遠いあの日のセレナーデ 第八章
作:風の詩人





第八章 500年後の結婚式




 酒場の中はあいも変わらず騒がしい。
 その騒がしさは、500年前も今も、あまり変わりないように思えた。
 レミーラとリオンとルンワ、彼らがこの時代へと戻ってからすでに3日過ぎていた。
 この場にいるのは詩人たちふたりだけ。ルンワとは、戻ってきた当日に別れている。
「ルンワさんどうするつもりなのかなあ……」
 ルンワはやることがあると言って、自分の村へと帰って行った。
 果たせなかった500年前の約束、それを今度こそ果たすために。
「知らん。それはあいつが考えることだろ」
「まあ、それはそうなんだけどね」
 確かに自分たちが考えたって、仕方のないことだ。
 レミーラはべたっとテーブルに突っ伏した。
「あー、なんか疲れが抜けないよ―――」
 500年もの時間も2度も飛び越えて、向こうでは色々な騒ぎもあり、こっちに戻ってきたとたんに気が抜けた。
 まだ、全てが解決したわけではないのだが。
 けれど、後はルンワがやるべきことであり、自分たちに出来ることはたぶんもうないだろうから。
「ったく、だらしねえなあ。しゃんとしろよ、しゃんと」
 呆れ帰った、というより、完全に馬鹿にしたリオンの口調に、カチンと来たレミーラ。
「お言葉ですけどね、あたしは二回も力を使ったんですけど。それも500年の時を、に・か・い・も!」
「しょうがないだろ、その力を使えるのがあんただけなんだから」
「だったら、少しばかりねぎらいの言葉があってもいいじゃない!」
「お忘れだろうけどな、ナディの森を迷わずに歩けたのは誰のおかげだっけ?」
「くっ……」
 言葉につまるレミーラ。憎々しげにリオンをにらみつける。
「つまり、フィフティフィフティ。ねぎらいの言葉も何もないだろーが」
「レディファーストって言葉知らないの!」
 違うところから攻めることにしたらしい。
 なんか使い方が、とっても間違っているような気もするが。
「知〜らないなあ。何語だっけ、それは?」
 完全に遊ばれている。
 レミーラがもちろんそれに気がついていないはずもなく、
 彼女は大きく息を吸う。
「こんの、根性悪詩人〜〜〜!」
 詩人の声は良く響く。
 店内にいた人間が、驚いて彼女たちの方に注目するほどに。
 ま、いつもの光景と言えば、いつもの光景でしかない。


   結婚式を挙げよう
   今度こそあの時かなえられなかったふたりの夢を
   ユールとルーシュの結婚式を


 村に帰ってきたルンワは、すぐさま作業に取り掛かる。
 光水晶のネックレスを作るのだ。
 光水晶の原石は確かに湖にあった。
 それはくすんだ茶色い石。磨き上げたものとは似ても似つかない。
 見つけるのは難しいし、見分けるのはもっと大変だ。
 その上、数が極端に少ない。
 ユールはどうしてこの石の事を知っていたのだろうか。
 幼い頃から彫り師の修行をしてきたルンワと違い、王子であった彼になぜこれが光水晶の原石であるとわかったのだろう。
 茶色くくすんだ石を手のひらで転がしながら、ルンワはそんなことを考える。
 ルンワはさっきからずっと石を眺めていた。
 準備はすでに出来ている。あとは自分が作業に取りかかればいい。
 しかし、どうしても決心がつかない。
 希少価値のある光水晶は、磨き上げるのも難しい。
 それが自分に出来るだろうか。
 ――だけど、僕にしか出来ないんだよな。
 約束を果たすことが出来るのは。
 それが出来るのは、他でもない自分だけ。
 湖の少女の、ルーシュの表情が脳裏に浮かぶ。
「よし」
 心を決め、ルンワは石を磨き始める。


「お久しぶりです」
 どこかよろよろになって、ルンワは詩人たちに挨拶をした。
 詩人たちは自分を見て驚いた顔をしている。
「ど、どうしたんですか? 顔色良くないですよ」
「と、いうより真っ青だな」
 詩人たちの言葉に、ルンワは弱々しく笑みを浮べる。
「いや、寝不足なもんで。このところずっと寝てないんです、これを作っていたもので」
 ルンワが取り出したものは、小さな、それでもまぶしいほどの輝きをもつ、光水晶。
 小さな水晶がひとつ、長い普通の紐に通してある。
 お世辞にもネックレスとはとても呼べないだろう。
「結局、こんなものしか出来ませんでした。チェーンは手に入るわけがないし、磨くのにほとんど失敗して、ようやく出来たのがこの小さな宝石ひとつ」
「そんなことありませんよ、思いがこもっているのがよくわかります」
「紐は確かにちゃちだが、水晶への細工はたいしたものじゃないか?」
「細工は結構得意なんですよ」
 細工と、これを作るのに込めた思いの強さだけには自信がある。
「約束の……結婚式を今度こそ挙げて、ルーシュにこれをあげるんです」


 また、あの湖までやってきた。
 湖にはあい変わらず水がない。
 この現象が終わるまで、あと一週間ある。
 もしかしたら、これであの現象は完全にストップするかもしれないが。
 レミーラたちが見守る前で、ルンワは一歩一歩湖に近づいて行く。
 あの少女の名前を呼んだ。
「ルーシュ」
 ふわっと湖の上の空気が揺れたような気がした。
 湖の上に半透明に透けた、少女が現れる。
 彼女はルンワの姿を目にすると、顔を輝かせた。
『お待ちしていました。この森に……やって来てくれるのを……。あなたが姿を見せてくださるのを……』
「待たせたね。こんなに時間がたってしまったよ、君のもとにやって来れるのに……。約束だ、結婚式を挙げよう」
『ユール様!』
 ルーシュはその言葉に、いっそう顔を輝かせた。
「そのために僕はやって来たんだ。君との約束を守るために」
 そう言ってルンワは手を差し出す。


 それは小さな結婚式だった。
 観客は詩人たちふたりだけ。
 それでも、本当は色々なものが見ていてくれているのかもしれない。
 この湖に、あたりの木々、小鳥や動物たち、そして風も。
 レミーラとリオンの演奏が辺りに流れる。
 ルーシュもユールも、そしてルンワも。
 とても幸せだった。


 結婚式は終焉を迎える。
「それと、もうひとつの約束だよ。光水晶のネックレス……というほど大層なものではないけれど、受け取ってくれるかい?」
 ルンワはそう言って、光水晶のネックレスをルーシュに差し出した。
『そんなことありません、とっても綺麗です。ユール様が私のために作ってくださったものですもの』
 ルーシュは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
 ルンワはルーシュの首にそれをかけてやる。
 光水晶は、ルーシュの胸でとても綺麗に輝いた。
 大層な派手なチェーンなどでなく、シンプルな紐だったからこそ、光水晶がとても輝いて見えた。
『本当に嬉しいです』
「ルーシュ……」
 嬉しそうに微笑む少女が、すでにこの世にいないことを思い出し、ルンワはなんとも言えなくなる。
『ユール様、あなたは今幸せですか?』
 そんな彼の内心を知らないルーシュは、首を傾げてこんなことを聞いてきた。
「え?」
 突然の言葉に、ルンワは言葉につまる。
 幸せ―――なんだろうか?
 自分でなく、ユールが。
 いくら記憶を持っていたとしても、自分はユールではない。そんなことわからない。
『幸せですか、あなたは?』
「幸せ―――なんじゃないかな? たぶん、いや、幸せだよ」
 悔しかっただろう。悲しかっただろう。それでも、今。
 こうして目の前でルーシュが笑っていること。
 それがつかの間の時間でも、少なくとも今は幸せだろう。
 ユールも、自分も。
 ルーシュはにっこり微笑んだ。
 それは今までで一番綺麗で、とても嬉しそうな笑顔だった。
『良かったです、あなたが幸せで。ずっとずっと待っていました、幸せなあなたが来て下さるのを。何百年たっても、私はあなたの幸せをずっと祈っています。本当にありがとう……あなたに会えてよかったです』
 ――え?
 すうっとルーシュの姿が消えた。
 そして。
「湖が……」
 湖の水が、再び湧き出した。
 枯れ果てていて、水気がまったくなかった湖に、どんどん水があふれてゆく。
「すごい……」
 ルンワは湖が枯れるところを見ていない。
 だからこそ、なお。その荘厳ともいえる風景に、言葉もなく見入った。
「まだあと一週間あるはずなのにな」
「やっぱり、この湖の異変は彼女に関係してたのね」
 後ろでした二人の言葉に、ルンワははっと我に返る。
「それでは、ルーシュは救われたのですか?」
「まあ、そういうことになると思いますね。この湖に残っていた、彼女の強い思いは遂げられたようですから」
「そうですか……」
 ルンワは再び湖に目をやる。
 湖はその日、すっかりもとの姿に戻った。


   約束の光水晶の首飾り
   不思議な詩人の演奏で
   ささやかな結婚式
   500年も前の大事な約束
   二人の強い思いが約束を果たした
   長い時も消えずに在り続けた心
   遠いあの日のセレナーデ


 詩人が演奏を終えたあとも、店内にはその余韻が残っていた。
 誰もがその余韻に浸り、口を開こうとしない。
 ようやく、ひとりが口を開いた。
「すばらしい演奏だった……ありがとう」
 その言葉に続けるように、いっせいに拍手が起こった。
 詩人の音色はとてもすばらしく、歌の内容も感動的だった。
 それでも、この詩人の演奏は、普通の歌も何倍にも感動させてしまう。
 詩人は自分に送られる拍手に、こそばゆいような顔をしている。
「今の歌、本当のことなのかい?」
「さあ、どうでしょう」
 詩人はいたずらっぽい笑みを浮べ、その問いをはぐらかす。
 が、あちこちから、いろんな質問が飛んでくるのは止まない。
「ナディの森ってあのナディの森だろ? あそこに湖なんかあるのかい?」
「あるのかもしれませんね」
「その歌に出てくる不思議な詩人って、あの『風の歌』(ウィンドソング)のことじゃないのかい?」
「どうしてそう思うんです?」
 反対に聞き返されて、そうたずねた客のひとりは戸惑ったようだった。
「どうしてって……なんとなくさ。そんなことが出来る詩人って、彼らぐらいしか思いつかないしな」
「もしかしたらあんたがそうなんじゃないのかい?」
 別の方から飛んできた言葉に、詩人は笑って否定した。
「まさか、そんなわけないじゃないですか。だいたい『風の歌』って言ったらふたり組みでしょう?」
 あっさりそう返されて、そう言った客は言葉がない。
 まさか本気でそう思っていたわけでもないが、あの演奏を聞いて、もしかしたらとも思っていたのも本当だ。
「さて、と」
 そう言って詩人は立ち上がった。
「あれ、もう行くのかい?」
「ええ、ご聴衆ありがとうございました」
 かばんを下げ、手にハープを持つと、詩人は軽く頭を下げる。
 そんな彼女が酒場を出て行くときにこっそりつぶやいた一言。
 誰にも聞こえたものはいなかった。
「実はそうだったりして」
 もし聞こえていたら、驚いていたに違いない。