遠いあの日のセレナーデ 1 |
作:風の詩人 |
古えからの強い想い
遠い遠い昔からずっと消えずに残る想い
あの日かわした約束を
いつかきっと果たすために
遠いあの日のセレナーデ
「詩人さん! 何か一曲やってくれよ!」
小さな酒場の中、たまたまその場にいた吟遊詩人にリクエストが飛んだ。
黒い髪に、大きな青い瞳、丸っこい顔立ちの小柄な16くらいの少女。
詩人は人懐っこい笑顔を浮かべ、快く引き受けた。
「それでは……とある湖に伝わる悲しい物語を……」
前置きを語り、楽器に手を当てる。
やわらかな旋律があたりに広がり、旋律にあわせて詩人は透明な声で歌い始める。
フェヴィーズ地方のナディの森
迷いの森の奥深く
透明な水をたたえた小さな湖
不思議な逸話のあるこの湖に
二人の詩人がやってきた
第一章 迷いの森 湖の少女
「ナディの森だあ?」
小さな食堂の中、楽器の調節をしながらリオンは問い返した。
吟遊詩人姿の青年。
長い青のマント、グレーのしっかりした布でできた動きやすいズボン。同色の麻布でできたシャツ。長身で銀色の細く長い髪。
顔立ちは絶世の美青年といっても過言ではないほど。髪と同色の瞳はまるで宝石かのよう。
が、その瞳はどこか皮肉気に歪められ、顔全体に皮肉気な表情が見られ――いや、定着している。
手にしている楽器はリュート。
「そう!」
彼の合い向かい側に腰掛けたレミーラは、そう言って身を乗り出す。
同じく、吟遊詩人姿の小柄な少女。
オリーブ色のやわらかな布でできたシャツにズボン、緑色の長い布を巻きスカートのように腰に巻き、その上から厚手の白いマントを身に纏っている。
青く澄んだ大きな瞳、長く黒い髪には小さな宝石のついたシンプルな銀色の髪飾り、丸っこい顔立ちのかわいらしい少女。
彼女の手にしている楽器はハープだ。
年は見た限り15、6。実はこれでも18だったりする。
「ねえ、行ってみない? せっかく近くまで来たんだからさ。ちょうど今の時期でしょう、あれ――」
「ああ例の湖か。そういえば今の時期だったけか」
リオンはそこで合点がいったようにつぶやいた。
「そうそう、行ってみようよ。こっちの地方にはめったに来ないし、ちょうど今の時期なんだから」
レミーラはわくわくとはしゃいで言う。
「いいんじゃないか? どうせ急ぎの用があるわけでもないしな」
「きまりね!」
レミーラは嬉しそうに声をあげる。
そして、二人の詩人はその森を目指すことになった。
フェヴィーズ地方の半分以上を閉めるナディの森、別名迷いの森。そう呼ばれるほどの広さを持っていて、森の中は鬱蒼と茂った木々のせいで天然の迷路。一度迷い込んだら、下手すれば二度と出られないとも言われている。
この森の奥には小さな湖があって、この湖はその規模にもかかわらず一部の人の間で有名だった。
一年に一度、決まった時期になると湖の水が完全に干上がってしまうのだ。その状態は一月続くが、一月過ぎると再び水が湧き出し、湖は元通りになる。この現象の原因はいまだ究明されていない。無責任な説は無限の数があるが。
その謎を解明しようと躍起になる魔術師・学者連中。暇でしょうがない冒険者などにとっては、この湖はとても有名なのだ。
「想像してたのよりも大きいなあ。噂以上じゃない?」
迷いの森の入り口で、森を見上げ、レミーラは感嘆の声を上げた。
「迷いの森だの、死の森だの、呼ばれているわけだ」
森の中の様子を眺めていたリオンはつぶやき、レミーラの方を振り返り意地の悪い笑みを浮かべる。
「ところで、レミーラさんよ。そんな風にものめずらしそうな顔していると、田舎者みたいだぞ」
そう言って、さも馬鹿にしたような顔つきをすると、
「ああ、そもそも田舎者だったっけ」
そんなことを言ってのけた。
「誰が田舎者よ! あたしは魔術都市ニューイズの出身です!」
その言葉にすかさずレミーラが反応すると、
「はいはい、わかってるって。ほんの冗談だろ、ガキじゃあるまいしすぐ反応するなよ」
レミーラを片手であしらうと、
「さっさと森に入ろうぜ、あれが始まるまでもうそんなに時間ないだろ」
「……そうだね」
レミーラは不承不承といった様子でうなずいた。本当は罵詈雑言を詩人に向かって浴びせたかったようだが。
空の太陽は、まだ真ん中よりこっちが輪に傾いているだけだ。
昼が過ぎてからまだそんなに時間が経ってない。
レミーラにはかまわず、リオンは持っている楽器の弦を軽く二、三度弾く、いきなり演奏を始めた。
レミーラは彼の行動にまったく驚かない。文句も言わず彼の音楽に耳を傾けている。
力強く、やさしい、暖かな音色。それが広い森の中に響き渡る。
同時に、何かの『力』がリオンを中心にして渦を巻き始めるのが、彼はもちろんのこと、レミーラにも感じられた。
彼らはこの力のことを『風』と呼んでいる。
この『風』はこの能力を持つものの中でも一部のものにしか感じることができない。
吟遊詩人特有の力。彼らそれぞれの音を通して、『風』の力を行使する――奇跡を起こす力。詩人の音色が起こす奇跡。
『風』の動きに変化が見えた。リオンの周りにあふれ出た『風』がふいに弾け散った。
それっきりレミーラには何も見えなくなる。
しかし、リオンには『風』がある一点を指しているのが分かった。
「よしっ! 成功だ!」
「わかったの? 湖の場所?」
『風』が指し示す方向に二人の目指すものがある。
そのとおりに歩いていけば、迷わずに目指す場所までいけるだろう。
リオンとレミーラは森の中へと足を進めた。
邂逅するのはひとりの少女
その姿は幻のように透き通り
湖に浮かぶ彼女はまるで精霊
それは世にも不思議な何かの導き
いくら道標があったとしても、この広い森の中を歩くのはやっぱり骨が折れた。
どうにか湖にたどり着いたときは、既に日が暮れかかっていた。
「どうにか間に合ったな……」
そうつぶやくリオンもさすがに疲れを隠せない。
レミーラは湖の端に座り込んでいた。
「やっぱり無茶があったのよ。半日でこの森を攻略して、湖まで行くなんてさあ。間に合ったからいいようなものの、間に合わなかったら馬鹿みたいだよ。あたしたち」
「後少しで、骨折り損のくたびれ儲けになってたな。まあ、いいだろ? 間に合ったんだから」
リオンもそう言ってその場に腰を下ろす。
湖はしんとして静まり返っていた。
聞こえてくるのは鳥の声だけ。
小さな湖にたたえられた水はどこまでも透明で、水面はピンっと張っている。
その様は神聖で、まさに一つの絵になっていた。
ほとんど沈んでいる太陽がかすかに照らす光も、この景色に一役買っている。
リオンは持っていた楽器を構え直して軽く弦をはじいた。レミーラも同じように楽器の調節をする。
二人は同時に楽器を奏で始めた。
しんと静まり返った湖に、透明なそれでいて力強い音色が響き渡る。物悲しい、心の中があったかくなるような音楽。
楽器を奏でている二人の耳に、かすかに水の揺れる音が響いた。
常人ならば聞き取れないほどの小さな音。しかし、二人の耳にははっきりと届いていた。
二人がそちらに目をやると、静かだった水面に小さな波が立ち始めていた。
風もないのに。
「これって……」
水面の見つめながらのレミーラの言葉を、
「始まったみたいだな」
リオンが引き継いだ。
波が立ち、乾いていた大地をぬらす。
次第に波は高くなる。そして、それとともに水面が低くなってゆく。
水に隠れていたぬれた土が顔を覗かせる。
湖一杯にたたえられていた水は、地面に吸い取られて消えて行く。
干上がっているのだ。湖が。
やがて、水は完全に消えてしまった。
後に残るのは湖だった深い穴のみ。
湖の痕跡は、そこの地面がぬれているだけだった。
「本当に……干上がっちゃった……」
レミーラがポツリとつぶやく。
「当たり前だろ? 信じてなかったのか? 一体何を聞いていたんだよあんたは」
リオンがいつも軽口をたたくが、彼も驚いているのか勢いがない。
今のレミーラは驚きでいっぱい、彼の軽口は聞き流される。
「でも……なんだか物寂しいね」
「まあ、な」
先ほどの神秘的な光景はもはやない。
「それにしても……誰も解明できないわけだ。今の現象からじゃ手がかりゼロだもんね……。他に何か起こっていることもないし」
レミーラは辺りをきょろきょろ見回しながらつぶやく。
「いいじゃねえか、謎は謎のまま残しておくべきだぜ。何でもかんでも明らかにするのがいいわけじゃねえだろ?」
「まあね。魔力も全く感じないし……あれ?」
レミーラはつぶやき、湖のクレーターの方を見つめた。
ふっと不思議な力を感じたのだ。
ぱあ。
二人の前で湖が白い輝きを放った。
「え?」
「なんだ?」
すでに水のなくなった湖全体がほんのりと輝いている。
「綺麗……力の気配も強くなったわ。でも何の……え?」
レミーラは言葉を失った。
リオンも息を飲んでじっともと湖だった場所を見つめている。
光る湖の上に人影があった。
絹のように白い肌。薄く青い長い髪。黒い澄んだ瞳。小柄な可憐な少女。
その姿は幻のように透き通って実体感がなく、少女はまるで空気のように湖の上に浮かんでいた。
その様は――まるで――精霊。
「せ、精霊?」
ごくんと、つばを飲み込んでレミーラはつぶやく。
「まさか、この湖に精霊がいるなんて聞いたことねえぞ?」
こちらも少々驚いているような、リオン。
「だけど、それじゃあ彼女は一体なんなの?」
少女は何も言わず、ただ黙ってその場にたたずんでいる。
それどころか、リオンとレミーラにも気がついていないようだ。
まったく二人の方を見ていない。
二人の会話にもまったく反応しない。
――あたしたちに気がついていない? こんなにそばにいるのに?
「なんか変だなあ……」
呟き、レミーラは少女の側へと歩みよる。
「あの? すみません?」
声をかけるが、少女はレミーラの方へと顔を向けようとしない。ぴくりとも動かない。ただ、顔を上げてじっと一点を、遠いどこかを見つめている。
――変だよ。これ絶対。
「すみませんてば! 返事くらいして下さいよ!」
レミーラはそう言って、少女の前へと回り込み、彼女の顔を見上げた。
少女はそれにもまったく反応しない。
ただ、じっとどこかを見ているだけ。
何も映っていない、透明な、虚ろな瞳で。
――幻?
レミーラの頭の中にそんな考えが過ぎった。
今にも消えそうなはかなく透き通った少女の姿、まるでこの世の者ではないかのよう。
再び声をかける。
「ちょっといいですか?……あのお、聞いてます?」
その後ろで、じっとその様子を見ていたリオンがいきなりぷっと吹き出した。
何が面白いのか、というか多少わざとらしく感じられる。
「独り芝居を続けるサルみたいだぜ」
――独り芝居の猿?
リオンの余計な一言に、ありありとその様子が浮かびあがった。
ぱっと後ろを振り向くレミーラ。
「うるさいっての! 外野は黙っててよ!」
言うことだけ言うと、再び湖へと向き直る。
視界のすみにやれやれと肩を竦める詩人の姿。
全然懲りてない。
――あんの根性悪詩人が。リオンに関わっててもしょうがないわ。反応すれば反応するだけ面白がるに決まっているんだから。
心の中で悪態をつくのに留めておいて、どうにか心を落ち着けて、湖の少女へと目をやった。
湖上の少女はこの状況でも顔色ひとつ変えず、ただずっと一点を見続けている。
いまだに、二人には全く気がついていない。
と、言うよりも見えていないのだろうか。
彼女の心は、すでにここにはないような感じがした。
――変だなあ……。もしかしてアンデット、とか? でもそんな感じはしないし……。
その時、少女の表情に初めて変化が見えた。
泣きそうな、悲しそうな顔をすると、虚空に向かって手を差し伸べる。
『待ってます……。約束……から……。だから……来……くれ……す……ね。どんなに……じか……がたって……まって……ます……から……。信じて……どう……ごぶ……』
澄んだ声で、どこかにいる誰かに向かって少女は言葉を紡ぐ。
よく聞き取れなかったが、何かを言い終わると、すっと風に溶けるようにその姿は消えた。
「き、消えた……」
「出てくるときも唐突だったが、消えるのも唐突だな」
少女の姿はもうどこにも無い。
湖は相変わらず白い光を放っていて、それだけが少女のいた証とも言える。
「な、何……結局なんだったのあの子……」
「さあな。でも、これでこの湖に伝わる不思議な話がひとつ増えたな。もともと不思議な場所なんだから、不思議なことが起こってもおかしくない。良かったじゃねえか、これで歌の材料が出来たぞ」
「まあねえ……」
でもなんかしっくりしない。
中途半端なまま姿を消されると、こちらとしてはすっきりこない。
リオンの言う通り、謎は謎のまま残していく方がいいと言うのもわかるのだが。
「魔術師としての探求心なんだろうね。ったく、消えるなら最初から出てこないでよね」
レミーラが、小さくつぶやいたときだった。
ふわりと、またその少女が湖の上に現れたのだ。
「え、ええ!」
ちょっとタイミングのよさにびっくりするレミーラ。
「あんたが変なこと言うからだぞ」
その隣で、リオンがぼそっとつぶやいた。
レミーラの呟きはしっかりとリオンに聞かれていたらしい。
「え、えと、やっぱりそうかな?」
ちょっと脅え気味のレミーラ。
まあ、だからどうだということも無いだろうが、このタイミングのよさはちょっと不気味だ。
「知らね。単なる偶然だろ」
少女は相変わらず何も言わない。
出てきたときと同じように無表情のまま、虚ろな瞳で虚空を見つめている。
「何にも言わないね?」
「だな。さっきと同じ表情だ」
「でもなんであの時は……」
レミーラがぽつりとこぼすと、
「知らねーよ、何か条件が重なったんだろ」
リオンはそう答えて、またまた意地の悪い笑みを浮かべると、
「そうだ、あんたが声をかけたからじゃねえか? またやったらどうだ? 一人猿芝居」
余計な一言を言う。
――しつこいっ!
「さっ……あんたがやれっ!」
レミーラは罵詈雑言をどうにか押さえて、それだけ言ってやった。
さっさとこの話題を打ち切ろうと思ったのだ。
リオンと言い合いをしても勝てるわけ無い。
「いやいや、俺がやってもうまくいかねえよ。あんただからうまくいったんだ。猿芝居がぴったりだったもんなぁ」
リオンの方があいもかわらず一枚上手だった。
「だっ……」
言いかけた(叫びかけた)言葉をどうにか飲み込む。
ここで言い返せばリオンの思惑にはまるだけだ。
他人をからかうことを至上の楽しみにしている奴なのだから。
しかし、
「そうかやってくれるか。それは偉いぞ。あんただから出来ることだもんな、こんな間抜けな役割は俺には無理だからな」
「誰がやるって言った! 間抜けな役割ならあんたにぴったりよ!」
さすがにこらえきれずに言い返してしまった。
「あんただよ、あんた。さっきだって自覚無いのに猿芝居をしていたくらいだもんなぁ、出来るって。完璧だったぞ、あれ! あんたならやれる!」
完璧に遊ばれているのであった。
まあ、そんなことでリオンがレミーラで遊んでいると、再び少女が口を開いた。
『待ってます……。約束……から……。だから……来……くれ……す……ね。どんなに……じか……がたって……まって……ます……から……。信じて……どう……ごぶ……』
また同じ言葉を繰り返し、姿を消してしまった。
『……』
二人は全く驚かずに、湖をじっと見つめる。
二度目だってこともあるけれど、ある考えがあったのだ。直感に近い。
すっとまた少女の姿が湖の上に現れた。
多分、この現象は繰り返されるという、直感。
「これって……」
まるで幻にしか見えない少女の姿に、そしてさっきからの現象に、レミーラは直感的にひらめいた。
この現象がなんであるのか。
精霊に見えたその少女
それは誰かの強い心の形
この場に残した強い思い
長いときを隔てても消えないほどの
強い思い
「想出(ウィジョン)……!」
想出(ウィジョン)という術がある。
自分の想いを物を媒介に誰かに伝える術。
媒介にするものは何でもいい。宝石だろうが、ペンダントだろうが、教会だろうが、海の水だろうが。だから、湖を媒介にすることもできるわけだ。理論上は。
伝える情報も色々ある、自分の姿だけとか、声とか、言葉とか、どこかの風景だったりとか。
ただし、それは全部術者の力量にかかってくる。
小さなものよりも大きなものを媒介にするのは大変だし、伝えられる情報にも限りがある、そしてその術の効果がどれくらい続くかも。
「魔術か?」
「う、うん……たぶん」
拍子抜けしてきた様子で聞いてきたリオンに(がっかりしたのだろう、この不思議な現象の原因が安易な結果で)、レミーラは一瞬戸惑いとりあえず頷く。曖昧な表現になりざるをえないのは仕方がない。
「たぶん?」
レミーラの言い方に不思議そうに聞き返すリオン。
レミーラは無言のまま考え込む。
確かに、そう考えれば、彼女が全く反応しないのにもなんとなく頷ける。
伝えられる情報を、ただ姿を見せるだけにしか設定していないのだろう。出来なかったのかもしれない。だけど、これだけ大きな(術の媒介として)もの、湖を媒介と出来たことを考えれば少し矛盾が出てくる。
それに、彼女はいつの時代の人なのだろうか。この術の効果はどれくらい前から続いているのか。
何よりも、魔力が全く感じられないってのは……。
「もしかしたら……」
そこで、もうひとつの可能性に思い至った。
自然と、口から言葉がこぼれる。
「もしかしたら……これはウィジョンドリーム?」
「ウィジョンドリームだって?! あの噂のか?」
驚いた様子で聞き返してくるリオンに、レミーラは無言で頷く。
ウィジョンドリームとは想出(ウィジョン)と全く同じ現象が起きること。
原因はよくわかっていない。物や土地の力が具現化したものだという説もある。
誰かが強い想いを残した場所に、想出を使ったときのように、その人物の想いが実体化して現れるのだ。そこの場所に近づいたものは、見知らぬ景色を見たり、声を聞いたり、姿を見たりする。それはその人物がこの場所で強く思ったことなのだ。
そして、その場所の自然現象が少しおかしくなる。
「絶対そうよ! それなら、この湖で続いてきた不思議な現象も説明つくもの」
自分の説にレミーラは少々有頂天になって、いきごのんで言う。
一方リオンは賛成できかねないといった様子だ。
「まあなあ。でも、そんな話聞いたことねえぞ? 今まで彼女を誰も見ていないっていうのはおかしくないか? 精霊がいるって話のひとつくらい出てきてもいいのによ」
「あたしたちの演奏が影響したんじゃない? 詩人の奇跡の力が」
「確かに考えられんこともないな。それにしても……」
リオンは湖の上の彼女の方を見やり、
「いったいどれほどの想いなんだろうな。こんな奇跡を起こせるほどの想いってのは」
「奇跡って言い方は違うと思うよ。それだけ強い想いを残すくらいだから、あんまりいい事はなかったんだろうし。でも……何を見ているんだろうね? あの子……」
彼女が見ているのはここでないどこかだ。もっともっと遠い場所。
透き通った瞳には何も映ってはいないのに、彼女はずっと遠くを見ている。
やがて、ぼんやりと遠くを見ていた表情のない顔が、泣きそうな表情になり、あの言葉をつぶやいたと思ったら、彼女の姿はすっと消えてしまった。
広い森の中に朝日が差し込む。
「ふわぁ、もう朝かあ……」
レミーラは目をこすりながら身を起こす。ついでにあくびをひとつ。
「ようやく起きなさったか、寝ぼすけな奴」
例によって軽口をたたくのはリオン。
彼はすでに枯れた湖の端に腰掛けて、楽器の弦の調節をしていた。
「うっさい」
余計なことを言うリオンをレミーラは睨みつけ、そこで。
ふっと湖上にあの少女が姿を現した。
『……』
リオンもレミーラも驚かず、黙ったまま彼女を見つめる。
少し複雑な気持ちで。
昨日と同じプロセスを繰り返すと、少女はまた姿を消した。
「ウィジョンドリームまた続いてたんだ……でも一体何が―――」
「そっとしておこうぜ。それだけの思いがあるんだろ、俺たちにどうにかできることじゃない」
「…………そうね」
湖は静かだ。昨日と同じくほんのりと白い光を放っている。
「さてと、次はまた一ヵ月後だな。この現象が終わる日にもう一度来るとして、そろそろ森から出るとしようぜ」
楽器の調節は終わったのか、リオンはそう言うなり楽器を持ったまま立ち上がった。そのままさっさと歩いてゆく。
「あ、ちょっと! さっさと先に行く? 待ちなさいってば!」
リオンのいきなりな、こっちの意見も聞かずの自分勝手な行動に、レミーラは文句を言いながらあわてて立ち上がると彼を追いかける。
森の中に再び入る寸前に、湖のほうを振り返るとまたあの少女が姿を現していた。
「で、これから一ヶ月どうする?」
「その辺うろちょろしていればいいだろ、一ヶ月なんてあっという間だからな」
会話を交わしながらもう一度振り返ると、少女は誰ともなくあの台詞を虚空に向かってつぶやいていた。ここにはいない誰かに向かって。
現実を見つめず遠くを見つめる少女の瞳
あまりにも純粋なそしてうつろなその瞳
いったい何を見ているのだろう
いったい何を待っているのか
遠い遠い昔から
いったいどれほどの昔から
彼女は待ちつづけていたのだろう