魔法石店カニア・ファナ&ルスト 第1話
作:青木梨





第一話『恐怖のお仕事……つーか副店長』


 ――あつい……。  
 それがファナの思考の全てだった。
 汗が全身を滝のように流れ、吐く息も熱風のようだ。
 口に入れている呼吸石だけが、新鮮な空気を送ってくれる。
 ――……何でこんなとこいるんだろ……。 
 頭部を額までスッポリ覆うのは防災帽。手には手袋。他は薄シャツ、幅広のズボン、それに頑丈な厚手のクツ。
 どう見ても、どこかの重労働関係者。
 少なくとも十七の術士の少女の服装ではない。
 周りに誰もいないので、いっそシャツもズボンも脱いでしまいたかったが、腕を曲げても頭を上げても、すぐ岩壁をこする。
 その坑道は、ファナが仕事が出来る最小限に掘られたのだ。
 狭い、暗い、暑い。
 出たい、出たい、出たい……。
 しかし、仕事を終わらせなければならない。
 ファナは岩石ハンマーをふるった。
 岩の表面がガリッと欠けただけだった。
 防具の光石が、岩の切羽面をうつした。
 そこにキラリと光るものが見えた。
 ファナの疲れきった体に、希望の光がともる。
 どうにか最後の岩まで掘り出せたようだ。
 あとは『原石』を取るだけ。
 ファナは必死で汗をぬぐい、腰の水筒に触れた。
 とっくに空になっている。
 脱力したが、仕事が終わればまた水が飲めるだろう。
 緑のきらめく光の世界に出ることを許されるのだ!
 ファナは、防災帽を顔全体に引き下ろした。
 息苦しさ倍増だが、安全第一である。
「……リティス・エオマニス…エゲン……バリス……」
 切れ切れに、ゆっくり術式を唱えた。
 狭い場所の魔術は危険を伴う。
 むろん落盤時の救援人員も待機しているが、最後は自分の力だ。
「テラス・フガス・イルク…………シアンの方程式!!」
 蛍光色の火花が狭い坑道に散った。
 ファナは目を覆ってしばらく待った。
 ……!
 目を開けると、拳一つ分の岩がファナの前に落ちていた。
 堆積岩の石基の間にキラリと光る――。
「やったぁ!」
 透明な青の、魔法原石!
 初めて魔獣を倒したときも、こんな爽快感はなかった。
 ファナは帽子を脱ぎ、ガシッと岩をつかむと、疲れも膝がすりきれるのも構わず、全力で熱気の道をはい戻った。
 風が徐々に清浄になっていく。
 緑の匂いが吹きつけた。
 坑道が広くなり、もう頭を上げても大丈夫だ。
 ファナはさらに速度を上げ……ついに外に出た。
 痛んでいた腰を精一杯のばした。
 ここ数日で痩せたが、元気な輝くような黒髪の少女。
 美しい、深い緑の瞳をうるませて空をあおいだ。
 半日ぶりの太陽の光が目に入った。
 緑の草、吹きぬける風、清浄な荒野の空気が肺を満たす。
 達成感と解放感に、ファナは原石を持って飛びあがった。 
「戻ったよ――!!」
 すると、外で待機していた仲間の声がした。
「初仕事おめでとう、ファナ!!」  
「がんばったのう。ファナちゃん」
 まぶしくて見えないが、称賛の声は心地いい。
 が、手にした魔法原石はバッと取られた。
 光になれたファナは、ムッとしてその相手を見た。
 瞬間、膨らんでいた高揚感がしぼんでいく。
 白い髪に青い服。整った顔立ちの青年がいた。
 全身から、ファナを怖気づかせる冷気を放っている。
 彼は、無表情に小さな小さな原石を見ていた。
「あの、副店長。終わったん、ですが……」
「『終わった』?」
 青年は眉をひそめ、クッと親指で背後をさした。
 崖の斜面には、まだ十数箇所の穴があった。
 ファナがさっきまで入っていた穴と、まさしく同じ穴が。
「君の前任者なら、同じ時間でこの半分を終えますよ」
「………………」
 ファナは、呆然と立ち尽くした。
 すると後ろから仲間の声が、
『……がんばれ!』
 ファナは、その場でぶっ倒れた。


 闇の中で、声が聞こえた。
『――いえ、私は粗大ゴミか焼却処分にするつもりです』
 キッパリした冷たい声だ。
『でもルスト。せっかく店長が下さったのに……』
『あたしもそう思うわよぉ、副店長! だってオルサン店長よ?
 彼の誕生日プレゼントなんて千年に一回もないわよ!!』
 少女二人の声がした。
『だから不吉なんです。ろくなものが入ってるとは思えない』
 また最初の冷たい声。
 夢の中でファナはムッとした。
 つづいて、なだめるようなしゃがれ声がした。
『まあまあ。店長じきじきのお前さんへの贈り物じゃろうが。
 後で聞かれて、開ける前に捨てました、では恐いぞ?』
『そうよ、そうよ!』
 最初の冷たい声も、やや考えなおしたらしい。
『そうですね。私も中身は気になりますし』
『そうそう! で、何が入ってるのぉ? 早く開けてよぉ!』
『分かりましたよ。そう急かさないで』
 バリバリと、箱の外装を開ける音がする。
『それにしてもでかい箱じゃな。人一人は入りそうじゃぞ?』
『ですね。いらなかったら捨ててしまえるモノならいいんですが……』 
 そして、ファナの目に閃光が入った。


 まぶしいはずだった。
 ルストが地面に横たわるファナの上に覆い被さり、まぶたの上で、カチカチと光石を点滅させていた。
 ファナの意識の有無を確かめていたのだ。
「……おはようございます」
「おはよう」
 いかにも事務的な応えだった。
 彼は無表情に立ちあがると、ファナに背を向けた。
「それではみなさん、今日一日ご苦労様。店に帰還します。
 コリン、そこの三番穴をもう少し埋めて下さい。
 メディ『奴ら』の影はないか確かめてセーリアさんに連絡を」 
 ファナは、ゆっくり起きあがった。
 汗だくだった体は拭かれ、自分の上着がかけられていた。
 夕暮れの荒野の風が冷たい。    
 どうやら、最初の石を取った後はずっと倒れていたらしい。
 崖を見ると、ファナが入るはずだった十数の穴は全て塞がれていた。
 作業をしているのは馬車くらいの、大きな地竜――トカゲに似た体に、鋼の爪と青銅の鱗、刃物のような翼を持つ、大陸西の竜族だった。 
 地竜は骨を埋める犬のように、楽々と穴を埋め終えた。
 竜はググっと首を曲げ、白い髪の小さな人間を見下ろした。
 副店長ルストがうなずくと、竜は小さく身を震わせた。
 まばたきする間に、くすんだ茶のローブを着た老人になっていた。
「お手数かけますね、コリン」と副店長。
「なんの。最初はみなこんなものじゃろう」
 ファナは、自分のことを話されていると感じた。
 副店長の後ろに立って、地竜の老人に頭を下げた。
「すいません。役に立てなくて」
「いやいや、ファナちゃんは今日が初めてじゃし――」
「謝って今日の損失が消えるわけではありませんがね」
 ファナの体に一瞬、青白い電撃が走った。 
 が、感情にまかせて殴ることだけは、かろうじて抑えられた。
 カクカク、と人形のように回転して副店長に向き直る。
「ど、どうも。明日からは、効率をよくするよう努力を――」
 藍の瞳が冷たくファナを見据えた。
「保証できないことを公言しても、後で恥をかくだけですよ?」
「こ……この……」
「ファナ、ファナちゃん! 落ちつくんじゃ!!」
 老人に肩を叩かれ、やっと拳を握っていることに気づいた。 
 ――ダメだ。短気を見せたらもっと印象悪くなる……。
 借金を返すまで、ここでタダ働きしなくてはいけないのだ。
 ここを追い出されたら、もう永久炭坑か夜の街角行きだ。
 ファナは、そう自分に言い聞かせて副店長に微笑んだ。
 しかし、
「なにニヤニヤしてるんです? 馬鹿みた――いや、馬鹿か」
「……こ、こ、この白髪ぁ!!」
「ファナちゃん!!」
 老人とはいえ、地竜の頑強な腕に羽交い締めされる。
「何々? ケンカぁ――?」
 空から仲間一人が戻ってきた。
「おなかすいたわよ。早く店に戻りたいわぁ!」
「メディマ、取り込み中じゃ。お前も止めい!」
 コリンが戻ってきた仲間にあたふたと駆け寄った。
 ルストは、全く感情の動かない瞳でファナを見ていた。    
 ファナは、その目をキッと見返していた。
 夕日を背に、二人は荒野でにらみあっていた。
 そして――ファナが先に走った。
 

 さまざまな種族の入り乱れるウェンデルス大陸。
 旅をする人間には、強力な魔力のある魔法石の数が命綱だ。
 だが、宝石より貴重な魔法石は天文学的高値だ。
 それで泣く旅人や術士は、魔法石店『カニア』に望みをかける。
 少数の有能な従業員たちが、採石から加工までを一手にやる店だ。
 その徹底したコスト削減で、魔法石が手の届く額になるのだ。
 しかも石質と美しさは最高級のまま。
 しかし、店は常に移動していて、誰も行き先をつかめない。
 旅人は誰でも旅先で伝説の『カニア』に出会うことを夢見る。
 ファナもその一人だった。
 だが、まさかそこの一員になろうとは夢にも思わなかった。

 肌寒い風が、ファナの肌をビリビリ震わせた。
 目を上げると、広大な星の空が見えた。
 そこは満天の星の下の、真夜中の荒野だった。
 ファナはクシャミをした。
 薄着の上に、汗をかいていたから冷えたのかもしれない。
 痛む背中をさする間に、ぼんやりと記憶が戻ってくる。
「……最初の一撃をかわされた後、技をかけられたんだっけ。
 あの『静』から『動』への一瞬……かなりの使い手ね」
 クールに言う間に、またクシャミをした。
 ファナは体を抱きしめ、ブルブル震えた。
「でもそれなら、もう少し度量の大きいとこも見せてほしいわね!」
 クシャミをした。
 おそらくルストが、他の従業員を急かして戻ったのだろう。
 後は一人で反省しろということか。
「冗談は、中身とマッチしたあんたの白髪だけでいいわ!」
 腹がグーっと鳴った。
 そういえば、半日働きっぱなしだったのだ。
 ファナは腹をおさえ、チラッと荒野の向こうを見た。
 遠くの遠くにポツンと見える一点の明かり。
 偉大なる魔法石店『カニア』の明かりだ。
 たしか、行きは地竜のコリン翁に乗せてもらって来たのだ。
 夜間に歩いて帰るなら、どれくらいかかるだろう。
 少し考え、ファナは皮肉な調子で首をふった。       
 地理に危ない上、魔獣も出る。自殺行為だ。
「採石係は私一人なんだし、明け方までに来てくれるはずね」
 知的に呟く自分に一人満足する。
 そのとき、風に乗ってファナの鼻に匂いがとどいた。
 ――食い物!!
 血流がカッと熱くなり、生存本能全てが作動、全身がそれに呼応した。
 つまり、匂いの方向に全力でダッシュしていた。
 

 静かな風の吹く夜だった。
 食堂はヒッソリ静まり返っていた。
「なあ、そろそろ迎えに行こうか?」
 地竜翁コリン・ダールが心配そうに窓の外を見た。
 副店長ルストは食堂の机で書類業務をしていた。
「寒空じゃし、魔獣やよからぬやからもうろついとる……」
「必要ありません。明け方に回収に行きましょう」
 キッパリした物言いは、氷のように冷たかった。
 コリンはためいきをついた。   
「なあ。数少ない従業員を大切にするのがこの店の方針じゃろう?」
 台所で、セーリアが皿を洗っている音がする。
 副店長は、書類から目をはなした。
 鋭い藍の瞳は、長く生きたコリンにも感情が読み取りがたかった。
「私のやり方に不満があるのなら、いつ辞めても結構ですが」
「またまた、つっけんどんな態度に出おるな」
 コリンは笑い飛ばした。
 ルストは憮然とした顔になり、それから唇の端を吊り上げた。
 本当におかしかったのか、場を和ませる演技かは区別がつかない。
 コリンは、温和な砂色の目でルストを見た。
「なあ、あの娘が嫌いなのか?」
 ルストの目がギラリと光った。
「なぜです? 店長に莫大な借金があるというのに彼にカード勝負を持ちかけ一発逆転のイカサマをしかけてバレてリンチで殺されかけやっと許してもらった自業自得娘を何ゆえ私が引き取らねばならないのです!」
「おお、一息に言いおったな!」拍手するコリン。
「……トレジャーハンター。定職にもつかず、大陸をブラブラしている浮ついた小娘が、最も重要な採石係など、この『カニア』の恥さらし。他に行き場がなかろうと同情する理由にもならない。確実に追い出します!」
「……そこまで言わんでも」
「コリンさーん、そちらのお皿を持ってきて下さい!」
 キッチンの方から少女のかわいい声が聞こえた。
「おお、セーリアちゃんがワシを呼んでおる!」
 嬉しそうな顔になって、いそいそとテーブルの皿を回収した。
 ルストはペンを持ち上げ、
「労働時間外なのにご苦労様です」
「はは、ただの手伝いじゃろうが。堅い男じゃな」
 そしてコリンの顔に、急に含んだ笑いが浮かぶ。
「奴の誕生日カードには『兼愛人』とも書いてあったなぁ」
「……ヘタなジョークでしょう? 指一本触れてませんが?」
「硬く凍りついた氷を乙女が溶かす……ロマンじゃなぁ」  
「もしオルサン店長の目的がそうなら、私は辞めますがね」
「ち。面白みのない」
 コリンは舌打ちして、行ってしまった。
 ルストはニコリともせず見送り、書類事務に戻った。
 その持ち上げたペン先が、かすかに震えた。
 突然立ちあがり、窓の外を見た。
 静かな荒野が見える。
 が、窓の枠に何かが置かれていた。
 ルストは、瞬時に険しい顔になって叫んだ。
「『ヒエナ』だ! 従業員、今すぐ食堂に集合してください!!」
 

 その男たちは十人ほどで、ファナを取り囲んでいた。
 誰もが顔に薄笑いを浮かべて、術士の少女を見ている。
 焚き火の前で、ファナは両足を縛られて逃げられずにいた。
 ファナはむせび泣いていた――――シチューを食べながら。
「……うう。おいしいの! このトロトロ感と絶妙にマッチしたジャーガイモのとけ具合が最高なの! 隠し味も効いて最高のシチューなの!!」  
「だろ? だろ? やっぱアシュクさんはスゴイよなぁ」
 ファナの反応に、男たちは満足そうに笑いあった。
 ボロボロの服を着て、いかにもガラの悪そうな連中だった。
 ファナは惜しみつつ、最後の一杯をすすった。
 温かくもコクのある味わいが、胃にしみこんでゆく。
「はぁ……ごちそうさま!」
「お粗末さま」
 縄の先を握った男が言った。
 そこでファナはハッと我に返った。
 ――食べ物の匂いにフラフラ寄せられ、んで捕まったんだっけ。
 その後シチューをふるまわれて何もかも忘れてしまったのだ。
 かなりマヌケな気もしたが、見ないことに決めた。
「あの……」
「何だ? 眠たくなったか?」
「リーダー、オレら寝袋持ってきやしょうか?」      
「ああ、そうしてく――」
「ち、違います! そうでなくて!!」
 ファナは両足を縛られたまま、ジャンプして立ちあがった。
 体をクルっと回し、リーダー格らしき男を見上げた。
 青い服の、黒髪の長身の男がいた。
 焚き火の炎をうつす紅の瞳、鍛えられた体にすりきれた旅装束。
 まとう空気は冷徹だが、炎を秘めている気もする。
 さながら『荒野のお尋ね者』という風情である。
「……あんた、誰?」
 穏やかな低い声が答えた。
「アシュク・ルソン。『ヒエナ』のリーダーだ」 
「ヒエナ? あんたのグループ? 何で私が縛られているの?」 
「人質だからだ」
「……何の?」
「オレが『カニア』の最高責任者になるためのだ。
 すでに要求書簡を出した。数刻以内に店を差し出せ。
 さもなくば採石担当の女は我らがモノとなる――と」
「さすがリーダー! 冷酷非道っすね!」
「これで屋根のあるところで寝られますね!」
 部下どもは感極まって泣いている。
 ファナはしばらく黙した。そして沈痛な面持ちで、
「助けが来なさそうな大いなる予感……」


「助けに行かなくていいですね」
『副店長!!』
 さすがに従業員たちも抗議の声を上げた。 
 臨時の会議所である食堂には従業員が集っていた。
 エプロン姿の、不安げな顔の金髪の少女。
 神経をたらして、ユラユラ浮いている謎の大目玉。
 茶のロ−ブの地竜の老人、コリン。
 少女のクツにあごを乗せてまどろむ巨大なオオカミ。
 ファナをのぞく従業員全てが、そこにいた。 
 青年副店長は『ヒエナ』の書簡を丸めてクズかごに捨てた。
「喜んでください。この前奴らを叩いたかいがありました。
『ヒエナ』がすでに戦闘力を失ったことがこれで証明されました。
 下劣なゲリラ的脅威は去り、正常経営に向け、より一層の――」 
「そんな演説が聞きたいんじゃないわよ!!」
 どこから声を出しているのか、大目玉がキンキン声で叫んだ。
 血管は充血、瞳孔は興奮で開き、大きいだけに不気味だった。 
「あんたの『愛人』なら責任取りなさいよ!」叫ぶ大目玉。
「わたしも歳の近いお友達が出来たと思ったのに……」と少女。
「使い物にならんちゅうても初日じゃろうが」とコリン。
 ルストは一通り聞き、従業員一人一人を見、
「彼女には大変気の毒ですが……」
『ですが!?』
「――彼女はこの店に必要ない」
 ガタッとイスを倒し、三人が立ち上がった。
「……退職もしくは長期の休職なら、まず店長に――」 
 三人は聞かず、ルストを持ち上げていた。
 オオカミが鼻を鳴らして起きあがり、少女の手をなめた。
「あなたもついていって下さいね」
 と少女。オオカミは尻尾を振って応えた。
 ルストは三人に抱えられながら言った。
「すいませんが皆さん、私は朝まで加工作業に従事したく――」
「ああ、好きなだけやるがいいわい!」
「帰ったらね!」
「お帰りになるまでに熱い香茶を用意しておきますね」
 そして、ガラッと魔法石店二階の窓を開けた。


 ルストは夜空を舞った。


「こういう業務上トラブルによる傷害のケースは……」
 夜露にぬれた草地に横たわりながらルスト。
 荒野にポツンと建っている、小さな魔法石店を見あげた。
 その横に、フワリとオオカミが降り立った。
 月に黒い神秘的な体を浮かび上がらせる。
「ファナちゃんを助けて戻るまで、ワシらはストライキに入るぞ!」
「二人で帰らなきゃ店に入れないわよぉ!」
「香茶が冷めるまでに帰ってきていただければ嬉しいです」
 コリンや大目玉、少女はそれぞれ言って、ピシャっと窓を閉めた。
 ルストは髪をなでつけ、沈黙した。
 オオカミは、ルストの指示を待って忠実に座っていた。
「………………面倒くさいな」 
 ルストは立ちあがると、オオカミに腕を上げた。
 獣の金色の瞳が輝いた。
 体をブルっと震わせ――背中から、厚い大きな翼を出した。
 ルストは勢いよく、その背中に飛び乗った。
 クツで腹を蹴ると、オオカミはフワリと夜空に舞いあがった。
「アムフ・カマル。牙はまだ鋭いですか?」 
 オオカミは風を切って翼を張りながら吼えた。
 二つの影は平原を滑るように飛び上がり、崖地に向かった。
  

「……リーダー、月が崖の端にかかりやした!」
 部下の一人が、妙に嬉しそうに言った。
 アシュク・ルソンは腕組みをし、ファナを見下ろした。
 足の縄はファナがほどいたが、逃げる隙もなく焚き火にあたっていた。
「捨てられたな」
「ほっといてよ!!」
 崖周辺の見張りに立っていた全員が集まってきた。
 ファナは、さすがに不安の目でアシュク・ルソンを見上げた。
 彼は声を張り上げて部下に宣言した。
「非道なりはルスト。『カニア』の店長代理である!
 我らの深遠なる計画は奴の非人間的行為によって阻止された。
 だが、諸君。嘆くことはない!!」
 叫んで、ファナの腕をつかんで立ちあがらせた。 
「こうして、今『ヒエナ』に新たな人員が加わった!!」
「ち、ちょっと……あンた……」
 しかし、男たちは歓声を上げている。
 さすがに、ファナも展開が心配になってきた。
「この新たなる仲間とともに『ヒエナ』の戦力も増した!
 全ての力を結集し、今後も計画遂行のため尽力しよう!!」    
『オオオオオオ――――!!』
「あのぉ……」
「さあ、歓迎を受けてくるがいい」
 アシュク・ルソンがファナの手を放し、背中をドンと押した。
 よろめきながら前に進むファナ。
 その少女に、歓声をあげる男たちが殺到する。
「う…うわぁ――!!」
 ――ああ、何か『さようなら子供の私』って感じ!?
 ワケのわからないことを考えつつも逃げようとした。
 その肩が、ガシッと荒々しい手につかまれ――
「じ、自分はロス・ガンディス! よろしくお願いします!」
「ガスクです! 家庭第一の温かい家を作りたいであります!」 
「アレキシサイミア! 子供は三人欲しいです!!」
「マナクス・ケットリウス! 酒も賭博もやりません!!」
 ……………………
 ………………
 アシュク・ルソンが就寝時刻を告げた。
 もみくちゃにされたファナを残し、男たちは去っていった。
「どうした? 疲れているが」
 ファナは焚き火のあとに座って頭を抱えていた。
「いや、『本当に』歓迎を受けるとは思わなくて……」 
 アシュクは、腕組みをして言った。
「オレはいずれ『カニア』店長となる。有能な人材を集めるため魅力的な職場づくりも必要だ。賃金平等・セクハラ厳禁・育休有」
 加えて全員独身。 
 ――間違ってないんだけど、だけど、何かこう……。
 腑に落ちないものがあったが、恐いので黙っていることにした。 
「そして、オレがアシュク・ルソン」
 そして、何か求めるようにファナを見下ろした。
 ファナは、どう応えたものか迷った。
『カニア』に来て二日半。ろくな思い出はない。
 だがファナには、あの店にいなければいけない理由がある。
 ファナは、しばらくアシュクの瞳を見上げて、言った。
「ごめんなさい」
「生理休暇も認めているが」
「ち、違うわよ!!――そうじゃなくて……いろいろとあるの」
「ふむ。あの店に債務でもあるのか?」
「お兄さん鋭い!」
 アシュクはうなずき、納得顔になった。
「憎き『カニア』の経営陣を苦しめるのも我々の本意。
 逃亡したいなら最大限の手助けするが?」
 ――て、人が最初から踏み倒すような言い方を……。
 しかしイカサマの前科があったので抗議はやめた。
「好意は感謝します。でも、もう帰らなきゃ」
 ファナは立ちあがった。
「じゃ、さよなら変な人。シチューごちそうさま」 
「それは困るな」
 ファナは立ち止まった。
 彼の声が、微妙に変わっていた。
「『ヒエナ』の一員、あるいは人質なら最大限の礼儀をもって接する……だが要求は無視され、人質は帰る。この前以上の惨敗は許されない」
「この前の惨敗?」
 いつのまにか、空気が変わっていた。
 ファナは、いつでも逃げられるよう神経を集中させた。
 例え、相手が自分より上だと分かっていても。
「我らは武装して『カニア』を襲ったが、地竜や銀族どもに重大な損失を与えられ撤退した。だが、『カニア』をしばらく操業不能には出来た」 
「……どうやって?」
「再起不能にした――君の前の採石担当を!」
 ファナは飛んだ。
 瞬間、たった今までいた場所に飛び道具がめり込んだ。
 岩が真っ二つに割れ、鎖のついた鉄球が食いこんでいる。
「……頭を狙ったが、やるな」
「なめないでよ! こう見えてもサオンシーカーよ!!」
 叫ぶと、アシュクは眉をひそめた。
 鉄球は手首を軽く動かしただけで瞬時に手元に戻った。
 ファナは急いで後じさり、いくらか間合いを取れた。
「サオンシーカー……トレジャーハンターの俗語だったか?」
「そう。でも若者用語についてこれないときが何かの始まり」
「…………」
 アシュク・ルソンはちょっと傷ついた顔をした。
 が、それとは関係なく、またも鉄球が襲いかかる。
 術式を唱えようとしていたファナは、中断して身を伏せた。
 頭上を紙一重で何かがかすめる。
 胸が寒くなった。
 あの男は、本気だ。
「……ウルスス・エトルスクス・スーフィコス――」
「その前に終わりだ」
「フィオミアの方程し――」
 瞬間、ファナの頭が真っ白になった。
 世界がひっくり返り、視線の隅で崖が回った。
 ――……え?
 火花の散る猛烈な衝撃。草の匂い。
 土と、血の味。
 足を鉄球の鎖にからめとられ、地面に引き倒された。
「う……」
「ひどくはしない……残りの人生を寝台の上ですごすだけだ」
 ――同じだ、コラ!!   
 アシュクの顔は本当に気の毒そうで、それがかえって不気味だった。
「リ…リーダー!? 何やってんですか!?」
 音を聞きつけた部下たちが、枕を抱えたり寝間着姿で走ってきた。 
 アシュクは冷たく振りかえった。
「この少女は『ヒエナ』より『カニア』への所属を希望した。
 知ってのとおり、『カニア』従業員への処遇は一つだ」
「そ、そんな!」
「ち……血が出てるっスよ! かわいそうっスよ!」
「先の襲撃で闘ったとは思えん、ひ弱な言葉だな」
「だって、あのときは――」 
 ファナは、鎖をほどこうともがいた。
 が、固く結ばれた紐のように動かせない。
 動きに気づいたアシュクが鎖を強く握った。
 鎖が強く巻きついた。
「――――!!」
 足首の骨が、きしんだ音が聞こえた。
 激痛に涙も出ない。
 ただ、体だけが寒い。
 その様子に、迷っていた部下たちも決めたようだ。
「や、やめてください、アシュクさん!!」
「逆らえば、お前たちも攻撃する」
「ええと……あ! 自分の子供まで殺さないでください!」
「…………」
 痛みで頭が真っ白ながら、沈黙するファナ。別の男も、
「そ、そうだ! オレと彼女の愛の結晶がいるんです!!」
「そ、そうっす! 臨月間近っす!」
「親子三人で海を見に行こうと約束したのに!!」
 ――て、全員父親候補……?
 かなりきわどいところだ。
 アシュク・ルソンも何かツッコミたそうな顔だったが、すぐ厳しい顔になって帰れ、とアゴでさす。そして、鎖を持つ手にいっそう力を入れた。
「――――!!」
 声も出ない。
 ファナは、汗を流しながら震えた。
 だがふと、目の端に鉄球が浮くのが見えた。
 狙いはファナの――――。
「リーダー!」
「アシュクさん!!」
 ファナは風を切ってせまってくる鉄球に、目を閉じた。
 そして、右足に経験したことのない猛烈な激痛が走った。


「………………」
「アムフ・カマル。おあずけ」
 とルスト副店長。
 巨大なオオカミはパクっと口を開け、ファナの右足を解放した。   
 その間、ルストは足の鎖をほどく。ファナはポツリと、
「…………畜生」
 すると、言葉がわかったかのように、オオカミはファナに飛びかかろうとした。さかんにうなり声を上げ、口からはヨダレを垂らしていた。
 鉄球は、寸前でルストが止めてくれたようだ。
「大丈夫そうですね。よかった」
「…………右足が確実にヒビ入ってるかと」
 応えずルストはファナのかたわらに立った。
 満天の星空の崖の下。
 ルストとアシュク率いる『ヒエナ』が対峙していた。
「……ルストだ。『白い髪』のルストだ!!」
「あれって染めてるんだっけ?」
「違う違う、外見だけ思いっきり若作りしてんだろ?」
「だよな。あの性格で実年齢じゃ、一生独身だもんなぁ」
 ヒソヒソやりだす『ヒエナ』の男たち。
 ルストは沈黙している。
 ファナは、闘争心丸出しのオオカミを押さえる青年を見た。 
「その一、足が痛いの。その二、なぜそこの畜生が私を襲った。
 その三、なんで今助けにきたのよ。その四、で、何歳?」
「ポイントをしぼって下さってどうも」
「要点は明確にしなきゃね。で?」
「その一、がまんしなさい。その二、あんた嫌われてます。
 その三、寝てました。その四、ノーコメント」
「――ッラぁ!!」
 ファナは左足をかがんでいたルストの腹にめり込ませた。
「……傷がひどくなりますよ?」 
 無表情にみぞおちを押さえつつルスト。
「女のコのピンチによくも寝てられるわね!!」
「はぁ。何かアシュクに襲われて取り込み中のようだったので」
「……普通、そういうときに一番助けに行かないかなぁ?」
「女性の心理は永遠の謎ですからね」
「自分の過失を転嫁すんな!!」
 瞬間、ルストがファナを抱えて飛んだ。
 すぐ下に、またも鉄球がめり込む。
 オオカミは余裕でよけ、降りたルストの方に走ってきた。
「都合よく来てくれたな、ルスト。お前を倒せば、店はオレのものだ」 
「その言葉、店長にも言えたら拍手してあげますよ」
 ファナは、右足の痛みで立つことが出来なかった。
 今は、ルストがいるのが心強かった。
 それに何だかんだ言っても、助けにきてくれたのは嬉しかった。
「さあ副店長! そこの狂犬をあの連中にぶつけてください!」
「無理ですよ。まっすぐあなたを攻撃しますから」
「……何のために連れてきたのよ」
「予想の範囲内でしたが、彼女はいにしえのバイシア族。
 高貴な魂を持つ、知的で上品な人にしか懐かないんです」
「何が言いたい……」
 そこで、ファナは強い魔力を感じた。
 アシュク・ルソンだ。
「あいつ……魔術も使えたの!?」
「一発で決めたいようですね。全く……」
 彼は、障壁を張って術式を唱えようとしていた。
「プロタカルス・クラニー・スティズス……」
「イルクの定理……ヤバイわ副店長、早く反撃してください!」
「無理ですよ。障壁ではじかれます」
「アシュクさん、行け行け――!」
「リーダー、カッコいいっす!!」
『ヒエナ』の連中はすっかり勝った気分で崖の前で歓声を上げていた。
「……そぉだ」
 見ていたファナの頭に、悪魔のような考えが浮かんだ。
「副店長ぉぉ!!」
「それで行きましょう」
「は? 即答? まだ、何も言ってないわよ?」
「分かりますよ。でも、私に任せてください」
「へ?」
「エンドゥス・スタンゲエッラ・キアニウェントリス――――」
 アシュクの詠唱は、強い魔力を放ちながら終わろうとしていた。
 ルストの術式はいたってシンプルだった。
「キスム・ツグルト!!」
 細い細い、一筋の光がアシュク・ルソンに飛んだ。
 が、アッサリかわされ、崖に吸いこまれて消えた。
 詠唱には何の影響もない。ファナは戸惑った目で、
「ちょっと、い、今の何の術式!? 聞いたことないわよ!」
「何やってんだ! 白髪ぁ!!」
「アシュクさんがあんなのに当たるわけねぇだろ!」
 が、
「――――何?」
 地がうなるような不気味な振動が地面を伝わった。
『ヒエナ』の連中は不安そうな顔になり、崖地の休息所に戻ろうとした。
 が、アシュクが詠唱をやめた。
「いかん!! 崖から離れろ!!」  
 瞬間、砂山が崩れるように、崖が崩壊した。
 男たちは鍛えられた体で必死で逃げたが、土砂に巻きこまれ、彼らを助けようと走ったアシュク・ロストも土煙の中に見えなくなった。
 ルストはいち早くファナとアムフ・カマルに乗った。
 しかし、翼あるオオカミはうなって首をふった。
「いい子、気持ちは分かりますが飛んでください!!」
「『気持ちは分かる』……?」
 オオカミは、渋々翼を広げて空に飛びあがった。
 夜明けが近いのか空は藍色で、いくらか視界が明るくなっていた。
 見下ろすと、切り立った崖地は完全に先端が崩れていた。
 まだ土ぼこりがスゴイが、動く影は見当たらない。 
「……死んだ、の?」
「あれくらいで死ぬようなら苦労しませんよ」
 ファナは、何だかホッとした気分になった。
「で、でも、以心伝心。さすがですネ、副店長!
 私の考えてることを読み取ってくださるなんて!」 
「崖が崩れりゃ採石も出来ず一石二鳥。そんなとこでしょ?」
「………………」
 図星だったので、ファナは沈黙した。 
 そして、ゆっくりと背中の青年をふりかえった。
 秀麗だが冷たい顔には、疲労の色もなかった。
 さっきの謎の術式や、他にも聞きたいことはあった。だが、
「副店長」
「何ですか?」
「まだ、私を追い出す気ですか?」
 ルストは、しばらく黙っていた。
「……いいえ。あなたもとっさの機転が効くようだし」
「やったぁ!」
 ファナは拳を上げ、あやうく落ちそうになった。
「まあ、代わりの採石係がいないのが一番痛いですからね。
 毎日一個も取れないより、一個でも取れた方がましだ」
「……その性格何とかなりません?」 
「なりませんね。今日もお仕事、がんばりましょう」
「ええ! こ、これだけあって働かせるつもり!?」
「能率悪けりゃ追い出します」 
「……『ヒエナ』に入ろっかな」
 ルストが、声を上げて笑った。
「まあ、あなたはケガもあるし、今日はお休みにしましょう。
 私はコリン翁に崖地を掘ってもらいます。
 ついでに『ヒエナ』の連中も遠くに捨てておきましょう」
「副店長さんも徹夜でしょう? 寝ないんですか?」    
「それが私の仕事です」
 胸を張って言った。
 ファナは大きく息を吐いて、そっとルストの胸にもたれた。
 相手が硬直したのに、内心ニヤリと笑う。
 ――思ったより、悪くもないか。
 そう考えながら、ファナはうたた寝を始めた。
 地平線が金色に輝き、新しい一日の始まりを伝えていた。


「………………」 
 ファナは、部屋の寝台に横たわって天井を見ていた。
 今、『カニア』の店内は誰もいない。
 少女セーリアは買出し、アムフ・カマルはその護衛。
 コリン、ルスト、大目玉のメディマは崖の掘りだしだ。
 店は魔術障壁で厳重にガードされ、ファナが留守番である。
 ファナは、窓からさす朝日を浴びて、うとうとしていた。
 右足の治癒は終わったが、まだ少し痛む。
 副店長ルストは、寝ていてファナの救出が遅れたと言った。
『寝ていた? まさか。ルストさんはそんなこと出来ませんよ!』
 セーリアは、驚いて笑った。
 無眠性睡眠障害――ウソか本当か知らないが、古参従業員のコリンさえ、うたた寝でも、彼が寝ている姿を見たことがないそうだ。
 ガラにもなく、彼がファナをからかったとみんなが思った。
 ファナもそう思うところだった。
 だが同時に、アシュク・ルソンに襲われたときのことも思い出す。
 天地が回っているとき、崖地がハッキリ見えた。
 岩場の間に見えたのは、確かにルスト。
「元は旅人だし、こう見えても夜目と勘はいいのよね……」
 ファナはしばらく頭をひねり、かきむしり――止めた。
「……分かるときは分かる。見ようとしなくても分かる。
 辞めるまで分からなくても、結局私に関係なかったってだけ」 
 ファナは一人呟くと、目を閉じた。
 だが闇の中でも、あのときの光景が消えなかった。
 ファナを見る、あのルストのまなざし。
 まるでこの世の終わりを見たような……恐怖。
 














あとがき:

 どうも、青木梨です。連載です。何となく明るい感じでやっていきたいです。分かりにくいところや描写過不足、違和感を感じる箇所などあれば、直していきたいので、ゼヒご指摘下さい。
 第二回は十月下旬の予定(予定!)です。
 では、読んでくださってありがとうございました!!