予定運命の輪 〜questions of the witch〜 第五章
作:沖田演義





   第五章 〜魔女は踊る〜


   1

「この国に降りたってすぐにルクと会った。しかしルクは時間がないらしい。相棒に会った安心感からか、俺はルクを仕事に行かせた。別に後でもいいだろう……と。その後だ、奴に会ったのは。奴は……ミゾレは、俺を見て笑顔を作った。そして俺に道標をくれるという。その時の俺の気持ちが解るか? 七回死んだのに、それでも延々と人生は続く。まさにゲームだ……多分、狂ってたんだろうと思う。行動中、奴の言うことは全て当たった。そして奴は、この後俺は爆発に巻き込まれて死ぬことになるが、その次の人生ではこのゲームを終わらせることが出来る。その為には自分に協力してもらいたいが、どうだろうと。俺が断るわけがない」
 そこまで一気に言って。クーモイはテーブルに会ったワインを飲み干す。カチンと音を立ててテーブルに立ったワイングラスに、例の朝日が呪うように光を透している。
「それが……私を攫うことだった?」
 トキが恐る恐る口を挟む。クーモイは彼女を軽く睨んだ。
「そうだ。簡単な仕事だった。全部奴の言う通りにシナリオが進むんだ。ところが、一つ問題が起きてしまった。これで開放されると思うのと同時、もしかしたら俺は消滅してしまうのかもしれないと思うようになった。それ自体が恐ろしかったわけじゃない。ただこのまま消えるというのもなんだから、最後に友人の声でも聞いて死のう……と思った。そして外部に連絡を取ると……」
「お前の情報が無い」
 ルクセインが割り込んだ。食事にはほとんど手を付けていなかった。
「そうだ……何故知ってる?」
「俺もどうにでもなれと思って、お前に連絡を取ろうとした」
「……ははっ、俺も真っ先にお前に掛けようと思った。……で、俺はそこで始めてミゾレに不信感を持ったんだ。そこに、キリが現れたというわけだ。驚いたな。現実の世界には来れないものだと思っていたからな。そしてキリと話して、どうやらこっちの方が信用出来そうだと言うことになった」
 力が入っていたのだろう。今まで姿勢を前に傾けるようにして座っていたクーモイが、椅子の背もたれに全体重を預ける。もしもキリの用意したものが安物だったら、確実に壊れているところだ。
「そして今度はキリの命令で動いて、さらった異能の少女とそれと一緒にいた少年を回収。二人をキリに引き合わせて、今に至る」
「……あの時、キリさんと会話してる時間があったかしら?」
 トキが首を傾げる。
「ああ、話しというのは正しくないな。あいつが言いたいことを一方的に俺の脳に叩きこんだだけだ。人間の脳の操作が奴の異能だからな」
「あ、今度はオレが話そうか?」
 いつも通りの口調に戻り、クリスが提案する。多少緊張感が緩んだためか、手にはチキンが一つ握られていた。
 クーモイは顎でそれを促し、クリスはチキンを食べ終えてから、頷く。
「キリさんは、天使みたいにオレたちのいる部屋に現れた……ってのも照れくさいね。でも実際そうだったんだ。なんてか……一発で、レベルが違うと思った。なんのレベルか分からないけど。その後も驚きの連発。さっきおっちゃんが言った脳の操作もそうだし……」
「一応、俺はルクと年はあまり変わらんぞ」
「……訂正、クーモイさんと同じようにして、キリさんはオレたちにも事情を説明した。あ、トキちゃんは勿論キリさんが連れてきたんだ。そこでトキちゃんが予知した内容もオレたちに伝わって、兄ちゃんがやばいってんで、クーモイさんとオレで上級兵器を抑えに行った……というか、行かされた。でも予想外に兄ちゃんがやられてたんで、仕方なくキリさんが対処したってわけだ」
「仕方なく?」
「そ。詳しくは知らないけど、あんまり大きな力を使うとやばいみたいだよ」
 地面と砦の壁に穿たれた大穴を思い出す。確かにあれは相当なエネルギーだろう。
「予知の内容ってのは? トキは前にタロットみたいなのを言ってたけどな。それとは違うんだろ?」
 今思えば、それも完全に説明できる。吊るされた男は七回死んだクーモイ。企む隠者はミゾレ。全員とコンタクトを取っている奇術師はキリ。そして何も知らない愚か者は自分というわけだ。
「それは私が説明するね。といっても、私は一度忘れちゃってるから、みんなの持ってる知識と変わりはないんだけど」
 トキは束ねていた髪を一度ほどき、何度か頭を振ってから、また束ねた。
「とにかく……ミゾレの悪いところばかりよ。人間の暗黒面の全てを見せられた感じ。あれほど慕っていたのに、私にはもうミゾレになんの感慨も浮かべれない……。それほどのものよ」
 そう言って、トキはほんの少し悲しそうな顔をした。
 ルクセインはその予知の情報を直接キリから貰っていない。だからかもしれないが、随分な話だと思った。少なくとも、二年は一緒に働いた仲なのだ。正直、ルクセインは未だにミゾレを完全に悪とは断定出来ない。
「はい、待たせたね」
 キリが天井を通り抜けて、四人の所まで降りてきた。その際にテーブルは姿を消す。
 先ほどの話を聞いてしまったので、トキとクリスがクーモイの方をちらりと窺っている。クーモイの表情には変化がない。
「どうも全てを会話で説明するというのも面倒だから、一度に脳に送れるようにまとめて来たよ。さ、額を出して」
 キリが人差し指を立てた。まずはクリスの額にそれが触れる。
 次にトキ。ついでクーモイ。そして……。
「待った」
 寸前まで迫ったその指を、ルクセインは静止させた。
「……どうしたの?」
「いや……俺は今のままでいい。別にお前が何者かなんて知りたくない。だから、それはいい」
「でも、多分理由がわからないと、これから私の言うことを理解してもらいづらいと思うんだけどね」
「とにかく、いい。なんとか理解する」
 他の三人は、いずれも沈黙していた。一度に入ってきた情報を処理するので精一杯なのかもしれなかった。三つとも優秀な頭脳には違いないが、そういう問題でもないだろうから。
「……いいとも。ではこれからゲームの説明をするよ。四人とも、心して聞くように」
 キリはそう言って、いつの間にか立ち上がっていたルクセインに席を勧めた。
「三人には一緒に送ったと思うけど、わがままルクセインに説明するために、ルールをもう一度説明するよ」
「ちょっと待て。そもそも何のルールだ?」
 ルクセインが慌てて言う。
「ああそうか、まだ言ってなかったか……もう、面倒だな。決まってるじゃないか。ミゾレを消滅させるゲームの、さ」
 その物言いに、ルクセインは身震いした。
「……理由は?」
「それを知りたいなら、私の異能を使わなきゃずいぶん時間がかかるよ?」
「ああ、じゃあそれはいい」
 やけにあっさりと引いたルクセインに、真っ先に情報を処理しきったらしいトキが、不信の目を向けていた。
 だがあいにく、その疑問に答えることは出来ない。絶対に……だ。
「じゃあ続けるよ。まず、ミゾレの目的は《NIGHT》が爆発するまでそれを守ること。途中で突然爆発することはない。それは私のプログラムで禁止してる。私たちの目的は《NIGHT》を無力化しつつ、ミゾレを消滅させること」
「プログラムがどうのこうのする余裕があるなら、さっきのテーブルみたいにパッと消しちまえってんだ」
 愚痴るルクセインに、キリは人差し指を振って見せた。
「それは、無理。その命令に対するミゾレの保護が働いてるから。私たちはね、必要最低限のものだけを保護して、出来るだけメモリの容量を確保したいんだ。メモリっていうのはすなわち、私たちがこのレプリカの世界を操作するのに消費していく燃料のこと。この量は今、私とミゾレではほぼ互角の状態にある。さらにメモリ使用の能率も互角。このメモリの量にある程度の差がつけば、私が《NIGHT》を消去して、あなたたちを元の世界に戻すことが出来るんだ」
「つまり俺たちの仕事は、ミゾレの持ってるメモリを消費させることだろう? その方法は?」
 キリはわざとらしく拍手をする。
「ご名答。珍しく冴えてるね。メモリを消費させるには、ミゾレの保護しているもの……つまり、《NIGHT》にダメージを与えればいいんだ。そうすればそれを防ぐために……正確には、その攻撃をキャンセルするために、ミゾレはメモリを消費する」
「その逆は? ああ、俺たちのメモリがなくなる条件は、って意味だ」
「私が保護しているのは、あなたたち四人よ。いきなり消去されたら困るでしょ?」
 そう言って、キリは笑った。この類の発言の後に笑うのは、彼女のくせなのだろうか。
「ミゾレが消去の命令を送って、私がそれをキャンセルする。それじゃあメモリはお互いにマイナスで、意味がない。だから多分向こうも何か物理的な攻撃をよこすと思う。もしもこちらのメモリが著しく減少したら、すぐに《NIGHT》を爆発させることが出来るんだから」
「大体解った。俺たちはなるべく相手の攻撃を受けないようにしつつ、《NIGHT》に対して攻撃を加えりゃいいんだな? 《NIGHT》は原理そのものが普通の爆弾と違うから、誘爆の危険はねぇ」
「本当に冴えてるね。ちょっと怖いくらいだよ、ルクセイン……」
 キリの赤い瞳と、ルクセインの青い瞳がかち合う。ルクセインはふいと目をそらした。
「それじゃあ、少し時間を空けて、さっそくスタートしよう」
「ちょっと待った。肝心の《NIGHT》はどこにある?」
「知らないよ。でもこの砦の中にあるみたいだから、ルクセインとクーモイに上級兵器を持ってもらって全破壊の方針でいくつもり。そのためにここの住民には退避してもらったんだし、君たち四人を選んだんだから」


   2

 ルクセインはそれらを見たことがあった。キリがルクセインとクーモイに与えるため、再び現れたテーブルの上に置いたもの。
 上級指定兵器《SERPENT》と、同じく上級兵器の《COFFIN》。形を言うなら、短めの槍と小さ目の立方体だった。
「……これを見ると、さすがに緊張するみたいだね。二人とも」
 そこにトキとクリスの姿はなかった。上級兵器を使用する際に危険だからと、キリがどこかへ移動させたのだ。
「まぁな。俺たちはこれを使う時、死ぬことを前提として使えと言われている」
 クーモイが《COFFIN》から目を離さずに、そう言った。ルクセインは《SERPENT》に、クーモイは《COFFIN》にそれぞれ適性がある。どちらがどれを使うかは言うまでもなかった。
「さて。すでにトキちゃんとクリス君は別の場所に運んでおいたから、物理攻撃を受ける心配はない。さっそくこれを飲んで」
 テーブルの上にカプセルのぎっしり詰まった瓶が二本置かれていた。
「こんなにいるか? 一粒で数時間は使えるはずだぜ?」
「数時間で終わるなんて誰が決めたのさ。いいから持っときなよ……私は戦闘中忙しいからね、足りなくなったからってポンと出すわけにはいかないんだよ」
 仕方なくその瓶をベルトの一部に差し込んで固定する。勿論、一粒だけは取り出して。
「……さて、俺の方からいかせてもらうかな」
 クーモイが《COFFIN》を左手に取り、カプセルを一つ飲んだ。彼は命令をそれに下し、マウントさせる。
 クーモイの体が小刻みに震える。《COFFIN》から何十本ものコードが飛び出し、彼の掌に突き刺さる。それは箱の六面全てから飛び出し、次第にその形は箱というよりも、コードで作られた鞠のようになってきた。
 そこで一つ、重要なことに気付く。
「おいキリ。リミッタは……」
「付けてないよ。早くルクセインもマウントしなきゃ、クーモイのとばっちりで死んじゃうよ? まぁ、死んでもすぐカムバックさせてあげるけど」
「やっぱりか! くそ! 魔女め!」
 ルクセインはかなぐるように《SERPENT》を取る。カプセルを口に投げ込み。命令の言葉を吐く。
「マウント!」
 白い白いカプセル。それが見せる赤い閃光。ルクセインはそれが大好きだった。いや、きっと皆そうだろう。なぜかは解らない。きっと解ってはいけないものだ。
 瞼が焼けるような痛みに歓喜しながら、《SERPENT》を、その先端にある刃の部分を、掌に突き立てる。
 まるでその短い槍が吸ってしまったかのように、出血はほとんどなかった。
 しばらく槍を刺して、貫通するまで押し進めると、『返し』が掌を通過した。もう引き戻しても抜けはしない。その後、その『返し』の部分から数本コードが飛び出し、これで固定が完了である。多少重いが、カプセルが体に浸透するにつれて気にならなくなる。
 《SERPENT》は上級兵器の中でもかなりグロテスクな部類に入り、他にも適性を持っている者は大概これを敬遠する。いくら痛覚が麻痺しているとはいえ、やはり自分の肉が裂ける音など聞きたくないからだ。しかしルクセインはこれしか持っていなかった。
「よし……いつでも行ける。まずはどこだ? キリ」
 クーモイが低い声音で言う。興奮している自分を抑えるためだろう。
「どこでもいいよ。全破壊だ。もしかしたら地下かもしれないから、根こそぎやっちゃって」
 キリが微笑を浮かべる。
「解った。用意はいいか? ルク。巻き添え食って死ぬなよ」
「俺はそんなヘマはしないし、お前も味方に当てるようなヘマはしない。この建物ぶっ壊して終わりだってンなら、良い話だ! オラ行くぞ! クーモイ!」
 ルクセインはろれつの回らない自分を自覚していたが、止めることは出来ない。しばらくすれば多少は落ち着くはずだ。
「キリ! これ使ってる最中は面倒くせェこと言うんじゃねぇぞ!? 殺しちまうからなァ! っはは!」
 キリは苦笑しながら手を振った。
「はいはい……じゃ、行ってらっしゃい」


   3

 そこはもしかしたら泳げるのではないかというような、濃い闇の中。クリスと共に連れて来られはしたが、そのクリスは何やら物思いにふけっているよう――この状況でだ。全く――なので、トキの不安感は拭い去られることがなかった。
(ううん……違う……よね? これは。本能……っていうのかな? その部分が恐れてる……)
 あのトキから送られた情報を鵜呑みにするならば、この空間はなんらかの人工物によって構成されていることになる。まだ少年の頃のミゾレと共に、それを作るキリも映像として送られてきたが、そんなに大したものには見えなかった。
 レプリカの世界。全てを情報という統一単位に揃え、それを支配することが可能な世界。
(多分……ネットの物質転送技術の応用だと思うんだけど……全然レベルが違う。人間って怖い……)
 トキは自問する。自分は何故こんなところにいるのだろう?
(それはルクのためだけど……さっきの話だと、ここにいる私はオリジナルじゃなくて、でもルクとあのクーモイって人はオリジナル……? これが終わればあの二人は元の世界へ……じゃあ、今ここにいる私たちは?)
「さて、準備はいいかい? 二人とも。さっき送った情報で解ってると思うけど、なかなかハードだから頑張って」
 例によって突如現れたキリ。
 彼女が子供の頃からの天才であり、その弟であるミゾレもまた姉に劣らない才能を持っていた、ということは理解した。その二人の共同作業によって進められた研究は、世界水準を遥かに超えるものとなり、さらには人間の超えてはいけない一線にまで迫ってしまってしまった。そんななかキリが自殺を遂げ、一人残されたミゾレは目標を失い、姉の完全なコピーを造りだし、もう一度自らの目標を再現、それを超えることの証明として、今回の事件を起こした。
 常人には理解できない理屈だろうが、トキには理解することが出来る。おそらくクリスにも可能だろう。
 しかし。
「キリさん」
「なぁに? あ、そうそう。二人とも、私に対してさん付けしなくていいよ。その代わり私も付けないから」
「じゃあ、キリ。あなたから送られてきた情報……あれ、本当?」
「わ、トキちゃん!」
 ようやく活動し始めたらしいクリスの静止を無視して、トキはキリの表情を観察した。期待はしていなかったが、全く変化がない。
(そっか、この人はミゾレに創られたプログラムなんだ。表情なんて簡単に操作出来る……)
「勿論、本当よ。だって嘘をつく必要がないでしょ? これが終われば私はこの世界から消えるんだし、これを成功させないとあなたたちは生き残れない……つまり、もっともらしい理由であなたたちを協力させよう、って魂胆も必要ないんだもの」
「人が嘘をつく理由は、それだけじゃないわ。そういう損得を別にして、他人には話したくないこととか、あるじゃない」
「ふぅむ……なるほど。でも、私がいくら本当だと言ってもトキに信じる気がなければ意味はないし、それを証明する術もない。そしてこのまま話を続けると、ルクセインとクーモイの後方支援が出来ず、全員ジ・エンド、だよ?」
 キリは微笑んでそう言った。
「損得じゃない……って言ったわ。あなたがやっているのは脅迫の一つだ、ってことを認識して欲しい。そしてもう一度、私たちに嘘をついてないと言って欲しい」
 少し間が空いて、
「嘘はついてない。そして認める。これは脅迫。でも、仕方がなかったことだけは私も理解して欲しい」
「ええ。じゃあ、仕事を始めましょうか」
 自分とキリとの対話を目にして……ぼそっと「怖い」とつぶやくクリスの声が聞こえたが、それはお互いのために無視する。
「私はしばらく集中したいから、姿消すね。私の合図で予知を始めて、何か緊急のものが見えたら叫んで」
 キリの姿が消えてから、その空間には本来の静寂が戻ってきた。
 しばらく経って、トキは口を開いた。
「ねぇ……クリス君。ここってさ、キリやミゾレが造った世界なのよね? それで、私たちはその世界の住民なのよね? だったらさ、私たちの生きる意味って、キリが望んだようにこの仕事をすることなのかしら?」
 出来るだけ表情は動かさなかったつもりだ。しかし、頬を流れる液体を無視出来ない。
(あの人みたいに……自分をコントロールできればいいのに……)
「あ、あのさ」
 クリスは慌てたように全身を絶え間なく動かしている。
「実はさ、オレもさっきそれを考えてたんだよね。でもその場合、トキちゃんの生きる意味がそれだとして、オレの生きる意味ってなんだろう……って考えちゃってさ。だってオレがしたことって兄ちゃんに地図渡したりとか、そんなのだけでしょ? いくらなんでもそれは悲惨過ぎない?」
 足元すら確信を持って歩けない場所で、クリスは近づいてくる。そして、古びたハンカチを渡してくれた。
「それね、今ハンカチがないかなって思ったら出て来たんだ。どうして新品じゃないのかは分からないけど……とにかく、オレの意思で出したんだ。だからだよ……ちょっと苦しい飛躍なんだけどね、自分の生きる意味なんてつくっちゃえばいいと思うんだよ。神サマはいないんだよ? 運命を変えられないことなんて、絶対ない」
 そして顔をそむけたクリスは、そのまま片手を伸ばして、恥ずかしそうに言った。
「オレの生きる意味ってやつね。今、一応、トキちゃんに捧げとくから」
 ハンカチを握ったままで、トキはそっと、手を重ねた。


   4

 千切れ飛ぶ民家。虫のようだ。めくれる大地。自分たちはこんなものの上に立っていたのか――。
 すでに砦はその形を大きく崩され、ルクセインとクーモイの破壊が始まった地点である屋上農園などは跡形もない。かつて天井の役割も果たしていたそれが破壊されたことにより、砦内部には造設以来始めての朝日が、惜しむことなく降り注いでいた。
 とは言ってもそれに意味があったわけではない。住民は一人とてそこにはいなかったし、唯一そこに存在する二人の人間は、もはやその程度のことを気にしてなどいられなかったからだ。
 クーモイの左手に固定された《COFFIN》が淡く輝く。それに連動するように、半径百メートル程度の空間球が数十件の民家を取り囲み――消失させた。
 それを目と言わず耳と言わず……カプセルによって増幅された五感で感じ取りながら、ルクセインも《SERPENT》を使用する。手の甲を貫いたそれは、しかし使用者に毛ほどの痛みを与えることなく、発光、そして雷(いかずち)を発生させた。木の枝のように分かれた雷は、砦内のあらゆる物質を例外なく貫き、その後に霧散する。
 時々二人をめがけた落下物があるが、その中で危険なものは全てキリが排除していた。どうやらトキに予知をさせているらしい。
 二人の破壊は一時も間を置かなかった。上級兵器のポテンシャルにしてみれば、この程度は全く負担にならない。またカプセルにより、もはや上級兵器の一部と化した肉体の方も、同様だ。
 これが、もう数時間続いている。《NIGHT》は未だ発見されていない。
(ルクセイン)
 キリが頭の中に話しかけてくる。
(《NIGHT》の位置が大体解ったよ……というより、もう残ってるのはここしかないんだ。そこから三百メートルくらいの射程で、北北西に撃ってみて)
「クーモイ! そこどけろ!」
 感覚で北北西を判断し、クーモイに警告する。彼は少し離れた瓦礫の上に立っていたが、一度の跳躍で《SERPENT》の射程範囲から離脱した。
「う……っらァ!」
 雷の速度はあまりにも速く、いかに感覚を強化されているルクセインでもそれらを追うことは出来ない。
 しかし、轟音と共に発生した雷が、しぼんだ風船のように消えていく様ははっきりと見て取れた。
「ビンゴだ! クーモイ! 今やったとこに《NIGHT》があるぞ!」
 そう叫ぶルクセインにクーモイは口元を吊り上げた。同時に走り出す。


   5

 『元』砦内の地面。それは廃棄物をリサイクルした妙な素材だが、ルクセインはその踏み心地が嫌いではなかった。完全な平面と、踏みこんだ足を突き返すような硬さよりも、こちらの方が温かみがあるという気がするのだ。
 しかし今やその大半が下地の土をさらけだし、壊れた瓦礫が無数に突き刺さっていて、比較対象にはなり得ない状況であった。
 《NIGHT》はシェルターに包まれていた。
 ただそれが役目を果たした様子はなく、朝日を浴びてぬくぬくと鉄色を反射させている。短い円柱のフォルムを半分地面に埋めており、その周辺だけが地面を原型に留めていた。
 ルクセインはそれを見上げ、そして視線を戻す。くしゃっと、自らの髪をかきむしる。
 目の前にはミゾレと……そしてルン=キャパスが立っていた。
 ルクセインはルン=キャパスに向かって言う。
「悪ぃんだけどなぁ……てめぇの面はもう見飽きたんだ」
 軍服に、色あせた金髪。何もかもがそのままだが、その表情は仮面のように変化がない。
「無駄だよ。会話の機能は持たせてない」
 普段通りの口調で、横にいるミゾレが指摘した。こちらもルン=キャパスと同様に維機の軍服。相変わらずどこか官僚のような雰囲気を漂わせている。
 落ちると分かって受けた試験の結果が、予想通り帰ってきたような気分だ。
 ルクセインは二人の武装を確認する。ルン=キャパスは《TEMPEST》。ミゾレは《MIST》をそれぞれマウントしている。
「上級兵器が四つ同時にマウントの状態にあるとはな……世も末だ。なぁミゾレ」
 クーモイが左手の《COFFIN》を見せながらそう言う。
「ひどいじゃないか……クーモイ。契約を破棄するなら破棄するで、一応断りくらい入れるのはマナーだと思うよ」
「その契約にイカサマが仕組んであったんだから、仕方がない。……まぁ、そんなことはいい。それより、お前は一体何してる? 世界を滅ぼす? 理想郷? 馬鹿げてる」
 ルクセインの耳に、いきなり聞きなれない単語が飛びこんできた。キリの情報を貰わなかった自分が悪いと言えば悪いのだが、やはり状況についていけてないと自覚する。
 だが、ロクなことではなさそうだ。
「姉さんから聞いたのかい? 確かに君には理解できないかもね。四人の中で、ただ一人の凡人には」
 クーモイは鼻で笑った。
「凡人で結構だ。凡人だけが、群れの中で安住出来る。それで、どうするつもりだ? やるのか? 俺は別に構わない」
「僕も……別に構わないよ」
 ルン=キャパスが一歩前に出る。しかし、
「待った」
 それが当然のことであるように、ルクセインはミゾレとクーモイの間に入った。
 ミゾレは少し意外そうにこちらを見たが、軽く右手を上げてルン=キャパスを下がらせた。
「えらく調子に乗ってるみてぇだな……ミゾレ。人間を人形扱いか?」
「それはルン=キャパスのこと? それとも姉さんのことかな?」
 悪びれず、ミゾレ。
「いいや。そいつらはどっちも死人じゃねぇか。問題は、てめぇのせいで俺らに迷惑かかってるってことだ。人形遊びは一人でやれよ」
「ああ良かった……この後に及んで人道を説かれるのかと思って、ドキドキしたよ。でもルクセイン。その考え方は理解出来るけれど、僕だってそれなりの信念を持ってやってるんだ。その程度じゃ諦められないね」
「なぁに……分かってたさ、そのぐらい。伊達に五年間つるんでた訳じゃねぇ。ただこれから何の為に喧嘩するのか、そこをはっきりさせときたかったんでな。どうも自分の為に俺が闘ってると思いかねない高飛車な魔女がいやがるからな。振りかかる火の粉を払ってるだけだぞ、コラ」
 後半はどこにいるともしれないキリに向けてだが、返事は返ってこなかった。よほど忙しいのだろう。
「ずいぶんな言われようだね、姉さんも。それじゃあ……そろそろ始めてもいいかな」
「待てよ。逃げんのか?」
 少しだけ高い身長を利用して、ミゾレを見下ろす。
「逃げる……か。直情系の視野の狭い人間が、自分の予想と反した人間に対して言う言葉だね。ルクセインらしいよ」
 そう言った瞬間、今度こそルン=キャパスが飛び出してきた。
 相手の狙いははっきりとしている。肉弾戦で少しでも隙を作り、上級兵器を使おうというのだ。上級兵器は使用する際やや間が出来る。
 ルクセインは掌から伸びた《SERPENT》がを気にしながらも、わずかに身を屈めて放たれた拳をかわす。そしてそのまま相手の体にもぐりこみ、肩と背中で押し上げるようにして後方へと飛ばす。
 ルン=キャパスが倒れると同時、クーモイが追撃を加えに走った。それを見ている暇はなく、ルクセインは前方のミゾレに注意を払う。
「さて……祭の始まりだね」
 ミゾレの様子から、ルクセインは二人がカプセルを使用していないと思っていた。しかし先ほどのルン=キャパスの動きは尋常ではない。使ったかどうかはともかくとして、早々楽に決着は着きそうになかった。
 無人の廃墟街で、最高の兵器を携えた四人が、原始的に殴り合う。あの傷一つ付かないかと思っていたミゾレがルクセインの拳に頬を腫らし、常に冷静なクーモイがルン=キャパスに馬乗りにされてもがいている。
 それは外から見たら滑稽だろう。キリは笑っているかもしれない。
(クーモイがやべぇ……が、あれを助けたらミゾレに《MIST》を使う隙をくれてやることになる)
 クーモイもルクセインと同様、上級兵器の固定位置の関係で片腕が使えないのだ。
 冷酷な計算と、カプセルによって活性化した感情が、真正面からぶつかり合う。そして、相棒を殴れば心も痛む。
 今回のことに関しては、ルクセインはすでに答えに行き着いていた。なぜ自分はこうまでして生きようとしているのか。非難すべき相手は一体誰なのか。
 だが今はそんなことを考えてはいない。
 ルクセインが今行動する理由。それは、
(この……馬鹿野郎が!)
 ミゾレの両手がこちらの襟首をぐっと掴む。頭突きだ。なんとか自分の鼻先とミゾレの頭との間に腕を滑り込ませて防ぐ。反撃の膝蹴りは、すばやくバックステップを踏むミゾレには届かない。
 目線がこすれ合う。ミゾレは、笑っていた。
(馬鹿野郎が!)
 ルクセインは腰から《lance改》を引き抜いた。はっとした表情のミゾレが、すぐに飛び出してくる。今から安全装置を外している暇はない。
 ルクセインは腕をまっすぐに伸ばそうとする。ミゾレはそれを避けるために身を屈め、前進を続ける。
 腕が伸びきる直前、ルクセインは、人差し指を引き金から離した。
 慣性の力を受け、緩慢なアニメーションのように、少しずつ宙を前進する大型リボルバー。
 それが、ミゾレの額に吸いこまれていった。
 散る鮮血。それを見て、クーモイの方を見て、ルクセインは自らの腕に固定された破壊兵器に、命令を下した。
 雷が、ミゾレとルン=キャパスの体だけを貫く。
 一瞬だけ炎を上がり、すぐに燃え尽きた。


   6

 そろそろカプセルが切れてきたのかもしれない。全身を襲う脱力感に、ルクセインはその場で仰向けになった。
「……終わりか?」
 拍子抜けしたように、クーモイが呟く。
「これで……終われるのか?」
「キリ」
 ルクセインは呼びかけてみる。
 しばらくすると、幽霊が道にでも迷ったようにキリが現れた。低空飛行をゆっくりと続けながら、あちらこちらを見回している。
「……おかしいね。多少のメモリは消費するにしても、体を復元するのは難しくないはずなんだけど……」
「おいキリ。《NIGHT》に攻撃を仕掛けるぞ」
 クーモイが《COFFIN》を構えながら声を投げる。
「これでゲームクリアかぁ……つまらないなぁ……」
 そのキリの声は無視して、《COFFIN》が輝く。
 その時、頭の中でトキの声が弾けた。
(ルクセイン! 《MIST》が来るよ!)
「クーモイ!」
 ルクセインは叫んだ。
 クーモイは目をしばたたかせながら一瞬こちらを見る。が、すぐに自らの体を纏う炎に気がついた。
 あの時と同じだ。
「キリ! クーモイを……」
 言い終わる前に、クーモイには処置がなされた。沈下後、軍服が復元。キリは右手を軽く彼の方に伸ばしただけだ。
「……危ない危ない。もう少しでクーモイが溶けちゃう所だった。上級兵器を使う隙を待ってたんだね。ルクセイン、見なよ」
 彼女の白い指の指し示す向こうには、
 ミゾレの顔が左半分だけ、宙に浮んでいた。
 ルクセインは目を見開く。
 見えない芯に粘土をつけていくように、少しずつ、ミゾレは復元していた。
「……こういうのを見ると、非現実が体に染み込んでくるな」
 見ると、汗を大量にかいたクーモイがぼやいている。
「ああ、なるほど。そういうことか……」
 キリは頷く。
「ルン=キャパスの大軍だ」
 彼女が意味の解らない言葉を吐くのは、これが一体何回目だろう?
 ルクセインはミゾレから恐る恐る視線を外し、辺りを見回す。
 半径はどのくらいだろうか。とにかくキリを含めた三人を囲むように、大勢の人間が肩に何かを担いで立っている。
 見ると、みな同じ体格で同じ格好。かついでいるものも同じ。そして、顔も同じ。
 《TEMPEST》をマウントした、ルン=キャパスの群れだった。
 彼らは何も喋らない。喋り始めたのは、未だに復元が完了せず左半身しかないミゾレだった。
「僕は今、二百人のルン=キャパスをコピーした。これでメモリの量はわずかに姉さんの方が上だ」
 顔の筋肉がうまく繋がっていないのだろうか。その声の力強さとは裏腹に、ミゾレの表情は死人同然だった。
「ということは、姉さんは《NIGHT》の消去を実行できる。僕が残りのメモリで目一杯抵抗するとして、開始から終了までおよそ二時間。それまで、姉さんの加護なしで二百人のルン=キャパスを防げるかい? ルクセイン」
 問われて、答えは常に一定だった。今までは。
「……馬鹿野郎が」
 見た目の上では完全に復元を終えたミゾレ。武装はすでにしていなかった。
「……馬鹿?」
「そうさ。大馬鹿だ、お前は」
「それは……どういう意味での馬鹿かな? 思想が高すぎるということ? 人道に反するということ? それとも別かな?」」
 おそらくこれが最後の会話だということを噛み締めて、ルクセインは声を絞り出す。
「知らねぇさ……俺はキリから何も聞いちゃいない。それに、俺はお前が今言ったみたいなことに腹なんか立てない。俺はもっと単純だ」
 喉が痛む。声を出すことを拒否しようとしているのだろう。
「奮発した昼飯がまずかったりだとか、訓練がつまらなかったりだとか、……相棒の仕事が遅れたりだとか。自分の考えと違ってることがあれば、そこに腹を立てるんだ。それが俺だ。だからそんな俺は、ただ相棒が一言もを話してくれなかったと、それだけが腹立つんだよ! 馬鹿の意味だ? そんなもん罵倒に決まってる!」
 一気にまくし上げる。
「そのうち話してくれる、先は長い、そう思ってたんだ。ただそれはあまりにも長くて、次第に、俺はそのことを考えようとしなくなった。そこにいらついてた俺の中の一人は、もう飢えて死んじまったんだよ! それをてめぇ……謝罪もせずにリセットする気で居やがる!」
 まぶたが引きつるように痛い。これは、カプセルとは関係ない。
「君は……」
 それが一瞬、ミゾレの声ではなくキリの声に聞こえた。実際そうかもしれない。
 もうこの世界は見たくない。
 まぶたを閉じて、心を閉じて、ただルクセインは思考を始めた。


 彼女の声がまだ聞こえる。
 自分は、ついさっき何を言っただろうか。
 誰に言っただろうか。
 本当のところ、
 言いたかったのことはなんなのか。
 先ほど並べたごたくより、
 さらに単純明快な、
 一つの感情だ。
 ああ解った。
 それを次は言おう。


「おいルク……大丈夫か? どうにかして逃げないとな……」


 クーモイ。
 逃亡は意味がない。
 相打ちにしても数が違う。
 こちらも数を増やすか?
 それも意味がない。
 つまり、
 二人で相手を全滅させ続ければいい。
 可能か?
 上級兵器は大量破壊兵器。
 ただ出力が足りない。


「キリ。クーモイ連れてどっか行け」


 ベルトにはカプセルの瓶。
 一度に二錠以上の服用は禁じられている。
 だが、
 飲んだらどうなるか、
 皆知っている。


「……いいの?」


 そして、
 俺は知っている。
 これを持たせた彼女は始めからそのために持たせていて、
 つまるところ、


「ああ。だが、また会うぜ。全員……全員だ、問題ない地点からやり直すんだよ」


 つまるところ、
 彼女は魔女であるということ。


「それがルクセインの決めた運命? やり直してどうするのさ、運命なんてものはね……」


 運命なんてものは、一つのレール。
 行こうと思えば、そのまま行ける。
 だけど本人にその気があれば、いくらでも脱線出来る、
 ただの予定に過ぎない。


「……まぁ、いいさ。本当はここで終わりだったんだけど、ちょっと予定……いや、運命の変更だね。また後で会おう」


 そうだろう?
 俺の運命に、ただの人間の運命に、
 魔女に惚れるなんてものがあるはずもない。


   7

 長い長い時間があったかもしれない。
 なかったかもしれない。
 その闇が、今は母親の腕のように感じられる。
 だから、時間はどうでもよかった。
 ふわふわと浮ぶ体を起こそうとはせず、ルクセインは瞼を閉じていた。それで闇のデメリットは全て払拭できる。残るのは、ただ心地よい静寂と温もり。
 本当に……何分、何時間、こうしていたか分からない。そんな時間の単位を持ち出すことすら、無粋に思えていけなかった。
「……そのまま、聞いていいよ……ルクセイン……」
 相変わらずのタイミングで話しかけるその声を、不意だとは思わなかった。充分に予測していた。いや、これ以上ないほど、望んでいた。
「まずは……ゲームの勝敗。ルクセインの勝ちだ」
 声の位置を探ることは出来ない。だが関係なかった。彼女がどんなに遠く離れていても、また耳元で話しかけていたとしても、それを咎めも拒みもする気はない。
「勝利条件は、《NIGHT》の爆発を止め、そして生き残ること……。あの最後、ルクセインは瓶の中身を全て飲み込んだ。そして見事あの大量のルン=キャパスを退け、ミゾレのメモリを激減させた。その結果に君は死んでしまったけれど、そこはおまけしとくよ……ボーナスステージをクリアしたからね、ルクセインは」
 自分は死んだらしい。だがここもあのレプリカと同様、世界の一つとしてカウントするならば、生きている。ただ、どちらでもあまり意味はない。今自分は満足している。そこに生の状態と死の状態で差はない。
「気付いたね? このゲームの全貌に。ミゾレに私が仕掛けたゲームと、ルクセインに私が仕掛けたゲーム……これは一見別々に見えて、実はスタートが同じ場所だ。つまり……私だ」
 全ては、一人の魔女のわがまま……。限りなく迷惑で、最も美しい――。
「私の異能は脳の操作。トキの異能は未来の予知。優劣は分からないけど、異能には全て共通することがある。それは、異能の使役による反動……トキの場合は睡眠ね。そして私にも当然それがあった」
 彼女は今、きっと微笑んだ。
「それはそのまま私の自殺の理由となり、このゲームを始める引き金となった。……寿命の低下。自殺した当時、私は十七歳だったわ。ルクセインが十五くらいかしら?」
 ルクセインはそっと、瞼を持ち上げた。
「その頃、ルクセインは何を考えてたかな。きっと今よりも漠然とした、でもずっと希望に満ちた未来を考えてたんじゃない? それは私だって例外じゃないわ。私は自分の運命を自分で決めていたのよ」
 彼女は遠くも近くもない位置に浮んでいて、微笑んだままだった。泣いているかと思ったが、それはなかった。
「私の寿命は二十歳。不幸なことに、自分の体を解析することによって私はそれを知ってしまった。そして本能の赴くままに生き残る術を探したのよ」
「それが……世界の模造。全てを情報化し、支配すること……」
 ルクセインの言葉に、キリは目線を少し下げた。
「そう……肉体をいじろうかと思ったけど、それでは偶発的なバグはどうしても防ぐことが出来ないわ。一つしかない肉体では、そんな賭けは出来ない。そこで私は考えたわ。失敗しても、何度でもリトライ出来る方法を」
「そして、お前の脳はそれに答えた」
「五年間、ほとんど付きっきりでそれに没頭したわ。一人では不可能だったでしょうね」
「……ミゾレの脳は操作が加えられているのか?」
 キリは頷く。
「ええ、元々優秀だったけど、やっぱり私の助手となるには少し不足だったから……」
「だったら、このゲームの目的は?」
「解ってるくせに、聞くんだね」
 ――そっちこそ、俺が会話を長引かせる理由、解ってないわけじゃないだろう?
「欲が……出てね。実験してみたかったんだよ。私はこの世でどのくらいの順位にいる人間なのか。私を超えられる存在が在り得るかどうか。予めミゾレの脳に、私が自殺したら、私の情報をそのままコピーした擬似人格を作るよう設定しておく。彼はそれを無意識のうちにやってくれるわ」
「……それで、もう満足なのか?」
 これが最後の質問だった。
「いいえ。まだ……まだ。私が何者なのか、それすらも解けていない。こんなまま、消えるなんて出来ないでしょ? たった二十年の寿命を与えてくれた運命。それは何の為にあったのか。こうして、変えられてしまうことも運命の範疇なのか。そうならばそれは、一体何のためにあったのか。私は問い続けるのよ」
 問い続ける――。
 ああ、彼女はあっち側だ。
「私は永遠の《questioner》。だからね、あなたが私を好いてくれることも、割と嬉しいけれど……そんな暇、ないの」
 そして……わかってはいたが、彼女は誰にも支配されない。
 究極の魔女――
「……ああ。それでこそ……だからな」
「それでこそ、何さ?」
 微笑とは違う笑みを浮かべ、キリは尋ねる。
「それでこそ……」
 言いかけて、ルクセインは苦笑した。
 闇が弾け飛んだ。母親の腕は、そっと子供を地に立たせた。
「それでこそ、俺の目標だ。絶対に捕まえてやるぜ。別次元だろうが擬似人格だろうが知ったこっちゃない。俺はお前を追い続けるんだよ! 運命狂わされたぜ、全く!」