予定運命の輪 〜questions of the witch〜 第一章
作:沖田演義





   第一章 〜愚者は踊る〜


   1

「ふっざけんなぁっ!」
 ルクセインの殴った机が、エラーの電子音をけたたましく鳴らした。それはなんの塗装も施されていない剥き出しの鉄壁に反響して、ルクセイン自身の耳を痛める。
「まだ捕まんねぇだと!? これで何日捜査してっと思ってんだ! 三日だぞ三日ぁ! ヘンタイごときにいつまでも手間取ってんじゃねぇ! 無能! クズ! 頭でっかちなんだから足取りつかむくれぇ出来なくてどうすんだ、あぁ!? オラオラオラ! さっさと吐きやがれ!」
「……何故かそちらでエラー音が鳴っていて、さらに画像が急に悪くなったように思うのだけれど……まさか、また僕のかわいい機械たちを壊したんじゃ……」
 なにやら物々しい形をした鉄くずたちが、本当に部屋を角から角まで埋め尽くすようにして置かれている。銃器のパーツや壊れたネット端末のディスプレイ、さらに骨格の曲がったパイプベッドが壁に立掛けられ、それらの間を無数のコードが這うように巡っている。
 それは液体の中に沈殿したゴミを強く連想させるが、その部屋の主は一向に気にならないらしい。やや暗い室内で、その長身に一本に束ねられた長い金髪を背負いながら、室内唯一の存在可能スペース――つまりは通信用の映像画面が備え付けられている机に、かじり付くようにして向かっている。
 映像面の向こうでは、青みがかった黒髪の青年がまゆをひそめてルクセインを見返していた。青年は小さなメガネをかけており、顎が細く、誰にでも知的な印象を与えそうな顔立ちだ。
「んなこたぁどうでもいい! 報告だけで百件以上に上る前代未聞の露出狂、このふざけたヘンタイを捕まえねぇと次の事件にかかれねぇだろ! 今現在やつがどこで何をしてるか正確に答えろ!」
「何をしてるかまで必要なのかい……? まぁとにかく先ほども言ったけれど、彼がどこにいるのかすぐには分からない」
「なぜ!」
 青筋を浮かべたルクセインが怒鳴るも、向こうの反応はしごく冷静だ。
「彼はこのD地区の住民じゃないからさ。よって僕らD地区維持機構には、彼の個人ID情報がないことになり、衛星からのサーチが出来ない」
「他地区に情報開示は?」
「こんなのじゃ無理だよ。せめて対応ランクが3くらいないと……爆弾魔級だね」
 ルクセインは低くうなった。こめかみに指を当てて、瞼を閉じる。彼が考え事をするときのルールだ。目を閉じれば自分自身と対話できるような気分になり、割といいアイディアが浮ぶことが多い。
 しかし今回は数秒で思考の時間は途絶えた。相棒が話し掛けてきたからだ。すでにこの維持機構で仕事を共にするようになって……つまりルクセインがこちらに移って二年にもなる。その間にはお互いに暗黙の了解が出来ており、この状態のルクセインに彼が声を掛けるということは、それなりに期待できる意見が出ると思っていい。
「トキは起きたかい?」
 ここにはいない少女の名前を出して、彼は聞いてくる。
「いや、昨日の晩に他の連中についてって『見』たから、今は寝てる」
「規定睡眠時間が終了するのは?」
「十五時間だから……十一時だな」
 画面の向こうの顔は、大して困ってもいなさそうに「ふむ」と頷いた。
「それじゃ、十一時半になったら起こして。今、僕の愛くるしい機械たちが犯人の通ったらしいルートを発見したよ。しかもそこは何度も通った形跡がある。トキに『見』せて、次に犯人がそこを通るときに捕まえよう」
 ルクセインはがばっとイスから跳ね起き、少し前とは打って変わって彼に賞賛を送った。
「それじゃ、十二時にこの場所で」
 映像面に映るのは小さな地図。この辺りの地理はすべて頭の中に入っており、ルクセインはすぐに合点がいった。
「わかった。じゃ、またな。愛してるぜ相棒っ!」
 苦笑する画面が、ふっと暗くなる。そのあとに短いメッセージ。
『登録ナンバー001、ネーム〈ミゾレ〉接続終了』
 彼は席を立ち、時計の文字が九時二十分を表示しているのを確認してから、出口のほうに体の向きを変えた。
 元々は無機質な鉄製のドアに、一枚の大鏡が張られている。こんなもの自分とミゾレの部屋には必要ないと言ったのだが、この部屋によく遊びに来るトキという少女の独断で、毎回部屋を出るたびに自分の姿を眺めることになっていた。
 そこには若く筋肉質な、そしてあまり目つきの良くない青年が映っていた。混じり気のない色の金髪を後ろに束ねていて、濃い藍色の軍服をまとい、足元のブーツを差し引いても十分高い背丈から、睨み付けるようにこちらを見ている。
 その顔が、不意に満面の笑みを浮かべ、次に射抜くような怒り顔になり、さらに両手で顔をぐしゃとつぶす。
 ルクセインが『いつものように』顔の体操をしていると、突然ドアの向こうからボタンをプッシュする音が聞こえ、無常にもドアは開かれた。
 鏡に映る彼のつぶれた顔が、一瞬にして彼と同年代程度の男にすりかわる。
「……」
「……」
 長い長い沈黙のあと、青年は抱えていた数冊のファイルをルクセインに手渡し、そのまま足早に去っていた。
「……あいつは確か、ヴァンソンの新しい相棒だな……これがヴァンソンの耳に知れたらまた変な噂を流されてしまう……」
 彼は十歳年上の上司の顔を思い浮かべ、ため息をついた。D地区維持機構……略してD維機は全部で五百人ほどもいたが、その中でも最悪の部類の相手に弱みを握られてしまった。
 維持機構の仕事内容は、昔風に言えば警察と軍隊だ。このインドアの時代に最も物好きとされる職種の一つである。
 ちなみに、ルクセインは最も若い年代で、当然のことながら下っ端である。
「くそっ、なんかついてねぇなぁ……今日あたり事故でポックリ逝ったりして」
 ドアの端についている、手のひらほどの大きさのボタンを押し、ドアを開く。
 正面には、ルクセインの部屋とナンバー以外は全く同じドアが見える。左右を見ると先が見えないほど長い廊下が続いており、やはり壁には無数のドアがついていた。人気はなく、八方鉄に囲まれたその場所は気温が低く感じられた。
 時間はあるので、ルクセインはエレベーターまでをことさらゆっくりと歩いた。コツコツと鳴る足音と、このD維機本部の中を隙間なく巡る機械類の電子音だけが、閑散とした廊下を支配する。
 とりあえずトキを起こすまでの二時間、最上階の十五階にある射撃場で時間をつぶそうと思ったのだ。ここは地下三階なので、普段エレベーターを使わないルクセインも、さすがに射撃場に行くときだけは妥協した。
 エレベーターがそろそろ見えるかなという距離を歩いたところで、ふと彼は立ち止まった。右手のドアから、何か見られているような気配が伝わってきたのだ。
 ナンバープレートを確認する。
『no number』
 そう書かれていた。
 番なしの部屋。それは二人一組のバディシステムにとらわれない者たち、異能者の部屋を意味した。
 そして現在、D維機の抱える異能者は一人しかいなかった。
「……トキ?」
 ドアの開閉ボタンが向こうから押され、ドアが開く。そこには寝間着姿の少女が、壁にもたれるようにして立っていた。
 肌は病的に白く、髪は長く青色。異能者たちは生まれながらにして、普通の人間とは違う色素を持つことがある。それが彼女の場合はそれが髪だった。
 彼女……トキは目を閉じていた。体もひどく震えている。口元で何かを呟いていたが、それは到底ルクセインに聞き取れる音量ではなかった。
 トキが目を開く。その色は、赤。異能者たちが唯一共通して持つ瞳だ。
「おいトキ、どうした、発作か? まだ寝足りてないだろうが、こんなとこにいないで早く……」
「ルク……いけない……」
 彼女をベットまで運んでやろうと手を伸ばすと、トキはそれを拒み、少し声を大きくして呟き始めた。
「『見』えるの……。あなたは今日、ここから出てはいけない。とても大きなことが起きる、そのときあなたはいては駄目……」
 それは、異能者トキによる予知だった。その口から出るのは確定した未来。今日の次に来るのは明日というような、なにがあろうと100%当たる、決定済みのスケジュール。
 ただそれは規定睡眠時間をクリアした状態でのこと、それを満たさない場合はむしろ外れることのほうが多かった。
 自分にそう言い聞かせ、ルクセインは子供をあやすようにトキを抱き上げる。彼女はまだ十二歳、来年でもう二十歳の彼にとっては妹のように思えた。
 番無しの部屋に入り、ベットに彼女を下ろしても、彼女の呟きはおさまらなかった。
「夜が……来るの……」
 発作状態の異能者には、無駄な薬など飲まさずにただ寝かせる。睡眠こそが最良の薬だからだ。
 部屋は普通部屋と同じ一室のみだが、かなり広く造られていた。ベットのほかには本棚が目に付き、ルクセインには理解の及ばないような学術書から、幼児が読む絵本まで、きれいに整理されて置かれている。知能指数が飛びぬけて高いのも異能者の特徴である。
 壁に取り付けられた大きなスクリーンに手のひらをつけると、独特の機械音を上げて画面が光だした。
『通信回線《facephone》、起動。ユーザーネーム〈ルクセイン〉確認。接続先ハ?』
「001」
『了解……ナンバー001、ネーム〈ミゾレ〉接続完了』
 そのあとミゾレとトキの不調について話し合った結果、捜査を始める時間を二時間遅らせることになった。
 トキはしばらく呟いていたが、ルクセインがなだめるように「わかったわかった」と言ったとたん、安心したように眠ってしまった。
 次に起きたときには彼女はなにも覚えていない。未来を『見』た記憶はすべて、数分で彼女の頭の中から消去されるのだ。
 つまり、このあとの捜査には支障がないということ――ルクセインはその程度しか考えなかった。
 それが、彼の命取りとなったのだ。


   2

 とにかく四時間の暇ができてしまったルクセインは、維機本部から出ることにした。
 まずは自分の部屋に戻り、身に付けていた武器の類を置かなければならない。外は建前上、武器のない平和な場所だそうだから。
(ったく、今まで非武装の状態で何回襲われたことか。維機ってだけで目の敵にされるんだから、武装くらい認めろってんだ)
 現在この国……日本では、いかなる者も職業外での武装を認められていない。その割に犯罪が多く、ルクセインたちはいつも肝を冷やしているのだ。
(おまけに軍服は着用義務だしよぉ……)
 軍隊と警察が混ざったような組織だが、こちらの都合の悪いほうばかりがシステムに反映されている、というのがルクセインの印象だ。
 まずは後ろ腰に下げていた改造リボルバー《lance改》を取り外す。いまさら実弾兵器に頼る気はなかったが、ミゾレの忠告でこれを一つと、右手の袖の下に一丁隠し持っている。次に背負うようにして取り付けてある厚刃のナイフを二本、隠しナイフは他に二本あるが、これはそのままにしておく。あとは靴に仕込んである《lance改》の予備弾を抜くと、もう終わりである。
 起こることはほとんどないが、大規模な制圧作戦でも装備はこれらとあまり変わらない。戦車は出ない、戦闘機も出ない。出てもせいぜい、無音で飛行する《feather cat》くらいだ。
 理由は、必要ないから。空間兵器、気象兵器、光学兵器。技術の進歩は軍隊を不要にさせ、戦争に参加する人間の数を大幅に減少させた。
 百人の鈍兵よりも、一人の精鋭のほうが強い時代なのだ。
 再び廊下をやや速めな足取りで抜け、廊下と同じ味気ない階段を四段飛ばしで昇る。たまに他人とぶつかることがあるため、風紀員には毎度うるさく言われているのだが、ルクセインには階段を一段ずつ昇る人間の考えが理解出来なかった。
 維機本部の一階フロア――つまりは外部の人間に対する受け付けをする場所は、地下とは打って変わった華やかな装飾で満ちていた。照明が必要ないほど光が入る大きな窓、高い天井、若い女性事務員……まるでそこらの企業社ビルと変わらない。
 事務員のうちの一人が、入り口そばのカウンターから手を振ってきた。
 常に人の流れがあるこのフロアは、来客も勿論多かったが内部の人間もその対応をしなくてはならないため、多くなる。結論として、いつも人工密度が飽和状態なのだ。ルクセインは手を振った事務員の場所まで行くのに手間取る。
 そうしている間にも、何人かの同僚や上司が彼に近づき、声を掛ける。
「おう、ルク。百人斬りのヘンタイはどうなった?」
「これからだこれから。捕まえたら見せてやるよ」
「顔体操が趣味のルク君、ご機嫌はいかがかね?」
「うっせぇぞヴァンソン! ヘンタイの次はてめぇの悪事を見つけ出してやっからな!」
「ああ、ルク。これあげるわ、余りモノだけど……」
「クッキー? また作ったのか。サンキュな!」
 ようやくにして辿りつくころには、彼女はすでに新しい来客の相手をしていた。ちらっとこちらを見る彼女に、ルクセインは「また後で」とだけ言って、そのまま通りすぎた。
 出入り口に敷かれた上等な赤色のカーペットを踏みつけると、曇り一つないガラスの自動ドアは音もなく開かれた。ルクセインは外の空気と貰い物のクッキーを同時にほおり込んだ。
 空気清浄機によってろ過された空気は、いつも同じ味だなと思った。
 秋とは言ってもすでに冬が近く、完璧に温度調整された維機本部の中から出ると、長袖の軍服を着ていても少し肌寒い。空はよく晴れていた。ただ、あまり陽光は降りてこなかった。高い高いビル群に阻まれて。
 もはや慣れたことではあったが、この本部を出るときにはどうしてもそういった感傷にひたらずにはいられない。道の端に目をやると、大した意味もないように思われるこう書かれた看板をよく目にする。
 JAPAN。
 ルクセインのような外国人種が、人口の37%を占めるというこの国。看板などの短い宣伝文句にはほぼ全て英語が使用され、最近はめっきり文字としてみなくなったが、名前を漢字で書くと『日の本にある国』となるそうだ。
 笑い話だ。これなら彼の生まれたUSアメリカの方が、よほど光に満ちていたように思う。
 それでもこの国に来たのは、この国があの核をも超える超エネルギー《NIGHT》の研究がもっとも進んでいたからだ。
 なぜそれに興味があったのかはよく分からない。ただ、強く惹かれた。環境問題が緊急に叫ばれる昨今、もしもこれが爆発すれば完全にこの星は終わりだという。
 それを止めることが目的なのか、それの近くにいたかっただけなのか。それすら分からないが、そんなものだろうとルクセインは自然に納得していた。
 ビルの間のまばらな人ごみに埋もれ、彼は歩いた。たまに肩がぶつかる。しかし誰も気にも止めない。軍服といってもそこまで物々しいデザインではなく、むしろ若者たち――本人も若いは若いのだが――の着ているものの方がよほど派手で、彼が目立つことはなかった。
 やかましい騒音の中をしばらく歩いていると、徐々に道の脇を囲む建物の質が変わってくる。落ち着いた色の企業ビルから、派手な垂れ幕の並ぶ巨大百貨店へ。
 そんな中、道の端にひときわ大きな看板を出している店がある。ただその看板は普通の長方形をしておらず、巨大な本の形をしていた。曰く、『宇宙中の本が揃います! 本ならやっぱり宇宙書店!』。英語と日本語と……それ以外はルクセインにも読めない言語で書かれている。
 と――
『いらっしゃいませ!』
「うお……」
 その「いらっしゃいませ」に圧倒されたルクセインは、思わずうめき声をもらす。音量だけが原因ではなく、少なくとも四つの言語が混じっていたのだ。これは分かりにくいだけではないのか。
『何か?』
 妙なステレオに頭を痛めながら、ルクセインは無言で奥へと進んだ。
 よく似合わないと言われるのだが、彼は読書家だった。特に小説は一日一冊のペースがもう七年近く続いている。
 生まれたときから変わりのない、カラフルな文庫本の背表紙を眺めて、やはり本は不滅だと一人で頷く。
 好きな作家の数はすぐに出てくるだけでも二桁を刻んでいたが、もうあらかた読んでしまった。そういうわけで今日はタイトルで読む本を決めることにする。
(『言葉が端から燃えてゆく』……SFか? 昨日読んだな。『花も育てられない』……なんか悲劇っぽいからパス。『インフルエンザ刑法』……ああ、今年はワクチンどうすっかな……)
 時間はたっぷりとあったので、一つ一つをじっくりと見ていく。全く、本屋というのは時間つぶしに最適な場所だとつくづく思う。
 そのとき、隣にいた客と手が触れた。
「お、わりぃ」
 ほとんど反射的に言ったルクセインだが、相手は何も答えなかった。それだけならばありふれたことだが、明らかにこちらの顔を凝視されている気配がある。
 気になったので、相手の顔を振り返る。
「……クーモイ?」
 驚きながら、ルクセイン。
「やっぱりルクか!」
 思わず大きくなった声を押さえるように彼、クーモイ=アルテはルクセインに顔を近づけた。
「確認するぞ。お前は俺の元相棒の、ルクセイン=クゥだな?」
「ああ……、だけどお前どうしてここに?」
 クーモイはその柔和な丸顔をさらにほころばせながら、
「とにかく向こうで話をしよう。時間あるか?」


   3

 その大型本屋の中には喫茶店もあり、ルクセインとクーモイはそこで簡単な食事をとった。
 床から天井まで全て木材の、懐かしい感じの店だった。客はほぼ満員で、しかしそれほど雑音が激しいわけではない。ルクセインはシーフードピザを一枚、クーモイはケチャップスパゲティを一皿頼んだ。二人ともすでに食べ終えて食後のコーヒーを啜っている。食べようと思えばいくらでも食べられるルクセインだが、食べなくても一日くらいは平気で活動することが出来る。ならば普段はあまり食べないほうが金銭面が浮くというものだ。見たところ、カウンター席で隣に座るクーモイも同じようだ。
 彼は身長が高くない。本人によれば170はあるそうだが、怪しいところだとルクセインは思っている。さらにやや小太りで、軍で一緒に仕事をしたときはよくダルマなどと呼んだものだ。彼はルクセインほど日本語が得意ではなかったため、その意味を理解したときの怒り方は今思い出しても笑いがこみ上げてくる。
 だが……彼はルクセインよりも二歳年上なだけだが、当時すでに軍の上層部でもかなり評判になるほど腕が良かった。『腕が良い』というのは、主に戦闘訓練の成績と、そして武器開発を中心とする研究成果のことをさす。ルクセインは後者の方があまりよろしくない。
 今でもやはり太めではあったが動きに全くよどみがない。鍛錬を欠かしていない証拠だ。
「そういえばこの国って、でかい体制改革が起こって何とか県からA〜Eくらいに地区分けされたんだよな?」
「そ、首都のあるここはD地区。面積は国内で一番狭いが犯罪は一番多いってところ」
「来てびっくりしたぜ。なんて狭い国だ」
 時計を見ると捜査開始の時間まで二時間程度ある。準備の時間を含めてももう少し余裕があった。
「しかし来た理由はただの観光だって? しかも金は国から出してもらって」
 クーモイはイスの座りごこちに満足していない様子で、むずむずと動きながら答えてくる。
「ああ。だいたい今までこの国に来てなかったほうがおかしいな。最近じゃ軍事技術方面にも頭角を現して来たし、お前が興味持ってた……」
「《NIGHT》」
「そうそう、それに関しては文句なしにトップだからな」
 近くのウェイトレスに声をかけて、クーモイはもう一杯コーヒーを頼んだ。どうやら本当に暇らしい。
「……しかしなぁ、俺は寂しいよ。お前が十四で軍隊に入って、それからの三年間は俺がアニキ分だったんだ。今は相棒なんてのもいないけど、お前が帰ってきてくれたら……」
「悪いが、いまさらそっちに戻る気はない」
 これだけは、きっぱり言っておこうと思っていた。
「……分かってるさ。ただ寂しいと言ってるんだよ。正直、あの軍内で一番才能があったのはお前だと思ってた。運動能力自体はそんな大したことなかったけど、危機を察知する第六感とか、かなり戦地じゃ心強かったんだぜ?」
 どう答えたものかと迷っていると、クーモイが慌てたように言った。
「勘違いするなよ、俺は俺で今の生活は楽しくやってる。お前も楽しくやってるんだからそれでいい。ところで、肝心の《NIGHT》についてはどこまで勉強した?」
「……理論書の初めに書いてある『著者のあいさつ』の時点でやめた。もうちょっとわかりやすい言葉で書けってんだよ」
「……お前は絶対科学者にはなれないよ」
「ならねぇよ」
 ルクセインは笑いながら立ち上がり、時計を確認した。
「さ……て。俺はそろそろ仕事なんだが、暇ならついてこねぇか? 俺の今の相棒を紹介してやるよ」
「……これから仕事なのか?」
「そう言ってるだろうが。なんか都合わりぃのか?」
 首をかしげながらルクセインが言うと、クーモイは少しためらって、
「……いや、これからお前を誘って南の島……今だとA地区だが、そこに行こうかと思ってたんだ。仕事サボって来いよ」
「無茶言うない」
 苦笑しながら、ルクセイン。
「これでも将来は維機のトップ狙ってんだぜ? さくさく仕事しねぇとな」
「そう……か」
 元相棒があまりに残念そうな顔をしたので、ルクセインは再度時計を見る。
 あと一時間半。
(まだ大丈夫かな……?)
 結局イスに座りなおしたルクセインは、捜査開始時間ギリギリまでクーモイと話し込んだ。
 とても楽しかった。その、人生最後の談笑は。


   4

「さて! しゃきしゃき仕事すっかな!」
「『さて!』じゃないよルクセイン。集合時刻に遅れるのは立派な軍規違反だよ」
「そうよ、帰ったら鞭打ちにあうか私にパフェを奢るか、どっちかしてよね」
 D維機本部よりも数キロ西にいった場所、クール廃墟街。
 止まらない時代の前進についていけなくなった物たちを、時代の流れに乗った者が捨て、貧窮の者たちによって組み立てられた街。そこに法は存在せず、少なくとも数千人のID不取得者と二十人以上の手配犯が住み着いているという。
 見渡せば明暗多様な灰色ばかりが、ルクセインの視界を埋め尽くす。たまに剥がれたペンキの赤などがちらつくが、それで彩りとは呼べないだろう。ビルは倒れ、それには古い型の四輪車が壁に立てかけられている。周りを見回しても、どれも似たような状態だった。乾いた風が吹いて、外から来た自分たちを異分子と罵る。
「まぁ……ありがちと言えばありがちな場所だな。それでも広すぎるから、やっぱりお前に『見』てもらうしかない、頼むぞトキ」
「こっちを無視して話を進めるな! パフェ!」
 彼が見下ろすのは、先ほど寝巻き姿で不吉を予知した少女、トキだ。
 彼女たち異能者は名目の上では維持機構官ではないため、今の彼女は軍服でも制服でもなく、ピンクのワンピースに白のコートという格好だ。その特徴的な青髪をルクセインと同じように一本にくくり、足元は行動しやすいようにと、スニーカーを履いている。ワンピースとスニーカー。この矛盾に気付かないのだろうか?
 能力を使う間は別人のように物静かだが、これが彼女本来の性格だ。
「私にはいくら働いてもお給料は出ないんだから、こういうときに貰っとかないと」
「わかったよ、あとでな」
 悔しそうに舌打ちをして、彼は相棒の方に視線を移した。
「で、ミゾレ。ヘンタイが何度も通ったって場所は……ぬおっ!?」
「どうかしたかい?」
 黒髪の青年は、その涼しげな顔をやや傾けながらこちらを見た。
 身長はルクセインよりもやや低い程度、一般から言えばなかなかの長身である。着ている軍服は組織内で統一されたもののはずだが、何故かルクセインとは一線を画する高貴さを放っていた。本人が言うに、「襟の角度が違うんだよ」とのことだが、どう見ても大した違いがあるようには思えない。
 ルクセインが驚いたのは、彼の眼前に近づいてきた、バスケットボールくらいの大きさの白く丸い物体である。
「なんだこりゃ! いつからこいつは空が飛べるようになった!」
「……今ごろ気付いたの?」
 トキのつっこみがルクセインに入るが、ミゾレは待ってましたというようにその丸い物体を手元に戻し、自らの発明品について朗々と解説を始めた。
「僕の聡明な《eyeZ》改め《eye[》は、その驚愕すべき能力をさらに向上させんがために、いくつかのバージョンアップを果たしたんだよ。飛行はその一つだね。気象兵器の理論だから元々そんなに難しくはなかったんだけれど、この美しい球体ボディにどうやって取り込むかが最大の課題だったんだ。それを克服したときの感動は言葉では言い表せないね。現在は試運転中。場所はこの子が案内するよ」
「……まぁ、いいけどな……」
 ため息を一つついて、ルクセインは続ける。
「それで一応確認しとくが、乗ってきた《feather cat》にはどの程度の武器が積んである?」
「中級兵器……《defender》などは一つもないよ。必要ないだろ?」
 ふと、トキの言葉が頭をよぎる。
 ――とても大きなことが起きる……
 ルクセインは自分の腰に下げてある大型リボルバーに手を添える。
 その時に、この程度の装備でなんとかなるのか?
「ルクセイン?」
 はっと相棒を見たときの自分の顔を、ルクセインは想像することが出来ない。きっと、今までにない表情……怯えた顔をしていたのではないだろうか。
「……どうかしたのかい? 調子が悪ければ本部に戻って構わないよ。こんな小物なら僕だけで十分だと思うし」
「まぁ! ミゾレだけじゃないでしょー? 私もよ」
 ミゾレがトキに弁解する声が、やけに遠くに聞こえる。
 しかし、こんなことで仕事を止めるわけにもいかない。
「いや……なんでもねぇよ。じゃあサクサクそのゴム鞠に案内させてくれ」
「ゴム鞠……その言葉は遠くない未来、必ず訂正されることを予言するよ。さぁ行け、僕の有能な《eye[》」
 それは体のあちこちにくぼみを持ち、そこにはカメラのレンズのようなものが埋め込まれていた。その中の一つがゆっくりと盛り上がり、なにかを探すように右に左に揺れ始める。
 やがてその動きを止め、意外に早い速度で前進し始めた。
「さ、あの子を追って」
 そう言うやいなや、ミゾレは二人を置いて走り出してしまった。
「ぐぅ……えらいハイテクらしいのはわかるが、結局俺らが走らなくちゃならねぇとは……、《board》くらい持ってくりゃよかった」
「やーよ、あの乗り物、すぐ私を振り落とすんだもの」
「そりゃお前が鈍くせぇんだよ」
 そう言っている間にも、《eye[》は進み続ける。まともな建物や施設が全くないその場所は、わずかな距離をずいぶん長いものに感じさせた。やがて倒壊した建物と建物の間に出来た道の前で、その白い球体はぴたりと止まった。
『コノ先、数種ノ障害ガアルト推測サレマス。確認サレマスカ?』
 飾り気のない機械の声で、それは語る。やや遅れた二人もそこで追いついた。
「ああ、頼むよ」
 ミゾレが言うと、それはすぐさま続けた。
『光源ノ不足、下級兵器所持ノ人間ガ数十名存在、気温ノ微量低下』
「問題ないね。では進ん」
 そのミゾレの返答は、《eye[》の声――あるはずもないが、ややためらうような間を持ったその声に、遮られた。
『正体不明ノ障害。以上デス』
 一気に、その三人の間に沈黙が降りる。
 正体不明。
 それはどの兵器よりも恐れられるもの。トキは別としても、すでに軍歴が五年を数えたルクセインとミゾレに、解らぬはずはなかった。
 だが。
「……障害感知能力の感度を、多少上げすぎたのかもしれないね」
 ルクセインの頭で、もう一度トキの言葉がリピートされる。
 背筋をそろりと撫でられたような気分。
 思わず、ルクセインは口を開いていた。
「そうなのか?」
 ルクセインは一歩ミゾレに近づき、同じ問いを繰り返した。
「本当にそうなのか? 俺はお前のミスを一度も見たことがねぇが、今回はそれをしたってのか?」
「ルクセイン」
 ミゾレは少し驚いたような表情をして、こちらの顔を覗き込んだ。
「ここは戦場じゃない。今僕らがやっているのはただの捜索だよ。追う側だ。……少なくとも、ルクセインがそこまで怖がるほどのものはないと、僕はそう思うんだけれど」
 怖がる? 誰が、何を?
「どうも今日はおかしいね。朝、何かあったんじゃないかい? そう……例えば、トキに何か予知されたとか」
 二人の視線を感じる。ミゾレはこちらの反応を観察するように、トキは心配そうに、そして記憶にない自分の行動を怖がるように。
 どうする? 言うか、言わざるか。
 言えば間違いなくルクセインは帰らされるだろう。トキの予言では具体的に何が起こるかはわからないが、ルクセインが本部を出ることで一層状況が悪くなるのは確かだからだ。
 だが、外れる可能性も高いのだ。
「なにも、ねぇよ」
 押し出された声は、本来のルクセインのものとは程遠く、ひどく自信なさげでかすれたものだった。
 トキが口を開きかけた瞬間、それは三人の間に突如割り込んできた。
 甲高く怯えきった、男の悲鳴。
 《eye[》がブザーを一度鳴らす。
『緊急事態発生ノ恐レヲ感知。確認サレ……』
 一瞬で今までルクセインの表層に出ていた人格は消え、別のルクセインが動き始める。
「この中だ! いつも通り俺が前、ミゾレが後ろだ、トキは間に入ってろ。いくぞ!」
 ミゾレは不満げだったが、行動は迅速だった。《eye[》を手に取り、いくらかの操作を加えると、くぼみからいくつも筒が伸びてくる。さらに手を離し宙に浮かべると、それはあたかも小太陽のように光を発し始めた。
 ためらいなくその暗闇の道に入り込む《eye[》。三人もまたその後を追う。


   5

 そこは道というよりも洞窟といったほうが的確な表現だったろう。薄暗く、狭い。しかし壁を滴るのは単なる地下水ではなく、どこから漏れたのか褐色に濁った機械オイルだ。その匂いだけが、ルクセインにここが廃墟街の中だということを忘却させない。
 《eye[》は相変わらず煌々と道を照らし、こちらの走るスピードに合わせて先を行く。周囲にある全てのものに警戒するように、ルクセインを含む三人は無言だった。
 基本的には倒壊したビルをベースにしてある道なので、そこら中に壊れたドアや割れた窓が見える。
 そしてそこから覗く人々の気配も。
「……見られてるね」
 トキが声をひそめてつぶやく。
「まぁな。俺らを見てるのと、さっきの悲鳴への警戒と、半々くらいか。こいつらはこっちが何もしなきゃ害はねぇ、無視しちまっていいぞ」
「でもルクセイン、彼らは維持機構そのものに強い敵対心を持っているよ。何もしないのは武力がないだけでね。僕らは今、大した武装をしてないから刺激を与えるのはよしたほうがいいと思う」
 ミゾレがそう言い終わると同時に《eye[》が減速し始め、おそらく悲鳴をあげた主であろう、倒れている一人の男の上で停止した。
 その男は仰向けに倒れており、体をかばうように腕を胸の前で十字に組んでいた……いや、組んでいた形跡があった。
 両腕が吹き飛び、背中まで貫通するような何かに、男の体は丸く刳り抜かれていたのだ。
 奇妙な……死に方。
「や……!」
 悲鳴をあげそうになるトキの頭を、ルクセインが軽くなでてやる。
「しばらく目を閉じとけよ、すぐ終わるから」
 そうしている間に、ミゾレはその死体の検分を始め、そして何かに気付いたように一瞬動きが止まった。
「……ルクセイン、どうやら犯人逮捕の任務は失敗だね」
 顔を上げて、こちらを見てくる。
「彼が僕らの追ってた犯人だよ」
「なに?」
 ゆっくりとトキを離し、ルクセインも確認する。間違いない、あの露出狂だ。
「……どういうことだ? まさか事故ってわけじゃねぇだろう、この傷は事故なんかじゃねぇ。エモノは……光学兵器? いや、違うか。まるで始めからなかったみたいな……どっちにしろ、殺されるってことはそれなりの理由があるはずだ。だがここの住民の場合、犯罪が殺される理由にはなりえねぇ……」
 やや間があって、ミゾレが自信なさげに、
「……さっき正体不明の障害があると言ってたろう? 誰かが……例えば外の兵器開発の学者たちが、データ欲しさにこの廃墟街で実験を行ったとか。ここなら苦情が出されてももみ消せるから」
「この傷はどうやって? 上級兵器は人間を媒体にしないと使えないぞ」
「僕らがわからないようなものだからこそ、データが欲しいんじゃないかな? 第一、上級兵器ならこんな今にも崩れそうな通路が残ってる訳がない」
 その考えは少々強引過ぎる気がしたが、今の時勢では一番ありそうなものだった。
「……よし、とにかく本部へ連絡するか。わりぃなトキ、出番はなくなっちまったみてぇだ」
「うん……」
 ルクセインは軍服のポケットから一つの懐中時計を取り出した。銀色が剥げてまだら模様に見える、古いものだった。
「死体発見時間、十四時四十三分。それじゃ、帰るか」
「待てぇ」
 突然、声が響く。
「許さんぞぉ」
「悪魔めぇ」
「よくも同胞を……」
「呪われろ……」
「呪われろ!」
 声は幾つも重なり、ルクセインたちを責め立てる。
「ああ、面倒くせぇなぁ……」
 ルクセインが言い、
「まぁ、状況からすれば仕方ないことかもしれないね」
 ミゾレが答える。
「もうやだぁ……」
 泣き言をいうのはもちろんトキ。
 そして三人の予想通り、廃墟街の怒れる住民たちは徐々に姿を現し、包囲し始めた。様々な色のTシャツがちらつくが、黒ずんでいてあまり個性が見えない。髪は伸びきり、手には銃器とナイフの類が目立つ。
 その総勢二十人程度の彼らを見ながら、何でもなさそうに腰の大型リボルバーを抜いたルクセインは、ちょっと官僚ぶって呟いた。
「公務執行妨害を適用、強制排除を開始する」
 それがまるで試合のゴングのように、その場にいる全員が同時に動き出した。
 位置関係としては、一番中心にトキが立ち、それをルクセインとミゾレが背中合わせに守る。その外側を囲むように廃墟街の住民。
 そして、上方には光を発し続ける《eye[》。
 その光が、突然落ちた。
 廃墟街の住民たちも多少の明かりは持っていたのだが、圧倒的な光量だった《eye[》が消えると、空間は一瞬何も見えなくなった。
 一発の巨大な銃声。続いて泣き声の混じったような悲鳴が、一つではなく響いた。
 場はすぐに混乱した。絶え間ない銃声と、その弾が壁に当たり跳ねる音。叫び声や意味を持たない雄たけび。
 そしてようやく目が慣れた頃、彼らは気付くのだ。
 すでに三人が消えていたということに。


   6

「うー、危ねかった……」
「『うー、危ねかった』じゃない! なによ、二人とも余裕みたいな顔してたから、かっこよく全員倒してくれるんだと思ったのに!」
「いや、だって相手多いし」
 ルクセインたち三人はあの洞窟のような道を抜け、空が四角に切り取られるように見える、傾いたビルに囲まれた広場に出ていた。
 別に何かしらのマジックを使ったわけではない。ルクセインが《lance改》を放った方向に、一直線で抜けてきただけだ。その際《eye[》はその形状を傘のようにして、三人の後方を走って流れ弾を防いだ。
「所詮は烏合の衆だからな、暗闇に銃声ってスパイスを効かせてやれば、すぐに包囲は解かれる」
「じゃあ公務執行妨害がどうのこうのっていうセリフはなんだったのよ!」
「一度言ってみたくてさ。実は今回が始めてなんだよな」
「まぁそれと、はったりだね。あれでこちらがいきなり逃げに徹するとは想像しにくくなった。それで彼らは考える、『相手は動いてないはずだから、そこに撃てば当たる』。で、あの通りの大混乱ってわけだ」
「そうそ、さすが相棒」
 からからと笑い、ルクセインはまだ納得いかない顔のトキの頭をポンポン叩く。
「まぁ倒せないこともなかったけどな。死人は少ねぇほうがいいだろ?」
 ルクセインは改めて周りを見回した。
 廃墟街はどこの国にも十を超えるほどあったが、大概は小規模であることが多い。こういった廃墟街を必要悪として黙認している維機だが、そこまでのさばらせることは出来ないというわけだ。
 このクール廃墟街もその例に漏れず、半径五百メートル程度の大きさしかなかったはずだ。
 過去に見せてもらったことのある、廃墟街を空から写した写真を思い出す。ほぼ山なりに建物が大きくなっていき、その中心には大量の浮浪者たちが住んでいるであろう巨大な砦――というには程遠い、スクラップの塊――があった。
 先ほどの道を走ってきた距離を考えると、このあたりがそうだろう。実際、その広場には鍋からなにか遊具のようなものまで多く転がっており、生活の気配を感じさせた。
「不味ぃな、だいぶ中央のほうに来ちまったぞ。もたもたしてるとさっきの奴らが来るし、かといってこの馬鹿でかい建物を上っても埒があかねぇ」
「でも、逆側に抜けるしかないんじゃないかな。それかこの砦を登りきって、リモコン操作で《feather cat》を呼ぶとか」
「ここに呼ぶのは無理か?」
「ちょっと狭すぎるね。今回は三人乗りので来てるから」
 困ったように唸り声を上げるルクセインだが、観念したようにため息をついた。
「しゃーねぇ、とりあえず砦に入ろう。抜けるのが簡単そうだったら抜けて、無理だったら登る」
「まぁ、それが打倒だろうね。疲れてないかい? トキ」
「あとでパフェを奢ってくれるなら、まだいけそう」
 にこっと笑うトキ。やっぱり女というのは根が男より強いもんだと、ルクセインは妙に納得した。
 適当にまっすぐ進むと、すぐにその砦の入り口は見えてきた。珍しくがっちりとした鉄製のドア。ただし半開きになっている。中は相変わらず暗そうなので《eye[》が再びライトで照らすと、そこには今までの道とはあきらかに違う、人々が生き、その息吹が感じられる開けた空間が覗いていた。
 入り口を抜ける。
「……わぁ……」
 トキが嘆息する。
 それはある意味、最先端技術の結晶である現代都市をも上回った、完全なる『街』であった。
 天井が見えないほど高く、《eye[》がするすると上へ昇っていく。それに伴い見える範囲が広がると、それはなおさら街の輪郭を見せ始めた。
「あ、お店があるよ!」
 トキが指差した向こうに、これもどこからか拾ってきたのだろう、大きな熊が看板を持つ人形が置いてある店があった。その熊も看板もきれいに掃除されており、看板には『ぬいぐるみ』とだけシンプルに書いてあった。
「へぇ……こりゃ大したもんだな。全部ゴミからだろう?」
 ルクセインも軽く感嘆の声を上げ、とりあえず歩き始めてから気付く。足元が今までの凹凸したコンクリートから、なにやらわからない素材のものに変わっていたのだ。
「なんだ? 妙に歩きやすくなったな……この下のやつ何かわかるか?」
 地面を足で踏み固めるように何度かしてみせ、相棒に聞いてみる。
 するとミゾレは、やや尖った口調で答えてきた。
「……ゴミだね。ゴミを一度溶かして、それを固めてあるんだよ」
 すぐにピンときた。現代技術を信仰とも言える盲目さで愛するこの男は、古い技術でここまでの街が造れるという事実が、なんとなく気に入らないのだ。
 ルクセインの考えていることを知ってか知らずか、ミゾレは《eye[》にぼそぼそと何かを命じ、光を落として手元に戻した。
「きゃ、なんで急に真っ暗にするのよー!」
「さっき僕らがやったのと逆のことさ。ここにも多少の光はある、それをこんな集中的で強い光を放つと、狭い範囲しかものが見えなくなってしまうよ。ここの住民も警戒して出てきてくれないしね。できれば道を聞きたいんだ」
 ミゾレの言う通り、すぐに目は慣れてきた。
 はるか上の天井と、壁に取り付けられたライトから、低い照度で光が照らされている。おそらくは電力の節約だろう、慣れてしまえばこれでも十分なのかもしれない。
 しばらくして、自分たちが目にしているのがどれ程のものであるかを知った。
 下から順に、確認するように見上げて行く。まずは先ほど話題になった地面。次にその綺麗な平坦を形成する面から斜めに伸びる、一本の斜面。それは天に上る龍のように、砦の壁に沿ってらせんを描く。それは見えなくなるほど高い位置まで昇っている。しかし驚くべきはそこではない。
 地面から伸びた斜面。それは巨大な1枚のプレートであり、らせん状になったその上で、数え切れない建築物がそびえている。
 つまりここは、現在ルクセインたちのいる地面と、そのらせんプレートによって構成される、三次元の土地だ。
 その能率はともかく、これだけ無理な建築をしておいて安定を保っているというのは、明らかに現代技術を上回った業だ。
 見上げたままで痛んだ首を押さえて、ルクセインは口笛を一つ吹いた。
「しかしこんな構造とは思わなかったな。地面に接した部分の住宅街を突っ切れば、外へ抜ける道が見つかるか?」
「どうだろうね……普通の階段ならともかく、これだと最上階まで時間がかかりすぎる。この際壁際まで行って、壁を打ち抜くほうが……」
 そのときだった。
 上方で爆発音。巨大な音の波が体を叩く。次いで三人が見たものは、自分たちめがけて落ちる、大破した家屋の一部だった。
 トキは反射的に耳をふさぎ、その場にうずくまる。それをルクセインがほとんど片手で抱き上げ、もう片方の手でミゾレを突き飛ばし、自身も飛び込むようにして地面に身を投げる。ミゾレは突き飛ばされながら、手元の《eye[》に操作を加え、手から離した。
 ここまでがほんの一瞬、投げられた《eye[》が見えない力場のようなもので瓦礫を受け止めるまで、一秒とちょっとといったところか。
 しかし、空中で体の数十倍もある質量を受け止めるという無理な姿勢で、《eye[》が再び警告音を鳴らし出すまでにかかった時間は、この世で最も長い数秒だったようにルクセインは思った。
『警告、半径百メートル以内ニ、対応ランク4以上ノ爆発物ヲ多数感知。障害ノ発見報告、半径百五十メートル以内ニ、正体不明ノ障害』
 トキが泣き始めた。ミゾレも固まってしまっている。
 考えなければ。
 ルクセインは追われるような気持ちで、そう反芻した。
 考えなければいけない。物事を成功させようとするのならば、いつでもそうだ。
 ごちゃごちゃと考えるのではなく、情報だけを短く羅列し、あとは直感に近い感覚で動く。これが最良の考え方だとルクセインは知っていた。瞼を閉じ、まるで自分とは別の人格が思考するような感覚。それはすぐに始まった。


 規模の大きな爆弾が無数。
 対応ランク4!
 さらに、
 正体不明の障害が近くに。
 ミゾレは頼れない。
 トキが泣いている。
 トキ。


(……トキだと?)
 閃くと、すぐに行動に移る。
「トキ! 今すぐ『見』てくれ!」
 泣き続けるトキの肩をつかみ、出来る限り怒鳴らないように頼む。
「トキ、この爆弾が時限式で、さっきのがその始まりだとしたらもう時間がねぇ。いつどこで爆発するのか知らなきゃ俺らはお陀仏だぞ」
 赤い瞳が涙の向こうから弱々しく見返してくる。
「だが、お前が『見』ればなんとかなる。俺が保証する。俺が約束を破ったことあるか?」
「……バカ。今日も時間に遅れて来たじゃない」
 泣き声を混じらせながら、青い髪の少女は笑った。
「待ってて、すぐに『見』るから……」
 トキが目を瞑ると涙が一筋流れ、次に開いたときにはなにも残っていなかった。
 彼女が予知するときはいつでもそうだが、受け継がれる伝説でも語るかのように、その声は神秘的で厳粛だった。
「……屋上……はっきりとは見えない……しかし、そこに、何か……ある。とても……大きなものが」
 とても大きな――
 ビクリと体を震わし、振り返ると、ミゾレが立ち上がっていた。《eye[》に命じて瓦礫を静かに――とは言っても、かなり大きな音はしたが――下ろさせ、ひびの入った眼鏡を外しながら、ミゾレは口を開く。
「どうする? ルクセイン」
 相棒はこう聞いている。僕らが行って爆発物の処理を試みるか、このまま逃げ帰るか、どっちにする?
「……お前が決めろよ」
「リーダーは君だ」
 ミゾレの顔には、もうありありと不信の念が浮かんでいる。いや、もう完全にミゾレは今日の午前にあったことに予想をつけているだろう。そしてその内容も。
 その上で聞いているのだ。
 選択肢など、ありはしなかった。
「……トキはお前が背負って走れよ」
「いいとも」
 ミゾレはやっと笑って頷いた。
 頭上でまた一つ爆発があった。遠くの方で、住民の叫び声が聞こえている。
 一度、深呼吸する。
「いくぞっ!」
 ルクセインたちは駆け出した。
 トキはミゾレの背中で、静かな寝息を立てている。異能の反動だ。
 連続する爆発音。舞い落ちる瓦礫や、徐々に大きくなる混乱の声を交わしながら、らせんの道を抜けていく。
「ミゾレ! そのゴム鞠にもう一回力場を作らせねぇのか!?」
「そんなに長い時間使えるわけじゃない! さっきぐらいのが来たら、もう防げないよ!」
 二人の中心にコンクリートの塊が落ち、それを二人は同時に避ける。
「た、助けてくれっ」
 道の脇から、一人の男が倒れこんできた。足に怪我をしているようだ。
「あんたら維機だろう!? あの化け物地味た兵器(モン)で、なんとかしてくれよ!」
 だが、二人は止まらなかった。
 男は後ろでまだ叫んでいる。
「あ、あんたらはいつもそうだ! 俺たちを犠牲にして生きている! 呪われろ……呪われろ! 呪わ……ぎゃあああああっ!」
 道が断裂されている。だが構わずルクセインは飛び越えようとし、ミゾレはそれを止めた。
「ルクセイン、距離がありすぎる!」
 ルクセインの口の端から、血が一筋流れ落ちていた。
「さっきの彼は仕方ない! 僕たちには時間がないんだ、暴走しちゃいけない!」
 するとおそらく自分で判断したのだろう、《eye[》が絶たれた道の間に入り、長方形の板のように形を変えた。
「さぁ行こうルクセイン! ここで立ち止まってる時間はない!」
「……あいつのために、悔やむ時間もないってのか?」
「ない!」
 きっぱりと、しかし怒りのこもった口調でミゾレは言い切り、《eye[》を間に道を渡りきった。
「いいかいルクセイン! 自分だけ死なないなんて、そんなことはないんだよ!」
 ミゾレはどんどん先へ行く……。
 自分は一体何をしているんだろう?
 《eye[》は未だ同じ場所にいた。つまりミゾレは今、なにも武装していないことになる。
 前方、ミゾレとトキがいるであろう辺りに、一際大きな落石があった。
 ――自分だけ死なないなんて、そんなことはないんだよ。
 爆発音はいつまでも終わらない。
 次第に規模が大きくなる。
 天井が全て吹き飛び、一瞬、青い空が見えた。
 そして次に彼は見たのだ。
 夜が始まる、最後の光を。