ep.02 命より大切なものを持って抜け出そう
作:紳士





 それは、神の反抗とでも言うべき事件だったんだ。この世に存在する、理不尽な神の。
 何故って、だってこの話は、悲劇であると同時に、極上の喜劇なんだもの。
 そしてその事は、人はみな少なからずネクロフォービアに冒されているということの証拠になるだろ?それにやはりそれもまた、一つの原因になるんだろうし…。
 だって彼女達にとってはこれはテスタメントであり、ヒロイズムであり、ある種のオイタナジーとも言えるんだもの。きっと何をしても事態が悪化すだけだという錯覚に襲われて行った、魔法か何かのつもりだったのだろう。
 この話を読んでいる君はテアトルのつもりなんだろうけど、そんな事はない、君だって立派な主人公さ。
 俺達は所詮みんな、デクラッセなんだもの、あきらめなよ。死を恐れるだけのデクラッセ…いや、トルソーともいえるな。神は我々を完成させはしなかったんだ、そうなると神も完全じゃないのかな?
 ようするに結局は何かに縋りたかっただけなんだろう?ねえ、カミサマ。


 俺が施設に収容されたばかりの頃、あの事件(先ほども語ったが、俺はそれを神の反抗と呼ぶ)が起こるような状況ではなかったと思う。俺はまだ生まれて間もない頃だったから、あまり覚えてはいないけれど、それでも…。
 外に出ることは許されてはいなかったけれど、施設内では比較的自由だったし、ごはんもおいしかった。かなり年上の血の繋がっていない兄や姉に囲まれて、好きなアーティストもできて、おかげで四歳ぐらいからギターもはじめられたんだ(このことは重要なんだぜ)。
 少なくとも病院の前で拾われた俺が"家庭"…もしくは"家族"を知るには十分だった。
 でも神の反抗は起こった。俺が五歳のときに現実がすべて…いっぺんに終わってしまったんだ。前兆がまったくなかったわけではなかった。しかし…しかし、それはあまりにも突然だった。
 これから記憶を再構築して神の反抗について語ろうと思う。
 もう、終わらせたいから。いくらなんでも同い年の普通に育ってきた女の子に全てを背負わせるには、あまりにも大きすぎるから。俺はどうしても足りない愛を、体に求めてしまう…。
 命よりも大切なものを持って抜け出したいんだ。


 俺は生まれた。そしてその数時間後、ダンボール箱に入れられ、病院の前に捨てられたんだ。
 あたりまえの事だけど、俺は何も覚えていない。でも時々ふとした弾みで、まだ羊水に包まれていた頃を思い出すんだ。
 こういうことを言うと、よくマザー・コンプレックスといわれるが、俺には本当の母親がいないからそんな事はない。それに会いたいなんて思ったこともないし。
 それじゃあ何でそんなことを思い出すんだって?そんなの俺の方が聞きたいぐらいだ。でも思い出すたびに心の奥の方で、変化を恐れる小さなウサギのように何かが震えているんだ。それが何かの前兆ではないか、と俺は感じていた。いや、感じていたという表現は間違いかもしれない。無意識のうちに震えている胸の奥底で…願っていたのかもしれない。それが何かの前兆であってほしいと。
 病院から退院してすぐ、施設に収監された。俺は最も年下で、その後に新しい孤児が来ることはなかったから、周りは年上の、俺にとって姉や兄ばかりだった。小学校に行ける年齢になるまで施設外への外出は許されていなかったから、いつも兄や姉の話が俺にとってのマザーグースの歌だった。
 でももうすぐで四歳になるという頃、周りの空気が徐々に変化しているのを感じていた。一番歳が近い兄でさえ年齢が十以上離れていたから、聞くことはできなかったけれど、今でもときどきそのことを後悔するんだ。もっとも聞いていたら…俺はここにいなかったかもしれないけどな。
 食事の量は日に日に減っていき、見知らぬ人の写真が額縁に入れられ、部屋中に飾られた。そして訳もわからず見たこともない文字で書かれた長い文章を、一日に何回もまるで絵本でも読まされるかのように読まされた。
 施設の責任者の人が繰り返し言っていた。『近いうちに世界は終わるの。全ての悲しみや痛みはインセンスの様に、柔らかく昇華していく。この世界はインタールードなんだから、何も悲観的になることはないんだよ。でもね、この命はとっても大切なの。だってこの命が消えることがなければどんな世界にだって立っていくことができるのだから』…と。
 それでも音楽を聞く時間はあったし、ギターを練習する時間もあった。
 でもなんだか息苦しさが伝わってきて、その頃から頻繁に施設を抜け出すようになった。…当然だろ?俺はいたって健康的な幼いただの子供だったんだから。


 その日も俺は太陽が目を覚ます前から施設を抜け出していた。
 たしか…六月六日だったと思う。これは後になって聞いた話だけれど、彼女達にとって“六”は聖なる数字なんだそうだ。
 何で"六"なんだろう?わからない。わかりたくもない。仮に理解できてしまったとしたら俺はきっと…超自我を失ってしまう。そんな気がする。
 小さな体に不恰好なフェンダーのギターを背負い、いつも一緒に遊んでくれる大きなお兄さんたちのところへ行った。
 そのお兄さんたちはものすごい化粧をして、とても大きな音のする小さな家でたくさんの人の前でいつも演奏会をしていた。その中の一人のピンクの髪の毛をしていたお兄さんは、ギターがものすごい上手で、いつもギターを教えてもらっていた。お兄さんたちと会わなくなってからしばらくして、本屋においてある雑誌のお兄さんたちが載っているのを見つけた。それからお兄さんたちには会っていない。
 でもまだ俺が幼かったその日はまだ、俺だけのお兄さんだった。
 その日は別に演奏会(当時はそう呼んでいたが、要するにライブのことな)があったわけではなくて、みんなでくだらない雑談を繰り返したり、タバコの紫煙で視界が白くなっているゲームセンターでいっしょにゲームをやったり、ギターを教えてもらったりしていた。
 それでも尚施設は俺の家庭であり、家族だったんだ。最初で最後の、たった一度きりの至高の時間だったんだ。
 これから先のことはいまだに瞳の裏にはっきりと、まさしく文字通りに焼きついている。そのお兄さんたちの一人の家に向かう途中、消防車が空気を粉々に壊すかのようにけたたましいサイレンを鳴らしながら走っていった。消防車の向かう方向を見ると、空が…赤かった。まるで火の鳥が空へ羽ばたいているかのように…。その空の下は見覚えのある場所だった。
 俺は独りで駆け出した。


 

 走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走

 って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って………走った。



 
 俺が住んでいた施設が燃えていた。
 緋く、緋く…。立ち上る煙が螺旋を描くように立ち昇っていた。
 その日、全てが終わった。リセット、バイバイ、ってな感じで。俺は遠くの施設の人に呼ばれ別の町に移っていった。命だけを持って。
 でもその施設は妙に事務的で、俺は独りきりになってしまった。小学校の同級生達とはまったく話が合わないし、お兄さんたちとも会えなくなってしまった。俺は独りでギターに埋没していった。
 これも後に知ったことだけど、俺が四歳になる頃から施設全体で死をドクトリンとする宗教に嵌っていったらしい。そして聖なる六月六日に集団自殺をしたそうだ。
 聖なる日に起こった、起こした神の反抗。彼女達は果たして救われたのだろうか?それで、良かったのだろうか?
 今となっては決してわからないけれど、そのことは俺にとって、とても大切な事に思えるんだ。


 あれからもうすぐで十二年が経とうとしている。お兄さんたちが結成していたバンドも解散し、一番大好きだったお兄さんも亡くなってしまった。施設はなくなりあの頃の俺にとっての全てがなくなってしまい、俺を取り巻く環境は大きく変化した。
 俺にとって宗教とはなんなのか?この糞のような世界で、宗教は一体どれだけの重要性を持てるのだろうか?俺は神を恨んではいない。結果的にはみんなが神に殺されたと言う事になるのだろうけど、それでも俺が今、ここで生きているのもまた神のおかげだから。TOOLの言葉を借りるなら、終末の底にも光があることに気がついたというわけだ。神がいるいないなんてどうでもいい、偶像である事を恥じる必要は一切ない。ただそれによって“救われたのか”と言う事だけで、他の一切に意味なんて物はない。神のレイゾン・ディーテルは救うことなんだよ、結局。いるかいないかよりも、その存在の与えた希望によって決まるんだ。そういう意味で言えば、神を世界で一番崇高な存在とするならば、今この世界で一番高尚な職業は芸術家なんじゃないのか?広い意味で。ボランティア?違うとは言わないが、そんな事を言っているんじゃない。もっと精神面での、深い人間的なものだ。今のこの世界では『アーティスト=芸術家』とは直接繋がりにくいので解からないかも知れないが、真の意味での『アーティスト』こそが高尚なのだと思う。例えば俺はお兄さんたちによって、ロックによって救われた、生きることを教えられた。その後暗黒に落ちた俺を救ってくれたのもまたNIRVANAと言う名のロックの偶像だった。俺はロックの殉教者となる、そう決めたんだ。それこそが人間である事を誇りに思える数少ない瞬間だから。
 そして今、俺は命よりも大切なものを見つけ出せたような気がする。こう言うと大げさかも知れないけど、俺にとっては一つ一つが瞬間の重なり合いであるからこそ、それを大切にしていきたいんだ。彼女を守るためにも、救うためにも俺はいつまでも俺でいることを誇りに思いつづけていたい。
 この命よりも大切なものを持って俺は抜け出せたら、と思う。命よりも大切なものを過去形にしないように、失わないように。















あとがき

 ロック。
 今回のテーマはずばり“宗教”でした、実は。神様についてですねー、要するに。
 解かりにくかったでしょうか?これを書いた時点では例のWTCテロの興奮冷め遣っていないので、それにインスピレーションされたといわれても否定しにくいですが、そんな事ないんですよね〜。多少のあてつけはありますが。
 しかしぶっそーですよねー。でもだからと言ってひとえにイスラム原理派を…と、ここで語ってもしょうがないですね。ではでは