ep.01 色のない部屋 "necessity which is not fate" to "liberating star only of one person sings"
作:紳士





 斜めの光が、漂う白い塵に遮られている。
 それらは部屋の中に唯一ある机の上の今まで"何か"が在った空間に降り積もる。
 そして全ての面影を時と共に消し去ってゆく。
 もし、全ての偶発生が必然性をともなうとしたら…この部屋に色がないのもそういったことなのかもしれない。


 それはあまりにも突然だった。そのあと、数日間の記憶がない。どこをどう歩いたのかさえ覚えていない。
 そして、わたしは今ここにいる。ここがどこかはわからない。ただ過去に人が住んでいたことだけは確かだった。しかしその事実さえ疑わしい状況だったけれど、全く不相応な一部屋だけが事実を肯定していた。
 わたしは扉を開けた。
 それと同時に、えもいえぬ孤独感にわたしは襲われた。未来がわたしを否定しているようにも感じた。
 およそ五メートル四方の部屋に、小さな机がひとつ。それに机の斜め後方に、小窓がひとつ在るだけだった。
 しかしわたしがもっとも気になったことは「この部屋…色がない」


 どうしようもない睡魔に襲われたわたしは、気付くと近くにあったソファーを引きずってきて眠ってしまった。
 いつまでも涙が止まらなかった。
 わたしは夢を見た。決して忘れられない、忘れたくない"あの人"の夢だった。夢の中で"あの人"がわたしのことをよんでいた。でもわたしは、何故かその場を一歩も動くことができなかった。
 そして"あの人"が…夢はそこで終わっていた。


 眼を覚ますと、扉の前に見覚えのない少年が立っていた。
「あ、ご、ごめんなさい。誰も住んでないのかと思って…」
「気にしないで。この部屋に来たってことは決して偶然じゃないんだから。それより涙をふきなよ」
「…ありがとう」
 扉の外から吹き付ける風が、今まで眠っていた部屋に命を吹き込む。
 風に吹かれ、ほんの少し胸が痛かった。彼が、机に座った。
「別にここにいたいのなら、いつまでもいてもいいよ。ただそんなことは、ないと思うけどね」彼が確信に満ちた微笑をわたしに返した。
 身長は、だいたい150センチメートル前後、といったところだろうか。年齢は13、4歳ぐらいに見えた。
 まだあどけなさの残るその声は、草原に吹く風のように澄みきっていた。でもやっぱり、色は感じられなかった。それにその微笑みにわたしは、不思議な違和感を感じずにはいられなかった。
「本当にここにいてもいいの?」
「うん。構わないよ。僕のことなら、たまにここに来るだけだから、気にしないで。僕の名前は瞳。"ひとみ"と書いて"あきら"と読むんだ。それで赤い瞳の君は、なんて言うの?」
 わたしの瞳は赤い。理由は誰も教えてくれなかった。
「わたしは…きみな」
 すると瞳は引き出しの2段目を開けると、中から擦り切れた赤いバンダナを取り出した。
「はい、これ。このバンダナはこの部屋にいるための証なんだ。これを腕にまいておけば全てが理解できるはずだよ。きみながこの部屋に来た必然性も、この部屋に…色がない理由も…」
「証?それに色がない…理由?」わたしは首を傾げながら聞いた。
「そう、色がない理由さ。この部屋には…ね。だってこの世界に、必然性を伴わない事象なんて、存在しないんだよ。でも人は普通に生きている分には、そのことに気が付かない。もっとも気が付く必要は、あまりないんだけどね。それでも新しい明日を探しているんだから、僕から見れば人はみな滑稽さ」
 それだけを言い残すと、瞳はわたしの前から姿を消した。
 擦り切れた赤いバンダナだけを残して…


 バンダナの入っていた引出しを開けると、一枚のモノクロ写真と、青色の蝋燭が入っていた。
 そのモノクロ写真には、十三年前の今日の日付けのわたしと"あの人"が写っていた。不細工な泣き顔のわたしをあやす"あの人"が写っていた。今ではもう、片隅に追いやられてしまった笑顔だった。
 そしてもう一人…見覚えのある顔だけど…瞳?
 何かを思い出しかけたわたしは、青色の蝋燭に火をつけ、また横になった。
 その衝動に、突き動かされるがままに、赤いバンダナをつけ…


 しだいにわたしの意識が遠のいてゆくのがわかった。
 気付くと、部屋中に広がっていった薄い煙の先には…見慣れた景色が、広がっていた。
 しばらくして、周りがはっきり見て取れるようになった。いつもの部屋、いつもの朝食、いつもの…
「え!?兄様!?」


 けれど兄様は優しく微笑み返すだけで、わたしの問いかけに答えてはくれない。
「兄様!兄様なんでしょ!ずっと、ずっと逢いたかった…!」
 しかしその手を握りしめようとすると、すり抜けていってしまう。
 周りの風景が、映画のワンシーンのように、次々と流れていく。未来、過去、現在…それらは時間軸を無視したように、次々とわたし達の周りを流れていった。
でもどこまで追いかけてもこの手で抱き締めることができない。
「兄様、何で…?」
 ひとすじの雫が大河を形成するように、昨日が…ゆっくりと動き出した。


 透明な風が、そっとわたしの頬をなでた。
「きみな。わかっているはずだろ?僕はここにはいない。いつまでも覚めた夢にすがっていては駄目なんだ。何故あの部屋に色がないのか、何故僕がセピア色なのか、全てはじきに分かるから」
「じきっていつ?それにわたしはそんな事を知りたいんじゃない!ただ、ただもう一度愛して欲しいの!わたしもう…何も感じられなくなってしまいそうだから!お願い、もうわたしを置いていかないで…」
「僕はきみなの悲しむ顔なんて見ていたくない。まして、涙なんて…。だって、僕もきみなのこと愛していたから。いや、その気持ちは今も変わらないし、この先も変わらない。絶対に。
 僕らは何もかもが許されていたわけじゃなかった。だけどそんなこと関係なかったじゃないか。兄姉なんて事実、何の意味も持っていなかった。たとえ僕が死んだって、心の奥ではずっと繋がってるはずだろ?だから、僕が生涯で唯一愛した人だから。僕が望むものはきみなの幸福だけだから。きっときみなにも色が見えるはずだから…きっと…」
「そんな…そんな綺麗事で済まさないでよ!心の奥で繋がってるなんて言っても、もう兄様に会えないことは変わらないんだから、悲しみをいたずらに増長させるだけだよ!それに、わたしにも色が見えるってどういうこと?わからないよ!何も…わからないよ!お願いだから寄り添ってよ、抱きしめて耳元でいつものように囁いてよ!わたしは強くなんかなれないよ!」
「きみな。いい?瞳を開けて。まわりを見て。ほら…ね?」そう言われてわたしは気が付いた。いつのまにか、周りに広がっている草原に。
「この草原は…どこ?」
「僕らが初めて出逢った場所。全ての原風景。最初の約束、覚えている?」
「…あの、約束?」
「そう。だから、きみなは幸福になってほしい。僕のためにも」
「もしかして、あの部屋は…あの日々の部屋だったの?」
「そう。もう大丈夫だよね?自分の足で歩けるよね?だって、僕が愛した人だもの。きみなはまだ、何でもできるはずだから」
 遠くの彗星達が、キラキラと地上に舞い降りて雪のように銀色の世界を作り上げる。
 その時、終幕を知らせる鐘が鳴りひびいた。


 目覚めるとそこには…草原が広がっていた。ただ一つの変化を除けば確かにあの…始まりの草原だった。
 わたしは頼りないながらも、しっかりとした足取りで家へと帰った。空を見上げれば、そこには見たこともない情景が存在していた。
 歩きながらわたしはずっと考えていた。あの約束を。ずっと忘れていたけど、確かにあの草原で兄様と交わした最初の約束を。


 色以外の全ての要素を欠落していた、子供達の草原。
 そこでわたしと、兄様は出逢った。その時わたしは、欠落していた全ての要素に戸惑いを感じ、迷子になってしまっていた。だってそれらはまるで、わたしでさえも外の世界に、追いやろうとしていた様だったから。
 でもわたしは兄様と出逢えた。
 兄様はわたしを優しく抱えあげ、「いいかい、僕はいつか君の前から姿を消す。その時、僕のイノセントワールドに迷い込んできてはいけないよ。確かにそこにあるのは楽園であり、安らぎなのかもしれない。でもそれは瞬間であって、スクリーンではないんだ。だから僕に約束をして。いつかくるその時、この草原のような欠落の先に、君自身を見つけ出して」と告げた。
 その声は、わたしを包み込んでいた腕のように、滲んで、変化していった。淡く、淡く…
 まだ幼かったわたしは、全ての意味を理解せずにただ、縋っていたかった。その日からわたしは、妹になり、妹じゃなくなった。そして二人だけの生活が始まった。わたしの赤い瞳に、色が享受された。
 もともと家はあまりお金持ちじゃなかったし、小さな家だったから、二人で住むのはちょうどいい広さだった。でもしばらくして、わたし達のおばさんが両親が死んだことに気付き、おばさんの家に四人で住むことになってしまった。そう、わたしたちは両親が自殺をした後、それを隠して二人で暮らしたのだ。それは確かな時間だった、でも今では過去。約束も今ではもう、忘れかけていた。きみなという名前を聞くたびに約束を思い出していたのは、遠い幼い日…。


 何で忘れていたんだろう?わたしも、いつの間にか大人になってしまっていたのかな?
 でもこのことは、歓迎するべきことなのかな?悲しむべきことなのかな?
 家に着くと、わたしは兄様の残したノートを開いた。その表紙は赤茶けていて、十分な年季を感じさせた。タイトルは肝心帳…。
 そのノートは兄様の遺書で、詩人であり小説家だった兄様の最初の作品集だった。わたし以外の誰にも見せたくない、見せられない、わたしだけへのメッセージ…。
 そしてゆっくりノートを読み始めた。


 望むべきものは何か。失うべきものは何か。手に入れるべきものは何か。愛すべきものは何か。そして私がこれからやらなくてはならない使命も…。
 そう、全てがそのノートには書かれていた。
 もちろん大人になることに対する悲しみ、喜び、憂い、そして…のことも。
 最後の一ページに書かれたわたしへの最後の言葉…
「僕からきみなへ最後の願いがある。…"幸福になって下さい"」
 全てが吹っ切れた気がした。
 全ての偶発生は必然性をともなうのだと。そして人々はその必然性を"運命"と呼ぶのだと。赤い瞳がジクッと痛んだ。
 腕にまかれたすり切れた赤いバンダナを空へ…大きく羽ばたかせた。















あとがき

 右翼曲折があって、結局短編集のような形と相成りました。よかったら他のも読んでやってください。
 これはですね、雰囲気を意識した作品です。その雰囲気を感じ取ってもらえれば成功だと思います。
 これからいろいろ話が展開していくと思います。多分。
 一応この話はすべての大元になってるので、幾つかのキーワードがあります。まあ、その辺は皆さんで読み解いてみてください。
 あとがきって好きなんですよー、作者の地とか出るじゃないですか、やっぱり。
 でもいざ書くと…結構難しいですよね〜。精進せねば。
 では、ラフマニノフ!