇帝の料理番であるシャオロンは国賓並の待遇を受けることができる。それは住むところ然り、着る物然り、また食べるもの然りである。が、シャオロンはあえてそういう物をすべて断った。子供を二人抱えていたので、金があることによる子供達の堕落を嫌ったのだ。そしてその判断は正しかったのだろう。二人の子供は元気に、そして健全に育っていた。まあパイランのように違う面はどうだかわからないが。
 今朝の料理番、コソウはシャオロンには似ずに聡明そうな青年であった。どこか貴公子然としていて、とても料理をするようには見えない。パイランと同じくらいの長い髪を背中で束ね、西から来る旅人のように、ほっそりとした身体と整った顔立ち。これでは宮中の女性達も放ってはおかないだろう。
 そんなコソウだが、顔に似合わず料理は大得意の分野である。それも、父親の仕事の影響であろうか。
 朝食の席で、シャオロンはふとコソウが作った粥に箸を止めた。今日の粥にはいつもとは違った、妙なうまさがある。確かこの前まではこんな事はなかったはずだが? そう思ったからである。そこで、直接本人に聞いてみるシャオロン。
「なあコソウ、こいつは……どうやって作ったんだ? なんかこう……深いな、この粥の味は」
 シャオロンに気にかけられたのがよほど嬉しいのか、コソウは満面の笑顔で父に語ってみせる。
「そうかな? ただ今日は鴨肉を使ってみただけなんだけどね。中の肉団子は鴨肉なんだよ。それからいい味が出てるんじゃないかな?」
「なるほどな、鴨か。しかし朝から鴨肉とは、ずいぶんと贅沢だな?」
 珍しい料理内容に、シャオロンはついコソウの顔を見る。いつもならば質素で倹約家なのがコソウであるはずなのに、と言いたげな顔である。
 しかしそれには、どういうわけかパイランが答えた。
「今朝方早くに行商人が街で悪漢どもに襲われていたんだが、ちょうど私と兄貴が通りかかったんで助けてやった。そのお礼と言っていたぞ? それでももらってはいけなかったか? 相手の好意を踏みにじってまで極貧の生活を続けろ、と?」
 もはやシャオロンにはなんとも言えない。がっくりとうなだれて、「そうか。良いことをしたな」と一言だけ言った。パイランの言葉の辛辣ぶりは、どうやらこの頃から変わっていない様子だ。
「あ、そうそう。今日は父さんを名指しでお呼びっていう隣国のお偉いさんが来ているって話だよ? 遅れないように行ってくれるかな?」
「ああ。お前のせいにされるからな、カクヨウに」
 シャオロンは苦笑してそう言った。カクヨウはシャオロンに面と向かって言えない分、コソウに当り散らすものだと娘からよく非難されるのだ。そして今日も、そのことは念を押された。
「まったくあの年寄りめ。一番の悪人は親父だと言っているのに、なぜか兄貴を怒鳴りつけていく。またやっているのを見かけたら、今度こそ敷地内から蹴り出してやると伝えておいてくれ、親父」
「物騒なことを言うんじゃねぇよ。俺だってあの爺さんは、モウカイの爺ぃより苦手なんだ」
「ま、そういうことなら仕方ない。私や兄貴も親父のように、口出しできないようになればいいだけのこと、か」
 ボソボソとこれからの人生計画を呟くパイラン。パイランが天帝食医になるのも、これがきっかけの一つであることは言うまでもないだろう。
「……うしっ、じゃあ噂のうるさいのが来ねぇうちに行くとするか」
 シャオロンは食器を洗い場に下げ、外出着に着替えるため部屋へ戻った。そして残されたパイランとコソウ。
 そのパイランが、兄を見つめていたかと思うと唐突に口を開いた。
「……兄貴、この前の話は考えておいてくれたか? 私は……本気だ」
 まるで愛の告白のようにも聞こえるこの言葉。しかしコソウは、別に緊張するでもなくそれに応えてやる。
「退位された二人の天帝食医の穴埋めだったね。それであとがま探しの試験を受けるっていうやつかい? う〜ん、まあそれもいいかもしれないね。もし僕達が父さんの役に立てるなら、今までの恩返しができるだろうしね」
 あくまで落ち着いて、にこやかに言うコソウ。するとパイランは身を乗り出して聞き直してくる。
「本当にそう思うか、兄貴?」
「ああ、本当だよパイラン。なんなら明後日にある次の試験を受けに行ってもいいね。どうしようか?」
「当然、善は急げということだ。次の試験を受けよう」
「わかった。でもその前に、パイランももう少し料理の修業をした方がいいんじゃないのかい? こんな事を言うのはなんだけれど、僕はパイランが料理をしているところを見たことがないような気がするんだけどな?」
 コソウの言葉にパイランは少し驚いたような表情になった。そして少し考えを巡らせたあげく、この娘にしては珍しい笑みを浮かべた。
「そうか、そう言えばそうかもしれないな。なにしろ私は親父のためにしか料理を作ったことがない。兄貴がいるならわざわざ私が作るまでもないだろう?」
「そんなことはないと思うんだけどね。でももしそうなら、なにか料理を作って見せてくれないか? お互いの味を見て相互評価しよう。他人の味をわかることも、料理人としての重要な能力だからね」
「……しかし、ずるいとは思わないか? 兄貴は一級料理人の資格を持っている。資格を持ってない私とでは向こうの対応も違うのではないだろうか?」
「……それは仕方ないよ。何度も言ったじゃないか、資格を取ったらどうだって。まあ料理ができるかどうかも知らなかったくらいだから、なんとも言えないけどね」
 コソウはそう言って笑った。確かにコソウはパイランの料理というものを食べたことがない。知っているのはシャオロンが話す評価程度だ。しかもそれは、すこぶる評判がいい。
「……まあとにかくなにか作ってごらんよ。待ってるから」
「わかった。とにかくあの邪魔な親父を追い出してから、な」
 パイランは不適な笑いを浮かべると、ようやく部屋を出てきたシャオロンを家から追い出すように送り出した。コソウもシャオロンに声をかけながらつい笑ってしまった。なぜシャオロンはあんなにパイランに弱いんだろうかな、と考えながら。
「……母さん似だからかな、パイランは。父さんが逆らえないのも無理はない、か」
 コソウは厨房へと入っていくパイランの後ろ姿を見ながら、ふとそんなことを考えていた。綺麗な髪や、怒ったときの仕草までもが生前の母を思い出させる。違うところと言えば、喧嘩に強いところと口が悪いことくらいだろう。まあそれは、もの凄く差があるので印象ががらりと違うのだが。それでもパイランは母に似ている。時折見せる女らしい仕草には、コソウですらドキッとすることもある。これではシャオロンが間違いを起こすのでは、と心配することも何度かあった。まあ今のところは大丈夫だが。それに、パイランがあの調子で行けば、そんなことなど起こりえない。返り討ちに遭うのが落ちだろうから。



 パイランは、自分の作れる料理の中でも、最も自信のある点心を作ることにした。材料があることも確認し、気合いを入れて腕まくりする。
「よし! 兄貴に私の愛を伝えてやるぞ!」
 勘違いされると困るが、この場合の愛とは兄弟愛のことだ。とにかくそんなことを言いながら、パイランは料理へと取りかかった。
 コソウが妹の作っているものを楽しみにしながら、机につくこと約半刻。ようやく出来上がった料理を、パイランは小さな皿に乗せて持ってきた。上にはたった今蒸したての、綺麗な点心の数々が乗っていた。焼売、餃子、春巻、饅頭。あの男勝りなパイランのメニューだろうかというほどに丁寧で、細かい女の仕事がそれにはされていた。これにはコソウも思わず身を乗り出してしまう。
「これを……パイランが作ったのかい?」
「思いも寄らない、という顔をしているぞ兄貴。まったく、失礼なものだ」
 笑いながらだがそんなことを言ったパイラン。が、完全に見破られたコソウは真面目な顔で謝った。
「いや、ごめんよ。どうもパイランを侮っていたような気がするよ。じゃあ早速食べてみていいかな?」
「好きなだけ食べてくれ。よくよく考えてみると、確かに兄貴のために料理をしたのは初めてだからな」
 コソウはパイランの言葉に改めて礼を言うと、パイランの作った点心を端から食べていった。
 まず焼売。これは豚肉をよく叩いたものに、五香粉、玉ネギ、そして隠し味にシイタケが入っている。
「……なるほど、これはシイタケの味が良く出ている。言うなれば、シイタケ焼売だね。でもそれは強すぎもせずに、肉のうまみをよく助けている。 ……おいしいよ、本当に」
 コソウの言葉に、パイランはニヤリと笑った。その不敵な笑みは、早く他の料理も食べてびっくりしろ、と言いたげにも見える。
「さて次の餃子は……ん? なるほど、辛い餃子だね。中身は、唐辛子に、肉に……それからこれはニラだね。赤と緑の彩りも素晴らしいし、なによりピリッと辛くておいしい」
 コソウは箸をまったく止めようとしない自分に気付いていなかった。もはやコソウはパイランの料理の虜になっているようである。
「春巻は……なるほどね、肉は一切なし。野菜と、エビと、帆立だね。海鮮春巻か。これも海の幸の味が良く出ている。それから最後の饅頭だけど……これは桃饅頭か。桃糖の味がいいね。これくらいの点心が当たり前に作れるんなら、店にだって置いてもらえるんじゃないかな?」
 コソウの誉め言葉に、パイランは目を細め、そして自慢気に腕を組んだ。歳の割には大きな胸が、組まれた腕の下で潰されている。
「兄貴に誉められると親父よりも期待が持てるな。どうもあの親父は胡散臭い。本当に皇帝陛下の御食事を作っているのかと不思議に思うほどだ」
 歯に衣着せぬパイランの言葉に、コソウは苦い笑顔になった。しかしパイランの言うこともわかる気はする。なにしろシャオロンは、パイランの前では良い父親でいようとする傾向がある。コソウと二人だけの時は、それはもう羽目を外す。しかしそんなシャオロンを、コソウもまた好きだった。そして羽目を外せるほどに信頼されていることに、ときどき嬉しくなりさえする。そんな事を考えながら、コソウはくつくつと笑った。そんな兄の不思議な笑いを見て、パイランはいぶかしげに声を掛けた。
「……なにをしている、次は兄貴の番だろうが?」
 パイランの言葉に、コソウは一言「わかってるよ」と答え、すぐに厨房へと入っていった。
 そして出されたコソウの料理は、なんの変哲もない火鍋と言われている鍋ものの上に、真っ白な大根おろしの雪をかけたというものである。しかしそれがパイランにはえらく好評で、結局天帝食医への試験料理にも使われる事となるのだった。



 二人は皇帝の御前に跪いている。そして一人ずつ名前を呼ばれてもう一歩前へ出る。
「一級料理人コソウ、ならびに天帝食医青龍天の娘パイランよ。汝ら二人は見事試験を合格した。よってここに、晴れて天帝食医の任に就くことを認める。汝らには白虎天、朱雀天の穴を埋めてもらい、朕のことを影ながらではあるが支えてほしい。よいな?」
 皇帝御自らコソウ、パイランの二人に天帝食医白虎天、朱雀天の正装を手渡すと、二人は一度お辞儀をして部屋を出ていこうとする。と、その二人に皇帝はもう一度声を掛けた。こんな事はめったにないことだったが。
「白虎天よ、そちの作った料理、雪中白虎は見事であったぞ。鍋に降り積もった白雪の中に隠れた虎のごとき鍋。力強く、それでいて遊び心のある面白い料理であった。またあのような見事な料理を頼むぞ」
「……かしこまりました、陛下」
 天帝食医の着任式も終え、その日、家に帰ったシャオロン一家は大騒ぎだった。飲めや歌えの大騒ぎ。しかしそれもそのはず、なにしろ家には二十人以上もの人が集まって、宴会が開かれたのだ。中には噂のモウカイ、カクヨウのほか、前任だった二人の天帝食医の姿もある。
 そして宴は夜中まで続いた……。



 真夜中、パイランはふと目を覚ました。冷たい風が、どこからか吹いてくるのを感じたからだ。その風は、初めて飲んだ酒によって火照っていた身体を、すぅっと冷ましてくれるいい風だった。
 そしてその風のもとである、庭への戸を開けたのはコソウだった。庭先に立ち、ぼうっと暗い空を見上げている。
 パイランは自分も庭先に出て、そっとコソウの横へと近づいた。そしてコソウと同じように夜空を見上げる。すると、そこにはこの世の四方を護ると言われている星、聖天四星がくっきりと浮かび上がっていた。北には聖玄武。東には聖青龍。南には聖朱雀。そして西には聖白虎。パイランはその一つである聖朱雀をじっと見詰める。真っ赤に輝く聖朱雀の星は、まるでパイランの食医着任を祝うかのように眩いばかりの輝きを放つ。もちろんコソウには、白く淡い光を放つような聖白虎が同じように見えたことだろう。
 そしてしばらくの後、星を凝視していた二人は我に返り、縁側に並んで座り込んだ。しかし二人はなにも語る事もなく、そのうちどちらからともなく家の中へと戻っていった。



 街を覆い尽くすような霧が出る日の出の刻。またもやその時間にはとても似合わないような声が、三件隣の黄一家すら起こすのではないかというほどの声が響き渡る。
「ええい、いつまで寝ている気だ、青龍天シャオロン!」
 昨日までとまったく変わらないパイランの声が、今日もシャオロンの脳髄にまで響き渡った。しかも立場的に対等になった事が、その行いを更に攻撃的にさせているようだ。
「……ううぅ、もう少し寝かせてくれよ、パイラン。昨日は酒盛りで盛り上がったから……」
 寝台の上で布団を抱えながら眠りこけている父親を、パイランは乱暴に布団ごと引きずり落とした。
「ん……だあぁっ!」
「今日も白虎天さまがわざわざ朝食を作ってくださっている。早く起きぬようならばいつもより強力な実力行使も問わないとのお申し出だぞ? さあ、今日はどうする親父?」
 腕組みをして仁王立ちするパイランは、今日も今日とて年齢からは想像できないような視線で父親を射抜いている。これは普段よりもっと危険だ。寝起きのシャオロンですらそれには気付いた。とにかくそんないたって強靭で強力で、おまけにがさつな娘を恨めしく思いながらも、シャオロンは寝ぼけ眼ですっくと立ち上がった。天帝食医青龍天シャオロン、当年三十八歳はいたって不機嫌ながら、同じく天帝食医朱雀天の娘に逆らうこともできずに食卓へと向かった。





 パイランはつい三年ほど前の話を、もう十年以上前ではないかというくらいの気持ちで思い出していた。そしてそれは、確かにパイランの原点であったことを思い出した。
(……そうだ。私は兄貴とともに、親父の役に立ちたくて天帝食医になったのだ。その気持ちを……少し忘れていた気がするな。そう、私も兄貴も親父が好きだった。それは今でも変わらない。ならば、その想いを料理にすることが、今の私のすべきことではないか?)
 パイランは思案顔から一転、ふと柔らかな笑みをこぼした。それは今までになかった、父親への本当の愛情を感じさせた。
「……よしっ! ならばやることは決まりだ。私は親父のことを想った料理を作ればそれでいい!」
 パイランの想いは、もはや動かないものとなった。父のことを想った料理。それこそが、今の自分が作るべき料理だと気付いたからだ。
 そしてパイランは、食材を集めに奔走した。



 シャオロンは、作るものを最初から決めていた。この勝負が二対二であるところから、もう決めていたのだ。それが、『親子の絆を表現する料理』であった。
(……パイラン。この勝負は俺とお前の親子の絆が勝敗を分ける。お前は……俺の言葉でそれに気付いてくれたんだろうか?)
 シャオロンは娘の鈍感さには、もう嫌と言うほど思い知らされていた。それだけに、難しい注文だということもよくわかっていた。だがしかし、それでもパイランには自分で気付いてほしかった。シャオロンの娘に対する思いと、そしてパイランのシャオロンを思う気持ちにだ。それがパイランの奥底にあることは昔からわかっていた。普段の突っ張った表情とは違う、時折見せる優しい微笑み。それは確かに、妻メイランを思い起こさせるほどのものだった。
 そんなパイランを思い出しながら、シャオロンはふっと笑みをこぼす。そして袖をまくり上げると、頬を叩いて気合いを入れる。
「……よし! じゃあ俺はあいつのことを想った料理を作ってやるか」
 シャオロンは愛娘のことを考えながら、食材置き場へと向かって歩き出した。
 と、早くも材料を一通り用意したシャオロン。豚肉、蜂蜜、そして杏の果醤。特に目を引くのはそれだけだ。だがそこから出来るものは、父から娘への贈り物の一つでもあるのだった。
「……メイラン、また一つお前のことを伝えられそうだぜ」
 シャオロンは一度天を見上げ、そして包丁を握った。
 豚のバラ肉を一口大の大きさに切り、ほかにネギ、ショウガのみじん切りを用意する。そして肉を油通しする。下ごしらえはたったのこれだけである。
 鍋でネギとショウガを炒め、スープを入れる。そして豚肉を入れたところへ蜂蜜、杏の果醤を入れた。
「後はとろみをつけて完成だな。よし、麺を作っておくか」
 シャオロンは鍋を火から下ろし、今度は小麦粉を練り始めた。その中に、なんとほうれん草をすりつぶしたものを混ぜ込んでいく。こうすることで、麺に自然な甘みが出るのだ。
 そして麺ができあがると、パイランも仕事を終えてやってきた。
「私の方はできたぞ、親父?」
「ああ、こっちも後は麺を茹でるだけだ」
 そして麺を茹で器に盛る。そしてその上には……
「ん? お前、そいつは……」
 シャオロンはパイランのあんかけを見てつい目を奪われた。なにしろそれは、いつものパイランの作るものとは確実に違う。海鮮をまったく使わず、野菜と川魚で作られたあんかけだ。
「これは鯉と白菜、タケノコのあんかけだ。確か母の好物だったと兄から聞いた覚えがある」
「そりゃあ……そうだが……」
「なにを面食らっている? 自分のあんかけは乗せないのか?」
「お、おお。そうだな。じゃあ俺は、メイランが一番得意だった豚角煮込みのあんかけだ」
 そしてシャオロンはあんかけを麺に盛った。だがそれとは別に、パイランの分も小皿に用意する。
「ん? どうした?」
「こいつはメイランの得意料理だったと言ってるだろうが。ほら、食って見ろよ」
 パイランは差し出された小皿をしげしげと眺め、そして一口分箸をつけた。目を瞑って何度か口を動かし、そしてゆっくりと味わった。
「……杏の甘酸っぱさが、親父には気持ち悪いくらい合わないな。だが母の料理だというのならばそれも頷ける。母の親父への愛と、そして兄貴や私への愛が込められているような気がする」
「……ああ。お前がもう少し大きくなったら絶対に食べさせてやるって頑張ってたんだがなぁ……」
「ふむ。だがまあこうして味わえたんだ。それでいいだろう。だが結局のところ……」
 パイランは小皿と箸を置き、シャオロンを真っ向から見つめた。
 なんとなく息苦しい思いのシャオロン。
 そしてパイランはほんのりと赤くなっているシャオロンにふと柔らかい笑みをこぼし、そして軽く頭を小突いた。
「変な想像はするな。ただ、結局私達を繋げているのは母や兄貴、つまり家族の絆だということに気付いただけだ」
「……なるほどな。確かにそうだ。あいつらには感謝しなくちゃならねぇな」
 シャオロンもそう言って笑った。二人のメイランへの思いと、そしてお互いを繋げているものがこうして明らかになった。そしてそれは永遠に消えるものではない。つまり、永遠に二人は繋がっていられるのだということにも気がついた。
「で、料理の名前はなんとする、親父?」
「へっへっへ、実はもう考えてあんだよ。その名も、龍蘭対極親子麺ってのはどーだ?」
「おお、久々に改心の名付けだな、親父。なかなか気に入った。それではさっそく皇帝陛下に御試食願おう。しかし向こうは……散々のようだな?」
 パイランは笑って師匠の方を指差した。そこでは思い通りに行かず腹を立てているウーユワンと、思いも寄らぬ足手まといに腹を立てているモウカイが怒鳴り合っていた。