旅の料理人2――朱雀迷走―― 話の八
作:みのやん





話の八 それはあたかも淡雪の如く
 
 
 コソウの目は、まさしく火を噴き出さんばかりの闘志に満ちあふれていた。右手に持った包丁も、きつく握りしめられている。
「……さぁ白虎天、何を勝負の課題にするんだ? 俺は何でもかまわねぇぜ?」
 ウォンエンの余裕ぶりは、端から見ていても大したものだ。思わずシャオロンたちも、ウォンエンを気にし始めた。
「なぁ、あいつ……なんだってまた、あんなに余裕綽々なんだかな? 相手は仮にも天帝食医だぞ? それをあんなに……」
 警戒心を強めるシャオロン。だがその目に映っているのは、ウォンエンではなくコソウであった。やはり親子の絆とは、無意識のうちにも顔を覗かせるものなのだ。もちろん、兄妹の絆も同様である。
「あのウォンエンという男の目は、ただの悪人の目ではない。何か……危険な心の内を感じる。普通の悪人ではなく、極悪人ということなのか? とにかく……兄貴の奴、負けなければよいが……」
 パイランは、真剣な目でウォンエンを射抜いていた。パイランは感じたのだろう、ウォンエンの身体から発せられる危険な波動を。だがいくら心配したところで、勝負に手を出すわけには行かない。結局その場で、心の中で祈りを捧げるしかなかった。
「私は何でも構いませんよ。たとえどんな食材、どんな調理法であろうと、貴方のような人には負けませんので」
「ヒヒヒヒヒ……随分と余裕じゃねぇか、白虎天様よぉ。だが……この俺はそう甘くねぇぜ。ヒヒヒヒヒ」
 気味の悪い声を出して笑うウォンエンは、ベロリと長い舌を出して唇を舐めた。まるで、獲物を見付けた野生のオオカミのように。
「ならば勝負の課題は貴様の得意な野菜でやってやるぜ。そうだな……大根料理、なんてのはどうだ?」
「結構ですよ。貴方を真帝団ごと、私の料理で叩きつぶして見せましょう」
 ギラリと包丁が鈍い光を発した。まるでコソウの心をあらわさんとするように。が、それを遮るもう一言が、ウォンエンから発せられた。
「ヒヒヒ……課題がそれだけじゃあつまらねぇだろう? 副課題もつけようじゃないか」
「……副課題?」
「そうだ。いわば料理のだ。その料理から、何かを連想させるってことだ」
 ウォンエンの笑みは、さらに野生さを強めていく。今にも八重歯が牙に変貌しそうなほどだ。
「……いいでしょう。で、何を副課題に?」
「ヒヒヒ、ならば『雪』でどうだ? 得意だろう、『雪中白虎』とかよぉ。ヒヒヒ……」
 明らかに男はコソウを罠にはめていた。なにしろ試食は皇帝がするのだ。一度でも食事に出したような料理では、たとえ味が良くても感動が半減してしまう。その感動とは料理を食べる上で、味を決める最後の調味料と言っても過言ではないと、コソウは考えている。たとえどんなに美味しい料理でも、何度も何度も食べていれば必ず飽きが来る。その飽きた料理と、多少味自体は劣っていても初めて食べる料理とでは、話にならないほどの差を生むものだ。だからこそ、この勝負はコソウにとって不利だった。だがそれを知った上で、あえてコソウはその条件をのんだ。
「……いいでしょう。ならば主課題『大根料理』、副課題『雪を連想させる料理』で勝負です。私は、貴方などには絶対に負けません。負けるわけには行かないのです。たとえ『雪中白虎』を作るわけにはいかなくても、私は負けません!」
 初めてだった。コソウが叫ぶところなどを見たのは。それはシャオロンにとっても、パイランにとっても、もちろん他の誰にとってもそれは初めて見るものだった。観戦する者達の耳には、白虎の咆吼に聞こえたという。
 
 
 勝負は、すぐさま開始された。制限時間は半刻。となれば、食材置き場に積まれている数多くの大根を取りに、コソウとウォンエンが大急ぎで走る。と、コソウが突然その場でつんのめった。そして前方へ勢い良く転倒する。これにはその場の誰もが目を見張った。この大事な場面で時間を無駄にするなど、相手が相手なだけに命取りになりかねない。周囲からはヤジまで飛び始める。今回はシャオロンも、後が無いだけに言葉を発した。
「コソウ! お前が負けたら無条件でこっちの負けが決まる! もうちぃっと、ビシッとだな……」
 そこまで言って、前に立っているパイランの肘が鳩尾に決まる。なんの予備動作もなしに激しい肘を繰り出すパイランに、シャオロンは激しく一言放った。
「なんだってんだよ、お前は!」
「馬鹿な親父が余計なことを叫んでいるからだ。親父がもう少し冷静でいたなら、他のヤジを飛ばした連中がそうなるはずだった。他人思いだな、親父」
 誉められたのだかけなされたのだか解らない娘のセリフに、シャオロンは鳩尾を押さえながら首を傾げた。もっともその表情は、苦悶という言葉がぴったりと当てはまっていたが。
「……何が馬鹿なことなんだって?」
「親父、もう老眼が進んできただろうからよく見えるのではないか? 兄貴がつまずいた辺りの地面に細い針が刺さっている。ちなみに先ほどまではなかったぞ」
 なるほど、言われてみればそういうものがシャオロンの目にも留まった。だがそれはかなり細いもので、おまけに食材置き場の影と重なって上手い具合に隠れている。
「あれにつまずいたのか……」
「そうだ。おそらく……いや、間違いなく敵の妨害工作だな。もっとも証拠がないし、そんなことを問い詰める気もないらしい。あの馬鹿兄貴にはな」
 パイランの言葉通り、コソウはそのまま食材を取りに向かう。何も言わず、騒ぎもせず、ただ純粋に、料理することだけを、勝つことだけを考えていた。だが、それは非常に危険である。特にシャオロンは、そう思った。勝つことだけを考えて作った料理ほど、失敗に気付かないものだ。それをシャオロンは、メイホワとの勝負で痛いほど知っていた。
「……熱くなり過ぎだな、コソウの奴。ちょいと一言かけてやるか……」
 シャオロンがそう思って一歩足を踏み出した瞬間、なんとタイミングのいいことだろうか、パイランからコソウへ向けて一言放たれた。
「天帝食医白虎天コソウ! 何を熱くなっている! 綺麗な顔と沈着冷静なだけが売りの白虎天が、そんなことでは凡人と変わらないぞ!」
 こういうタイミングでかけられた言葉というのを、通常は水を差す、と言う。まさしく、コソウはそう思った。たった今思い切り料理を始めようとしたところに茶々が入ったのはいただけない。おかげで熱くみなぎっていた闘志が、どこかへ行ってしまった気がする。しかし、これこそがパイランの狙いなのだ。
「……少しは落ち着いたか、兄貴? 闘志を燃やすのは結構だが、燃えすぎると火事になるぞ? 熱い思いをするのは自分だ。少し落ち着いて、ちょうど良い熱さにした方がいい。それでなくても兄貴は冷静さだけが売りなのだ。不必要に熱くなってしまっては、それこそ馬鹿親父のように負けを喫することになるのではないか?」
 もはや、コソウには笑うしかなかった。こんな方法でたしなめられるとは、しかもあのパイランにそんな注意をされるとは、自分もまだまだだと思うコソウであった。
「……ありがとう、パイラン。いつもとは違って、君が一番冷静のようだね」
 そしてコソウは食材を抱えて調理台へと駆け戻った。ちょうど良いくらいの種火になったとはいえ、闘志は未だ熱さを忘れてはいなかった。
 
 
 冷静さを取り戻したコソウの料理は、恐ろしく速かった。実際『天帝食医最速の男』と呼ばれるほどなのだ、コソウは。そして今、その速さを皆が改めて痛感させられていた。ついでに言うならば、ウォンエンも。
「な、なんだあの速さは!? あんな化け物がいるなどとは聞いていないぞ!」
 確かに、ウォンエンの言うことは嘘ではなかった。既に敗北した天帝食医六歌仙、そして青龍天シャオロン共に、敵から見れば恐れるほどの腕前ではなかった。だがそれは、はっきり言えば間違った認識である。天帝食医六歌仙は、今のコソウのように様々な妨害を受けながら勝負をして負けた。しかも、最後には自害まで強要されるという重圧に苦しみながら。そしてシャオロンは、実の娘との勝負で全力を出せず、おまけに冷静さを失ったままで勝負をした。それを今のコソウと比べるのは、はっきり言ってお門違いである。
 さて周囲がコソウの実力にざわめき立っている頃、コソウは神速さながらに料理を続けていた。
 まずは大根を輪切りにし、皮を剥く。このとき皮を剥くのはほんの髪の毛程度の厚さである。皮の近くには栄養と旨味が詰まっているのでこうするのだ。しかし、一口に「髪の毛程度の厚さで皮を剥く」といっても、それは半端な仕事ではない。一朝一夕でできる包丁さばきではないのだ。だがそれを、コソウはもの凄い速さで進めていく。これにはシャオロンやパイランなども、冷や汗をかいたものだ。
「あ〜……なんだ、前より随分と速くなってるように見えるんだが……」
 顔には気持ちのこもってない笑いを張り付けて、シャオロンがパイランに言った。パイランの方も父に負けず劣らず、口元を引きつらせている。
「やはり……あの馬鹿兄貴め。私達の穴を埋めるのに、相当な修練を積んだようだな。私も料理の速さでは、親父程度にならば負けないと自負しているが……あの兄貴には勝てない。天地が逆さまになろうとも、絶対に無理だ」
 かの天帝食医をして、この言葉である。それほどまでに素晴らしい技量の持ち主なのだ、コソウは。
 次に大根の輪切り面の片側に、包丁で十文字を入れてやる。味が染み込みやすくするためのものだが、これで料理のおおよそな完成は見えた。
「ヒヒヒ、ヒャーッハッハッハ! 貴様、煮るつもりだな! だが煮てしまってはせっかくの白い大根も、ダシ汁の色に変わっちまうぞ? それじゃあ雪にならねぇだろうが? それともあれか、『雪中白虎』みたいに大根おろしをかけるのか? だがそれでも色は変わっちまうぜぇ? え、どうする! どうする! ヒャハハハハ!」
 奇声を上げるウォンエン。だがコソウはまったく取り合わず、冷たく暗い視線をウォンエンへと向けた。
「……随分と楽しそうですね。何がそんなに楽しいのでしょうか?」
 コソウは笑いかけた。とてつもないほどの無邪気な表情で。これにはシャオロンたちも『冷めすぎだぞ、お前!』と突っ込みを入れたくなったものだ。
「ヒッヒッヒ、俺はお前を殺したい。俺達真帝七星が料理勝負に勝ったら、お前らは俺達の言うなりだ。その綺麗な顔を醜く、メチャクチャにしてやるときのことを考えると、今から楽しくなっちまうのさぁ! ヒーッヒッヒッヒッヒ!」
 なるほど、とコソウは納得した。つまり、このウォンエンという男は、他人を虐げ、傷つけることに幸せを感じる変質者なのだ。ならば、それに乗ってやる必要もなければ利用してやるに限る。
「そうですか。でも私たちが負けるはずがありませんし、貴方がのうのうと趣味の世界をまっとうできるとは思えませんよ。なにしろ私、料理上手ですから」
 呆気にとられるとは、まさしくこの時のシャオロンのようなものを言うのだろう。口をポカンと開けたまま、何も言えずに硬直している。瞳はどこか、遠くの世界を眺めているかのように焦点が定まっていない。隣でクスクスと笑い始めたパイランと比べると、随分滑稽な姿である。
「ふふふ、なるほど。馬鹿兄貴を訂正して大した兄貴にせねばならんな。私でもあそこまで猫をかぶることなど出来ないぞ」
 大絶賛である。パイランにしては。おまけにこの時のパイランの顔と言えば、それはもうかわいらしかった。いつもの大人びた表情とはまったく違う幼い表情を、彼女はこの時初めて見せた。そしてそれは、この上なく魅力的でもあった。
「さ、速く料理をしないと時間になってしまいますよ? どうやら蒸した大根にちょっと手をかけただけの料理のようですが、いくら時間がないからといって、手抜き料理を出すような人に負ける気などありませんからね」
 これにはウォンエンの手が止まった。その途端に、ウォンエンの額から凄い量の汗が噴き出し始めた。しかし背筋は、恐ろしく冷えている。手が震え始めたのまで、感じたほどに。
 ――すべて……読まれている?――
 ウォンエンは焦った。まさしく彼の料理は、コソウの言ったとおりのものだったからだ。しかし時間は無情にも過ぎていく。もはや違う料理など作っている暇はない。たとえすべて読まれているといえども、そこそこの料理ならばまず負けはない。なにしろあのコソウの料理は、皇帝の毎日の食事であったのだ。今更食べたことのない料理など、出せるはずがない。
 そしてウォンエンは、その表情から笑みが消えていることに気付かないまま、料理を仕上げにかかった。
 
 
 コソウはウォンエンを焦らせられるだけ焦らせて、後は自分の料理に集中した。濃いめに作ったダシスープで大根を、ほんのわずかな時間だが煮込んで下味をつける。先ほどの十文字に入れた隠し包丁の助けもあって、そこそこ味が染み込んだ。それを確認したコソウは、火にかけていたダシの鍋を、火から降ろしてしまう。これではただでさえ煮込み時間が短いというのに、さらに味が薄くなってしまう。そんな周囲の心配など余所に、コソウはその鍋の中身を、小さな金属製の浅い入れ物に移し替えた。そしてそれは調理台の端に置いて、違う仕事を始めてしまう。
「……なぁパイラン、あいつ……煮物を冷やしてどうするつもりだろうな? 煮こごりにするなら大根以外も入れるんだろうが……何にも入ってねぇぞ? 豚足とか、豚の耳とか、牛のスネ肉とか、ゼラチン質のありそうなものは一切入ってねぇ。あれで……何が出来るんだろうな?」
 シャオロンは額にシワを浮かべながら娘にそう問いかけた。と、パイランは未だ優しい笑顔で兄の料理姿を眺めている。
「私達にさえ想像も出来ない料理。兄貴の奴、随分と立派に成長したものだ」
 そのパイランのセリフを聞いて、シャオロンは苦笑いした。まるでパイランの方がコソウよりも年上に見えたからだ。
「……あのなぁ、それは明らかに妹のセリフじゃねぇと思うぞ?」
 一応たしなめはしたが、それで聞くパイランでないことは解っていた。一応言ってみただけなのだ、常識人を自称する、父として。そして返ってくるのはやはりこんな一言。
「そうか?」
「ああ」
 短い会話であるが、パイランが本気なのはそれでも伝わった。今のセリフをまったくおかしいと思わない、非常識な娘がそこにはいた。
「ならば気にするな。それで万事うまくいく」
「……そういう問題か?」
 無意味な親子漫才はようやく終わりを見せた。制限時間が、やってきたからだ。
「調理そこまでっ!」
 皇帝の声が高らかに響く。そしてコソウ、ウォンエン共に調理台から離れる。どちらも、すべてやり終えたという表情になっている。
「ヒッヒッヒ……俺は、負けんぞ」
 コソウを明らかに敵視しつつ、ウォンエンがそんな笑いを浮かべた。が、コソウの方はとりつくしまもない。
「そうですか。頑張ってくださいね」
 こんな調子である。これで神経を逆なでされないほど、ウォンエンの精神は高級製ではなかった。
「貴様っ! 必ずその顔をズタズタに引き裂いてやるぞっ! 俺は、真帝七星のウォンエンだ!」
 凄むウォンエンを、コソウは笑顔で見つめていた。なんともはや、幸せそうな笑顔で。そして一言だけこう言った。
「ウォンエン、貴方……塩、多すぎませんでしたか?」
 突然のコソウの言葉に、ウォンエンは目を見張った。いったいこの男は、何を言っているのか、と。
「何?」
「だから、塩ですよ。多すぎたんじゃありませんか? 私の目には、そう見えたんですけど?」
「ふざけたことを言うな! 俺の料理に失敗はないっ!」
「そうですか……でも貴方の料理はきわどい味付けですね。ギリギリまで味付けを濃くしてある。あれは、私の作った料理が薄味だと踏んでやったことでしょう。でも、私の料理は、そんなものでは負けません。貴方はただ、私の想像通りの料理を作っていただけなんですから」
 この言葉には、ようやく引いた冷や汗がまた噴きだしてきた。ウォンエンは脱水症状になるのではないかというほど汗をかいている。まさか、自分がコソウの手の上で踊っているなどとは思わなかった、そして思えないだけに。だがこのコソウの表情に嘘はない。それは、瞳を見ればわかる。ウォンエンを見下すような光が、コソウの瞳には宿っている。そしてウォンエンは、震える足を隠しながら料理を皇帝の前へと運んだ。
「真帝七星ウォンエンよ、この料理の名はなんと申すのか?」
「こ、これは……雪中竹だ。太い竹の節を抜き取り、中に大根を詰めて火の中へ放り込む。竹の中で上手く蒸された大根には竹の香りが染み込み、清々しい印象を与える。そして仕上げには、この大根おろしをかける。こいつがかかると、竹林に降った雪の如き印象を与える。さぁ、食え!」
 説明はここまでだと言わんばかりに、ウォンエンは大声を出す。そして皇帝はやれやれといった体で料理を食し始める。だがその心とは裏腹に、すぐさま幸せな気持ちに包まれた。
「これは……なんと上品な。濃いめにつけられた味も、竹から滲み出た芳醇な香りで上手く包み込まれている。そして乗せられた大根おろしは、うっすらと魚ダシの味がするな。だがこれは、大根に良く合っている。魚のダシと大根というのは、こんなにも合うものなのか……」
 皇帝は恍惚とした表情で料理を食べ終えた。たかが大根だが、されど大根であるということが見ている者にも伝わったことだろう。周囲は固唾を飲んで、皇帝の感想を待っているのだから。
「では皇帝陛下、次は私の料理を御賞味ください」
 そしてコソウが出した料理とは、真っ白な白い山。皿の上に、ただ白い何かが山盛りになっている。
「……白虎天よ、この料理は何だ?」
「それは雪崩眠熊とでも名付けましょう。山の真ん中から割ってみてくださいませ」
 皇帝は、言われたとおり真ん中に箸を入れる。そして、何か固い手応えを感じた。山自体は柔らかいものなのに、中に何かが埋まっているようだ。
「これは……」
「大根です」
 中から顔を出したのは、茶色い塊である。料理名の通り、雪崩で埋まってしまった眠り好きな熊さながらに。
「これが……大根?」
「はい。周囲の山は、大根ではありません。まずはご試食を」
 そして皇帝は出てきた大根を小さく割り、それを覆っていた山の欠片を上に乗せて口に入れる。するとなんとも、目を見開いて勢い良く立ち上がった。その唐突さたるや、側近達が慌てて飛び出そうとしたほどである。
「これは……いったいどんな料理だ!」
 その言葉が、良い方の意味であることは声の質から感じ取れた。シャオロンやパイラン、ウーユワンなども揃って胸を撫で下ろしたものだ。
「この大根は、下味を付けるために煮た大根を一端冷まして、表面には濃い醤油味を付けて網焼きしたものです。かかっている雪はクワイ、百合根、ウドを砕き、すりつぶした物です。クワイと百合根は一度茹でてホクホクとした感じを前面に出し、ウドは水にさらすだけにとどめて鮮烈な香りとクセを利用しました」
「なるほど。淡雪のように口の中で溶ける割には鮮烈な刺激のあるのが理解できたな。だが雪もそうだが、この大根……不思議なくらいにダシが染み込んでいるぞ? あの短時間で、なぜこうも味が染み込むのだ? いったいどんな魔法を使ったというのだ?」
 皇帝が、前に乗り出した。こんなことは前代未聞である。ちなみにシャオロンとパイランも、これは聞き逃さぬようにと一歩前へ出ているというのは余談である。
「煮た大根を、冷ましただけです。ですがそれが、大きな役割を持っています」
「冷ました……だけなのか?」
「はい。何でもそうですが、煮物というのは作った直後よりも次の日の朝、冷めてしまった物の方が味が染み込んでいるものなのです。理由としては、火をかけられると熱せられた大根内の水分が膨張し、外へと出ていきます。そのときには外へ出ていこうとする力が強すぎて、大根の中にダシ汁が入ってこられません。ですが火を止め、冷えてくると膨張していた大根の中の水分が縮み、ダシ汁を一気に吸い込みます。それを利用して、ダシを染み込ませました」
 皆が声を出せなかった。そんな料理法など、今まで誰も聞いたこともない。それを彼は、コソウはこの土壇場で使って見せた。その彼の知識、想像力に、皆が拍手を送った。そして皇帝は高らかに宣言する。
「この勝負、勝者は天帝食医白虎天コソウとする!」
 歓声が上がった。皆がコソウに、尊敬と感謝の拍手を送った。今のこの国を救うための、第一歩を踏み出させてくれた料理人に。そしてコソウもそれに軽く答え、父と妹の元へと戻った。
「おおっ! やったじゃねぇか、コソウ! もう父ちゃん嬉しくってよぉ!」
「私は兄貴を信じていたぞ。だいたい兄貴に勝てる料理人などいるはずがない。 ……親父はたくさんいるみたいだがな」
「馬鹿言うな! 俺が負けるってのはなぁ、そりゃあもう、とてつもなく、すんげ〜強い相手だけだぞ? 誰が弱い奴になんぞ負けるもんかよ」
「ならばなぜアンホワに負けた? 二十年以上も余分に生きているくせに、負けているのだから情けない」
 相変わらずの、親子漫才である。結局大した反論も出来ず、シャオロンが吹き飛ぶことになるのだ。コソウはそんな日常的(?)な光景に、ホッと胸を撫で下ろした。そしてこの日常が無くなってしまわないようにと、自分の力を発揮できたことが無性に嬉しかった。
 そしてそこまで来て、ようやく自分たちの置かれた状況を思い出した。
 一勝一敗。
 それが今の、すべてなのだ。だからこそ、最終戦に負けるわけにはいかない。コソウは一人心を決め、パイランに声をかけた。
「……パイラン」
「ん? 何だ、兄貴?」
「最終戦、私がもう一度戦ってもかまわないだろうか?」
 突然の言葉に、パイランは唖然となった。いったい何を言い出すのか、と。
「何を言っている? 勝者が連戦できるなどという約束はない。そんなことを言ったら、またあのフォンが出て来るではないか」
「そうなのだけれど……彼なら何とかなると思うんだ。だから、そのままアンホワを……」
 コソウはそこまで言って、言葉を止めた。パイランの視線が、次第に険しいものに変わっていくのに気付いたからだ。それはもう、敵意を持っているといっても言いすぎではない。
「……私を信用していないのか、兄貴?」
「……そういうわけではないのだけれど……ならパイラン、君は私に勝てる自信があるのかい?」
 そんな言葉を突きつけられては、パイランもそうそう言葉が出てこない。しかしその瞳は、まったく敵意を失ってはいない。やがて、こう口を開いた。
「兄貴、そこまで言うのならば逆に聞くが……兄貴こそ私に勝てるつもりなのか? 無論調理の速さならば絶対に勝てない。これは認めよう。だが料理は速さではない。限られた時間内で、どれだけ美味い物を作れるか。また、どれだけ多くのことを料理に乗せて伝えられるか、だ。さっきの兄貴の料理は、ただ美味いだけの物だったはず。相手が後一歩美味さを上乗せしていたら、間違いなく負けていた料理だ。そんな物を作っておいて私に……勝てるか、だと? 思い上がりも甚だしいぞ。本当の料理とは、美味さだけではない。私はその点も含めれば、今の兄貴には負けない自信がある」
 ここまで言う妹に、コソウは怒りを覚えるどころか微笑ましくなってしまった。そういえば、ここのところパイランの料理を食べていない。それどころか見てもいない。しかも確かに、パイランの言う通り先ほどの料理はいまいちだったと思っている。これは、確かに負けているのかも知れないと、正直感じた。
「……本当に、勝てるのかい? 想いを伝える料理で、アンホワに勝てる自信があるのかい?」
「……当然だ。私は私と、兄貴や親父、母の想いまですべてをアンホワに伝えてみせる。そして……家族の絆を取り戻してみせる」
 パイランの目は、真剣だった。アンホワを恨んでいるでもなく、憎んでいるでもなく、ただもう一度家族として歩み始めたい。そう言っているのだ。だからそれがコソウに伝わってきたとき、もはや止めることなど出来なかった。
「わかったよ……君に、任せる。必ず、家族の絆を伝えて来るんだよ」
「了解だ、兄貴。私も一度くらいは姉とか兄とかと呼ばれてみたいものだからな」
 兄と呼ばれるのには問題がある。コソウはそう思いつつも、笑顔でパイランを調理場へと送り出した。隣にやってきたシャオロンが、コソウににやっと笑いかける。
「なぁに負けてんだよ、実の妹に」
「……私は喧嘩に弱いから。実の妹だって、怖い物は怖いんだよ」
 コソウも笑い返した。こちらは、満面の笑顔で。それを見たシャオロンは、口元に小さな微笑みを残したまま小さく頷いた。この笑顔こそが、家族の証とでも言うように。
 そして最後の決戦は始まる。勝負はパイランとアンホワ、双子の姉妹対決にかかることとなった。