最期の真田 冬の陣3
作:AKIRA





  橙武者

 大坂城を西に向かって少し馬を飛ばせば、博労ヶ淵という砦に着く。
 丁度、木津川の中州に築いた砦である。この砦自体、すでに価値がない。というのは、先日、木津川口で木津川の砦を徳川軍の猛攻によって陥落していたからである。平子主膳はこの日、砦の留守を預かっていた。
 額が広く、目が大きい。しかし、体格はというとさほど肩幅も広くなく、少々ひ弱な印象を受ける。
「薄田殿はまた遊女屋に居られるのか。砦を預かる大将だというのに」
 主膳は、この頃のこの砦を預かる守将の態度を見かねていた。
 薄田殿とは、薄田隼人正の事で、名を兼相という。この豊臣家に仕官する前は、岩見重太郎と名乗っていたらしい。
「狒々退治殿は、また遊女屋か」
 同じく、砦を預かっている米村六兵衛が皮肉った。
 “狒々退治殿”とは六兵衛が隼人正を皮肉る時、必ず使う。
 狒々退治というのは、いまから数年前まだ隼人正が仕官する前の話である。
 日向国(現在の宮崎県)を漫遊していた時、相良村(現在も存在)に立ち寄った時の事である。当時、この村は貧困にあえいでおり、人身御供を行っていたとされている。無論、神に依頼するためなのだが、勿論現代には通用しない事象である。隼人正が立ち寄ったときも人身御供の選定をしていた。隼人正は、その話を聞いて怪しみ、実際に奉納されるという北嶽神社まで一人で行ったといわれている。その北嶽神社は、現在もあり、毎年九月二十三日に『狒舞』として奉納されている。
 その北嶽神社に行ってみるとそこには人の倍ほどの背丈もある大きな狒々が住みついていた。その光景を目の当りにした隼人正はその狒々に立ち向かったのである。幾合も打ち合い、隼人正は狒々の体に幾筋もの刀をあびせたという。数時間による激闘は、遂に狒々が自らの巨体を地面に投げ打ち、命を失う事で決着がついた。そして、狒々の首を持ち帰った隼人正は村人に喜ばれ、幾日ももてなしを受けたという。
 この話は講談や、錦絵などに出てくるもので、大抵は『岩見重太郎』として登場している。この狒々退治の話は全国各地にあり、他には大蛇を退治したり、または丹後にある天橋立で塙団右衛門や、後藤又兵衛といった豪傑たちの力を借りて、亡父の仇を討った、など枚挙に暇がない。無論現在となっては、資料も乏しいためか真偽は定かではない。しかし、実際の『薄田兼相』としての資料には、『大坂城一の怪力にて、八尺程の大男』とあり、現代の男性の平均身長に照らし合わせてみても如何に大きいかがよくわかる。故に、こういった講談話が付きまとっても不思議はないのである。
 閑話休題。

 伊木七郎衛門は、幸村の命で博労淵の平子主膳と面会していた。
 伊木七郎衛門、名を遠勝(みちかつ)という。賤ヶ岳の戦いで、秀吉の臣下として戦い、母衣衆の中の黄母衣衆に任ぜられた。この度の戦では、幸村の軍監として、つまり、幸村の監視者として幸村に付いているが、忠義が篤く、幸村も信頼している一人になっていた。
 博労淵の砦にはおよそ七百程しか置かれていない。しかも死に兵である。
 死に兵とは、戦略的価値のない軍事拠点に置かれた兵士達のことである。得てして守備されている兵士達の士気は鈍く、この砦の兵士達も、例外ではない。
 二人は、軍議をする陣屋の中で地図を広げた床机を挟んで相対峙していた。
「薄田殿は……?お見受けしませぬが」
「狒々退治殿なら、女郎屋だ」
 と忌々しそうに吐き捨てた。よほど憤っているらしい。
「いや、豪胆というかなんというか……」
 と茶を濁すしかなかった。大事な時に砦を留守にする大将が何処にいるのか。
「無策なだけよ。大将の器とはとても思えん」
「とはいえ、武勇に優れたる御方ではござりませぬか」
 と、この七郎衛門も物の怪退治の事は聞き及んでいる。
「蛮勇というのだ。それで、真田殿から何か?」
「そうでござりましたな。実は、主膳殿に頼みがござりまする」
「真田の殿の頼みならできる限り聞きましょう。で?」
「この砦を直ぐに引き払っていただきたいのです」
「引き払うとな……かような事」
 と主膳は、かぶりをふった。
「いや、敵を目の前にして逃げろ、と殿は申しておりませぬ。砦を落とされるようにして撤退をして頂きたい、と」
「同じではないか」
「いや、逃げるという事と撤退とは似て非なるもの。一時の蛮勇より兵法に則って引き上げた方が後々の勝ちにつながるというもの。ならば、砦を引き払った方が利巧というもの」
「……理由をお聞かせ願うわけには参らぬか」
「じつは、殿はこの博労淵の砦が意味のないものである事を散々に申し上げたのだが、例の方々が例によって」
「大野修理殿と小幡景憲殿か」
「そう。このままではみすみす七百もの兵を自滅させるようなもの。ならば、我が軍に迎え入れ、戦力を整えたい、とかように申しておられた」
「つまり、この砦の兵士達を真田の殿の麾下に迎えてくださると」
「殿は、何やらこの度の戦で何かをされようとしておられます。それには人も必要なれば、ここの兵達にも手伝っていただきたいと」
「……わかり申した。もし、敵がここを攻めてくるなら落ち延びもできようが、もし攻めてこなんだらどうなされる?」
「呉れてやればよろしかろう」
 七郎衛門は、笑ってそういった。

 家康が茶臼山に本陣を築いて十日余りが経つ。
 四天王寺の近く、紀州街道と奈良街道の合流地点に大きな陣を構えている。
「博労淵ぃ?」
 知らん、と全く興味がないのか、家康は素っ気無くかぶりを振った。
「しかし、大御所。あの砦を落とさなければ、城攻めのとき挟撃にあいますれば、たとい肝要ではないにしても……」
「あれほどの砦はたかだか雀の泣き声にしかならぬわ。高が知れた小砦の一つや二つ、どうでもよいわ」
 と、干し飯を頬張りながら米粒を飛ばして言った。
「しかし、あの砦の守将は薄田隼人正でござりますれば」
 と、蜂須賀至鎮も引かない。
「くどい。薄田であろうが薄であろうが知った事ではない。……さりとて放って置くわけにもいかぬ」
 と腕組みをしたまま少し考えた家康は突然、
「至鎮、では、誰とならその砦を落としたいのじゃ?」
 と目を光らせた。
「は、それなら我が婿と」
「お督の子か。まだ十三ではないか」
「しかし、泰平の世になりつつある今となっては、是非とも戦の経験というものを経ておくべきかと」
「まぁ、一理ある。よし、この問題、儂に預けよ。追って沙汰を出す」
 というと、傍にいた阿茶局に肩を揉ませた。
 ここまできたら単なる功名争いと云わざるを得ない。
 物見に行かせていた藤田重信が家康の陣屋に戻ってくるなり
「それがしに兵をお与え下されば、落とし御覧にいれましょうぞ」
 と言い放ったのだ。家康は、驚きに眼を見開き、
「痴れ者!!」
 と怒鳴った。
「しかし大御所。それがしに兵をお与え、前田大和守殿と、小笠原兵部殿、それに浅野采女正殿とで見事陥落せしめてみせましょうぞ」
「それほどにたいした砦と申すのか。様相も云わずして落としてみせる等と。この戦の総大将は儂ぞ。そちらの意見など、一々聞いてられるか」
 と、阿茶局に肩を揉ませながら家康は唾を飛ばした。
「されど、砦の兵は僅かに七百にて、大将の薄田隼人正も女郎屋に三日と空けず、との事でござれば」
「大将が女郎に入れ込んでおろうが、砦の兵が少なかろうがそれを判断するのは儂のする事。そちは中の様子を知らせればそれでよい」
 まったく、と家康は部下の短慮さに呆れた。
 と、表情にだしていたものの、重信から砦の兵が少ない事と、大将が不在であるという情報はつかんだ。
(となると、砦の士気は低い……)家康はまだ残っていた干し飯を一生懸命に噛み砕きながら、頭の回転を鋭くさせていた。

 家康は別段、何処が優れていたという武将ではない。改革性とも云うべき合理的且つ革命的な考えは織田信長の方が持っていたし、戦においても『野戦の名人』とは云われながら武田信玄にはあわや命をとられる寸前までに追い詰められ、幸村の父・昌幸にも一度として勝っていない。人垂らしでもなければ、やや保守性が強く、決して改革的な発想には疎い人物である。しかし、天下は家康が取った。それは家康がある意味病的なまでに健康に拘ったからである。家康の薬好きは歴史を少々かじった方なら有名な話である。しかし、現代のように薬学や薬剤師など存在しない時代においてましてや専門的に習得していない人物が作る薬など効果の程は疑わしい。しかし、家康はそれを『自己暗示』に自らを陥らせる事で、補っている。『体がすべてにおいての資本である』という事を頭に刷り込ませ、常に実行し続けた結果であると言える。家康が気に入った家臣にすり鉢で擂った薬草を与えた、という挿話は有名である。この日も、石川主殿頭を陣屋に呼び、薬草を入れたすり鉢を擂っていた。
 この石川主殿頭、名は忠総といい、父は大久保相模守忠隣である。祖父は大久保忠世で、勇猛な武将であり、相模守は父とは違って内政で活躍した家康の信頼厚い武将であった。ところが、前年一族の養子になっていた大久保長安の公金横領と、隠れ切支丹との疑惑が本人の没後に発覚し、その余波と、謀反の疑いとで相模守は老中の座から下ろされ、失脚した。
「主殿、相模には悪い事をしたと思っている」
 と家康が、主殿頭に負い目を持っているのは実は、この戦を起す際、この戦に断固として反対をしたのが主殿頭の父である相模守であった。
 この事に家臣団の間に温度差が生じる事を恐れた家康と、本多佐渡守が共謀して、失脚に及んだ。しかし、この失脚には極めて戯曲的要素が多い。つまり、家臣達の結束を図るために相模守がいわゆる『人身御供』になったため、本来ならば一族連座である所を、せめてもの罪滅ぼしに嫡子である主殿頭を石川家に継がせ、領地を小田原から膳所に移封という形で決着をつけさせた。
「はっ、大御所の真意も大久保の父上ならば解っておいでかと」
「そう言ってくれると心の負い目も少しは取れるというもの。そこでだ、主殿よ、そちに功名をやろう」
「は、博労淵でござりまするか」
「左様。たいした砦ではあるまい。そちが落としてみせよ。後ろの備えを浅野長晟にさせる」
「は、但馬守殿ですか」
「そちと但馬であれば十分に城を落とせる。吉報をの」
 と家康はすり鉢で擂った薬を茶入れのような小瓶に詰め込むと、主殿頭に渡したのである。

 これで、砦攻めの大将は決まった。石川主殿頭は博労淵から少し南西にある葦島という中洲の泥土地帯に陣を構えた。葦島は先の木津川口の砦から木津川の挟んで北西に位置する。その上には狗子島というこれも中洲の島であるが、南北に縦長い形状のそれがある。ここには浅野但馬守長晟が駐屯していた。この浅野長晟という武将は、太閤豊臣秀吉の一族、つまり親戚にあたり、父弾正少弼長政、兄左京大夫幸長は共に豊臣家に仕えた。関ヶ原以後は家康に仕え、紀州三十七万石を領した。そこで幸村の監視も同時に命ぜられたのである。結局は幸村一行に脱出されるという憂き目に合うが、それでも紀州の領地は変わっていない。
「南の葦島に石川殿が?」
 と上坂六右衛門が石川主殿頭から持ち帰った書状を読んで声が上ずった。
「殿、何か?」
「いや、何もない。六、下がってよい」
 といって六右衛門を下がらせると
「これでは蜂須賀がだまってはおるまい」
 大御所も酷な事をしたものよ、と但馬守は嘆息した。
(これで木津川の手柄はなくなったな)
 紀州藩主はそう思っている。少なくとも、この狗子島にいる自分が後詰で南にいる攻め手の大将を助ければ、という話だが。もしそうなれば先の木津川の砦を陥落させた蜂須賀軍は、自軍の落とした砦が意味のないものになる。というのは地理的状況から考えた場合、木津川口砦より博労淵の砦の方がより近くの拠点になるからである。そうなれば、前述の通り、蜂須賀軍の功名は無くなってしまう。いつの時代でもそうなのだが、特に戦国時代において功名、あるいは武勲というものは自らをより高く買ってもらうための言わば『実績』であり、プロ選手はそれで年棒を決め、社会でも『資格、経験者』という名目で他企業に転職をするのである。しかし、この時代自らの武勲は自らの家を存続させる為だけに存在するものであり、しかし、自らの家を存続させる事が何よりも重要な時代でもある。その武勲が無くなってしまう(あるいは失敗する)という事の意味の大きさは大名たちにとっては自らが死ぬのと同等、あるいはそれ以上の重みがあったのである。
「吉右衛門を呼べ」
 と但馬守は小姓に配下を呼ぶよう命じた。
 程なくして、一人の男が来た。背は高く、痩せ身で、しかも隻眼である。髯を蓄えているが、無精髯の域を出ない。精悍な人物である。高野吉右衛門、名を盛定と言った。
「殿、何か」
「うむ。実は石川主殿頭殿が此度の砦攻めの総大将になられた」
「はぁ」
「そこで、わしの所にも後詰で来るよう大御所の書状と主殿頭殿からの挨拶の書状と二つ来た」
「殿は、このまま」
 後詰をお勤めなさるのか、と口調が少しきつかった。
「そう怒るな」
「いや、それがしは怒ってなど……」
 この忠実な家臣にしてみれば、この戦に出陣する事の利益というものが如何に少量であるかわかっている。勿論この主君も同様なのだが、領内にこの所不穏な動きがある時期だけに一刻も早く領地に戻りたかった。そこへ後詰の命令である。群雄割拠する前の時代であるならばすぐにでも命令を破棄していただろう。だが、もはや大勢が決してしまっている現在においてそれは不毛である事もこの二人にはわかっていた。応じざるを得なかった。
「この所、藩内で一揆の雰囲気が出てきておる、と戸田から書状が参った。念のため、大御所にはすでに言い含めてあるが万一に備えてこの後詰、動かさぬ事にいたす」
「動かさぬとなると」
 大御所には謀反の兆しととられまするぞ、と―ごく当然の理論ではあるが―吉右衛門は、反論を述べた。
「只でさえ軍勢を減らすわけにはいかぬのに、こんな小さな砦ごときで足軽一兵に至るまで傷をつけるわけにはいかん」
「よろしゅうございましょう。しかし、大御所にはどのように言い含めたのでござりまするか?」
「後詰の件引き受けし候。さりとて抜け駆けする分には当方とて知らぬ事ゆえ、其に関しては必ずしも当方の関する事無し、とな」
 陣屋の中に吹く風はいつもに増して冷たかった。

 伊木七郎衛門はこの所忙しい。
 彼自身の用事は既に終えているのだが、砦の大将が不在という事態を鑑みて、幸村に願い出た。幸村はこれを快諾し、今でも砦に残っているのである。
 七郎衛門は、この所の幸村の動向を見てわからない節が多い。軍監という役目は、新参の武将やあるいは他家から内応したり、あるいは仕官してきた武将を監視する。当然、本来ならば幸村に付き添っていなければならないはずなのであるが、当の七郎衛門自身、幸村への忠節が篤く、配下の一人に近い存在になってしまった。それでも尚、幸村の行動には不思議に思えるのである。一つには、戦が始まってから一度も城外に出陣をしていない、という事ともう一つは、城の南に“何か”を作っている。七郎衛門は幸村にその“何か”の図面を見せてもらった。が、七郎衛門には全くわからなかった。
(あの図面が何であるやら……殿の考えあそばす事は凡人にはついていけんわ)と一人考えに耽っていたのである。
 七郎衛門殿、と平子主膳に肩を叩かれて我にかえった。
「どうなされた。真田の殿の事か」
「えぇ、この戦が始まってから一度も戦場に出ておられぬのが気にかかってな……」
 何かをやろうとしておられるのはわかっているのだが、と七郎衛門の表情は暗い。
「確かに、聞かぬ」
 何も聞いてないのか、と主膳は尋ねた。立ち入った事ではあるが、聞かずにはおれなかったのだろう、少し眼が血走っているように見えた。
「いや、私は殿から何も聞いていないのだ。後藤殿や、木村殿の戦振りを拝聴する度に殿に申し上げておるのだが『任せよ』との一点張りで」
「あの家康を震え上がらせた程の御仁の子息ならば何か算段があっての事ではないか?現に城の南に空堀の砦のようなものが出来上がりつつあるというではないか」
 という主膳の言葉と先ほどの疑問とが一本の糸に結びついたのであろう、七郎衛門の顔が変わったのである。
「その様子だと、何かわかったみたいだな。多分、次の戦の時には赤地染めの六文銭が翩翻と翻っている事よ」
「貴殿もそう思われるか」
「勿論だ。上に綱もなければ犬猿の仲である牢人衆は実力で見せつけなければなるまい。まぁ、大野治長や渡辺なぞ真田の殿からみれば赤子も同然であろうがな」
 と主膳は、主君の側近の無能ぶりを鼻で笑った。この硬骨な武将は、軟弱者で仕切られたこの戦を、初めから不愉快に思っていた。いつの世でもそうなのだが、創業主の息子やその世代の人間たちは創業の艱難辛苦というものを味わった事がない。故に、創業主からの古参の忠臣達はそれを快く思わないのである。主膳自身は秀吉時代からの古参では勿論ないが、それでも現在、この落日の豊臣家を左右する首脳陣たちを快く思わない人間の内の一人である。
「そもそも、この戦自体すでに半ば負けのようなもの。その上、あのような者達に采配を執らせる等と。……」
 主膳殿、と七郎衛門は窘めたが、主膳は続ける。
「後藤殿や、真田の殿などこの割拠した時を駆けた方々を差し置いて指図するなどは笑止というより無礼であろう」
 七郎衛門は、苦笑するしかない。
「主膳殿、今はそのような議論をする場合ではありませぬぞ。この砦に攻めてくる軍勢からどう逃げるか、それが先でござろう」
 と、七郎衛門に諭された平子主膳は、すぐさま米村六兵衛を呼びよせた。
「主膳、徳川の軍が攻めてきたのか」
「いや、実はな、こちらの伊木七郎衛門殿が」
 と主膳が紹介すると、七郎衛門が頭を下げた。
「真田幸村殿の命からこの砦の兵を引き受けても良い、という話を覗ったのだが、貴殿はどう思われる?」
 うーん、と腕組みをしたまま、六兵衛は押し黙った。時が止まったかのように思われる。が、兵士たちの怒声等で、辛うじて時が動いている事を確認する事ができる。
「真田とは、あの真田か?」
「そう、貴殿が予てより褒めておったあの真田殿だ」
「が?」
「いや、その真田殿がこの砦の兵を引き受けたい、ともう申されているらしいのだ」
「この砦の兵を引き受けてどうなされるおつもりか」
「なんでも、真田殿の戦に是非必要だと」
「……まぁ、この砦で全員討ち死にするくらいなら、真田殿に預けた方が益もあるであろう」
 この瞬間に、この砦は徳川軍のものとなってしまった。

 薄田隼人正兼相は、この日も神崎の女郎屋『一夜』に上がっていた。
 この『一夜』に泊り込んでもう三日にもなる。部屋の障子戸を開け、空を眺めてみる。雨が降っていた。下に眼をやると、袖で頭を抑え、小走りに人の往来がある。部屋の中には、卓がひとつあり、空の徳利が散乱している。五、六本であろうか、隼人正はそのうちの一本を手にとって御猪口の中に注ぎ込もうとするが、酒の雫が垂れるばかりで、それ以上はない。少し気だるそうに卓の上に置き、また外に眼をやった。
 非常に体が大きい男である。それだけでも充分に人目につくのだが、その上左目に眼帯をしていた。まるで『三国志』に出てくる、猛将・夏侯惇のような人物である。夏侯惇は、敵兵の弓を眼に受け、『親からもらった大事な眼を捨るわけにはいかん』といってその左眼を食べたという逸話があるが、この隼人正の場合は違って、狒々と戦った際に受けたいわば『功名の代償』である。この眼帯のお陰で、顔にいっそうの凄みがある。
 隼人正が『一夜』に泊り込んでいるには理由がある。ある女に会うためである。「愛染」というのがその女の名前らしい。
(もし、その「愛染」が自分の知っているあの女ならば……)
 引き戻さねばなるまい、と考えていた。
「旦那、他の女で我慢してくれませんかね。太夫は、他のお客の相手で急がしいんでさぁ」
 さっき隼人正の部屋に来た三助が、痺れを切らしたように言った。
「その他の客とやらが終わるまで待つ」
「旦那……」
「それだけなら、酒を持って来い。それだけの金は渡してあるはずだ」
 と言ったきり、隼人正は刀を抱いたまま空を見上げた。
(勝手にしろ!!)
 とこの三助も叫びたい心境であったが、媚びた愛想笑いを浮かべて部屋を後にした。
 その間、また沈黙が部屋を支配した。程なくして酒と肴が運ばれてきた。隼人正は、酒を口に運んでは、喉を通し、その次は肴をつまむという動作を間断なく繰り返した。表情は変わらない。

「太夫、太夫」
 と三助は、客の伽を済ませ、部屋から出てきた愛染太夫の手を引っ張って空き部屋に連れて行った。
『愛染』とは密教の神の中で『愛染明王』という愛を司る神の名前から来ているが、その名前が当てはまる通り、慈愛にあふれた顔をしている。眼は細く切れ長で、顎がきゅっと締まり、口は小さく、薄く赤い紅をひいている。鼻は小ぶりで、顔を白粉で塗っているためか、一層くちびるが目立つ。
「どうしたのですか」
 とこの太夫の口調は丁寧である。この世界に似つかわしくない気品さを持っていて、店中に働く男たちに人気がある。元々、さる由緒ある武家と縁のある事は知っているが、それ以上は知らない。この世界で過去など関係ないからである。
「いやね、太夫にどうしても会いたいっていうお侍がいるのは知ってるでしょう?」
「えぇ、もう端の部屋で三日も私のことを待ってくれているという……」
「へぇ、それでね『他の女はどうですか』って薦めたんですけど……」
「ですけど?」
「にべもなく断っちまいましてね。どうにもこうにもこのままだと他のお客に迷惑がかかるんで、どうしたらいいか……」
「……わかりました。そのお侍に会いましょう」
「会いましょうって、太夫を待っている先客はどうするんでさぁ」
「私の事を三日も待ち続けてくれたお客様は今までいませんでした。ならば、それにお答えしなければ申し訳が立ちませぬ」
「し、しかし……」
 とそれでも三助は止めようとしたが、愛染太夫の表情からみえた決意を見て、止める事をあきらめた。
「そこまでいうのなら仕方ないですがね、気をつけてくださいや。あのお侍、只者やございませんよ」
 と、三助は太夫に言った。太夫はにっこり微笑んでそのお侍がいるという部屋に向かった。三助も後ろから付いてきている。

「旦那、うちの愛染太夫が旦那に特別にお世話をしてくれるそうで。旦那、感謝してくださいよ」
 と三助は、まるで自分が立てた手柄の様に隼人正に言うと、後ろの戸が開き、そこには三つ指を付いていた愛染太夫がいた。
「じゃま、ごゆっくり」
 と三助は、そうそうに立ち去り、部屋は二人だけになった。
「長らくお待たせいたしました。愛染太夫にござりま……」
 と頭を上げるや、太夫はいつも言いなれているはずの口上が止ってしまった。
「やはりな。この店に居ったのか」
 お祐、と隼人正は太夫が名乗った名前と違う名前で呼びかけた。
「ま、まさか……重太郎様では……?」
「そうだ。今は薄田隼人正兼相と名乗っているが」
「……重太郎様に間違いない……」
 と言い終わらないうちに、太夫の両の眼から止め処なく涙があふれた。
「生きて、生きておられたのですね」
 と口を両手で押さえながら、その後は言葉に詰まった。
「あぁ、生きていた。文を出そうかと思ったのだが、戦ゆえ出せなんだ」
 と先ほどからは想像できないほど晴れやかな表情で隼人正は話している。
「酷い。私、あれからずっと心配で……」
「すまん。だから、というかゆえにこうして会いに来ていた」
 と困った表情を浮かべて弁明する隼人正の見て、愛染太夫は口を押さえて笑った。女郎屋の世界には合わない清々しい絵であった。

「あれから、何年になる?」
「四年でございます」
「そうか、天橋立で父上の仇を討ってからそんなになるか」
 愛染太夫は、隼人正の肩に枝垂れかかりながら、隼人正に酒を注いでいる。
 この二人の事を語るには少々時間を遡らねばならない。
 ――四年前――
「ち、父上が殺された?!」
 諸国を武者修行、もとい漫遊していたこの体躯の大きい隻眼の青年は、妹のお辻から自らの実父が非業の死を遂げたという事実を聞かされ、呆然と屋敷の玄関で立ちすくんでいた。
 青年の父は、筑前小早川家の文武指南役として、先日急死した野村金左衛門の後任として、役に付いたばかりであった。
「そ、それで下手人は」
 誰だ、と青年は妹の両肩を激しく揺さぶり、唾を飛ばした。
「下手人は、広瀬軍蔵。他に二人ほど成瀬権蔵、大川太左衛門」
 といったきり、お辻は言葉に詰まった。
「くそっ、あの『悪蔵』か。で、その三人は?」
 と問い詰めた。すると、お辻の両眼から涙があふれた。
「実は、重蔵兄様が野洲(現在の滋賀県)まで……」
「という事は、三人は野洲にいたのか。で、兄者は?」
 という重太郎の質問に答える事無く、お辻は奥に戻ってしまった。
「兄者はどうなったのだ」
 と敷居を跨ぎ、土間で草鞋を脱いで、奥に向かい、襖を開けた。
 そこには、二つの位牌と仏壇、その前で泣き崩れるお辻の姿があった。
「兄者!!」
 と重太郎は、叫んでいた。まるで獣の咆哮の如きであった。
「あ・あぁ……」
 と両方の位牌を持ち、声にならない“音”を出している重太郎がそこにいた。
「重蔵兄様は、父上が殺された後直ぐに総領家に赴いたのですが、既に三人は出奔した後でした……」
「掛け合ったのか?!」
「はい……重蔵兄様がどうしても仇を討ちたいと」
「馬鹿者!!兄者は病弱であった事は知っておろうが。何故そのような無茶をしたのだ」
「重太郎兄様を待っていてはいつ仇が討てるか……それに重太郎兄様は薄田の伯父様の家を継ぐ方。重蔵兄様はそれを気にして」
「薄田と岩見が何だというのだ。俺は岩見重左衛門の次男だぞ。父の仇を息子がとる。当然の事ではないか」
 と叫び散らす重太郎の背中を見て、お辻はただ泣くしかなかった。
「……兄者は何と言っておられた」
「『重太郎が今にきっとやってくれる。筋違いがもしれんが重太郎にすべてを託したい』と……」
「……何が筋違いだ。親兄弟に筋などないではないか」
 と、重太郎はすぐさま自らの大小を腰にさすと部屋を出て行こうとした。
「何処へ」
「決まっておろう。仇を討つのよ」
 そう言って重太郎は屋敷を後にした。雨が降っていた。

「あの時は、重太郎様は怖かった」
「始めて逢った時か。あの時は仇討ちのことしか考えていなかった」
 ――丹後にて――
(くそっ、どこにあいつらはいるのだ)
 丹後の天橋立に来た重太郎は焦燥感に駆られていた。路銀が底をつきかけようとしていた事もあって、手を打つ必要があったからだ。
 筑前から東に抜け、安芸から大輪田泊(現在の神戸港)を北上し、有馬湯からさらに北上して丹後まで来たが、三人の行方はようとして知れなかった。
(京から東に抜けたのか……?)
 もしそうであれば、事態は異なってくる。
 当時、京から西には徳川政権の影響力が東側に比べて浸透していない。その理由として、大坂城にある豊臣家の存在があったからで、幕府はその対応策として、京都に所司代を置き、家康の信任厚い板倉伊賀守勝重がその席に座っていたのである。鎌倉時代に源頼朝が、西国の大名達を監視する目的で西国探題を設置した例に倣ったといっていいだろう。
 つまり、京都が影響力における境界線であるといっていい。
(もしそうなれば……ご公儀とやらに訴えねばならない)
 幕府は、この所自分たちのことを『公儀』と呼んでいるらしい。京にある公家達に対抗するためらしいが、重太郎には煩わしい以外、何者でもない。
(なんとしても、この丹後で見つけ出さねばならんな……)
「そこのお侍、どうなされのだ」
 と、声をかけられふっと我に返った重太郎は、後ろを振り返った。
 そこには初老の武士と娘と思しき女性が立っていた。
 白髪が少々混じっているものの、その柔和な顔の中にある眼光の鋭さを、嘗て狒々や大蛇を斃した勇者は見逃すはずはなかった。
「いや、お気を害されたのなら申し訳ない。それがし植松藤兵衛と申す。このものは娘のお祐でござる」
 と初老の武士は自らを名乗り、隣の女性も頭を深々と頭を下げた。
 重太郎は、何も喋らない。
「いや、貴公のお姿を後ろから拝見しましてな、もしや何やある、と思って」
 声をかけたまででござる、とまるで間を繋ぐように老人は喋り続けた。
「……岩見重太郎と申す。仇を討ちに筑前からここまで来た」
 と、聞き取るのもやっとのくらいの低い声で話した。
「貴殿が?あの狒々や大蛇を斃したあの」
 岩見殿か、と植松藤兵衛は細い眼を見開いた。重太郎は頷くだけだった。
「で、仇とは?」
 とこの初老は、人の事を聞きたがる性格らしい。
「父と兄」
 と重太郎もぶっきらぼうに答える。
 お祐は、そんな父を見かねてか袖を引っ張るが、煩わしそうに手を払われてしまう。
「ほう。何故殺されたのござる?」
「妹から聞き及ぶには父が指南役に抜擢されたのを恨んでの所業で、仇を討ちに行った兄を返り討ちにしたそうだ」
「その兄はお一人で?」
「あぁ」
「相手は」
「三人。しかも、兄は病弱であった」
「その兄は……?」
 と尋ねると、重太郎は頭を振る。
「……ここで話を聞くのも縁というものでござろう。それがしも微力ながらその仇討ちの手助け、というわけには参らぬか」
「……」
 重太郎の困惑した表情を見て、藤兵衛は、いやいや、と右手を振りながら
「遠慮は旅の捨扶持と申す。袖すりあうも他生の縁でござるよ」
 と、まるで使いをかってでるような気軽さで、味方を申し出たのだ。
「しかし、貴公に迷惑が」
 かかってはならぬ、と重太郎は強く拒んだが、
「いや、狒々退治の勇者のお手並みを一度拝見したいと予てより思っておりましてなぁ」
「……」
「大体、幾ら物の怪を退治した勇者であっても、三人を、しかもそなたのお父上を斃した腕前でござろう、果たして勝てる見込みがおありかな?」
 と、藤兵衛に核心を突かれて答えられない。幾ら腕に自信があろうとも鉄砲を持ち出されればまず不利になる事は必定であるということを思い知らされた。
「まぁ、味方は幾らいても邪魔にも迷惑にもなりませぬ。よろしいな」
 と半ば強引に話を決めた藤兵衛を見て重太郎は、苦笑していた。
「……確かに有難い。されど、これは私怨ゆえやはり巻き込むわけには」
「いやいや、まだそのような事を。もしそれがしがその一味であるとすれば、匿ってもらうよう他藩に根回しを施すであろう。そうなれば、そなたは一藩の関係ない家臣達とまで刃を交える事になりましょう。なれば、その三人にたどり着く前に殺されておるやもしれぬ。そうなれば兄上の轍を踏む事になって、仇討ちなど出来申さず」
「そうなれば、もし貴公の身に何かあったときは」
「そうなった時はそうなった時。余計な事をお考えあそばすな」

「重太郎様はあの日、遂に帰ってこられなかった」
「あぁ、お主に害が及んではまずいと思ったからな」
 ――あの日――
 岩見重太郎は、丹後京極家の元を訪れていた。
 丹後京極家。豊臣家に仕えながら、いち早く徳川家と誼を通じていた京極高知が、関ヶ原の功績によって与えられた領地で、石高は十二万三千石。この京極高知は、信濃飯田城主だったが、政治感覚が鋭く、五大老筆頭として秀吉に仕えていた家康に早くから懇意に近づき、関ヶ原でも東軍に付いた。
「筑前小早川藩文武指南役、岩見重左衛門が次男重太郎と申す。是非丹後田辺城主京極修理大夫殿に頼みたき儀ありてまかりこした」
 開門、と大声で呼ばわった。すると門番陣屋から、
「何処の軽輩だ。殿はお前のような者には会わん」
 帰れ、と大手門の前で遮られた。すると、重太郎はいきなり抜刀して大上段に構えると見えるや、いきなり門番を斬り伏せた。そして、もう一人の門番に、
「筑前小早川藩文武指南役、岩見重左衛門が次男重太郎と申す。是非丹後田辺城主京極修理大夫殿に頼みたき儀ありてまかりこした」
 と静かに言った。

「筑前の岩見?」
 と田辺城主京極高知は、そそけ立った鬢を小姓に結わえなおさせながら理解できないでいた。
 今年で三十八になるこの政治感覚の鋭い武将(というほど武力に優れてはいないのだが)は、丹後の統治に手を焼いていた。関ヶ原で最早天下の趨勢は決まったも同然なのだが、大坂以西の勢力に未だ反骨する兆しが見受けられ、ここ丹後でも、その雰囲気は十分にあった。
「ちと詳しゅう聞かせよ」
 と門番から取り付いた武士によれば、大手門でやおら大声で叫ぶ者がいたので追い返そうとした所、いきなり無言で抜き討った、という。その者が岩見、と名乗っていたらしい。
「門番を一撃でのう……よしその者に会わせよ」
 とまるで物見遊山に出かけるかのような口振りで、会うことを決めた。
 田辺城本丸にある大広間は畳にして六十畳程で、十二万石を治める大名の城にしては不釣合いなくらい広い。重太郎は、そこに通された。
 暫く、と案内をした坊主以来、誰一人として部屋に来る者はいない。
 半刻ほどして漸く小姓二人を従えて男が一人入ってきた。
 額は広く、そのくせ鬢が割合と小さく、小ずるい印象を受ける。月代も広くあり、眉は少し薄く、眼は煌煌と光っている。肌は色白く、人目で出不精である事が覗えた。
「丹後田辺城主京極修理大夫である」
 上座に座ったその男は、いきなりこう言った。
「我が藩の門番一人を殺害せしめた、ということだがいかなる所存か」
 とまるで、番屋で取調べをしているような口調で重太郎に問うた。
「拙者は筑前文武指南役岩見重左衛門が次男、重太郎と申す。お手前の藩内にて我が父を殺害せしめた下手人三名が潜伏していると聞き及び、是非お手前の容赦を頂いて本懐を遂げたい、との思いで来た所、お手前の門番が何やら騒がしく、煩いので抜き討ちにした次第」
 と重太郎も引き下がる事もなく、むしろ堂々たる構えを見せていた。
「あいわかった。されど、お主のやった事は藩内の狼藉といわれても致し方なき所業。これについてどう申し開きをするのか」
「先ず、仇を討たせていただきたい。話しはそれからでも私は逃げたりはしない。どういう処分にあいなろうとも受ける覚悟」
 と、物怖じせず堂々としている。
「……ふむ。それでは、仇討ちの条件をこちらで決める事で抜き討ちの件は水に流そう。三日後の辰の刻から我が藩において家臣一同の調練がある。この家臣たちを助太刀として、お主の下手人を助ける。これがこちらの条件。受けるか、もし受けぬなら門番殺害のかどでお主を打首にする」
 と低い声で恫喝した。
 重太郎は、一つ質問がある。その家臣たちというのはどのくらいいるのか、と尋ねると、修理大夫は三千人、と答えた。
 わかった、と重太郎は承諾した上で、場所は天橋立が良い、と具申すると修理大夫はこれに応じて、仇討ちの準備が整った。

 九月も半ばを過ぎると、身を切るような風が一陣舞う事も珍しくない。
 決戦場から程近い宿屋で一晩を明かした重太郎の眼は赤い。
 一人、自らの差料を手にとって確かめ、庭先に出るや一振り二振り、振るった。無銘でありながら一目でそれと見張る代物である。反りが少なく、大平造で、切先も大きく、丁子刃の見事な造りである。三尺(約九十センチ)近く、幅一寸もある。大身で力のある重太郎にとっては扱うに十分な代物である。
 この大刀との出会いは狒々を退治する時に譲り受けた品で、この大刀を手に取ったときから手にしっかりと馴染み、以来片時も離す事がなかった。
(よし、いくか)
 永遠とも取れた長い沈黙の後、刀を鞘に収め、篭手を両手につけ、玄関を出ようとした。宿屋の番頭が、御気をつけて、お代はお侍様が帰ってこられた時で結構でございます、と一言云うと重太郎は、俺は生まれてこの方お代を払いそびれた事がない、と言った。

 現代でも名所で知られる天橋立は、阿蘇海と宮津湾を丁度分ける形で形成を成している。
 この時代、丹後国は国友の鉄砲鍛冶以外、取り立てて拓けた所はなく、国家の歳入である特産物も鉄砲の売買からなる所謂軍需産業の都市である。
 当然、鉄砲の生産能力は高く、必然的に藩内における射撃能力も他の藩に比べて高く、軍事的には先進している。
 その丹後国を治めている京極家の家臣およそ三千人が、日が昇り始めたのを合図として調練に励んでいた。当然ながら、仇である三人もその中に混じっている。
 調練は非常に熾烈で、早くも脱落した者も出始めていた。
 岩見重太郎は、自分から選んだこの決戦場に着いた頃、調練はひとまず区切りをつけ、小休止に入っていた。
「岩見重左衛門が次男、岩見重太郎である。成瀬権蔵、大川太左衛門、そして広瀬軍蔵。この通り俺は一人で来た。正々堂々と、尋常にやろうではないか」
 と、肩にかけた大刀を左手に持ち替え、悠然と三人のいる場所に近寄っていった。
 その時、待て、と一人の男が三人と重太郎の間に割り込み、重太郎の足を阻んだ。
 背は、重太郎と同じくらい。いかり肩で、幅も大きく、まるで金剛力士を思わせる大男である。
「誰だ」と重太郎は問いかけた。
 その金剛力士は、塙団右衛門直之、と短く名乗った。
「ほう……加藤嘉明殿から奉公構いを受けていた、とは聞いていたがまさかこのようなところで会うとは思いにもよらなんだ。京極家で寄食していたとはな」
「いや、今は御覧の通り雲水でござる。京極家には調練の依頼を頼まれ、こうしておる次第」
 という団右衛門の格好を見れば、なるほど坊主傘に、首にかけている大きな数珠、右手に錫杖を持ち、総髪で、顔の下半分が髭で埋まっていた。
 ならば、手出し無用に願いたい、と重太郎は言ったが、団右衛門は、出来ぬ相談と首を振った。
「何故だ」
 と重太郎は問いかけた。単に調練の依頼を受けただけならば、無関係ではないのか、と。ましてや家臣でもない身分でありながら邪魔立てする義理が何処にあるのか、と。
「簡単だ」
 金を貰っている以上、それ相応の礼をするのがそこもとの申す義理という物。ましてや、この家臣の身を受け持っているのが拙者なれば、拙者もこの家臣たちと共にあらねばならん。と言った。
(この生臭が……)と心の中で重太郎は、はき捨てた。
「ただし」とこの生臭坊主は付け加えた。
「ただし、この立ち合いに両方に不平等でない、という事であればの話しだ。しかし、この大勢でたった一人で来る度胸は見上げたもの。その度胸に免じて尋常に勝負をせい」
 といって京極家の家臣たちの目の前にどっか、と座ってしまった。
 家臣の口々から、裏切者とか、あるいは約束が違う、等罵詈雑言や反抗反論が出たが、一向に団右衛門は聞く耳を持たず、ただただ眼前にいる四人の動向を凝視していた。
(粋な……)この隻眼の青年は、向こうにいる巨漢の雲水を横目に見ながら、しかし、全神経を集中させ、不測の事態に陥らないよう、警戒をしいた。
 一方の三人は、自分たちの描いていた青写真を一人の坊主如きによって破られ、狼狽していた。
 とりわけ、この案を作成した広瀬軍蔵は、顔中に汗をかくほどであった。
「じゅ、重左衛門殿には悪い事をした。魔が、魔がさしたのだ」
 と哀れなくらい卑屈に、重太郎の前に跪いた。
「ほう……魔がさせば、人を殺してもよいというのか。ましてや一人で仇を討ちに行った兄までも」
「い、いや、お主の兄とは知らなかった。わかっておればこのようなこと……」
「……もうよい」
 と重太郎は短く言った。其れに合わせるかのように三人は立ち上がろうとした。
 次の瞬間である。広瀬の首の上に何か重いものが当たった。それが何なのか広瀬は永久にわかる事は出来ない。
「いや、ついつい手が滑ってしまった。ついでにもうちょっと手を滑らせるとするか」
 と重太郎は、刀を振るった。二つの首が飛んでいた。

「そして今は太閤様の軍の将。私とはとても釣り合いが」
「関係ないさ。今度は一緒にいてやれる。あの時は云えなんだが、一緒にいたい」
 と隼人正が告白をした時、不意に戸が開いた。
 何事だ、とどなる二日前から物見をしていた三助がそこにいた。
「博労淵の砦が落されましたぜ。ここも徳川の軍の手に渡っちまった」
 よほど疲れていたのか三助の額から汗が迸っていた。
「そうか……それでよい」
「それでよいったって……あんたそれでも武将かい?!」
「あの砦は、木津川でまけた時点ですでに無用の長物さ。守っても意味がない。兵士たちは真田殿がやってくれているだろう。やっかいなのは俺がここにいることだ」
 と言って隼人正は立ち上がった。
「どこへ?」と愛染が尋ねると、一言、帰る、と隼人正は言った。
「あ、私は……」
 と愛染が、言い終わらないうちに来い、と隼人正は、愛染を抱えたまま凄まじい怒号と勢いで玄関まで一挙に駆け降りた。
 途中、徳川軍の襲撃を受けたが、隼人正は怪力と、確かな剣術をもって返り討ちにしながら、必死になって愛染を守り抜いた。
 それは、あたかも狙っていた女を強奪した如き凄まじさであった。

 隼人正が船場の妓楼から戻ったのは夜半を大きく過ぎた頃であった。
 見回りの番をする牢人以外起きている者はなく、閑々とした静寂だけが大坂城を占拠していた。