銀狼少女 二話
作:槇原想紙





二話 私が愛したハンター


 放課後の学校、人気が全くない教室の隅で私はおもいきり壁に叩きつけられた。
 背中に痛みが走り、私は苦痛で顔を歪める。何が起きたのか初めは分からず、私は私を突き飛ばした本人を見つめる。それは今日、私のクラスに転校してきた燈室恭二だった。
 彼は私に大事な話があると言い、放課後に教室で二人だけになるのを待っていたのだ。その結果が今の状況である。
 彼はいきなり腕を素早く動かし、私の顔をかすめる様にして壁に自分の拳を叩きつけた。私は不意打ちで眼を伏せていたが、耳には彼が拳を壁に叩きつけた音が響き嫌な感じになった。
 私に逃げ場はなく、私は彼を睨む様にして見つめる。ついさっきまでの彼の他人とすぐに打ち解けそうな顔は今ではなく、歪んだ顔が私を睨み返していた。
「いきなり何をするのっ!?」
「ほんの挨拶のつもりだが」
 彼は軽く笑いながら言う。
「こんな乱暴する様な挨拶がっ!?」
「あぁ、そうだ」
「あなた、正気じゃないっ!!」
「いいや、俺は正気さ。狼人間さん」
「えっ―」
 私の正体を彼は既に知っていた。どうしてなのか私には分からない。
「分かるさ、そのお前の獣の眼がな」
「あなた、何を言って―」
 私が否定しようと言葉を続けた時、彼は既に答えていた。
「ハンターだよ。お前を狩に来た」
 その言葉を聞いて、私にもハンターに狙われる時が来たのだと分かった。ガンプは滅多な事じゃハンターに会わないと言っていたが、私は現に出会ってしまった。
「何を言っているのか私には分からない」
「へぇ、あくまでもシラをきるつもりらしいな」
 私が必死に否定しようとすると、彼は内ポケットから銀の棒を取り出した。私はそれを見た瞬間、体が極度の拒絶反応を起こした事を知る。狼人間にとって銀は最大の弱点だからだ。彼が銀の棒を私に近づけようとした時、私は彼をおもむろに突き飛ばした。彼はしりもちをつきながらも顔を笑わせている。私にとってそれはとても不愉快だった。
「これが恐いか?」
「やっ!近づけないでっ!!」
 私が逃げようとすると、彼は私の制服のむなぐらをおもいきり掴んだ。ボタンがそのせいで取れる。私のワイシャツの胸元がはだけた。そして彼はゆっくりと私の首筋に銀の棒を押し当てたのだ。
「くっ!―」
 私の首筋に鋭い火傷の痛みが走り、私はその痛みを必死に堪えた。無様な悲鳴を上げたら彼はきっとまた、私に向かってその不愉快な笑顔を見せるのだと思ったからだ。それだけが今の私にできる必死の抵抗だった。
「へぇ、なにげに抵抗してんじゃん」
 彼はそう言うと私の首筋に押し当てていた銀の棒を離し、私の制服のむなぐらを掴んでいた手も離した。私ははだけた胸元を自分の腕で隠すようにして強く抱き、力なく座り込む。
「今夜の満月が楽しみだぜ」
 彼は楽しげに言うと教室を出て行った。私は首筋に走る火傷の痛みに、涙を堪え、唇を噛み締めて、彼の後ろ姿を見えなくなるまで睨み続けていた。

 満月の夜が来た。私の肩までしか伸びていない黒髪が、腰まで伸びた銀髪になる。耳がとがり、犬歯が異様に出て、爪が伸びて鋭さを増していた。
 私は鏡を覗くと、自分の眼が血の様に真っ赤になり、紅い眼光を光らせていた。
 私は銀狼へと姿を変えたのだ。私は時々、これは夢なんじゃないかと思う時がある。けれど満月の夜になると自分の姿が変わるのが分かって、私は非現実的な現実に引き戻される。
 私は今夜、外へは出てはいけないと分かっていた。なぜなら彼こと燈室恭二はハンターであり、私の命を狙っているからだ。そして満月の今夜に外へ出れば彼は確実に、私を狩るだろう。その事が分かっていながら、私は外へ出た。銀狼の時に家に閉じこもる事は、耐え難い苦痛でとても耐え切れそうにないから。
 ハンターから自分の身を守る自信はなかった。けれど私はどうしても外へ駆けなければいけない。それは、おかしくなるくらい人の血肉を欲したいと思う、自分に流れる獣の血を必死に否定し、紛らわしたいから。

 私は力強く地面を蹴り上げると、ビルの屋上をビルからビルへ素早く移動した。紅い眼光を周囲にギラつかせながら視認する。自分の身を守りきる自信がないのに、ハンターが私を狙っている事を知りながら、自分の身を危険にさらしている。それなのに私は今、異常なまでにスリルを感じている。正気じゃない。
 突然、私の頬を弾丸がかすめた。火傷の様な痛みが頬に走り、私はビルの屋上からいっきに降下して地面に着地した。そして素早く近くにあった廃棄工場の中へ入ると身を潜めた。
 工場内に誰かの歩く靴の音がした。工場内には穴のあいた天井から満月の光が射している。そんな薄暗い工場内でも、私の紅い獣の眼ははっきりと相手を視認していた。
「銀髪の狼少女、銀狼か」
 満月の光に照らされながら、ハンターこと燈室恭二は表情一つ変えずに言った。
「ここの地域で銀狼がいたと言う噂があったが、それはあんたの事だったんだな」
 彼は構えているライフル銃を発砲すると、私の隠れている場所に的確に撃ってきた。幸い私は背もたれをしている鉄筋コンクリートの柱に守られて無傷だった。私は低く唸りながら、彼に紅い眼光をギラつかせた。
「へぇ、敵意むきだしじゃん。俺の喉に噛みつきたいのか?」
 彼はそう言うとおもむろに自分の手に持っている、ライフル銃を地面に置くと銀のコンバットナイフを取り出した。
「出てこいよ、飛び道具は使わない。お互い接近戦で勝負しようぜ」
 遠くの方に彼はライフル銃を蹴り飛ばしながら言った。
 私はゆっくりと鉄筋コンクリートの柱から身を出すと。慎重に彼の方へ歩み寄る。
「ふ〜ん、結構、綺麗じゃん」
 彼は内ポケットからコインを取り出した。
「俺がこのコインを投げる、コインが地面に落ちたら勝負だ」
 彼は掌でコインを踊らせ、勢いよく宙へ投げた。コインは満月の光で輝く。そして地面へ勢いよく落下すると、工場内にコインの叩きつけられる音が響いた。彼は素早く身を低くして、私の胸にコンバットナイフを向けてきた。私はなんとかそれを避ける。そのまま私は彼の背中を捉えると、鋭い爪を彼の背中へ向けた。しかし彼はその事を察していたかの様に、私の方へ体を反転させると、その力を利用してコンバットナイフを持っていない左腕で、上手く振り払った。彼の不規則なコンバットナイフの素早い乱れ切りが私を襲う。私はそれを何とか避けるが、私の着ているグリーンのワイシャツが切裂かれた。
「避けてばっかしじゃ、そのうちアウトだぜっ!!」
 彼は私に怒鳴りながら言った。彼の表情は学校の時の歪んだ顔ではなく、なぜだか私に対して深い憎悪を抱いているように感じ取れた。
 確かに避けるだけじゃダメだ。いずれにせよ彼の不規則な動きについていけず、体をズタズタに切り刻まれる確率が高い。私は彼がコンバットナイフを私の胸に突き刺そうとした瞬間、コンバットナイフをギリギリで避けて勢いよく体当たりをかました。
「くっ!―」彼は苦痛の声を漏らして、私に押し倒された。そしてコンバットナイフを持っている、右手の腕を私はしっかりと抑えると、私の右手の鋭い爪を、彼の喉に向けて切り刻もうとした。だが、私は迂闊だった。彼はがらあきだった左腕を動かすと、私の胸を掴んで揉み上げたのだ。
「きゃっ!!」
 私は叫びを漏らすと、その隙をついて彼は起き上がり私を押し倒した。形勢逆転とはこの事だ。
 彼は私の上に股がると、膝を使って私の両腕を抑えた。私もそうすればよかったと後悔する。だけどもう遅い。私がどんなに暴れても彼は膝でしっかりと私の腕を抑えていた。コンバットナイフの刃が私の首筋に近づく。
「お前だけは、絶対に許さない」
 彼は私を憎悪の表情で睨みつけた。私には彼のその言葉が理解できない。
「どうして・・・・」
「はっ、ふざけるなっ!!貴様が俺の家族を皆殺しにしたからだよっ!!」
「ちょ、ちょっと待ってっ!?」
 私にはなんの事なのか心当たりがない。私が必死に弁解しようとしたが、彼は私の首筋にコンバットナイフを振りかざそうとしていた。もうダメだと私がそう思い眼を閉じた時、銃声音が流れた。そして彼の倒れる音がする。眼を見開けば彼は肩から血を流し、苦痛を堪えてうずくまっていた。
「銀狼を殺されちゃ困るんですよ、燈室恭二君」
 私と彼が声の方向に眼を見やると、そこには煙を吹いている拳銃と、ライフル銃を片手に持った大柄の男性が立っていた。
「加賀・・・お前どうして・・・・」
 彼は苦痛を堪えながらその大柄な男性の名前を言った。彼の知っている人らしい。つまり、この人も同じハンターなのだろうか。

 加賀と言う名の大柄の男性が彼に答える。
「二度も同じ事、言わせないで下さい。決まっているじゃないですか、その銀狼に死なれちゃ困るんですよ。生け捕りにすれば高価な値段で売れますからね」
 加賀は屈託なく笑いながら答えた。そして私にライフル銃を向けた。
「大丈夫ですよ、銀弾ではなく麻酔弾にしてありますからね。すぐにぐっすり眠れます」
 私は勢いよく地面を蹴り上げると、加賀のライフル銃から放たれる麻酔弾を避けて工場内にあったドラム缶に身を潜めた。麻酔弾がドラム缶にあたり、その音が工場内に響く。
「無駄な抵抗はよして下さいよ。どうせ逃げられはしないのですから」
 私の方へゆっくりと加賀が近づいてくる。加賀のライフル銃は正確に私を狙っているだろう。工場内の出口は加賀の方へある。逃げるとすれば加賀の真正面を突破しなければならなかった。
「さて、麻酔弾に撃たれて眠ってしまうか。大人しく出てくるか選択させてあげましょう」
「そんな事はもう決まっている、私はこの場から逃げたい」
「残念ですが選択外は受け付けられませんね。やはり眠ってもらいましょう」
 加賀は更に私の方へ近づいてくる。私は一か八かの賭けをする事にした。
 私は加賀の方へドラム缶を勢いよく蹴り転がした。加賀は避けると同時に私を狙っているライフル銃の標準をずらした。私はすかさず加賀の懐に近づくと、その隙をついてライフル銃を蹴り飛ばしたが、
「残念ですが無傷では捕まえられそうにありませんね、手荒いですけど仕方がない」
 彼のもう片手に持っていた拳銃が、至近距離にいる私の腹部を狙っていた。
「痛いですけど、我慢して下さい。大丈夫です、銀の弾ではないですから死に至りません」
 加賀が引き金を引こうとした時、加賀の拳銃の横から火花が散り、勢いよく拳銃が吹っ飛んだ。
「生け捕りになんかさせるかよ、その銀狼は俺の家族の仇だっ!!」
 彼こと燈室恭二が肩から流れる血を必死に堪え、立ち上がりライフル銃を構えていた。加賀の腕からは拳銃を持っていた手から血が流れていた。
「やれやれ、これじゃあ、銃が撃てないじゃありませんか。私利き腕じゃないと、上手く狙えないんですよ」
「よく言うぜ、人の肩を撃っておきながら。そのぐらいですんだんだぜ、感謝しな」
 加賀は溜息混じりをしながら、ポケットからハンカチを取り出して手から流れる血を抑えた。
「しょうがありませんね、今日のところはひかせてもらいますよ」
 加賀は私に愛想笑いをすると、工場の出口に向かって歩き出した。
 私も工場から出ようと思ったが、燈室恭二が私の方にライフル銃を構えているので、動く事ができない。
「あなたも今日のところは見逃してくれないの?」
「ふざけんな・・・・」
 燈室はそう言うと力なく倒れこんだ。私はそのまま放って置こうと思ったが、燈室の肩から流れる出血の量がひどく、彼の顔は蒼白していた。このままでは確実に死ぬだろう。
 私は仕方なく気絶している彼に近づくと抱き上げた。
 なんだか彼は勝手に私を仇と思っているらしく、このまま勘違いされて死なれるのもしゃくなので、私はしょうがなく彼のケガの手当てをしに、家へと運ぶ事にした。

 私は燈室恭二を自分の家まで運び込むと、居間のソファーへと横たわらせた。私は彼の肩から流れる血で真っ赤に染まっている、彼の上半身の服を破り脱がした。洗濯したとしても銃弾の後の穴が残っているから、もう着ないだろうと思ったからだ。
 私は彼の傷口を見る。どうやら弾が貫通しているらしく、私は救急箱から消毒液と包帯を取りに行こうとしたが、いきなり胸を締めつけられる様な感じに襲われ、私は床に力なく座り込んだ。こんな感じは初めてだった。私は彼の肩から流れる血を見て、それを欲したいと思ったのだ。血に飢えた獣の様に私は彼の肩の傷口に顔を近づける。傷口から流れる血があまりにも美しくてたまらなかった。私は流れる血をすくう様にして舌を這わせる。途端に口の中に血の味が広がり、私はそのあまりにも甘美な味に我慢できず、何度も何度も彼の傷口から流れる血を舌ですくった。そのうち彼の傷口に直接舌を入れ、ついには私は彼の喉に食いつこうとした。しかし私は咄嗟に彼から離れる。そして必死に口の周りについた血を腕で拭った。彼の血を欲しているうちに、彼の肉までも欲しようとしている自分に絶望し、自分がどんどんと変わっていく恐怖と悲しみに涙が溢れた。
「どうして泣いてんだ・・・・」
 気絶していた彼が眼を覚ますと、私の方を鋭い眼つきで睨みつけて言った。
「あんた、狼人間だろう。今みたいに喜んで俺を食い殺せばいいじゃねぇか」
 彼は皮肉な笑いをすると、そう言った。だけど私はその言葉に納得できなかった。
「・・・私は人間です・・・・傷つく心を持っています・・・・・」
「理解できねぇなぁ。あんたはバケモンみてぇな存在だ。そんな奴に心があるもんか。げんにてめぇーは俺の家族を―」
「私はあなたの家族なんか殺してないっ!!それに私は人間よっ!!ハンターから狼人間を庇っただけじゃない!!なのに撃たれて・・・気が付いた時には彼女と同じ狼人間になってた・・・・」
 私はもう泣きじゃくるしかなかった。自分の体の変化に耐え切れず、自分が恐くて。
 彼はその言葉を聞いて何も言わなくなった。私も言われたとしても、もう答える気はなかった。そんな私の頭を彼はそっと撫でた。その掌は温かくて、私を安心させてくれるものだった。彼は何度も何度も私の頭を撫でると、
「・・・ごめん・・・・」
 と、一言だけ言った。私はその後も泣き、涙が枯れて泣き疲れて、そのまま深い眠りについてしまった。

 私が目を覚ました時には、私は彼の側で眠りについていたみたいだ。彼は私の頭の上に掌をのせたまま、まだ眠りについていた。
 私の腕や口の周りには彼の乾いた血が付着していた。そして口の中には彼の血の味がまだかすかに残っていた。私は立ち上がると、シャワーを浴びようと浴室に行こうとしたが、
「家族はいるのか?・・・・」
 眠りから覚めた彼に質問をされた。私は浴室へ向かうのをやめ、彼の横たわっているソファーへ振り向く。彼はおもむろに立ち上がろうとしたので、私はそれを制するように答えた。
「いるけど、父さんは海外出張中で、母さんは私が幼い時に亡くなっちゃった。私は一人っ子だから今この家は一人暮らしに近いかな。だから大丈夫よ、そのまま安静にして」
「俺には妹がいたよ」
「え?・・・・」
 彼は私を見つめるようにして答えた。
「よくケンカしてさ、昨夜のあんたみたいに慰めたんだぜ」
 そう言うと彼は懐かしそうに言った。
「イタズラばっかりしてたから、親父にはゲンコツくらってたよ。お袋は体が病弱でさ、家族でいたわってたんだ。だけど・・・・」
 彼の眼は話を進めるごとに、輝きを鈍らしていった。私には分かる、その後はきっと、
「銀狼に殺された・・・・」
「その通りだ・・・・、五年前に俺以外、家族は銀狼に殺された・・・・・」
「その銀狼が本当に殺したの?」
「あぁ、間違いない。俺が家に帰ってきた時、家族はみんな血まみれで床に倒れていて、そこに血まみれの銀髪の狼少女が突っ立ってた」
 彼の顔に一瞬だが憎しみの感情が出た。私はそのまま話を続ける。
「その銀狼が私を銀狼にした人?・・・・」
「それは分からない、だが可能性は高いな」
 その言葉を聞いた後、私は黙り込んだ。私の庇った銀髪の狼少女、彼女がそんな事をしたのかもしれない。そんな彼女を私はハンターから助けようとしたのだから。
「あんたが気にする事じゃない。あんたも被害者だろ」
「でも、私は・・・」
「あんたは人間なんだろ、傷つく心を持っているんだろ?」
「だけど、私は銀狼に変身した時の自分が恐い。昨夜みたいに自分をコントロールできなかったら・・・・」
 私が更に言葉を言おうとした時、又彼は私の頭を撫でた。
「悪い事ばっか考えてもしょうがない、今は何も考えるな。それにあんたシャワーを浴びに行こうとしてたんじゃねぇか?」
 そうだった、私は立ち上がると、浴室へと向かう事にした。不意に、
「あのさ・・・」
「何・・・?」
「昨日の夜のあれ、すまなかったな。その・・・胸・・・・・」
 私は昨日の夜、彼が私の胸を掴み揉み上げた事を思い出し、顔を赤らめた。
「ばか」
 私はそのまま振り向かず、浴室へと向かった。

 私はシャワーを浴びて服を着ると、彼のいる居間へと向かった。今日は休日でのんびりと過ごせそうだと思ったが、そうはいかないらしい。そういえば彼の傷の手当てをするのを、私はすっかり忘れていた。居間へ向かうついでに救急箱から、包帯と消毒液を持ち出して行く事にした。
「傷口はどう?」
「うん?もうたいした事ねぇよ」
 私が居間へ入り話しかけると、彼はけろりとしたふうに言った。私は彼の傷口を見て驚く。彼の傷口は、傷跡は残っているが、傷口はちゃんと閉じていたのだ。
「あんた昨夜、俺の傷口を舌で舐めただろ?」
「あ、うん」
「狼とかは怪我をすると舌で舐めたりするだろ?それは殺菌作用とかがあるからだ。あんたは昨夜、銀狼だったんだぜ、銀狼の治癒能力は高いから俺の傷口を舐めた時にその力が働いたんだよ」
 彼は笑いながら言った。
「あんた何も知らないんだな」
「まだ銀狼になったばかりなんだって」
 私が必死に弁解をすると、彼は笑った。その笑いにつられて私も笑ってしまった。
「ねぇ、これからどうするの?」
 私がふと、彼に質問をすると、彼は天井を見上げた。
「どうするかなぁ〜」
 彼はそのままぼんやりと口を開いていた。私は言う。
「ねぇ、だったら私を守ってよ」
「えっ?」
 彼は私を驚いた様にして見つめた。私は真剣な顔で彼を見つめる。彼は微笑すると、
「いいぜ、あんたには色々と借りがあるからな、女に借りを作ったままにしとくのは、男として情けねぇ話だからな」
 そう言うと彼は瞼を閉じた。また眠るのだろう。

 恭二はそれから私の家で居候をしている。私と恭二は今、二人で人気の少なくなった学校の帰り道を歩いていた。私は恭二を見て、くすりと笑った。
「なんだ、いきなり笑って?」
 私の行動に不思議に思った恭二が質問する。私はそれに答えた。
「だってね、すみれが面白い事言うんだもん」
 私はそう言って、すみれが帰り道の別れ際に言った台詞を言った。
「燈室せんぱい、私の詩織せんぱいを奪わないで下さいってね」
「あぁ、愛澤がそんな事言ってたっけ」
「あの娘、真剣に焼もち焼いてたから驚いちゃった」
「それ程、お前の事を想ってるんだよ」
 恭二はそう言うと、羨ましいような寂しいような表情をした。恭二は家族の事を思い出したのだろうか。そんな恭二の顔がいきなり強張り、私を後ろに隠すようにして目の前の人物を睨みつけた。私はその動作に一瞬、疑問をしたが目の前の人物を見て彼の行動に理解した。
 私達を見据えるようにして、ハンターこと加賀が私達の前方を立ちはだかっていた。
「随分と仲が良いじゃないですか、燈室くん。私にもそれくらい愛想良くしてくれると助かるのですが」
「加賀、また詩織を捕まえに来たのか?」
「へぇ〜、名前を呼ぶほどの仲になったんですかぁ〜」
「正直に答えろっ!!」
 彼の冗談に聞く耳を持たず、恭二は怒鳴りながら言った。
「そんなに怒る事ないじゃないですか、今日はそこのお嬢さんの用ではなくて、燈室くんに用があるんですよ」
「俺に?・・・・」
 加賀は私をチラリと見やると、恭二をまた見やった。恭二は眉をひそめ、自分には心当たりがないというようだった。
「燈室くんは、そこのお嬢さんを守るつもりですか?」
「だとしたら?」
「もしも燈室くんがそこのお嬢さんを守るつもりでしたら、やはり商売敵なので始末しようと思いましてね」
 加賀の眼が鋭さを増した。私は、今度は恭二を守るように前に出て、加賀を睨みつけた。
「恭二を殺させたりなんかさせない!!」
「おやおや、人間の状態で燈室くんを守ろうとするなんて、度胸のあるお嬢さんだ」
 加賀が愛想笑いをすると、恭二は答えた。
「俺は詩織を守る。それに加賀、てめぇーにやられるほど俺はやわじゃねぇ」
 恭二は加賀を睨みつけながら言うと、加賀は笑い出した。
「なに笑ってんだ?」
 恭二が押し殺した声で言うと、加賀は笑うのをやめて、答えた。
「ちょっとおかしくてね、燈室くん、あなたは勘違いをしていませんか?」
「勘違い?・・・・」
 加賀はそう言うと、そのまま恭二に近づき、耳元で呟いた。
「そうです。あなたの家族は銀狼にやられたんですよ、そこのお嬢さんが直接あなたの家族を殺していなくても、お嬢さんには、あなたの家族を殺した銀狼の血が流れているのかもしれないんですよ?」
 加賀がそれを言い切っても、恭二は何も言わなかった。いや、何も言えなかったのだ。自分のしようとしている行動に疑問を持ってしまったから。
「まぁ、今夜の満月までにはその事を、考えておいて下さい」
 加賀は恭二の肩を軽く叩くと、そのまま歩き去って行った。
「恭二・・・・・」
 私は彼の名前を呼んだ。けれど恭二は私の顔を見ず、黙って顔を伏せたまま再び歩き出した。

 私と恭二は家に帰っても一言も話す事はなかった。恭二の心の内には私を守る事に戸惑いを感じているのだろうか。そして私を銀狼にした銀狼の彼女は、果たして恭二の家族を殺したのだろうか。もし、彼女が恭二の家族を殺していたなら、私には人殺しの血が流れている事になる。それは想像するだけでもとても恐かった。
 満月の夜が刻々と近づいてきた。恭二は自分のライフル銃を持つと、手慣れた手つきで銀の弾を込め始めた。スームーズに銀の弾がライフル銃に収まっていく。流石にハンターの事だけはある。恭二は銀の弾を込め終わると、そのライフル銃を見つめていた。恭二にはまだ私を守る事に戸惑いを感じているのだろうか。しかしそれは当然の事だ。今まで恭二は家族の仇として、狼人間を狩ってきたのだから。そして今は銀狼の私を守ろうとしているのだから。もしも私の家族が狼人間に殺されてしまったら、私も間違いなく恭二の様に狼人間を憎んでいただろう。私は恭二に守られてはいけないのかもしれない。私が恭二にできる事は、
「ねぇ、恭二・・・・」
 私が声を掛けると、恭二は視線だけを私に向けた。私は恭二に近づき、恭二の持っているライフル銃の銃口を、自分の胸へと押し当てた。
「私を守らなくていいよ・・・・」
「えっ?・・・・」
 恭二は私の言葉を疑った。私はそのまま話を続ける。
「私には恭二の家族を殺した銀狼の血が流れているのかもしれないんだよ。それに恭二は銀狼が憎いんじゃないの、狼人間全てが憎いんじゃないの?」
「それは・・・・」
 恭二は私から顔を伏せた。私は彼の頬を手で包むと、私の方へ再び恭二の顔を向けさせた。
「だから殺して・・・私だって好き好んで銀狼になったんじゃない。私は恭二を苦しませてまで、守られたくなんかない・・・・」
 私はそれを言い終えると、彼の手に触れてライフル銃の引き金のところへと構えさせた。
「やめろ・・・・」
 彼は小さく呟いた、けれど私はやめない。恭二が引き金を引かないのなら、私は恭二の手と私の手を重ねたままでも引き金を引こうと思う。私の瞼が熱くなり、頬に涙が伝わった。やっぱり死ぬのは恐いから。
 私が眼を閉じて引き金を引こうとしたその時、
「やめろっ!!」
 彼はライフル銃を投げ飛ばし、そしておもむろに私を抱きしめた。
「なんでお前がそんな事、しなくちゃいけないんだよ・・・・」
「だって、恭二にとってそれは一番いい選択だと思ったから・・・・」
「それなら何でお前は泣いてんだよっ!・・・・」
「だって死ぬのが恐かったから・・・・」
「俺に一番いい選択だって?・・・・俺にとって一番最低な選択だっ!・・・・」
 彼はそう言い切ると私の唇に自分の唇を重ねた。短いようで長い沈黙が流れ、恭二はそっと唇を離す。
「もうそんなバカなまねはやめてくれ・・・俺にとって詩織は大切な人なんだ・・・・」
「私にとっても恭二は大切な人だよ・・・・」
 私と恭二は抱き合ったままお互いに見つめ合った。満月の夜が来て、私の姿が銀狼に変わっていくなか、私と恭二は再び唇を重ねた。

 私と恭二は前の満月の夜に、加賀が現われた工場へと向かった。加賀とは決着をつけなければいけない。もし、加賀が姿を現すとしたら、人気が全くないあの廃棄工場にいる確立が高いからだ。それに人気の全くないあの工場なら、加賀にとっても私達にとっても物事をするのに動きやすかった。
 私達が工場の中へ入ると、私達が来るのを予想していたのか、ライフル銃を肩にかけた加賀がドラム缶の上に座っていた。
「お待ちしておりました。燈室くん、あなたの答えを聞きましょう」
 私達は加賀から少し間合いを置き、恭二は口を開いた。
「答えは同じだ。俺は詩織を守る。たとえ同じハンターから命を狙われたとしても」
 加賀は恭二のその言葉を聞くと、ケラケラと高笑いをし始めた。そして笑いを堪えるとこう言った。
「君はもうハンターではありませんよ、狩られる者をハンターが守るなんて愚かですね。見てて吐き気がしますよ」
 加賀はライフル銃を構えると引き金を引こうとした。私と恭二は二手に散ると、各自の身を潜められる場所に隠れた。工場内に加賀の放ったライフル銃の銃弾の音が響いた。
「まずは燈室くんから殺してあげますよ。ハンターに狩られる今のご感想は?」
「最悪だチキショーっ!!」
 恭二は鉄筋コンクリートの柱に身を潜めて怒鳴った。そして私の方へ手で合図をする。どうやら恭二は自分がオトリになるから、そのうちに私は加賀の後ろへ回れと合図を送っているらしい。私はそれに頷いた。恭二は私の頷きを見ると、身を潜めている柱からいっきに飛び出した。自分の持っていたライフル銃を発砲する。加賀は周囲にあったドラム缶に素早く身を潜めると、撃っては隠れを繰り返した。恭二も同じように、周囲の物に隠れると、撃っては隠れを繰り返した。加賀は私に気をかけず、恭二に発砲を続けていた。私は加賀の十メートルくらいまで接近し、周囲の物に身を潜めた。しかしその十メートルがなかなか近づく事ができない。恭二はすぐにそれに気が付き、思い切った行動に出た。身を潜めていた物から飛び出ると、加賀に向かって走りながらライフル銃を発砲したのだ。私も同時に動く。加賀は向かってくる恭二に構わず発砲を続けた。恭二に加賀のライフル銃の放った弾が左腕に命中した。恭二は苦痛の表情を出しながらも、必死にそれを食いしばりライフル銃を撃ちながら加賀へと近づこうとした。だけど加賀の撃ったライフル銃の弾が今度は恭二の右足を撃ち抜いた。恭二は地面に倒れ込んでしまう。私はやっと加賀の後ろを捉え、鋭い爪で加賀を切裂こうとしたが、
「惜しかったですね。でも読めてましたよ、燈室くんがオトリだって」
 加賀は懐から拳銃を片手に既に出していた。その拳銃の銃口を後ろ向きのまま私の顎に押し当てる。
「さぁ、ご覧になりなさい。燈室くんの惨めな死を」
 加賀はゆっくりともう片手に構えたライフル銃を、必死になって立ち上がった恭二に向けた。
「さよなら、燈室くん」
 加賀の放ったライフル銃の弾が恭二の腹部を打ち抜いた。恭二は力なく地面に座り込むと再び地面へ倒れこんだ。私はその光景に驚愕し、恭二の元へ近づこうとしたが、体を加賀に抑えられる。
「はなしてっ!!恭二っ!!!」
 私が必死に叫びながら抵抗すると突然、首の周りに鋭い火傷の痛みが走った。私は分けも分からず地面に倒れ込むと、もがきながら首筋を触った。指に火傷の痛みが走る。私は今の現状を把握した。私の首には銀の首輪が巻かれたと。
「これであなたは逃げる事ができない、少しだけ時間を上げましょう。燈室くんのもとへ行きなさい。これが彼を眼にする最後になりますからね」
 加賀はケラケラと再び笑うとタバコに火をつけて言った。
 私は必死に首に走る火傷の痛みを堪え、地面を這いずりながら恭二のもとへ近づいた。そして血まみれで倒れ込んでいる恭二を抱きしめた。首に巻かれている銀の首輪のせいで私は言葉を出せなかった。
「詩織・・・頼む・・・そのまま加賀の方へ向けてくれ・・・・・」
 恭二の声が私の耳元で囁いた。恭二はまだかろうじて生きていたのだ。私はそれを聞き届けると、加賀の方へ恭二の体を向けさせた。恭二の持っているライフル銃が加賀を捉えた。
 加賀はそれに気が付き、ライフル銃を構えようとしたが、恭二の方が早かった。
 恭二のライフル銃から銀の弾が放たれた。銀の弾丸は加賀の額に命中し、加賀の額を貫通した。恭二はそれを見届けると、ライフル銃を力なく落とし、私の首に巻かれた銀の首輪をゆっくりとはずした。
「詩織・・・俺はもう駄目みたいだ・・・・・」
「そんな事、言わないで・・・・」
 銀の首輪から開放された私は言葉を発する事ができた。私の涙が恭二の頬に流れ落ちる。私はその光景に私を銀狼にした、あの彼女の行動を思い出した。私は自分の腕を見ると、そのほっそりとした白い腕に噛み付こうとした、
「やめてくれ・・・・」
 力なく恭二は私の腕を握る。そして眼で訴えるように言った。
「俺は詩織のように強くない・・・・銀狼として生きていけないよ・・・・・」
「私は強くなんてない・・・恭二がいないと強くなれない・・・・・」
 恭二はおもむろに内ポケットに手を突っ込み、その中の物を取り出した。
「詩織・・・これを・・・・・」
 その物は、エメラルドグリーンの宝石がいくつも埋め込まれたロザリオのペンダントだった。
「きっと守ってくれる・・・・」
 ロザリオを私に手渡すと、恭二はもう何も言わなかった。もう何も言えなかったのだ。私は恭二をそっと抱きしめた。
「愛してるってまだ言ってないのに・・・・ずるいよ、恭二・・・・・」
 私は恭二に口づけをすると、恭二の胸に顔を沈めた。
 もう恭二とは二度と会う事ができないから。

 恭二が死んで一ヶ月が経った。満月の夜なので私は銀狼へと姿を変えている。
 私は今、満月を見上げるのに丁度良い大きな木に登り、満月を眺めていた。
 今はまだましな方だった。恭二が死んだ後の十日間は学校へ行かず部屋で泣いていた。落ち込んでいた私を励ましてくれたのはすみれだった。あの娘には本当に感謝している。私は首に巻いている恭二の形見のロザリオのペンダントを掌にのせた。ロザリオは満月の光を浴びて、埋め込まれたエメラルドグリーンの宝石を輝かせていた。私はそれを握り締める。今、私が恭二にできることは恭二の分まで生きる事。そしていつか、私を銀狼にした彼女を見つけ出し、彼女に恭二の家族を皆殺しにしたのか、その真実を聞きだす事を誓うことにした。
 私はその決心を再び固めると、ロザリオにそっとキスをした。

                     つづく