銀狼少女 六話
作:槇原想紙





六話 フィストの使者と吸血鬼

 俺は生まれつき体が病弱だった。頻繁に貧血を起こしては、よく小学校を早退していた。だからあまり人間関係がうまくいかず、俺には友達があまりいなかった。でも俺は寂しくなんてない。
 俺が早退して自宅の部屋で体を安静にしていると、いつもメイドの兎綺(とき)が面倒をみてくれた。退屈そうにしている俺のよき話し相手になってくれるのだ。学校を休みがちで兎綺に話をする内容は乏しかったけど、兎綺はいつも笑顔で聞いてくれた。話の内容がなかった時は俺の手をずっと握り締めてくれていた。俺はとても恥ずかしかった。だけど兎綺の手は本当の母親の様に優しくとても安心できた。
 俺には母親がいない。幼い時に病気で亡くなられたそうだが、母の記憶は皆無に等しくよく憶えていない。父親は家にいるはずなのだが、母が亡くなられた時から姿を俺は見た事がない。どんな人なのか、どんな仕事をしているのか分からないけど、会わなくても別に支障がないので、ほっとく事にした。つまり俺は兎綺と二人で暮している様なものだ。
 兎綺は俺が物心つく前からこの家でメイドをしている。
 俺が兎綺に疑問を抱きはじめたのは、中学へ入学した頃からだった。俺は中学になってから貧血を起こす回数が周二〜三回くらいに減り、陸上部に入部した俺は体つきもしっかりしてきた。だけど兎綺は俺が小学生の頃と比べると歳をとっていないのだ。外見も二十代前半に見えるし、透き通った白い肌にすらりとした体つきは今でも衰えていない。体の成長が止まっているのではないかとも言える。それに貧血を起こした時の俺を見守る兎綺の瞳はとても嬉しそうに見えてきたのだ。だけど俺をいつも支えてくれている兎綺にそんな事、口に出す事なんてできなかった。そして高校生になった俺の体は変異をはじめる。
 俺が高校の帰り道の事だった。帰宅途中の橋を渡るさい、川を紅色に染めた夕焼けを眺めた時だった。俺の胸が急に熱くなり息苦しさを感じたのだ。いつもの貧血とは違う違和感だった。とてもじゃないけど歩ける力なんてなかった。俺は橋の下に土手を転がる様に下りると。その場に横になった。橋の下の周りは人気がなく助けを呼ぶ事ができない。
 目を瞑れば紅色が焼きついている。何か自分の凶器的な部分が弾けて、誰かを襲いたくなった。そんな感情を理性で抑えていると、俺は誰かに抱き起こされる。目を開けると、いつの間にか兎綺が俺を抱きしめていた。
「ついに、お目覚めになったのですね………」
 兎綺のその言葉に俺は理解する事ができなかった。
「苦しいでしょう。今、楽にして差し上げます」
 兎綺は間髪入れずに、自分の上半身の服を肩まではだけさせた。白い首筋が俺に晒される。だが、その白い肌には何かに噛まれた後が残っていた。俺の鼓動はその肌を見てますます跳ね上がる。その白い肌に噛みつきたいという、欲望が出てきたのだ。俺は今、狂ってる。
「わたくしの首筋に噛みついて下さい。そして代々受け継がれてきた須賀蔵(すがくら)の血をその体に刻むのです」
 兎綺が何を言っているのか分からない。代々受け継がれてきたとはどういう事だろうか。だけど俺はそんな事を考える余裕なんて無かった。まるで操られるかの様に、俺は兎綺の言われた通りに牙をむけ。その首筋に噛みついてしまった。
「……あっ……うっ………っ!」
 兎綺が痛みに喘ぎ、俺を強く抱きしめた。俺の口の中に兎綺の血の味が広がるとともに、目の前がフラッシュバックを起こした。そして俺は全ての事を理解した。
 俺は吸血鬼なのだ。そして兎綺がどうして歳をとらないかも知った。
 俺の家系、須賀蔵家は代々、吸血鬼の家系なのだ。そして兎綺は三代目の須賀蔵家当主の父に、噛まれて吸血鬼になったのだ。父は重い病魔に侵されており、母も体が弱く、母の胎内にいた俺を生めば確実に死ぬだろうといわれていた。つまり俺の為に父は世話がかりとして兎綺を吸血鬼へとしたのだ。父親はもうこの世にはいない。一代目と二代目の遺体が眠っている、須賀蔵の家の秘密の地下室に両親も同じ様に眠りについているのだ。兎綺は父が死ぬ直前に父の血を体内に吸収し、俺が成長して吸血鬼として目覚めた時、更なる力の強化として兎綺は俺に首筋を噛みつかせたのだ。父の遺言らしい。どうやら幼い時の貧血は少しずつ吸血鬼に目覚める予兆だったのだ。
 俺が落ち着きを取り戻し、そっと兎綺の首筋から口を離すと、兎綺はそっと俺の口の周りについた血を舌でぬぐった。恥ずかしくて俺は目を地に伏せる。
「あなた様は四代目須賀蔵家の当主になるお方です。わたくしはあなた様の為に全てを捧げます」
 兎綺が俺の頭を撫でながら言う。その安らぎに俺の意識は薄れていった。

 自信の記憶が部分的に無いというのは不気味なものだ。
 私は病院に入院していた。だけど、どうして病院に運ばれたのか分からない。恵葉先輩に言われて自分達が交通事故に遭った事を知ったのだ。けれどイマイチ、ピンとこない。医者は交通事故の軽いショックで部分的に記憶が飛んでしまったのだと言った。でも私はそれ以外に記憶を失った部分はないし、体のケガも治ったみたいなので、病院を入院して二週間後、無事に退院する事になった。恵葉先輩は両腕のケガの件もあって、まだ入院中だけど。
 私は久しぶりに学校へ登校した。学校を欠席する回数が増えているので、これ以上は欠席する事ができなかった。しかし学校を二週間も休んでしまったので、誰かにノートを写させてもらいたかった。だけど私は友達が少ない。クラスに友達がいないわけではないが、ほとんど薄っぺらい友達関係しかないので、とてもじゃないがノートを写させてとは言えない。そんな時だった、私に声を掛けてきた男子生徒が現われたのは。
「ノート写させてほしいんでしょう?数学と英語なら貸せるよ」
「えっ?」
 私は突然の出来事に少し躊躇ってしまった。そして同時にその男子生徒に申し訳なくなる。なぜなら、その男子生徒と同じクラスでありながら、名前も知らないし顔も見た事が無かったからだ。背は私よりやや高めで艶のいい黒髪をしている。女子生徒からモテそうな感じがするし印象も良いので、一度見れば分かるのだが、初対面だろうか?
「あ、ありがとう。ところでどちら様でしょうか?」
 私は無礼ながらもそんな質問をしてしまった。男子生徒はそんな私を見てクスリと笑う。
「そんなに驚かなくていいよ。綿津見さんは僕に会うの初めてなんだから。君が病院に入院している時に僕が転校してきたんだよ」
 どうやら男子生徒は転校生らしい。私はホッとする。もしも前からいた生徒だったら、私の記憶力は悪い事になってしまう。
「僕の名前は小波啓介(さざなみけいすけ)。よろしく」
「ええ、よろしくね」
「ところで今日、放課後ヒマかな?」
「えっ?」
 小波君はいきなり大胆な発言をするんだね。私はそう思った。会った初日にナンパ(←?)見たいな事をされるとは。私がそんな事を考えていると、小波君は小声で一つつけたした。
「誤解しないでね。僕は綿津見さんにナンパしているんじゃないんだ。燈室について少し聞きたい事があってね」
「っ!?」
 私が驚いた顔をすると小波君はクスリとまた笑い、自分の席に戻ってしまった。私が追いかけ様とした時、チャイムが鳴り日本史の先生が教室に入ってきた。こんな時に限って運が悪い。授業中、私はチラリと小波君を見やる。だが彼はもくもくと黒板にかかれた事を写していた。
 まずいかもしれない。恭二の事を知っているとすれば、小波君がハンターかもしれない確立は高い。病院に入院中の恵葉先輩に相談してみよう。ひとまずここは逃げなくては。私は昼休みを狙って学校を早退する事にした。

 私は恵葉先輩が入院する北原総合病院に向けて道を走っていた。よく考えてみれば今日、早退したって明日学校に行けばまた小波君に会ってしまうのだ。ハッキリいって、私がしたこの行動は意味がないのかもしれない。だけど恵葉先輩に相談すればいい打開策があるかもしれない。その事を信じよう。
「綿津見さんっ!!」
「っ!?」
 背後から誰かが名前を呼ぶ声がして振り向くと私は驚く、そこには息をきらした小波君がいたのだ。
「ひどいよ、綿津見さん。燈室について聞きたい事があったのに、早退しちゃうなんて」
「どうしてここが分かったの?」
 私は数歩、小波君から離れる。
「それは君が入院した時、君の友達も入院してたからさ。もしかしたら君の秘密を知っているのかなって思って」
 小波君は息を整えると更に言葉を繋げる。
「それと綿津見さんさ、ちょっと勘違いしてないかな?僕は燈室の知り合いだけど、ハンターじゃないよ?」
「えっ?」
 小波君が苦笑しながら言う。だけど私はまだその言葉を信じられなかった。その根拠がないのだ。小波君が嘘を言っているのかもしれないのだ。
「まだ信じてないっていう顔だね?」
 私がコクリと頷く。
「それじゃあ、ちゃんと話し合おうよ。さっき君を追いかけていた時に洒落た喫茶店を見つけたんだ。そこでどう?二人っきりになれる場所は君にとって少し不安でしょ?そこならある程度お客がいるはずだから、いいね?」
 小波君が説明しおわると、私はその喫茶店に行く事にした。彼が本当の事を言っているのか根拠はない、だけど嘘を言っているのかの根拠もないのだ。
 私と小波君は洒落た喫茶店に行く事にした。

 私と小波君は北原総合病院の近くにある喫茶店『ロイヤルミシェル』という名前のお店に入った。私と小波君はお店のカウンターの隅に座る。そしてウェイトレスにコーヒーを二つ頼んだ。私は左隣に座っている小波君の方に振り向き、思っている事を質問した。
「小波君は恭二とどんな関係なの?そしてあなたは何者?」
 私が言うと小波君も私の方を振り向いく。
「綿津見さん、燈室の事を恭二って呼ぶんだ。結構仲が良かったんだね。僕は燈室とは一度しか会った事がないから、多分君よりも燈室の事を知らないよ」
 小波君はそう言うとニコリと笑った。
「さっきも言ったけど、僕はハンターじゃない。ハンターとは異なる存在のものさ」
「ハンターとは異なる存在?」
 私が首を傾げると、更に小波君は話を進めてくれた。
「君も知っていると思うけど、ハンターは人間離れした畏敬の存在を狩る者だね?」
「ええ、だから私にとってハンターは危険な存在。ハンターに殺されるか、捕まってどこかの研究所に売られてしまうかもしれない」
 私は今までの出来事を通して小波君に言う。
「うん、そうだね。でも僕は違う。人間に危害を加えようとする畏敬の存在から人間を守り、その危害を加えようとする畏敬の存在を更生させる『フィスト』っていう組織の一人さ」
「フィスト?」
 私は小波君の説明を聞いて疑問してしまう。いっぺんに言われてもよく分からないものだ。
「もう一つ付け足せば、君は恭二が死んだ時、何か変だなって思った事はなかった?」
 小波君にその事を言われ私は恭二が死んだ時、強く謎に思っていた事を話してみた。
「あったわ。恭二が死んだ時、メディアに情報が流れなかった。銃撃や恭二ともう一人のハンターの死人が出たのに、警察も何も動かなかった」
 小波君は頷くと言う。
「それはフィストが裏で動いていたからさ。表の世界に情報がもれない様にするのも仕事なのさ」
 つまり小波君は私や恵葉先輩の様な畏敬の存在を公に出さないようにする事と、危害を加える畏敬の存在から人を守るのが仕事みたい。
「小波君の言いたい事はだいたい分かったわ」
 私が言うと、丁度ウェイトレスがコーヒーを二つ持ってきた。小波君はコーヒーカップをつかむと、一口啜る。そしてまた話し始める。
「僕が燈室に初めて会ったのは六ヶ月前だった。僕はその時、ここからかなり離れた町に、狼人間が襲ったと思われる殺人事件の担当をしていたんだ」
 小波君はコーヒーカップをお皿に静かに置く。
「その犯人の行動パターンを分析して次に狙われる人物を特定し、次に襲われる人物を護衛していた。狼人間は一度狙った獲物は絶対に見逃さない。その特質を利用して、ある屋敷を借りて、襲われる人物を屋敷の奥の部屋に入れたんだ。屋敷の周りは様々なトラップ仕掛けたんだ」
 小波君はそこまで言って急に悲しそうな表情をした。何か悲惨な出来事があったのだろう。
「だけどね、そんな僕らを狼人間は嘲笑うかのように、ことごとく罠を攻略していき、屋敷内に進入してきた。しかも予想しなかった事態が起きたんだ。狼人間は一人ではなく三人で群れをなしていた。フィストの護衛は僕を入れて四人。明らかに不利だった。僕以外のメンバーは全て死に、護衛していた人物も死なせてしまった。僕はたった一人、三人の狼人間に囲まれ絶体絶命の状態に陥ったんだ。そんな時に助けてくれたのが、燈室だったってわけさ」
 小波君は再度コーヒーカップをつかむとコーヒーを一気に飲み干した。そして今度は私が小波君に恭二と私について全てを説明する事にした。お互いに戦い、そしてお互いを愛して、私を守ってくれた恭二の事を………。
 小波君は私の話を聞くとまたニコリと笑って言う。
「フィストはね、人間に危害を加える畏敬の存在を更生させるって言ったけど、正確には更生させようという努力だけなんだ。畏敬の存在は数的に少ないし、探すのも大変。それにハンターによって更に数が減る。更生させるにもハンターより早く、人間に危害を加える存在を見つけなくてはならない。しかもハンターの様な殺しのテクニックを持っていないから、更生させる為に捕まえ様とすれば、逆に殺されてしまう事もあるんだ。だからフィストはメディア関係の情報操作しかまともにできない状態なんだ」
 小波君はため息をつきながら言う。
「燈室はね、狼人間を殺した後。僕にこう言ったんだ。『お前らの様ななまぬるい方法じゃ、狼人間によって悲しむ人間が次々と出てくる。皆殺しにしないと駄目なんだぜ?』ってね。その後、燈室について色々と調べたんだ。そしたらあいつの家族って銀狼によって皆殺しにあっていた事がわかった。だけどね、僕は燈室のその台詞が受け止められなかった。自分を否定されているみたいで。そしてノコノコと、この町………ええとなんだっけ?」
「御門町(みかどちょう)です」
「そう、この御門町に来たんだ。僕は燈室に言ってやりたかったんだ、『君は復讐の為に動いているから、そんな事を言っているんじゃないか?』ってね、だけど最後に燈室が出会った綿津見さんの話を聞いて、余計なお節介だと思ったよ。あの復讐の為だけに生きていた燈室が死ぬ最後に銀狼である君を愛したんだから………」
 そう言うと小波君はカウンター席から立ち上がった。そしてカウンターテーブルにコーヒー二つの代金を置く。
「僕はこの街に来て、綿津見さんに会えてよかったよ」
 小波君は最後にその一言を残すと喫茶店を出て行ってしまった。
 私はその後姿をしばらく見送ると、既に冷めてしまったコーヒーを啜った。

 俺が吸血鬼になってからすでに二週間も経過していた。日を送るごとに自分の体の変化がわかってきた。俺は今、学校をサボり、喫茶店『ロイヤルミシェル』というところでコーヒーを啜っている。頭の中で兎綺の言った言葉を思い出していた。
『あなたさまご自身で、人間の血を吸うのです』
 いくら兎綺から三代目の父の血を受け継いだとしても俺は人間を吸血した経験はないのだ。今の俺は卵からかえった雛のようなものだ。だから俺は今、学校をサボって吸血をしたいと思う女性を探しているのだ。俺は絶対に兎綺の要望に答えてやりたいから………。
 ふと、コーヒーを啜っていると、出入り口のドアベルが鳴った。客が入ってきたのだ。見ると学生服を着た男子生徒と女子生徒だった。まだ学校は授業中のはずだろう、サボってデートでもしているのだろうか。少し羨ましく思うと同時に嫉妬心がでた。しかし女子生徒の方は美人だった。俺は彼女を見てピンときたものがあった。彼女を吸血しようと思ったのだ。
 学生二人はカウンター席に座る。俺はその二人の背中の方の窓際テーブルにいたため、女子生徒の方をよく見る事ができない。学生二人は会話を始めたがよく聞こえないので、会話の盗み聞きもできなかった。しばらくして様子を見ていると男子生徒が席を立ち上がり、喫茶店を後にした。どうやら見ている限りカップルではなさそうだった。
 女子生徒も少し経ってから立ち上がる。その動作にあわせて俺も喫茶店を出る準備をした。あの女子生徒の後をつけて住所を調べ、どんな人格なのかを確かめ、俺にとって吸血する相手に相応しいかを判断したら改めて、兎綺に報告する事にしよう。
 俺は女子生徒が喫茶店を出ると後をつけることにした。

 小波君が私と出会ってから、一週間が過ぎた。彼は普通に学校へ通っているのだ。疑問に思ったが、別に私に危害を加える様子はないので、私はほうっておく事にした。
 もうすぐ恵葉先輩は退院するらしい。私がさっき見舞いに入った時に恵葉先輩がそう言ったのだ。恵葉先輩にも小波君の事を話したが、私と同じ考えの様で、ほうっておく事にした方がいいと言った。
 私は今、北原総合病院から帰る途中だった。もうあたりはすっかり暗い。恵葉先輩は入院の退屈なのか私にたっぷりと愚痴話をこぼしていた。私は苦笑いをする事しかできなかったけど。
 私の家から北原総合病院は歩いて四十分くらいのところにある。道には心細い電灯がたっていた。少し不安だったが、だいぶ歩いて後は真っすぐに歩けば自宅に着くので、私は早足で歩く。
 だが、私が歩いていると一人の男の子と一人の女性が道を塞いでいた。私をそれ以上、進ませない様にしているのはあきらかだった。男の子は私と同じくらいの歳だろう。私と同じくらいの背丈だ。女性の方はメイド服をきていて、肌が白く黒髪のロングストレートだった。
「進めないんですけど、どいてくれませんか?」
 私は睨みつけながら言った。普段の私ならいきなりこんな事は言わない。だけど、ここ最近、誰かにつけられているような、見られているような感じがしていた。その同じ感じが男の方から感じ取れたのだ。
「別に君の進む道を妨害しているわけじゃないよ、君を待っていたのさ」
 男の子が言う。女性もこくりと頷いた。
「あいにくですが、私は忙しいんでお断ります」
 私が男の子の横を通り抜けようとした時、今度は私の目の前に女性が立ちはだかった。
「あなたは選ばれたのですよ。感謝をしてもらってもいいのではないでしょうか?」
 女性が今度は話しかけてきた。
 選ばれた?感謝?私には意味がさっぱり分からない。それに帰り道を妨害している二人に感謝などできるわけがない。
「いい加減にして下さい。私はあなた達と待ち合わせなどしていません。そこをどいて下さいっ!」
 私が無理やり目の前にいる女性から前に進もうとすると、男性におもいきり左腕を捕まれた。その瞬間、私はおもいきり吹っ飛ばされた。
「っ!!」
 コンクリートでできた地面に私はおもいきり転がり、全身に痛みが走った。小石などが背中に食い込んだりしてとても痛かった。
「抵抗されると厄介です。まず口を封じておきましょう」
 女性がそう言うと、男の子が頷く。それを見た女性はおもむろにガムテープを取り出した。どうやら私の口を塞ぐらしい。私を拉致しようとしているのはすぐにわかる。
 私が立ち上がろうとした時、女性が右手の拳を握り締め私の腹をおもいっきり殴った。
「うぐっ!!」
 私はまた地面に倒れ込んでしまう。
「あまり乱暴はしないでくれ兎綺。俺の大切な生贄なんだから」
「はい、分かっています。これ以上の事はしません」
 女性は男の子の方を振り向くとニコリと笑い。また私を見下す様に視線を戻した。その緩んだ口元からは二つの牙がギラついていた。
(まさかして、この人達は吸血鬼………?)
 私がそう思った瞬間―
「っ!?」
 女性が驚く様にして男の子の方まで後退した。一瞬だが地面に倒れていた私の真上を何かが通ったのだ。
「何者だ貴様?」
 女性の隣にいた男の子が私の方に向かって言うと。いつの間にか私の目の前に違う男の子が立っていた。
「女の子に乱暴しようとするなんて男として恥ずかしくないかな?」
 私はおもわず驚いてしまう。なんと目の前にいた男の子は小波君だったのだ。
 小波君は両方に刃渡り二十センチくらいある刃がついた大薙刀を片手で持っていた。片方の刃は短刀のようになり、もう片方の刃は鋭く尖っていた。
「綿津美さんを、お前達みたいな吸血鬼の生贄になんてさせないっ!!」
 小波君は二人を真っすぐ睨みつけると、はっきり言い放った。

 私は小波君の後ろで守られながら、立ち上がると二人を睨みつけた。二人は小波君の大薙刀によってこちらには向かってこない。攻撃範囲の高い薙刀によってなかなか近づく事ができないのだ。小波君が冷静な口調で二人に言う。
「場所を変えないかな?こんなところで騒動をたてたら、まずいんじゃない?」
 小波君の言葉に男の子は何か言おうとしたが、隣にいる女性がそれを制した。
「その女性はものわかりがよさそうだね。ここを少し歩いたところに廃棄工場があるんだ。そこなら人気がないから一悶着を起こしても大丈夫だ」
「罠でも仕掛けているんじゃないだろうなぁ?」
 男の子が言うが小波君はクスリと笑う。
「安心してよ、僕は君達に有利なフィールドを提供しているんだから」
 そう言うと小波君は二人に背を向けて、私の方へ振り向くと歩くように合図した。
 歩き出した小波君の後ろについて歩くと、私の七メートルくらい距離を置いて二人がついてきた。今なら襲うこともできるのだろうが、そのような事はしなかった。
 私は小波君の隣まで寄ると、疑問していた事を話した。
「どうしてあの人達が吸血鬼だって分かったの?」
 小波君は私の方に振り向くと質問に答えてくれた。
「僕はあの人達が吸血鬼だって事は知らなかったよ」
「えっ?」
「僕はね、人の視線や気に敏感な体なだけなんだ。君と一週間前に喫茶店『ロイヤルミシェル』で話をしてた時に視線を感じたんだ。その視線が君に向けられている事もわかってね。何か違和感を感じたんだ」
「違和感?」
「そう、人間ではない様な違和感にね。それに君と喫茶店にいた時、あの男の子がいたんだ。なんとなく不安になってね、君の周りを調べてたら今の現状にいたったって事」
「つまり小波君は私の事つけてたの?」
 私が言うと小波君は苦笑する。
「心配だったからさ。ちょっと気になったんだ」
 まぁ一様、小波君は心配してつけていたので、あまり咎めなかった。そうこうしているうちに廃棄工場にたどりつく。私はその工場を見て少し驚いた。
「燈室が君を守るために戦った場所だね」
 小波君はポツリとそう言った。

 廃棄工場の中に入ると小波君は真ん中で立ち止まり、私を自分から離れるようにうるがした。
「戦う前に言っておこう、僕の名前は小波啓介。君達の名前は?」
 小波君が二人の方へ大薙刀を向けると問う。
「俺の名前は須賀蔵優馬(すがくらゆうま)だ。隣のメイドは兎綺って言う」
 須賀蔵優馬がそう言うと、兎綺が軽くお辞儀をした。小波君はその言葉を聞くと両方に刃がついた大薙刀を構えた。
 小波君と二人の間は約七メートルくらいだ。私も小波君に加勢をしたいところだけど、今日は満月ではない。銀狼に変身する事ができない今の私では足手まといだろう。しかし不安なのだ。二人は吸血鬼で小波君は人間。いくら大薙刀という武器を持っていても二人を相手に戦う事ができるのだろうか。
「綿津見さん。不安そうな視線を送ってるけど心配しないでよ」
 私の視線に気がついた小波君が振り向かずに言う。
「僕だってフィストっていう組織の一人さ。ある程度、自分を鍛えてるから。それに………」
「それに?」
 小波君の言葉に私が聞き返す。
「燈室が命まで懸けて愛した君を、僕のせいで死なすわけにはいかないからねっ!!」
 そう言うと小波君は勢いよく二人に向かって走り出した。
「はっ!!」
 小波君の気合の入った掛け声とともに大薙刀が横一閃に振られた。だが横一閃に振られた大薙刀は空を切る。二人が後ろへ跳躍し避けたのだ。やはり人間離れをしたスピードだ。小波君にとって吸血鬼二人を相手にするのは厳しすぎる。
 私は小波君が心配で助け様と歩み寄ろうとするが………。
「来るなっ!!」
 小波君の怒鳴る言葉に歩みを止める。
「僕は絶対に君を守るっ!!アイツらに指一本触れさせたりしないっ!!」
 小波君から離れていた二人が今度は勢いよく近づいてくる。そして二手に分かれると、小波君を挟み込むようにしながら同時に拳を繰り出してきた。その素早い行動に小波君は後ろへ移動するとなんとか攻撃を避ける。そして再び横一線に大薙刀を振った。しかし又二人は地面を力づよく蹴り上げると、その攻撃を避けるように後ろへ跳躍した。しかし小波君はその動きを見逃さなかった。兎綺の方に大薙刀の鋭く尖った方の刃を向けると、爆発音とともに片方の刃が兎綺にめがけて発射された。その刃の尻の部分には鎖がついており、ジャラジャラと激しい音をたてる。
「ぐっ!?」
「兎綺っ!!」
 後ろへ跳躍していた兎綺の腹に刃が食い込み、更に発射された刃の勢いで吹っ飛ぶが、鎖がある程度伸びると止まり、兎綺の血を空中に舞いらせながら鎖は引き戻された。
 優馬は吹っ飛び倒れこんだ兎綺を心配して隣に座り込む。
「大丈夫です………」
 メイド服の腹部を血に染めている兎綺が状態を起こそうとすると、優馬がそれを手で制す。そして小波君を鋭く睨みつけた。
「いや、無理しないでくれ。アイツは俺がぶっ殺してやるっ!!」
 優馬の眼は小波君を捉えていた。その命を奪おうとする獣の様に。
「どうして兎綺さんを狙ったか分かるかい?」
 小波君が大薙刀を構えなおすと、優馬ににじり寄る。
「お前が未熟だからだよ」
「くっ!!」
 その言葉に逆上した優馬が小波君に真正面から突撃してくる。その動きに合わせて小波君が鋭く尖った刃の方で突きを繰り出した。しかし優馬が残像を残す程の動きをすると上手く横に避け、鋭く尖った爪を小波君に向ける。
「ちっ!!」
 舌打ちをしながら小波君が後ろへ移動するが直撃からは逃れる事ができず、左肩をひき裂かれ血を吹き出した。小波君は右足で優馬の腹を蹴ると、ひとまず距離をおいた。
「俺を舐めるなよ」
 優馬がそう言うと、小波君の左肩を切裂いた右腕に付着した血を舐めた。
「少し油断したかな。逆に隙をつくらせる為に言った言葉が相手を強くさせてしまった………」
 小波君は右腕で大薙刀を地面に突き刺し体を支える。切裂かれた左肩からは血が溢れ出し、腕を通り指先から血をポタポタと流していた。
「兎綺を傷つけた事を後悔させてやるよ」
 優馬は小波君から間をとるとにじり寄る。小波君は右腕だけで大薙刀を構える。しかし片腕だけでは両腕を使っている状態の様に素早い攻撃を繰り出す事ができない。
「次で貴様の首を跳ね飛ばしてやる」
 優馬が地面を蹴り上げると、勢いよく小波君に突撃してくる。片腕しか動かす事のできない今の小波君にとって、素早いスピードの攻撃を出すのは突きでしかない。だがその突きでさえ片腕では大薙刀の重さで両腕の時よりもスピードを出す事ができない。私は思わず眼を閉じてしまう。
 ―だが―
「ぐっ!!」
 優馬の声が工場内に響き渡ったのだ。私がおそるおそる目を開けてみると、小波君が体制を低くした状態で、短刀のようなもので優馬の腹を突き刺していた。小波君の足元には片方の刃がなくなった大薙刀が転がっている。
「僕の大薙刀は面白いからくりがあってね、片方の刃は鎖をつけて飛ばす事ができて、もう片方は取り外して短刀として使う事ができるんだよ」
 小波君が言うと、血を口から吐きながら立ったまま静止している優馬が言う。
「俺は貴様よりスピードが速かったはずだぞ………?」
「いや、君は二つの安堵から油断したのさ。僕の左肩の怪我とスピードが劣っている突きなら避けられるという安堵にね。確かに大薙刀だと片腕ではスピードが両腕に比べて劣る。だが短刀にすれば重量も軽くなるし、片腕だけで十分、両腕で薙刀を突いたくらいのスピードを出す事ができるのさ」
 小波君は説明を終えると、勢いよく優馬を蹴り飛ばした。そして短刀を大薙刀に再度取り付けると、今度は大薙刀が二つに折りたたまれた。そして私に工場を出ようと眼で訴える。
「とどめをささないのか………?」
 確かにまだ二人とも生きている。吸血鬼ならこれくらいの怪我など致命傷にはまだ至らない。小波君が優馬の質問に答える。
「僕はハンターじゃない。君達を殺す理由はない。捕まえて公正させてやりたいが、今の手負いの僕じゃ、君ら二人をフィストの本部に連行する事はできないだろう。だから………」
 小波君はそこまで言うと、二人を鋭く睨みつけた。
「今度また会った時、君達が再び人間に危害を加えようとするならば、僕はいつでも相手になってやるっ!!」
 その言葉を残して小波君と私は工場内を後にした。

 私が吸血鬼と遭遇してから一週間が経つ。あれ以来、あの二人には遭遇していない。そして小波君も普段の様に学校生活を送っている。彼曰く、まだ高校を卒業してないから今が丁度いい機会らしい。恵葉先輩も無事に退院をした。だけど吸血鬼は死んだわけじゃない。再び優馬と兎綺に会った時、今度こそ決着をつけなければいけないのかもしれない。その時は私も小波君の力になってあげたい。銀狼として…………。

                 つづく