SOUND
作:橘D子




 陽が昇り、そして沈む。
 天体の動きに合わせて、一日の活動を消化する。
 生物としての人間をフルに機能させて、活動する。だが、機能させることについて、特に意識することはない。
 まさしく、本能なのだろう。
 ――自覚のないまま、身体機能は活動している。


 夜の十一時過ぎ。いつのもようにネットへの道を開く。毎夜のことだ。既に習慣といっていい。
 地図の無い海。刻一刻と変貌を遂げる、その大きな海。果てし無い海原。
 数多の情報を与えてくれる、見えない大海。この海も、実に様々なものを生み出している。最初にここの場を『海』と称した人物を、今更ながらに偉大な詩人と思う。


 ネット上で行う行為を、いつものようにこなした。
 大海は、何者も拒まない。自由な場所である。
 ふと時計をみれば、午前12時をまわっていた。限られた時間は、まだ充分に残っている。
 視界をモニターに奪われたまま、夜の時間は過ぎゆく。
 時間の流れは確実に存在するのに、この時ばかりは流れが優しく感じられるのは気のせいだろうか。陽光に照らし出されている時には、こんな感覚は味わえない。
 これも、ネットの海が与えてくれる恩恵の一つだろうか。
 静まった空気と時間の流れに包まれて、夜型人間だからだろうな、と自嘲に似た笑みがこぼれた。
 空になった煙草の箱を握りつぶして、新しい煙草の封を開く。
 新しい煙草に火を灯してから、傍らに置いていた携帯電話が目にとまった。アンテナが、青い光を放っている。
 随分まえに、付属のアンテナと取り替えたものだ。何かと重宝している物品でもある。
 何も考えずに、携帯電話を手に取った。着信は、あの人からだ。
 大した理由は無い。理由なんて大袈裟な理由はつけられない。そんな理由で、ここ最近は連絡をとらないでいた相手だった。かかってきた電話にも出ずに、居留守を数回使った。
 だから、今回も少々ためらう。携帯電話を握りしめたまま、数呼吸。
 アンテナは相変わらず光り続け、画面も点滅を繰り返す。
「もしもし?」
 やっと出た時の声は、心なしか弾んでいたと思う。正直に認めよう、嬉しかった。
 居留守を使っていた理由を、単なるやせ我慢だと思い知る。
 だが、声は返ってこなかった。
「……もしもし?」
 切れたのかと思って確認するが、電話は通話状態のままである。
「ねぇ、どうしたの?何?」
「切れたの? 聞こえてる?」
「ちょっと。何の用だったのさ」
 沈黙しか返ってこない電話の向こうに対して、何度か声をかける。
 笑顔が訝しげな表情に変わっていく様を、認識した。
「何なの?ちょっと!」
 もう一度確認して、今度こそ電話が切れているのが分かった。アンテナの光も消えている。
 何だったのだ、今のは。
 心の中で、散々に悪態をつく。
 電話に出た瞬間、喜んでいた自分を自覚しているから、余計に腹立たしい。恥ずかしさという感情は、この際心の中から省いておくことにする。
 そして、再び携帯電話のアンテナが光った。
 着信は、同じくあの人。
「ちょっと。電波でも悪いんじゃない?」
 今度は即座に出た。出た途端に文句を言う。
 ちょっとしたトラブルでけちがついたが、仕方がない。どうも、この相手とはトラブルがつきもののようだ。いつもこんな調子だから、素直になれないのだろうか。
 うん、そうだ。今回は少し素直になってみよう。今は勢いで文句を言ってしまったが、この話題を引きずらなければ良いのだ。
 一瞬でそこまで考えて、また電話の相手に対して笑顔を作る。
 そして、沈黙しか返ってこない。
「……ねぇ?……何さ……」
 ふと、奇妙な感覚に襲われた。
 携帯電話のスピーカーからは、何の音も聞こえてこない。
 声は勿論、相手がいる空間のざわめきや雑踏も聞こえない。
「電話、壊れてない?」
 苦笑しながら、そう言ってみる。
「なんかさ、おかしいみたいよ。何も聞こえな……」
 その言葉を、言い切ることは出来なかった。
 言い切ることが認めてしまうようで、それだけは避けたかった。
 身体の中心を、冷たい氷の糸で貫かれたかと思った。一つのひらめきが、そんな刺激と一緒にやってきた。
「ごめん」
 着信と同時に光るアンテナだったから気付いた。
「何かいま、電話出来ないや……」
 光らなければ気付かなかった?着信を知らせるメロディーはどうした?
 音を知覚出来なかったのか?
「……何も……、聞こえ、ないんだ……」
 ゆっくりと、繋がっていた電話を切った。これ以上、声が震えるのを気付かれたくなかった。
 くわえていたままの煙草も、緩慢な動作で消す。
 そして、弾かれたように行動した。
 テレビをつける。CDをかける。挙げ句の果てには、手当たり次第に物を叩いた。何もかもをまき散らかした。
 しかし、無音。
 返ってくるのは、ただの静寂と沈黙。
 何一つ、聞こえるものは無かった。
 いつから……?
 もう既に、充分な恐怖に包まれていた。
 いつ、こんな風になったんだ?どうして気付かなかった?
 他の感覚は……、他の感覚はあるのに。
 何故?
 背筋に強烈な悪寒を感じて、後ろを振り向いた。
 そこには、光を放つモニターが佇んでいた。部屋の照明もあるというのに、モニターの光は、突き刺さるように強烈に思える。
 ネットの海では、視覚さえあれば情報は満足させられる。聴覚は付属にすぎない。
 だから気付かなかった?
 内臓を掴まれたような気分に陥る。言いようのない恐怖が、モニターから伝播してくる。
 視覚だけに頼っていた。否、そこでは視覚のみで活動していた。そこを離れなければ、分からなかった。
 どうして?何が?
 その大海では、視覚以外を必要としない。だが、違う海に身を投じる場合は?
 聞こえない。何も聞こえない。聞くことが出来ない。
 何かを考えようとしても、その事実だけが反芻される。
 不意に、モニターの光が語りかけている錯覚に陥った。
 音声ではない、光の波動が語りかけている。
 頭の心が痺れる。波動に身を任せて、その声を聞こうと身体が反応する。
 青い光が、唐突に視界に飛び込んできた。
 散らかしたものに埋もれて、携帯電話の青い光が見え隠れしている。
 やっと、それで我に返る。
 携帯電話のアンテナを光らせているのは、きっとまたあの人だろう。
 確かめはしないが、そう信じる。そう信じたい。
 ネットの海へと誘いかける光の波動は、まだ止まない。
 この波動も、恩恵の一つなんだろうか。受け入れた先には、新たな何かが待っているのだろうか。
 好奇心がないわけではない。
 だが――。
 聞こえない。声が、聴けない。
 新たな何かなんていらない。代償のほうが大きすぎる。
 聴覚に対しての思いではないことを承知して、微笑みが洩れた。いま、求めているのはもっと限られた一つだけ。
「ねぇ……。もう聴けないの?電話できないの?……声、聞こえないよ……」
 次の瞬間、逃げ出すように部屋を飛び出していた。
 波動の哄笑が充満する空間が耐えられなかった。
 その空間から逃れたくて。その空間から逃れれば、全てが戻ってくるような気がして。
 部屋から飛び出した。


 そして、私は目覚まし時計の音で目が覚める。














 
<あとがき>
 これを書いたのは夏だったと思うんですが。構想1分、執筆1時間。ああぁっ!すいません、勢いで書いたもの送りつけちゃってっ!!
 私自身の事を書いてるわけじゃないってのだけ、存分に理解していただければ……(苦笑)
 機械とかネットワークとか、そんなのを少しも知らないヤツが「SFっぽいの書いてみよっかなっ♪」と思うとこーなる、という典型例です。
 御感想をお待ちしておりますm(_ _;)m