旅の料理人2――朱雀迷走―― 話の六
作:みのやん





話の六 思い出の料理
 
 
 夏。夏真っ盛りである。そんな日の、出来事だったはずである。 ……これは。
「シャオロン! あなたいつまで寝てるつもりなの?」
 突然聞こえた懐かしい声に、シャオロンはがばっと跳ね起きた。寝ていたのはそう、寝室である。そして目の前には、間違えるはずもない愛する妻の顔。
「……メイラン?」
 呆けた声を出してしまったシャオロンは、何とか今の状況を思い出そうと頭を高速回転させる。と、メイランの方が待ちきれなくなったらしく、腰に手を当てて身を乗り出し、シャオロンの鼻先に近付けた顔から一言放つ。
「あのねぇ、あなた昨日『明日はパイランが産まれて五ヶ月になる日だから、めちゃくちゃ美味いもんを作ってやるぜぇっ!』とか言ってなかったかしら?」
 そう言われて、シャオロンは事のすべてを思い出した。確かに昨日そんなことを言った記憶がある。
「あ〜、そうだったな。で、何が食いたいんだ?」
「あのねぇ、それはパイランに聞いてちょうだい。私のために作る日じゃあないでしょう? ほら、私も一緒にお料理するから、早く支度をして降りてきてね」
 そして、シャオロンは優しい口づけを頬に感じた。どこか懐かしいような、心の温まるキスだ。
「……なんか、忘れてねぇか、俺?」
 メイランが部屋を出ていった後、シャオロンは一人そんなことを口にした。が、返事を返す者は誰もいない。とにかく妻の機嫌を損ねぬうちにと、支度をして部屋を出る。
 家は、傷一つない綺麗なものだった。妻の毎日欠かさぬ掃除と、悪戯というものをしない出来た息子の賜物である。が、どこかおかしな感じがする。どこかで、もっと傷だらけの我が家を見たような、そんな既視感に襲われるのだ。
「……う〜ん、思い出せねぇ。でもま、いっか」
 結局シャオロンは、気にしないことに決めたらしい。だがそうなれば行動は早い。一度やる気がでれば、もう誰も止められないというのがシャオロンである。
「おはよう、お父さん」
 個人の持ち物としてはかなり大きな厨房で、待っていたのは息子のコソウ。小さな妹を優しく、そして持て余し気味に抱えている。健気で小さな兄の姿である。
「おう、早いな。パイランも、元気そうでなによりだ」
 にかっと笑ったシャオロンは、まずコソウの頭を撫で、次にパイランの頭を撫でてやる。と、パイランの方はその手を嫌がるように手を動かしている。相変わらずの父親嫌われっぷりである。
「あ〜、相変わらず懐かねぇな、俺には。なんか嫌われるようなことでもしたか、俺?」
 それは産まれ持ってのパイランの気性なのだが、コソウなどは笑って父親に対する優越感を楽しんでいる。
「僕は気に入られてるみたいなんだけどね」
 そんなコソウも、いずれ三回転半もさせられるとは夢にも思わない。
「さて、じゃあとびっきりの料理を作ってやるとするか。コソウにはパイランを任せるからな」
「うん。じゃあ部屋で遊んでるね」
 そして厨房を出るコソウの背を眺めながら、シャオロンはこれから作る料理の構想を練り始める。なにしろ愛娘のために作る料理である。気合いを入れるなという方が間違いであろう。
「……俺の娘って事は肉が好きなのか? しかしいくら何でも離乳食を四ヶ月で嫌がるようになるたぁ……我が娘ながら恐ろしいぜ。歯も生え揃ってるしなぁ」
 そう、パイランは常人にあるまじき成長を遂げていた。既に大人と同じものを平気で食べるのだ。常識外れ加減がとんでもない。まあそれも、パイランの話であるというのならば頷けないものでもないだろう。
「……ん? ああ、メイランと被っちゃまずいよな。向こうの料理でも参考にしてみるか」
 そしてシャオロンは、まだ洗濯という家庭の大仕事に精を出しているメイランの元へと足を向けた。そして、ようやく三大家事の一つ目を終わらせた妻に声をかける。
「メイラン、ちょっといいか?」
「あら? どうしたの?」
「あ〜、お前は何を作るのかと思ってな。同じもんを作っちゃまずいだろ?」
 メイランもそれには納得いったらしく、洗濯用のカゴを脇に置いて、なにやら思案顔になる。
「う〜ん、そうねぇ……じゃあケツギョのナツメ揚げを作るわ。あれならほんのり甘いし、小さい子は甘いものが好きでしょう? あれだったら喜んで食べてくれるんじゃないかしら?」
「あ〜、なるほどなぁ。よく考えてるもんだよなぁ、お前も。じゃあ俺は何を作ろうかな〜っと」
 妻の話を聞いて余計に混乱した頭を抱え、シャオロンはふらふらと庭の方へと出ていった。今日に限って、なぜだか良い案が浮かんでこないのだ。いつもならば、妻の料理を聞き、すぐさま自分の料理も浮かぶものなのだが。
「な〜んか、パッとしねぇんだなぁ」
 牛肉、豚肉、鶏肉、どれからイメージしても、なぜかすべて気に入らない料理にできあがってしまう。今作るべき料理が、断片たりとも浮かんでこない。途方に暮れたシャオロンは、庭石に腰掛けて、大きな空を仰いだ。もはや頼れるのは、天の采配のみである。
「何を作ったらいいのかねぇ……」
 悩むシャオロンの目には、空を行くちぎれ雲しか映らない。まさか雲を料理するわけにも行かず、いつしかシャオロンは、目を閉じていた。目に映るものがない分、耳や鼻に意識が集中する。と、ごく小さな音が、普段では聞き取れないような音が聞こえてきた。それは妙に華やかで、人々の喧噪も風に乗って聞こえてくる。
「……なんか随分と賑やかだな?」
 と、起きあがったシャオロンが目を開けると、突然何か巨大なものが双眸に飛び込んできた。それは……
「……龍? ああ、今日は降龍祭の日だったか」
 降龍祭。それは遙か昔、巨大な龍族の王が人間界に舞い降り、悪を滅ぼした日とされる伝統的な記念日である。龍とは悪を懲らしめるもの、また森羅万象を司るとも言われる神聖な幻獣である。ちなみに降龍祭では巨大な作り物の龍を棒にくくりつけ、数人であたかも本物の龍のように舞わせる。その年に一度の行事では、人々が日頃の疲れを癒すかのように騒ぎ立てる。
「……はぁ〜、流れる雲と微妙に相成って、見事なもんだな……」
 シャオロンの位地からは龍を見上げる格好になり、まるで本物の龍のようにも見えた。そして、シャオロンの頭に何かが閃いた。
「……龍と雲、か。 ……ああ、いけねぇ。これじゃあとっておきの秘密兵器『青龍昇雲』になっちまうな」
 一瞬頭によぎったイメージを、そそくさとかき消してしまう。そのままではそのイメージが頭にこびりついて、他のことが思い浮かばなくなってしまうからだ。そして龍から目を逸らし、ふと足下の大きな池に視線が行った。そしてそこにはたくさんの金魚が優雅に泳いでいる。ひらひらと尾鰭や背鰭を漂わせながら、慌てず、急がず泳ぎ続ける金魚。シャオロンは、そんな金魚を見てふと思い出した。それは、金魚を買ってきたのはメイランであるということ。そして、その金魚はパイランがあまりに気に入って、離れようとすると泣き出したことから買うことになったのだ。
「……パイランお気に入りの金魚……か……金魚金魚〜……そうか、夏なら金魚で冷やし中華か! ……おお、こいつなら驚くこと間違いなしだろうな!」
 シャオロンは意味不明な一言を残して一目散に家を飛び出し、祭り休業としていた魚屋の扉を叩くのだった。
「おい! 開けてくれ! どうしても買い物がしてぇんだ!」
 魚屋にとってはいい迷惑である。せっかくの祭りの日に、おまけに今までいい気分で酒を飲んでいたのに、なぜ邪魔をされねばならないのか。そんな雰囲気を微塵も隠さず、店主はゆっくりと姿を現した。
「あ〜、今日はお祭りなんですけどねぇ」
 店主はそこまで言うのが精一杯だった。それ以上の文句は言う気にもならない。なぜなら既にシャオロンは店の扉を蹴破って中に入っており、活きのいい魚を鷲掴みにして立っていたからだ。これには店主も、酔いを忘れて唖然とした。
「かぁ〜、俺ってやっぱ天才だな。こんなすげぇ料理を思いつくなんてな。んじゃぁ親爺さん、代金はいつも通り月末払いでな!」
 店主も虚を突かれる形となった。文句を言う暇もないとはこのことである。が、当事者がいなくなっては後の祭り。祭りなら降龍祭だけで充分間に合っていると思いながら、店主はいつもながらのことだと諦めて扉を直しにかかった。
 
 
 厨房に立ったシャオロンは、颯爽と腕まくりをして包丁を握る。なぜだかいつもよりも重量感のある包丁に、妙なほどの違和感を感じる。とりとめて特徴のない普通の幅広包丁は、鈍い光を放っている。どこか懐かしいような包丁に、思わずシャオロンは目を細めた。
「……なんだか、懐かしい気がすんな。でも俺の包丁って……もうちぃっと派手だった気がするんだよな?」
 頭の隅をかすめる淡い記憶をたぐり寄せようとするシャオロンだが、どうやら手が届かないらしい。結局なにも思い出せないままだった。そしてとりあえず、料理を始めることにした。
「うしっ、んじゃあ行くか!」
 言うなりシャオロンは、まず小麦粉を練ることから始めた。厨房台の上に大きなまな板を敷き、そこに小麦粉で大きな山を作る。その山の頂上には大きな噴火口――窪みがあけられ、水、卵、塩、そして粘りを出す魔法の水『カン水』が入れられる。カン水とは、弱いアルカリ性を示す水で、小麦粉のグルテン質に反応して強い粘りを出すようにするものである。
「……ぬぅりゃぁぁぁっ!」
 豪快なかけ声と共に小麦粉の山を練っていくシャオロン。それほど気合いを入れてやる工程でもないのだが、まあそこがシャオロンのシャオロンたるゆえんである。さて小麦粉は、シャオロンが一練りする度にその姿を変えていく。細かい粉状だったそれが、徐々に一塊りになっていくのはまさしく見事なものである。帝都でも、このシャオロンに敵う面点師(点心や麺類などの製作を主な生業とする料理人のこと)はいない。この時代でも、それはモウカイくらいである。シャオロンは肉料理や川魚料理を得意とするが、麺作りの腕前も特級なのだ。
「かぁ〜っ、腰が痛てぇ〜」
 十数分の全力格闘の末、シャオロンは見事な麺生地を作ることに成功した。表面は艶々と光沢を放ち、弾力も充分、味も卵や塩、水の加減が絶妙である。
「あら、相変わらず見事な生地ねぇ、シャオロン」
 突然背後から声をかけたのは、愛妻メイランである。生娘のように長い髪をそのまま流し、うっすらと微笑を浮かべているその美しさは神々しささえ放っているかのようだ。そんな妻に、シャオロンはにやっと笑いかける。
「へっへっへ、今回はパイランに喜んでもらうぜぇ。なにしろあいつと来たら、産まれてこのかた俺の料理を喜んで食ったことがねぇ。メイランの料理は喜んで食うってのによぉ」
「ふふふ、それはきっと愛の力よ。あなたの愛が足りないからいけないの。もっと自分の娘を愛して料理を作りなさい」
 これにはシャオロンも参った。愛こそが料理だというのはシャオロンの格言である。それをこうも覆されては、さすがのシャオロンもガックリと項垂れるしかなかった。そしてそのうち、胸の奥に炎のようなものが燃えたぎった。
「いよぉ〜し、そういうことなら今回は大丈夫だ。なにしろあいつのことだけを考えて、料理を作るんだからな」
「で、シャオロンは何を作るのかしら?」
 メイランにそう聞かれた時のシャオロンは、あたかもその瞳が光ったかのように見えた。水を得た魚、鬼に金棒、そんな言葉が似合いそうな表情になるシャオロン。 ……まあ河童の川流れにならないことを祈るばかりである。
「聞いて驚くなよ。俺が作るのは……池走金魚だ!」
 シャオロンの言葉に一瞬固まるメイラン。だがそれも仕方がないだろう。シャオロンのネーミングセンスのなさは、折り紙付きなのである。
「なんだか……すごい名前ね。そのまんまって言うか……ひねりが無いって言うか……」
「そうか! 凄いか、凄いだろう! そうだよなぁ、すげぇんだ、こいつは! んなっはっはっはっは!」
 メイランの言葉の初めだけを聞いて笑い始めたシャオロン。もはやメイランには、言い直すことなど出来なかった。それもこれも、愛ゆえであろうか。
「さぁてと、そんじゃあバリバリ作っちまうかぁ!」
 そしてシャオロンはまたもまな板に向かった。今度は普通の丸いまな板に、先ほど無理矢理強盗よろしく手に入れてきた魚、ネズミハタを置いた。ネズミハタは白身の淡泊な魚で、いわゆる高級魚に位置するものである。その魚を、シャオロンは豪快に三枚に下ろす。中骨に身の一片たりとも残さない、豪快かつ洗練された包丁さばきである。そのあまりの技量に、メイランなどは横で目を見張っている。惚れ直した、というところであろうか。
「すごぉい……」
 思わず漏れるため息混じりの感嘆。自分の料理技術に比べてあまりにシャオロンが超越しているために出たものだろう。
 シャオロンはそんなことにも気付かず料理を続ける。片身になったネズミハタの身を皿に乗せ、さらにその上には香草や極細の白髪ネギを乗せて蒸籠で蒸す。清蒸(チンジャオ)と呼ばれるその料理法は、とても柔らかいネズミハタの身を崩すことなく調理するのに最適である。八分ほど火が通り、魚の肉汁が逃げない内に蒸籠から取り出すと、厨房内にえも言われぬ香りが立ちこめた。
「準備は万端。後は仕上げをご覧じろ〜ってかぁ!」
 これですべての準備を整えたらしいシャオロンは、まず蒸し上げたネズミハタを風通しの良いところで休ませる。獣肉と同じだが、こうすることで溢れんばかりの肉汁が身の中に分散し、味が良くなる。おまけに熱も冷めるとあって、いいことだらけである。次に十八番の麺調理である。こちらも休ませておいた麺生地を、両手に持って勢い良く左右に引っ張る。強いコシの抵抗を腕に感じながら、シャオロンは麺の出来に満足していた。伸ばしては持ち替え、伸ばしてはまた持ち替えという動作を数回繰り返し、512本の滑らかな麺が仕上がった。細く長く伸ばされてもその生地は光沢を失わず、自らの強いコシによって麺にちぢれが入る。このちぢれにスープが絡まったときのことを考えると、涎が垂れそうになるシャオロンであった。
「……ぐわっ! いけねぇ、涎が混ざるとこだった!」
 相変わらず横で見ているメイランは、どこか不安そうに笑みを浮かべている。この料理が美味しく出来るようにと、心から祈りながら。
 さて、伸ばされた麺はあらかじめ沸かされた湯の中で舞うように踊る。鍋の中での対流に、細い麺が手を取って踊っているかのようだ。そしてやや茹で過ぎな感じに茹であげられた麺は、すぐさま氷水へと移される。すると麺は、ちょうど上手い具合に茹でられたときの固さに戻る。急激に冷やされたことで、麺の中のグルテン質が縮んだのだ。
「……茹で過ぎだったわよね、さっきは?」
 麺の一本を試食したメイランが信じられないという顔で言う。今までは麺が縮むことなど、考えたこともなかったからだろう。
「冷やし中華の時はこうするんだよ。そうしないと、やや固めに茹であがっちまうからな。こいつは覚えといた方がいいぞ、マジで」
 小龍が手を休めることなく言う。その手は既に、次の支度に取りかかっている。野菜を洗っているのだ。ほうれん草に、レタス、そして緑豆である。それらを皿に盛った麺に、美しく盛りつけていく。できあがったのは……
「まあ、それで名前が金魚だったの」
 そう、できあがった冷やし中華はまさしく金魚型である。レタスやほうれん草で出来た鰭の部分、緑豆の眼、胴体にはネズミハタの肉。どこからどう見ても、金魚そのものである。
「へっへ〜、後はタレをかけりゃあ完成だぜ。すげぇだろ?」
 胸を張って誇らしげに言うシャオロン。が、メイランはなにやら思案顔だ。
「……ん? どうした?」
「あのね、せっかくここまでやったんだから……」
 そしてメイランは突拍子もないことを言った。が、それはまさしくシャオロンの心を動かすような事だった。そしてそれは実行され、一家は昼食を迎えることとなった。
 
 
「うわぁ、金魚だ!」
 第一声は、コソウのその言葉であった。
「なっはっは! 俺とメイランの合作、汁池金魚だ。 ……名前は変わっちまったがな」
 最後の一言だけを小声で言ったシャオロンだったが、隣でメイランは吹き出すのを堪えられなかった。腹の辺りに手を当てて、懸命に声を押し殺している。
「ま、まあいいじゃねぇか。食ってみろよ。ほれ、パイランも食わせてやるからな」
 言うなりシャオロンはパイランを抱き上げ膝の上に座らせた。いつもならば嫌がるところなのだが、どうやら今回のパイランは違う。料理の方を見つめ、興味深そうに首を傾げたりしている。
「凄いね、これ。下に敷かれてるスープが冷えて固まってる。煮こごりにして冷やしたんだね? 凍った池の上に乗ってるみたいで面白い!」
「おうよ! そいつはメイランの案だ。俺は金魚だけしか考えてなかったんだが、最後に一ひねりされてな。でもそれが美味かったんだ」
 ニヤニヤしながら冷やし中華に箸を伸ばしたシャオロンは、少しだけ小皿に料理を取り、パイランの口元にそっと近付ける。すると、パイランは口を開けた。こんなことは初めてである。
「おお、食うか? 食いてぇのか?」
 嫌な驚き方をするシャオロンだったが、パイランはお構いなしに冷やし中華を食べた。小さな口が、ゆっくりとシャオロンとメイランの合作料理を味わう。そして……
「……笑ってる」
 シャオロンは思わず箸を取り落としそうになった。この長い人生で始めて見る、自分の料理での愛娘の笑顔。もはや、感無量である。
「……苦節百五十一日。やっと……やっとパイランが笑ってくれたぜぇぇっ!」
 そのときの感動といったら、とんでもないものだった。思わず嬉しくて、街中の数多の龍を吹き飛ばしながら駆け回ったほどに。後で苦情を受けたのは置いておくとして、それくらい喜んだのだ、シャオロンは。そしてこれこそが、今のシャオロンを奮い立たせる料理の基の一つと言えないこともない。それを今、思い出した気がする。
 そして、シャオロンは目を覚ました。
「……夢?」
 最近よく昔のことを思い出す。そんなことを考えながらシャオロンは頭をボリボリと掻きむしった。つい最近も、メイランの言葉を夢の中で聞いたような気がする。そしてその度に助けられた。今回もまた、然り。シャオロンは、家族の絆の第一歩と言ってもおかしくはない料理を思い出し、今まさに作ろうとしていた。
 
 
 シャオロンは、絶句した。
 あまりに唐突な出来事に、だ。
 パイランがシャオロンの作った汁池金魚を口にし味わっているかと思うと、突然涙を流し始めたのだ。袖で涙を拭うわけでもなく、ただ止め処なく溢れてくる涙を膝の上に落としている。
「……覚えている……気がする味だ……」
 パイランは、そう呟いた。間違いなく、呟いたのだ。いったい何日黙り込んでいたのだろう。シャオロン達は、もう何年も声を聞いていなかったような気がした。ホッと安堵のため息をつくのとほぼ同時に、パイランがシャオロンに顔を向けて聞いた。
「これは、きっと母の料理だろう? 親父や兄貴の味は、こんなに優しくはない。こんなに……想いだけで涙が、止め処もなく溢れてくるほどには、だ」
 そしてパイランは、二口めに箸を伸ばした。そしてゆっくりと、疲労しきった胃に負担をかけないように食べる。と、シャオロンがその肩に優しく手を置き、一言そっとこう言った。
「こいつはな、俺とメイランの料理だ。コソウはこれを作った頃、まだ小さくてな。とても料理なんか出来なかった。お前は……産まれて五ヶ月目だったぜ。こいつは、俺とメイランがお前だけのために、お前のことだけを想って作った料理だ。だから……涙が出たんじゃねぇのかな……」
 パイランは塗れる瞳をシャオロンに向けた。やや細くなった頬は、鋭さよりも弱々しさを感じさせる。そんなパイランが、不意に笑った。
「礼を言うぞ、親父。恋に破れたとき、私は総てが信じられなくなった。自分が起きているか夢を見ているのかさえ解らぬほどに、だ。心の奥底で、こんなに信じたくないことばかりが現実に起きるはずはない、と。だが……それはただ目を背けていただけだった。しかも、たかが失恋などというくだらないことで、だ。この料理を食べて、私は気付いた。私の周りには、愛が溢れているとな。その内の一つがどうにかなったくらいで、死ぬ必要などまったくない。逃げる必要などどこにもない。まだ私には、愛してくれる人がたくさんいる。
 だから、せめて泣くだけで充分だ。そして私は……もう充分、泣いた。後は、やるべき事をやるだけだ」
 そしてパイランは立ち上がった。朱雀はいつしか不死鳥のように、もう一度立ち上がったのだ。そして叫んだ。声高く。
「兄貴、食事の準備をしてくれ。この程度では全然足らないぞ!」
 そして一家は、一つになった。病み上がりのパイランに「だがこの時期に冷やし中華では凍え死ぬだろうが!」と回し蹴りを入れられたシャオロンが、途方もないほどの幸せを感じたほどに。