遠いあの日のセレナーデ 第五章
作:風の詩人





第五章 広がってゆく黒い闇




   国の背後で渦巻く闇
   それがふたつの国を飲み込んでゆく
   広がってゆく黒い霧
   恨みと執念、疑いという目に見えない黒い霧
   闇の中に突き進んで行くふたつの国
   幸せを信じる恋人たちだけを残して


「これで三度目の襲撃だ!」
 宰相、リズヴィラの叱咤の声が部屋の中に響き渡る。
「我らはいまだに敵の正体すらつかめていない、貴官らは一体何をやっていたのだね?!」
 リズヴィラは皆を見回し、厳しい声でそう言う。
 宰相の言葉に、部屋の中のものは皆うつむいて黙り込んでいる。
「しかも、今度の襲撃はラヴィスのルーシュ王女。じきにラヴィスにもこの情報が入るだろう。相手の国が何かを言ってくることは間違いない」
 ルーシュ王女が襲われた。
 その事件は再び城中を混乱に陥れた。
 幸い、ルーシュは命に別状はなく、軽い怪我を負っただけですんだのだが。
「……宰相殿、ラヴィスの王女が襲われたということは、この一連の襲撃事件は少なくともラヴィスの仕業だとはいえなくなったということでしょうか?」
 やはりその考えを捨て去ることは出来なかったらしい文官の一人の言葉に、宰相はうなずいた。
「おそらく。まさか、自分の国の王女を犠牲にはしないだろう。この一連の襲撃事件がラヴィスの仕業だと言う可能性は低くなったな」
「では、やはりあの詩人たちが怪しいのでは? なんと言ってもあの若者は、殿下と瓜二つですからな」
 そう言った将軍のフェリニクスに、リズヴィラは少し困った顔をした。
「フェリニクス殿、貴殿は少しあの若者に少し執着しすぎではないかな? この間もやたら疑っておられたが、前回は彼らのおかげで王女と王子のお命が無事だったのですぞ?」
「なっ!」
「少なくとも今回も彼らにはアリバイが成立する。王女が襲撃を受けた時間、詩人方は三人のメイドの前で演奏をしていたし、ルンワ殿もそこに同席していたそうだ」
「……確かにアリバイは成立するようですな」
 しぶしぶとフェリニクスは認めた。
 あっさりとひくところを見ると、おそらく自分で最初に調べておいたのだろう。
「しかし、襲撃者を手引きするとか他に方法はある。そこのところだけはお忘れなきよう、宰相殿だけでなくここの皆様にお願い申し上げますぞ!」
「もちろんだ」
 リズヴィラはうなずく。
 そこへ、
「今回の襲撃おかしくはないですか?」
 先ほどの文官が言った。
「おかしい?」
「ルーシュ王女が助かったことがです。たいした怪我もされていないではないですか」
「貴様!」
 文官の言葉に、フェルリが激昂して立ち上がった。
「その言い方はまるで姫君がお命を落とせばよかったようではないか! 殿下がお聞きになればどんなお気持ちになると思う?!」
 口調も激しく文官に詰め寄るフェルリ。
 室内はざわめきが広がった。
 フェルリの勢いに押されるように後ろに下がりながら、文官はいくぶんか気の弱い口調であわてて弁解をする。
「わ、私だってそんなこと思ってはおりませんよ。もちろんご無事で良かったと思っておりますけれど……」
「けれど、なんだ!」
「聞けば襲撃者はかなりの腕だと言う話ですし、中庭での襲撃は油を仕掛けて爆発させた。そこまでする襲撃者が、仕留め損ないますか? その前に二度も失敗していれば、周到な計画を立ててくるはず。その上、王女は王子と違って身を守る手段をお持ちではないんですよ」
「……」
 文官の言葉にフェルリは黙り込む。
 それは部屋にいた全てのものが同じだった。
 部屋の中を沈黙が支配する。
「つまり、ルーシュ王女の襲撃は、首謀者の正体をラヴィスからそらすための作戦だと?」
 沈黙を破り宰相は言った。
「その可能性はあるのではないかと……」
 その言葉を受けて文官はそう答えた。


「なんか変じゃない?」
 そう言いだしたのはレミーラだった。
 ルーシュが襲撃されたと言うニュースは、もちろん三人の耳にも届いていた。
「何のことです?」
 そう聞き返したルンワは青い顔をしている。
 ルーシュのことが心配でたまらないんだろう、おそらく。
「今回の襲撃がよ。襲撃者、手を抜いたんじゃない?」
 その言葉に、リオンはすぐにぴんときたらしい。
「やっぱりあんたもそう思っていたか。いつもの手口からすると甘いよな」
「え? 手を抜いたって……甘いって……どう言うことです?」
 一方ルンワの方はといえば、顔を疑問符でいっぱいにする。
「この前は油壷まで仕掛けといたんですよ。そこまでする刺客が、仕留めそこなうなんておかしいと思いません? あの刺客なかなかの腕のようですし」
「で、でもあの時の男と今回の刺客が同一人物だと限ったわけじゃ……」
「いつもと違う刺客を使って失敗したんじゃ、話にならないぜ。本気で殺す気があるなら、それなりの相手に頼むのが普通だろ」
「そ、それはそうですが……じゃあ、刺客ははじめからルーシュさまを殺すつもりがなかったということですか?」
「おそらくね……今回の襲撃と今までの襲撃、計画したのがそれぞれ別だって説もあるけど……ユール王子ならともかく、ルーシュ王女には刺客から身を守る手段ないし……」
「今までと今回の襲撃が別であろうとなかろうと、どっちみち今回の襲撃は、ルーシュ王女を殺すつもりがあったものではないと……」
 信じられないという表情のルンワ。
 しかし、彼女たちの説は理にかなったものである。
「それを言えば、一連の襲撃自体みんなそうなんじゃないか?」
「「え?」」
「言っちゃ悪いが最初の襲撃な、あんたが敵の攻撃をよけられたのが不思議でしょうがないんだが……」
「……」
「あんた武術の心得まったくないんだろ? 見たところ、あの男はかなりの腕のようだしな」
「そう言えばそうよね……」
「確かに、考えてみると変ですね。ユール王子はかなり腕が立つという話ですし、僕をユール王子と間違えていたのなら手加減なんかするはずがないですよね」
 あの時の刺客、本気で自分をしいて言えばユール王子を殺す気があったのだろうか?
 ルンワはリオンに言われ、そのことが気になりだした。
「なんなんだ」というルンワの問いに、かの襲撃者はわざわざ答えたし。
 そもそもああいう場面でわざわざ受け答えをするだろうか?
 もしかしてあれは、ユール王子を狙ったのがラヴィスの仕業だと思わせるための茶番?
 浮かんだ考えをレミーラとリオンに話してみると、彼らはそれに賛同してくれた。
「と、なるとこないだの油壷の件もそうだと考えるのが妥当だな」
「まあ、考えてみれば、あたしたちが一緒にいるところを狙うということは防いでくださいと言っているようなものだよね」
「敵も、あの時レミーラが魔術を使うのは目にしてるからな。それを狙ってやったんじゃないか?」
 お気楽というか。
 彼らの台詞の裏にはそれなりの実力があるからいいものの、ちょっとうぬぼれすぎではないだろうか。
「……でも、もしかしたらレミーラさんが防げない場合というのを想定していなかったんでしょうか。まさか、絶対大丈夫だと確信していたわけではないでしょうし」
 ルンワの言葉に、レミーラとリオンはぴたりと口を閉じた。
「まあ、確かにそうといえばそうですけど……」
「それじゃあ、この襲撃だけ計画したやつが違うのかもしれないな」
「そんないい加減な……」
 ちょっと呆れ顔のルンワ。
「どっちみち全部可能性の話だ。絶対そうだという確信があるわけじゃないだろう?」
「確かにその通りですけど……」
「つまり、一番初めの襲撃はラヴィスがユール王子の暗殺を計画しているとフェリードに思わせる茶番という可能性があるってことね。そうなると……今回の襲撃は?」
「フェリードに対してもあるだろうが、おそらくはラヴィスだろ?」
 今回の襲撃をフェリードがどう取るかは知らないが、自国の王女が殺されそうになったと知ればラヴィスは間違いなく黙っちゃいない。
「それってさあ、両方の国の疑心暗鬼を募らせるってこと?」
「―――っ!」
「おそらくそうじゃないか。首謀者がどちらかの国にいるのか、どこか他の国かは知らないが。もともといがみあっていた国だろ、ちょっと騒ぎを起こしてやれば、またもとの状態に戻るだろうな」
「結果的に王女と王子の結婚の話は、白紙に戻るってわけ」
「まあ、あくまで可能性の話だがな」
「可能性の話って……それが本当だったら大変じゃないですか! 今すぐどうにかしないと!」
 顔を青くして、ルンワがあわてた様子で言う。
「どうにかしたいのはやまやまですけどね、あんまり過去の世界に干渉するって言うのはまずいんですよ。下手したら大きく歴史が変わってしまうこともありますし。それでなくても今回かなり過去の世界に関わっちゃってますし」
「俺たちがここにいる自体、本当ならありえないことだしな」
「け、けど! 何かが起こるとわかっているのに……何もしないなんて……」
 レミーラとリオンは顔を見合わせる。
「とりあえずもう少し様子を見ていましょうよ。本当に可能性の話なんですから……。それに、変えようと思っても本当に歴史を変えることは難しいんです。たいてい、すぐもとに戻ってしまう。今は変えたと思っても、未来に戻ったら元のままということが……」
「これから何が起こるのかわからないけどな、あのふたりの身に何かが起こるとして、もしここで歴史を変えて彼らを救っても、もとの時代に戻ったらおそらく何も変わっていない」
 レミーラとリオンはルンワを諭すように口々に言う。
「本当に、彼女を救うには……もとの時代に戻って、彼女が望んでいることをしてあげないと駄目なんですよ」
「だ、だけど……」
 歴史を変える。
 それは確かに、やってはいけないことかもしれない。
 それでも、あの二人を放っておくなんてあんまりじゃないか、とルンワは思う。
 そんなルンワを少しでも安心させるつもりか、レミーラは気楽な口調で言った。
「まあ、そんなに思いつめなくても。あくまで可能性の話ですよ。もしその通りでも、企みに気がつく人がきっといますって、大丈夫」
 しかし、その場の皆はなんとなくわかっていた。
 おそらく、可能性ではなく、これしかありえないことを。
 フェリードとラヴィス、このふたつの国は現代には残っていない。
 伝説通りなら、近いうちに滅び行く運命の国々。


 疑惑がフェリードの人々を飲み込んでゆく。
 その様子を満足げに眺めている黒い影。
 ようやく自分の計画どおりに物事が動き出した。
 ――今度こそ、フェリードに疑惑の種を植え付けられた。
 ラヴィスに対する不信感が重臣たちの間に広まり始めている。
 ――最初はルンワという青年のおかげで、次もあの詩人たちへの不信感が先に立ち、思ったよりも広まりはしなかったが……。そう言えばあの青年、本当に何者だ? ラヴィスが裏切ったのかとも思ったが、先方にも心当たりがないようだが……まあいい、ともかく計画は動き出したのだ。
 ルンワの存在は気にはなるが、計画は今が大事な時だ、気にしている場合ではない。ようやく、順調に動き出したのだ。
 ――次はラヴィスだ。


 重臣たちの間にたちまち広まった、ラヴィスに対する疑惑の根。
 それは瞬く間に城中に広がった。
 重臣会議での意見が、たった一日で下の者へも通じてしまう。
 なんともこの国の管理体制を問われる話だが、それほどラヴィスに対しての反感がこの国の人々に根付いているということ。
 ラヴィスとフェリードが統合することを喜ぶ一方で、こうした感情も人々の中に存在しているのだ。
 ――このままではとんでもないことになってしまう……。
 もちろんユールの耳にも、この話は入っていた。
 それでなくてもルーシュを守れなかったことで落ち込んでいた彼は、途方もなく不安になった。
 とんでもない噂が流行っている。
 震撼した彼は、大臣のところに行き、もっと驚くべき真実を知る。
 それは昨日の会議の結果に出た意見。
 今人々の間に広まっている、ラヴィスに対する不信感。
 彼は重臣会議で出た国家機密のはずの情報があっさりと漏れたことよりも、その話があっという間に城中に広がったことに恐怖を感じた。
 人々の間に、ラヴィスに対する怨恨はいまだに消えていない……。
 ルーシュの存在がなかったら、自分もそうだったかもしれない。
 しかし、そのような先入観をのぞいて見ても、確かに今回の襲撃は妙なのだ。
 重臣会議での意見は正論だ。
 確かに、ラヴィスの仕業だと考えてしまうのはあたりまえのことなのかもしれない。
 ――皆の中に、ラヴィスへの憎しみが残っていればなおさらだ……。そして、ラヴィスだとて黙ってはいないだろう……。
 ラヴィスがこの襲撃と関係なかった場合は、間違いなくルーシュが襲われたことに対して何かをいってくることも間違いなかった。
 ――互いの国には、お互いの国にへの憎しみは間違いなく残っている。ラヴィスにもあっという間に広まるだろう、フェリードへの不信感が。
 このままでは、自分たちの結婚は白紙に。
 両国の統合も。
 ようやく訪れた平和が帳消しになる。
 どころか、
 ――このまま不信感が高まれば、戦争すら起こりかねな……?!
 その瞬間ユールは閃いた。
 それは何の根拠もない直感である。
 ――もしかして、両国の間に再び戦争を起こさせるのが目的なのか……。
 ようやく、この国の部外者以外に、この事件の真実にたどり着きそうな人間がひとり。
 ――そうなると……今回の襲撃だけじゃない。全ての襲撃が関係しているはずだ。
 彼は動き出す。
 ――確かめなければ。この考えが本当かどうかを。
 真実を確かめる。そのために。


 宰相リズヴィラや、ユールが危惧した通り、ラヴィスの使者はすぐにやってきた。
 ルーシュに対しての襲撃の件、そしてその前の二回の襲撃事件があったことに対して。
 三度も襲撃があったというのに、何の対策も取れていないこの国の体勢に対してと、その事件があったことをラヴィスに報告しなかったことに対しての、ラヴィス王の講義の文書を持って。
 表向きはそう言うことだが、使者の態度から、ラヴィスがフェリードに不信感を持っているのがユールには感じられた。フェリードと同じように。
 他のものがどう感じたかはわからないが、使者の態度は、ラヴィスへの疑惑が高まっている今の人々にとって、あまりいいものには映らなかっただろう。
 ――このままでは……本当に取り返しのつかないことになる。
 今では、この襲撃事件の裏に両国に戦争を起こさせようとしている存在がある、とユールはほぼ確信している。
 ――何とかしなければ……これ以上両国の間で不信感が強くならないように……。
 でも、どうやって?
 ユールがこのことを指摘しても聞き入れてくれるとは思えない。
 王子は王女にたぶらかされて、冷静な判断が出来なくなっていると思われるのがおちだ。
 ラヴィスに対する不信感は、ルーシュにすらも及んでいる。
 焦りだけが募るユールだった。


 不信感が不信感を呼び。疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼ぶ。
 城の中は張り詰めた空気でぴりぴりとしている。
 ラヴィスに対しての不信感は日に日に高まっていった。
 おそらくラヴィスの方も同じなのだろう。
 人々の間でますます強くなってゆくそれに、ユールは不安な心を抱えながら城の廊下を歩いていた。
 ルーシュの部屋へとむかっている。
 ここ数日、ルーシュに対しての風当たりも強くなっていた。
 人々の間で不信感が高まっているラヴィスの、王女。
 当然の流れかもしれない。
 居たたまれないのか、ルーシュは自室からあまり出なくなった。
 ――? なんだ?
 ルーシュの部屋の近くまで来たとき、なにやら騒がしいのにユールは気がつく。
 扉の前に、いくつかの人影があった。
 顔をこわばらせ、泣きそうな顔をしているルーシュ。
 数人のメイドたち。皆一様に顔を伏せ、しゅんとしている。
 そしてそのメイドたちをしかりつけているのは、フェルリだった。
「なにを考えているのです? あなたがたは? ルーシュ王女にこんなものを出すなんて」
 彼女たちの前には、ワゴンに載せられた一式のお茶のセット。
「すみません……いろいろ忙しくて間違えてしまって……」
 ひとりのメイドが顔を上げて弁解を試みるが、
「お砂糖とお塩をですか? 嘘をおっしゃい!」
 フェルリに一喝されて、びくりと首をすくめるメイドたち。
「今回だけではないでしょう。あなた方は似たような嫌がらせをいくつもやっているでしょう?」
「それは……」
 メイドのひとりがなにやら言いかけるが、厳しいフェルリの視線に射ぬられて黙り込む。
「それはなに? あなた方はどうせ、最近流行っている妙な噂に動かされているのでしょう? それでルーシュ王女に嫌がらせをしているのではないのですか?」
『……』
 図星だったのか、メイドたちが揃って首をすくめる。
 そこへフェルリからの一喝が飛んだ。
「あらぬ噂に惑わされて、こんな馬鹿なことをしている自分を恥と思いなさい!」
 厳しい言葉に、メイドたちはうつむくばかり。
「今度こういうことをしたら厳しい処分も考えますよ。わかったらさっさとそのワゴンを持って下がりなさい。今度はきちんとのめるお茶を持ってきなさいな」
 フェルリに言われ、ワゴンを引いてすごすごと去ってゆくメイドたち。
 その後ろ姿を見送り、フェルリはため息をついてからルーシュに向き直った。
「お辛いでしょうが、頑張ってください。私にはそう言うことしか出来ませんが……」
「あ、あの、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでです、王女様。私の務めはあなた様と殿下、陛下にお仕えすることなのですから」
 ルーシュに軽く頭を下げると、フェルリは歩き出した。
 今までの様子をじっと見ていたユールのいる方へと向かって来る。
 当然のことながら、ユールとフェルリの目があった。
 そこにユールがいたことにフェルリは少々驚いた目をしたものの、何も言わない。
 軽く頭を下げると通り過ぎて行こうとする。
 そこへユールが声をかけた。
「ありがとう」
 フェルリは立ち止まると、
「当然のことをしたまでです、殿下」
 それだけ言うと通り過ぎていった。
 ユールはフェルリの後ろ姿を見送ると、ルーシュのそばへと駆け寄った。
「大丈夫かい?」
「ユール様。ええ、ダクルート親衛隊長のおかげで」
 ユールの姿を見て、ようやくルーシュはこわばった顔を解いてほっとした顔をした。
「それは良かった」
 ルーシュと会話を交わしながら、希望が湧いてくるのをユールは感じた。
 フェルリのように、味方になってくれる人物はいるのだ。
 まだ。


「本当に、噂にしか過ぎないのでしょうか?」
「何がだい?」
 突然ルーシュがぽつりとつぶやいた。
 ルーシュの部屋に入ってから、彼らはずっとたわいもない話をしていたのだが。
 ユールはルーシュに何も話してはいなかった。
 今のこの国とラヴィスの関係も、おそらく両国を争わせようとする何者かのことも。
 よけいなことを話して、ルーシュに心配はかけたくなかった。
 少しずつ両国の関係が悪化してきていることはおそらく気がついているだろうが。
「……今回の襲撃、本当にラヴィスの仕業なのではないでしょうか……」
「馬鹿なことを!」
 ルーシュの言葉に、ユールは思わず声を荒げた。
「そんな噂を間に受けてどうするんだい? そんなことがあるわけがないだろう?」
「……私は父の道具に使われているだけで、ただ私がそれに気がついていな」
「そんなことは絶対無い!」
 本当のことをルーシュに話した方がいいのだろうか。
 自分が国に裏切られていると思っているよりはいいのかもしれない。
 だけど、今のは噂に過ぎないが、これを聞けばよけいな重荷を背負わせるだけだ。
「気にしすぎだよルーシュ。そんなことは絶対にないんだ。君の父上だって君のことを大切に思っているはずだ。大丈夫、絶対になんとかするから。理由のない憎しみ合いで、僕たちの結婚が駄目になるばかりか、戦争が起こるなんてあってはならない」
「……」
 ルーシュは何も言わず、じっとユールを見つめてくる。
 そんなルーシュにユールはにっこりと笑顔を向けた。
 彼女を励ますかのように。
 ――それに、もし僕の力が及ばなかったとしても、ルーシュだけは絶対に守るから。
 言葉に出さずに、心の中だけでユールはそっとつぶやいた。


 時は過ぎてゆく。
 ユールもルーシュも何も出来ずに。
 二人の結婚式はもう近い。
 本来なら、国中が浮かれ騒いでいるはずなのだ。本来なら。
 しかし、日々が過ぎるごとに国の中の雰囲気は険悪なものになってゆく。
 いい噂が広がるのは早い。
 しかし、
 悪い噂が広がるのはもっと早い。
 はじめは城の中だけだった噂も、街に広がり、国中に広がってゆく。
 それはフェリードだけでなく、ラヴィスも同じだった。
 このままでは戦争が起こりかねない、という状態まで事態は進んでいる。
 その雰囲気を察して、国を逃げ出す民も少なくない。
 取り残されているのは、ユールとルーシュのふたりだけ。
 幸せを信じつづけている恋人たちを取り残して。