魔法石店カニア・ファナ&ルスト 第3話
作:青木梨





第3話「今日は何の日給料日♪」


 薄暗い空に、一条の朝日が放たれた。
 静かな荒野に、鳥たちの鳴き交わす声がする。
 そしてすりきれたマントをひるがえし、男は立ちあがった。
「アシュクさん、行かないで!!」
「リーダー!! オレらを捨てないで下さいっス!」
 彼のマントには、一見ガラの悪そうな男たちが十数人すがりついていた。
 だが彼らは、辺りかまわず泣いていた。
 マントの男は、冷たくそれを見下ろしているが、荒野を思わせる瞳が一瞬やわらいだ。
 だが、すぐ首を振って子分たちをふりはらった。
「アシュクさん……」
「約束の、時間だ」
 低く、決然と言った。
「でもお一人で行くなんて……」
「一対一、それが……奴らの条件だ」
 深く青い瞳は、彼らしくもなく焦燥をゆらめかせていた。
 子分たちは事情を知らなかったが、何か重大な闘いがあるらしいということは分かった。
「オ、オレらも行かせてください!!」
「アシュクさんに卑怯なワザしかけようとしたらオレたちが――」
「お前たちでは役に立たん」
 冷たく言うと、彼は乾いた大地を踏みしめ、歩き出した。
 マントが雄々しく風にはためき、朝日で彼の影しか見えない。
「アシュクさーん!!」
 応えるようにアシュクは立ち止まり、言った。
「もし、オレが戻らなかったら――」
「リーダーは負けません!」
「オレらは十年でも二十年でも待ちつづけやす!!」
 一人の声に、全員がうなずいた。
『ヒエナ』のリーダー、アシュク・ルソン。
 彼に従う部下たちの心は一つだった。
 アシュクも、満足げにうなずいた。
 彼は振りかえり、『ヒエナ』式の手を胸に当てる敬礼をした。
 部下たちも、かけ声をかけたかのように、一糸乱れぬ敬礼を返す。
『ご武運を!!』
 震える声に、アシュクは手を上げて返した。
 そして、アシュク・ルソンは戦場に旅立っていった。


「ん…………」
 カーテン越しに、うっとうしい夜明けの光が見える.
 坑道の熱気と、砂漠のようなノドの渇きがよみがえる。
 不快感に寝返りをうとうとし、ファナ・リーンは気づいた.
 ――こないだの採石地は終わったんだ!
 沈んでいた胸が一気にはずみだす。
 肉体労働の採石係は、採石のない日は終日休養なのだ。
 現金なもので眠気は一気に覚め、ファナは飛び起きた。
 そこそこ広い女性従業員室には、ベッドや鏡台がキチンと並んでいる。だが壁や床には各人の私物が散乱していた。事務兼雑用係セーリアの努力にも関わらず、この部屋の床が見えたことはない。
 ファナはベッド下から術士服を拾って着ると、ベッドを出た。
 仲間を起こさないよう忍び足で行こうとし、立ち止まった。
「あれ?」
 部屋にいるのはファナ一人だった。
 まだ太陽の光が地平線から出たばかりだ。
 なのに薄暗い部屋に並ぶベッドは、みんな空だった。


『給与袋』
 そう書かれた封筒は、かなり分厚い。
 白い髪の青年ルストは、書類に目を通した。
 徹夜明けの彼は、薄暗い部屋の中で、疲れ目をこすった。
「同じ店の中なのに、セーリアさんもマメだな」
 ためいきをついて、丁寧に糊づけされた封筒を開けた。
 逆さに振ると、ドサッと紙幣の束が落ちた。
 ルストは慣れた手つきで紙幣を数え、封筒に書かれた金額と一致していることを確かめると、書類に了承印を押した。
 そして紙幣を戻し、引き出しを開けて封筒を投げ入れた。
 ドサッと重い音がし、彼は引出しを閉めた。
「さて、加工のつづきに入るか」
 ルストは眠ることをしない。
 働きつづけ働きつづけ、『カニア』のために尽くすこと。
 それだけが、彼の生きがいだった。
 そしてクルリと後ろを向き――止まる。
 そこには、黒髪の少女が立っていた。
 目は半眼。唇をかみ、恨めしげに白髪の青年をにらんでいた。
「……妖怪みたいなマネは止めなさい。似合いすぎだ」
「ご主人様ぁ!!」
「言っておきますが、私にあなたの扶養義務はありませんよ?
 あくまで、借金返済までの仕事の監督義務だけです」
「何で今日が給料日兼、休日だって言ってくれないんです!」
「給料払わない人に通達して、どうしろと言うんです」
「みんな私に黙って……あいつら、もうダチじゃない!」
「気を使って話題にしないようにしていたんでしょう?」
 ルストは眉をひそめ、たしなめた。
「冗談じゃないわ! こっちはタカリそこねたわよ!!
 夜明け前に一人残らず出かけたのは偶然とは思えない!!」
「一人残らずじゃないでしょう。だって私が――」
 言いかけて、ハタと止まる。
 ファナもゆっくりと、ルストの秀麗な顔を見上げた。
「……だンな様」
「わ、私はこれから魔法石の加工作業があるから――」
「ご主人様! お大尽様! 副店長様ぁ!!」
「抱きつくんじゃありませんよ、気持ち悪い!!」
「オゴッて! 何かオゴッてくれないと泣くの――!!」
「だからタカるなっ!……うう、みんなして私に押しつけたな!!」
 腰にすがりつくファナと、振り払おうとするルスト。
 二人はもつれあいながら階段を降り、店を出ていった。
 留守番役の大オオカミだけが、あくびをしながら二人を見送った。


 その大きな街は、ちょうど『カニア』のそばにあった。
「ここ!」
 ファナはまっすぐ、大通りの超高級料理店を指した。
 百人は越そうかという人だかりで、看板の料理もおいしそうだ。
「行きつけの店があるんです」
 ルストはズルズルと向かいの路地に引きずっていった。
 ファナは涙ぐみながら、
「月に一回しか人間のものが食べられないなら、せめて……」
「セーリアさんに失礼なこと言うんじゃありません!」
「誰もセーリアちゃんとは言ってないじゃない……」
 一瞬ルストは沈黙し、
「とにかく。あそこは人だかりがしてるでしょう? 王都のチェーン店なんて味はどこも一緒です。それに私は、ここは何回も来たことがありますから、おいしい店は熟知してるんです」
「へ? 何年かけて大陸をグルグル回ってるのに何回も?」
 ファナはきょとんと白い髪のルストを見上げた。
 彼は明らかに『マズイ!』という顔をしていた。
「ねえ副店長さ、本当は何歳――」
「あ、コラ! メディ!!」
 ルストはワザとらしく叫び、前方にダッシュした。
 ファナも何気にその方向を見、
「う……!!」
 そこには『カニア』の同僚で、銀族のメディマがいた。
 異種族の銀族。外見は人間の眼球の彼女は、黒い瞳孔を興奮で大きく開き、顔面(?)を充血させ、視神経の先からヤバ目なゲル状の白い何かをボトボト落として宙を漂っていた。
 しかも彼女一人ではなく、彼女の同族が数十も群れていた。
 銀族には慣れているらしい街の人も、避けて歩いていた。
 しかしルストはスタスタとメディマのとこへ歩いていった。
「メディ! あなたという人は――」
「副店長ぉ――! あたし超泣いちゃったわぁ――!!」
「うぉ!!」
 メディマは赤く脈打つ視神経をルストに巻きつけた。
 いわゆる『抱擁』だろうが、食われかけてるようにしか見えない。
「あたし超泣いちゃったわ! 副店長も一緒に見よ? ネ!」
 メディマはなおも白い何かをボトボト落としている。
 どうやら大眼球族式の泣き方らしい。
 ルストは周囲の視線に絶えきれず彼女を放し、飛びすさった。
 ファナは横に立ち、無言で『白い何か』をふき取るのを手伝ってやる。
「ファナ――!」
 メディマは嬉しそうに視神経をムチのように振ってきた。
 ファナはニコニコ手を振りながら、さりげなくルストの後ろに隠れた。
「か、観劇とは健全なご趣味ですね」やっとルスト。
「最っ高に泣けるわよぉ! 超オススメ!!」
 ――ああいう形状の物体のオススメっつっても……。
 ファナはチラリと劇場看板を見た。
『目玉物語』
「行きましょうか、副店長」
「そうですね……」
「でねぇ、この結膜炎にかかった薄幸のヒロインが……」
 物語の筋を紹介してるメディマを残し、そそくさと立ち去った。


 ルストのごひいきは、街の老舗の小食堂のようだった。
 最近は、王都のチェーン食堂の進出に悩んでいるのだという。
 二人はスタスタと、街角を曲がった。
「代々変わらない味は、街の人に愛されてはいますがね。
 若い人や旅人は、大通りのオシャレな店に行くものですから」
 最近の若者は……と外見青年のルストは年寄りくさく言った。
 そして狭い路地に入ったとき、ルストの肩がピクリと震えた。
「コリン!」
 向こうから歩いてきた茶のローブの老人は、ユウウツな顔だった。
 しかし二人を見るとニッコリと笑い、
「おお。ルストにファナちゃんかい!! おお、若いのう。
 恋人は、いつの世も、どの種族でも微笑ましいのぉ!」
「……この礼は、後で必ずいたします」
 コリンはハハと笑ったが、再びユウウツな顔に戻った。、
「……食堂に行くのか? あそこは多分、もう食えまい」
「何!? ついに大手食堂の下に屈したと!?」
 原石にヒビが入ったのを見つけたときのような声だった。
 しかし、地竜族の老人はシワを深くして憂い顔になった。
「小さい店だというに大手食堂の奴らが嫌がらせをしおるそうだ。
 老店主も耐えていたのだが、後継者もなく妻も亡くされてはな」
「私たちに手伝えることは?」
 真剣な顔でルスト。しかし、コリンは首をふった。
「もう始まっておる」
「始まっている? 何がです!?」
「街の衆の前で、双方の食堂の味を競うのだ。互いの店の命運をかけてな」
 大手食堂の前の人だかりはそのせいか、とファナは納得した。
「なら安心です。老店主の味がチェーン店に負けるわけがない」
 しかし、コリンは沈痛な顔で首をふった。
「審査員は王都の料理評論家だが……大手食堂側は従業員ではない宮廷料理人を雇ったそうだ。そして老店主は三日前に襲撃を受け、右手を――」
「……く、外道どもが!!」
 ルストの秀麗な顔が、怒りで真っ赤になった。
「大手食堂は『温情』と称して代理の料理人を出すのを許可したがな」
「無理だ。あの人に勝てる腕の持ち主など、いるはずがない!」
 二人を取り巻く空気は、完全に別世界だった。
 しかしファナは、路地にしゃがみこんでウトウトしていた、。


 結局、昼は露店の安い菓子パンになった。
 公園で人目もはばからず、ルストは憤慨していた。
「全く、寝てしまうなんて、あなたは冷たい人ですね!」
「…………」
 ――あんたに言われたくないわよ。
 だが、ファナはパンをバクつくのに夢中で反論できなかった。
 湯気を立てるアツアツのパンは、天国の味だ。
 甘い卵黄色のクリームがノドに熱く溶け込んでいく。
 ファナは口をもぐもぐさせながら、やっと言った。
「でも、意外と普通……いや、話の分かるところあるんですね」
 ルストはこんなとき、弱肉強食とか言い出す人間なのだ。
 彼は戸惑ったように、大きくまばたきした。
「ま、まあ……なじみの店というのもありますしね」
 ルストは、言葉少なにファナに話した。
 伝説の店も、ちゃんと国境や関所を通らなければいけない。
 だが小さな店『カニア』は、よくよく嫌がらせを受けるらしい。
 大手魔法石店が高い税金をかけるよう手回ししたり、難癖つけて魔法石をゴッソリ没収しようとする役人がいるそうだ。
「副店長に成り立ての頃は、よく泣き寝入りしましたよ。
 今では撥ねつけられますが、ときどき思い出します」
 広場で遊ぶ子供たちを見ながら、彼は静かに言った。
「オルサン店長、そのときからいなかったの?」
「ええ……でも、いらっしゃれば、きっと頼っていたでしょう。
 あの方が信じて下さったおかげで、今の私がいるのです」
「ふうん……」
 話がズれているが、つまりあの食堂に親近感があったらしい。
 パンの最後のひとかけらを名残惜しく呑みこみ、
「あ! いいもの見っけ!」
 ファナは立ちあがり、ルストを残して露店に駆け出した。
 そこは、小さなアクセサリー売り場だった。
「わぁ、かわいい!」
 銀細工のブローチや指輪に目を輝かせるファナ。
 後ろから急いで駆けてくるルスト。
「ファナ、言っておきますが私の義務はあなたの監督――」
「またまたぁ、ダーリンったら照れちゃって!」
 ルストの腕をつつくファナ。
 露店主もニンマリ笑って「お似合いのお二人で…」とおだてた。
「あなたという人は、こういうときだけ……!」
 しかしさすがの副店長も、露店主とファナに挟まれ分が悪い。
「旦那サマ、私、そこの子猫のブローチが欲しいなぁ」
 店主も、もみ手で値引きをほのめかしてくる。
「見れば分かる安物でしょうが……」小さく呟くルスト。
「いいじゃない。私は何も買えないんだから」
 ルストはため息をつき、店主と値段の交渉に入り出した。
 それを見て、ファナはニンマリ笑った。
 だが正直、なぜ欲しいのかはファナにも分からなかった。
 毎日、ルストの巧みの技を見ているので目は肥えている。
 彼の言うとおり、見れば分かる粗悪な銀細工だ。
 表示してある値段の十分の一の価値もないだろう。
 だが、なぜかファナは欲しい気分だった。
 ルストは交渉が終わったのか、苦い顔でふところを探っていた。
 ファナは、何となく目をそらした。
「ファナ?」
「はいはーい!」
 ルストの声に、振りかえろうとし、
「――――!?」
 視線のすみに、何かが見えた。
 剣士や術士らしき若い男女数人が角を曲がっていく。
 街に来たサオンシーカー……通称トレジャーハンターだ。
 だが、ファナの心には冷たい炎に満たされた。
「ファナ?」
「……夕方には帰ります」
 そして副店長の返事も聞かず、ファナは走り出していた。


 彼らは、人気のない街外れの通りに入った。
 灰色の影が路地裏に落ち、放置されたゴミをネコが漁っている。
 三人のトレジャーハンターは、そこで止まった。
 ファナ・リーンは、ゆっくりと彼らの前に立ちはだかった。
 男の一人が、目を見開いてファナを凝視した。
「よ、よぉ、ファナ・リーン……」
「久しぶりね」
 いっそ優しい声でファナは言った。
 別の小柄な青年が、怯えたように辺りを見まわした。
「……や、やせたわね」
 別の女性剣士が薄笑いを浮かべた。
 やや長身だが均整の取れた体つきで、冷たい美貌は氷のようだった。
「おかげさまで肉体労働の日々よ。かの有名な『カニア』でね」
 ファナは、怒りを隠さない声で応えた。
「え!? カ、『カニア』がこの辺りに来てるのか!?」
「今日は休日だけどね」
 盗賊の格好の小ずるそうな青年に、ファナは一歩を踏み出した。
 が、相手三人は、引かなかった。
「……どうやら『あの男』はいないようだな」
 静かにニヤリと笑う男。
 ファナ一人と見ぬかれたようだ。
 だが、最初からだますつもりもない。
 相手が余裕な態度に戻るほど、ファナの炎は強くなった。
「私のウワサ、聞いてるわよね……?」
「ああ。カード勝負にイカサマなど、ガラにもないな」
 術士の男が、無表情、無感動に言った。
「ヤケにもなるわよ! 半日で全てを失えばね!!」
「オルサンは、あんたの説明を信じたのかい?」
 剣士の女性が、腰の長剣にチラチラ手をのばしながら聞いた。
「信じてもらえたら、タダ働きなんかしてないわ!!」
「つまり、あの男は……オルサンは、俺らを追ってないと!」
 盗賊の青年が、ニヤリと笑った。
「言っとくけど、だからって逃がさないわよ」
 ファナは瞳を閃光でぎらつかせ、一歩踏み出した。
 だが、三人は引く様子もなくニヤニヤしてる。
「……罪悪感のカケラもないの? あんたたち……」
 ファナは怒りより虚しさを感じ始めていた。
 息を吸って、大きく叫んだ。
「何で、仲間だったのに、全て私に押しつけて逃げたの!!」
 一番背の高い術士が、ファナから目をそらしながら言った。
「……仕方がないだろう。お前だけだったではないか。
 大まじめに、あの『収穫』をオルサンに渡そうとしていたのは」
「頼まれた依頼を果たすのは、当たり前じゃない!」
「だ、だって銀族だぜ? 人間の世界なら、いくらでも逃げ道が……」
 盗賊の青年の言いぐさに、ファナは、ガマンも限界だった。
「……いまさら、友情やお情けに期待なんかしないわ」
 低く身構えた。
「あんたらを、役人に突き出す!!」
「……おまえ、昔っから短気だよなぁ」
 盗賊の男が、やけに嬉しそうに短剣を抜いた。
「仕方ないよね。あたしらも口封じはしなきゃと思ってたんだ」
「あれを、見た可能性のある者は全て……と言われている」
 女剣士や、男の術士も攻撃の構えに入った。
 ファナは元仲間の迷いのない行動に、そっと肩を落とした。
 ――分かっちゃいたけど……『カニア』にいたからなぁ。
 感慨にふけりかけ、あわてて首をふった。
 魔獣やワナが口を開けて待ち構える中をくぐり、ただ宝物を目指すトレジャーハンター。一度袂を分かてば、昨日の味方は今日の敵。
 それがファナの世界だった。
 最後のダンジョンに一緒に入ったのがつい先日のようだ。
 ――いいわよ。別に、もう。
 ファナは、剣をぬいた。
 女剣士が、突っ込んできた。
 ファナはサッと横によけ、叫んだ。
「どうしてアレを持って逃げたの!」
「お前のモンじゃねぇだろ!!」
「みんなで協力して取ったんじゃない!!」
 盗賊の青年が、横から毒の塗られた短剣で襲いかかってくる。
 続いて、術士の青年の術式が終わった。
「エゲンの公式!!」
 高温の白い炎が、ファナに襲いかかった。
「あんたたちのおかげで……私は……私は……」
 大剣と毒剣、呪文をかわしながら、ファナは叫ぼうとした。
 ――が、なぜか後がつづかなかった。
 それを別のイミに受け取ったようだ。
 盗賊の男はニヤニヤしながら、
「――ああ、聞いたことあるぜ。『愛人』だろ?
 毎晩、どんなふうに可愛がられてンだぁ?」
 術式より強い炎が、ファナの胸に燃えあがった。
「……それ以上言ったら、殺すわよ!」
「へえ、どんなふうに?」
 剣士の横なぎを、寸前でかわす。
 しかし、いくらなんでも三対一は不利だった。
 よけるのが精一杯で、徐々に追いつめられていく。
 ――短気を起こすんじゃなかった……。
「短気を起こすんじゃなかったという顔だな」
 術士の青年が冷酷に笑った。
 言い返そうとしたファナの目の前に毒剣がせまった。
 かわそうとした瞬間、魔術の衝撃波にまともにあたった。
「――――!!」
 悲鳴も出ず、ファナは路地を二転三転して倒れた。
「…………っ!」
 女剣士がファナの髪をつかみ、容赦なく腹にこぶしを入れる。
 目の前が真っ白になり、胃が逆流するヒマもなく、第二撃が入る。
「…………!!」
 顔から地面に突っ込み、頭が切れ、血が流れ出た。
「……ファナ、もうやめない? 元仲間じゃないか」
 女剣士が、妹に話しかけるように優しく聞いた。
 ファナは、血の出る唇をかんでにらんだ。
「…………アレ……は……どこ…………?」
 剣士がためいきをついて、髪をわしづかみにした。
「…………う……!」
「もうないよ。探索から帰ったあの日に、どっかのお大尽が来てさ。やけにアレを欲しがったんだ。代金はオルサンが払う成功後報酬の数十倍!!
 そりゃ、あんたに相談しようと思わなかったわけじゃないけど……」
「ちょうどお前が責任者で契約かわしてたことに皆が気づいてなぁ」
 盗賊の青年が、毒剣をチラつかせながら言った。
 ファナは渾身の力でもがいたが、体はピクリとも動かなかった。
「ま、そういうわけだ、ファナ。それからお大尽と我らは、非情に親密なおつきあいをさせていただいている」
 術士の青年が気の毒そうに言った。
「人を……名前で呼ぶんじゃ……ないわよ……」
 唇を血が出るほどかんだ。
「それに…わ……たし……は、あの……は……何も…見て……」
 何とか反撃のスキをうかがおうとした。
「どこから出たかを知っているだけでも、十分マズイんだ」
 と術士の青年。
「………あれは……何だった……のよ……?」
「ただの紙切れだ。それ以上でもそれ以下でもない」
 ――……冥土のお土産でも、話しちゃ……くれないか。
 盗賊の男が、嬉しそうに短剣をファナのノドに近づけた。
「それじゃ。もういいな」
 ファナは歯をくいしばって、目を閉じた。
「じゃあな、ファナ。お前はいい相棒だったよ」
「お前たちには、ふさわしすぎるのが欠点だがな」
 路地の入り口から冷たい声がした。
 ファナは、そろそろ驚く気になれなかった。


「――だ、誰だ?」
 女剣士が驚愕した顔で、ファナから飛びすさった。
 すかさずファナを守るように、大オオカミが前に立った。
「今、代わりの採石係はいない。次を探すまでどれだけ損失が出ると思う」
 昔の仲間よりも、はるかに感情のない冷ややかな声だった。
 けど、それが恐ろしい怒りを秘めていることが、ファナには分かった。
「女のコに暴力はいかんよ」
 しわがれたコリンの声。
「ファナぁ。助けてあげるから、朝置いてったの許してねぇ!!」
「よく分からないけど、なにげに助っ人なんです!」
 目を真っ赤にして触手をブンブン回すメディマ。
 新品の出刃包丁を雄々しく構えるセーリア。
 いつもはファナにかみつくスキをうかがうアムフ・カマルも、背中の毛を逆立て、よだれをたらして三人にうなっている。
「ファナ! この迷惑従業員。みんなで方々探したんですよ?」
「まあまあルスト。今は敵がおるでな」
 コリン翁が、咆哮一声、巨大な地竜に変化する。
 尾の一振りで、古い石壁が土塊のように崩れた。
 敵がビクっと後じさる。
「みんな……」
 ファナの目が、不覚にも潤んだ。
「ファナ、こいつらは殺すんですか? 捕らえるんですか?」
 平然としたルストの言葉に、仲間の目がファナに注がれる。
「えっと――」
 ファナは一瞬、言葉につまった。
 そのスキを、敵は見逃さなかった。
「逃げるぞ!!」
 術士が言うが早いか、三人は、たちまち路地の奥に消えた。
 アムフ・カマルが怒りの唸り声をあげ、後を追って走った。
「彼女だけじゃまかれる! メディマ! 後を!!」
「無理よ! 人間の気配って魔法とは違うもん!」
「くそ、私が追う! タダで済むと思うか!!」
 ルストは、血走った目で路地の向こうに消えた。
 ファナは全身から血を流した状態で、ボンヤリ考えていた。
 ――……私の……ために……? いや……多分……
「ファナ、ファナ!!」
「ファナちゃん、しっかりするんじゃ!!」
 意識が、ゆっくりと闇の彼方に沈んでいった。


 街の施療院は、速やかにファナを治療してくれた。
 だが、治癒術が体力をやや消費させたため、ファナは数刻、ベッドにいなければいけなかった。
 窓から夕日のさしこむベッドの周りには、全員が集まっていた。
 やはり、逃げられてしまったらしい。
 ルストもアムフ・カマルも悔しさを隠しきれない様子だった。
 けど、ファナはどこかホッとした気分だった。
 ――あいつらを捕まえたら、この店を出なきゃいけなかった……。
 殺すか捕らえるかと聞かれたとき、仲間のことが不思議に浮かんだ。
 ――いつも笑ってるコリンじいちゃん、よく噛むけど利口なアムフ・カマル、ヤバ気な白い物体を垂れ流して『泣く』とほざく銀族メディマ、笑顔で殺人料理をふるまうセーリア、年中陰険なルスト副店長――。
「ファナぁ、まだどっか痛むのぉ?」とメディマ。
 ファナは汗をかいた。
「い、いや。自分の選択が間違ってたような気がして……」
「エライ失礼なこと考えてたでしょ、あんた」
 ニコニコと拳をボキボキ鳴らす副店長。アムフ・カマルも歯をガチガチ鳴らし、噛むスキをうかがっている。
「ち、違うわよ!」
 ファナは、あわてて弁解した。
 しかしそうする間にも、皆が何かを待っているのは分かった。
 黒い髪をかきあげ、大きくためいきをついた。
「つまり、私がここに来ることになったワケはこうよ」
 ファナは話し出した。
「まず、最初にオルサン店長から依頼が来たの」
 従業員――とりわけルストが息を呑む気配があった。
「……で?」とルスト。
「費用は彼持ち。依頼はどこかの建物跡を調査してくれ。仕事は成功。
 けど、あいつらが押収品を持ち逃げ。まだ純だった私は、混乱してヤケになって、オルサン店長に一発逆転勝負を挑んで、借金を数十倍にしましたとさ……同情の余地もないでしょ?」
「もちろんです」とルスト。
『あるよ!!』
 メディマたちが叫んだが、ルストは知らん顔だ。
「治癒術が効いたら早く帰りましょう。明日も仕事だ」
「鬼……」
 うめくファナ。そこでハタと気づいた。
「そういえばさ、みんなで店を空にして大丈夫?
 アムフ・カマルまで来ちゃってるし」
『文句あるか』と言いたげにうなる黒オオカミ。
 すると、ルストがふいに目をそらした。
「いえ……その…店長がお帰りになったらしいんです」
「オルサン店長が!?」
 施療院中に響きそうな声で叫んでしまった。
『シ――!!』
 あわてて、たしなめる四人。
「ま、まあ、契約更新日も近いからのう」
 恐怖の表情で身を震わせるコリン。
「立てますか? ファナ」
「う、うん……」ファナはベッドから降りた。
「じゃ、みんなで帰りましょう!」
 買った包丁をクルクル回しながら、セーリアがニッコリ笑った。
 全員、凍りついた笑顔で、セーリアから離れた。


「『みんなで』が何でこうなるのよ……」
「置いてきましょうか、あんた?」
 凶悪に答える副店長。
 夜の街道は、すでに人気もなく静まり返っていた。
 セーリアが、今夜は店長の歓迎会!とはりきって愛狼アムフ・カマルに乗って帰り、お祭り好きのメディマと地竜のコリン翁もつづき、ノロノロ歩く二人が残された。
 暗い夜道をトボトボ歩いていて、ふいにファナは思い出した。
「そういえば、あのブローチ買ってくれた?」
 ルストはギクっと身じろぎした。
「だんな様、ずいぶんとリンショクでいらっしゃること……」
「……なれない言葉は見苦しいだけですよ?」
「ごまかすな!!」
 買ってもらう立場のワリにやけに強く出るファナ。
 ルストも、たじたじと下がり、
「……その、昼のパンを買ったら、小銭が尽きて……」
「で?」
「いくら何だって、人通りの多い広場で札束の入った封筒を出すわけにいかないでしょう?」
「……ごもっとも」
 ファナは、大きくためいきをついた。
 なぜか、心の中に大きな穴が空いた気分だった。
 その背中を、ルストがポンポンと叩いた。
「いつでもあげますよ。あんなものでよければ」
「…………?」
「私を誰だと思ってんです。魔法石店『カニア』の加工係ですよ?」
 ファナは、意味するところに気づいて目を丸くした。
「……じゃ、店で一番ゴージャスでお高いやつ!」
「調子に乗るんじゃない!……ま、今じゃないけど、クズ原石のいいのを拾っといて、あなた用に加工しておきますよ」
「……クズ原石ですか」
「それで十分」
「いつ、くれるの?」
「今じゃないと言ったでしょう。気長に待ちなさい」
「うん!」
 ファナは、何だか心が軽くなった気がした。
 鼻歌でも歌えそうな気分で、ルストの少し先に立った。
「ところで……ファナ?」
 少し浮かれていたが、彼の声が微妙に変わったのは分かった。
「何?」
「オルサン店長ご依頼の場所って……どこでした?」
「うーん、言うなって言われてんだけど」
「……もう、そんな契約はご破算でしょ?」
 ルストの声は、さらに低くなった。
 ファナは気づかないフリをして、気楽に答えた。
「そうね。裏切られたし……ええと、どっかの廃墟だったわよ」
 少しの沈黙があった。
「…………探すのは、書類か何かだったんですか?」
 ファナは驚いた。
「そうよ。よく分かったわね! 何かのリストだったわよ」
「…………リストというと、例えば……」
「名前……だった気がする。奴ら、その口封じをしたかったみたいだけど、実は私、よく見てないのよね」
 こうなるなら、よく見ておけば……とファナは悔しくなった。
 そのとき、ルストの足音が止まっているのに気づいた。
「副店長?」
 振り向くと、暗闇の中に、ルストが立ち尽くしていた。
 いつも青白い顔をいっそう青ざめさせ、
「そのリストが…………店長でない方に渡った……?」
「え……うん」
 顔を上げたルストは、いつか見た恐怖の表情をしていた。
「ど、どうしたのよルスト」
 ルストの体が、震えていた。
「サ………カー……が―――」
「え? 何? 何て言ったの!?」
「…………いえ、帰りましょう」
 応えずに、ルストは幽霊のように闇の中に消えた。
 ファナは少し呆然としていたが、あわてて後を追った。


 アシュク・ルソンは、月も昇りきった夜半に帰ってきた。
 自分たちの不味いスープを嘆いていた部下たちは飛び上がった。
「アシュクさん!!」
「お帰り、嬉しいっス!」
 ワッと駆け寄る男たち。
 アシュクはケガ一つしている様子ではなかった。
「アシュクさん、勝敗は……」
 震える問いに、彼は黙ってうなずいた。
 それだけで充分だった。
「アシュクさんが勝った――!」
「リーダー万歳!!」
 寒風の吹く小さな陣営に、歓声が爆発した。
 アシュクは無言で手を上げて応え、焚き火の前に座った。
 部下たちはすぐ、炎に浮かび上がる精悍な男に意識を集中させた。
 アシュクは、何やら小さな包みを持っていた。
 出発するときには持っていなかったものだ。
 部下たちはギクっと身を引いた。
 ――も、もしかして……負けた奴の……?
 ――ど、どうしよう。アシュクさんに気絶するとこ見られたら…。
 アシュクは無言で包みをほどいていく。
 焚き火は静まりかえり、緊張が走った。
 出たのは……包丁だった。
『へ……?』
 包みから出したのは、小ぶりな一振りの包丁だった。
 握りの部分は高級木材、鍛えた職人の名前が掘られている。研がれた青黒い刃は命があるかのように美しく輝いていた。
「……アシュクさん、それは?」
 一人が恐る恐る聞いた。
 しかしアシュク・ルソンは応えず、包丁を見つめていた。
 そして部下たちの視線に気づき、照れくさそうに、
「大手食堂の雇った奴も、なかなかの腕前だったがな。
 審査員は、真実の心でオレの料理に判定を下してくれた。
 だがジイさんは、オレの料理がもう自分を超えていると……」
 そして、物思いにふけるように、また包丁を眺めた。
 しばらく棒立ちになっていた部下たちだが、一人が、
「あの、何の対決に行ってたんですか?」
 しかし、すでにアシュク・ルソンの意識は彼方にあった。
 ややあって、一人が仲間にポツリと、
「まあ、これからメシがもっとうまくなるんじゃないか?」
 全員の目がわずかに輝いた。
 そして、アシュクを一人にさせておこうと立ち去った。
 彼は、部下の配慮にも気づかず、包丁を眺めつづけていた。
 そして静かな声に情熱を込めて呟いた。
「ジイさん、オレはやるぜ。あんたの食の志、オレが必ず継いでやる」
 その瞳は決意に燃え――何かが違うということに気づく様子はなかった。















あとがき:

 一ヶ月遅れですいません……。
 それで、次回はと言いたいのですが、私も受験なんで今月から投稿を休みます。いえ、本当は続けたかったです。けど他に優先事項が出来た上、先日模試が返ってきまして……これがまた……その…………(大汗)。
 というわけで感想だけでも、出していきたいです。
 それでは、どうもお世話になりました!

 青木梨