魔法石店カニア・ファナ&ルスト 第2話
作:青木梨





第2話「変な像と一回休み……というか、あんた何しに来た?」


 深い闇の奥で、少女は鼻歌まじりにハンマーをふるっていた。
「炭坑のーかわいーそうなぁーおんなーーのーーこぉーー♪」
 坑道は狭く、暗かった。小柄な少女ファナがやっと入れる狭さで、蒸し暑いことこの上ない。全身に防護魔術がかかっていても、落盤の危険もある。
 しかし、この岩穴の奥が、少女ファナの職場。
 十七の彼女が借金返済のため、従事しなければいけない仕事だった。
「あーー花――のぉーーあわーーれーーなーー♪」
『ヘタな歌を歌ってないで、さっさと仕事なさい』
 耳元の通信石から冷たい声がして、ファナの全身に鳥肌が走った。
「副店長!」
『人件費がかかってるんだ。さっさと原石取って出なさい!』
「いいじゃないですか。今日はこの穴一つだけでしょ?」
『何のために、ワザワザ進路変更したと思ってんですか!!』
 ――て、私が進路変更させたような言い方を……。
 ノドまで出かかった反論を抑える。
 逆らっても、ろくなことはない。
 店ごと移動、原石から魔法石加工まで一手に行う魔法石店『カニア』。
 現在店長は不在で、代わって鬼の副店長ルストがいる。
 彼の得意技は嫌がらせ。ファナ・リーンが店に来て数十日だが、露骨に彼女を歓迎せず、未だに追い出す機会をうかがっているフシがある。多額の借金を抱える元トレジャーハンターは信用できない、ということらしい。
 ファナがいる外は寒々とした荒れ地で、本当は通る予定はなかった。
 だが強力な魔法石の反応があったので、進路変更が決定されたのだ。
 ファナはためいきをついて採石ハンマーをふるった。
「いわーのしたーのーかーわいそーなおんなーのーーこーー♪」
『私は今まで、こんなヘタな歌は聞いたことがない』
 ――……いつか、殺そう。
 ファナは歌を止め、カッツンカッツン、とハンマーで岩を叩いた。
 ――ありゃ?
 どうやら予定より早く魔法原石にたどりついたようだ。
 防災帽の光石に反射して、キラキラ輝く黒い魔法原石の光。
 だが、いつも見る小指の爪の先何分の一サイズではない。
「副店長! 結構大きい!!」
 ファナは、返事を待たずに原石を取り出す作業にかかった。
「こぶし……違う、こぶし二つ分……もっと大きい!」
 通信石から、他の仲間の歓声が聞こえた。
 魔法石は宝石よりも高値で取り引きされる。
 もちろん、大きければ大きいほど天文学的値段になる。
『ファナ。お、落ちついて取り出すんですよ……』
 副店長も、興奮を隠せないようだ。
 ファナには彼を喜ばすのが、ちょっとシャクだった。
 やがてファナの両手の中に、それはゴトッと落ちた。
 ファナは、光の中にぼんやり浮かび上がる黒い塊に眉をひそめた。
「……これ、原石じゃないよ?」
 歓声が、ピタッと止まった。


 白い髪の青年、副店長ルストは肩を落としていた。
「全く……ぬか喜びというか、情けないというか……」
「ごっめーん。あたしぃ『土地見』間違えちゃったぁ!」
 あんまり謝ってる感じでないメディマ。
 彼女は異種族で、不気味にユラユラ浮く一抱えある眼球だった。
「いえいえメディマはずっとこの店に仕えてくれています。
 誰しも間違いはある。この件に関しては誰も責任を問いませんよ」
 ニッコリと、生ける眼球に笑いかけるルスト。
 ――しかし、そのワリに私の方を見ているような……。
 ファナは、女性従業員室のベッドに横たわっていた。
 ルストにメディマ、それとコリンという老従業員が見舞いに来ていた。
 取り出した『魔力のある何か』は、たいして価値のない像だった。
 黒曜石の女性の像で、胸に大きな魔法石がはめこまれていた。
 魔力を感知するメディマは、それに反応したらしい。
 もちろん像にもその魔法石にもかなりの価値はあるが、期待していた巨大原石に比べれば、取るにたらないものだった。
「で、次の日に採石係が倒れるとは――」
 全てファナの責任と言いたげな低い声だ。
「二十日目じゃし、疲労もピークになる時期じゃて」
 茶のローブのコリン翁が、優しくたしなめた。
 ファナも、応える元気もなくうなずいた。
 なぜか昨夜から体調を崩し、今朝はもう起きられなくなっていた。
 青白くゲッソリやつれて、同僚を見上げるしかない。
 けど白髪の青年ルストは、事務的で気づかう様子もなかった。
「まあいい、今日は休んでなさい……」
 言葉は優しいが、口調は連続殺人犯をやむを得ず釈放する警吏のようだ。
「ワシらは、もう一回昨日の岩場を見て来るわ」とコリン翁。
「ゆっくり休んで早く体を直してねぇ」
 ファナはコックリうなずいた。
 そして、コリン、メディマは出ていった。
 ルストも、それを見送ってファナに背を向ける。
 ――ああ、コレがいなくなるのだけは、嬉しいかもね。
 が、ルストは最後に出る寸前にふりかえった。
 相変わらず、ファナには他人に向ける冷たい顔をする。
「……ファナ」
 ――コレ以上イヤミは勘弁してよ……私、寝たいんだから。
 脱力しながら、やっと首だけ向けた。
 だがルストは、奇妙な表情が浮かべた。
「ええと…………」
 ルストの目はしばし空をさまよい――
「お大事に」
 それだけ言って、バタンと扉を閉じた。
「…………は?」
 後には、目を丸くしたファナが残された。


「………………」
 窓の外には、寒々しい北の荒野が広がっている。
 草がまばらに生え、残りのほとんどは白い砂地だった。
 乾燥した大地はひび割れ、空は寒々しいほど青い。
 ――この土地の生き物って、雨も虹も知らないんだろうな。
 寒さに窓を閉め、外の空気や匂いを断った。
 ファナはのんびりと外を眺め、また布団に横になった。
 午前中は喜んで惰眠を貪ったが、午後はさすがに目がさえてくる。
 店内雑務担当の少女セーリアは、街に食料を仕入れに行くとかで、用心棒の大オオカミを連れて行ってしまった。
 今、魔法障壁で守られた店の中にいるのは、ファナ一人だ。
 弱った体が、栄養を求めて腹を鳴らした。
 ――セーリア、まだ戻ってこない。一人で食べよっかな……。
 ファナは、よろめきながら何とか起きあがった。
 ゴトッ。
「…………?」
 部屋の外で、何か音がした。
 ここは、誰も入ってこれない魔法障壁の中だ。
 用心しながらファナは扉を開けた。
 誰もいない。
 薄暗い廊下を見まわし――遠くの方に何かが転がっていた。
 ヨロヨロと近づくと、それは昨日ファナが発掘した黒い像だった。
 胸に魔法石のペンダントをした女性が、何か祈っている。
 ――あらら。副店長も変なトコに置くわね。
 ファナは壁に手をついて像を持ち上げ、そばの棚の上に置いた。
 そして、歩こうとした。
 ――…あ………れ……?
 ガクッと膝をつく。さっきより、体力が失せた感じだった。
 やっと立ちあがるが、一階まで行くのがおっくうな気分だった。
 ――ま、いいか。セーリアちゃんも、もうすぐ帰ってくるし。
 像の棚の前を通って、戻ろうとした。
 ゴトッ。
 像が、一人でに落ちた。
 ――…………なに…………?
 ファナが一歩踏み出す。
 像もゴロッと転がる。
 もう一歩。
 もう一回転がる。
 横になりながら上を見る女性は、笑っているように見えた。
 ファナの背にゾッと悪寒が走った。
 ――この像……!
 急いで逃げようとしたが、歩く先から力が奪われていく。
 明かりのない廊下が灰色に見え、グルグル回りだした。
 像が、ゴロッとファナの方へ転がった。
 ファナは走ったつもりだったが、半歩進んだだけだった。
 目の前で光がスパークし、上下の感覚がなくなっていく。
 ――ふ……副…………ルスト……
 とうとう、勢いよく仰向けに倒れた。
 鈍い不快な痛みが後頭部に走る。
 像が、ファナにくっつきそうなほど近づいた。
『…………憎い……全てが……憎い……』
 何か、ザラザラした不快な声音が聞こえた。
 だが意識が、徐々に薄れていく。
 その中で、半ば夢のように妙なものが見えた。
 血と、目の前に迫る、爪と牙――赤い目。
 遠くで、悲鳴が聞こえた。
 そして、ファナの意識は闇に落ちた。


 すりきれた黒装束の男は眼光鋭く宣言した。
「というわけで……オレは『カニア』と交渉すべく参上した」
 文法が微妙に違う気もしたが、ファナはやっとうなずいた。
「……自分がいかに魔法石店『カニア』にふさわしいか知らしめるため、ひいては副店長ルストに己の地位の分不相応さを分からせるためである」
 反応しようにも、ファナは弱って声が出ない。
 沈黙の応えに、彼はしばしファナを見下ろし、ブツブツ呟いた。
 そしてふいに、バサッとマントをひるがえして出ていった。
「…………」
 何となく、リアクションのしようがなく見送るファナ。
『カニア』の名前は有名だが、従業員は十人もいない。よって、店乗っ取りを狙ってつきまとう連中がいて、その代表格が『ヒエナ』だった。
 リーダーのアシュク・ルソンは、それなりの戦士なので、彼だけが魔法障壁を突破出来たのだろう。
 ――まあ、おかげで助かったみたいだし、いいか。
 第三者の乱入で、像は逃げていってくれたようだ。
 アシュクに店を荒らされるのはイヤだけど、敵でも誰かいてくれるのは心強い。
 ファナはしばらく、ウトウトしながら窓から荒野を見ていた。
 ゴトッ。
 寝間着のまま転げ落ちそうになった。
 飛び起きようとしてやっと頭だけ上げ、辺りを見まわした。
 何の音もしない。
 ゴトッ。
 扉の方からだ。
 ――副店長……いつ帰ってくるのよ!
 扉がギィ、と開いた。ファナはビクっと身を縮めた。
 が、影を秘めた男が盆を持って入ってきた。
「出来た」
「……?」
「消化しやすいやわらかシチュー、邪悪な病を追い払うために山菜のあえもの、栄養のため温かいチョコレートココア……とどめに風邪薬」
「………………」
 コメントしようがなく、横たわりながらコクンとうなずいた。
 アシュクはベッドの前にイスを引き、そこに座った。
 そのあとは、静かな時間がつづいた。
 ファナはひたすら食べさせられた。
 ――像のこと言った方がいいかな……でも敵に助けて下さいってのも……でも、今はそれどころじゃないし……。
 途中数秒、チラッと考えたが、あとはひたすらガツガツ食べつづけた。それこそ最高級料理店のようなおいしさだった。
「あー……ども…………」
 やっとファナは、しゃがれ声を出せた。
 アシュクは無表情のままだった。
「善意ではない。己の確固たる判断に基づき、病める者を助けただけだ」
 ――それは通常、親切と言うんじゃ……。
 しばらく沈黙がつづいた後、アシュクが無表情に口を開いた。
「先日、オレはラム肉を仕入れに遊牧の民の元に行き、奇妙な話を聞いた」
「?」
「遠き昔、この地潤いに満ちたりし時、銀の悪魔が人々を苦しめた」
 銀の悪魔とは、今の銀族のことだ。荒野の魔獣の進化したような生物で、メディマや店長も銀族だ。
「人々は困り果て、人身御供を差し出すことにした。が、もちろん志願する者は出ない。公平な選択と称し、村で唯一身よりのない少女に決めた。少女は怯え、泣き叫び、慈悲を請うたが、我が身可愛さの村人は聞く耳も持たない。恋人だけが彼女を逃がそうとしたが、親や友人にほだされ、逆に少女を荒野に放った――少女は襲われ、悶え苦しんで死んだ」
「……で、その不愉快な話が何なの?」
 アシュクは、痛ましげに首をふる。
「少女の肉体は死んだが、その怨念は生きつづけた。それは大地の下に封印されながら魔法原石と融合し、獣や木々、水の力を奪い、肥沃な大地を荒れ地に変え、少女を差し出した村人を一人残らず飢え死にさせた――」
 不吉な予感がして、ファナはつづきをうながした。
 どこかでまた『ゴトッ』と聞こえたような気がした。
「像は高名な術士に岩の下に押し込められたが、吸い取った生命力を糧に、まだ生きているそうだ。というわけで――ここらへんにそういうのが埋まってるから、間違っても掘り返すな、とのことだ」
「あの…………う、うん……」
 ファナは完全に真っ青になって、しどろもどろに応えた。
「さて、今日もよく働いた」
「へ?」
 アシュクは窓を開け、二階からヒラりと固い砂地の上に降りた。
「風邪薬は、夕食後にも服用するように」
「え……あ、うん。お昼おいしかった。ありがと」
 アシュクは一度ファナを見上げ、すりきれたマントをひるがえし、去っていった。その後ろ姿は、妙に輝いていた。
 ――で……あんた何しに来た……?
 遠回しに注意しに来てくれた……ということか。
 一応、将来『カニア』の店長になる気でいるのだから。
 ファナは、ベッドから起きあがってみた。
 体に熱がともったようだ。
 今すぐにでも採石に行けそうな気分だ。
 ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ。
 音がするのはまぎれもなく一階から。
「…………やっぱ、寝てようかな」
 けれど、ファナはバサつく黒髪をなで、起きあがった。
 寝間着の上にマントを羽織り、大あくびをした。
 一階には魔法石保管庫があるし、今セーリアが帰ってきたら危険だ。
 ――それに……保管庫の魔法石の魔力全部吸い取られたら……!
 像ごときの怨念より、副店長の怒りの方が恐い。
 ――少なくとも、何かやったと見せかけなければ!
 コップ底のぬるいチョコレートを飲み干し、ファナは立ち上がった。


 ゴトっ。
「うう……」
 熱風を吸いこんで気分が悪くなり、ファナは膝をついた。
 魔法石保管庫には、天井まで灰色の棚があった。そこに色彩鮮やかな魔法石が、精密な加工をされ慎重に保管されていた。
 が、加工担当ルストの努力虚しく、それらは無惨に融解し、黒ずんだ魔力の熱風を生じさせている。
 熱風の半分は、あの黒い像に竜巻のように吸い込まれていく。
 片手に乗るくらいだった像は、すでにファナと同じくらいの大きさにふくれあがっていた。流れる黒い髪がヘビのようにうねり、全身がドクンドクンと脈打ち、ほのかな色香さえ感じる。
 手のびた爪が、棚の魔法石を次々にわしづかみして食らっていた。
 ガシャン、と棚が砕け、魔法石がボロボロ落ちては傷ついていく。
 倉庫の中は魔力気体が充満して、視界が悪くなっていた。
 ファナは莫大な損失を計算し、キッと像をにらみつけた。
 ――許せない!!
 一歩近づきかけたとき、像が不気味にケケケと笑った。
 ――……そ、その前に換気しようかな!
 自分が根性なしという事実は認めないことにした。
 コソコソと像の後ろを通り、倉庫のすみに急いだ。
 ガラっと窓を開けると、魔力煙が猛然と荒野に逃げていった。
 ホッと胸をなでおろすファナ。
 が、凍りつくような視線を感じて立ちすくんだ。
 ゆっくりと振り向くと、像の女性がファナを見ていた。
 彫刻のように一糸まとわず、目の部分だけが黄土に濁っていた。
 魔力を吸ってますます黒ずみ、半分溶けかかっていた。
 ファナは全身が総毛だって、身じろぎ一つ出来なかった。
「あの……境遇には同情いたしますが……」
『……私を奈落の底から救い出してくれた者よ……』
 慈愛に満ちた優しい言葉だった。
 一瞬ファナの胸に希望の光がさした。
「い、いえ、今月はボランティア週間なんで――」
『礼に……私の新しい体としてくれよう……』
「さよなら!」
 全力でダッシュしたが、扉に振れる寸前、目の前で閉まった。
 ファナは恐怖半分、恨みがましく後ろを振りかえった。
 すでに半分の魔法石は食われたようだ。
 像は足をアメーバのようにゲル状にし、ファナに近づいてくる。
「む、村の人はもういない、あなたは復讐を終えたじゃない!!」
 必死で説得しようとしたが、
『憎い、全ての銀族、人間が憎い……』
「……今のアンタ、人間よりも銀族に近いと思うけど……」
『憎い……全てが憎い……』
 ファナは頭を抱えた。
「右脳が暴走している生き物って、何言ってもムダなのよね……」
 像はジリジリと近づいてくる。
 ファナは何とか、がんばって勇気を総動員した。
「大人しく体はあげないわよ……私は最後まで、あきらめない!!」
『ほう……面白い……』
 像はニタっと笑った。
 ファナは、あわてて周りを見まわした。
 逃げるにも窓は遠い。
 魔力の充満しすぎた場所で、魔術を使うのは危険だ。
 肉弾戦に持ちこもうにも、体調が万全ではない。
 みんなもまだ戻ってこないようだし――
「我ながら、不幸な一生だった」
 ファナは、両手を合わせて目を閉じた。
『………………』
 あきらめのよさに、さすがに像も呆れたようだ。
『え…ええと、い、いい覚悟だ……』
 像は、ユラユラと左右にゆれながら近づいてくる。
 もはや、像自身が銀族のようだ。
 あきらめ半分、やけに静かな気分で、ファナは笑った。
「――あんなものと、一つに同化したら……」
「ビジュアル的に似合いすぎでしょうね」
 冷たい声が後ろからした。


 振り向くと、白い髪に清い青の服を着たルストがいた。
「副店長どうしたんです?」
 ファナは弱々しく、しかし心底ホッとして聞いた。
「店の方から魔力煙が昇れば、バカでも飛んで帰りますよ」
「……なるほど、私の窮地の安全対策が!」
「どうせ、やる気のないあなたのことだ。正面きって闘うのがイヤで窓でも開けてたんでしょう」
「……お見事」
「……冗談で言ったんですが」
「冗談なんて言えたんですか」
「…………」
「…………」
 二人は無言でにらみあった。
 が、像が咆哮で顔を上げた。
「ふ、副店長! あの像はね……!」
「うまくアシュクとすれ違いました。同情の余地はあれど、うちの店の商品に手を出すことは万死に値する!――だから死ね!!」
 ルストの髪は灰色の風に逆立ち、本気で怒っていた。
 ――やっぱ、ほっといたら殺されてたな、私……。
 ファナは邪魔にならないよう、後ろに下がった。
 像は敵を認めたらしい。髪をムチのように打ち鳴らし、口を開けた。
 中で黒いゲル状のものがうごめいている。ファナはゾッとした。
『憎い……全てが…………』
「ファナ! まず魔力障壁を!」
「へいへい」
 とりあえず、気力をふりしぼって意識を集中させた。
 術式を唱えている間、ルストが像に警戒していた。
「カル・クム・カルス――――イドの方程式!!」
 金色の壁が、周囲に広がった。これで呪文使用による誘爆は防げる。
 顔を上げたときルストは跳んでいた。
 白い髪を尾のようになびかせ、吼えるオオカミのように突っ込んでいく。
 ファナも、あわてて援護の術式を唱え出した。
「――――!!」
 ルストは、敵を渾身の力で殴り、横に跳んだ。
 像はよろめき、髪でルストを狙うが、かすりもしない。
「今です!!」
「――――エゲンの公式!!」
 ファナの手から、灼熱の矢が像に直撃した。
 轟音とともに、黒い蒸気がまっすぐ高く昇る。
 絶叫と、イヤな匂い。
 熱で像が溶けたのだ。
 だが――まだ、とどめには至らない。
「ふ、副店ちょ……」
「ファナ、伏せて!!」
 ほとんど反射的に、ファナは鼻を覆って伏せた。
 目を塞ぐ前にルストが、像に跳びかかるのが見えた。


 しばらく体が壊れそうな震動がつづき――ついに静かになった。
 地面に伏せていたファナは、ゆっくり起きあがった。
 ルストはすでに立ち、像のいた辺りを見ている。
 まだ黒煙が昇り、状況はよく分からない。
「さすがですね……倒したんですか?」
「動きは封じました」とルスト。
「……『動きは』?」
「もし倒したなら、魔力の核融合に近い現象で私ら即死です」
「…………即死?」
 冷や水が背中に流れる感じがした。
 そして髪をなで、意を決し、おずおずとルストの方に向かった。
 礼くらい言っておこうと思ったのだ。
「あのぉ……」
「役立たず、臆病者、無駄飯食い」
「…………すいませんねぇ!!」
「当然です。これに恩義を感じたら、また馬車馬のように働きなさい」
 ――こいつ、本当に人間か……?
 何となく、護身用に持ってきた採石ハンマーに手がのびてきた。
『憎い……全てが……憎い……』
 声に、ファナはハッとした。
 像は、まだ生きていた。
 けれど、その声は病床のファナより弱々しくなっていた。
「放っておけば死にます。魔法石としても、何とか加工出来ますね」
 平然と言うルスト。
「呪いのアイテムって、あんたみたいな人が作るんでしょうね……」
『………………たすけて……』
 悲痛な声を聞くと、ファナの胸はかすかに揺れた。
「あの……このまま、死ぬのを待つしかないんですか?」
 ルストは、あくまで冷たかった。
「ファナ。君に殺されかけた自覚はあるんですか?
 失礼だが、助けにきた私に対して、大した言いぐさだ」
「そ、そりゃそうだけど……」
『……………苦しい…………』
 ――本当に、アシュクの話聞いたの? この人……。
 虚しいような、泣きたいような気分だった。
 そのとき、ファナの胸にパッと小さな光がついた。
 ――…………そうだ……。
 ゆっくり、ゆっくりと像に近づいた。
「ファナ!」
 煙が失せ、見えるようになった像は無惨だった。
 目も耳も手足も溶け、穴のように開いた口だけが動いている。
 ファナは少し考え、静かに言った。
「……大切な人に裏切られたから?」
『………………』
「恐かったからじゃない……それが、悲しかったんだよね」
 そっと、像の顔に触れた。
「……わかる」
 短い言葉だった。
 けどほんの一瞬だけ、像の顔がやわらいだ。
 すると、シューっという音がし、像から命の気配が消えていった。
 ファナは、立ちあがって副店長を見た。
 彼の目が、かすかに丸くなっている。
 自分で意識してやったかも分からなかったが、何とか説明できた。
「一瞬でも怨念がやわらげば、生命としての統一性がなくなるから……」
「…………商品価値が、ゼロになってしまったじゃないですか」
 けどファナは、深くうなずいた。
 そして、自分の上着を、そっと像にかけた。
「あれ?」
 外から、冷たい空気が流れこんできた。
 ポツ、ポツと雨音がする。
「ここ、乾燥地帯じゃなかったっけ?」
「大量の魔力煙が、上空の大気と反応したんでしょう」
 ルストは、魔法石の損害を調べに歩いていった。
「ただいまー!」
「もう、いきなり雨で超ムカツク!!」
 遠くから、セーリアや仲間の帰ってくる声がした。
 やっと平穏が戻ってきた、とファナは微笑んだ。
「……どうしたんです? 副店長」
 ルストの顔はこわばって、荷物を抱えたセーリアを見ていた。


 ――なぜ……?
 ファナの舌は、完全に時を止めていた。
「どうしたんですか?」
 エプロン姿の可愛い少女が、ニッコリ微笑んでくる。
「いや、このスープさ……」
 ――砂でも入ってんの?
 ノドまで出かかったたところで、両脇から鋭い肘鉄が来た。
「ぐふ!!」
 腹を折って苦悶するファナ。
 床の大オオカミは『さまあみろ』と言いたげにうなっていた。
「ファナさん?」
 美少女セーリアの金の髪が、はかなげに揺れている。
「い、いや、あなたの料理さ――うっ!」
 今度は両足が、全力でグリグリと踏みにじられた。
「ご心配なく。空きっ腹にドカ食いで胃を悪くしただけでしょう」
「そうじゃ、そうじゃ。セーリアちゃんの料理は最高じゃぞ」
 両脇の男性二人が、それぞれフォローした。
「ありがとうございます。久しぶりに自分で作ってよかった」
 セーリアは天使の笑顔になり、軽やかにキッチンに消えた。
「………………」
 ようやく責め苦から解放されたファナは、涙を浮かべて両脇をにらみ、特に右の人物に、視線の集中砲火を浴びせた。
 彼は、冷たくファナをにらみかえした。
「どうせ腹の中に入れば同じです。あきらめなさい」
「私はただ、どうやったらスープが泥水のような味になるか――」
 またもドカッと足を踏みつけられて悶え苦しんだ。
 白髪の青年は絶望的な表情でスープをすすっていた。
「仕方ないんです。保存食もついに切れたんですよ」
 ――そういえばこいつ、朝出ていくときに『お大事に』って言ってたっけ……。
「あきらめろファナちゃん。物を食べると思うてはいかん」
 ファナをどついたもう一人――茶ローブのコリンが言った。
 彼は完全に悟りを開いた顔でスープを飲んでいる。
「全ては無。万物を巡る霞みを体に入れていると思うのじゃ」
「はあ……」
「ここに一年いると、砂と砂糖の区別もつかなくなるのよね」
 ファナの正面には一抱えある巨大な眼球メディマが言った。
 瞳孔をヒクヒクさせ、視神経に見える触手でスープを吸い上げる。
 ファナは、周囲三人の同僚・上司をじっくり眺めた。
 どれも逃げ道があるなら、とっくにそうしているという顔だ。
 ファナは、ついに意を決して、野菜らしき具を口に入れた。
 ――…………!
 舌を突きさす苦味と臭み、究極に気持ち悪い歯ごたえ。
 吐きたかったが、酷使された肉体は栄養を必要としていた。
 四人は無言でスープを嚥下しつづけた。
 やがてファナのスープが減ってきた。
 しかし、希望の光もほんの一瞬だった。
 金髪の少女が、嬉しそうにキッチンから顔を出した。
「デザートのチーズケーキ、もうすぐですよー!」
 そしてキッチンから、虫のわいた牛乳のような腐臭が流れてきた。


「……何か、今日一日の中で一番キツかった感じ……」
 ファナはよろよろと丘を昇って行った。
 雨で湿った土塊が、足元でグシュグシュつぶれる。
 夜風が肌と耳たぶに突き刺さった。
 空気はどこまでも清浄で、静かだった。
 やがて、ファナは丘の上についた。
 持ち出した採石用具でグリグリ穴を掘る。
 そして、持ってきた布の塊に言った。
「ま、貧乏クジって誰にでもあるわよ」
 冷たく聞こえるように言って、布にくるんだ塊を穴に入れた。
 溶けた像は、もう何も話さない。
 ――自分自身が、納得出来ないこと言ってるからか……。
「こら」
 突然、上から声がふってきた。
 ファナはギクっとしてハンマー片手に振りかえる。
「私ですよ」とルスト。
「分かってるわよ」
 ハンマーかまえながらファナ。
「…………」
「…………」
 二人は無言でにらみあった。
「呆れますね。こんな大人気ないマネをするとは」
「まあ、そんなにご自分を卑下なさらないで!」
 そのイミをしばし吟味した副店長――は、すぐにファナをにらむ。
「まあ、ともかく――」
 二人は、小さな墓を見た。
「自業自得だと思う?」
「無駄に命を奪う者は、逆に命を奪われることがあっても文句は言えない」
「へいへい」
 冷徹な応えに、肩を落とすファナ。
「ま、損失は痛いが、おかげで珍しいものも見れました」
「……鬼ですか、あんた」
「目がついてないのか、君は」
 ムッとして振りかえると、ルストは空を見ていた。
「――――?」
 夜空に、虹がかかっていた。
 満月の光を糧に、細い細い虹が七色に光っている。
「月虹……ムーンボウ。非常に珍しいものだ。美的価値も高い」
 ルストは画像記憶用魔法石に月虹をどんどん取りこんでいく。
「どこでも生きていけるタイプよね……」
 ファナも手伝った。
 やがて、すぐに百個前後の魔法石はなくなった。
 虹はまだ消えていない。
 ファナは、何となくそれを見ていた。
「…………!! 何やってんです!?」
 ファナは仰天した。
 ルストは、貴重な一つを墓の上に置いていた。
「……ま、いろいろとね」
「ふうん……」
 驚いたが、反面少しホッとしている自分に気づいた。
 ルストが、ファナを振りかえった。
 月明かりに照らされた顔は、なぜかいつもより気弱に見えた。
「帰りますか? もう少し見ていきますか?」
「……もう少し見てきます。きれいだし」
 ファナは、ペタッと湿った地面に座った。
 横にルストが座ったときは、さっきよりも驚いた。
「そりゃまあ、きれいですしね……」
「うん、きれいだしね……」
 藍の空に、不思議な虹が輝いていた。
 二人は寄り添いはしなかったが、どっちか先に立ちあがることもなかった。


 やがて虹が消えても、二人はそのまま座っていた。
 砂漠の荒野は、また肥沃な大地に戻ろうとしていた。