銀狼少女 四話
作:槇原想紙





四話 漆黒の翼を持つ死神


 私は最近、嫌な夢を見る。毎日の様にその夢を見てしまうのだ。
 その夢のはじまりは、私が真っ暗な牢屋を見ている所からはじまる。
 その牢屋はとても頑丈で、肉食動物を閉じ込めてしまうものだ。
 私はその牢屋をただ見つめているだけで何もしない。牢屋の中には確かに生き物の気配を感じた。私がそう思っていると、そのうち血の様な真っ赤な眼光がこちらを睨みつけてくるのだ。
 その赤い眼はとても冷徹で酷く濁っていた。私はそれを見て悟る。この赤い眼の主は、生きとし生きる全てのものを殺すと。己のあるがままに欲望を剥き出すだろうと。
 牢屋の中から鎖の様な音を、激しく地面に引きずる音が聞こえた。そして壁に叩きつける音になり、激しく部屋中に叩きつける音へとなった。一瞬、火花が散り、私は牢屋の中の光景を見る事ができた。私はその一瞬でさえ吐き気がしてしまう。
 牢屋の中には人間の死体が原型を留めておらず、地面に散乱していた。地面からは血と肉の臭いを嗅ぎつけたのか、ハエや蛆虫が湧き出ていた。
 その一瞬に、赤い眼の主の視線と合った。そいつは灰色の髪を地面にまで伸ばし、体中に鎖を巻いて、もう意味をなしていないボロボロの拘束具を身に纏っていた。女性だった。私からしてみれば女性の姿をした化け物に見える。その彼女は背中から黒い翼を生やしていた。その翼は死体の血を浴びて、更に黒く濁り、漆黒の翼へとなっていた。
 彼女は私に向かって口をパクパクさせていた。何かを伝えたいらしい。私は彼女の口パクに合わせて言葉を出した。
「つ・ぎ・は・お・ま・え・だ」
 その言葉を理解した私に、彼女は満足そうに不気味な笑みを浮かべた。良い物を見つけたと言わんばかりに。そして私はいつもそこで夢から目覚めるのだ。起きた後、私はとてつもない胸騒ぎを感じた。私の周囲で何か危険な事が起きるのではないかと。
 私は気持ち悪くなり、洗面所へと向かう。嘔吐すると口の中をゆすぎ、恵葉先輩に相談する事を決めた。

 私は学校の昼休み、図書室の隅にあるイスに恵葉先輩と向かい合わせに座り、悪夢の事を相談した。胸騒ぎや危機感を感じても、どう私は対応すればいいのか、わからなかったからだ。恵葉先輩は私の話を一通り聞くと、口を開いた。
「それはきっと予知夢ね。生物が持つ特殊能力の一つよ」
「特殊能力ですか?」
 私は疑問するが、恵葉先輩は話を続ける。
「何か危険な事があるとそれを察知する力よ。まぁ、それが覚醒したのが未来予知なんだけどね。しーちゃんの場合はきっと、銀狼の野性的本能からなんだろうけど」
「それじゃあ、私の周りに何か危険な事が起こるんですか?」
 私が言うと恵葉先輩は首を横に振った。
「絶対に起こるとは断言できないわ。でもしーちゃんの話を聞いてる限りではその確率は高いわね」
「恵葉先輩、私はこれからどうすればいいんですか?」
「あたしにも、わからないわ。狼だったら危険な場所から移動したりするんだろうけど。しーちゃんの場合は、この町を出て行くとかしか思いつかないわ」
 恵葉先輩は手をひらひらとさせて答える。しかし急に真面目な顔になり腕をくみ始めた。
「でもしーちゃんの見た夢の女性って、どうも引っ掛るのよね」
「どういう意味です?」
「黒い翼に拘束具、体中に鎖を巻きつけられた女性。昔、おばあちゃんに聞いた死神の話に似てるのよね」
「死神ですか?でも死神だったら大鎌を持ってるじゃないですか?」
「死神が絶対に大鎌を持っているとは限らないわよ」
 恵葉先輩はそう言うと、私にその死神の話を聞かせてくれた。
「ある国で一人の殺人鬼により、大量の連続殺人事件が起きたの。最初の事件はその日に一人殺された。そして次の日には二人殺され、一日ごとに一人ずつ殺された人が増えていった。国の人は犯人を知っていたのに」
「それなら犯人を捕まえればよかったじゃないですか?」
 私がその話に口をはさむと、恵葉先輩は私もそう思ったわと言った。
「捕まえる事ができなかったのよ。あまりにもその殺人鬼が畏敬の存在だったから。その殺人鬼には黒い翼が生えていた。大きく翼を広げると刹那に風を吹かせる。その風を浴びたものは痛みも感じず恐怖だけを感じて、体を切り裂かれた。簡単に人を殺せるから、国の人達は死神と読んだわけ」
「その殺人鬼はそのまま捕まえる事ができなかったんですか?」
「ううん、捕まえる事ができたわ。だけど、どうやって捕まえたか忘れてしまったわ。ごめんなさいね。それで殺人鬼を牢屋に閉じ込める時、拘束具と鎖を体中に巻いたそうよ。それでも殺人鬼は拘束具を引きちぎって必死に抵抗したんだけど、そのまま頑丈な牢屋に一生閉じ込められた。その時に殺人鬼の抵抗によって引きずり込まれた人間もいたんですって」
「待って下さい。それって私の見た悪夢とそっくりじゃないですかっ!?」
「だから言っているでしょう。可能性は高いって」
 私はその話を聞いて恐怖を感じた。もしもその死神が私の眼の前に現われたら、私は確実に殺されてしまう。この危機感は私に死を感じさせていたのだ。でも一体なんの為に私を選んだのだろう。私が床に顔を俯けていると恵葉先輩は言った。
「今日は満月の日よね」
「はい」
「一緒にいてあげるわ」
 恵葉先輩は私の肩を力強く叩いた。
「おばあちゃんから聞いた話に似てるけど、もしかしたら違うかもしれない。夢って大げさに見てしまう時があるじゃない。実際に確かめてみないとわからないものだわ」
 恵葉先輩は私の俯いている顔を上げると、にこっと笑った。私を励ましてくれているのだ。
 私はその事にとても嬉しく思った。

 学校の一日の授業が終了した後、私は恵葉先輩を家に招待した。夕方になるまで私達は世間話をして時間を潰し、恵葉先輩には夕食を一緒にとってもらう事にした。夕食を終えると、私は恵葉先輩にコーヒーを淹れてあげた。
「恵葉先輩、コーヒーに砂糖を入れますか?」
「もちろん入れるわ、五杯ぐらいいれて頂戴」
「そんなに入れるんですか?」
 私が言うと、恵葉先輩はもちろんと答えた。私はスプーンに五杯分、砂糖をコーヒーにいれると、ソファーに座っている恵葉先輩の眼の前にある、テーブルの上に置き、私も隣に座った。どうやら恵葉先輩は相当の甘党らしい。
「サンキュッ♪」
 恵葉先輩は手にコーヒーカップを持つと、ミルクを入れてスプーンでかき混ぜた。そして美味しそうに一口すする。
「うん、おいしい。やっぱコーヒーは甘い方が良いわ」
「そう言ってくれると嬉しいです」
 インスタントのコーヒーで満足しているので、どうも素直に喜べないけど。
 恵葉先輩はコーヒーをある程度飲むと、テーブルの上にコーヒーカップを置き、側のベランダを開けて、手を夜空に差し出した。
「何をしているんですか、恵葉先輩?」
 私が質問するよりも早く、恵葉先輩の包帯の巻かれた腕の上に、一羽のカラスが乗っかっていた。私はカラスに驚いて、恵葉先輩から少し距離をおいてしまう。
「ごめんなさい、驚かせちゃった?安心して、害はないから。このカラスはあたしの僕(しもべ)よ。しーちゃんの周りに危険な事が起こるかもしれないという事は、この町に何か害があるものが入り混じるって事でしょう。だからこの子を使って、しーちゃんを中心にカラス達に、この町に何か害があるものが入り混じっていないか、調べてもらったの」
 私に恵葉先輩が一通り説明すると、カラスがせわしく鳴き声を出した。恵葉先輩はそれに頷きながら聞く。カラスが鳴き声をやめると、恵葉先輩はありがとうと言って、カラスを空に返してあげた。
「何か起きているんですか?」
「ええ、どうやらしーちゃんの悪夢は現実になりそう。あの子に聞いたらこの町に不気味なものが潜んでいるらしいわ。どう不気味なのかはわからないけど、いつもの空気と違うんですって」
「空気………ですか…………」
「しーちゃんも銀狼になればわかるかもしれないわ。それに、もうすぐ変身する時間ね」
 恵葉先輩はそこで一旦、言葉をきり、私は首にかけているロザリオを強く握り締めた。
「そのロザリオ、大事そうに持っているけど、しーちゃんの大切なもの?」
 恵葉先輩がロザリオを見ながら言い、私はロザリオについて説明してあげた。
「はい、このロザリオはとても大切なものです。私の愛した人がくれました。もうこの世にはいませんが。このロザリオがある限り、私のそばに愛した人の心があります」
 恵葉先輩は私の話を聞くと、ソファーに再び座りコーヒーをすすった。
「しーちゃんを支えてくれる、ラッキーアイテムの一つみたいなものね。大事にしなさい。想ってくれた人の残した形見や、長年愛用した物っていうのは、魔法以上に身に付けている者を守ってくれるから」
 コーヒーを全部飲み干した恵葉先輩は、ソファーから立ち上がり。身支度を始める。
 私の鼓動が急に高まり始めた。銀狼へと変身しようとしているのだ。体が熱くなる。
「恵葉先輩、先に外へ出て行ってくれませんか?」
「ええ、別に構わないわ」
 恵葉先輩はそれ以上、何も言わず、居間から出て行ってくれた。
 私は低く唸り声を上げ、床に拳を叩きつける。そして伸び始めた爪で床をひっかき、その悪夢に出てきた女性の喉を噛み切るシーンを何度も何度も連想した。彼女に恐怖を感じていたのに、今では怒りの感情が込み上げてくるのだ。これが銀狼の野性的一面なのかもしれない。恭二の時とは全く違う感覚なのだ。
 私は人を殺したくない。彼女が例え私を殺そうとしても、彼女が畏敬の存在でも、殺したくはなかった。でも、これは私の問題であり、恵葉先輩が心配する事ではない。もしも彼女が恵葉先輩の身に危険な事をするようだったら、私は彼女を殺すかもしれない。
 髪が銀髪に染まり、伸び始める。私は満月を見ながら、この満月を血に染めないよう祈った。

 私と恵葉先輩は使われなくなった、廃屋の病院へ向かった。恵葉先輩がこの町に来て、見つけた心の落ち着く場所らしい。
「どう、この場所、結構落ち着くでしょう?」
「私は何とも感じませんが、普通の人は近寄らないと思いますよ」
 恵葉先輩はライトを片手に病院の廊下を歩いていた。私はその後ろについていくが、床には使い捨ての注射器や、割れた薬品のビンが散乱していた。壁にはスプレーで落書きがされている。
「私はこの場所にいると心が落ち着くわ、涼しくていいじゃない」
 確かに涼しいが、不気味な涼しさだと私は思う。なにか出る雰囲気に近い。
 恵葉先輩は廊下の右の角を曲がると、一つの部屋を指差した。
「この部屋に入りましょう、あたしがこの場所の中で、一番気に入っている部屋」
 恵葉先輩はその部屋のドアを開けると、私を部屋の中へ入れた。部屋の中は廊下の様に、注射器や薬品のビンが散乱しておらず、スプレーで落書きもされていなかった。部屋全体が真っ白で、同じく、白の机と椅子とベッドが一つずつ置かれていた。
 恵葉先輩はベッドの横に座り、私は椅子に座った。
「恵葉先輩、どうして私をここに連れてきたんですか?」
 私は家を出た時、いつもの様に夜の街を駆けるつもりだった。しかし、恵葉先輩はそんな私を引き止めて、この廃屋の病院へと連れてきたのだ。疑問するのも無理はない。
「しーちゃんは少し銀狼の状態で、理性を落ちつかせる特訓をしなさい」
「特訓ですか?」
「そう、しーちゃんは最近、自分の感情を抑えられない時とかあるでしょう」
「いえ、そんな事………」
 私は口ごもってしまう。あるといえばあるのだ。
「さっき、感情的に怒りが出てたじゃない」
 さっきとは私の銀狼の変身の時だろう。私はたいして気にもしていなかったけど。
「銀狼に変身した時は冷徹でもいいから、理性をしっかりもちなさい。そうしないとあんた、いつか人を殺すわよ」
 恵葉先輩は私の眼を真正面からみて、真剣な顔つきで言った。私は少し怯んでしまう。
「恵葉先輩、そんな大げさですよ。私は人を殺したくはありません。だから大丈夫です」
 私がそういって見せると、恵葉先輩は人差し指を天井に示した。
「それじゃあ今日の満月の夜、あなたに一つの条件を与えるわ。朝になるまであたしと一緒にこの部屋にいる事、わかった?」
「朝までですか?」
「そうよ。あなたが理性を保ったままこの空間にいられるか、あたしの眼の前で証明しなさい」
 恵葉先輩は肉食動物を飼育するかの様に、私に厳しく言った。そんな今の恵葉先輩に、私はなぜか恐怖を感じる。

 全てが白に統一された部屋で、私は恵葉先輩と二人きりでいる。恵葉先輩はベッドに座りながら壁に寄りかかり、私の方を冷徹にしかし微笑みながら見つめていた。私が知らない、いつもの恵葉先輩がみせない表情だ。そしてこの空間は、私にとって息苦しさを感じさせていた。机と椅子とベッドしかない、広いスペースがあるのに、とても狭く感じる。
 私は熱くもないのに、額に一筋の汗が流れた。冷や汗だろうか。
「落ち着かない様子だけど、どうしたの?」
 恵葉先輩がそんな私に話しかけてきた。
「いえ、別に何でもありません。少し息苦しいだけです」
 私はそんな恵葉先輩の言葉に軽く相づちを打ち、会話を無理やり終わらせた。
 なぜだか、いつもの様に恵葉先輩と話す事ができなくなり、今の恵葉先輩とこの部屋にいるのも、苦に感じた。話す事も嫌になってくるのだ。私は椅子から立ち上がる。もうこの部屋にいる事ができない。
「どうしたの?」
 恵葉先輩はそんな私の手を掴み、質問をしてくる。
「恵葉先輩、やっぱり無理です。こんな所にいると頭がおかしくなってきます。この部屋を出て外の空気を吸ってきます」
「ダメよっ!!」
 いきなり恵葉先輩は私の眼の前に立ち、怒鳴りながらドアの前に立つ。
「これはあなたの為なのよっ!!確かに今のあなたには居心地の悪い場所かもしれない。だけどこの部屋はあたしの魔法の結界がはってあるのっ!!あなたは命を狙われているわ。とても危険で恐ろしい存在に。だからあたしがあなたを守る為にここへ連れてきたの」
 怒鳴るのをやめると、室内に沈黙が流れる。恵葉先輩は私の為にここへ連れてきたのだ。私は恵葉先輩の想いやりを危うく踏みにじるところだった。感情がイラついてまわりを見る事ができなかったのだ。
「恵葉先輩、すみませんでした。私、自分勝手な事ばっかり言っちゃって。だけど、私はこの部屋にいる事が耐え切れなくって…………」
「大丈夫よ、あたしもいるから安心して」
 一瞬、私の背筋に怖気が走った。恵葉先輩が不気味に言ったのだ。そして私の手を掴んだままベッドの上に横たわらせた。
「眼をつぶって力を抜いて、少しは落ち着くわ」
「はい………」
 そう言うと恵葉先輩は私の頭を撫で始める。今、恐怖を感じている、だけど素直に恵葉先輩の言う事に従う。
「汗も凄く出てるわ」
 恵葉先輩は汗の流れている私の頬を舌で舐める。私は頬にひんやりとした冷たさを感じた。そして恵葉先輩は私の頭を自分の胸に押し当てた。
「もう我慢しなくてもいいのよ。自分の欲望のままに自分の好きな行動をすればいい。己の本能で人を殺し、その血で喉を潤せばいい」
「っ!?」
 私の耳に人間では聞こえない程度の言葉が響いてきた。私の鼻孔が血の匂いをかぎつける。そして今の恵葉先輩の言動に私は突き動かされた。
 私は勢いよく恵葉先輩を突き飛ばし、部屋の隅へと移動する。こいつは恵葉先輩ではない。
「くくくくくっっっっっっ!!」
 恵葉先輩は、いや、恵葉先輩の姿をした偽者はケラケラと笑い出した。真っ白だった部屋が真っ黒に染まり上がる。そして床や壁が血まみれに染まった。出入り口がない。私は閉じ込められたのだ。私は彼女の罠に簡単に引っ掛ってしまった。
「あなたは誰っ!?本物の恵葉先輩じゃないっ!!」
 私が怒鳴り上げると同時に、偽者の恵葉先輩の髪が灰色に染まり、地面にまで伸びた。ボロボロの拘束具が姿を現し、鎖が体中に巻かれ、引き裂かれる音の如く、漆黒の翼が背中から生えてきた。
「はじめまして。夢の中で何度もお会いしましてね。この日をとても待ち遠しく思ってたよ」
 そいつは低い声で言い、不気味に赤い眼光を光らせた。
 夢の中に現われた彼女が現実に今、私の眼の前に姿を現したのだ。

 「いつから恵葉先輩と入れ替わったの。恵葉先輩は今どこにいるのっ!!」
 私は血の様に真っ赤な眼光で彼女を睨みつけ、怒鳴りつけながら言う。彼女はそんな私に、ニヤニヤと笑いながら見つめていた。
「恵葉って娘が、あなたの家に出た後からよ」
「恵葉先輩はっ!?」
「少し静かにしてもらおうと思って、翼で斬り込んだら逃げていったわ。かなり出血してたから、どこかで死んでんじゃない?」
 彼女の言葉を聞くと、私は唇を噛み締め拳を握り締めた。
「なぜ、私を狙っているの?」
「それはね、あなたの事を独占したいから」
 いきなり私の視界から彼女が消えた。と、思うと。私の体を黒い翼が包み始めた。彼女が私を後ろから抱いてきたのだ。
「だって、とっても興味があるじゃない。銀狼のくせに人を殺したくないなんて。だから、あなたの人を殺す姿が見たいなって。それに、私はあなたを私のものにしたいんだよねぇ〜」
 ふざけるのもいい加減にしてほしかった。そんな事のためだけに、この人は恵葉先輩を傷つけたのか。私の中の怒りが絶頂していた。
 私は彼女の包み込んでいる翼から離れると、真っ黒に染まり血に染まった部屋の隅に移動する。
「恵葉先輩を傷つけたあなただけは、絶対に許さないっ!!」
 私は牙を剥き出し、彼女に鋭い爪を向けた。
「いいわねぇ〜。その態度とても気に入っちゃう。反抗してくれると、私も独占のしがいがあるわ」
 彼女はそんな私を嬉しそうに言った。私は絶対にその彼女の表情を、恐怖と叫び声へと変えてやりたかった。
「私を怒らせた事を、後悔するなよっ!!」
 私は勢いよく駆け出し。右腕で彼女の左頬を鋭い爪で切裂いた。彼女の左頬から血が飛び散る。けれど私は構わず、右腕に今度は逆の力を込めて、彼女のこめかみをめがけて裏拳を食らわせた。面食らった彼女に続けて、左右の横っ腹を殴り、そして両手をがっちりと合わせ、今度は後頭部を勢いよく殴りつけると、彼女を勢いよく地面に叩きつけた。室内に鈍い音が響き渡るが、彼女は表情を崩さずに私をまだ嘲笑っていた。その表情が私の気にさわる。私は彼女に馬乗りをし、顔面を何十回も拳で殴りつけた。それなのに彼女は、表情を一つも崩さず、唇が切れて血が出ても笑い、鼻が折れ鼻血を出しても笑い、歯が折れても笑い、ケラケラと私を見つめて笑っているのだ。
 私はついに彼女の首を絞める、こんなやつは死んでしまえと、だが彼女は一言、私に呟いたのだ。
「あなたも所詮、私と同じね」
 その言葉に私は動きを止めてしまう。その隙を彼女はにがさず、私の腕をすごい力で掴み、私を押し倒した。今度は彼女が私に馬乗りをする。
「私はあなたの様な化け物に会いたかったわ。私の様にキレると手がつけられない化け物をね。所詮、銀狼のあなたは人をいつか殺す事になるわ。遅かろうと早かろうとね」
 彼女は私の両腕を翼で押さえつけた。そして私の胸に彼女の鋭い爪が向いている。
「何をするの?」
 私の質問に彼女は、不気味に微笑み答える。
「あなたの心を破壊するの。一度壊れた心は二度と戻す事ができない。だからあなたの心を壊した後、私の好きな様に心をいじってあげるわ」
「そんな事させないっ!!」
 私は必死に抵抗するが、彼女の翼は石像のようにびくともしない、そして私の胸の中心に、勢いよく彼女の鋭い爪が突き刺さり、腕を深く突き入れられた。
「うっ………ぐっ…………!!」
 私の口の中に血の味が広がり、顔を横にすると、口の中から自分の血が溢れ出て、地面を赤で染めた。胸が熱くなり、それと同時に寒気を感じる。胸からもじわじわと血が流れ出てきたのだ。
 彼女はそんな苦しむ私を見て更に自らの腕を、私の胸の中に突き刺し楽しんでいた。
「あなたを私の忠実な獣にしてあげるわ」
「いっ………やっ…………!!」
 必死に抵抗する中、私の意識はもうろうとしてきた。彼女がかすんで見える。私は自然に眼を閉じてしまっていた。

 私の視界に闇だけが存在していた。その闇の中に光が見える。私はその光に温かい温もりを感じ、安堵した。その光は私の心だとすぐに察する事ができた。しかし光は闇にじわじわと包み込まれようとしている。私はどうしてもそれを阻止しようとし、必死に両腕を動かす。私はそこで夢から覚めたのだ。眼を開いた私の視界に、黒い翼の生えた彼女が現われる。彼女はやはり私を嘲笑う様な笑みを浮かべていた。そして私の両腕は彼女の翼で拘束され、胸には彼女の右腕が深く突きこまれていた。まだ私の心は破壊されていないようだ。
「抵抗しないの?」
 彼女が私に言う。しかし私は体に力が入らず、意識ももうろうとしていて、抵抗する事ができなかった。
「まぁ、別にいいわ。苦しんで私のものになりなさい」
 彼女は私の胸の中を強く握り締めた。息苦しくなり私の口の中から更に血が溢れ出す。
「今、あなたの心を握り締めたわ。とても強い輝きを持つ心を持っているわね。だけど、その心は私には眩しすぎるわ。だから握り壊してあげる」
 彼女が私の心に更に力を加えて握る。
「ぐぅぅっっ!!」
 私の胸の中に激しい火傷の痛みが走り、息ができなくなった。ついに私の心が彼女の手によって破壊されようとしている。何も抵抗ができず、私はあきらめかけていた。その時、彼女の叫びが聞こえたのだ。それと同時に私の胸の苦しさが消えた。そして私の胸の中に深く突きこまれていた彼女の右腕が、血粉を吹かしながら宙に舞っているのを見る。
「しーちゃんを自分のものにしようとするなんて、ちょっと趣味が悪いんじゃないの?」
 真っ黒の部屋が元の病院の部屋に戻り、薄汚い部屋になった。
 私は声の方に振り向くと、黒いコートを着た恵葉先輩が仁王立ちをしていた。両腕の包帯がとられているが、血を流しているのは左腹部だけだった。
「しーちゃんに気安く触らないで頂戴っ!!」
 恵葉先輩は左腹部から流れている血をすくうと、呪文を唱え彼女に振りまく。私に馬乗りをしていた彼女がいきなり吹っ飛びだし、部屋の壁に叩きつけられた。そして恵葉先輩の振りまいた血が今度は赤い鎖に変わり、彼女を拘束しする。
「貴様、何をしたっ!?」
 必死にもがく彼女を恵葉先輩は無視し、私に自分の黒いコートを羽織らせ、私を抱き上げた。
「大丈夫、しーちゃん?」
 私は口の中にまだ溢れる血のせいで喋る事ができないが、大丈夫と眼で訴える。
「すぐにケリをつけるから、もう少し我慢していてね」
 恵葉先輩は私にそう言うと、私を抱き上げたまま部屋を出る。私がちらりと彼女を見ると、彼女は赤い鎖を噛み砕き始めていた。
 恵葉先輩は彼女にどうやって立ち向かうのだろうか。

 恵葉先輩は私を抱き上げたまま、病院の屋上にまで運んだ。満月の光だけが私達を照らす。恵葉先輩の左腹部にはまだ血が流れていた。恵葉先輩は自分に魔法をかける事ができないのだ。だから自分の怪我を魔法で癒す事ができない。
「大丈夫よ、これくらいなんともないわ」
 恵葉先輩は私の思った事を察し、気遣ってくれる。
「でも危なかったわよ、しーちゃんの家に出たとたん、あの死神さんがいたから危うく死ぬところだったわ」
 恵葉先輩はそう言うと、私を屋上の隅へ置いた。
「この死神の件はあたしに任せなさい。どっちにしろ、今のしーちゃんでは戦う事ができないのだから」
 そう優しく言うと私の頭を撫でる。そして恵葉先輩は私から離れ屋上の中心に立ち止まった。
 私の耳に、屋上のドアの方から階段を上る足音と、鎖を引きずる音が聞こえてきた。きっと彼女だろう。恵葉先輩が拘束した赤い鎖を噛み砕き、私達の方へ近づいて来ているのだ。
 足音と鎖の音はドアの前で止まった。恵葉先輩が身構える。そして激しい音と共に、ドアはへし折れ宙へと吹っ飛び、屋上の入り口には彼女が立っていた。
 私が殴った彼女の顔は化け物の様に歪み、恵葉先輩が切断した彼女の右腕は繋がってはいるが、九十度ねじれている。
「コォォォォロォォォォスゥゥゥゥッッッッッ!!」
 彼女は唸るように叫び声を上げ、恵葉先輩に四つん這いに凄いスピードで近づいて来た。そして恵葉先輩に鋭い爪を向ける。恵葉先輩は避ける事もせずに彼女の爪に両腕を切裂かれた。いや、微かに動き、わざと両腕を怪我したのだ。恵葉先輩の血が宙を舞い、地面へと飛び散った。それを恵葉先輩は確認すると早口で呪文を唱え始める。地面に飛び散った血が赤く光りだし、赤い鎖へと変わり、恵葉先輩に二撃目を繰り出そうとしている彼女を束縛した。
 彼女はその赤い鎖を噛み砕こうとするが、恵葉先輩が更に呪文を唱えると、また地面に飛び散った血が地面から生える様に赤い鎖を出した。
 彼女は両腕と両足を赤い鎖に縛られ、漆黒の翼までも動かす事のできないくらいに、縛り上げられた。
「あなたは死ぬ事のできない体、そして殺す事もできない。人が生み出した化け物ね」
「ダァァァァッッッッマァァァァッッッッレェェェェッッッッッ!!」
 彼女は鎖に縛り上げられながらも必死に抵抗をし、声を荒げた。彼女が人によって生み出された化け物とはどういう事だろうか。
「しーちゃんも知りたいでしょう?こいつの正体を」
 恵葉先輩はそう言うと、両腕の血をポタポタと地面に落としながら、彼女の周りを歩き始め、語り始めた。
「あたしのおばあちゃんが話した昔話、あれはおそらく現実にあった話だわ。そしてこの死神がいた国は強大な軍事国家だったのよ。そしてその国が特に力を注いでいたのは人の人体実験よ。暗殺任務を確実に実行でき、敵対国に多大な損害を与えてしまうほどの力を持つ殺人鬼を創り上げたの。その人体実験の一人がこの死神さんってわけ。だけど昔の化学では人体実験したところで、こんな殺人鬼なんて造れないわ。だからその国が手を出したのが禁術魔法よ。禁術魔法ってのは、一般に闇魔法って言われる、人や動物を蘇らしたり、殺したり、不老不死や生命を融合させたり、他にも色々とあるけど、神の領域を超えてしまう魔法の事。だからよほどの理由がなければ魔法使い達は使わない魔法の事よ。それに国の軍が手を出した。でも魔法使い以外がその魔法を使ったりしたら確実に死ぬわね。そんな禁術魔法を人間がしたら、魔法に耐え切れなくて体が暴発してしまうわ」
 恵葉先輩は彼女の周りを一周し終わると、そこで立ち止まった。そして彼女を見つめて再度、口を開く。
「あなたをどうやって捕まえたか、思い出したわよ。とても恐ろしい魔法ね、何百人という人間が命を犠牲にして魔法を使って、禁術魔法の一つ、物体の体の動きを全て止める魔方陣を描いたのだから。体にも拘束具を巻かれたみたいだけど、抵抗できたみたいね。そして何十年という時間によって魔方陣の効き目がきれ、自由の身になった。人間にはそれが精一杯だったのだろうけど。でもあたしは魔女、だから今度はあなたの存在自体を消してあげるわ」
 恵葉先輩は言い終えると呪文を唱え始めた。彼女の周りにまかれた恵葉先輩の血が赤く光だし、魔方陣を描き始めた。
「その後、その国がどうなったか知ってる?その闇魔術のせいで大量に人が死に、軍の人口が減り、自分の国の治安も守れなくなったその国は、敵対国に攻められのっとられ、歴史的に抹消されたわ」
 恵葉先輩の作り出した魔方陣が、彼女を赤い光で包み込んだ。彼女はその光に苦しみだし、体から激しく煙を噴き上げらせる。体の血管が切れ始め、彼女の体から噴水の様に鮮血が飛び出した。そして体中に亀裂が入り、彼女の体は砂の様に溶け始める。
「やっと死ねるわね。あなたはもうとっくに人として、生きる時間をオーバーしてるわ。その国の歴史と共に抹消されなさい」
 彼女を包み込む魔方陣の赤い光が更に強く発光し始めた。私は眩しくて眼を閉じてしまう。
 赤い光が弱くなり、私の眼が開ける様になっていた時には、魔方陣からは煙が上がっていて、彼女の黒い翼の残骸しか残っていなかった。
「闇魔法、『第三百七十四の法 生者の存在抹消』の禁術、これにて終了」
 恵葉先輩はそう言うと、しりもちをつき、地面に横になった。こうして私の悪夢は終わったのだ。

 満月の夜が終わり、今、私達は隣り合わせに、廃屋の病院の屋上で朝焼けを眺めている。これから恵葉先輩が救急車を呼び、病院へ行く事になっているらしい。私は何だか眠たくなってきた。そんな私に恵葉先輩は耳元で囁く。『生者の存在抹消』とは、その人を消すだけではなく、その人間が関わった人の記憶も消すらしいのだ。だから私の記憶から彼女の事は消える。いや、もう消えかけている。恵葉先輩は彼女の事を忘れないが、私には黙っている事にするらしい。きっと彼女の記憶が消えた後、どうして私が病院にいるのか恵葉先輩に聞くだろうが、きっと恵葉先輩は嘘を付くだろう。消えかける意識の中、私は思う。彼女は寂しかったのかもしれない。一人で長い間を生きてきたのだから。しかし私はいつか人を殺してしまうのだろうか、その事を思いながら私はもう眠りにつく事にした。



   つづく