ステラ 〜宇宙(そら)に見る夢〜 後編
企画発案:tsukikasa
作:ASD、草渡てぃあら、と〜みん、tsukikasa、きぁ(執筆順)





第九話(作:草渡てぃあら)

 すべてを埋め尽くすような暗闇の中、サイファの気配は音もなく消えていった。サイファ本人に自覚があったのかさえ分からないような、実にあっけない消え方だった。僕の腕を力強く引っ張っていた者は、たった今、跡形もなくその存在を消滅させたのだ。
 僕をひとり残して。
 僕はゆっくりと目を閉じる。闇の種類が変化した。僕を包んでいた暗黒の世界は一瞬にして閉ざされ、かわりに僕自身の闇が視界に広がっていく。疲れを感じていた。
 僕にはもう何も見えない。目を開けても閉じても。
 何をどうしたらいいか――わずかだがヒントはある。夜空に散りばめられた微光を集め星座を見つけるように、それらについて考えるべきだと頭では理解していたが、身体が、心がそれを拒否していた。
 いいじゃないか、と心がささやく。焦る理由はどこにもない。どうせ僕はまたひとりぼっちになったのだ。誰とも関わらず、この場所に好きなだけいればいい。
(……ひとり?)
 その感覚に違和感を覚え、僕は思わず瞳を開く。目の前には相変わらず漆黒の空間が広がっている。ふいに闇が大きく揺れた。
「……!」
「まさかこの僕を、この世界に呼び出すなんてね……さすがだと褒めてあげたい気分だよ」
「……誰だ?」
「僕が誰かだって?」
 おどけたような声は妙な間隔で響き、距離が上手く掴めない。僕はゆっくりと息を飲んだ。その質問に答えるのは難しいな、とその声は言う。
「自分の存在を明確に説明出来るほどこの世界は甘くないし、僕は己の力を過信するつもりはない。ただ君の情熱に敬意を表していくつかの事実を伝えにきたんだ」
 情熱、と僕は乾いた喉の奥で反芻した。僕が今抱える心理状態からいって、その言葉はひどく見当違いに思えた。
「いいか? 僕を理解しようと思うな。ただ受け入れろ。それだけでいい」
 暗闇全体から聞こえていたその声が、やがて一点に集中していくのが分かった。背後でふいに視線が生まれ、僕はひとつ息をついてからそっと振り返る。そこには。

 僕がいた。

 肉体という物質が留まる世界を【現実】と呼ぶのならば、と彼は先手を取るようにいきなり切り出してきた。間の抜けた挨拶なんか絶対するなよ、といいたそうな顔だ。その様子はまるで、僕と向き合うことに対して羞恥を抱いているようにも見える。
「君にとっての現実は、地球と月の重力均衡点に位置するスペースコロニー「ステラ」内部に建設された都市にある」
「ステラ……」
 それは確かに聞き覚えのある名前だった。
「そこでは長期宇宙旅行に向けた人工冬眠の実験が行われていたが、数週間前にあるトラブルが起こった。実験の被験者に志願した三人の少年少女が冬眠から目覚めなくなってしまったんだ」
 それが誰かはわかるよな、と彼が言い、僕の脳裏にアルケミーとサイファの顔が交互に浮かんで消えた。
「性別も違う、育った環境や志願した理由も異なる三人の共通点はひとつ。一般的に思春期と呼ばれる年頃の人間だということだ。実験者達はやがて、君達がそれぞれに持っている他愛もないトラウマが、思春期独特の心的歪みに影響して今回のアクシデントに繋がった、という結論に達したんだ。しかし、どれだけ高度な催眠療法を以ってしても、君達の意識が戻ることはなかった。人工冬眠はただの睡眠とは異なる。それは肉体だけでなく、精神にとっても限りなく死に近い眠り≠セった。そこで実験の責任者である博士は、君達をそれぞれの協力者として出会わせることを思いついた。その試みは、催眠療法を使って共通の情報を注意深く流し込み、それぞれの中にお互いを存在を認識させることから始まった」
「……そんなこと……」
 不可能だ、と僕は掠れた声で呟いた。異なる三つの精神を、肉体を使わずに出会わせるなんてあり得ない。そんなことをしても、それぞれが勝手に創造した精神世界が増えるだけじゃないのか。
「しかし博士は成功した。いや、君達が成功させたと言ってもいい。前例がないからはっきりとは言えないが、恐らく現実でのお互いの記憶が思わぬ手助けをしてくれたらしい。君達の意識は幾度かの変化を経て結びつき、脳波はお互いの動きに合わせて動くようになった」
 あとは簡単なことだ、と彼は続ける。
「君達の眠れる意識が集った世界。そこに現実への目覚めを誘発させる罠をしかけるだけだ。催眠療法で接触してきた第三者の呼びかけにまったく反応しなかった君達だったが、お互いの存在には無関係でいられなかったらしいね。やがて君達は、決してひとりでは解く勇気のなかった心の問題を解決していった。それこそが意識の目覚めだ」
 僕は黙ったまま、彼の話を聞いていた。確かに彼の話には納得は出来る点が多い。今まで曖昧だった僕の記憶は、少しずつ【現実】と結びつき始めている。しかし心のどこかで、彼の話を信じることに強い不安を感じているのも事実だ。僕の中には大きな疑問が残されていた。
「何故君が、そんなことを話す? これも博士の意思なのか?」
 僕の質問に彼はあきれたように大きく首を振った。
「違うよ、まったく。最初に言っただろう? 君が僕をこの世界へ引っ張りだした。僕は――君側の言葉を借りて言うならば――無意識の住人だ。今、僕が語ったすべては、眠ったままの君自身が博士の言葉を聞いて理解した【現実】なんだ」
「……」
 さて今度は、と彼は僕の瞳を覗き込む。
「僕が質問したいね」
「質問?」
「どうして君だけがいつまでも【現実】を拒否している? そして拒否しながらも、何故現実を無視できないでいるんだ? 実際、この僕をわざわざ出現させてまで今の君は【現実】を知りたがっている。それは、目覚めることから逃げているという言葉では到底説明の付かないほどの情熱だ」
 情熱、という言葉が再び僕の中で響く。確かに僕は、この不可思議な世界と現実の狭間で揺らめく、奇妙な存在に違いなかった。





第十話(作:と〜みん)

 彼女は目覚めた。遠くどこかで鳴っていた電子音がピコンピコンと鼓膜を震わせ始める。
「あっ」
 声を発しようとして喉がかれているのが分かる。ゆっくりと目の前の白い帳が開く。目に飛び込んでくるのは髭を生やした大きな顔。
「アイリス」
 アイリス。そう、自分の名前だ。そう思える。アルケミー、その名前も知的で好きな響きだったけれど、やはり夢の中で与えられた名前だったのだろう。彼女、アイリスは思い出す。場所はスペースコロニー「ステラ」の内部、都市からは隔離された場所にある研究施設で人工冬眠の実験を受けていたのだった。
 大きな胸に抱きしめられて、安堵感でいっぱいになる。夢の中ではほとんど思い出すことのできなかった、でもちゃんと存在は覚えていた父親だ。この研究所の博士をしている。
「パパ」
「アイリス。よく戻ってきた」
 低い声が震えていた。
「どうして、泣くの?」
「お前が寝坊するからだよ。さあ、顔を良く見せてくれ」
「寝坊……」
「いや、不謹慎だったな。冬眠から目覚めを促した際に、脳波に異常が生じて目覚めなかったんだ」
「それは、他にも?」
 アイリスの父は難しい顔をして、黙り込んだ。
「彼らに会ったかい?」
「彼ら……。ええ、二人の男の子に会ったわ。夢の中で。どういうことなの?」
「人間の体、機能については医学の発展によってほとんどが分かるようになった。しかし、精神の領域には未だ未解決な部分があるのだろうな」
「パパ?」
 かすれる声でアイリスは、問いただす。その様子を見ていたのか、白衣の若い人が水を汲んできてくれた。こくりと飲み込む。水が喉に染み渡るのを感じた。どれくらいの間眠っていたのだろう。
「人工冬眠によって、アイリスと他の少年二人の脳波が定常波をしめすようになったんだ。同じ周期で同じ場所を揺れる動かない波。夢の中で同じことを考えつづけて一向に覚醒へと向かわない思考だ」
「それで……思考に関渉したというの?」
「ああ。思考というよりも、脳波自体と言ったほうが正確かな。お前達の脳波は異常だった。何の影響がそうさせたのかは分からない。だが、思春期の脳波はもともと揺らぎの大きなものだからね、長い沈黙に耐えられなかったのかもしれない」
「どうしたの?」
 アイリスの声が大きくなる。何が不安なのだろう。戻ってきたということは、そう、結局上手く行ったということなのに。
「自分を認識するためには、他者の存在を認識することから始まる。だからといって、オリジナルで作った波動を脳波に対応させるのは、危険だ。そこで行ったのは三人の脳波を解析し上手く節をあわせることで、閉じてしまった互いの精神を干渉させるという方法だった。お前が戻ってきたということは、それが功を奏したということだろう」
 もちろん、これから脳波の波形を解析し、具体的な精神の変化について研究することになるだろうがと自慢げに付け加える。
「後の二人は?」
「ああ、そうだったな。脳波が動き始めているから、そろそろ……」
「パパ」
 アイリスの声は震える。
「博士、こちらの脳波も進みはじめました! 覚醒します」
 喜々とした声が響いて、父親は立ち上がる。そうして、別のカプセルの方に向かうのだ。アイリスはその父親の背に小さくつぶやいた。
「先に出てきてよかったのかしら?」
 夢の中、自信満々で前へと進み、飛び出してきた。追い出されると考えたけれど、実のところ早く戻りたかったのは自分なのかもしれない。
 影響を及ぼしあった三つの波、一つが抜けて、またもう一つ抜ける。残された一つは、ちゃんと残っているのかしら。一人の人の心として……。
 脳波への直接介入。考えただけでも恐ろしいのに、この人たちは怖くなかったのだろうか。
「私は、私。元に戻っただけ、だよね」
 少女、アイリスは真っ直ぐな黒い髪を揺らして自分の体を抱きしめる。白いワンピース、夢の中で着ていたのと同じやわらかな布の感触だった。




第十一話(作:きぁ)

 【現実】。
 僕だと名乗った彼が言った、僕が拒否しているという世界。

 最初に、あの白い部屋をサイコロのようだと言ったのは、誰だった?
 最初に、あの部屋の先に進んで、助けようと言ったのは、誰だった?
 彼らの見ていたものが、思春期という不安定な精神が創り出した、心的歪み?

 彼らの出した結論。
 そこには神様の用意したダイスも、血塗れの友人も、なかった。
 全ては【欺瞞】だと。


 けれど、欺瞞ならば、その対極にあるものを――、【真実】を思い出したの?
 否、そうじゃない。
 それなのに、彼女が、彼が、目覚めたのだとするならば、そこにある【矛盾】を、どう埋めたらいい?

 【正しさ】を司る彼女。
 【力】を司る彼。
 そう知っている僕は、【揺らぎ】を司る者。

 揺らぎ。
 そう、世界は全て、揺らいでしまった。
 僕らが信じていたものは全て、揺らいでしまった。

 【矛盾】を見出したなら、この世界は輪郭を失う。
 そして、現実が――【真実】が目を覚ます。


 満天の星空。
 ……ああ、そうだ。
 あれは僕が、「ステラ」に来る以前の話。
 最後の晩に見上げた星空。
 いつかきっと、あそこに行くんだ――僕の心にはそれしかなかった。


 彼女は、【正しさ】をずっと探していた。
 じっと十字架を見つめて、答えを探していた。
「設問四、『神様のダイス』。以下に定義される空間的特性を持った立方体の展開図の底面を持つ部屋は空間として物理的に成り立つか答えよ……」
 たったひとつ、見付からなかった答え。

 彼は、【力】をずっと求めていた。
 あの日、あの部屋で――、僕らは金属を立派な彫刻へと変えようとしていた。
「大丈夫だよ、サイファ。だって僕父さんが使うとこ見てたもの」
 たったひとり、救えなかった友達。

 そうだ、全ての【真実】を【欺瞞】へと変えたのは――。


「……僕、は……」
「ん?」
 僕の変化に気付いて、目の前の「僕」が訝しげに僕を見る。
 どうして気付かなかったんだろう。
 僕はその行為に何の意味もない事を知りながら、それでも、震えるこの手を止める事が出来ない。
「……僕は……、僕は、僕は……」
「!」
 間違っている。分かっていたんだ。
 じっと手を見つめる。そこにはすぐに、白い錠剤が溢れ出した。
 ここは、【現実】ではない世界――全てが【欺瞞】で出来た世界。
 けれど、これだけは【真実】。
「……僕は、これ以上、ふたりが【現実】に苦しめられるのを、見ていたくなかったんだ……」


 あの日、僕はあの満天の星空の下で、彼女と、果てしない宇宙を見つめていた。
 彼女は、僕の手に握られた十字架を睨むように見つめ、言った。
「あの問題は、一体、どんな答えを待っていたのかしら?」、と。

 あの日、あの草原からの帰り道、ぼろぼろと、普段の気丈さが嘘のように涙を流しながら、彼は走っていた。
 彼は、僕の首に掲げられた十字架に縋るように、懺悔した。
「ダチを見捨てて逃げて来た、俺は最悪だ」、と。


 必死で訴えて、両親を説得し、大枚をはたいてもらって、やっとの思いで受けた手術。
 それなのに――。
 手術が成功しても、僕は、スペースコロニー「ステラ」への渡航を許可されなかった。

 胸に残された縫合の傷。
 それは、屍を掲げた十字架にも、見えなかったかい……?


「僕はこの場所で一度死んだんだ」
 同じ台詞を繰り返し、僕はあの時と同じように、薬を飲み込む。
 そう、僕は死んだ。
 飲み慣れた薬が、分量を誤ればひとを殺める事くらい、勿論知っていた。
「僕を否定するのか?」
 目の前の「僕」が、愕然とした表情を浮かべて、譫言のように呟いた。
 僕はゆっくり首を振る。
「ううん、その逆だよ。感謝してるんだ……、イルキニーに」
「『イルキニー』?何だい、その変な名前」
「そう……、変な、名前だよ。でも、僕の…、名前なんだ……」
 そう、信じてもいい?……アルケミー。
 【アルケミー】が人類最初の科学者だったと教えてくれた君。
 宇宙に羽ばたけない僕の代わりに、父親である博士に頼み込み、分からない試験を誤魔化してまで、僕の分も宇宙を見てくる、そう言ってくれた君。
 【正しさ】を何よりも崇拝する君が、与えてくれた【欺瞞】の名前。

 視界がブラックアウトしてゆく。
 最後に見たのは、悔しそうに唇を噛む、【僕】の姿。
「博士に、何て言えばいいんだ?折角の実験が台無しじゃないか……」
「……好きに、言えばいいよ……、君が言ったんだ、『3人の少年少女が』目覚めなくなった、とね……、僕は……、対象外、【4人目】なんだから……」

 死んだはずの僕の心を、遥かなスペースコロニーに呼んだくれたのは、君達だった。
 それが、冷凍睡眠という夢の中だって構わない。
 残酷な【真実】を、僕が全て取り除いてあげよう。
 【揺らぎ】から君達が目覚めたら――、それが【欺瞞】だったのだと、思えるように。


 そして、満天の星空が目の前に広がる。
 星の降るような夜空、とはよく言ったもので、草むらにごろりと寝転がった僕の視界に映るのは、真っ暗な夜空を背景に、競うようにきらびやかに輝く星々……ただそれだけだった。

 僕は手を伸ばした。
 あのどれかひとつに、僕の【真実】が眠っていて、きっと今頃、幸福な目覚めを――。




最終話(作:tsukikasa)

「……あなた誰?」
 アイリスは、少年を目にするなりその一声を発していた。
 アイリスと意識を取り戻した二人目の少年――クロードとの面会が許されたのは、二人が目覚めてから1日が経過した正午過ぎだった。二人とも様態は健康そのものだったが綿密な検査を余儀なくされ先日はとうとう解放されなかったのだ。
 目を覚ますのはイルキニーかサイファか、どちらかに該当する少年だろうと思い込んでいたアイリスは少なからず動揺していた。
 始めから一目でどちらか確認できると思っていたわけではない。夢の中で二人の顔は何度も見ているはずなのに、鮮明な顔の輪郭を思い出す事はできなかったからだ。
 しかし、ベッドに半身を起こしている少年はそのどちらとも明らかに雰囲気が違っていた。……鳶色の柔らかい癖毛と細い目、柔和な表情をしたどこかネコ科の動物を思わせる少年。
「イルキニー、サイファ。どちらとも言えるし、どちらとも言えないよ。自分でも不思議だけど僕は僕だ。あの夢の登場人物は確かに僕らの分身ではあるけど現実にはいないんだから。……君もアルケミーと違う部分はいくつもあるんだろ?」
 アイリスは反論しない。
「夢の中では視点が曖昧なことってないかな。あるときは客観的に見ていたり、自分の分身になる対象がいつのまにか入れ替わっていたり。それと同じで、僕も自分がイルキニーなのかサイファなのか厳密な意識は持っていなかったんだ。……きっと、3人の中にそれぞれ3人がいたんだと思う。もちろんあの中に女の子は一人しかいなかったんだから君がアルケミーに特別に移入したって少しも不思議じゃないけれどね」
「ある程度覚悟はしてたけれど、思った以上に現実との関係は複雑ね……」
 少しだけ落胆の色を見せてアイリスが溜め息を零す。
「夢は記憶を元にしてできるけど現実の投影ではないからね」
「あ、それはどこかで聞いた事あるかも……詳しく知ってるわけじゃないけど」
「人間は睡眠によって大脳皮質に休息を与える。これによって情報を論理的に統合・判断する機能も同時に休息してしまう。でも、その間も海馬では記憶を整理するために、情報を記憶から取り出しては無差別に組み合せるという事を繰り返している。……これが支離滅裂な、夢の元。ところで人間の無意識には元々、非合理な事が起きた時に都合のいいように情報を捏造・歪曲して補完する機能があるんだ。自分の自我を保つための一種の防衛本能としてね。人が普段認識してる世界すら脳内で補完・加工されている。この補完は言わば、無意識による強力な思い込みだからほとんどの場合気付く事もないけどね。この脳による欺瞞の1番分かりやすい例が『錯覚』さ。現実が脳によって作為的に抽象化されているという事が誰でも実証できる。実際には書かれていない線が見えたり、同じ長さの線の縮尺が違ったり、ね。……エッシャーの騙し絵が騙し絵として成立するのは、二次元に過ぎない情報を脳が勝手に補完して立体視しようとするからだ」
「なんだか難しい話になってきたけど……とりあえず、エッシャーのファンがあなたなのは分かったわ」
 クロードは指摘されると一瞬少し照れ臭そうな表情を見せた。
「否定はしないよ。話を戻すとこの脳の勝手な補完機能は、脳の働きが正常じゃなくなるほどより健著になるんだ。その結果……」
「細部に整合性がないのに、一貫した世界として成立しているかのように錯覚する夢を見る、という訳ね」
「そう、その通り。……僕らの場合はかなり覚醒時に近い脳の働きをしたまま眠っていたとは思うけどね。確かに夢らしく矛盾と継ぎ接ぎだらけだったけれど、あれだけ長い間論理的に思考していたんだから。混在した3人分の記憶を一つの情報の集合として処理しようとしたから、あの世界がでっち上げられた……とも言えるかも知れないけど」
「ねぇ、その事なんだけど……もう一人、まだ目覚めないの。ジェイっていう名前の男の子。あなたが目覚めれば何か分かるかもと思ったんだけど……」
「彼の事は聞いたよ。……そもそもどうして僕達は目覚める事が出来たのか、自分なりに考えてみたんだ。もちろん睡眠装置の機械的な欠陥なんて専門的な事は分からないし、三人の意識を共有させる試みがきっかけになったのは間違いないと思う。でも、目覚めた僕達と目覚めないジェイの違いを考えるなら……やっぱり鍵はあの夢なんだと思う」
「どういう事?」
「僕等はあの世界から出るために謎解きに熱中した。実際に謎を解けば解放されると勝手に信じ込んでいたし……解いたと思いこむ事によってその暗示で目覚めたのかもしれない。お互いに情報を出し合えたのが良かったのか運が良かっただけかは分からないけれど。でも、元はと言えば三人分の記憶が混在した成立するはずのない世界なんだ……そこに一人で取り残されてしまったら……」
「解けない謎はいつまでも残る……つまり、彼はもう……目覚めない?」
 聞き返す声が震えていた。
「そこまでは言わないけどね……。それに、もしかしたら僕らにしかできない方法が一つだけあるかもしれない」
「え!?」
 アイリスから思わず驚きと期待に満ちた声が漏れる。
「暗示には暗示……とでも言うのかな。確証のない話で申し訳ないけど」
 クロードはそこで少し逡巡した後、語り出す。
「『自分の名前を呼ばれる事』を特別に認識する部位が脳にはあるんだ。それこそ前世紀から知られてる事なんだけどね。実際、植物状態の人間が家族や親類の呼びかけに突然反応して意識を回復したなんて事例は数多くある」
「でも、ジェイにだってあらゆる呼びかけは試したはずよ」
「ここでまたあの夢の話に戻るんだけど……ねぇ、あの世界で呼ばれるべき名前は実は4つあったんじゃないかな? ……そして、アルケミーとイルキニーが出会ったとき初めからお互いに名前を知っていたように……僕らはその名前を知っている」
 そう言ってクロードは悪戯を思いついた子供のように微笑んだ。その表情はやはりどこかネコ科の動物を思わせた。



 ジェイ――三人目の少年は医療機器の中に埋もれるようにベッドに横たわっていた。アイリスとクロードはそれぞれベッドの両側に佇み、ジェイの寝顔を確認する。短い黒髪に、精悍な印象の顔立ちをした少年だった。
「もし起きたら……訊きたい事がいっぱいあるわね」
「そうだね」
 二人はお互いに目配せをしたあと、ジェイの耳元で同時にその名前を口にする。その名前はなんだか自分達だけが知っている合言葉のような不思議な響きを持っていた。
 そして、二人とも微かな期待に縋るように、息を詰めてジェイの反応を待った。……だが、ジェイの様子に変化は見られない。背筋の冷たくなるような沈黙だけがじわじわと部屋の空気を圧迫していく。
「ちょっと……いいかげん起きなさいよ」
 その沈黙を破ったのはアイリスの震える声だった。
「確かに……一人で先に抜け出してきたのは悪かったけどさ、あなたがいつまでも目を覚まさなきゃ謝る事だってできないじゃない!」
アイリスの目に涙が滲んでいた。アイリスはなおも必死の呼び掛けを止めず、ジェイの肩を掴んでその身体を揺さぶり始める。
「起きてよ! ねぇ……、“ゲーム”はもう終わったのよ! だから……」
「アイリス! やめなさい!」
 それまで部屋の外に居たアイリスの父親と研究員が騒ぎに気付いて慌てて彼女を止めに入る。
「ジェイ……これだけ言われて言われっぱなしにしておくのか?」
 クロードが、ジェイの力ない手を握り締めながら呟く。
 その時、唐突にそれまで無反応だったジェイの顔の筋肉が、引きつるように一瞬だけ痙攣したように見えた。
「ねぇ、今!」
 アイリスの声が興奮しているのが分かる。
「まさか……」
 アイリスの父親が、慌てて機器の表示を確認する。そして、喜びに震えた声で続けた。
「……ああ、信じられない。脳波が正常な状態に……」
 クロードとアイリスが思わずお互いに顔を見合わせる。その表情には言葉にならない驚きと歓喜がありありと浮かんでいた。
 そして、皆が息を呑んで見守る中、ゆっくりとジェイは口を開いた。
「う……なんだか……、大声を出されながら思いきり揺さぶられたみたいに頭がガンガンするんだけど……これって何かの後遺症か?」



「結局、私たちが体験したものは何だったのかしら? ……煎じ詰めれば脳が作り出したただの夢?」
 3人が再び集まる機会を得たのは事件から一週間後、それぞれの身辺もようやく落ち着き始めた頃だった。お互いの無事を改めて喜び合い、親近感も手伝って他愛もない話を幾つもした。……そして分かれる間際の帰り道、アイリスは今まであえて触れなかった核心の質問を改めて口にした。
「そう言えば、こういう話があったな」
 ジェイが少し冗談めかして、大仰に語り始める。
「“大昔人間は一つの言葉によって意志を通じていた。大いに栄えた人々は王の命令で頂が天まで届く巨大な塔を建造する。しかし、その所業に怒りを覚えた神は人々の言葉を乱してしまう。それから言葉の通じなくなった人間は散逸し、争いが尽きる事はなくなった……”」
「旧約聖書に出てくるバベルの搭の話ね」
「ここで言われてる『言葉』は当然、俺達が今使ってる言語とは全く異なるものだ。根本的な意思の疎通ができて、争いが存在しなかったって言うんだからな」
「つまり、人間は元々意識を共有するようなコミュニケーションが出来たのかもしれないって話? ……僕らがした様に」
 クロードが聞き返す。
「その話だと、地球にとっての遥かな天――月との均衡点に建造されたこのコロニーはまさに神の領域に聳えるバベルの塔ってわけね……」
「まぁ、宇宙進出で新人類が誕生するなんて昔のコミックのようなストーリーを真面目に言うつもりはないけどな」
 アイリスの言葉に水を差すように言って、ジェイは意地悪く笑ってみせた。
「自分から言い出したくせに……」
 それまで真面目に話に耳を傾けてたアイリスが頬を膨らませる。
「神様云々は置いといたとしてもさ……言いかえれば僕らは、リレーのようにそれぞれの頭の中で物語を紡いだんだ。そりゃ、話の分からない所を上げればきりがないけど……、あの世界での一つ一つの物事に本物の記憶や経験の裏付けがあって、僕らは確かにその一つ一つに感情を動かされた。それは確かなことだろ? ……これってどんな物語も及びもつかない凄い体験だと思う」
「そうね、私一生忘れないかも」
「二度はごめんだけどな」
 悪態を尽きながらジェイの表情もまんざらではないようだった。
「そう言えば、アイリスの親父さんは……」
「うん、ニュースでも知ってると思うけど、プロジェクトは解体……これから本格的な責任の追及は逃れられないでしょうね。でもお父さん、今は無理でもいつか研究を完成させるのは諦めてないみたい。……私達を危険に晒してしまった事だけはまだ悔やんでるけどね」
「そっか……」
「ま、とりあえずは一段落か」
 ジェイが言いながらいかにも力が抜けたように一息つく。
「ちょっと待った。一段落……の前に、ジェイには話して貰いたい事がまだ残ってるよ」
「そうよね〜、私達がいなくなったあとの事についてほとんど話してくれてないし。結局3番目の謎がどうなったのかも、ね」
 突然の質問攻めにジェイが少しだけ戸惑いを見せる。
「そんな風に問い詰められたって、俺だって頭の中整理ついてる訳じゃないし……正直答えに困るのが本音だな。ただ……、パズルの答えは分からなくても、このピースがどこから紛れ込んだのかは皆分かってるだろ」
「まぁ……」
「確かに……ね」
 会話に夢中になってる間に、いつのまにか区画は夜の時間になっていた。太陽光を収拾するミラーからの光は完全に絞られ、辺りには補助照明の明かりだけがぽつぽつと灯っている。
 そしてコロニーの空、採光用の窓の向こうには……いつかと同じように、満天の星空が広がっていた。


-Fin-















あとがき (by tsukikasa)

 企画の発案者ということで代表してあとがきを書かせてもらいますが、思えば随分無責任な発案をしたものです(笑)
 俺がリレー小説で何がやりたかったかと言うと、執筆者同士の掛け合い。特に、誰かが突飛な展開を提示して、それをさらに他の執筆者が予想しなかった展開で返すようなやりとりができたら楽しいだろうという思いがありました。
 しかし当然ですがそういったどんでん返しはある程度地に足のついた状態でこそ有効なものであって、今回のリレーのように終始どこが足場かも分からない状態(言葉通りですね)の中で新設定を連発しても、物語がどんどん迷走してくだけな訳です(笑)
 正直言えば、実力のある参加者だけにメンバーを固定すればそうそう頓挫する事もないだろうという思惑がありましたが(そして、そういう人達が自分の無茶な要求にどういう風に応えてくれるか楽しもうという魂胆もありましたが)自分の番が来るまでにはリレー小説の真の恐ろしさを痛感するはめになりました。
 イレギュラーを楽しむとは言っても、皆予想の遥か上を行き過ぎです(笑)
 今更ながら、強引な展開もあったとは言えよく完結したなぁと思います。

 ともかく、夢を題材にしているだけでなく読んでいて夢を見ている独特の感覚を想起させるこの不思議な作品に、目にして頂いた皆さんが何か感じるものがあれば執筆者の一人として幸いに思います。

(2006.3.9)