最期の真田 冬の陣4
作:AKIRA





  砦の攻防〜一時の終焉〜

 『凄惨』という言葉は、まさにこの為にあったといっても過言ではなかった。
累々たる屍の運河は、遠く茶臼山の本陣にも確認された。
 大坂城南東を取り囲むようにして編成された雲霞の如き大軍は、城の本丸どころかはるか手前の、およそ五千にも満たないであろう小勢によって散々に打ちのめされていた。それどころか、まるで鼬のように鋭く展開する手勢によって尚も追い討ちをかけられ、優位に進めていたはずの主導権は完全に握られてしまったのである。
 「・・・」
 呆然と、この老将は立ち尽くしていた。というより抜け殻のようであった。
遠くに怒号や、絶叫が聞こえる。が、それは遥か遠く、まるで全くの絵空事のようにしか思えない。それ程、実感が湧かなかったのだ。
「何をしておる」
 という叫び声が、ひどく空しく聞こえる。自ら発し言葉だというのにだ。
尚も屍の河は止まらず、それどころか刻々と大きくなっていった。
 冬の風が陣所の中を吹きぬけた時、老将には、
『貴様は、所詮我が血には絶対に勝てぬ』
 という『あの男』からの通告のように思えた。
「大御所。ここは撤退させましょう。でなければ我が方の死者を徒に増やすだけです」
という配下の言葉ですら
「なら、退かせよ」
 と短く云っただけだった。まるで、傍観者を決め込んでいるようにも思えた。

 ここからは、少し時を遡る事としたい。
 冬の到来である、木枯らしが吹いた十月の初め。
幸村は、借りてきた火鉢を囲みながら芋焼酎を喉に押し込みながら餅を肴としていた。
「年は取りたくないのう」
幾冬を紀州の山の中で過ごした幸村でも、年齢からくる冬の厳しさは、耐え難いものである。
 その幸村の一室に入ってきた若者がいた。
「寒い寒い」
と、青年は火鉢に手をかざし、時折手を擦りながら、
「大将、出城の方へ出て来てくれと、才蔵さんが云ってましたぜ」
と普段となんら変わり無い口調で主たる幸村に話した。
「そうか。出来上がったのか」
「広さがどのくらいか分からないんで直接見てくれ、との事で」
「わかった。御宿殿と共に行こう」
と、決めた時、障子が開いた。
「いや、此処でしたか。城内は広うござりますゆえ、すこし探しました」
と云って一人の武将が、共らしき男を伴って入ってきた。薄田隼人正であった。
「これは、お珍しい。して、いかがなご用件かな」
火鉢より少し、間を置いて薄田は深々と頭を下げた。
「博労の砦の事でござりまする」
博労の事、とはこの薄田自身が花魁の店に泊り込んでしまったが為に、砦を奪われてしまったのだが、事前に幸村自身がこの砦の兵士達をこの出城に撤退させてしまっていて、実質の被害が微少に済んだのだった。
「この隼人正、万語を尽くしても足りぬほど幸村殿には感謝致しております。そこで、ほんの少しではありまするが、この男を是非幸村殿の御配下にと」
と云って、傍らの男を紹介し始めた。
「この者は、元々紀州の雑賀の者で、名を筧十右衛門と申しまする。鉄砲の見識から習熟に関しては、屈指の者でござる。是非とも」
雑賀、という言葉を聴いて幸村は、ほぅ、と少し驚いた顔をした。

 幸村が驚いてみせたのは、雑賀の生き残りが居た事もあるが、それ以上に薄田が、自分の為に貴重な戦力の軸を無償で提供したからだった。
「しかし、このような・・・」
云われは、なくもない。だが、戦時中であればこその当然の合理的判断だったわけで、それで薄田自身がこの様な提供をするのは好ましくない。
 が、そのような事を云っていられるほど戦力的、あるいは物資的に余裕が無いのも事実である。というより徐々にではあるが、困窮し始めている。
「して、この筧・・・そう十右衛門とは」
どのような人物なのか、あるいはどのような能力と特技を持ち合わせているのか。一見して年齢は佐助に対して変わりがなさそうだし、持ち合わせている情報といえば雑賀という場所の生まれで、推測するに鉄砲技術が優れているくらいだろう。
 情報が、少なすぎる。
「紀州雑賀の孫市という者をご存知ですか」
朗々と、薄田が声を張り上げた。
「孫市?」
名前だけなら聞いた事があるが、実際に会った事はない。
鉄砲の技術が滅法優れている、という噂は聞いた事がある。
「この筧十右衛門は」
と長々とこの隻眼の武将は話し出した。
 元々彼の父である筧金六という百姓あがりの土豪が、若くして首領となった孫市の元に逸早くはせ参じた事がきっかけで、以来孫市の傍を離れなかった。自然、息子であるこの十右衛門自身も、小姓の頃から孫市に付き従ってきたという。
 爾来、孫市の見よう見まねで鉄砲を覚え、槍より鉄砲を持つ時が多く、戦の折には鉄砲で支援していたという。
「ひとりだけではござらぬ」
と、薄田の話はまだ続く。小姓として孫市に仕えていたこの十右衛門自身も、持ち前の才能を開花させ、約百ほどの雑兵を率いる程に取り立てられた。
 元々、れっきとした大名家ではない、いわゆる寄り合い所帯の土豪集団の規模から考えたらいかに孫市が眼をかけていたかが分かる。
「この一人一人が、少なくとも他家の鉄砲隊の百は下らぬとか」
とすれば、この十右衛門の隊だけで一万もの軍勢を相手にできる、という事になるのだがこれには些か誇張が過ぎる。
 とはいっても、現実には雑賀の鉄砲集団といえば「味方にすれば勝ち、敵に回せば敗け」という言葉があったくらいだから、その軍事力は十分に強力である。
 やはり、時代の転換点であろう日本の鉄砲伝来は、その後の歴史を変えたいわば特異点なのかもしれない。
「しかし」
と、幸村は薄田の話の調子を中断させた。確かに、軍事力が強力なのは理解できる。が、百人という小勢で、幾十万とも云われる大軍の総攻撃に耐えうるとはとても考えられない。と、ふと考え込んで、
「・・・ほぉう。そのような手があったのか」
『百で幾十万の大軍を相手にする』という方法を思いついたらしい。

 翌日には、紀州から雑賀の残りの鉄砲隊が入城し、そのまま出城に向かった。
幸村は、早速その雑賀衆百人に寝床を与え、同時に組み分けをした。
 百人を二人づつ、五十組に分けそれぞれに十人から上限で十五人程度の雑兵を付けた。
残りの兵を、大助や七郎衛門の隊に組み込んで、部隊を整えさせた。
 その夕方である。
「これだけ揃えてほしい。金は出す」
幸村は、佐助と数人の護衛を連れて堺にいた。鉄砲を買う為である。
 商人である、鉄砲屋五兵衛は言葉を失った。

 鉄砲二千丁、三十匁玉五百貫、火薬六百貫

 商人からすれば、これほど商売としておいしい話は無い。しかも一手に引き受けるとなればその利益たるや莫大なものになる。しかも、これを契機に軍需品を取引すれば堺の会合衆(当時、堺は商人達による『会合衆』と呼ばれる三十六人の統治評議会によって成り立っていた)にも影響力が出る。
 しかし、今の情勢を考えれば、当然『公儀』に盾突くことになり、戦後の状態によっては取り潰される可能性だってある。
 危ない橋を渡らないのも、商人の重要な資質の一つである。『確実なギャンブル』こそが商人の商人たる最大の才能といっていい。
 沈黙が、続く。
「ちょっと待っておくれやす」
と言い残して五兵衛は、奥に引っ込んでしまった。
 沈黙の後に出た五兵衛の言葉は、迷っていた。
「奥にお通ししておきなさい」
と、番頭に云うとそのまま別の部屋に入ってしまった。
(どうしたものか)
 非常に魅力的な商談である。六十五万石に落ちたとはいえ、豊臣家の資金力は莫大なものである事は周知の事実であり、もしこれを一手に引き受ければ前述の通り利益も甚大なものになる。
 しかし、その一方で問題もある。最早、豊臣家の落日は目に見えている。敗ける戦の、しかも敗ける側を相手に商売をするという事に少し複雑さを感じている。
 商売自体ではなく、相手側に問題がある。もしこれが『御公儀』に知れれば『謀反』という“濡れ衣”を着せられてしまう。
 この二点が、五兵衛の悩みの種だった。
「どないしたらええものやろか・・・」
豊臣にも、御公儀にも義理というものはない。しかし「勝ち馬に乗る」という事を考えた場合、後者と取引をしておけば後々恩恵も多い。だが、現在『公儀』が行っている事は、決して赦されたものではない。この少々偏屈な商人は、『公儀』を嫌っている。
 商売と心情は、別である。
「旦さん、お客さんがさっきから待っておすけど」
番頭の無粋(五兵衛にとって)な一言は、余計苛立ちを感じさせた。
 苛立ちを腹にしまい込んだまま、商売人としての表情は崩さず、幸村が通された部屋に入った。
「ようお待たせして申し訳おまへん」
と、一言頭を下げた上で
「先程お話になりはった件ですが」
と顔を幸村に向けた。
「それで、如何相成ろう」
「とてもやないがお引き受けできません」
「やはり無理か・・・」
物理的な量もあるが、それ以上に数が少ない。現代のように大量生産技術が全く確立していない時代に、短期間でしかも大量の鉄砲を納めるのは不可能だ。
「どうにかならんものか」
「二千丁に予備を五百と考えて二千五百。こちら堺と国友の鉄砲筋のすべての鉄砲を仕入れたとして千五百がええところでおま。残りの千を作るには余りにも時間がおへんよってになぁ」
「今から職人を総て従事させたとして、どのくらい出来る」
「せいぜい、二、三百がええところで」
「千八百・・・」
それも、仮定の話である。七百丁もの鉄砲を仕入れなければならない。
「とりあえず、千五百は買おう。代金は、鉄砲が来た時に」

 幸村は店を出た。
 千五百は確保した。途中で何も無ければ七日くらいで着くという事だった。
(・・・)
 決定的に数が少ない。城内にある分は、およそ四千。六千は無ければ、最前線の篠山の効力も薄い。兵はすでに送り込んでいる。
 後ろで、物影が動いた。二つ。
(大将、狙われてますぜ)
(狙われても仕方の無い身分だからな)
二人が息を潜めて後ろを探る。物影は、動かない。
 しかし、奇妙にも仕掛けてくる素振りは見せない。特有の殺気もない。
幸村は柄にかけていた手を離して、そのまま大坂城に向かっていった。
「あの爺さん、思ったほどじゃないな」
物影の一つが背を伸ばした。
 麻地の長袖に黒の陣羽織を着け、裾を絞った袴を穿いている。両腕に篭手、脛には脛当てを着けている。
 少々細長で頬がこけているが、やつれた印象より、むしろ精悍な印象を受ける。浅黒い肌で、髪を無造作に束ね、眼は一重。薄い髭をたくわえ、腰に直刃の脇差を佩いている。
「そうは思わないかい?鎌」
鎌、と呼ばれたもう一つの物影も大きく背を伸ばした。
 純白の袖口の広い着物に帯を締め、麻縄で拵えた紐を着け、その下に同じく裾を絞った袴を穿き、対照的な紅い陣羽織を着けている。
 肌が白い。日焼けをしない肌質のようで、眼も切れ長で唇も薄く、まるで一文字を結んでいるようにも見える。体の線もやや細い事もあって、まるで妖艶な美青年を思わせるような顔立ちである。
「いや、あのご老体は分かっているようだよ」
甚八、と『鎌』は親しげに呼んだ。
「あの爺さん、困っていたな、明らかに」
「鉄砲が足りないとか云っていたが」
「聞いていたのか」
「あぁ」
「一儲けできそうだがな。どうする」
「いいんじゃないか。だが、百とか二百とかの世界じゃないだろうな」
「しかし、どちらの側かな」
「何がだ」
「大坂方か、御公儀かだよ」
「御公儀だったらどうする」
「ふんだくるさ。安泰に暮らせるくらいにね」
「大坂方だったらどうする」
「もっとふんだくるんじゃないか」
甚八は、嬉しそうに云った。

 七日後、五兵衛から買い取った鉄砲千五百が大坂城外『真田丸』内に運び込まれた。
「ほな、これで」
五兵衛は代金を受け取った。
「無理を云ってしまったな」
「いえいえ。商売ですさかい」
と五兵衛は立ち去った。
「まだ、足りんな」
殆どが徳川方に占められている状況下で、千五百の鉄砲を買う事が出来た。しかし、これで日本にある鉄砲は、九州にある種子島を除いて既製は殆ど無くなった。
「どうします。足りないんでしょ」
佐助は鉄砲の積荷を見ながら尋ねる。
幸村は、無言のまま眉間に皺を寄せて空を睨んでいる。
 五兵衛が持ってきた千五百丁の鉄砲と三十匁玉五百貫、火薬六百貫、それと別箱に入れてある馬上筒二百丁だった。
 馬上筒とは文字通り馬上で撃てる鉄砲の事で、現代の拳銃とほぼ同じである。
「馬上筒か。・・・飛距離自体左程差はないが、やはり此処から支援するとなると些か。・・・」
両手で構える鉄砲に比べて、馬上筒の場合、片手で撃つ事が多い。故に軽くは作られていても、多少の振れは出てしまう。支援で味方を死なす訳には行かない。
「これを、篠山の陣地に送れ」
馬上筒は、最前線で使う事を決めた。
「こらっ、貴様ら。どこから入ってきたのだ」
外で門番が怒鳴ったので、丁度居合わせた才蔵を行かせた。
「大将」
と才蔵は幸村に耳打ちをした。鉄砲を売ってくれる、というのだ。

「俺は、塩飽水軍頭領の根津甚八貞盛という。こちらは由利鎌之助」
と、海賊らしい浅黒い男が隣の流し目の男を紹介した。
「こちらに居られるのは、真田左衛門佐幸村様だ。俺は才蔵と。・・・」
「あんたの事はどうでもええ。それより、鉄砲が足りないんやろう?」
「失礼だぞ」
と、自分を無視され、いきなり商談を持ちかけた海賊に才蔵は思わず声を荒げた。
しかし、幸村はそれを宥めた。
「しかし、堺で鉄砲が集まらんとなれば、問題だなぁ」
「ほ、そうか。佐助と二人で堺にいた事を知っているとは、あの時の物影か」
「物影とは、云ってくれるやないか。しかし、後をつけたのはその通りや」
「で、幾ら持っている」
「それはあんさんたちのこれによってだす」
と、甚八と名乗った男は関西弁を使いながら人差し指と親指で丸を作った。
「ほほ。言値で出そう。しかし、百や二百の世界ではないという事は知っておろうな」
「どのくらい必要(いる)んだい」
「ざっとで、二千から三千は少なくともいるな」
という幸村の言葉で、甚八は言葉を失った。
(二千・・・)
当時の鉄砲の生産は総て家内製手工業、つまり完全な手作りである。
しかも、この甚八は海賊をしていたという塩飽水軍は、小舟と火矢による電撃戦が主流である。というのも、瀬戸内海自体が狭い上に大小の小島が群れをなして障害物が多く、その上、というよりこれが最大の理由となるのだが、鉄砲が普及していない時世にあって、鉄砲は数十丁あれば、それだけで瀬戸内海のみならず日本近海を席捲する事が出来た、そんな状況である。
(一介の海賊と思ってなめてやがる)
 吹っ掛けられたのだ。明らかに嘘と分かる。が、嘘でもない。実際鉄砲は要るのだから。
「どうした。『どのくらい』というから云ってやったまでのこと。無ければ取引は出来ん」
 幸村の云う事は最もである。
 甚八は、ぐうの音も出なかった。
「二千丁だな」
「そうだ」
「集めてきたら」
「買おう。それこそ、お前達の言い値だ」
(おもしろい。絶対だ)
部屋を辞した時の甚八の表情は、晴れやかとしていたという。

 この日は、午の刻(正午)になっても冷たい風が唸っていた。
根津とか云った海賊が二千という鉄砲の数を確約してから七日が過ぎていた。
「来ないんじゃない?」
「来ないだろう。だって二千もの鉄砲を掻き集めるなんていってたが、無理だ」
という声が其処彼処で囁かれていた。
 実際、幸村自身期待しないで待っている。
いざ、となればこの戦力で戦うつもりだった。
 全く当てにしていないのか、というとそれも違う。あの根津という海賊と、鎌ノ助といった二人は、何かをやってくれるのかもしれない、という期待を持たせてくれる二人のように思えた。
(二千とは我乍ら吹っ掛けたものだが、果たして。・・・)
できれば大したものだ。だが、国友、堺共に鉄砲は底をついている。既製品は“表面上”無い筈である。
(さて、何処から持ってくるか。・・・)
種子島、九州は物理的地形的に不可能である。堺は残りを幸村自身が買い、国友といえば徳川軍に出資してしまっている。
(安土)
無い。といえなくも無いが、可能性は薄い。城内の街にも鉄砲は無い。
 才蔵が、小助を連れて現れた。
「大将、ちょっと小耳に挟んだんですが」
と前置きをして、実は徳川麾下松平直政の配下の藤木九左衛門という武将の陣所の兵舎から鉄砲が約五百丁、数十人の賊に盗まれたという。
「それだけではなくて」
どうやら、複数回、同様の被害が出ており、鉄砲二千と火薬、弾まで盗まれたというのだ。
「その上、このような」
と見せた和紙には、
 ―――徳川軍、百万ありと云いたるが、雄なるもの一人とてなし
と、短い文句が書いてあるだけだった。
「ばらまいてあったのか」
「はい。どうも、急に空からばら撒かれたそうで」
「いかんな。・・・」
これでは、東軍の神経を逆撫でしてしまう。時期が、早い。
「出城は」
「は、櫓が二、三と篠山の方で城塁の他は、総て」
「そうか、早急に仕上げよ」
急いだ。でなければ、こちらの予想以上に進軍が早まる可能性があった。
「殿。牢人風体の者が、共を連れて『鉄砲を持ってきたので商談だ』と面会を」
「うむ。通せ」
 部屋にやってきたのは、この間、商談を持ち掛けてきた海賊だった。確か、根津とかいった。
「甚八とか申して云ったな。で、二千の鉄砲は」
と、幸村が尋ねると甚八は顎を左に向けた。
 幸村が眼をやると、続々と大八車に乗せられた長細い木箱が運ばれていた。
注意深くその木箱の紋を見てみると、松平家の『葵』や伊達家の『竹雀』、前田家の『梅鉢』など、東軍諸家の紋所が入っていた。
「これで、鉄砲二千、火薬は五百貫、弾は一匁を使ってくれ。弾は」
と、一番最後に運ばれてきた木箱を指差し、
「約束通りだ。鉄砲二千、たしかに真田幸村に納めたぜ」
才蔵と佐助が、各々五〜六人を人足を使って検閲したが、一丁も不備品は無かったようである。
「よし。こちらも約束しよう。お前達の言値は」
「大将。本当に言い値で払うんですか」
と、才蔵が側に寄った。
「ああ。そのつもりだ。この二人はどういう手段であれ約束を守った。私が守らねば卑怯の誹りは免れんだろう」
「しかし、途方も無い額を言い出してきたら・・・」
「と、考えたんだがね。代金は、こちらで雇ってもらうてのでどうだ」
と、才蔵の声が聞こえたのか、甚八は妙な提案をした。
「どうした。妙な風の吹き回しのようだが」
と、幸村が尋ねると甚八は徐に口を開いた。

 ―――幸村と例の約束を五日過ぎた。残りは、五百。
「いいか、何としてもここで決着(けり)をつける。ここで最後にする」
甚八貞盛は、自分自身でもこれほど鮮やかに成功するとは思えなかった。
 ―――たった五日で千五百とは出来すぎている。
根津は、この鮮やかすぎる成功を不安に思っている。
 この五日前、つまり幸村と商談したその夜中に海賊時代から主だった手下達を呼び寄せた。といっても、この海賊達自身は大坂を中心に隠密に集まってはいた。
 総勢で五十。これを二部隊にわけ、それぞれの長として甚八、鎌ノ助が立った。
初日は、夜半決行。松平直政の陣所だった。
 宿直は、数人が巡回している程度で勿論交代する時期などは把握している。
巡回の交代は、大体亥の刻。この時ばかりは巡回する兵士達が極端に減る。
 この時を狙った。運び出す役回りと、囮の役回りを決めると先ず囮が兵士に近づいた。
 囮が兵士に食い下がりながら、尚且つ大声で何事かを叫んだ。
「飯をくれ」、これが合図らしい。
この声を聞いて、潜んでいた本隊が動き出す。
鉄砲は兵舎の隣に箱詰めにして積んであり、また其れを運ぶ為であろう荷車も立て掛けてあった。
 さすが、海賊出身者ばかりで略奪行為はお手の物だった。素早く荷車を寝かせるとすぐさま木箱を乗せてゆく。と同時に麻縄を用意し、予め荷車の梁の隙間に滑り込ませると片っ端から括り付ける。それも二人で同時に行う。
 一方囮は、相変わらず喚きたてるだけで時には懇願し、時には激怒しながら、しかし縋りついたりして時を稼いだ。
 本隊が無事済ませると短冊の和紙をばら撒く。これが、撤退の合図である。
交代した兵士達が和紙を手に取ると、囮の役回りは渋々陣所を後にする。
その間、現在の時間感覚で僅か十分足らずの出来事である。
 首をかしげながら兵士達が巡回すると積んであったはずの鉄砲の木箱がそっくり消えていたのである。

 この方法のみならず夜鷹を買って囮にしたり、また子供に駄賃を握らせて陣所に入り込ませて遊ばせたり、またある時には山伏に変装して奇術を見せる事もあり、又ある時には真昼に火薬を爆破させ、手薄になったところを襲撃するなど、考えつく限りのありとあらゆる手段で盗んできた。
 最後の獲物の場所は最初から決めていた。大坂城東横堀松屋口南に陣取っている伊達政宗、秀宗軍一万である。

 荻又市は陣所の守衛の人数を増やしていた。
このところ、謎の集団が鉄砲だけを奪うという奇妙な事件が続発している為であった。
「ま、大坂城の乱波だろう」
乱波、というのは忍者の別称である。
しかし、警戒が厳重であろう諸藩の陣所にしては手際が見事過ぎる。
「しかしあれは、賊だな。しかも、気仙沼あたりの」
政宗は又市からの報せを受けて、片平五郎兵衛の乱波説を否定した。
「殿。気仙沼とは、ちと・・・」
「気仙沼とはものの例えだ。ここいらとて其れらしき集団もあろう」
「海賊ですか」
「そうだ。ここから南は九鬼殿の支配下であろう。それに、城から西に行けば海賊共が割拠していると聞くが」
「確かに、塩飽・来島・村上(毛利家の傘下)と瀬戸内には互いで共存栄しておりまするが」
「それだ。瀬戸内には御公儀に対して穏やかならぬ考えを持っておる輩達も居て不思議はないであろう」
「そんな不遜な」
「でなければ、家康公の信任篤い板倉伊賀守殿が京都所司代に置くか」
この時代、まだ江戸幕府の影響力は西国や九州まで浸透はしておらず、特に薩摩に至っては永遠に浸透することが無かった。むしろ、四分の一にまで領地を削られた毛利は云うに及ばず、関ヶ原の役において改易、転封された西国諸大名には憎悪はあっても崇める気持ちなど毛頭無いといってもいい。
 故に、善政家であり礼儀所作正しく、その上忠誠篤い板倉伊賀守が西国監視をする上で最も重要な京都所司代に選ばれたのだ。
「兎にも角にも警戒を怠るな。万が一賊に入られたら後を付けて出所を確かめよ」
政宗は鍔を加工した眼帯を又市に向けた。
右眼が、不敵に笑っている。

 この時、襲撃に立ち会っていたのは由利の部隊だった。
根津は前々から伊達軍に狙いを定めていた。理由は由利自身も知らない。
ただ、憎悪とか怨恨といった要素は見当たらないように思える。単なる功名の欲に駆られたのか、それとも。―――
「伊達政宗っていう奴ァ『奥州の覇者』なんて呼ばれてる奴だ。こんな大物から鉄砲をかっぱらう事が出来たら、笑いが止まらんぜ。それに―――」
と、魚を頬張りながら、
「伊達は、主力部隊の一つだ。ここからでも切り崩せるかもしれねぇ」
前夜、根津が由利に云った。しかし、もう一つ理由がそこにある。
「主力部隊でだ、しかも戦場に身をさらけ出してきたと云える人物は、藤堂、上杉と、伊達だけだ。それで居て、一万以上の兵力を動員してるのは伊達だけだ。そこから醜聞が出たとなれば、どうだい」
と、根津は由利にけしかけてきた。これが本音らしい。
「何故、そこまでしてあのご老人に拘る」
「なんでだろうねぇ」
 由利の問いに答える事は出来ない。自身が投げかけた疑問でもあったからだ。
「おもしろそうだ、じゃいけないかな」
「関わる事がか」
「そうだ。名を、百世に残すにはこれしかないだろう」
「以前なら、そんな事には一切興味がなかったのにな」
水色の空を眺めながら俗世の功名には一切興味が示さなかった海賊が、急転ともいえる心変わりした動機はなんなのか、由利には分かりかねた。
「本音を云え」
「本音だよ。功名心に逸ったのさ」
と、胸を掻きながら、
「功名心・・・とは違うよな」
今度はうなじ辺りに人指し指を立てて動かしながら
「なんだかな、助けてやりたいというか」
「同情か?それなら向こうは迷惑だろう」
「本当の所は、俺自身でもわからん。ただ、あの爺さんを援けたいと云う気持ちに嘘偽りは無い。その爺さんが鉄砲欲しがってるんだ。なら、奪ってでも」
表情こそ余裕を装っていても、由利には根津の気持ちが本物であることは長年連れ添ってきた二人にしかわからない独特の感覚で察知できた。そして由利は其れに抗う事は、これも長年の付き合いから逃れる事は出来ない。自身もそのつもりは無い。
「仕方あるまい。梃子でも動かん男だからな。しかし、これで最後だ」
最後といったのは、自分の最期を予期してなのか、それとも全てから足を洗う事だったのか、いずれかは後世にも真相は残っていない。

 冬というのに湿気が酷かった、十一月も終わりの朝である。
卯の刻に出立。まだ辺りは薄暗く、辛うじて東から朝陽の光を見て取れる程度である。
 根津隊十五人は、武家ならば譜代と称される程の古参の中から選りすぐった身体能力及び精神力に優れた者達だけで構成されている。
 一行は、伊達家本陣南にある『安居天神』で小休憩を挟み、紀州街道から西に向かった。伊達家の本陣後ろを急襲するためである。
 予想通りに倉は陣所の後ろにあった。見張り役の兵が三人。いずれも金で雇った食い詰め牢人の程である。
(いいか、もう一度云うが此処で最後だ。此処が成功したら鎌と合流してその足で大坂城に行く)
 もう一度念を押した。部下達は静かに深く頷く。由利は、すでに掻き集めた鉄砲を荷車に積んで、大坂城に向かっている筈である。
 根津は、無言で右手を高く翳し前方に向けて倒した。手筈を整えている手下達が一斉に陣所に向かった。
 同時に残り数名を従えて左手に回り、杭で打ちつけられた柵に体を滑り込ませ、進入を果たした。
 一方で先に陣所にたどり着いた手下達は、一斉に何やら大声で喚きちらし始めた。門番の男は、
「何事だ。こんな時間に」
と、槍の穂先をちらつかせながら凄むが、一層声が大きくなるだけで手に負えなくなった。
(来たな)
陣所の見張り役を任されていた荻又市は、すぐさま押っ取り刀で声のするほうとは反対側になる倉の方へと駆けていった。―――
(もうそろそろだな)
と、根津は荷物を片っ端から括り付けながら手筈を整えている。
いつもより時間がかかっている。ほんの数秒という誤差であろう。だが、盗みを働く者にとってこの“ほんの数秒”という誤差が命取りになる。根津もそこは重々承知していたはずだった。手際が遅れたのは、鉄砲の倉を移しかえられていた為であった。
(焦るなよ)
配下に言い聞かせながら、もう半分は自らに言い聞かせるように素早く、しかし慎重に括り付けていく。最後の荷物をくくり終えた。
「行くぞ」
一挙に突破するつもりだった。その為に足の速い者だけを特に残したのだ。
 しかし、倉を出た時に全ては露見してしまっていた。

 荷車とともに根津たちは大将の居所の白州に引き出された。
「近頃鉄砲を盗む不届きな輩が跋扈しておると聞いているが、その方たちか」
詮議をしているのは先程根津達を捕まえた荻又市である。
 根津は無言を貫き通す。或る者は下を見、或る者は陽が高くなった空を見上げ、遠くを見るもの等、様々に抵抗をしている。
「抵抗しても無駄だ」
と、怒りをこらえ声を抑えた。が、反応は変わらない。
「荻、後は儂にやらせてみんか」
と云ったのは、仙台藩主伊達政宗である。
「し、しかし殿がわざわざ・・・」
「えいえい。それに少し聞きたい事もあってな」
と、荻以下の家臣達を全員下がらせて再び詮議が始まった。
「根津というのは、瀬戸内の海賊と聞いたが」
「そうだが、それが」
にべもない根津の返答に政宗は苦笑した。
「何が面白い」
「いや、若いというのは怖い事だ。己の分限という物が分からない。それゆえ考えられんような無茶もするが」
「・・・」
「いいか、今まで上手くいったのは盆暗共の陣所ばかりを狙ったからだ。それはおのが自身がよく分かっているであろう。なのにだ、なぜこうなると分かっていて我が陣所から盗もうとした?欲眼か、功名に逸ったか」
「いずれも近からず」
「ほう。では何故」
「商売さ」
と、根津は鼻を上げた。
「商売?相手は」
政宗が尋ねても根津は頭を振った。
「そうか、教えられんか。おおよそ見当はつくが、やめておこう。清蔵」
と呼ぶと、一人の家臣が入ってきた。
「清蔵。縄を解いて荷車をもってこい」
「いいのですか」
「いいのだ。こういう無茶をしてまで商売をしたい相手というのは余程の者なのだろうな。隙を突かれ、盗まれた事にしておけばよい」
「畏まりました」
この清蔵という男は、犬飼重久といって後、子孫が砲術家になる男である。
 清蔵によって持ち出された鉄砲は、根津の目の前に置かれた。盗もうとした時のままである。
「此れを持って大坂城に行け」
「いいのか」
「構わんさ。ただし条件がある。配下の者を一名、ここにおいて行け」
どういう人間なのか、政宗は値を踏んだ。
根津の眼が変わった。明らかに憎悪に満ちている。
「それなら、あんたを殺して奪うだけさ」
口元は笑っているが、眼は笑っていない。本気である。
「ふふふ、そう来る思っていた。気仙沼の海賊達も義理が篤い。此処も同様のようだ。幸村公に伝えておけ。『伊達の騎鉄は簡単に破られはせぬ』と」

「陸奥守殿が」
『大崎(仙台の旧名)の伊達者』と云われている伊達政宗の仕様に、複雑な胸中であったろう。
伊達軍自慢の騎鉄部隊は仙台に留めて置いているはずであるのに、根津から発せられた「幸村への伝言」の意味が、分かりかねた。
「で、どうする。俺達を雇うのか」
「・・・この戦、必ず負けるぞ。それもいいのか」
という幸村の問いに二人は答えなかった。ただ、不敵に笑っていた。
 その夜である。
数名の宿直を残して、出城は静かに夜明けを待っている。
 槍を抱えて眠る者や、あるいは豪快ないびきをかく者等、様々である。
その中で、素早く動く『影』の姿があった。
 「霞の小五郎」である。
嘗て紀州において幸村暗殺を失敗してからは江戸に戻り、棟梁であった服部半蔵政重(服部半蔵正成の次男)から叱責された。
『真田幸村の首を取るまで江戸に戻る事赦さず』
という政重の沙汰が出てからは伊賀に帰り、大坂に居た。
 幸村の陣に紛れ込む事が出来たのは、たまたま幸村の陣営に伊賀の忍び武者が居た為で、小五郎はその忍び武者の手引きで簡単に入る事が出来た。
 幸村の陣所までにはおよそ障害物という物は無い、ただ平坦で見晴らしの良い平地だけである。逆を云えば、身を伏せ、隠れる場所が無いという事でもある。
 忍び武者某は「今一度」という思いで志願したらしく、江戸預かりではないらしい。
小五郎は夜陰に紛れ、幸村の陣屋敷に侵入した。
 陣屋敷の見取は、その某から簡単に聞いている。
小五郎は、跳躍するという行為を一切行わない。音を極力出させない為である。
 屋敷は平屋造りで、正面から見て右手に倉がある。
主に正面の部屋は、伝達の場と軍議の場であるため床が板敷きになっている。
板敷きの軍議の部屋と伝達の階段との間に回廊があり、通ると、今度は佐助や才蔵たちの寝室となっている。
 小五郎は、その寝室を迂回して、奥にあった離れへと足を運んだ。
離れは、一室しかない。勘で、決めた。
 スッと障子を開ける。眼前に初老の男が眠っている。紀州以来である。
「・・・」
無言のまま、腰の差料を抜く。黒光した刀身である。逆手に持ち替えた。
 刹那、小五郎の両眼に何かが飛び込んできた。
小五郎、思わず払いのけようと左手で振り払った。妙に重い。
「久しぶりだの。紀伊以来か」
「・・・」
「どうも、服部の小倅の命のようだ。ずっと尾けていたのか」
「・・・いや、伊賀に戻って仕切りなおした」
殺意ある珍客は、言葉を低く押さえ、相変わらず差料を右逆手に持ったまま、真一文字に構えている。
 沈黙。部屋自体の時の流れが停止したような錯覚すら感じる。
先に動いたのは小五郎である。真一文字に構えたまま間合いを詰めてきた。
 幸村も布団を被せ抵抗する。が、年齢の差というものか、一挙に組み伏せられ、喉元に刃が当たった。紅い一線が喉元に引かれた。
 幸村は膝を立て、小五郎の睾丸に当てた。小五郎の顔を苦痛に歪む。
その隙を縫って床の間に置いてある刀を抜いた。
「小五郎。儂はどちらにしても永くは無い。なら、武士(もののふ)としての死に花をさかせてくれぬか」
 小五郎は、無言で頭を振る。あくまで邪魔な芽は摘む、というのであろう。
その時である。部屋の障子が開いた。そこには、小五郎には憎らしい小僧が立っていた。
「またお前さんか。懲りないねえ」
「いつぞやの小僧か」
「小僧じゃない。佐助と名乗ったろう」
「憶えていないな。まぁ、いい。ここは引き下がる。だが、ここにも伊賀者はいる。いつでも来れる、という事を憶えておけ」
と言い残し、反対側の障子を突き破って闇に消えた。
佐助は追おうとしたが、幸村に止められた。
月も、雲に隠れてしまっている。

 小五郎の襲撃は、少なからず出城内の兵士達の動揺を誘っていた。
しかし奇妙なもので、脱走者は一人もいなかったという。
しかし、本城内において奇妙な動きがあった。
出城と本城を繋ぐ惣構えの枡形(防御の木の柵)を作り、平野口虎口(城の出入り口)に一万もの兵を置いたというのだ。
これに激怒したのが後藤基次である。
「痴れ者めが!」
と、肘掛を蹴り飛ばしたというのだから、尋常ではない。
「あの愚凡には信頼という言葉すら頭に無いようだ。弟とはえらい違いだ」
弟というのは大野主馬治房の事で、此処のところは諍いが絶えない。
「此れほど真田公が尽くしてくれておるのに、これでは裏切り者扱いではないか。確かに、向こうにも兄である信之(信幸改め)がいる。しかし、実質は引っ込んでおるし、二人の息子も持ち場が違う。このままでは士気にも及ぶであろう」
「では、どうなさる」
その場にいた大谷大学は、額を擦っていた。
「知れた事。あの愚凡の眼を醒まさせてやるだけよ」

 大野修理の部屋は城内の白書院近く、ほぼ城の中央に位置する。
この時、大野修理は優雅な挙措で「資治通鑑」を読んでいた。
丁度三国志の後半、諸葛孔明の北伐の段、陣中病没の辺りである。
そこへ、一人の武将が大きな足音を立てて障子を勢い良く開けた。かちん、と大きな音が鳴った。基次である。
基次はその経机を横に蹴り倒し、眼前で胡坐をかいて、
「大野。貴様、この仕儀はどういうことか」
と、凄んだ。異形な形相をしている基次の前で、修理は茶を飲み干し、
「どうもこうもない。見ての通りだ」
と、あくまで視線を合わせようとしない。
その態度に腹を立てたのか、傍にあった本を投げつけ、
「腰抜けが。味方と敵の区別もつかんで、よく秀頼殿の御側が務まるものよ」
と、今度は蔑んだ。
「何い」
「平野の出入り口の外には『真田丸』がある。南の弱点を一手に引き受けようとしておるのにだ、その城の当の所有者が『信用ならん』と云う。筋が通らぬ」
と、基次が腰を下ろし、側に置いてあった茶菓子を口にいれながら
「万が一に、左衛門佐殿が裏切るのならばあの手下共を引き連れて、城を乗っ取ればいいだけの事。『今孔明』を知らんわけではないだろう」
『今孔明』というのは、当時斎藤家に仕えていた竹中半兵衛が、舅である安藤守就らの手引きによって難攻不落とされていた稲葉山城(現・岐阜城)をたった十数人で乗っ取り、当時城主であった斉藤龍興を諌言したという逸話である。
「あの真田の郎党と渡り合えるとすればだ、この儂か、豊前殿(毛利勝永)か、他数人という程度であろう。それに、もとよりここまで戦をしておいて今更裏切る道理があろうか。いや、ない」
「自分の甥と叔父が参陣しておって『裏切らん』という確証もない」
この言葉に基次は嘆息するしかなかった。基次は頭を振り、
「幸村殿は、最早この戦に万が一にも勝つ見込みはない、と踏んでおる。この儂かてそうだ。では何故、此処を引き払わないと思う」
と、堰を切ったように喋りつくすと、修理自身が入れた茶を強引に取り、喉に流し込みむと、
「武士(もののふ)の死に様を世間に知らしめ、死して天下に名を轟かせる為よ」
と云った。
「貴様らが死のうが如何しようが当方には関係ない。ただ、豊家の存続があればよい」
「それなら、以前にもできたではないか」
と、基次が云うには以前、片桐且元をして『淀殿を江戸に留め置かれますよう』という人質差し出しの案件を秀頼に送った事がある。しかしこれに淀殿は反発し、さらに且元が裏切り者である、と烙印を押した事で且元自身が大坂城を退去するという事件があった。
「そもそも豊臣家は朝廷から関白の位、ひいては『内覧の宣旨』を受けた家。たかが三河の坊主から興した田舎大名に何故従わねばならん」
「太閤は、百姓ではないか」
「徳川は新田庶流とは云うが、坊主と土豪の娘との間から生まれた家ではないか。そちらの方が卑しいわ」
修理の云う事も強ち間違いではない。実際、徳川家というのは、徳阿弥という坊主が三河松平郷を住処として還俗し「松平親氏」と名乗ったのが起源である。
「どちらも似たようなものではないか。しかし、現実に今天下を九分九厘、掌の中に包み込んでいる統治者に諸大名は臣下の礼をとっている。もう豊家の時代は終焉しておるのだ。終焉より先はない。時の流れなのだ」
「義を欠いてまで『時の流れ』というのならば、その時の流れを止めればよろしかろう」
と、修理の態度もますます硬化するばかりである。
「・・・。兎に角だ、兵を退かせろ」
修理は蹴倒された経机を直し、本の項を捲りあて、
「無理だ。淀様がお許しになられぬ」
と云う。
軍団の長ともあろうものが、自らの意思で招いた事態ならまだしも、その意思決定すらまでが前線に出た事も、ましてや経験すらない女が握るという事態に、この歴戦の猛者は憤りとも憤懣ともとれない無味乾燥な顔であった。
「・・・」
たった一人の人間の為に十万の兵と将達が翻弄され、しかも諌言ができないという現実離れした現実に、基次はやるせなかった。

 十一月の終わりに、出城は完成した。名前は、「真田丸」というらしい。
縦百二十三間、横七十九間(一間、一.八一八米)というから武田系城郭の「丸馬出し」というには、規模が大きすぎるのだが、城が城だけに此れほどになったのだろう。
 真田丸周辺には深さ五間、幅十間程の空堀があり、前面中央には深さ十間、幅二十四間という大きさの水堀が掘られ、その空堀、水堀の際には柵が打ち込まれている。
 そして空堀の内側、真田丸の外壁の付け根に当たる部分に逆茂木(木の根を逆さにして植え込まれた妨害壁)を外壁に沿って並べ、その外壁の高さは八間から九間程で、空堀の底から五間ほどに幅が一間半ほどの犬走り(軍用犬の連絡通路)、さらに三間ほど高くして外壁に沿うように二階建ての櫓が組まれ、所々に幟も立てている。
 鉄砲は、櫓上と櫓下に配備され、櫓下には鉄砲穴をつける事で正確に射撃を行えるように大きく、等間隔に穴を開けた。
 ―――平野口に一万程の兵が配備
という報せが伝馬によってもたらされたのは、真田丸内の中央にある陣屋敷でささやかながら英気を養うという宴を催していた矢先であった。
「であろうな。しかし、此処迄信じてもらえんとはな」
好きな芋焼酎を口にしながら、幸村自身は眉一つ動かさずにいた。
「いっそ、裏切ってやりますか」
元より、豊家の危機の為に馳せ参じた訳ではなく、幸村について来た者達ばかりであるから、主君が翻意すれば従うというのである。
「まあ、よい」
と、幸村は肴を頬張り、焼酎を啜りながら、
「どの道分かっていた事だ。でなければ、この様な事態を招いてはいない」
「しかし、悔しいな。何にも知らない連中に顎で扱き使われて、あげくに『信じていない』なんてな。・・・」
佐助が、床を拳で叩く。
「それは、私だって同じだ。しかし、秀頼公をお助けすると決めた以上、どうなっても私はお助けするつもりだ。太閤にもそう誓ったのだ」
 裏切る、という事だけならば家康からしてみせれば此れほど望んでいる事は他にあるまい。しかし、裏切れば後世に汚名が永遠に刻まれる。
『死して名を遂ぎ、語り継がれる事』、幸村が紀州に蟄居していた頃から考えていた人生の最大にして最後の題目(テーマ)である。その為にも裏切りは、赦されるものではない。

 ささやかな宴会が催された翌日、後藤基次が真田丸内を馬上で入った。共に、木村重成が同じく、馬上。
「左衛門佐殿に、火急の報せを持って参った。目通りを」
陣屋敷内は、過日の暗殺未遂事件の折から警戒が厳重になっている。あちこちで、鎧武者達が巡回をしている。
「うむ。反省が生かされているようだ」
基次の言葉に、重成も頷いた。
 幸村の部屋も変わり、以前基次が通った道とはだいぶ違っている。
幸村は、陣屋敷中央奥にある部屋で、地理地形図を腕組みしながら渋い顔をして眺めては、時々扇子の柄で岡山(秀忠の本陣。現在の大阪市生野区)辺りや、この真田丸からでも一望できる篠山辺りを叩きながら、しかし茶をすすっては唸っていた。
「左衛門佐殿、過日は危のうござった」
「いや、まさか伊賀者が我が内におるとは思いにもよらなんだもので」
その伊賀者は、先日斬首した。
「それで、というには些かおかしいと思うが、どうも慌しくなってきておる」
と元より神妙な顔つきであった顔が、さらに気難しい表情に変わっている。
「この所、土塁を積み上げながらどうも城の囲いを小さくしているようだ」
「小さく、ですか」
「それだけではない。住吉、平野(現・大阪市住吉区・平野区)の前田利常や、井伊の陣営が慌しい、という」
「城攻めを本格的にする所存でしょう」
「貴殿も、そう思うか」
基次は、幸村との見解の一致に眼を見張らせた。
しかし、今度は重成が、
「しかし、太閤の堅城振りは家康も知っておるはず。無理な城攻めは・・・」
と言いつつも、無造作に茶を喉に流し込んだ。「城攻め」と云う言葉に緊張しているらしい。
「確かに、このまま行けば城攻めはとんだ無駄足になる。それどころか、戦後の処理にも困ろう。とはいうても、攻めぬわけには行くまい。でなければ此処に来た意味が無いというもの」
外を見遣れば徳川軍の兵達も、冬の寒さで縮こまっている。此処で引き返せば、暴動も起きかねない。しかも、城攻め自身、小競り合い程度は予てよりあったが、本格的に動員しての城攻めは、行っていないのである。
「それと、もうひとつ」
と、基次は出された塩饅頭を口に入れ、
「南条元忠殿が藤堂高虎殿と通じていた事が露見し、切腹された」というのだ。
「まあ、秘密裡に行ったがな。幸村殿には知らせんと、と思ってな」
「兵達の方は」
「伝わっていない。動揺もないし、それにこれには上は関わっていない」
関わっていない、というのは後藤や、明石らの独断による専行である。見つけたのは首脳部の渡辺糺であったが、有無を言わさず切腹させてしまった。本来ならば越権行為に抵触してしまう。
「が、そのような事も云っておられまい。なにせ、戦は終わっていないからな」
と、茶を啜りながら豪快に笑った。
「今度こそは、真田一族の面目躍如かな」
つられて、幸村も笑った。
 十二月に入った。雪がちらつき始めていた。