明日咲く花 プロローグ2
作:優樹





プロローグ2 緑色の悪魔


 少女の住む施設は、一種の国だった。
 施設は、分類すれば孤児院だった。離島にたてられたその建物には、100余の家族が生活していた。孤児達の築いた家庭だ。だけど、ほとんどのひとが、そこ以外に世界があることを知らなかった。知っているのは、実質「王」である孤児院の院長と、12人しかいない教授達だった。
 過去に7人も教授を輩出してきた名門ナハトムジーク一家が住まう部屋の隣部屋に住むノーフォーク家のレイチェル(五歳児)といえば、この狭い世界の有名人だった。
 まず容姿は目立つ。
 その一家だけの特色でもある、桃色のかかった不思議な光沢の栗色の髪に、珍しい水色の瞳をしていた。すっとのびた鼻筋が印象的で、幼いながらも人形めいた美しさをもった少女だった。
 次に性格は朗らか。
 彼女はたわいのない悪戯が大好きだ。さて、今日も少女は悪戯を思いついた。

 昼休みの話である。
 ドンは仲間達と談笑しながら、廊下を歩いていた。ドンは、不意に立ち止まった。ドンの目の前には茶色の斑点がたくさんついている黄色いそれが100枚くらい落ちていた。少し先の曲がり角を見ると、白い壁に身体だけを隠し、目を輝かせた幼なじみの顔が見える。
「お、おいドン」
 少年達は、それとドンの顔を代わる代わる見た。
 ドンは真剣だった。浅黒い肌に、冷や汗が浮かんでいる。
「……これは試練なのだ」
 ドンは、拳をふりあげて叫んだ。
「俺がレイチェル・ノーフォークの婚約者としてふさわしいかどうかの、これは試練なのだ!
お前達!」
「へい!」
 少年達は、勢いよく返事をした。
「いい返事だ! 人が来ないかみはってろ」
「へい!」
 少年達は廊下を見渡せる位置にそれぞれついた。
 ドンは生唾をのみこんだ。
(ああ、僕が、名家の僕がこんなことをしなければならないとは! しかし、愛する君。君の期待を、どうして裏切れようか……。ここには百日分の彼女のおやつもとい愛がしきつめられている!)
 ずるっ。ドンの涙が宙にまって、きらきら光った。
 角にいた少女はその様子を指さして笑い―――「ドンの阿呆が古典的手段にひっかかって転んで頭打った! やっぱり100日分のバナナの皮をためておいてよかったわ」去っていった。
「あ、レイチェル!」
 ドンは少女をおっかけていき、少年達もつづいた。
 少女は軽い足取りで階段からとびおり、走っていった。この年頃にあまり男女の区別はなく、むしろ体の成長のはやい女子の方が体力はある。
 ドンは、渡り廊下で少女に追いついた。少女は立ち止まって、中庭を凝視していた。その視線の先には、少年がいた。
 金髪碧眼で、美しかったが、人工的な感のする少年だった。
 少年は、マドンナ先生とみんなが呼んでいる、綺麗で優しいと評判の女性教師に、摘んだ花をもって熱っぽく何か語っていた。
「ねぇ、あれ誰よ?」
 少女は、後ろから追ってきたドンに訊ねた。
「ああ、あれはライルだよ」
「苗字は?」
「それがないのさ。父親も母親もわからないんだ」
「でも、誰かが妊娠すればすぐにわかるわ。隣の部屋に夜鳴きとかは響くし……隠して育てるなんてことは不可能よ!」
「だから父さんは言ってたよ。あれは悪魔の申し子だってね。突然現れたんだってさ」
「ふぅん。不思議ねぇ」
「ま、そんなことはどうでもいいだろ。それより今日の食事、こないか? お母さまが腕によりをかけてご馳走をつくってくださるんだ」
「一分後だったらOKしたけど、もうだめよ」
「なんで」
「わたし、あの人とお友達になるもの」
 そういって少女は、少年のもとに歩み寄った。
「なんだって?」
 ドンは少女を追う。ドンの舎弟達は、渡り廊下で様子をうかがっていた。第一施設と第二施設をつなぐ渡り廊下には天井しかなく、見晴らしはよい。
「緑色の、悪魔さん」
 涼やかな声で、少女は語りかけた。しかし、少年は反応しなかった。かまわずマドンナ先生を熱心に口説いている。
「その呼び方って友達になるっていうより、ただたんに喧嘩をうってるだけでは? だいたいどこが緑色なんだよ」
「じゃあ、ライル君、ライル君」
 少年は無反応だ。
 沈黙。
「レイチェル、やっぱり、今日、ご飯食べにこないか? うちの家にある唯一の宝石、見せてあげるから」
「……いただくわ」
 少女は、少し悔しそうに言った。
 
 夜の帳がおりて、部屋には灯がともされた。
 リビングは白一色で、真ん中に置かれたテーブルのせいか、四人だと少し手狭に感じる広さだった。装飾品はこれといってないが、クライネ夫人手製のカーテンやテーブルクロスの刺繍が品よく部屋を飾っていた。
 少女は、赤いクッションの上におかれた小さな石を見つめていた。
 はじめて「宝石」と呼ばれる石を見たときの感動を、少女はわすれることができない。
「それはレイチェルの瞳の色に似ているね」
 クライネ氏はそういった。クライネ夫人は食後の珈琲を用意しながらつづける。
「そうねぇ、レイチェルちゃんの瞳も、負けずおとらず綺麗だものねぇ」
「レイチェルの瞳のほうが綺麗ですよ、お母さま」
 ドンが少し怒ったように発言した。レイチェルの肩をクライネ夫人は叩いた。
「ケーキもあるわ、食べて行きなさいな」
「ありがとうございます……でもなんて綺麗な石。どうしたらあんな石が出来るのかしら? 普通の石を磨き続ければ、あんな石になるものなの? ロスパラには、たったひとつしかあんな石がないのですもの」
 席につきながら、少女は夢見るようにそういった。
「はっはっは。よくはわたしも知らなくてね……まぁ、祖父がいう話では、あれは実だそうだよ」
「実?」
「心美しい乙女が―――これは身も心も神にささげた乙女でないといけないのだが―――三日三晩、寝食を忘れて花の手入れをするんだ。すると花に神が宿り、その花は美しい実をひとつ宿して枯れてしまう。その花の種類によって宿る神々がちがい、様々な宝石が出来るそうなんだ」
「まぁ……あたしリーベルタースを信仰しようかしら」
 少女は、格言にでてくる自由の女神の名をあげた。
「なら、なんといったかな……エリカという花がいいにちがいない」
「あたし、これからその花を庭にうえて、三日三晩世話をするわ」
「レイチェルちゃん、でも学校があるわ」
 クライネ夫人がたしなめるようにいった。
「そういえば―――」
 クライネ氏が、ふと思い出したようにいった。
「ライルという少年がいるだろう。あの少年は、緑色の宝石をもっているそうだよ」
 余計なことを! という顔の息子とは対照的に、少女は嬉しそうに眼をみひらいた。
「まぁ、あの緑色の、にくったらしい悪魔さんが?」
 クライネ氏はあやうく珈琲をふきだしかけた。
 彼も教授のひとりだった。