WILL 4
作:アザゼル





☆ 第三話「ナミダ」


 あいみはその日、珍しく一人で学校帰りの道を歩いていた。
 イルはすっかり学校でアイドル化してしまって、そういう風な扱いが苦手だという本人の希望で今は家でお留守番だ。
 生徒たちの大半が使うはずの登下校の道――
 なのに今はなぜか人っ子一人道を歩いている人影が無く、まるで廃れた荒野の無人街を思わせるような静けさに満ちていた。
 てくてくてくてく。
 あいみの磨り減った靴底が地面を鳴らす音だけが、路地に虚しく響いている。
「あー。なんだか、嫌なことでも起こりそうな静けさっすねえ」
 あいみがあまりにもの静寂に耐え切れずに、ぶつぶつと意味も無く呟きを洩らしてみる。もちろん一人で歩いているわけだからして、それに答えてくれる者はいないが、それに応えてくれるハードラックは望まれずに彼女へと不気味な足音をたてて近付いていた。
 夏の太陽が雲にゆっくりと入っていき、地面を焦がしていた光が世界から失われていく。
 あいみが歩く通りのずっと向こうに、一つの人影が現れた。
 ひょろりとして飄々とした体躯だが、極限まで引き締められた肉体がスーツの上からでも分かるほど周りに威圧感を醸し出している――白髪のグラサン嫌味男。
 彼はあいみの姿がその視界に入ると、久し振りに見た親友にするようにさっと手を上げて見せた。その仕草は、まるで春風のように爽やかそのものだ。
「やあ、また会ったね」
 まだ二人の距離はかなり離れているにも関わらず、白髪の声はよく透った。
「あいみは会いたくなかったっすけどね」
「つれないね、どうも――」
 あいみの声はそれほど透るものではなかったが、それでも白髪は彼女の言葉に苦い笑みを浮かべると、やはり透る声で答える。
「まあいい。それより、決めてもらえたかな? どちらを選ぶか」
「何のことっすか?」
「君の命と、『イル』の身柄のことだよ」
 白髪の声はまだ穏やかだ。だがその言葉の響きには、どこを探しても人間らしい温かみは感じられない。どこまでも冷えた――まるで冬の湖面のような張り詰めた冷たさしか、そこには存在しない。
 それでもあいみの口調は、さっきまでと変わらないでいた。
「……どっちもごめんっすね」
「ほう?」
「イーちゃんは渡さないし、あいみも死なない。だって、決めたっすよ。イーちゃんはあいみが守るって」
「狙いが定まったってことか?」
 すでに二人の距離は、お互いの姿が視界に収まらないほど接近している。
 白髪は黒縁のグラサンを慣れた手つきで外すと、現れた切れ長の瞳でじっとあいみを凝視した。歩みはいつの間にか止まっている。
「――年下は、まずいんじゃないか?」
「カンケーナッシングっすよ。あなたこそ、ホモでロリコンってのは倫理的にまず過ぎって感じっすよ?」
 すぐさま言い返したあいみの言葉に、さすがに白髪は一瞬言葉を失った。と同時に、さらに彼女の顔を凝視して心中で呟きを洩らす。
(この前よりも、遥かに何かを決意している瞳だ。或いはすでに――)
「――君は、アルベドにどこまで聞いているんだ? カドウケウスの杖が世界を決定づけることを覚悟して、僕に対峙しているのか? それともすでに奴に宿命とか使命を背負わされているのか?」
 白髪の言葉は、いちいちあいみに理解できる類のものではない。
 ただ彼女は彼女の意思で動いているのであって、だからこそ彼女は白髪に対峙しているのだ。
「知らないっすね。なんのことかも分からないし、興味も無いっす。あいみはイーちゃんを守る約束をしたし、シルシも付けたっす。それだけっすよ」
「……」
(設定に関しては興味も無し、か。アルベドはこの能天気な決意に、世界を決めさせるつもりなのか? 僕たちが創ったアレの最終装置を、こんなギャルに押させるつもりなのか?)
 あいみに対しては何も答えず、ただ心中のみで白髪は独白を続ける。
 目の前の彼女はそんな白髪の心中の言葉を察しているのかどうか、同じように黙りこくったまま、静かに彼の次の言葉を待っていた。そこにはこの場所から立ち去ろうとする意思は感じられない。逃げても意味がないことを、理解しているのだろう。
(ここでこのあいみとかいう少女を消してしまうのは簡単だ。だが、最終装置はその存在が決定してしまえば、存在自体が三次元世界に身を置いているかどうかは関係なくなってしまう。だとすれば、やはり――)
「決意は見事なもんだね。だがこういう風になっても、君はその決意を違わずにいられるかな?」
 白髪が胸ポケットから取り出したのは、一丁の鈍く輝く拳銃だ。
 人を殺めるためだけに存在するそれの出現に、あいみの顔が一瞬で強張る。だが、彼がそういうことを躊躇らわずに行える人間であるという予備知識が、彼女の冷静さをぎりぎりのところで失わせずにいた。 
 ただしぎりぎりで、である。
 そんな彼女の微妙な気持ちの差異を、白髪は軽く見抜いていた。
 ゆっくりと――恐怖を増幅するのに最適の速度で近付きながら、彼はあいみとの距離をさらに近いものにしていく。
「……」 
 だが、それでもあいみはその場を動こうとはしなかった。
 恐怖で硬直しているわけではなく、緊張で腰が抜けてしまったわけでもない。
 彼女は待っていたのだ。
 自分がテンビンにかけられる、その瞬間を。
「決意は常に薄氷の上にこそ成り立つもの。強い思いほど、脆く移ろいやすい――」
「……内容の薄い科白っすね」
 銃口があいみの心の臓にしっかりと狙いを定められても、それでも彼女はそういう風に皮肉を返す余裕すら見せられた。彼女はそうやって自分をぎりぎりのところへと追い詰めていく必要があったのだ。それでなければ、もう一度彼の前に対峙した意味がない。
「さあ、どうするのかな? 君は僕のこれに対抗する術があるのか? 口で何と言ったところで、抗う術が無ければ全て机上の空言に過ぎない」
「……確かに、あいみにはそれをどうにかすることはできないっす」
 あっさりと認めたあいみに、白髪は一瞬不思議そうな表情を顔に浮かべたが、すぐに小さく口の端を歪めた。
(しょせん、ただの少女。期待外れだったな、アルベド――)
「でも――」
 俯いたあいみが、何か小さく呟きを洩らす。
 聞き取れなかった白髪が、何を言わんとしたのか問いただそうと視線を下に向けた瞬間――彼の視界を、霧状の何かが覆い尽くした。
「なっ!?」
 それは彼の網膜を瞬時に焼きつかせ、一瞬で視力を奪い去った。
 薄れた視界の向こうで、あいみの遠ざかる足音と声が響き渡る。
「乙女の必須アイテム。痴漢撃退お酢シャワーっすー!」
(……そ、そんなものを常に携帯するのが乙女なのか……!?)
 お酢臭くなった鞄から取り出すノートとか教科書はちょっと嫌だな、とかどうでもいいことに思いを馳せながら、白髪は走り去っていく彼女の足音をしばらくの間、呆然と聞いていることしかできなかった。


 あいみは一生懸命、彼女にできうる限りの全力で疾走していた。
 ちょっと前にもこうやって全力で走っていた気がする。
 全力疾走は頭が空っぽになるほど夢中になることで、こういうことが――夢中になることが意外に気持ち良いことを、彼女は久方ぶりに思い出していた。
 もちろん、今はそれを楽しむ余裕などは微塵もないのであるが。
「や、やっぱ……。喫煙は最大の敵っす……」
 などとか、高校生にあるまじき台詞を口走りながら、さらに疾走を続けるあいみ。時折彼女は後ろを振り返るが、その視界の向こうには白髪の姿は見えない。だが、彼女は確かに振り返る背後に、彼が追跡してきているのを感じ取っていた。
「……ま、あんなことでまけたら、それこそもうけもんっすからねえ」
 呟く口調は、諦めと達観が入り混じった奇妙な感じを含んでいた。というよりも、含みにはそれをむしろ享受する響きすら含まれている。
 ――彼には自分を追いかけて、そして追い詰めてもらわなければならない。
「そうでなきゃ……」
(そうでなきゃ、あの時負けた自分の弱さにふんぎりをつけれないっすよ)
 あいみは走りながら、そんな妙にカッコのいい言葉を胸中で独白していた。
「おっ!? 今のあいみってもしかして何かカッチョいいかも? これが世にいう主人公が冒される、ヒロイズムシンドロームっすねっ!」
「――ヒーローごっこ、とも言うね」
 拳を振り上げて目をキラキラと輝かせていた彼女の走る先に、一体いつの間に彼女を追い越して回り込んだのか、白髪が缶コーヒーを片手ににゅっと出現した。
 缶コーヒーは、もちろんブラックだ。
「おわわわわわっ!!」
 全速力で走っていたあいみは、靴底が擦れる音が聞こえるくらいの勢いで急停止する。
「まさか、この無様に逃げ回るのが君の決意だとでも?」
「……だったりして」
 冷汗を浮かべて答えると同時に今度は急転回すると、白髪との間にあった細い横路地へと駈け込んでいく。
 それを視線だけで追いながら、白髪はすぐには追いかけずにその場に立ち止まり、コーヒーに僅かに口をつけた。それから小さく、ため息混じりの呟きを洩らす。
「ま、結局僕も――君みたいなダメギャルを追いかけて、追い詰めるしかないわけだけどね。アレを手に入れるためには……」
 苦々しい呟きと共に、苦いブラックコーヒーにもう一度口をつけると、まだ中身のたっぷり入ったそれをぽいっと地面に放り投げた。からからと音をたてて転がっていく缶が、ゆっくりと黒い液体を吐き散らかしていく。
 そして――白髪もゆっくりとした足取りで横路地の中へと入っていった。


 路地は意外なほど長く、奥まった場所まで続いていた。
 奥に行けば行くほど、地面をねぐらにする人間たちや国籍不明の密売人、ほとんど裸に近い娼婦まがいの女が徘徊するようなアウトロー地帯になっていく。
 それぞれが颯爽と道を歩いていく白髪に暗い視線を投げかけるが、もちろん彼はそんなものには歯牙もかけず、どんどんとあいみを追いかけて奥へと進んでいった。不思議なことに彼はこういったどちらかというと黒い部分に通じる人種の範疇に入りそうであるのに、ここにいるどの人間とも違う雰囲気を纏っている。あえて言えば――明確な意思のある黒か、何も目的なくただ無意味にある黒か、の違いだろうか。
「クズの巣窟か。まあ、僕から見ればさりとて普通人と違いはないのだけどね。どちらも滅びるに相応しい――」
 歩きながらそれらには視線も合わせず、ぶつぶつと呟く白髪。
「だがこんなのでも、僕の死を飾る墓標として役に立てるのだから。まさにゴミのリサイクル、といったところか」
 呟きを洩らしながら、自分の言ったその言い得手に妙に納得したよう頷いたりする。もちろんその間にも歩みは止まることなく、路地はさらに、まだ浅い時間であるというのに薄暗い空間へと変わっていった。
 そして、唐突に開けた場所へと出る。
 同時に白髪の足も止まった。
 そこに仁王立ちするあいみの姿があったからだ。
「――これは誘き寄せられた、ということかな?」
「あいみの罠にかかったっすね」
 対峙する白髪に向けて、あいみはにっこりと笑みを向けながら指をぱちんと鳴らした。 
 その音に応えて、辺りからぞろぞろとガラの悪い少年たちが現れてくる。金髪銀髪、鼻ピアスにタトゥー。不良真っ盛りの彼らの手には、物騒な武器の類が握り締められている。武器は様々で、折れた釘をぶさぶさ刺したバットとか、永遠の不良アイテム――メリケンサックとか。バチバチと電気を放電するスタンガンを携えている者もいた。
「おうおう、あいみちゃん。こいつか、街の平和を乱す悪者ってのは?」
「けっ。こんな色男一人かよ」
「ちょっと人を集め過ぎたんじゃねえか?」
 口々に白髪の感想を述べる彼らを手で制して、あいみはずいっと一歩前に進み出た。その顔はさっきまでの追い詰められていた者のものではなく、逆に追い詰めた者のそれに変化している。
「あいみをなめ過ぎたみたいっすね。あいみはこう見えても、昔はここら辺りではぶいぶいいわせてたっす。今でも声をかければこれくらいは集められるっすよ。さあ、痛い目に会いたくなければ――」
「……ふう」
 あいみの発言を遮って、白髪は目に見えるほど大げさにため息を吐いて見せた。ついでに両肩を持ち上げ、アメリカンな人を小バカにするスタイルを作ると、
「まさか、こんなもので僕をどうにかできるとでも?」
 心底意外だとばかりに、苦笑を洩らす。
「くっ! こうなったら、二度とイーちゃんに近付けないくらい怖い目にあってもらうっす! 行くっすよ、社会のはみ出し――チーマーくずれ軍団たち!!」
『おおぅ!!』
 何気に失礼なあいみの号令にも、さっきからの白髪の態度に苛立っていた彼らは威勢よく答えると、わらわらと攻撃を開始した。若い彼らに加減という言葉はない。その凶暴性が集団となり勢いを増すことは、世の常だろう。
「死ねっ!!」
 まず初めに牙をむいたのは、鼻ピアスの釘バットだ。全力のフルスイングで白髪の頭部めがけてバットを振り下ろす――が、それは虚しく宙を引き裂き、地面を叩いただけに過ぎなかった。
 鮮やかな動きでバットの攻撃をかわした白髪の口元には、にやにやとしたいつもの嫌味な笑みが浮かんでいる。
「チョロチョロするんじゃねえっ!」
 その彼に向けて、今度はメリケンサックを装備した金髪の拳と、スキンヘッドのバタフライナイフが同時に襲いかかった。
 白髪は今度はその場を動こうとしない。
 彼は変わらずの笑みを浮かべたまま、まずメリケンパンチを右手の手のひらで軽く叩き落とすと、姿勢を崩した金髪の足を払った。そして支えをなくし見事に反転する金髪にはもはや目もくれず、同時にスキンヘッドのナイフを二本の指で受け止めると、ナイフを取り上げその拳で軽くパンチを繰り出す。軽く撫でた――程度にしか見えないそのパンチで、スキンヘッドは大げさなほど後方に弾き飛ばされた。
 彼らの後方からそれぞれの武器を構えて次に襲いかかろうとしていた連中は、一瞬でやられた仲間の姿に一様に色めきだつ。
「――で、まだこんなもので僕をどうにかするつもりかい?」
 微苦笑と共に、彼らに一歩進み出る白髪。
 ちなみに吹っ飛ばされたスキンヘッドは、倒れた体勢のままぴくりとも動かない。
 バットの攻撃をかわされた鼻ピアスも、足を払われ地面に無様に転がされた金髪も、他の連中も、白髪の得体の知れない雰囲気をその時になって初めて感じ取ったのか、じりりと気押されたように後ずさる。
「まあいいか。あがきたければあがけばいい。それも君たちに残された、一つの権利なのだろうから」
 不敵な――宣告ともとれるその言葉と共に、白髪の姿が真夏の蜃気楼が如く揺らいだ。
「ぐわっ!?」
「がっ!」
 次に彼の姿が他の連中にも目視できた時には、彼の側には鼻ピアスと銀髪頭の若者が倒れ伏している。
 別段、彼が何かのマジックを使ったわけではない。
 ただ通常の人間が目で追いきれないほどの速度で動き、そして打ち倒しただけだ。
 だが普通人から見れば、見えない速度と言うのは魔術と何ら変わらないわけで。
「ば、化物……」 
 いかつい見せかけだけの太い腕にタトゥーを彫り込んだ男が、にやりと笑って見せた白髪の姿に「悪魔」にも似た様相を見出したのか、硬直する体に鞭を打ってその場を逃げ出そうとする。もちろんその彼と同様に、他の残った連中も逃げ出そうと試みるが――
「――もう終わりなのか?」
「ぐぼっ!」
 白髪は彼らを逃がすつもりはなかった。
 身体を九の字に折り悶絶するタトゥーの腹から拳を抜き取り、つまらなそうな口調で彼は残った連中――ではなく、首謀者に言葉を続ける。
「何度も言わせないで欲しいが、まさかこれが君の決意だ……と……でも?」
 だが言葉は最後まで紡がれなかった。
 あいみの一直線に逃げ去っていく後姿が、その視界にはっきりと映っていたからだ。
 彼女はまるで我が人生に一片の悔いなし、くらいの勢いで、すたこらと路地を白髪がやって来た方向に向けて疾走している。走りながら、彼女は片手を上げてちらりと後ろを振り返るとニッと笑って見せた。
「はい、しゃらばいっすー!」
 往年の壷魔人よろしくな台詞と共に、そのまま彼方へと消え去っていくあいみ。
 残された形になった生き残りのチーマー(くずれ)たちと、白髪は、しばらくお互い無言のままその場に佇むことしかできなかった。
 路地を舞う虚しい風の音が妙に耳に障るようになった頃。
 白髪は取り敢えず、といった風に残りの若者たちに視線を這わせながら、底冷えするような冷たく重い口調で口を開く。
「……恨むなら、あのダメギャルを恨むんだな」
 それは、若者たちの死刑執行の宣告となりて――


(こんな茶番にどこまで付き合わせたら気が済むんだ?)
 白髪は数十メートル先のあいみの背中を追いかけながら、心中で苦言を洩らしていた。だがその茶番に最後まで付き合い、そして彼女の意思を揺らがせない限り、彼の思いが成就できないのも事実だ。
 馬鹿らしさと崇高な思いが、彼の中でテンビンに計られる。
(まさか、この僕がこんなくだらないことでテンビンにかけられるとはね)
 本来それにかけられるべき存在は彼女のはずだ。
 白髪はいつの間にか――もちろん大した意味ではないが、その立場が逆転していることに対して小さく微笑を浮かべている。が、彼自身はそのことに気付いていない。そういうあまりにも普通の人間らしい感情とは、彼はあまりにもかけ離れていたからだ。
「だが、鬼ごっこももう終わりだ。楽しい遊戯の時間にも、おしまいの時が訪れることを忘れてはいけない」
 口に洩らした呟きは、おそらく無意識のうちに自戒の意味も含んでいたのだろう。
 彼は走る速度を僅かに上げると、彼女との距離を数刻で手を伸ばせば触れられる所まで縮めた。それでもすぐに彼女を捕らえないのは、もちろんそんなことをしても結局は――
「――そろそろ終わりにしよう」
「っ!?」
 白髪のかけた言葉に、あいみがはっと後ろを振り返る。そこにはすぐ間近まで迫った白髪の顔があり、そのグラサンの奥の切れ長の透徹した眼差しに見据えられた彼女は、恐怖のあまり身体を硬直させて――白髪も予想外の金切り声で絶叫した。
「きゃぁああああ!!!! 痴漢っす! 変態っす! ホモでロリのキザ男が、超絶美少女のあいみの貞操を奪おうと襲いかかってくるっすー!!!!」
「なっ!?」
 そのあまりにもの絶叫ぶりに、さすがに一瞬ひるむ白髪。
 だがあいみの絶叫は止まらない。
「いやぁああああ!!!! 助けてぇ! あいみがちょっとプリティーだからって、ホモロリオヤジのカテゴリーにまで入れられるつもりはないっすー! 早く……早く誰かぁああああ!!!!」
「何事だ!?」
「おい! そこで何をしている!」
 その悲鳴を聞きつけてかどうか、彼女の後ろからわらわらと複数の警官たちが突然姿を現した。現れた警官の一人に駆け寄ったあいみは、目の端に涙を浮かべながらその警官に白髪を指差しながらはらはらと訴える。
「お、お願い。助けて下さいっす! あの男が突然あいみを……!」
「君は下がっていなさい!」
 しなだれ込む彼女を優しく脇に寄せ、その警官と他の警官たちが一斉に白髪と対峙するように構える。
「抵抗は無駄だぞ」
「……」
 警官の宣告に、だが白髪は黙したままだ。彼の視線は警官たちではなく、その後ろに控える怯えたフリで立ち尽くすあいみの方に向けられている。
 彼女は白髪の視線に気付くと、にこっと笑いながら手にした携帯のディスプレイを彼に向けて見せた。画面には発信履歴が映し出されており、表示されている番号は110番――
 つまりはただやみくもに逃げていただけではなかった、というわけである。
「……まったく、やってくれるね」 
「治安国家日本をなめるなっすよ」
 白髪の呆れたような呟きに、勝ち誇ったように言葉を返すあいみ。
 警官たちはさっきの不良たちとは違い一応それなりの訓練を受けた人間だし、武器も携えている。加えて、いくら白髪が非常識な人間だとしても、まさか国家権力を相手に立ち振る舞うような愚公に出るわけがないと彼女はたかをくくっていた。
 ――が。
「な、何のつもりだ貴様!」
「確かに、あまりにも目立つのも困りものだが――」
 白髪は不遜な笑みを絶やさず、すっと警官たちに向けて銃を構えて見せた。それがあまりにも自然な――まるでポケットから煙草を取り出すくらいナチュラルな動きだったため、警官たちの反応は完全に出遅れる。
 乾いた音は、一瞬で二度轟いた。
 さっきあいみを脇に寄せた警官と、もう一人の警官が、どさりと重い音をたてて地面に崩れ落ちる。
「だからといって、そこまで困るほどのことでもない。僕が目立つのを嫌がるのは、彼に察知される危険性を少しでも軽減するためだけど、僕はまだ君には手を出していない。彼の基本姿勢は不干渉で、そういうところは妙に律儀な奴だからね」
 今人を撃ったことなど微塵も感じさせない淡々とした口調で、白髪は意味の分からないことをぺらぺらと口にする。
 もちろん誰一人として彼の放つ言葉の意味など分からなかったが、彼の持つ異様な雰囲気を感じ取って、警官たちの間に張り詰めた緊張が広がった。それぞれが手に銃を持つと、一斉に彼に向けてそれを構える。
「抵抗――するなよ」
「馬鹿かい、君たちは?」
 嘲笑の言葉と共に、さらに引き金を躊躇なく引く白髪。
 正確に急所を撃ち抜かれた一人の警官が、またどさりと地面に崩れ落ちた。
「僕を捕らえる、などという考えは捨てた方がいい。殺さなければ、僕を止めることはできない。コーヒーも一度ミルクを入れて濁らせると、それだけを抽出することなどできないだろ?」
 後半は全く例えのようで例えられていないのだが、それに対して突っ込めるような心に余裕を持った人間はこの場には居なかった。もはや場の雰囲気を支配しているのは白髪で、追い詰めたと思っていたあいみも、圧倒的優位な立場であったはずの警官たちも、逆に自分たちが追い詰められているような圧迫感をひしひしと感じ取っている。いくら訓練されているとはいえ、実際に人を平然と殺せるような人間と対峙した者など皆無だった。
 ――そして、踏ん切りをつけて行動を起こそうとした警官たちを、やはりあっさりと白髪は撃ち殺す。
 数体の屍を前に、彼は数刻前までと変わらぬ笑みであいみに笑いかけた。
「これで持ちネタは打ち止めか? まあ、例えあったとしても、これ以上は付き合う気も義務もないけどね」
「……一体、何が目的っすか?」
「ん?」
 あいみのいつになく真摯な表情に、白髪は小さく首を傾げる。
「やっぱり、あの力を使ってどうこう――ってことっすか?」
「発動……したのか? 『カドウケウス』の力が!? だとすれば、やはり貴様がトリガーに選ばれたというわけかっ!!」
 様相を一変させて激昂する白髪にびくっとしながらも、あいみはさらに言葉を返す。
「イーちゃんは人間っすよ!?」
「何を勘違いしているのか知らないが、アレは人間ではない。人の形と心を持たせてはいるが、アレは僕とアルベドが創り上げた兵器だ」
「つくっ!?」
「――そうだ。創ったんだよ」
 きっぱりと言い放った白髪の言葉に、あいみは呆然とした表情でしばらく吟味するように考え込む。彼女の――というより普通の人間なら、人間が人間を創るなどといういかにも三流SF的設定を俄かに信じられるはずもなかった。
「クローン人間、とかいうやつっすか?」
「違うね」
 彼女があらん限りの知識をフル動員させて出した単語を、白髪は即答で切り捨てる。同時に彼女にゆっくりと歩みを進めながら、彼は両手を大仰に広げて、まるで一人舞台の舞台演者になったかのような透る声で荘厳に語り始めた。
「……元々僕とアルベドはこの世界を監視していた一対のプログラムだった。君たちに分かり易く言うと、善と悪――そういった概念の集合体だと思ってもらえばいい。世界は普遍的無意識下における僕たちの微妙なバランスの上に、それこそ薄氷の上を踏むような危うさと共に今までやってこれたんだ」 
「?」
 しっかりと白髪が進めた歩みの分後ずさりながら、あいみは難解な単語のオンパレードに大きく首をひねる。
 だが、白髪は彼女の意など介さずに語りを続けた。
「もちろん力のバランスで言えば、片方がもう一方を大きく上回ることもあったし、その逆もしかりだ。だが大局的に見ればそれは小さな差異に過ぎず、歴史の上ではそういった揺らぎがむしろ人間をここまで進化に導いてきたと言ってもいいだろう」
「??」
 何を言わんとしているか――もとより、何を言っているのかさえさっぱり分からないあいみは、ただただ彼との距離をとりながら耳を傾けていることしかできない。
 そして、別段この演者は彼女の理解など求めてはいなかった。
「だが、人の進化の歩みはここにきて停滞している。一度濁った水は、何かのきっかけで開放しない限り進むべき道を見失い――やがて腐り果て、自滅へと辿るしかないだろう。そこで進化を促進するために僕たちが作為的に生み出した存在。それが……」
「イーちゃん、てわけっすか?」
「……というわけだ」
 あいみはもちろん理解などしていない。ただ、話の流れを読んで合いの手を入れたに過ぎなかった。
 だが、白髪にはそんなことはどちらでも良かったのだ。
(僕にとっては、それはただのアルベドに対する言い訳に過ぎないのだからね)
 心の中だけで呟きを洩らし、彼は一定の距離を取り続けるあいみに狙いを定めて、ゆっくりと銃を構えた。
「明朝までに、『イル』を連れて僕の元に来い。でなければ、殺す」
 吐き出した言葉には今までの脅しの色はなく、そうしなければ本当に実行するという、事実だけを伝えた冷たさがあった。それは同時に、もはや残された時間が僅かであることを悟った彼の焦りの現われでもあったのだが、普通の女子高生でしかないあいみがそれに気付くような余裕はない。
 策を弄してはみたが、結局は追い詰められたのだ。
「い、イーちゃんは、あいみが守るって……」
 それでもなんとか気丈を張って紡ごうとした彼女の言葉は、硝煙と共に放たれた乾いた音にかき消された。
 かすめた銃弾は、あいみの金髪を数本束にして焦げ落とす。
「次は無い。ここまでどうして僕がこんなに回りくどいやり方をとってきたと思う? それはアルベドとのいたちごっこを、これ以上続けるのが単に煩わしかったからだ。だが、これ以上君が僕を煩わせるつもりなら――次の『贖罪の羊』とのいたちごっこを、僕は選ぶ」
「……もう、選択の余地は無いってわけっすか」
「その通りだ」
 何とか言葉を返しながらも逃げる術を探すあいみだが、白髪を前にしてそのような隙は見つけられそうになかった。自分に向けられた銃口が、死神の鎌のように逃れられぬ運命を示している。
 イルへの思いに殉じるか。
 自分の身の保全に、彼を裏切るか。
 ファジーに生きてきた人生において、彼女は今までで一番深く悩んでいた。そしてそれは、命を秤に賭けるほど彼を深く愛してしまっていることを意味していた。
「時間だ」
 白髪が短く告げる執行の宣告に、あいみは一瞬身体を震わせる。
 引き金にかかる指が微かに動いた時。
 彼女の口も、微かに動きを見せた。
「あいみは――」
 洩れた囁きは、同時に吹き荒んだ風にほとんど音を奪われたが、彼女の決断の意は白髪に届いたようだ。
 彼はなぜか寂しそうに口元を歪めると、引き金にかかった指に力をこめる。
 俯いたあいみの瞳から、大粒のナミダが零れ落ち――















あとがき

 かなりお久しぶりな気がするアザゼルです。
 とはいえ、まだネット環境が復活する兆無し。
 とりあえず、あまりにも停滞するとアザゼル自身も忘れそうな気がするので(ぉぃ)
 次は……できるだけ早くお届けできるようにしたいです。
 ストーリー的には、もう自身でさえ突っ込めません(笑)