遠いあの日のセレナーデ 第三章
作:風の詩人





第三章 500年前の過去の時代




 ナディの森を出た一行は、森からずっと続いている小さな道を歩いていた。
 歩いていればやがて大きな街道に出るだろう。
「ったく……乱暴よね〜」
 レミーラはまだ痛む頭をさすりながら、リオンを睨み付ける。
 森から出たとたん、荷物のようにほおりだされたことを文句言っているのだ。
 おかげで目は覚めたが、頭もぶつけて痛い思いをした。
「普通、人を荷物のようにほおりなげる?」
 もっともなレミーラの言い分に、リオンは素知らぬ顔で言い返した。
「それくらいでぶつくさ言うな。わざわざ運んでやったんだぞ? 普通なら湖のところにおいていくところだ。充分お釣がくる」
「何がよ、運んでくれたのはありがたかったけど、その言い分で全部パーよ」
 言い合いをしている二人の横で、ルンワが重い表情で沈み込んでいる。
 何を考えているのか、うつむいて黙り込んだままもくもくと歩きつづけているだけだ。
 いろいろと考えることはあるのだろう。何しろ、もしかしたらこの時代は彼にとってかなりのいわくある時代かもしれないから。
「ったく、まだ疲れてるのに」
 リオンと言いあいを続けていても疲れるだけだと思ったのか、レミーラはさっさと会話を切り上げた。
「とにかくさっさと町か村を見つけて休もう。何の情報もないんだし、ザヴィスの首都がどっちにあるかだってわからないしね」
「そうだな」
 周りにはまちどころか村さえも見当たらない。
 500年先のレミーラたちの時代だって、この辺りには大きな森以外はなにもないのだ。無理もないかもしれないが、国としての大きさはこの時代のほうが大きいはずだ。もとの時代には国さえもないのだから。


 日も暮れかかって、ようやく町にたどり着いたご一行。
 町と行っても村に毛の生えた程度。ちょっとした商店街と、宿屋と、酒場がある程度。
 途中にもいくつかは村があったのだが、あまりに小さいものだったので遠慮した。
 あと王族専用の宿舎のようなものもいくつかあった。こんなはずれのほうに珍しいものだとも思ったが。その上、どの宿舎も真新しかった。
 とりあえず、村に一軒しかない宿屋に泊まり、下の食堂で簡単な食事を取っていた。ここは、酒場も兼ねておるようで、かなりの人数が入っていた。こんな田舎町の宿屋に客は彼ら以外にいない。他はみんな町のものだ。
 レミーラはここの宿屋を見たとき、こんな調子でよくつぶれないものだと思ったが、なるほどこういう風にまかなっているわけだ。
 宿屋よりは酒場のほうが本業なのかもしれない。
 人々は完全に出来上がっていた。
 楽しそうに盛り上がっている。
「本当にめでたい! これでこの町ももっと繁栄するに違いないな!」
「ああ、この辺りを通るものが増えれば、ここを利用するようになるぜ!」
 何を具体的に意味しているのかよそ者のレミーラにはさっぱりだが、毎日同じようなことを言っているのは察しがつく。
 一人の男が立ち上がり力説し始めた。
「そうだ! もともと、街道よりの町なんだからな! 寂れていたのは、なんと言ってもフェリードとザヴィズの長年の不仲のせいだ! こっちからフェリードに行こうとするものはいなかったし、その逆もだ! 両国を行き来できるのはこの街道だけだってのにな! でも、ようやくだ! これでもっとうまい酒や料理が食べられるようになるぜ!」
 力説する男をうっとうしそうに見やるレミーラ。リオンもルンワも同じらしい。
 しかし、部屋のはずれにいる彼女たちの視線になど盛り上がっている彼らは気が付かない、オーっと声をあげ、拍手を送る。
「その通りだ! こんな田舎町だとたいした品来ないからな!」
「他の町のやつらがうらやましかったものだぜ! 城のほうの町なんか、城下町に近いってだけでうまいもんが食えるんだからな!」
「うまい料理にうまい酒、これは極上の楽しみだな!」
「本当に結婚式さまさまだ!」
 ――結婚式?
 三人は思わず顔を見合わせる。
 聞き流してきたけど、今までの彼らの会話からするとフェリードとザヴィズの王子と王女の結婚式だろうか。
「うるさくてすまんねえ。もうじき結婚式が近いだろ? みんな浮かれちゃってるんだよ」
 三人の反応をどうとったのか、女将さんがそう言ってきた。
「結婚式って誰のですか?」
 レミーラの言葉に女将さんは目を丸くする。
「誰のって……知らないのかい?!」
「ええ、まあ」
「驚いたねえ……まあ、見たところ旅人さんのようだし無理もないかね……」
 そう言って女将さんは一人で納得すると、ニコニコと嬉しそうに見を乗り出す。
「この国の王女様と、隣の国の王子様の結婚式なんだよ」
『……』
 予想通りの答えだった。
「ほら、この国と隣の国は長いところ仲が悪かっただろう。お二人の結婚でそれに終止符が打たれるってみんな浮かれてるんだよ」
「それはおめでたいですね」
 レミーラはそう相槌を打った。
「そうなんだよ! この国のルーシュ様がそれはもうお美しくてね。隣の国の王子様も、私は見たこと無いんだけどりりしいお方だそうだよ」
「へえ……それで、結婚式はどちらの国で?」
「残念だけどね、隣の国であげるそうだよ。どうせだったらこっちの国であげてほしいものだねえ。ルーシュ様は、隣の国に嫁ぐことになっているんだから、それくらいいいじゃないかい?」
 残念そうな顔をして愚痴をこぼす女将さん。
 レミーラは取り直すように、
「まあ、国同士で決めたことですし……それぞれの考えがあるんじゃないですか?」
「それは分かってるんだけどねえ……不満はあるんだよ」
 女将さんは納得していない様子で、愚痴をこぼし、はっと我に返った様子を見せた。
「あ、すまないねえ、お客さん。こんな話に付き合わせてしまって」
 すまなそうな様子で女将さんはそう言うと、その後にこう付け足した。
「とにかく一大イベントだからね、よかったら遊んでいくといいよ。時間があったらだけど。一ヶ月後だから」
「ご親切にどうも、機会があったら行ってみたいと思います」
 機会も何も、行くことになるだろう。多分。
 そう言ったレミーラの言葉に、さりげなくリオンが付け足した。
 多分、ここにいるみんな――特にルンワ、同じように聞きたいと思っていること。
「そういえば、フェリードの王子の名前は何と言うんですか?」
「え、隣の国の王子様かい?」
 女将さんはちょっと不思議そうな顔をするが、あっさりと答えてくれた。
「ユール様だよ」
 ――それは、湖の少女が口にした――名前。


   フェリードの王子の名前はユール
   ザヴィスの王女の名前はルーシュ
   じきに挙げられるのはこの二人の結婚式
   けっして仲の良くない両国の
   たどり着いた500年前で明かされた小さな事実
   ともに遠い過去の王国の
   滅び行く運命の国の後継ぎ


「ねえ、何か思い出しました? この時代にきてから」
 食事の後、借りた部屋の一室で作戦会議中の三人。
 情報の整理をしているだけだが。この手の会話を下でするのはまずいだろう。
 ともかく、レミーラの言葉にルンワは無言で首を横に振った。
 思い出すという言葉は変だなあ、って関係ないことをふと思った。
「やはり、あの少女も、ユールという名前の人間も、この時代の人間だったんだな」
「そうね、まあなんとなく予想はついていたけど……」
 二人の会話を聞きながら、ルンワは考えた。
 一体、ユールとルーシュは自分にとってどんな関係があるんだろう。
 あの湖の少女――ルーシュは自分をユールと呼んだ。
 そして、出会った記憶は夢の中でしかないのに、彼女を確かに知っている自分がいる。
 自分の中にいるもう一人の自分、それがユールなのだろうか。
「それで、ルンワさん。これからどうしますか? 最初の予定通り、ザヴィスに行きますか? それともフェリードに?」
「…………」
「ルンワさん?」
 レミーラの言葉は耳から耳へ筒抜けていた。
「え? あ、なんですか?」
 自分の思いに没頭していて。
「え、だから、これからどうするか聞いたのですけど」
 話を聞いていなかった彼に、ちょっと憮然とした表情で答えるレミーラ。
「あ、すみません。考えに夢中だったもので……結婚式はフェリードで行うんですよね?」
「ああ、確かそういう話だったな」
「なら……もう一ヶ月前なので、ルーシュはフェリードのほうの城にいるんでしょうか?」
「さあ? そうかもしれませんけど、そうじゃないかもしれませんね。知りようがないですよ、これだけの情報じゃあ」
「……」
 ルンワはうつむいて黙り込んだ。
 どうしたらいいのか、と考え込む。
 何か、心の中で引っかかるものがさっきからあった。
 レミーラたちには言わなかったが、結婚式が行われるという話を聞いたときから。
 漠然とした不安感。危機感ともいえるかもしれない。
 全体にもやがかぶさっていてよくわからないが、とにかく何かがある。
「少し……考えさせてください」
 ポツリと、その言葉に、驚いたように二人の詩人が彼を見た。
「もしかしたら答えが出るかもしれません……だから少し」
 聞いてみますといった彼の言葉に、二人とも何も聞き返さなかった。誰に、とも。
 この不安感の正体がわかれば……それはまだ無理だろうけど。
 どうすればいいのか、それはたぶん自分の中にある。
 たぶん、自分の中のもう一人の自分はよく知っているのだ。とてもよく。


 次の日、朝食堂で顔を合わせたルンワは、フェリードの方に行く、と答えた。
 レミーラは何故そう決めたのか聞こうとは思わなかった。たぶん、本人にもわかっていないだろうと思ったから。
 同じく何も聞かなかったリオンも、同じように考えたのだろう。
 ――ユールという人と、ルンワさんの間にある関係。一体なんだろう。
「フェリードの首都に行くんでいいんだな?」
「はい。なんとなく、そう思いました。直感的に。フェリードに行くべきだと。何故そう思ったのかはわかりませんが、たぶんそれで正解だと思うんです」
 一晩空けた彼には迷いはなかった。


 小さな村を後にして、三人はフェリードの首都、ルーンワースに向かう。
 道順は宿屋の女将さんに聞いた。ちょっと意外そうな顔をしたが、わかりやすい地図をわざわざ書いてくれた。
 ナディの森辺りからフェリードの首都へは歩きで二週間くらいかかる。ナディの森は二つの国のちょうど国境にあるわけで、一週間が森を攻略するのに使う時間。もちろん迂回して。あと一週間普通に街道を歩いて、城下町へとたどり着く。馬車を使えばもっと早く行ける。残念ながら、馬車が捕まえられるような大きな町にはまだ着いていなかった。
 リオンの能力の恩恵を受けて、森を突っ切って来た彼らは、小さな村を出発してからちょうど五日。三回ほど野宿をして、すでにフェリードの国の中に入っている。ある程度の大きさの町に彼らはたどり着いた。
 それでも田舎のほうだが、うまくすれば馬車が捕まえられるかもしれない。
「ねえ、何か目立ってない?」
「そういえばそうだな」
 町の表通りを歩いていた彼女たち。
 レミーラはいごごちが悪そうに身じろぎしながらリオンに言うと、それに気がついていたのかリオンもうなずいた。
 ルンワは下を向いて、顔を見せないようにして歩いている。
 さっきから道を行く人々がちらちらと気になるようにこちらを見ているのだ。
 三人の格好は別におかしなところはない。500年の隔たりを加えてもそれほど服装に変化はないようだ。流行というものはあるだろうが。
 でも、“なにあれ、ださーい”というような感じでもない。
 吟遊詩人が珍しい――とりわけ美形のリオンが人目を引いている感じとも違う。
 人目を引いているのは――リオンやレミーラではなく、少し遅れて彼女たちの後ろを歩いているルンワなのだ。
 その視線に耐え切れないため、彼は下を向いて歩いている。
「な、何で僕が……こんなに目立っているんですか……」
 泣きそうに後ろでつぶやく彼の声が聞こえる。
「なんだろうねえ……」
「さあな。とにかくさっさと宿を取ってしまおうぜ。これ以上目立つ前にさ」


「いらっしゃ」
 宿に入ってきたお客に笑顔を向けながらそう言いかけ、主人は動きを止めた。
 三人組みの客。
 寂れた田舎町の宿屋にはこれでも大切なお客様だ。一日に来るお客の数を考えれば。
 それでも、隣の国と仲が悪かった頃と比べれば十分だ。最近は人通りも多くなり、少しずつ繁盛し始めている。このまま行けば、宿の補強が可能だと主人は考えている。最近は雨漏りがひどいので、雨の日は特にお客が少ないのだ。
 これも王子と王女の結婚のおかげだと、主人は毎日彼らに感謝せずにいられない。
 そんな大切なお客様には愛想良くしなければならないのに、主人はその旅人たちを見たまま微動だにできなくなった。
 最初に入ってきた二人組みの吟遊詩人、詩人というのもこんな田舎町には珍しいが、それよりも。
 その後ろから入ってきた一人の青年。悩み事があるのかうつむいているが、それは間違いなく――。
「?」
 呆然としている主人を前に詩人の少女が首をかしげながら、宿の申し込みをしてくる。
「すみません、部屋を三部屋お願いできますか?」
「……」
 主人はなにも言えない。黙ったままその青年をじっと凝視している。
「ご主人?」
 少女が再び問い掛ける。
 そのせいかどうか、主人はようやく口を開いた。
 青年を凝視したまま、震える声で。
「王子様なので?」
「王子?」
 不思議そうに少女が聞き返してきた。
「王子って?」
 主人の視線の先を探るのは容易だ。
 彼はさっきからずっとその青年を凝視していたのだから。
 少女と、もう一人の詩人も同じ方向を向く。
 一瞬、二人の詩人はちょっと目を見張り、
「ルンワさんが?」
「え? なんです?」
 少女の驚きの声に、ずっとうつむいていた青年が顔を上げた。
 実は回りの視線に耐え切れず、現実逃避をしまくっていたのだが、主人はそれを知らない。
「呼びました?」
 現状を把握していないらしい青年に、主人は震える声で再び問い掛ける。
「王子様なのですか?」
「へ?」
 主人の言葉に青年は豆鉄砲を食らったような顔をした。
「お、王子様って?」
 青年はきょろきょろと辺りを見回し、該当する人物がいないことに気は付くと、豆鉄砲を食らったような顔をしたまま、自分を指差す。
「………僕が?」
 おどおどとした様子で、そう言う彼からは、王族の威厳なんてものはこれっぽっちも感じられない。
 人違いだということを悟ったとたん、主人の中から緊張が消えた。
「何だ……人違いか」
 人騒がせにもほどがあると、ちょっといらつく主人。
 勝手に勘違いをしたのはそっちなのだが。
「確かに別人だなあ。あんた、あのお方みたいにりりしさがないもんなあ」
 人がよさそうな青年ではあるが、王子から感じる気高さというものが全くない。
 同じ顔だというのに。
「……王子様って……この国の?」
「ああ、本当にあんたそっくりだよ、生き写しだよ。この国の第一王子、ユール殿下に。本当に瓜二つだ。そんなにおどおどしてなければな」
「おどおどって……」
 青年は、主人の言葉に傷ついたような顔をした。
「だから、この町に入ってきたときあんなに彼が目立ってたんですね」
 詩人の少女が納得したような顔をした。
 それも無理もないと主人は考える。本当に瓜二つなのだ。遠目で見たぶんにはわからないだろう。
 下手したらそれでごたごたが起こりかねないかもな、と主人は考える。
「あんたら、その青年何か簡単に変装させたほうがいいな。あまり目立つと、何かごたごたが起こりかねないから。それでなくても、今は結婚式が近いから国中が浮かれているから」
 親切にも忠告をする主人。お客様には親切に、それがモットーだから。
「ご親切にすみません」
「いやいや、当然のことだよ」
 頭を下げる少女に、主人は笑顔で手を振る。
 これが彼のモットーなのだから。
「それで、あの……すみませんが、部屋は……」
 遠慮がちに聞いてきた少女の言葉に、主人は自分がここにいる目的を思い出す。彼女たちが何故ここを訪れたのかも。ついでにさっき聞き逃していた少女の言葉も。
 ぱっとお客様用の笑顔を作ると、
「はい、三部屋でよろしいのですね。空いております」
 受付を開始した。


「あの……なんでしょう……これ」
 目の前に並べられたものを見て、ルンワは目を点にした。
「えーと……とりあえずこれを着てください。顔は見えなくなりますから……」
 確かに顔は見えなくなるだろうが……。
 ルンワは目を点にしたまま頭のどこかで考える。
 とりあえず部屋をとった後、レミーラは街へと出て行き、変装用の衣装を買ってきた。
 ただ……その衣装が。
「かなり怪しいと思うんですけど……長いロープを着て、フードで顔を隠してたら……」
 白だということが唯一の救いだ。
 よく見ると、所々に刺繍がしてあって結構しゃれたデザインであるが。
「んー、でも、そのまま歩くよりは……。それに黒ならともかく、この色なら大丈夫だと思いますよ。まあ、確かに目立ちますけど……」
 言われて、ルンワは改めてその衣装を見た。
 長いロープとフード。確かにセンスはなかなかいいし、白という色はそんなに印象は悪くない。それにどのみち……。
「そんな状況じゃないんですよね……」
 自分はこの国の王子と瓜二つという話なのだ。
「どういうことなんでしょうか……」
 なぜ、自分はこの国の王子とそっくりなんだろう。それもユールという名の……。
 500年も前の滅んだ国の王子……血縁という可能性もありえない。
「僕は……そのユールとか言う人間なんだろうか……」
「生まれ変わりってやつか。まあ、そういう仮説も立てられなくもないけどな」
 部屋の端に座って、楽器の整備をしているリオン。
「魔術では否定されているけどね……」
 魔術師でもあるレミーラの言葉。
「でも、生まれ変わりじゃなかったら……僕の中にあるこの記憶は……かすかにしか覚えていないけど……僕でない誰かのこの記憶は……一体なんなのでしょう」
 妙な符号。あの湖の少女――ルーシュが彼をユールと呼んだ、この国の王子、ユールは自分に生き写しのようにそっくりだと言う。
「そうですね……」
 少し考え込む様子を見せ、指をぴんと立てる。
「ウィジョン現象の応用、とか」
 そう言ったレミーラの言葉に、ルンワは思い出すように視線を宙にさまよわせる。
「ウィジョン現象って……あの、魔術の現出(ウィジョン)によく似たことが起こるという?」
 レミーラたちはあの湖の少女もウィジョン現象によって起こっていることだと言った。彼女がその場に残した強い思いが、あそこに彼女の姿を留めてるのだと。
「人の思いというのはどんな奇跡を起こすかわかりませんから。生まれ変わりかもしれませんけどね」
 人の思いが起こす奇跡。湖に姿を見せる少女、そして自分の中にいる誰か。一体何があった。これだけの強い思いを残した理由は。
「一体……これから何が起こるんだろう……」
「それを確かめに来たんですよ」
 ポツリとつぶやいたルンワの声に、レミーラがしっかりとした声音で答えた。
 そのために500年もの時を越えてきたのだから。


   お祭騒ぎの首都ルーンワース
   早速起こる厄介事
   その裏で渦巻く黒い闇


 辺りはざわざわと騒がしい。
 さすがは、王国の首都だけあってなかなかの賑わしさだ。
 フェリード王国首都ルーンワース。
 途中で馬車を捕まえ、思ったよりは早く街の中に入れた。
 まだ結婚式が行われるまで2週間以上の猶予がある。
「す、すごいですね……」
 そう言うルンワは、町の大きさ、そしてその熱気に気押されている。
「まあ、なかなかの大きさだな。仮にも首都を名乗っているんだから当然か」
「でも、なんかとても楽しそう。まざって騒ぎたくなっちゃう」
 レミーラの視線は、道の端に立って陽気な音楽を奏でている吟遊詩人たちに注がれている。
 あちこちから流れてくる音楽、芸を披露する大芸人たち、道にはいくつもの出店が出ている。
 道行く人々はその演奏に耳を傾け、芸を見物し、出店でいろいろなものを買い、すごく楽しんでいる。まるで――。
「まるでお祭りね」
 レミーラの言葉は間違っていない。お祭以外のなにものでもない、これは。
 その時、人々の間にざわめきが走った。
 今までも十分騒がしかったが、それ以上に。
「何?」
 三人は顔を見合わせ、騒ぎのほうへと向かう。
 そこにはすでに人だかりが出来ていた。
 大勢の人間が何かを見ようとそこに集まっていた。
「すごいなあ……一体何の騒ぎなの?」
 人ごみの後ろからでは向こう側がよく見えない。
 たまたま隣に居合わせた人が親切にも教えてくれた。
「王子様と王女様が二人で買い物しているんだよ」
「王子様と王女様が?」
 思わぬ答えに聞き返す。
 後ろでルンワが小さく息を飲むのがわかった。
「そうそう、それにしても見にくいなあ……」
 隣人はそうとだけ答えるとまた人壁の向こうの方へと目をやった。
「王子様と王女様だって」
 振り返り、小声で後ろの二人に言うレミーラ。
「……」
 ルンワは無言のままだ。
「それにしてもここから全く見えそうもないな。どうにかして見えないか?」
 リオンの注文は無理な話だ。
 それでなくても小柄なレミーラに、どうやって人ごみの向こうを見ろというのだ。
「普通の方法じゃ無理。でもあたしやらないからね」
 騒ぎになるのはごめんよ、とレミーラは答える。
「俺だってごめんだ」
 そんな会話を交わしていると、
 むぎゅ。
「わっ!」
「なんだよいきなり!」
「わわわわっ!」
 いきなり移動した人ごみにまともに巻き込まれた。
 王子と王女が移動したのだろうか、周りの人だかりが後ろに移動して、ボーっと会話をしていた三人はそれに飲み込まれる。
 とりあえず、人ごみから脱出しようともがくレミーラ。その時かすかに視界の端に移った。
 ――あ。
 ようやく人ごみから脱出して、とっくに脱出していたリオンと合流。
「遅い、のろま」
「……」
 人を見るなりいう台詞か?
 そう思ったが言わない。そのかわりに、
「見えた?」
「まあな」
「本当に瓜二つだね。そっくりだよ、どっちにも」
 幸か不幸か、人ごみに投げ込まれたおかげで、一瞬だけでも騒ぎの当事者の姿が見えたのだ。
 この国の王子ユールと、隣の国の姫君ルーシュの姿が。
 周りにたくさんの警護の兵をつけて。
「当人なのかもしれないぞ、少なくともあの湖の少女はな」
 一息つくと、レミーラは辺りを見回した。
 相変わらずの人だかり、さっきよりも人が増えたかもしれない。
「ルンワさんは?」
「知らん。はぐれたようだな、まだ来てないぞ」
「はぐれたって……こんなところで落ち着いてていいの?!」
 リオンの態度は少し薄情過ぎないだろうか。
 ルンワはこの国の王子にそっくりなのだ。何が起こるかわからないではないか。
 レミーラがそう言ったときだった。
「誰だおまえはっ!」
 誰何を求める声とともに、民衆が騒がしくなった。
 今までとは別な意味の騒がしさで。
「え……」
 最悪な事態を予想して顔をこわばらせるレミーラに、「ほらな」と言うかのように、リオンが黙ったまま肩をすくめる。


「わわわわっ!」
 あっと思ったときは遅かった。
 人の渦に巻き込まれ、レミーラやリオンともはぐれてしまった。
「ちょ、ちょっと……」
 いっせいに一点を目指す人々に押されて、動くこともままならない。
 人ごみから抜けるどころか、奥へ奥へと押されてゆく。
「う、うわ……ちょっと……」
 押されながら声を挙げるが、全く回りの人々は聞いていない。
 顔を隠すように深くかぶっていたフードも外れそうだ。
「ちょっと通してく、うわっ!」
 我慢できなくなってついに大声をあげたとたん、後ろに抵抗がなくなった。
 どさっ。
 しりもちをついてしまう。広いところにでたらしい。
 どちらにしても人ごみからは抜けられたらしい、ほっと息をつこうとした瞬間、
「誰だおまえは?!」
 誰何の声が頭上からかかり、にわかに民衆にざわめきが走った。
「え?」
 顔を上げると、睨み付けてくる兵士と目が合った。
 その後ろには王子と王女。そしてその周りにいる大勢の兵士。
「え゛」
 彼は固まる。顔を隠すためにかぶっていたフードはほとんど取れかけていた。
「一体何者だ?! なぜ王子と同じ顔をしている?!」
「……………うわわわあああああ!」。
 こういう状況に慣れていない彼はかわいそうにパニックに陥った。
 立ち上がると、がむしゃらに人ごみの中に突っ込んで行ってしまった。
 彼の鬼気迫る、というか哀れな様子に、人々は道を空けてしまう。
「ま、待てっ!」
 何人かの兵士たちが、慌てて彼の後を追いかけた。


「…………うわあああああああああ!」
 絶叫とともにルンワが人ごみから飛び出してきた。
「あ、ルン」
 レミーラか呼びかけるが、ルンワはそのまま走って行ってしまう。
「……かなりパニックに陥ってたなあ」
 その彼の後を追って数名の兵士が飛び出してきた。レミーラたちの前を通り過ぎ、横道に入ってゆく。
「……まずい状況じゃない?」
「追いかけた方がいいな」
 レミーラたちも横道に入ってゆく。


 どうしよう。どうしたらいいんだ?!
 ルンワの頭の中はさっきからその考えで支配されていた。
 後ろから人が追ってくるのがわかる。兵士たちだ。彼らは鬼気迫る表情で罵声を自分に浴びせながら追ってくる。
 走りつづけているうちに、ルンワの頭の中は多少は冷静になっていた。さっきのパニック状態は脱している。
 やっぱり逃げ出したのがまずかった。やましいことがあると言っているようなものだ。堂々としていれば良かったのだ。別に悪いことなどなにもしていないのだから。もっとも、あの時の自分にそんなことを考える余裕はなかったが。間違いなく。
 ――レミーラさんたちは一体何をしているんだああああ〜〜〜。
 助けに来てくれる様子はない。薄情な詩人たちだと思いながら、とにかくにも走りつづける。
 こんがらがった道の中をあっちこっちに走りつづける。
 そのうちに、後ろに兵士の姿が見えなくなったのにルンワは気が付く。
「はあ、はあ、はあ、逃げられた……のか?」
 足を止めて辺りを見回すが、とりあえずあたりに兵士の姿はない。
「た、助かった……」
 なにも悪いことをしていないのに何で自分がこんな目に、と心のどこかで考えながら、ルンワはその場に腰を下ろした。
 走りつづけていたせいで体中が疲れきっている。慣れないことはするものじゃない。
 ――とりあえずリオンさんとレミーラさんと合流しないと。それにしても薄情な人たちだなあ、僕をほったらかしか。
 いつまでもここにいるわけにも行かない。兵士たちは自分を探しているだろうし、土地勘は向こうにあるのだから自分の居場所がいつばれるかわからない。ばれないかもしれないが、そんな確率は一%にも満たないだろう。
「ちょっと一休みして……」
 彼がそうつぶやいた時だった。
 じゃり。
 自分の背後から何か音がしたのは。
 砂や砂利を踏みしめる音。
 ――まさかもう兵士が?!
 ぱっと後ろを振り向く。
「?!」
 息を飲んだ。
 そこにいたのは彼の想像していた人物、ではなかった。
 兵士には見えない。
 目立たない暗色系統の衣服を身に着けた――こちらに向かって剣を振りかぶっている人間は――ちょっと兵士には見えないだろう。
「なっ!」
 驚くルンワに刃が振り下ろされる。


 どさっ!
 とっさに体が動いた。
 地面を這うように横に身を投げ出す。
 襲撃者の一撃はどうにかそれでかわした。
 そして、すぐさま身を起こし、襲撃者のほうへ視線をやる。
 ――何がどうなっているんだ?!
「……」
 襲撃者は無言のまま、ルンワに向けて剣を構える。
「な、なん……」
 なにがなんだかわからないルンワ。
 わかっているのはこの男が先ほど自分を殺そうとしたということだけ。
 そして、おそらく今も殺そうとしていることだ。
「な、なんなんですか?! あなたは?!」
「これもわが国のため。ザヴィスとフェリードが友好を結ぶなどあってはならないことだ。死んでもらう、フェリード第一王子」
「お、王子?! フェリード第一王子って……あの……」
 ――もしかして、僕をユールと間違えている?!
 あれだけ似ているんだ、間違えたっておかしくはない。
 ――じょ、冗談じゃない?! 人違いで殺されてたまるか?!
 ルンワの心の中の絶叫が男に届くはずもない。
 そして。
 ピ―――――!
 呼子の音が突然響いた。
 ルンワがギョッとしてそちらを振り向くと、兵士たちが数人こちらに駆け寄ってくる。
 彼らも思わぬ状況に戸惑っているようであるが。
 そして、ルンワの一瞬注意がそれたそのときを、男が逃すはずもなかった。
「――っ?!」
 ルンワが注意を戻したときには遅かった。
 白刃が自分に迫ってくる。
 ユール王子だったらもしかしたらよけられたかもしれない。道中で聞いた噂では、剣の腕もかなり立つという話だったから。
 しかし、ルンワにはそんな芸当は無理だ。小さな村で彫り師の修行に励んでいる青年には。
 ――殺される!
 かたまる青年の前で光が弾けた。
「うわっ!」
 襲撃者が声を漏らす。
 剣が空高く弾け飛んだ。襲撃者の持つ剣が。
「え……」
 何が起こったのかわからなかった。
 白い光が自分と剣の間に入って、剣を弾き飛ばしたのだ。
 ――今のは……魔術……か?
「大丈夫ですか? ルンワさん?」
 声のした方を振り向くと、兵士たちがいるのとも、男が来たらしい方向とも、違う横道にレミーラとリオンが立っていた。
 いつの間にやってきたのだろう。
「た、助かりました……」
 どうやら今のはレミーラの魔術だったらしい。
「くそっ!」
 自分の不利を悟ったのか、襲撃者は身を翻した。剣も拾わずに闇の向こうへと駆けてゆく。
「あ、早い」
 追おうともせずに、ポツリとレミーラがつぶやいた。
「ま、待てっ!」
 ようやく理解できる状況になったのか、兵士たちが動いた。逃げ出した男を半数が追っていく。残り半数は自分たちに――。
「不審者め! もう逃げられないぞ! 神妙にしろ!」
 さっきの騒動で忘れてたのだが、自分は今追われていたことをルンワは思い出す。
 いつのまにか集まってきた兵士の数はさっきの倍になっていた。
 まだ囲まれていないが、この人数を相手に逃げることなど不可能だ。
 飛び道具など使われれば一寸の終わり。
「どどどどどどどどうしよう?!」
 おろおろと辺りを見回すルンワ。兵士たちは敵意をみなぎらせ、3人を睨み付けている。
 助けを求めるつもりで、リオンとレミーラを見上げる。二人の詩人は心憎いほど平然としている。
 ――な、何か手段でもあるのかな。
 ルンワの視線に気がついたレミーラが、どうする?とリオンに問いかけた。
「逃げる? それとも捕まる?」
 ――つ、捕まるって……。
 レミーラは本気で言っているのだろうか。捕まったところでろくなことがない。逃げられる手段があるなら逃げて欲しいと、ルンワは心のそこから思う。
 が、ルンワの思いとはまったく反対方向に事態は進んでいく。
「このくらいの人数なら……突破できないわけじゃないけどな。後が面倒だ」
「手配されたりしたらいやだし。なにもしてないのに」
「捕まるか」
「そうね、誤解を解くにはそれが一番近道よ」
 ――何で?!
 二人の間で出された結論に、
 ――何でそうなるんだああ?!
 ルンワは心の底から絶叫するが、所詮心の中でのこと、心の声では彼女たちのところに届くはずがない。
 ――うううううう……。
 口に出していうことが出来ない悲しさ。
 自分ひとりでどうにかできる実力はないし、こうなった発端は自分にあるという後ろめたさである。
 あきらめるしか他はなかった。


「はあ……」
 ルンワは深いため息をつく。
 兵士たちに捕らえられた三人は、城の地下牢に入れられた。
 重犯罪人かのように厳重な警備。何人もの兵士たちが周りに配置され、鋭い目で自分たちを睨み付けている。
 自分たちを国家転覆を狙うテロリストとでも思ってるのではないだろうか?
「はあ……」
 再びため息をつく。
 自分たちはこれからどうなるのだろう。このままでは王家反逆罪として死刑になるかもしれない。
 深く深く落ち込むルンワの隣で、平然としているレミーラとリオン。
 視線針のむしろの上で、余裕しゃくしゃくで辺りを眺めている。
 ――どういう神経してるんだよ、この人たち。
 ルンワの思いを知ってか知らずか、レミーラは小さくため息をついた。
「楽器持ってかれちゃったけど……慎重に扱っててくれてるかなあ」
「……」
 ルンワは今更ながら、この詩人たちについて来た事を後悔した。
 少しはこの状況を案じてるのかと思えば、楽器の心配をしていると来た。
 ――それどころではないだろう……何考えてるんだよこの人たち……。
「無駄無駄。今ごろスクラップにされてるかもな」
「もしあたしのがスクラップ行きなら、今ごろあなたのもスクラップね」
 リオンの嫌味に、レミーラは嫌味で応酬している。
 ――のんきと言うかなんと言うか……この人たち僕と同じ人間なんだろうか?
「はあああああああ―――」
 さっきより何十倍にも疲れたルンワは、長いため息を吐き出す。
 ちょうどその時、この場にいる兵士たちの間に不意にざわめきが走った。
「お、王子様?!」
 ルンワは目を見張る。
 部屋の入り口に自分にそっくりな青年が立っていた。
「おやおや」
「あらまあ」
 リオンとレミーラがつぶやく。
 ――あれが……この国の……王子……。
「お、王子様、なぜこのようなところまで――」
「ちょっと話をしてみたいと思いまして、私の命を狙った不届きものとね」
 王子の言葉に、ルンワは頭の中が真っ白になった。
 ――な、何でそんなことになってるんだああ!
 ああ……もう駄目だ……国家反逆罪だ……不敬罪だ……死刑だ……。
 ルンワは完全に枯れ果てた。


「一体どうなっているんだ?!」
 城の中は大騒ぎであった。
 それは、先ほど捕らえてきた王子にそっくりな男が原因している。
「何者だ、奴らは? 一体どこの手のものだ?」
 宰相のダイ=リズヴィラはつぶやいた。混乱しきった口調で。
「あまりにも王子とに過ぎていますね、もし入れ替わったとしても気がつかないでしょう」
 そう言ったのは、この国の将軍であるリナード=フェルニクス。
 大きな丸い机のある作戦会議室。そこに、国のトップが集まり彼らの正体と目的についての議論が交わされている。
「それが目的だと言うのですか? フェルニクス将軍?」
「それしか考えられないではありませんか。なら、この時期にこの町にやってきた理由もつく」
 王子と入れ替わって一体何をするつもりなのか――想像はつく。そして、それを行なおうとするところも――容易に想像がついた。
「と、すると……やはりラヴィスの国のものか?」
 王子と王女の結婚が決まったとはいえ、長年ずっと諍いを続けてきた国だ。そう簡単に不信感もなくならない。それは民たちにもわずかにはあったが、上の人間に顕著だった。
 宰相は言葉を続ける。
「王子を亡き者にして入れ替わってしまえば、この国の女王となることが決まっているラヴィスの王女とともにこの国を支配できる……」
 宰相の言葉に周囲がざわめいた。
 皆、心のどこかで考えていたことを、宰相が口にしたことで、それが現実味を帯びてきたのだ。
「……この結婚自体がラヴィスの罠だったのか……」
「今更、二つの国が友好を結べるはずがなかったのです」
「そうだとすればあの王女は相当な食わせ物ですな」
 瞬く間に、ラヴィス有力説に傾いてしまう室内。
「ちょっと待て、まだ早合点するのは早い」
 そう釘をさしたのは、はじめこのことを口にした当の宰相だった。
「私が口にしたのはあくまで可能性だ。仮にもこの国の代表であるあなた方が一つの考えに執着するのはどうかな? 実際に、ラヴィスだという証拠は何もない」
「しかし、宰相。今現在の状況で一番怪しいのはラヴィス以外にないでしょう? 確かに今決めつけてしまうのは危険ではありますが……。証拠なら、あの者たちを問いただせば出てくるかもしれません」
 将軍のフェルニクスがそう言った。
「確かに貴殿のいう通りだ。一番怪しいのはラヴィス以外には考えにくい。しかし……気になることもあるのだよ」
「気になる事というと?」
「それは……」
「その青年が何者かに襲われていたという情報があります。そのことですね、宰相?」
 宰相の言葉を奪い、発言したのは親衛隊長のフェルリ=ダクルート。
 部屋の中の紅一点、背が高く、豊かな黒髪を長く伸ばした、どこかきつめのある美人。
「ダクルート殿……」
 言葉を奪われたせいか、宰相が苦い顔をした。
 否、どうやらそれだけではないらしい。
 周りの人間も同じような表情をしている。
 20半ば前という若さで、しかも女性だてらにここまで上り詰めた彼女を、皆快く思っていない。嫉妬と羨望と……苦手意識もあるらしい。
 それは彼女の同僚だけでなく、部下たちからも同じように思われている。
 反対に女性には人気が高いが。
 しかし、回りの視線も彼女はまったく気にせず、毅然とした態度で言葉を続ける。
「このことについて、私に一つ考えがあるのですが発言してよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、貴殿の考えをぜひとも聞かせてもらいたい」
「私は、その青年は間者でもなんでもないと思っております」
「なっ!」
 ざわめく。宰相だけは動じずに彼女の言葉を聞いている。
 彼女はかまわず言葉を続ける。
「その青年ではなく、青年を襲った何者かこそ殿下の命を狙った刺客だというのが正しいのではないでしょうか?」
「その何者かが刺客だというのは納得できよう――しかし、その青年が間者ではないというのは……。あそこまで殿下と瓜二つで、なぜ間者ではないといえるのか説明してくれないかね、親衛隊長殿?」
 フェルニクスは、ダクルートのことを皮肉をこめてわざわざ親衛隊長と呼んだ。
 フェルニクスの皮肉にもダクルートは顔色ひとつ変えず、淡々とした調子で聞き返す。
「では、あなたはその刺客はどこの刺客だと考えます?」
「どこのだと? 王子を狙おうとする刺客だ――ラヴィス以外には考えられまい!」
 何を当然なことを、といった調子でフェルニクスは答えた。
「それでは、ラヴィスの刺客が、殿下と入れ替わる使命を帯びているラヴィスの間者を殺そうとしたというのですね?」
 ダクルートの言葉に、フェルニクスは言葉につまった。
「それは……」
「おかしいではありませんか? 刺客か間者のどちらかがラヴィス以外の国のものだともいう説も考えられますが、当時の状況を耳にするに――その青年がとても間者だとは思えませんね」
「どういうことだ……」
 追い詰められているのはフェルニクスのほうだった。
 この女はかわいげがない、と彼は思う。言ってくることは正論だし、何を言っても動じない――彼は彼女が動揺することを見たことがない。一つ一つ、あわてもせずに確実に仕事をこなしてゆく。何よりも腹が立つのは――自分のわずか半分の時間でここまで上ってきたことだ、女の癖に。
「聞いた話では、買い物中の殿下と姫君の前に現れた青年は――パニックを起こして逃げ出したという話ですが、そんな間抜けな間者がどこにいます? そもそも、殿下とすりかわるつもりなら不用意にも街に出て行きますでしょうか? 青年には二人仲間がいましたし、偵察なら彼らに任せればいいこと。何を持って、彼らを間者とするのか――こちらが聞きたいですね」
 ダクルートはきっぱりと言う。
 正論なのがまた腹の立つ。
「では、その青年が殿下と瓜二つだということにはどう理由をつけるのですか? 納得できるように説明してもらえませんか?」
 最後の砦はこれだけ、しかし難解な砦。フェルニクスは胸を張って砦を前に出した。
 ――どうやってこれに理屈をつけるつもりだ、この小ざかしい女め。
 しかし、フェルニクスの期待(?)に反して、ダクルートはあっさりと答える。
「偶然でしょう」
「偶然……だと?」
 フェルニクスは我が耳を疑った。もっともらしい理屈で答えると思いきや、偶然と来た。
「どう答えられるかと思ったら、偶然ですか? これは便利な答えがありますねえ。偶然とは考えられませんでしたよ……さすがはダクルート殿」
 フェルニクスは、さも小ばかにした口調でそこまで言うと、いきなり口調をがらりと変え、怒鳴り声を上げた。
「偶然であそこまで瓜二つの人間がいるわけがないでしょう! 魔術か、何かはわからないが人為的な処置を施したとした考えられないではありませんか! これだから女性は!」
 フェルニクスの最後の言葉を聞くなり、今まで平然としていたダクルートが表情を変えた。
「性別は関係ない!!」
 鋭い目つきでフェルニクスをにらみつけ、きっぱりと言い切る。怒鳴り声に近かったかもしれない。
 彼女の剣幕に、フェルニクスは黙り込んだ。
「世の中に似た人は三人はいるといいます。それに、この国はずっととなりの国と険悪な関係が続いており、小競り合いが起こったのも、長い歴史の中では幾度ともあります。そんな中で、王家の血が他のところに引き継がれていたっておかしくはないでしょう。そもそも、王子と顔が似ているというだけで罪に問えるんですか?」
「立派な不敬罪だ! 我らが殿下と瓜二つなど、生まれながらにして罪深きものに決まっておろう!」
「将軍! うかつなことを言いなさるな! 下手すれば貴殿が不敬罪にとわれることになりますぞ!」
 頭に血を上らしたフェルニクスに、宰相が語気鋭く注意をした。
 フェルニクスが言葉を飲み込む。さすがに言い過ぎたようだと思ったようだ。
 そこに宰相が追い討ちをかける。
「それに将軍、貴殿のさっきの台詞は大変失礼だ。今すぐ、ダクルート殿に謝罪されるがよろしい」
「……」
 フェルニクスはぎゅっと拳を握り締めた。大変屈辱なのだろう、女に頭を下げるということが。
「失礼した、ダクルート殿。先ほどは言い過ぎた、ご容赦願いたい」
 それでも何とか言ったフェルニクスに、ダクルートは黙ったまま頭を下げる。
 それを見届けて宰相が口を開く。
「将軍、いくらなんでも殿下とそっくりな容姿というだけで罪にとうことは不可能だ。重要参考人として城に留めておくことぐらいが関の山でしょうな。それにしても、いつかは開放せねばなりませんぞ。間者という証拠が出ないかぎりは」
「ならば、一刻も早くあの者たちを問い詰めて……」
「無論そうするつもりだが……実を言うと、私もダルクート殿と同じ意見なのだ。あのものたちが、間者だとは考えられない」
『……』
 思わぬ宰相の言葉に、皆言葉を失った。
 ダルクートの意見は理論的には正論だ。ただ、彼らが認めたくなかっただけで……それを宰相が指示するとなると……。
「もちろん私のも一意見にしか過ぎん。ただ、頭の隅に留めていてもらいたい。もし彼らが間者ではないとすると――扱いによっては後々問題となる。フェリードとラヴィスが合併し、新しい国となるのにやたらなごたごたは困りものだからな」
「ならば……今すぐ彼らを解放してくださいませんか?」
 新たな声がここに割り込んだ。
 もともとこの部屋にいたものの声ではない。
 いつの間に扉が開いたのか全く気がつかなかった。それほど話に没頭していたのだ。
 彼はこの部屋の扉の前に立っていた。
 背筋をピンと伸ばし、まっすぐ意志の強い瞳で宰相たちを見据えて。
 王者の貫禄がそこにはあった。
 腰には、一振りの長い長剣を下げている。
 この国の王子ユール=ティスライ=ネード=フェリード。
「お、王子っ!」
「殿下っ!」
 驚く人々の中、ユールは穏やかな笑みを浮かべると言葉を口に乗せた。
「あの方々に会って来ました。つい先程」
 それは彼らにとってまことに驚くことだった。
「ユール殿下、まさかわざわざ地下牢まで足をお運びになったので?」
「それ以外に彼らと会う方法はあるのですか?」
「……」
 反対に聞き返され、宰相は言葉を失った。
 まさか、王子自らが、あんなところに足を運ぶだなんて考えにくいことだった。
 ――なんて物好きな。
 この部屋の全員が呆れただろう、同時に、不安を感じたに違いない。
 相手は牢に入っているとはいえ――どんな手を隠し持っているかわからない。自分を殺そうとしているかもしれない人間のところに、のこのこと顔を出すなんて?!
「それで、頼みがあるのです。あの方々を解放してください」
『……』
 一瞬部屋中に沈黙が降りた。
 王子は今なんと言った? 彼らを解放しろ? 危険人物を解放しろと言っているのか?
「……本気でおっしゃっているのですか? 殿下?」
「私は彼らと会ってきましたが、間者にはとても見えません。気のいい方々ですよ、私と瓜二つの青年も含めてね。ならば、いつまでもあんなところに閉じ込めておくのは間違っているでしょう?」
「で、殿下……そんな無茶な。殿下の人を見る目をお疑いするわけではありませんが……」
 あわてた口調の宰相の言葉を無視して、ユールは言葉を続ける。
「ルンワという青年が言ってました。何者かに襲われたと。ならば、そやつこそが刺客だと考えるのが妥当ではありませんか? 彼は、私の代わりに刺客に襲われたのです。私と間違えられて。それを詫びなければならないのに、牢に閉じ込めるのはおかしいです」
「いや、その説には私も賛成しておりますが……もしものことがないとは……」
「ならこうしませんか?」
 あわてた口調の宰相を面白そうに見て、ユールは新たな提案をした。
「しばらくの間彼らを城に留めておけばよいでしょう? もちろん客人として。もし、彼らが本当に間者ならばその間にぼろを出しますよ」
 ユールの出したとんでもない提案に、今まで以上に部屋の中がざわめいた。
「殿下……それは危険すぎますっ!」
 宰相が悲鳴のような声をあげた。
「大丈夫ですよ、私の腕なら並大抵のものに負けはしません」
 彼らの危惧にはまったく取り合わず、ユールは笑って言う。ただ、その台詞はうぬぼれでもなんでもなく――明らかな自信の色が見えた。
 腰に下げた剣はお飾りではないらしい。
「それに、どこだかわからない場所にいられるよりは、目の届くところにいるほうがいいでしょう? そんな心配は杞憂になると思いますけれど」
「し、しかし……」
 あくまで反対の色を見せながら……それしかないことも宰相はわかっていた。
 彼らが間者だという証拠はどこにもない。つまり、いつまでも地下牢に入れておくことは出来ない。問い詰めるとしても、本当に間者ならば簡単には吐かないだろう。泳がせるしかないのだ。
「あと、もうひとつ言っておきたいのですが」
「……なんでしょう?」
 うんざりした様子で聞き返した宰相を、ユールはきっと見据えた。
 いつもの穏やかな容貌の中に、こういう時芯の強さが見える。
「ラヴィスにしても、うちの国にしても、一筋縄ではないということです。私はルーシュを愛しています。今度のことでいらぬ疑心暗鬼が生まれたとは思いますが、うかつな行動には出ないように」
 ルーシュに何かあろうものなら、その相手を全力でつぶします。誰であろうと。
 ユールははっきりとそう言った。