Don′t Spit FIRE!!(後編)
作:青木梨





(前編のあらすじ)
 女装術士シアは火を吹く呪いにかかったんで、使い魔の子猫ニュートンと魔法大会に行った。


 その街の中心部は、喧騒と音楽と笑い声で包まれていた。
 会場には人があふれ、めったにない活気に満ちている。
 その大会会場の大広場は、お城が入りそうなくらい広かった。
 あちこりに小さな仕切りや柵があり、すでに席取り競争も見えた。
 中央のポール間に、巨大なたれ幕が下がっていた。
 真っ白な子猫は、そこに書かれた文字を黙して見上げる。
 抱きしめたいほど愛くるしい小さな体にブルーの瞳が似合う。
 首の小さなスズがチリンと鳴り、フワフワのしっぽが揺れた。
「……おい、主人」
「なぁに? ニュートン」
 化粧しなおしたシアの顔は、芸術的な不気味さだった。
 そして真っ白な子猫ニュートンは垂れ幕を見上げ、
「なんじゃこりゃぁ――――!!」

『大会大会』

 真っ白子猫の主人、シアは手鏡を見て上機嫌だ。
「うん。大きな大会だとお化粧も気合入るわよねぇ。
 ネ、アイラインはこの色でいいと思う!?」 
「そうじゃねぇ!! 何だよ『大会大会』って!!」
「もちろん、『たくさん大会がある大会』よ?」
「魔法大会だけじゃなかったんすか!?」
「何か空間ゆがめてるらしいのよ。あそこが『魔法大会』、あっちが『仮装大会』よ。向こうが『迷路大会』、その向こうが『美女大会』、さらに『お料理大会』『剣技大会』『政治討論大会』『格闘大会』『生け花大会』『絵本読み聞かせ大会』……」
「まあ、観光客は一度に見れてお得でしょうが……」
「それで、一つ一つの大会の優勝者が最後に集まるのよ。
 トーナメントで闘って、優勝者がこの『大会大会』の頂点!」
「……何の頂点かお聞かせ願いたいもんですな」
 ニュートンはゲンナリした。
 大々的な大会とあって、遠くの街からも観光客が集まっている。
 もちろん、見物客だけではない。
 術士や剣士、格闘家などの人間は冷たく鋭い闘気を放っていた。
 しかし大半は和気あいあいとしたお祭りムードだ。
 ざわめき、子供の歓声、あふれる露店の食べ物の匂い。
 食材を抱えた料理人は子供たちに駄菓子を配り、手品師は観光客にワザを披露している。水着姿の美女は、男たちの口笛に応えてポーズを取り、仮装大会のパンダの着ぐるみ出場者は、本物のフリをして子供たちを乗せて歩いていた。
 夫婦のダンス大会参加者は開会が待ちきれず二人でダンスを始め、すると近くにいた音楽大会出場の音楽団が即興でダンス曲を演奏しはじめる。それを見ていた周りの出場者や観光客もダンスの輪に加わり、にぎやかな音楽と笑い声が、広場に広がった。
 ニュートンも、いくらかささくれだった気分が和んできた。
 しかし横に視線をうつせば、一気に己の現実に気づく。
 シアの女装も、この場ではあまり注目されてなかった。
 とはいえ大胆に胸元と腹を大胆に見せる『若い女性用術士服』は、ニュートンには犯罪同然だった。
「このバカ術士!! 身の分際を思い知れ!!」
「ンもう、いいじゃない! サ、登録もすませたし、見学する?
『可愛い子猫ちゃん大会』なんてのもあるわよ?」
「あたしゃ子猫じゃなくて、子猫クラスの使い魔!!
 というか、優勝子猫もトーナメントに出るんですか?」
「やぁね、もちろん飼い主が闘うにきまってるじゃない」
「このお祭り、大会の名を借りた別の何かなんじゃ……」
 そこで、ニュートンはハッとした。
「そうだ! あんたに『呪い』をかけた術士がいるんでしょう?
 この大会に出てる術士ですか? 早く探しにいきましょう!」
 しかし、シアは悠然と応えた。
「こんなに人だらけじゃ、探しても見つからないわ。
 出場して勝つのよ。そうすれば向こうから出てくるわ」
「……根拠は?」
「あるわ。まず間違いない」
 シアは、男らしく腕組みしてかまえていた。
 ニュートンは少し考え、信用することにした。
 バカで変態で迷惑人間だが、頭のいい面もあるのだ。
「さ、行きましょう。そろそろ『魔法大会』よ?」
「フン。あんただったら、別の大会でも優勝出来そうですな」
「分かるぅ? 才能ありすぎるって困っちゃうわ。
 去年は『迷惑人間大会』で優勝しちゃったの!」
「あんたにふさわしいタイトルだよ……」


 そして、『魔法大会』が開催された。
 空間を強引にゆがめて作られたらしい円形の広場を、大勢の見物人が囲って歓声を上げていた。
 広場に立つのは、さまざまなローブに重々しく身を包んだ術士たち、それにまじって女装のシア、そして、審査員。
「審査方式!? 魔法対戦じゃないんですか!?」
 ニュートンがあまりにガッカリした声を出したので、シアがノドをくすぐってきた。ニュートンは礼儀正しく爪を閃かせて応えた。
「戦闘は一瞬の機転や判断で、勝敗が左右されるでしょ?
 それも燃えるけど、それじゃ目的から外れちゃうわよ」
「そりゃ、そうですけどね……」
 ニュートンは神経質に尻尾をふった。
「おい、オカマ。てめぇ会場間違えてんじゃねぇの?」
 ニュートンの耳に大声が入った。シアがふりむき、
「大勢の人の前でそんな言葉使いしちゃいけないわ!」
「私ゃ言ってませんよ!!」
 ニュートンはムッとして応えた。
 声の主は、いかにもガラの悪そうな男の術士だった。
「ちょっと君、参加者は全て平等な扱いを――」
 金の礼服の司会者が、戸惑ったように声をかけたが、
「冗談じゃねえ! 俺はオカマと一緒なんざ吐きそうだぜ!
 おらおら、出てけよ。『キ●ガイ大会』はあっちだぜ?」
 さすがに、観客から非難のブーイングが上がった。
 ニュートンは、カッとなって術士に飛びかかった。
「ザケンな!! オレの主人にナメた口聞いてんじゃねぇ!!」
「う、うわ、何しやがる!!」
 シアの方は、泣きながらテノールで絶叫していた。
「うう、ひどいわ! あたしは女の子だって言ってるのに!
 自分の本当の姿を偽らずに表してどこが悪いの――!!」
 一瞬の静寂。
 そして、見物人からも審査員からも参加者からも、感動の拍手と口笛がワッと上がった。
「いいぞ! おじさ……いや、おねえさーん!!」
「そうだそうだ、偏見はよくない!!」
「何か知らないけど、感動をありがとう!!」
 そしてクライマックスに、審査員が静粛にと合図した。
「我々は協議した結果、斬新な感動と新たな人生観を与えてくれたシア選手に、この魔法大会の優勝をささげようと思う!!」
『……………………は?』
 とっくみあっていたニュートンと術士が同時に言った。
 他の参加術士もポカンとした顔だったが、いっそう高まる観客の拍手と感動の嵐に流され、いつの間にか一緒に拍手していた。
「おめでとう! よく分からんが、おめでとう!」
「偉いぞ! 万歳! 何をしたか謎だが、よくやった!!」
 司会も大声で宣言した。
「魔法大会優勝はシア選手! シア選手が決勝戦に進出します!」
 会場外の人々の暖かい祝福も加わった。
 感動の嵐の中、シアは手をふり、魔法大会を後にした。
 ニュートンは、あわてて追いかけ肩に乗ると、
「おい……今度はどんな自家製魔法とやらを使ったんだ!」
「真実と愛、プラス『何か』の勝利よ!!」
「『何か』が何か言わんと、今度こそ目ぇえぐるぞ!!」
 あまりに低い声に、シアはあわてて、
「審査員の方々に『とある紙束』の入った茶封筒を渡したの。
 すると、なぜだか優勝プラス名声があたしの手の中に」
「それで人生満足か、てめぇは……」
「でも、一応魔法大会で優勝はしたわ。名も放送されたし。
 事実さえ作っちゃえば経過なんて誰も気にしないわ!」
「……あんた、火を吹かなくても迷惑だよな」
「全ては呪いを解くため! ああ悲劇なアタシ……!」
「計画的な買収だろうが、ナメた口聞いてんじゃねぇぞ!!」


 そして、日が中天に昇るころ、さっさと決勝戦が始まった。
 決勝トーナメント会場には、およそ百人前後が出場していた。
 全てが、今日の大会に勝った老若男女の猛者たちである。
 観客も、十重二重三重に会場を取り囲んで歓声を上げ、街の外にまで届きそうだった。
 ニュートンは背筋を硬くして、参加者や見物人たちを見ていた。
 それこそありとあらゆるタイプの人間がいる。
 ――この中に、呪いをかけた卑怯な術士が?
 やがて、金の礼服に身を包んだ司会者が、踊り出すように観客に向かって宣言した。
「それではぁ、ただいまより、決勝トーナメントを始めます!!」
 言うが早いか、恐るべき早口が会場に響いた。
「ドゥゲッシア・シュバルティ・バツーエ――――イルクの方程式!!」
 瞬間、今までで最大級の火炎が決勝戦参加者たちに襲いかかった。
 超高温の炎の渦で、一瞬あたりが真っ白に光る。
 そして光がおさまったとき――優勝者たちは半分木炭と化していて、バッタバタと倒れた。
「……『トーナメントを始めます』と言ったんですよ?
 試合を始めます…ってイミじゃないんですよ!?」
「ええ!? やっだぁ、シア勘違いしちゃったあン!」
 ワザとらしく、煙の残る口に手をあてるシア。
 呆然と見ていた司会者はハッと我に返り、
「フ、フライングぅ! 魔法大会優勝シア選手、しっか――」
「イルクの公式!!」
 さらに強化された火炎が、司会者と審査員たちの真横をかすめた。
 司会者は一瞬ふりむき、審査員団と視線を交わした。
『?』
『!』
 それで全てが決まった。
「今大会の頂点は、魔法大会優勝シア選手ぅ――!!」
 人々は――主に火炎攻撃を恐れ――熱狂的な拍手を送った。
 シアは感涙にむせびながら、頂点カップと頂点賞状を受け取り、ついでに頂点ベルトを掲げ、聴衆に演説した。
「愛、友情、勇気、真実――そして努力の勝利です!!」
「努力っつーより、暴力の勝利だろうが……」
 だが、聴衆は狂ったような拍手で応えた。
 シアは歓声に手を上げて応えた。
 だが、ニュートンは薄々焦っていた。
 首をのばして、香水くさい耳元にささやきかける。
「当てが外れましたな。参加者全員シロとは」 
「いえ、まだ分からないわ。でも、もう大丈夫ね」
 シアは、骨ばった指の中で光り輝く魔法石をはじいた。
「ご主人!! あんた家焼けて貧乏なのに――――」
「フフフ。魔力の波動を分析して恨みつらみを感知!!
 美少女シアちゃん自家製魔法『怨恨感知センサー』!」 
「そういう便利な魔法もあるなら、もっと早く使えよ!!」
「だぁって、半径は十ミートルしか使えないんだもん!」
「『もん』はやめんか、『もん』は!!」
 シアは急いでブツブツ呟き、手のひらの魔法石をはじいた。
 透明な紫の石が、目をつらぬきそうな閃光に変わった。
 閃光は手のひらから飛び出し、鮮やかな弧を描いて落ちていく。
 まだ倒れている参加者の方へ。
「く…………」
 ススの中から起きあがったのは、初老の男だった。
 魔力のある仮面をしていたようだが、それで軽傷ですんだらしい。
 腕には『グチ愚痴大会優勝』の腕章が巻かれていた。
 シアは腕組みし、静かに言った。
「導師ダムス!! やっぱりあんただったのね」


 去りかけていた見物人は足を止めた。
 後片付けに入りかけていたボランティアも手を止める。
 司会者はツバを飲んでマイクを握りなおし、炭化した負傷者を運んでいた救急隊員たちは、死に物狂いでピッチを上げた。
「誰です? あんたの元カレってやつ?」
「誰が!! あたしの術士学院時代の担当師匠よ」
 シアは心底嫌悪した口調で言った。
 決勝トーナメントの会場。
 たくましい女装の男と、やせた初老の男がにらみあっていた。
「導師。なんで呪いなんて姑息なことを!」
「フン、正面から行ってはかなわないからだ!!」
「…………さすが、あんたの師匠ですな」
 シアは生えてきたヒゲをなで、憎しみに燃えた目で導師を見た。
「導師! あんたの逆恨みで毎日毎日困ってるのよ!
 今すぐ呪いを解きなさい。命だけは助けてあげるわ!」
「命だけは?」とニュートン。
「むろん土地財産は慰謝料として没収!!」
「……滅びろ、アホが」
 しかし、その反応は意外なところから来た。
「そのとおりだ!! このバカ弟子が!!」
 初老の導師が拳を上げていた。
「呪いをかけても堂々と魔法大会に出おって!!
 こんな非常識な弟子など滅びてしまうがいいわ!!」
 ニュートンは何だか分からなくなってきた。
 周りの見物人もそのようだったので、ゆっくり聞いた。
「あの、つまり師弟ケンカなんですか?」
 初老導師は偏執狂めいたしぐさで拳を上げて絶叫した。
「昨今の自己中心な若者に天誅を下しただけだ!
 こいつときたら、師事しておいて言うことは聞かん!
 愚にもつかない自家製魔法ばっかり研究しおる!
 挙げ句、闇に乗じてワシを袋叩き、施療院送りにしおった!」
 シアも弾丸のように言い返した。
「その前に、人の自家製魔法の成果を横取りしてきたのは誰よ!
 あたしの才能に嫉妬するばっかで始終命令してくるし!
 しかも、あたしの美しさに負けて強引に迫ってきたじゃない!」
「うっ! そ、それは女房に逃げられて長かったので、つい……」
『…………………』
 ニュートンと見物人は一瞬沈黙し、
「つづき!!」
 見物人もウンウンとうなずいた。
 シアは導師を徹底的に叩きのめして学院を中退したという。
 彼にとっては実力も認められず、学院をやめる原因を作った相手だ。
 しかし導師は逆恨みし、復讐の闇の魔術『呪い』をかけた……。
 どうも師匠の方が分が悪い。
「しかし、どっちもどっちという気がするのはなぜだろう」
 ニュートンが呟き、見物人もウンウンとうなずいた。
「何言ってるのよ! 一から十までこいつが悪いじゃない!!
 ああ研究室の設備で完成させたかった……。
 究極の『永続! 目の前の相手に一目ボレ魔法』……!」
「悪かったかもしれんが、こいつのアホも相当なもんだ!
 だが呪いにも反省せず、図々しく魔法大会で勝ちよる!!
 それで、も一つ呪いをかけてやろうと近づけば火を吐くし!
 全く、何という恩知らずで生態非常識な弟子だ!」
「何さ! キィ――!!」
「やるか、このサル弟子が!!」
 二人の大人は飛びかかってとっくみあいを始めた。
「………………てめぇら一生やってろよ」
 ニュートンが言い、見物人もウンウンとうなずいた。
 導師は怒りに絶叫し、飛びすさった弟子に指をつきつけた。
「クソ、迷惑弟子め! 師匠の力を思い知るが――」
「エゲンの公式!!」
 シアが真正面から吐いた炎が、導師を一瞬で炭にした。
「ご主人、やりましたね!」
 しかし、シアは素早く小さな炎を吐いて首をふった。
「ダメ……まだ呪いは解けてないわよ!!」
「え、そんなバカな……!」
 周囲がどよめいた。
 倒れた炭の塊が、ゆっくりと起きあがった。
 ボロボロと黒いものがこぼれおち、ススだらけの導師が現れた。
「チ、しとめそこねたか。あたしも優しすぎるようね」
「……よくも大勢の前で恥をかかせてくれたな!!」
「いえ、あんたの被害は軽い方ですよ?」
 青年司法官を思い出し、本気で言った。
 しかし導師は聞いていない。
「うおおおぉ――――――!!」
 天に向かって大仰に両腕を上げ、何かの呪文を絶叫した。
 ニュートンは、本能的に毛を逆立てた。
「何か召喚する気だ!! 早く火をはいてください!!」
 しかし、シアは冷静に首をふった。
「倒したのに呪いは解けてない。他の解呪法を聞き出さなきゃ!」
 ニュートンもうなずいた。
「ああ、そういえば呪いって倒すだけじゃないですよね。
 昔話とかにありますよね? 王子様のキスとか」
「いやぁね、ニュートン! 主人と使い魔なんて危険な恋よ?」
「くたばれ!!」
 会場に、異様な妖気が広がった。
 危険を感じた司会者や見物人たちは、あわてて避難し始める。
 ニュートンは、背筋がビリビリ震えた。
 ――……上級の使い魔? だったら、絶対に殺される。
 その背中を、シアがフワリとなでた。
「大丈夫、ニュートン。必ず勝つわよ」
「そうですか、では魔法石はまだあるんですね?」
 シアは、何も言わずに優しく微笑んでいた。
「むろん、上級使い魔に対する策はあるんでしょうな?」
 シアは、何も言わずに優しく微笑んでいた。
「で、もちろん呪いを解く方法も予想がついていると?」
 シアは、何も言わずに優しく微笑んでいた。
 ニュートンは低く鋭く、
「……三つとも大丈夫でようございました」
「ごっめーん、ほとんどダメ!」
「あー、てめムカツク、死ね!!」
「でも呪いを解く方法なら、ちょっと予想ついてたり」
 次の瞬間、会場が閃光に包まれた。 
 導師の頭上を中心に黒雲の渦が吹き荒れる。
 ニュートンは飛ばされないよう、必死で主の肩にしがみついた。
 やがて、渦の中心から、何かが姿をあらわした。
 三つの頭の巨大な黒犬だった。
「……冥界の番犬……地獄の三頭犬ケルベロス!!」
 見物人から恐怖のざわめきが起こった。
「うっわ……これまた源導師級のもん召喚したわね……」
「空間が歪んでるせいですよ、どうすんですか!!」
「どうするの、どころではないだろうが!!」
 後ろから怒鳴り声がした。 
 シアとニュートンは、驚愕に顔を染めて振り向いた。
 そこには、顔をゲッソリとやつれさせた金髪の男が立っていた。
 シアを探し、あるいは近づこうと走りまわったのだろう。
「ラ、ライディール君……奇遇ね。散歩?」
「誰がだ!! 本来なら貴様をぶち殺すところだが……」
 ライディールはチラリとそびえたつ巨犬を見た。
「あの導師が先だ。呪術行使と公衆妖魔召喚の現行犯だ」
「あたしの処分は?」
「いきさつはそこで聞いた……不起訴にする」
「キャ! 話が分かるぅ!!」
 シアは素直に浮かれている。
「お前の話が、全て本当だとは思わなかったんだ……」
 声には、やや大げさな謝罪の色が混じっていた。
 ニュートンは首をひねったが、シアの声が耳に入った。
「気にしないわよ。じゃ協力して、あれを倒さなきゃね」
 三頭犬はゆっくりと降り立った。
 金髪の司法官はチラリとケルベロスを見た。
 建物二階分はある巨大さだ。
 目をギョロギョロさせて、黄色いヨダレを垂らしている。
 ニュートンはシアを見た。
「ご主人様」
「……………ニュートン」
「さっきの言葉を信じます。あんたならケルベロスくらい――」
「頭一つが大脳、中脳、小脳……すると間脳はどこに!?」
『じゃかましい!!』
「はいはい、じゃ――――イルクの方程式!!」
 白熱した火炎が、鉄のような外皮の三頭犬に襲いかかった。
 ニュートンはまぶしさにギュッと目を閉じた。
「うおおおぉ――――!!」
 薄目を開けると、ライディールが細身に合わない長剣をふりかざしてケルベロスに襲いかかるところだった。
 ガキン、と岩にぶつかるような音がした。
 ニュートンは目を見開いた。
 ケルベロスに全く傷はなかった。
 爆風の中、導師は三頭犬の下で狂ったように哄笑した。
「フハハハハハ!! 無駄だ無駄だ。おとなしく降参しろ!!」
「シア、降参して犬を追い返させてからズタボロにするか?」
「でも、あのアホは放っといたら何するか!」
「……それは私がお前に言いたいセリフでもあるんだが」
 ライディールとシアが低く語り合うのが聞こえた。
 ニュートンはすでに、近くのガレキに下ろされていた。
 導師がやせこけた体を限界までそらして哄笑するのが見える。
「この冥界の番人に貴様らのエセ火術や細剣が通じんわ!!」
 しばしニュートンは思考し、ガレキの上に伸びあがった。
「あの、ダムス導師! 実に単純な理論なんですがね」
「何だ、クズ弟子の子猫ちゃん?」
「主人より力のないあんたが召喚した妖魔を、主人が倒せない」
「おお! そうだとも!」
「だけども、あんたはあの妖魔を制御できるとおっしゃる?」
 シアもライディールも、ダムス導師も沈黙した。
 ケルベロスの三対の目が、ゆっくりと導師に向いた。
 ダムス導師はこびたような薄笑いを三頭犬に向け、
「え、ええと……そろそろ冥界でお昼寝の時間だぞ?」
 ケルベロスの巨大な足がブチッと導師を踏み潰した。
「あーらら」
 シアが嬉しそうに言った。
 導師は地面に何だかのびていた。
 死んではいないようだが、完全に気絶していた。
 人々は狂ったように走り、広場から逃げようとしていた。
「行くぞシア!! 民間人が避難する時間を稼げ!!」
 ライディールが雄々しく吠え、剣を振りかざして走った。
 しかし、ケルベロスにアッサリ前足ではたかれた。
「エゲンの公式! エアの方程式!!」
 シアが火炎を吐いた。しかし、魔力が尽きかけているのか、イカがスミをはいたようなはかないものだった。
 火はケルベロスを包むが、ブルンと体を振っただけで四方に散った。
 その火の粉がシアの顔に襲いかかった。
「ご主人!!」
 反射的にニュートンは、シアの前に跳んだ。
 小さな子猫には巨大な火の塊が、まともに直撃した。
「ニュートン!!」
 ――熱い……。
 ニュートンの体がガレキの上ではね、彼は意識を失った。
 

「ニュートン! 子猫ちゃん! 大丈夫!?」
 ニュートンは、ゆっくりと目を開けた。
 普通の子猫なら即死していただろう。
 全身が焼けるように痛い。
「シア……ケルベロスは? 勝ったんですか?」
 シアは首をふり、ニュートンの体を抱き上げた。
 立っているのはシアだけだった。
 和やかな広場は完全にガレキと化し、ライディールも含めた百人前後が倒れてうめいていた。
 空は赤黒く曇り、煙があちこちから昇っている。
 術師組合や司法所の兵も来たようだが、戦力にならなかったようだ。
「まだ死人は出てないみたいだけど……時間の問題ね」
「ご主人、冗談でしょ? あんたに限って……」
 シアは、悲しそうに首を振った。
 涙があふれ、戦闘で化粧の落ちた顔に一筋の美しい跡を残した。
「呪いのかかったあたしに、みんなを助ける力はないわ」
 ケルベロスが、唯一立っているシアにゆっくりと目を向けた。
「……マジですか?」
「マジ」
 ニュートンの心に、諦観のような何かが浮かび上がった。
「そうか……死ぬのか」
「呪いが解けなければね」
「は?」
 シアがニュートンにニッコリ――いや、ニタリと笑った。


 子猫は大きな手の中で無駄な抵抗をした。
「……ヒ、ヒィィ!! やめてぇ――!!」
「ウフフフフフ! 恐くないからね」
「てめぇ、メチャクチャ楽しそうじゃねえか!!」
「ものは試しよ。やっぱキスって乙女の憧れっていうかぁ!」
「ちょっと待て!!」
 ニュートンは、あわてて地面に倒れている司法官を指した。
「オウジサマなら、あれが適役でしょうが!!」
「ゆ、許してくれぇ!! オレには好きな人がぁ!!」
 ライディールは本気で怯えて腹ばいで逃げようとした。
「根性ナシのボケが!」
「彼じゃダメよ。一度やってるし」
 シアが冷たい声で言った。
 ニュートンの頭に一瞬、疑問符が出た。
「……待ってください? だって呪いをかけられたのは――」
 ケルベロスがうなり、ニュートンは違和感をはらった。
「ま、減るもんじゃないか。じ、じゃあ一度だけですよ」
 シアは得たりと笑って子猫に優しく微笑んだ。
「ねえ、聞いていい?」
「何です?」
「司法所を出てからオカマって言わなくなったけど、どうして?」
「正直に言えば意識的なんですが……」
 シアは続きを促した。  
「だって心は女のコ、でしょ?」
 ニュートンは、シアの瞳を見つめた。
「そうね。それから、ずっとずっと私を庇ってくれたわね」
 二人は、静かに唇を合わせた。 
 やわらかい閃光が、広場に走った。
 
「イルクの公式!!」
 力強い声に、いつのまにか気を失っていたニュートンは起きた。
「ご主人、まさかマジで呪いが――」
 光の中、飛び出る…………火炎球。
「解けてねぇじゃねぇか――――!!」
 しかし、ケルベロスは炎の直撃を受け、のけぞって倒れた。
 炎の威力は、今や数十倍に強化されている。
 火炎球は生きた弾丸のように打撃を与えた。
 広場に、人々の歓声が上がった。
「イルクの公式!!」
 火炎をケルベロスは叩き落そうとしたが、ボキッと前足が折れ、ひときわ高い悲鳴を上げた。巨体を宙に舞わせ、虚しい抵抗を試みる。
「ダイス・ユティスの定理!!」
 まさにドラゴン・ブレスが地獄の犬を包みこむ。
「もういっちょ、イルクの公式!!」
 花火のように炎が何十も炸裂し、轟音で空気がビリビリ揺れた。
 三つの頭はどれも燃え、焦げ、ただれて苦しそうだった。
 とどめに、甲高い絶叫が聞こえた。
「アガス・バルス・レプトケファルス・レプトレピス・オトキオン・ダルフィナス・カニス・パルス・レムナングス――――シアの方程式!!」
 爆弾級の猛烈な大火炎が上空で爆発した。
 広場は閃光と煙と轟音に包まれ、誰もが地面に伏せた。
 やがて、ゆっくり辺りが見えるようになったとき、ケルベロスはもはや立てる状態ではなく、ヨロヨロと地面に下りた。
 もうもうたる残煙の中、シアの高い声がした。
「ほら、もういいでしょう? 冥界に帰りなさい!!
 今日は誰も殺さなかったから見逃してあげるわ!」
 凶暴な妖魔の頭が三つとも――ほっとしたように――垂れた。
 その姿はウッスラとゆらぎ……完全に消えた。
 ガレキの広場は静けさに包まれ、夕方近い街に戻った。
 数百人の見物客、参加者、術士や兵士は沈黙した。
 ライディールがよろめきながら立ちあがり、簡潔に言った。
「はい、拍手」
 瞬間、怒号のような歓声が上がった。
 紙キレだの帽子だの花だのがドッと空に上げられた。
「『大会大会』の真の頂点、女装術士シア選手――!!」
 司会は狂ったように繰り返した。
 誰もが熱狂的に叫びながら、女装の術士を探した。
 しかし、なぜか見当たらない。
 ニュートンもかたわらの若い女性にあわてて、
「あ、お嬢さん」
「どうしたの、子猫ちゃん?」
「あんた、私の主人を知りません? 女装のシア術士です!!」
「ああ、ここよ?」
 その声が、広場やけにハッキリ響いた。
「え…………?」
 ニュートンだけではない。
 司会者も、審査員も観客も参加者も、ポカンと口を開けた。
 ライディールだけがうなずいていた。
 さっきまで女装の男が立っていた場所。
 そこにいたのは、一人の少女だった。
 長いまつげの下の大きな紅の瞳は、水底の宝石のように揺れ、強い意志の光を放っている。
 肌は輝くように白く、もちろんヒゲは痕跡もない。
 紅の似合う唇、桃の花のような頬、愛らしい笑顔。
 女性術士服の似合うたおやかな体つき、細い手足、そして控えめだが間違いなく本物の胸。
 シアはニッコリと笑い、子猫を抱き上げた。
「ありがとう、あたしの小さな王子様!」
 もう一度ニュートンに口づけた。 
 ニュートンはシアを見つめた。
「ご……ご主人…様? つまり、導師にかけられてたのは……」
「ええ、あのアホ導師、呪いだけはいくつも知ってるの」
「…………でも、女なら女と、何で最初っから……」
「だから何度も言ったじゃない『心は女』だって」
「具体的に説明しやがれ、このカス野郎――!!」
「だからあたし、野郎じゃなくて女よぉ!」
 絶叫は、歓声とシアを取り囲む人に埋まり、聞こえなくなった。
 

 ……肩に乗っているだけでも旅の道はキツイ。
 ニュートンは低くため息をついた。
 首のスズがチリンと鳴り、ますますユウウツにさせる。
 シアは、男のときと変わらないニヤニヤ笑いで手元を見ている。
「……てめぇ、何見てやがる小娘」
「ふふふふふ……苦労して手に入れたチケットぉ!!」
 シアは得意そうにチケットをひけらかした。
『南海大決戦! 魔神グレートイカラー様・激突ヒル魔人!!』
「中身は変わってねぇんだよな、こいつ……」
 つまり、導師が手を出そうとしたのは少女のシアだった。
 導師は痛い仕返しをされた逆恨みに、男性化の呪いをかけた。
 シアはそれを治そうと自家製魔法の研究に心血注いだが、司法所でライディール相手に解呪がハデに失敗して、もはや呪いをかけられたと言っても誰にも信用されなくなった。
 かと言って導師に頭を下げたくもない。
 仕方なく女装の生活に甘んじているところに第二の呪いをかけられ、彼女なりにブチ切れたようだった。
 そしてあの後、シアはちょっとした英雄だった。
 ライディールも導師を逮捕して名誉回復した。
 しかし、導師は火を吹く方の解呪法は知らないとのことだった。
 シアは導師をタコ殴りにし、街の人々のせんべつを受けるだけ受けて旅立った。
 状況から言ってシアにも被害の百パーセント責任がないわけではないが、ライディールが、ウヤムヤにしてくれた。
 シアに優勝金を修復代に返還させた見かえりでもあるが、かつての恋人が分からなかった罪悪感もあったのだろう。
「うふふふふふふ……イカラー様! 今年も勝つわよね!!」
「…………おい、ご主人様」
 今、ニュートンに一つの不安があった。
「なぁに? うふふふふふふ……」
「あんた、実はまだ余計に呪いがかかってないですか?
 呪いが解けたら、本当はひかえめで清楚可憐な性格だとか」
「やあね。そんな呪いにかかってるわけないでしょう?
 人間一つくらい欠点があった方が親しみやすいわよ?」
「ざけんな、こらぁ!!」
「きゃ! ニュートンきれちゃダメ!!」
 しかし、怒るニュートンの胸にフッと冷や水がさす。
 ――でもこいつ、まだ呪いがあるのは否定しなかったよな……。
 恨みを買いやすい性格だ。
 もしかして、本当にまだいくつか呪いにかかってるのだろうか。
 ニュートンは考えるのを止めた。
 ――ま、別に何だろうと変わんねぇか。コイツはコイツだ。
 とんでもない怪獣になろうとチケットをにぎりしめてニヤニヤしているのが見える気がする。
 ニュートンはあくびをして主人の肩にうずくまった。
 そしてこれから行く旅人の道を、のんびりと考えていた。















あとがき

 どうもお疲れさまでした。青木梨です。
 質向上のため、みなさまのアドバイス(ツッコミと同義)がいただけたら嬉しいです。
 書き手が特に気になるところは、矛盾点がないか、ちゃんとまとまってるか、長くないか。あと、ああいう性格の主人公二人が嫌われないか、ついでにシアの正体に関して途中でバレてやしないか……です。
 それでは、読んでいただきありがとうございました!