バイパーズ・ルーム
作:tsukikasa





「ねぇ、一つ賭けをしない?」
 酒場の喧騒の中でも一際良く通る声は、フレイアという若い女の魔術師のものだった。
 テーブルには他に四人の冒険者が同席し、その提案を興味深そうに聞いている。
「と言ってもジーンは除いて、私と他の三人の一対三の賭けだけど」
「いきなり仲間外れかよ……」
 ジーンと呼ばれた目つきの鋭い剣士風の男が悪態をつく。
「まずは賭けの対象を聞いてからだな」
 臓腑に響くような野太い声は、ドワーフの屈強な戦士ザムのものだ。
「大した賭けじゃないわよ。私が問題を出してあなた達が答える事ができれば、私の奢り。できなければ今日は三人の奢り。それだけよ」
「あなたが賭けを持ち出すって事はよほど勝つ自信があるって事でしょう? 胡散臭いですよ」
 それまで黙って話を聞いていた僧侶のアルフが、フレイアの算段を見透かす様に言う。
「あら、私の出す問題の答えはジーンが知っているからイカサマなんてないわよ。大体私の方がリスクが高いんだから、多少の有利さには目を瞑って欲しいわね」
 フレイアはアルフの鎌かけにも表情一つ変えずに自分のペースで話を進めていく。
「えっとねー、僕は面白そうだから賛成だよ!」
 能天気な声を上げたのはホビットのシーフ、エッケ。ホビットと言うのは元来楽天的な気質を持っている小人族の一種だ。
「あなたが楽しくなさそうにしてる所というのも見た記憶がないですけどね」
 アルフが苦笑しつつ言う。
「まぁ、酒の余興ぐらいにはなるだろ」
 ザムがエールを豪快に煽りながら言い放つ。ドワーフも直情さではホビットに劣らない種族と言える。
「成立のようね。じゃあ、問題になる話を始めるわ。……一週間ほど前にジーンと二人でグランベルにある遺跡に潜った時の話よ」
 フレイアがそう口にした瞬間、ジーンが明らかに表情を歪めたのだが、それに気付くものはいなかった。
「安く仕入れた情報だったから元からあまり期待してはいなかったんだけど、私達が潜った時には実際めぼしい物はあらかた盗掘された後だったわ。ただ、最下層の一箇所で遺跡の形にしては行き止まりの場所が変だと思って、魔法で壁を探ってみたらこれが大当たり。壁の向こうに隠し通路があったの」
「なんだ、そういう事ならわしらにも一枚噛ませてくれればよかったものを」
「僕も行きたかったなぁ、その遺跡」
 ザムとエッケが口々に不満をこぼす。
「あら、出直したりして折角の手付かずのお宝を手に入れるチャンスを逃すわけにはいかないじゃない」
「取り分が減るから、が本音じゃないんですか?」
「ま、それもあるんだけど。でも、実際隠し通路の奥は二人で挑むには少し厳しいものだったわ。既に踏破され尽くしたそれまでの階層と違って魔法生物とトラップがそっくり残っていたんだから。さすがに大魔術師である私を持ってしても最深部に辿り付いた時には満身創痍だったわね」
「よく言うぜ……満身創痍だったのは前衛で露払いをさせられた俺の方さ」
 話が始まってからずっと不機嫌そうにしているジーンが呟く。
「とにかく、私達はやっとの思いで最後の部屋に辿り付いたのよ。部屋の奥には憧れの宝箱が! 私達はトラップに注意して慎重に進んだんだけど、入り口や付近の床に異常は全くなかったし、壁にも凹凸や装飾はなくて仕掛けがありそうには見えなかったわ……今にして思えばそれを逆に疑うべきだったんだけど……私達はゆっくり宝箱に近づいた。まぁ、流石に疲労と興奮で浮き足立っていたのかもしれないわね。……実はその部屋の床は宝箱を置いてある部分を残して全体が一塊になっていて、床の重心が部屋の手前から奥に傾いた途端に床ごと落下するトラップだったのよ。パーティ全員を陥れる為の巧妙なトラップね。そして新しく出現した壁の穴からは体長3メートルはある蛇が四方から……この肝心な時にジーンは既にボロボロでまともに戦える状態じゃなかったし、私も残った魔法の術符はたったの3枚。壁を登攀するのに使えそうな道具も残ってなかったわ。……さぁ、ここで問題。私がこの絶体絶命な状況を切り抜けた最も賢い選択は?」
「なるほど……、確かにこれは難問ですね」
 アルフが皮肉るように言って大袈裟に嘆息してみせる。
「とりあえず、残った術符が何の魔法なのかを聞かないと話にならんな」
「言われなくても教えるわよ。手元に残っていたのはアイスリッパー、スリープクラウド、メテオフォール。この3枚よ。一応説明しておくと、アイスリッパーは鋭い氷片を撃ち出して敵を攻撃する呪文、術者次第で氷片の出し方はある程度操れるわ。スリープクラウドは魔法の煙を操り、吸いこんだ生物を眠らせる。メテオフォール、これは星々の欠片を敵目掛けて落とす大魔法よ。威力は絶大だけど調整があまり効かないのが難点ね」
「なるほど……まずメテオフォールは論外ですね。地下なんかで使えば使った方もただじゃ済みませんから。……それに第一フレイアさんがこんな高そうな術符を使うとは思えません。常にできるだけ安く事を済ませようとする人ですから。……一応、それぞれの術符の値段を聞いておきましょうか?」
 アルフの推察が的を射たのか、フレイアが小さく舌打ちしながら答える。
「定価でそれぞれアイスリッパーが500ソルク。スリープクラウドが1000ソルク、メテオフォールが5000ソルクと言った所ね」
「はいはいはーい。答え分かったよー!」
 エッケが元気よく手を挙げる。
「早いわね」
「スリープクラウドを自分達に掛けて死んだフリすればいいんだよ。そうすれば襲われないでしょ?」
 エッケは全くの無邪気に言ってみせた。
「そんな方法でやり過ごせるのは、知能の欠落したできそこないのゴーレムぐらいですよ……」
 予想を上回る答えにアルフが呆れている。
「いや、エッケの大群に遭遇した時には有効かもしれんぞ」
 ザムは言いながら笑いを堪えるのに必死そうだ。
「お前が魔術師じゃなくて心底よかったよ。……悪意がない分、フレイアとは別の意味でタチが悪いぜ」
「どういう意味よ」
 フレイアが横目でジーンを睨むが、ジーンは気付かないフリでやり過ごす。
「まぁ、シーフをやってるのもそれはそれで不安だがな」
「うむ、確かに」
 ザムがジーンの言葉に同意を示す。
「機用さとすばしっこさを備えたホビットがシーフに向いてるのは認めますが、エッケの場合まず冒険者としての適性があるかどうかですね……」
「え〜、僕は冒険大好きだよ? だってワクワクするもの」
 言いながら、エッケは心から楽しそうに目を輝かす。
「好きな事が向いてるとは限らないのが世の常さ」
「……そういうジーンは昔は町のパン屋さんになりたかったそうですね」
 アルフの意外な言葉に、横でフレイアが思わず吹き出している。
「……言うな」
「はいはい、それより問題の方は降参かしらお二人さん?」
「フフン、じゃあそろそろわしが正解を示してやるか」
 ザムがさも自信ありげに自分の推理を語り出した。
「まずはアイスリッパーで部屋の真ん中にありったけでっかい氷の塊を作るんだ。そうすりゃ石造りの地下遺跡なんて冷気でガチガチになっちまう。あとは動きの鈍くなった蛇どもの頭をその氷塊で砕いて回れば造作もなく一網打尽よ! なんて事ない問題だな」
 ザムがどうだと言わんばかりに豪快に笑う。
「なるほど、そいつは名案だ。……あんた以外にそれを実行できる奴が誰もいないって事を別にすれば、な」
 ジーンが椅子に深く凭れたまま、いかにも投げやりに言い放つ。
「そうよ、か弱い人間の女性である私にそんな事できるわけないじゃない」
「か弱い……ね」
「何か異論ある?」
 フレイアが再度ジーンを睨みつける。
「とにかく、残りはあんただけよ。アルフ」
 指名されて、それまで口元に手を当てて考え込んでいたアルフが口を開く。
「そうですね……確かに一番費用の掛からないアイスリッパーのみで切り抜けたい所ですが、まともに撃ち込んでも丈夫な皮を持つ蛇達全てに致命傷を与えるのは不可能でしょうし。かと言って、ザムの言ったような奇策で蛇を倒すのも論外。やはり、スリープクラウドを使って蛇を眠らせ確実に仕留めるしかないでしょうね。……そして、皆さん肝心の穴から脱出する方法を忘れていますが、恐らくアイスリッパーは壁に向かって撃ち込んだんじゃないでしょうか。縦方向に等間隔でアイスリッパーを撃ち込めば、凍り付いた氷片が足場になって容易に登れますからね。……どうですか?」
「うんうん、さすがにアルフは優等生ね」
 フレイアがいかにも感心した仕草で大袈裟に首を振る。
「でも、私に言わせれば本当の応用力はまだまだね。メテオフォールの正しい使い道が分からないなんて。……しょうがないからジーン、話してあげて」
 促されるとジーンは、仕方なくといった様子で憮然としたまま冒険譚の続きを語り出した。


「うわっ」
 床がグラリと傾き、自分達の過失に気付いた次の瞬間には、俺達は落下した床の上に尻餅をついていた。取り落とした松明が床に転がるが、幸い火種は消える事なく辺りを照らしていた。
 落ちた高さはどうやら5メートルと言ったところだ。周囲は取っ掛かりのない平らな壁だが、足元に接した部分だけには無数の穴が開いていた。
「嫌な予感がするぜ」
「奇遇ね」
 果たして幾つもの穴から蛇の頭がゆっくりと首をもたげる。蛇自体はさほど強い部類のモンスターではないが、こっちはこれまでの戦闘で受けたダメージで既にフラフラな上に、数が数だ。まともに立ち会ってはやがて蛇達の餌食になるのは明白だった。
「おい、どうにかしてくれよ」
 堪らず、フレイアに助けを求める。
「う〜ん、困ったわね……」
「まさか、術符を全部使い切ったのか」
「ここに最強の攻撃呪文があるにはあるんだけど……さっき見た宝箱あまり大きくなかったし、この術符って高いのよね〜」
「そんな事言ってる場合かよ!」
 こうして会話をしてる間にも蛇達は四方からじりじりと包囲の輪を狭めていた。全部で十数匹はいるだろうか。
「あなたが買い取ってくれるならこの術符を使う事を考えてあげてもいいんだけど……」
「くそっ、分かったよ! 買ってやる!」
「よし、じゃあ考えた! でもやっぱこの魔法は強力過ぎてここで使うには適さないわね」
「は?」
 一瞬、フレイアが何を言っているのか分からない。
「やっぱこっちね」
 フレイアはお構いなしに懐から別の術符を取り出す。刹那、視界を白い雲が覆ったと思った瞬間、俺の意識は途切れた。


 ――ペシ、ペシ。顔を何かに叩かれる感触にぼんやりとしていた意識が戻ってくる。
「あ、やっと起きた。突然気を失っちゃうなんてダメね」
 目を覚ますと、何事も無かったかのような笑顔で話すフレイアがそこにいた。
「おい、さっきのは……」
「あ、さっきの買取の件は有効だからね。はい、メテオフォールの術符。定価で5000ソルクだからよろしくね」
 言葉と共に突き出された術符を思わず反射的に受け取ってしまう。
「5000ソルクだと!? そんな法外な値段があるか! 大体、お前らはギルドから安く仕入れてるはずだろ」
「んー、まぁ確かに仕入れ値は7掛けなんだけど、ギルドの規則でメンバー以外には定価以外で売れないのよね〜」
 口ぶりとは裏腹にフレイアの表情は少しも残念そうではなかった。
「いや、ちょっと待て、それよりもだ! メテオフォールってのはどういうことだ。こんな呪文使ったら遺跡ごと生き埋めじゃないか!」
 ようやく事のおかしさに気付いて俺は激昂してフレイアを問い詰める。
「うん、だから使わなかったじゃない」
 フレイアは事も無げにさらりと言ってのけた。
 俺は思わず、言葉に詰まる。二の句が継げないとはこの事だ。
「くそっ! ハメられた……」
 彼女のペースにまともに付き合おうとするのが馬鹿なのか、意識を取り戻したばかりだというのに頭がくらくらしてくるのを覚えた。
「……そうだ、宝箱はどうなった? とりあえずフライの術符か何かでここから出て……」
「もうそんな術符残ってないわよ、……あっても勿体ないから使わないけど」
 言いながら、フレイアは片手にずっと持っていたその黒い物体を俺に差し出す。
「はい、あの蛇達の皮を剥いでロープを作っておいたの。あ、剣借りたわよ」
 彼女はこれも笑顔で、平然と言ってのけた。


 ジーンが話し終えた時には、周りの三人もあまりの顛末に絶句していた。
「えっと、つまり収支は……」
 しばらくしてようやくアルフが頭を巡らせ始める。
「メテオフォールとスリープクラウドの元手が6000の7掛け……つまり4200ソルク、メテオフォールを5000ソルクでジーンに買い取らせたわけだから……800ソルクの……儲け?」
 アルフの顔が引きつっている。
「仲間の窮地を使って金を稼ぐとは……」
 さっきまでアルコールでいい気分になっていたはずのザムの声にも精彩がない。
「なによ、とにかく賭けには私が勝ったんだから。今日の払いはよろしくね」
 フレイアは明るく言うと、待ち兼ねたように次々と追加のオーダーをし始める。
「ついでに言えばそのメテオフォールだが、こっちは魔術師ギルドとも繋がりがない上に、こんな使い勝手が悪くて術者の限られた呪文定価通りに捌けるわけがない。結局フレイアに買い戻してもらったよ。しかも仕入れ値より高くは引き取れないなんてぬかしやがって3400ソルクでだ」
 怒りを通り越してか、口にするジーンの声も沈んでいる。
「鬼だ……」
 誰からともなく呟きが漏れる。
「あ、ねぇねぇ、そう言えば肝心のお宝は?」
 エッケが気を取り直すように尋ねた。
「それがよ、古い宝飾類や魔法の品があるにはあったんだが、大した価値のない二束三文の品ばかりだったわけよ。少しくらい値打ち物があっても良さそうなものなんだがな……」
 ジーンがくやしそうにこぼす。
「ま、宝捜しなんてそんなものよ。大方遺跡の主も、トラップやなんかを作るのに資財を投じ過ぎて隠すはずの分まで使っちゃったんでしょ」
 フレイアが運ばれてきた料理に口をつけながら言った。
「なぁ、ところでお前の今身に付けてる指輪とアミュレット、一週間前までは見た記憶がない気がするんだが……、まさか……」
 ジーンが疑いの眼差しを向けるとフレイアは料理を口に運ぶ手を止め、小さく溜め息をついた。
「いやね、そんなはずないじゃない」
 そして、悪びれのない明るさで言ってのける彼女の曇りない笑みに、一行はそっと全てを悟るのだった。
 ……人間の女は蛇より恐ろしい。