遠いあの日のセレナーデ 第四章
作:風の詩人





第四章 滅びの国の王子と王女




   幸せそうなカップルに
   黒い雲が迫り始める
   あかされ始める全ての真実


「本当に……一体何がどうなってるんだ……」
 彼はつぶやいた。
 あの青年は一体何者だ。ユール王子と瓜二つな青年。
 ラヴィスか? やつら土壇場になって裏切ったのか? それとも他の国か?
「計画の妨げにならなければいいのだが……」
 もうすでに動き出してしまったのだ。今更後戻りは出来ない。
 そのうえ、今回の襲撃は失敗に終わった。
 例の青年の存在のおかげで、城の中でもあまり気にされなかった。王子が襲われなかったというのもあるのだが。
 それでは困るのだ。疑心暗鬼に疑心暗鬼を生んでもらわないと。双方の国に。


「んー、疲れたあ」
 そうつぶやき、レミーラはぽすんとベッドにねっころがる。
 柔らかい絹で出来たシーツは肌触りがいい。
 派手ではないが、シンプルで落ち着いた雰囲気の調度品の数々。
 どの素材も高級品なものだとわかる。
 暗くじめじめした地下牢から開放されて、案内されたのは豪華な客室。
 湯も使わせてもらい、さっぱりした気分のレミーラは超ご機嫌。
 マントなど、身の回りの衣服も洗濯できたし。
「思ったより簡単に事がすんで良かったわ」
 もうちょっと手間がかかると思ってたけど、レミーラは小さくつぶやく。
 それでも、まったく心配はしていなかった。
 証拠もないのに処罰する事は出来ない。それが分からないほど国というものは馬鹿ではない。
 こんな時期で神経質になっていても。
 いや、こんな時期だからこそ、そんな馬鹿な事はしないだろう。
 こんなめでたい時期に、余計なごたごたは避けたいはずだ。
 ――もっとも、完全に疑いは晴れていないみたいだけど……。
 まだこの城にとどまっていて欲しいと要望――遠回しに強制されたのだ。
 表向きには、誤認逮捕とルンワが王子に間違えて襲われたことに対するお詫びという理由で。
 ――まあ、客人の扱いを受けてるんだから……よしとしましょう。
「さて」
 ベッドの上でむくりと身を起こす。
「楽器の手入れでもしようかなっと」
 机の上においてある荷物の中から楽器をとり、荷物袋の中から調律の道具を取り出すと、ベッドに腰掛け調律を始める。
 楽器は大事な商売道具。こまめに手入れをしなければ、満足に演奏も出来ない。
 ………………。
「よしっ」
 一つ一つの音を確かめ、レミーラは調律を終える。
 ちょうどその時。
 とんとん。
 扉をたたく音がした。
 ユールとルーシュからのお茶のお誘いであった。


 案内されたところは、城の中庭だった。
 色とりどりの花をつけた木々。地面には鮮やかな芝生の緑が映える。
 すでに城の中庭には、ユールとルーシュ、そしてリオンにルンワと4人揃っていた。
「お待ちしていましたよ、どうぞお座り下さい」
 ユールの言葉に、そばに居たメイドが空いていた椅子をひく。
 レミーラは礼を言ってそこに腰掛ける。
 リオンが馬鹿にしたような視線をこちらに送る。”何やってるんだよ、のろま”とでも言いたいのだろう。
 ルンワは一人で恐縮しまくって、固まっている。こういう席は彼には苦手なのだろうか。
 あの湖の少女にそっくりなルーシュは、ユールの隣で軟らかな笑みを浮かべている。
「このたびは申し訳ありませんでしたね。こちらの落ち度でご不快な思いをさせまして」
 もうしわけなさそうにユールが切り出した。
 本気でそう思ってるのか――それとも台詞だけなのかよく分からない。
 いきなり地下牢に王子ご本人が現れたときは驚いたが、彼はあっさりとこちらの言い分を信じてしまった。
 それがあくまでそのふりだったのか、それとも本気で信じたのか?
 もちろんこちらは嘘を言っていたわけじゃないから、信じてくれるのに越したことはないが。
 そもそも、王子の口添えがなかったら解放されるのにもっと時間がかかっただろう。
 泳がすのが目的なのか、それとも本気で自分たちを信じてくれているのか。
「お詫びといってもこれくらいしか出来ませんが、ゆっくりと過ごしていって下さい。精一杯おもてなしいたしますので」
 いくら誤認逮捕されたとはいえ、王族がここまで言うとは。
 もしかしたら、ルンワは自分と間違えられて教われたことに責任を感じてるのかもしれない。
「気になさらないで下さい。そもそも疑われるようなことをしたこちらに原因があるのですから」
 レミーラはそう言う。ルンワがその台詞に居ずらそうに身じろぎをした。
「そう言っていただけると……」
 ユールはそう言い、今度はルンワに向かって言う。
「ルンワさんには大変申し訳ない。私と間違えられて刺客に教われたこと、何とお詫びして良いか……」
「べ、別に気にしないで下さい。王子さまが謝ることではないですよ、無事だったのですし、悪いのは襲ってきたあの男ですし」
 ユールに頭を下げられて、ルンワは慌てる。
「それしても……本当にユール様と瓜二つ」
 話題を変えようと思ったのか、そうでないのか、ユールの隣で微笑んでいたルーシュが言い出した。
「不思議なこともあるものですわね……鏡で見たようにそっくりですわ」
「ほ、本当ですね。何の偶然なんでしょうね」
 話題が変わったことを、ほっとしたようにルンワ。
「でも世の中に、自分と似た人間は3人は居るって言いますよ」
「では、ユール様に似た殿方が後お一人居られるのですね。面白いですわ」
「でもあの時は驚きましたよ、いつのまに鏡を持ってきたのか、と思いましたね」
「隣に居たはずなのにいつのまに移動されたのかと思いましたら、隣にきちんとユール様がいらっしゃって」
 そんな風にたわいもない話に興じる。
 そんな時だった。
 ひゅん!
 レミーラの耳は鋭い何かの音を捉えた。
「――?」
 音のしたほうへさっと視線をやる。リオンも同じような行動をとっているから、それに気がついたのだろう。
『――!』
「――っ! ルーシュっ!」
 一瞬遅れて、それに気がついたユールが隣にいたルーシュを抱きかかえて、その場を飛びのく。
 ルーシュとユールめがけて飛んできた矢は、さっきまで標的のいた地面に突き刺さった。
「矢?!」
 ようやくその事態に気がついたルンワが、驚きの声を上げる。
「一体どこから?」
 レミーラは辺りを見回すが、それらしき人影はまったくない。
 ――まったく気配を感じさせなかったし……今もそうだし。並みの相手じゃない。
「大丈夫か? ルーシュ?」
 ユールは腕の中のルーシュに聞く。
「だ、大丈夫ですわ……」
 地面に突き刺さった矢を見、青ざめた顔でルーシュは答える。
「私だけでなくルーシュまで……一体何者がこんなことを……」
 悔しそうにつぶやくユールに、腕の中で抱かれたままのルーシュがポツリとつぶやいた。
「あの……ユール様……。あれ、なんでしょう?」
 そう言って彼女はテーブルの下の方を指差す。
「え? なんだ? 誰があんなものいつのまに……」
 ルーシュの言葉に、ユールが始めてそれに気がついたように怪訝そうにつぶやく。
 いや、本当に始めて気がついたのかもしれない。
「油壷……?」
 同じようにテーブルの下を覗き込んだレミーラは、それを見つけた。
 テーブルの下、テーブルの足の側に白い小さな油壷があった。中身はたっぷりと入っている。
「何でこんな所にあるんだ?」
「何の用事でこんなもの……」
 リオンとルンワも同じようにそれを目にし、首をかしげる。
 一体誰が持ってきたのだろう。
 ひゅんひゅんひゅんひゅん!
 例の鋭い音だ。今度は立て続けに。
 ぱっと音の方を見るレミーラとリオン。
 彼女たちの様子に残りの3人もはっとした顔をする。
 今度の標的は、ルーシュでもユールでもなかった。
 飛んできた火のついた矢は、テーブルの下の油壷を直撃する。
 壷が割れ、中の油がこぼれる。
『――っ!』
 状況を飲み込み、みなが息を呑む。
 火がこぼれた油に引火する。次々と火の矢が飛んできて―――。
「古の契約により」
 レミーラが慌てて呪文を唱え始める。
 次々と油に火が点く、火は強大に膨れ上がり――。
「………………………精霊よっ!」
 レミーラが呼び出した水の固まりが、膨れ上がった炎の上へと落っこちた。
 じゅっ!
 もうもうと辺りに水蒸気が上がる。
「だあ――――苦しかったあ……」
 息継ぎせずに呪文を唱えつづけたため、ちょっと酸欠になったレミーラ。
「何事ですっ!」
 今になって兵士たちがこの場に駆けつけてきた。


「やーん、素敵な殿方がただったわ」
「本当に王子様に瓜二つで、もう私まいっちゃいそう」
「あの吟遊詩人の方も素敵よね。絵の中からそのまま飛び出してきたみたい」
「吟遊詩人という呼称がぴったり」
 中庭に出る扉の目の前で、きゃいきゃいと騒いでいるメイドたち。
「うらやましいわねえ、あの吟遊詩人の娘。あんな素敵な方々と旅が出来て」
「あら、彼女だってかなりの美人じゃない。私たちじゃ無理よ、無理」
「悔しいけれど、つりあっているものねえ」
 ミーハーな話題で盛り上がっている彼女たちのところへ―――。
「楽しそうですね、何の話です?」
 いきなり第三者の声がかかり、文字通り飛び上がるメイドたち。
 声をかけてきたのは、若い女性だった。
 すらりとした長身の美人、腰には細身の剣を下げている。
 親衛隊長のフェルリだ。
 少々呆れの表情を漂わせ、笑みを浮べて彼女は立っていた。
 彼女たちはほっとする。
 声をかけてきたのがフェルリであり、彼女が自分たちを別に咎めていないことに。
 女性だてらにここまでのぼりつめた彼女は、城中の女たちの憧れの的だ。
「お客様の話をしていたんです。先ほど、王子様たちとのお茶会にご案内したんですけど」
「もう素敵な人たちばっかりで、特に殿方が」
「ルンワ様は王子様にそっくりだし、リオン様はもう信じられないくらいの美形ですし」
 ミーハーなメイドたちにフェルリは苦笑いを浮かべる。
「まったく……盛り上がるのはかまわないけれど、油ばっかり売っていないように。仕事はしっかりとこなしなさい」
 釘をさされ、メイドたちは首をすくめる。
 そこでフェルリはふと思いついて尋ねた。
「ところでお茶会って? 客人は殿下方とお茶を飲まれているのです?」
「そうですよ。王子様が直接お誘いなさったのです」
 メイドの言葉にフェルリは黙って考え込む。
 メイドたちは彼女の様子に不安そうに顔を見合わせた。
 何かまずいことを言ってしまっただろうか、と。
「あの、フェルリ様?」
 不安そうにおずおずと尋ねるメイドのひとりに、フェルリは顔をあげた。
「あ、え、そうですね……」
 フェルリが何か言いかけたときだった。
 爆発音が、
 耳を劈くような大きな爆発音が、
 びりびりと扉が振動するほどだった。
「何事?!」
 緊迫した表情で、フェルリは扉のほうに視線をやる。
「今のなに?!」
「爆発したの?! なにかが?!」
「それも中庭から?!」
 パニックに陥るメイドたち。
「殿下! 姫君!」
 フェルリは中庭へと飛び出した。


「あー、まだ耳がキンキンする」
 頭を何度も軽く振ってぼやくレミーラ。
 近距離であんな大音量を聞いたのだ、耳がおかしくならないほうがどうにかしている。
 あの時は、それどころではなくて全然感じなかったが、後になってやってきた。
 レミーラだけでなく、リオンや、ルンワ、王子と王女も同じらしい。
 彼女たちの周りでは、兵士たちが忙しそうに動き回っている。
 やってきた兵士たちは、その惨状にまず目を丸くした。
 事のあらましを知ると、それぞれの行動を始める。
 まずは証拠品の回収、真っ黒に焼け焦げた油つぼの破片を集め、火矢の焼け残った矢も。
 もちろん火矢を放った敵の捜索も。
 城内に人をやって探すのだろうが、
 ――もう見つからないんじゃないの?
 遠巻きにそれらの作業を見ながら、他人事のようにレミーラは考える。
 敵だって馬鹿ではない。
 それなりの手立てを用意してきているだろうし、この城の人物だと言う可能性もある。
 襲撃からこれだけ時間がたっていて、見つかるほうがかえっておかしい。
 そんなことを考えていると、城のほうから誰かが走ってくるのが見えた。
 ――誰だろう?
 若い女性だ。
 しかし、メイドにはとても見えない。
 帯剣しているのだ。
 服装からして、一兵士にも見えない。
「御無事ですか?! 殿下、姫君?!」
 彼女の姿を認めた兵士たちが礼の形式を取った。
 青い顔をしたルーシュを気遣っていたユールは、自分への呼びかけに顔を上げた。
「ダクルート親衛隊長!」
 彼女の姿を見てほっとした顔をする。
 ――親衛隊長、この若さで?
「とりあえずはわたしもルーシュも客人もみな無事です。ああちょっと、ルーシュを休ませてやってくれませんか? 先ほどの襲撃でかなりショックを受けたようなので」
 フェルリの後ろからぞろぞろとついて来た三人のメイドたちに、ユールは頼む。
「あ、はい。わかりました」
 好奇心を瞳に輝かせていた彼女たち。
 いきなりの命令に水を差され、少し不満そうにうなずくと、
「ルーシュ様、こちらへ」
 ルーシュをつれて退出していく。
「ルーシュには怖い思いをさせてしまいました。かなりショックだったようです」
「無理もありません。御無事で何よりです」
 フェルリはそう言い、辺りの様子に眉をひそめた。
「一体何が起こったのです? さきほど爆発音が聞こえましたが」
「テーブルの下に油壷が仕掛けてありました。それにどこからか火矢が放たれ、それが油に引火しました。爆発音はおそらくそれでしょう」
「油?! それに火矢とは……一体どこから?!」
 ユールは首を振った。
「わかりません。兵士たちに辺りを探させてますが、まず見つからないでしょうね」
「そうですか」
 フェルリはため息をつく。
「ユール様の言われるとおりでしょうね。そこまで周到に準備をしていたのなら、すでに逃げているか、もしくは……」
 彼女はそこまで言って言葉を切る。
 続きを続けようとはしなかったが、何が言いたかったのかレミーラには容易に想像がついた。
 もともとこの城の人物か。
 さすがに、どうどうと言えることでもない。
「それにしてもよく御無事で。どのように、油の火炎から逃れられたのです?」
「ああ、それはレミーラさんのおかげです」
 フェルリの言葉にユールはレミーラに話題を転換させた。
「え?」
 いきなり話をふられて、ちょっとびっくりする。
「彼女の魔術のおかげです。私たちが無事だったのは。あれだけの爆発ですし、全滅だったでしょうね」
「それは……」
 フェルリはユールの台詞を聞き、改めてレミーラの方を向いた。
「ありがとうございます。殿下と姫君の命を救って頂いて」
「え? えと?」
 頭を下げられ、レミーラはどう反応したらよいかわからない。
 ――こういうのって苦手だよ。
「べ、別にお礼言われるほどのことじゃ。あのままじゃ、あたしたちも死んでたし。たいした術を使ったわけでもないですし」
 動揺しまくっている。
 自分でもわかる上ずった声で、言葉をずらずらと並べるレミーラ。
 後半の内容は、聞くものが聞けばかなり自信過剰と言うか……。
「まあ、あの威力じゃ当然だな」
 しょっちゅうレミーラに自信過剰だのなんだの言われているリオン、珍しくまったくそれには触れずに彼女に同意するだけだった。
 あとでしっかりとこれをネタにしばらく遊んでやろうと思っているに違いないが。
「油めいっぱい入ってましたからね」
 さきほどの恐怖を思い出したのか、ルンワは首をすくめる。
「やはり、私とルーシュを狙ったものなんでしょうか。一体何者の仕業なのか……」
 ユールが重い口調でつぶやく。
 それに答えられるものは―――いない。


   恋人たちの大事な約束
   幸せと言う意味を持つ白く光る光水晶
   結婚式にはその石を贈ろう
   幸せになろうと言う思いと一緒に


 その日、ユールがルーシュの元を訪れたのは夜になってからだった。
 本当はもっと早くにそばに行ってやりたかった。しかし、例の襲撃の件でいろいろとやることがあり、ようやく一区切りつくまでこれだけの時間がかかった。いずれこの国を背負う王子としての立場と、自分はともかくルーシュが狙われているとわかって、他人任せにするわけにはいかない。
「ルーシュ、気分はどうだ?」
「ユール様」
 ユールが顔を見せたとき、ルーシュはひとりでお茶を飲んでいた。
 嬉しそうな顔をして腰掛けていたベッドから立ち上がる。
 ベッドの前に引きずってきていた小さなテーブルが、その衝撃で小さく揺れた。
「ごめんな、来るのが遅くなって。もっと早く来たかったんだけど、なかなか手が空かなくて」
「いいえ。お忙しいのは仕方がないですわ。こうして来てくれるだけで嬉しいです」
 すまなそうに言うユールに、ルーシュは笑顔のまま首を横に振ってそう答える。
「どうやら落ち着いたようだな。もう大丈夫かい?」
 ユールは部屋の中にあった椅子をルーシュの前にまで運び、それに腰掛けた。
 ルーシュの入れてくれたお茶を一口のむ。
「ええ、どうにか」
 あの時の恐怖心が完全に消えたわけではないだろうが、そう言ってうなずくルーシュ。少しはあの時の恐怖心が薄れてくれたようだと、ユールはほっとした。
 命を狙われることなど今まで全くなかったに違いない。彼女にとって昼間の出来事は悪夢そのものだろう。
 それっきり会話は止まってしまった。部屋の中を不自然な沈黙が支配した。
 ユールが部屋を訪れたそのときは笑顔を見せたものの、ルーシュは沈んだ顔でうつむいたまま黙り込んでいる。そんな彼女に声をかけずらく、同じく無言のままお茶を飲み続けるユール。
「ユール様……あの刺客は一体どこの国の者なのでしょうか……」
 ぽつりとルーシュが口を開いた。
「ルーシュ?」
「私の国かユール様の国か……。私たちの結婚はこの国にも私の国にも望まれていない……。私たちは結ばれてはいけないのでしょうか?」
「……ルーシュ……」
 彼女の言葉に、ユールは返す言葉が見つからなかった。
 民の間でどう言われていようが、自分たちの結婚は結局、政略結婚だ。
 長い間両国で続いてきた諍いを、自分たちの代で打ち止めにして、両国の間に友好を結ぶための。特に、ラヴィスの王はこの状況に疲れ果てていたらしく、強く友好を結ぶことを求めてきた。
 そして自分の父、フェリードの王には、別の思惑があったに違いない。長い間敵国として存在してきた国との友好を結び、あわよくば相手の国を掠め取ってしまおうと。
 それが出来なくても、二国の間に友好を結べれば充分にその目的は果たせる。
 どう言い方を変えようと、ルーシュはラヴィスの存続のために敵国に差し出された生贄、彼女の立場は人質とあまり変わらない。
 だからこそ、ユールは全力でルーシュを守ってやろうと誓っていた。
「……それでも歓迎してくれる人々もいる。民だって私たちの結婚を祝ってくれているだろう?」
「……そうですね」
 次の言葉につまずき、どうにか出したユールの答えに、ルーシュは弱い笑みを浮べ、
「……でも、」
 なにか言いかけた、その言葉を飲み込んだ。
「なんだい?」
 ユールがその先を促すが、ルーシュは首を横に振って答えなかった。


 例の襲撃事件の翌朝。
 ルンワはひとり、城の中をうろついていた。
 朝食までの暇つぶしに城の中を探索して歩いているだけである。他意はない。
「さすがはお城だよなあ。小さな町くらいの広さはあるんじゃないかな。歩いても歩いても見覚えのあるところにでないもんなあ」
 田舎者丸出しの台詞をつぶやきながら、きょろきょろと興味深げに辺りを見回し歩くルンワ。
 早い話が迷っていた。
 ――昨日はいろいろと大変だったけど……今日は何事もない、いい一日だといいな。あんなことがあってから、ますます回りの目が針のむしろになったようで……。
 疑い深い連中はどこにでもいる。この城にいる人間たちの中で一番怪しいのが自分たちだと言うことも承知しているが。
 正面きって犯人扱いされなかったのは、自分たちも一緒に襲撃されたことと、実質上自分たちが王子と王女を助けたと言う形になったこと。の、おかげだ。
 ――こっちの問題は全く解決していないし。本当に、僕がユール王子で、あのルーシュ王女が湖の、僕の夢のあの少女なのかな。何にも思い出せないし……。
 大好きな人との結婚を前に、あんなに幸せそうなルーシュ。もし、湖の少女と同一人物だとすれば、彼女にあんな表情をさせるなにかがこれから起こるということだ。
「はあ」
 ルンワは歩きながらため息をつく。
「まったく、何をしに僕はここに来たんだろう」
「ユール様?」
「え?」
 顔を上げるとルーシュが立っていた。
 そこはテラスだった。
 大きなガラス窓のそばに彼女は立ってこちらを見ている。
 それから彼女がなんと言ったか、自分のことをどう呼んだかを思い出して、あわてて誤解を解くべく口を開く、
「え、えーと、僕は、その」
 相変わらず言葉になっていない。
 その様子でルーシュにはすぐに人違いだとわかったらしい。
「ごめんなさい、ルンワさんでしたのね」
「あ、はい、そうです」
 なんと返したらいいかわからず、間の抜けた返事を返してしまうルンワ。
「本当にユール様と似ていらっしゃいますわね。雰囲気までそっくり」
 そんなルンワの様子に、ルーシュはおかしそうにくすくすと笑いながらそんな事を言い出した。
「え?」
 びっくり。驚くルンワ。
「そんな、まさか。僕とユール王子では程遠いじゃないですか」
「そんなことありません、似ておられますわ。一緒にいて心が安らぐと言うか、その優しい雰囲気がそっくりなんです」
「優しい雰囲気……ですか?」
「ええ」
 にっこり微笑むルーシュ。
 しかし、その笑みはどことなく寂しそうに、ルンワには感じられた。
 昨日の今日だからだろうか。あんなことがあれば無理もない。
 そう思いながらも、ルンワは自分の胸のうちで不安が広がるのを感じた。
 ただの疑心暗鬼ならいいのだが。自分の中のもうひとりの自分は、おそらくこれから起こることを知っている。嫌な予感がする。
 ふっとルーシュのその笑みが陰りを見せた。そのまま窓の方を向き、窓の外を眺める彼女。その瞳が不安そうに揺れている。
「ルーシュ様?」
 彼女の変化にルンワはすぐに気がつく。
「こうしている間でも心配で……」
「え?」
「私は別にいいのです。でも、ユール様の身になにかがあったら……そう考えるといてもたってもいられなくなって……」
 ぎゅっと自らの体を両腕でルーシュは抱きしめる。不安に耐えるかのように。
「あの方を失うなんてとても耐えられない。私と婚約しなければ、ユール様が刺客に狙われることもなかったはず……私のせいで……」
「ルーシュ様……」
 泣きたくても泣けず、泣くのを必死にこらえているようなルーシュ。
 心細くて、不安でしょうがないのだろう。
 ルーシュがとても小さく小さく見えた。
 抱きしめて、慰めてあげたいという衝動が走ったが、どうにか押さえる。
 それは自分の役目ではない。
 そのとき、自分の脳裏にまた自分でない自分の記憶が、鮮やかな光景とともに蘇った。
 見たことのない、けれどよく知っているどこか。
 さきほどのルーシュと同じようなことを考えている自分がいる。
 婚約などしなければ、おそらくは反対派が遣わした刺客に、ルーシュが狙われることもなかった、あんな怖い思いをさせることも。婚約が決まったとき、絶対に彼女を守ろうと誓ったのに。自分はその誓いを果たせていない。
 それは一瞬。頭の中に閃いた光景は、ほんの一瞬のもの。
 ――今のは……また例のもうひとりの僕の記憶?
 相変わらず見覚えのない部屋の中。おそらくはユールの私室かどこかなのだろうが、そんなもんをルンワが知るわけない。
 ――中途半端に蘇るなあ……まったく。
 ルンワにおきた変化に、あたりまえだがルーシュは気がついていない。
「ごめんなさい。こんなことユール様に言えませんし、あなたがユール様にそっくりですので……つい泣き言を」
 こちらを向いて、そう言うルーシュ。
 心の整理はまったくついてないだろうに。
「気にしないでください。僕なんかでよろしければいくらでもどうぞ。ひとりで胸の中に溜め込んでいるよりはずっといいですよ。そうだ、ちょっと待ってくださいね」
 言ってルンワは窓を開けた。
「何を?」
「いいものを見せて差し上げますよ。ここに咲いている花、少し頂いても大丈夫ですよね?」
「え、ええ」
 ルンワは身を乗り出すと、庭に生えているいくつもの花の咲いている木々から、花や枝や葉を摘み取った。
「そんなものでいったい何を?」
「ちょっと見ててくださいね」
 花や葉や枝を木々を器用に組み立て、やがて小さな動物を作り上げた。
「まあ。かわいらしいですわね」
 ルーシュがそれを見て目を輝かせる。
「よろしかったらどうぞ」
 ルンワからその小さな木で出来た手製の動物の人形を受け取ったルーシュは、嬉しそうにその動物を眺めた。
 微笑を見せたルーシュに、ルンワは心のそこからほっとする。


「ルンワさんて器用なのですのね。こんなものをいとも簡単に作り上げておしまいになって」
「まあ、これでも彫り師の見習いなので。これくらいは出来ないと話にならないんですよ」
 ふと言ったルンワの言葉に、ルーシュは再び目を輝かせた。
「まあ、彫り師? それでは宝石とかも磨き上げたりなさるのね?」
「ええ、まあ。僕の腕ではまだまだなんですけれど」
「光水晶って知っておられます?」
 いきなりそんな話題を振ってきた。
「光水晶? 実物は見たことはありませんけれど、名前だけなら」
 光水晶。ほんのりと白い光を放つ水晶で、産出量がとても少ない珍しい宝石。
 綺麗な透き通った水にさらされている場所でしか見つからないという。
「これは内緒なのですけれど、この近くにも採れる場所があるのごぞんじ?」
「え?!」
 思わぬ言葉にルンワは驚いた。
「ユール様との秘密の場所なのですけれど、そこにはとっても綺麗な湖がありまして、そこの湖で光水晶が採れますの」
 ――その湖ってもしかして……。
 思い当たる湖はひとつしかなかった。
 そう、あの不思議な湖だ。このルーシュにそっくりな少女が現れた場所。
 考えてみれば、あの湖の少女が本当にルーシュだとすれば、あの湖はふたりに関係しているはずなのだ。
「そこで採れる光水晶を結婚式に贈ってくれると、ユール様は約束してくださったの」
 もはや完全にのろけ話以外のなにものでもない。
 でも、すごく嬉しそうなルーシュ。
 彼女に笑顔が戻るなら、のろけ話でもなんでも喜んで聞こうという気になる。
 それだけでなく、彼女の言葉に気になることがひとつあった。
 約束。
 確かに今、ルーシュはそう言った。
 ――それじゃあ、湖で彼女が言った『約束』ってもしかして……。
 そう考えるが、ルンワの中のもうひとりがそれを否定した。
 違う。
 それも大切な約束ではあるが、もっと大切な約束がある。
 もっと大きな、もっと大切な『約束』。
 ――そういえば……光水晶の宝石言葉って……もしかして、ユール王子……。
 ルンワがそれに気がついたこと、もしかしたら自分の中のもうひとりの影響なのかもしれない。
「光水晶の宝石言葉って知ってます?」
「え? いいえ、なんて言うのですの?」
「幸せって言うんですよ」
「え……」
 ルーシュは小さくつぶやいて、口に手を当てた。
「幸せを贈るって言う意味でしょうか? 素敵ですね」


「それで、結局それが『約束』なんですか?」
 朝食後のあと、ルンワはリオンとレミーラに今朝のことを話した。
 リオンにあてがわれた部屋で、三人揃って作戦会議中。
「それが……」
 レミーラにそう問われて、ルンワは言葉につまり、力なくうなだれる。
「相変わらずはっきりしなくて……自分が情けないです。自分のことなのに……」
「あ、落ち込まないで下さい。そのうちはっきりしますよ、そんなに自分を責めなくても」
 落ち込むルンワをレミーラが、いちおう、励ます。
 言葉とは裏腹に、レミーラも、リオンも、いいかげんうんざりしているのかもしれない。
「そのうちじゃだめなんです……これから、きっと、何か起こるんです。そんな嫌な予感が、この時代に来たときからずっとしてました。きっと僕の中のもうひとりの僕が、それを警告してるんです。でも僕にはそれがなんだかわからない……」
 うなだれたまま言うルンワ。焦りと焦れているのが感じられる。
「『約束』のことだってそうです……たぶん、その『約束』も大事な約束ではあるんです。でも、もっと大事な『約束』がある。それはこれから起こることに関係してるんです。そこまではわかるのに……」
 ルンワの言葉の途中で、ドアを叩く音が割り込んだ。
 この部屋に来訪者が訪れた証であるノックの音。
「なんだ?」
 リオンが立ち上がり、扉を開けた。
 そこに立っていた人間たちにちょっと眉をひそめる。
「……何か?」
 数人のメイドたちがそこには立っていた。
 リオンが出てくるなり、彼女たちはワット歓声をあげて、それから何か同僚たちとささやきあっている。話す役を相手に譲り合っているようだ。
「「「???」」」
 なんだか、このメイドたち、どこかで見たことがあるような気がする三人。
「あの、何かあったんですか?」
 ちょっとメイドたちの様子はどっか異常だ。
 気になってレミーラが聞くと。
 そこで彼女たちはリオンの部屋の中にいた先客のふたりに気がついたようだ。
「あら、お客様、おそろいでいらっしゃいましたか」
 台詞はともかく、その声音には十分刺があった。その視線にも。
 その刺は全部レミーラひとりに向かっていたりする。
 恨みがましいいくつもの視線に、思わずひくレミーラ。
 メイドたちは再びリオンのほうへと顔を戻した。
 なぜか彼女たちは顔を赤らめて、少々おちつかなげな様子。そのうちのひとりが、思い切って切り出す。
「あの、演奏を聞かせて頂けないでしょうか?」
「演奏を?」
 いきなりの申し出に、少々驚いた表情でリオン。
 他のメイドたちもそれに続いて言い出す。
「詩人、なんですよね? 本来はお客様にこのようなことをお願いしてはいけないのですが……」
「どうしても聞いてみたいんです!」
「どうかお願いできませんか?」
 リオンに向かって必死に頼み込む彼女たち。
 しかし、レミーラのことはまるっきり視界の外。
 演奏の頼みに来たわりには……。
 ――なあんだ。そう言うこと……。
 レミーラはなんとなく、彼女たちの目的がわかってしまった。
「まあ、別にかまわないけどな……」
 言いながらリオンはちらりとレミーラの方に視線をやる。
「あたしは別にいいけど?」
 恨みがましいメイドたちの視線が向けられるのを感じながら、レミーラは答えた。
 ――勘弁してよ。なんで、あたしが嫉妬されなきゃならないの。
「それじゃあ、俺たちなんかの演奏で良かったらいくらでも。お気に召すかどうかはわからないけどな」
 リオンの言葉にワット歓声を上げるメイドたち。
 それでも、しっかりと刺のある視線をレミーラに向けているあたりが。
 ともかく、ふたりはルンワとメイドたちを相手に小さな演奏会を披露することになった。


 ちょうどその頃、この国の背後で渦巻く闇がまた姿をあらわした。
 レミーラとリオンが、メイドたちを相手に演奏会を開いていた頃にあたる。
 闇が起こした出来事は、この国と隣国を、疑いと言う闇の中に突き落とす。
 三度目の襲撃。
 今度狙われたのはルーシュ王女だった。