明日咲く花 プロローグ3
作:優樹





プロローグ3 エメラルドの魔法


 少女は噴水の像の上にいた。少年は、噴水の縁に座ってぼんやりしていた。
「とう!」
 少女は像の上から飛び降りた。少年の頭を踏みつけてクッションにすると、見事に着地した。
「拍手は? 少年」
「首の骨折れるとこだったぞ」
 少年は首をおさえながら、睨んだ。
「死にゃしないわよ」
「首の骨折れたら死ぬってしらないのか、馬鹿が」
 少女は鼻白んだ。
「悪魔は死なないって知らないの、勉強不足ね」
「悪魔は自分だとわからないのか、カルシウム不足が」
 少年の言葉には構わずに、少女は手を差し出した。
「あなたが宝石を持ってるって聞いたの。見せて」
「宝石って、エメラルドのことか?」
「エメラルドっていうの。いい名前ね」
 少年は、白いブラウスの胸からペンダントを一瞬だけ取り出すと、またしまった。
「見せなさいよ」
「やだよ」
「どうして」
「第一に、これは母親の忘れ形見だ。第二に、俺はお前が大嫌いだ。第三に、悪魔に汚されたくない」
「すんばらしい侮辱。……こうなったら意地でも手に入れてやるんだから」
「取れるもんなら取ってみろ」
 昼休みの終りを告げるチャイムは鳴る。
 少年は宝石を高く掲げた。
 少女はジャンプして奪い取ろうとする。
 少年はしゃがむ。少女もしゃがむ。少年は走りだした。少女は追いかけた。少年は木に登ったかと思うと、開いた窓から2階へ侵入する。少女も侵入する。
 少女は中庭に出ると、地面を蹴って少年に抱きついた。少女達は横向きになって、芝生の上に寝転んでいた。少女は少年の胸を指さした。少年はペンダントをはずして少女と少年との境目にいた。
 少女は指先でエメラルドにふれた。
 少年は笑った。その笑みを見たとき、少女の心に感動は訪れた。草が糸のように生い茂った、原っぱに風は吹く。波を起こして風は吹きぬけ、鳥達は一斉に羽ばたき、朝陽は今上ろうとしている!
 少年の髪と目は黒だった。少女には、どちらもエメラルド色に見えていた。
 少年は指を伸ばした。エメラルドに注意深く触れる。指先は重なった。少女は宝石を握った。少年は少女の手首を握った。少年はそのまま拳をすくいあげて、少女の手の甲にキスをした。2人は自然に顔を寄せた。青い匂いは高まる。唇は触れようとした。
 水風船の弾ける音は中庭に響きわたった。
「お前ら、ラブシーンは結構だが、やるならせめて授業中にしろ」
 上からかけられたその声を合図として、次々と口笛はあがる。
「いいぞー、ご両人」
「続きはしないのかよいくじなし」
「ひゅーひゅー」
「私達にもあんな頃はあったわ」
「キスした瞬間、あの男の子は金髪碧眼になっちゃって、実は前世界の王子様だったりするのよ」
「きゃー」
「キッス、キッス、キッス」
 中庭を囲む窓という窓が開けられて、孤児院の面々は体を乗り出していた。教師のぶっかけたバケツの水のせいで、すっかりずぶ濡れになっている二人は、上半身を起こして苦笑した。
「ねえライル」
「何だいレイチェル」
「1つだけ約束してほしいの」
 少年は、顔を少し傾げた。
「ライルとレイチェルが友達になるための約束よ。けっして裏切らないこと」
「いいよ。その代わり約束して。君も、僕を裏切らない」
 少女は鮮やかな笑顔を見せた。
「もちろんよ―――このエメラルドにかけて」
 二人は微笑んだ。
 そんな光景をドンは眺めていた。
「ドン」「親分」「ボス」
 ためらいがちに、子分達は彼の名前を呼ぶ。
 ドンはふりかえって、拳を突き上げた。
「許せん! ライルの奴、こうなったら神様の代わりに俺が天罰をくれてやる。まず落とし穴だ。下にはマリカおばさんの作っている納豆とかいう健康食品をひきつめよう。次は奴の背中に毛虫とかゴキブリとかを入れる。次に眠っている時に、耳元で怪談をささやく。次に木にくくりつけて全身くすぐりの刑を執行する」
 全員古典的だとかバカかとは突っ込まなかった。感涙にむせて拍手する。
「素晴らしいです、親分」
「きっと成功してやりましょう、ドン」
「我々のレ(ドンににらまれて)……じゃなくて、ドンの(強調)レイチェルをたぶらかした罪を思い知らせてやりましょう」
「すぐにグロファッショナブルを雇ってきます」
「……プロフェッショナルだろ」
「そーともいう」
「そーとしかいわネェよ!」
「ええっと、ご家族へのアリバイ工作は任せてください」
「グロいファッショナブルな女性を雇ってどーすんだよ!」
「なんだと、俺の母さんを馬鹿にするのか!」
「意味わかんねぇよ!」
「俺は納豆の調達に……」
「おメェそう言ってマリカさんにご馳走してもらう気だろ」
「つまりうちの母さんは、グロファッショナブルでセンターナショナル・グラフィックスで、フォント・ポップ数がうんたらかんたら以下省略」
「お前知ってる単語をあげているだけだろうが! うちの母さんなんてなあ以下省略」
「こんの、オバコン(作者注 オバサン・コンプレックスの略。“猫の目”によく使われている)めええ!」
「なんだって、マリカおばさんはたったの120歳だぞ!」
「それならババコンだ」
「みんな……行けよ」
 ドンが呆れた顔で命ずると、みんな生き生きとした表情で答えた。
「イエス、ボス!」
 子分が散ったのを確認すると、ドンは呟いた。
「うるさい奴らだ……」
 窓の外を見た。
 太陽の光に照らされた少女は、ずいぶん遠い人に思われた。