Wrong Wonder Would 第1章
作:沖田演義




 
誕生 腐敗

     修復 崩壊

          再生 迷走

……何の為に?


この、見当違いで、不思議な世界は


……誰の為に?

            ◆              ◆

 その小石は目覚めないわけにはいかなかった。
 この裏通りに、少年の足音は少々響き過ぎていたからだ。
 灰色の壁に挟まれたその道は、わずかな月光さえも受け入れるつもりはないらしい。
 そんな闇の向こうから慣れた様子で歩いてくる少年を、酒場の入り口に転がった小石は眺めた。
 変な子供だと小石は思う。なにが変かと言われると彼――もしくは彼女かもしれないが――はうまく答えることができない。そこでまずは外見を挙げてみる。そうやってこの何千年もの時を彼は過ごしてきたのだ。
 小石は外見の分析をまずは全体、次は下からいくことにしている。特に理由はない、彼のような意思を持ってしまった物質は全て、世界を『感じる』ことができる。すでに視点の問題などとは無縁なのだ。ただ、思考はヒトの言語だから、それを『見る』と比喩したりもするが。
 小石はもう一度少年を見据えた。そんなに身長は高くない、八クリスタルちょっと(一クリスタル=二十センチ)くらいか。目を引いたのは頭髪の色、肩までは届かない程度の銀髪だ。銀髪自体はそう珍しいものではないのだが、この闇の中にあって一層映える色は、そうそうお目にかかれるものではない。しかしその銀色は妙なところで途切れている。彼がもう少し目を凝らしてみるとその少年はまるで背景に溶け込むかのような、真っ黒でつばの長いとんがり帽子を被っていることが分かった。
 小石は満足して次に行く。履いているのは木靴、これはつま先が二回巻かれている。足から胴にかけてはサイズの大きそうな青色のスラックスと、同色でポケットがたくさんついたジャケットを、前を止めずに羽織っている。ちなみに下も青色のTシャツ。
 ここまででも特に目を引くような部分はない。と言うより、はっきり言って地味だ。
 ジャケット等の下に半袖ものを着るのは、半日に一度四季が変わるこの地方では常識とも言える。 
 両肩には少年のあまり厚くない胸板の、ゆうに三倍はあろう土色のリュックが寄生するように背負われている。これは少しおもしろかった。しかし先程感じた違和感はこれではない。
 少年はもう目の前まで迫っていた。酒場の明かりに顔が照らされ、答えは見つかる。
 小石は思わず息を呑んだ――無論、これも比喩だ――。双眸と左耳のイヤリングは、黄色(おうしょく)のトパーズの如く輝き、バランスのいい鼻梁の配置と、やや皮肉げな目つきがそれを引き立てる。それよりなにより、口元の微笑が曲者だと、彼に口があったならそう叫んだろう。
 絶対の自信を身に纏っている。若干違うような気がするが、小石はそう表現した。
 これ以外には適切な言葉が見当たらない。あるにはあるが、これはどうも使い古されていて彼は使う気になれなかった。
『不思議な雰囲気』などとは。
 少年は「楽園」と名付けられた半球型の酒場に入ろうとして、立ち止まった。ちょうど小石のいる場所だ。
 小石は考える。もし、この少年が自分の言葉を聞けるならば、なんと言うだろう。挨拶でもするだろうか、それとも世間話でもするだろうか。いや、きっとこう尋ねるに違いない。
『今……幸せですか?』と。
 陳腐なものだが、この少年には敢えて聞いてみたい。この少年は、自分達に近いような気がするのだ。もしこの少年がそうならば、自分達も――
「……うむ、今のところはな」
 そう言って少年が押し開けたドア……少年のしているイヤリングと同じダビデ型の入り口を、少年が消えた後二十ピノン(一ピノン=一分)だけ、小石は呆然と見続けた。


「アァールゥゥーファァァ!」
 酒場「楽園」に入るなり、α(アルファ)と呼ばれた少年は目を見開いた。まるで赤い風船のような顔をした女性……かどうかもわからないものが、怒鳴り付けてきたからである。
 酒場の中は建物の外観から見られる丸い印象とは違い、角張ったものが多かった。壁、天井、床、全てにきっちりと木板が張り詰められ、角も直角だ。ただ照明代わりにクシボタルという三匹の巨大な羽虫が、臀部から光を放って串刺しにされている。いや、実際串刺しにされているのではなく、そういうデザインなのだ。
 知能が一定以上であれば『ヒト』、本能でしか動けないものを『クリーチャー』、それ以外が『アザーズ』、生物はこの三種に大別されている。クシボタルはクリーチャーだ。
「ばんわじゃマスター。やけに暖かいが今は春かのう? それと照明が変わっているような気がするが?」
「……ああ、どうも前のヒカリ生首は光力が弱くてな。ギャアギャアやかましいし」
 αは楽に女性を流し、褐色のブレザーを着た赤髪オールバックの大男と話し始める。
「うっきゃー! いつもながら腹が立つわ!アルファ、あなたまたタロスのネジを抜いたでしょ! また止まってるじゃないの!」
 彼女はベルセリウスという名の人間、確か歳は二十ぐらいではなかったかとαは記憶していた。まるで男のような名前だが女。ウェーブのかかった金髪は絹よりも上質、常に着ている白衣も色気はないが、まぁ、似合っている。実際、容姿が町でも有数なのは周知の事実だ。しかし完全な酒狂いで、今日も目の下には隈ができ、目も死んだ魚のよう。肌も荒れてしまっている。
「相変わらずおるのはこやつらだけか?」
「ああ、おかげさまでな」
「ああ! また無視したわね! いい? タロスがスクラップになってあなたの貧乏生活に貢献してもいい、そのまま店のアンティークにしてもいい、そんなことは知ったこっちゃないわ! だけど昨日私が頼んでおいた酒樽運びが、まだ出来てないじゃないの! これだけは困るのよ! おかげで今日はお酒の量が半分よ、酒神(さかがみ)様になんて言えばいいの!」
「酒神?」
 ようやく聞き返してやるとベルセリウスは急に瞳を輝かせる。
「あ、聞きたい?」
「いや、全然」
 ベルセリウスはがっくりと肩を落とすが、話題がずらされている気付き、またわめき散らす。
「わかったわかった、やかましいのぅ」
 そう言うとαはとんがり帽子をカウンターに置いて、店の角でピクリとも動かない大きな物体に近づいた。
「タロス、起きておるか?」
 タロスと呼ばれたその物体は、一言で言えば筋肉隆々の巨大なブリキ人形だった
 生物とはなにもタンパク質で体が構成されていなければならないわけではない。
 世界にはある日持っていた懐中時計が生物化、時刻を見ようとして時計を開けた主人を丸ごとパックリ、という事件も何件か存在する。かように、物質が突然意思を持ち初め、生物と言われるのは珍しいことではない。
 彼、タロスのボディも「肉」のデザインはあるものの、素材は全てミスリルという自由金属で出来ている。灰色のかかったその体は、足に比べ腕がやたらでかく、バランスが悪い。頭髪は一本もなく、代わりに体中の至る所に傷跡がある(実際についたわけではない、これもデザインだ)。それ以外はまぁ、気の良さそうなおっちゃんといった感じだ。
 何の反応もないタロスにαは嘆息して、リュックを床に降ろす。その中に腕を突っ込んでしばらく、彼は巨大な一本の巻きネジをつかみ出した。
 意外な力強さでタロスをうつ伏せに寝かすと、αはタロスの背中のネジ穴に巻きネジを突っ込み、三回巻いてからその場から離れる。
 タロスの瞳が緑色に光り輝く、なんの予備動作もないまま、突如彼は腕だけの無理な体勢でαを殴りつけた!
 殴られる一瞬前に、αはカウンターからとんがり帽子を引っ手繰り、盾のように構えた。
「アンブレラ!」
 岩のような一撃と、獣のような少年の間に滑り込んだそれは、タロスの拳を受けて鈍い金属音を立てた。そのすぐ後、店の壁に叩きつけられたのはα。
《気まぐれ雨に黒い傘(アンブレラ)》、普段はαの装飾品に過ぎない。しかしアイテム士たる彼の作品であるそれは、術者の意思に反応して自由金属ミスリルを硬質化、同時に形すら自由に変化させる。
 薄地であろうとミスリルであれば大砲でも防ぐ、しかし今回は相手が悪かった。タロスの拳もミスリル製なのだ。
 ダメージはほとんど受け流したが重量が足りないため、投げ飛ばされてしまったという形だ。
「お、は、よ、う、アルゥ……」
 立ち上がったそれはマスターよりも大きく、クシボタルの光を遮ってαに黒い影を落とした。
「……ああ、はようじゃ、タロス。元気か?」
 呼吸がつまりながらも皮肉な微笑は崩さない、とんがり帽子を被りなおし、その場にあぐらで座る。
「ああ、おかげさまで昨日の晩から丸一日そこの隅で丸くなってたからな、睡眠時間二十四ピノラス(一ピノラス=一時間)。ばっちりだぜぇ? しかも昨晩は夏で、思いっきりジーパン一枚だったオレ様は、ありがたく凍えさせてもらったぞ」
「む? 今は春じゃぞ?」
「昼間は冬だったろうがぁ!」
「知っておる」
「てめぇ……」
 ちなみに……ベルセリウスはもうこのことには興味を失ったのか、マスターに愚痴りながら飲んだくれている。マスターも気にした様子はない。
「しかしジーパンとは」
「てめぇだって似たようなものだろうがぁ!」
 通常、ジーパンだの、ジャケットだのを着ている者はそうはいない。四季の変化に対応し、常に温度を一定にする試みが衣服にもなされたからだ。そうすると衣服自体の素材がこれらのようなものでは間に合わなくなり、ミスリルよりもはるかに安値の軟化金属ガーダエパールで構成され、微妙な空きが必要になったりする。しかし転んでもただでは起きないのがヒトというもの、その空きの部分に衣服のデザイナー達はそれぞれの感性で手を加えていく。結果、肩の部分が星型だったり、しっぽのデザインがあったりするのだ。
 家の建築も同様で、硬化金属タトーサが使われる。
「って問題はそこじゃねぇ! アルよぉ、昨日の深夜……最後に何話してたか覚えてるか?」
「いや、全く」
「そうだろうよ、そんなやつだよおまえは。マジで覚えてねぇんだろうな、きっと。じゃあ教えてやるよ、これは同時にてめぇがオレ様のネジを抜いた動機だ……耳かっぽじって聞きやがれぇ……」
 そう言うやいなや、タロスは大きく腕を振り上げて突進してくる。
「金、返せやあぁぁ!」
「おお、そうじゃった」
 拳を作って手の平を打つ仕草のαを、タロスはそのスピード故の、不鮮明な視界で捉えた。
(ぃよし、完璧! 取り立て完了ぉぉ……お?)
 急にタロスの視界は閉ざされ、元αのいた場所に頭から突っ込んだ。
 跳躍していたαはタロスの上にあぐらのまま落下し、手の中で巻きネジを転がす。
「だぁっはっはっはぁ! 貴様如きに遅れを取るこのアルファ様じゃと思うたか、この大うつけが! だらだらと話し込んでおるうちに、シスタで巻きネジを取られたのに気付かんとはな! 取ってもしばらく動いていた時は多少怖かったがな!」
《決してちぎれぬ姉の遺志(シスタ)》はアンブレラと同じくアイテムで、普段はαの左耳についたイヤリングである。主に相手の隙をついて使うものだ。ダビデの角からそれぞれ一本ずつ、計六本のミスリル製の鋼線が現われ、彼の意のままに操ることが出来る。
「ねぇ、アルファがいつ頃タロスに殺(と)られちゃうか賭けない?」
 琥珀色のグラスを赤い頬に当てながら、ベルセリウスがマスターに話し掛ける。
「……一週間以内だな」
「乗った。私は一週間より後ね、頑張って、アルファ」
 話を振られたαは、拳を作って行動不能のタロスを殴りつけた。
「ぃやかましい! ……さて、わしはちと夜風に当たってくる、しばらくしたらこれを巻いてやれ」
 そう言って巻きネジをカウンターに置き、リュックを背負ってドアノブに手をかける。
「……逃げたわね」
 そう呟いたベルセリウスの後頭部に、αの投げた小石が命中した。
 ベルセリウスの嘆きと、なだめるマスターの溜息を背に浴びながら、αは夜の町に歩を進めた。
 αが出て行って少しすると、人間の女性が入ってくる。
「……珍しいな、何にする?」
 意外そうな顔でマスターが尋ねた女性は、長い銀髪を後ろでくくり、大人と子供のいいところだけを残した笑顔で一礼した。
「私の名前はシィアと申します。本日はお酒を飲みに来たわけではなく、あなた方……『エデン』への依頼で参らせていただきました」


 夜風は気持ちよかったが、帽子を抑えるのが面倒だった。
 特に理由があって外に出たわけではない。ただの散歩、加えれば彼は散歩するのが好きな少年だった。
 裏通りから大通りへ出る。
「さぁさぁさぁさぁさぁさぁ! お買い得! なんと新製品『ヒカリクシ生首』が三十マニ! ここで買わなきゃ七代悔いが残りますよぉ! さぁさぁさぁ……」
 水晶通りに限らず、この街は眠ることを知らない。
 αが通りかかった店の前では、箱に詰められたヒカリクシ生首が山積みにされている。それぞれの箱からギィィィ……だの、ヒィィィだの、ヒカリ生首特有の奇声がステレオで響いてくる。
 ヒカリ生首――禿げた頭部から光を発するクリーチャー――は一般家庭で照明として普及しているが、最近ではクシボタルにおされ気味である。そこで各販売店ではヒカリ生首を三つ繋げて新商品として売り出すという、なんとも苦しい商法を取っているのだ。
 そういうわけで必死な店員はその腹部にあるメガホンから声を出し、無い口でなんとか笑顔を振りまいていた。
「あぁ! アルファじゃん、これどう? これ! お願いだから買ってくれぇぇ!」
「やかましい! 誰が買うんじゃこんなもの! 光量が三倍なのはいいがこれでは騒音も三倍ではないか。もはや我慢できる域を越えておるわ、ドアホめが!」
 ジャケットの裾を引っ張られながら、αは怒鳴った。それでも店員は諦めない。
「そんなこと言わずにさぁ! たった三十マニだよ? ミスリル十グロン買うのを我慢すればいいんだようぅ」
「三十マニじゃと! それはわしの一か月分の食費ではないか!」
 αと店員の言い争いはしばらく続き、αの蹴りで店員が気絶するという結末を迎えた。
 αは気を取り直し、再び歩き出す。
「おのれ……、何故にわしが街を歩く時に限って、訳の分からんアホばかりが溢れておるのじゃ……」
 歩き出してから三十ピノンが経過した頃、一人で愚痴る彼の目の前を、数人のヒトが取り囲んだ。
 一人は肌が緑で右手が斧になっており、一人は背中から木が生え、身長がαの半分程度の者もいる。
 αは深い溜息をついた。
「……で? なんの用じゃアホども」
「んだと! 今日こそはてめえをボコボコにしてやるからなぁ!」
 彼らとαの戦闘時間はきっちり一ピノン。結果は二百勝零敗零引き分けという記録を……αが作った。
 彼はまた歩き出す。
「おう、アルファじゃねぇか」
 αが水晶通りを抜けようとすると、中年の人間が彼に話し掛けた。が、歩みを止める様子は無い。
「スィンクフか。何か用かの?」
「……おい。どこ行こうとしてる、そっから向こうは狼牙だぜ?」
「知っておるとも」
 この辺りは街灯が少なく、αの表情はよく見えない。
「……ちょっと思い上がってんじゃねぇのか? 狼牙に入って無事で帰れるとでも?」
「大げさな、なにも刺星に入るわけではなし」
 この街……『グレイヴぺブル』の中で、一般人が決して立ち入ってはならない場所は二つ。狼牙ストリートと刺星街だ。
 狼牙ストリートに関しては、大都市であればどこにでも存在するスラム街で大方の説明は付くだろう。狼牙ストリート程度であれば、なにかしらジョブを持っている者が入るなら、かすり傷くらいで済む。
 だが刺星街に入るならばそれは地獄へ入ると考えて全く問題ない。地獄に入った人間はすでに死んでいるのだから、生き残ろうなど冗談にしか聞こえない。例えジョブ持ちでもだ。
 なぜなら狼牙ストリートにはジョブ持ちはいないが、刺星街にはその凶暴性と戦闘能力からヒトとすら認められなかったアザーズ、またはそのアザーズ達から身を守れるほど戦闘力を持ったものしかいない。
 もっとも、一般的にジョブ持ちは高級な仕事に就くことが容易なので、この二つの街には住まないが。
 スィンクフと呼ばれた中年の男は太い腹を抱えるようにしてαに近づき、αの胸に人差し指を押しつけて説教するように言った。
「以前、おまえらの仕事であそこの連中に盗まれた指輪だかなんだかを、狼牙に入って取り返してくれってのがあったろう?」
 αは首を振る。
「あったんだよ! そん時のおまえらときたら妨害した奴は全員病院送り、進むのに邪魔な建物は全部破壊して直進するわ、むちゃくちゃやったろうが! きっと怒り狂ってるぞあいつら」
「あー……なんかあったかも知れぬなぁ、そういうの」
「だからあったんだって! っておい、思い出したんなら止まれやぁぁぁ!」
 とんがり帽子を被り直しながらαは進み続け、遂に男の声の届かない場所まで狼牙ストリートに入ってしまった。


 進めば進むほど、目を凝らせば凝らすほど、辺りは闇に包まれてゆく。
 ここに街灯は無い。水晶通りから漏れるかすかな光だけが、灰色で四角い建物に囲まれた一本道を照らす。
 聞こえるのは自らの乾いた足音と、路地から死臭とともに伝わるうめき声だけだった。
 ……いつも通りだ。
「はて、何故に誰も襲ってこんのか……?」
 スィンクフの話を聞いて一応警戒だけはしておいたαだが、襲われる気配がないので少々拍子抜けした。
 しかしこれは異常でもある。例えαで無かったとしても、侵入者があればとりあえず襲うのがここ、狼牙ストリートの決まりなのだから。
 人の気配はあるのだ。それもかなりの数。これだけ全てを一度に相手をするのは難しい、αは緩んだ緊張感をもう一度張りなおし、その場に立ち止まる。
 すると、今まで足音にかき消されていた微妙な音まで聞こえてくる。それはヒトの声のようでもあった。
「なんじゃ……?」
 彼は耳を澄ました。
「……あれが……」
「……エデンの……」
「ああ、あの……。銀髪に見えて実は白髪だっていう……」
「……主食はヒトの内臓……」
「食うかぁぁぁ!」
 αの怒鳴り声に路地にいた狼牙ストリートの住民は四散した。
「おのれ……、噂が飛躍しおったな。それにしてもあの程度で怯えるとは、なんとも情けない奴らじゃ……」
 彼はさらに歩を進め、やや広い場所に出た。
ここには辛うじて一匹のクシボタルがあり、その中心には彼の身長と同じくらいの天使像が置いてある。
 その天使には首が無く、左手に蛇を掴み、右手の剣をその蛇に押しつけていた。
 台のプレートにはこうある。


 聖アイラの名の下に
  首無し天使よ蛇を狩れ
   首無し天使の名の下に
    我らは次なる蛇を獲る


 この街の特質の一つとして、宗教がある。
 世界に宗教は無数に存在するが、その中でもかなり大きいもので聖母アイラ教と世界蛇デュノ教というものがある。
 この街は、この二つの宗教の聖地なのだ。
 主に刺星街と狼牙ストリートがアイラを、その他がデュノを信仰していることが多い。首無し天使とは、祈ることに徹し武力を持たないとされるアイラの近衛兵、蛇とは言うまでもなく世界蛇デュノ。アイラは刺星街のどこかに、デュノは神殿街に、それぞれ大神殿を構えている。お互いに一神教、しかも聖地が重なっているということで、気が遠くなるほど長期間激しい争いを続けている。
 αは首無し天使の像に手を当てた。
「……久しぶりじゃな……」
(……ふふっ、本当に久しぶりだな……)
 彼が声を掛けると、返答は頭の中に帰ってきた。声は女のもののようだった。
「別に用があるわけではないが、通ったのでな……」
 先述したが、αはアイテム士である。この「物質と会話できる」という特殊能力を、士格発行機関(ジョブズオーガン)がアイテム士にふさわしいとしたため、そうなった。
(なんだ、私に会いに来ると言うのは目的にならんのか?)
 像がからかうように言う。
「ふん、よく言うわい。……まぁ、強いて言うなら情報収集じゃな。なにか面白いことはないかのぅ?」
 彼は声をひそめ、像に向かい合うようにあぐらをかいた。
(ふむ、この辺りでは特に変わったことはないがな。おまえに関して一つ)
「わしに?」
 怪訝そうな顔でαが像を見上げる。意味はないが。
(最近、人間の老人が一人でここらをうろついている。今までは運良く生きているが、そんなに幸運は続かないだろう)
「珍しくも無い、それでわしに関係あるとは?」
(うむ、その老人がある日私の前を通りかかり、一言呟いた)
 少し間を置いて、像は続けた。
(アルファさんはどこにいるんだろう、と)
「アホか」
 αはあきれ声で即答した。
「嘘をつくならもう少し笑えるものにせよ。わしが見つけたいのなら楽園にくればよい、それにわしを探すということはどうせ依頼じゃ、だったらわしに限定せずエデンはどこだと言うはずじゃろう?」
(しかし、真実だ)
「……まぁ、よいか。一応付き合ってやろう、その老人の特徴は?」
(痩せ型で背は高くない、標準の服装ではなくおまえらのような時代遅れの服装だった。貧しいのだろう)
「時代遅れとは失敬な! わしのはちゃんとポリシーを持って……」
(まぁ、どうでもいい。続けるとその老人、頭髪は)
「……頭髪は白髪で人の良さそうな顔、なぜかいつも布袋を抱えている……かのぅ?」
 突然のαの答えに、像は珍しく驚いたようだった。
(……どうして知っている?)
「なぜならば、前方から当人が歩いて来ておるから。接続を切るぞ」
 αの前方……つまり像の後方から、人影が近づいてくる。
「……アルファさん?」
「そうじゃが?」
 αは質問を質問で返した。
「失礼しました、わたしの名前はルークと言いまして、見ての通りしょぼくれた爺にございます」
 αは油断無く老人……ルークを見据えた。
「…………」
 隙だらけ、武器は所持していない。どこにでもいる……いや、どこにもいないほど普通の老人だ。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それでなんの用じゃ?」
 ルークは一度深呼吸のようなものをして、それから喋り始める。
「……依頼です」
「それはエデンに対してか?」
 αはすぐさま問い掛ける。
「いいえ……」
(じゃろうな)
 予想はしていた、だが自分でなければならない理由がわからない。
「なぜわしに?」
「……あなたでないと、きっと依頼を受けてもらえないからです」
「つまり……文無しか」
 αは嘆息して続ける。
「あののぅ、わしは別に慈善活動をしておるわけではないのじゃぞ。確かに過去何度か文無しの依頼を受けておるが、それとて盗み出した物の一部をよこすという条件じゃ。無報酬ではない」
 エデンというのは細かく言えばマスターや、その情報網なども入るが、一般的にα、ベルセリウス、タロスの三人のことであり、酒場「楽園」を受付としている。
 三人という小規模な「なんでも屋」だが、三人の意見が一致しさえすればどんな非合法な仕事でもこなし、その成功率は今まで百%。
 しかし、その分依頼料は高かった。
「では、わたしの持っている物で、一番大切なものを差し上げます。それではいかがです?」
 表情も、声の抑揚にも変化は無い。それがαにその「もの」とは何かを悟らせなかった。
 αは少し思案した。
「……ふん、よかろう。どうせ暇じゃしな。刺星街がらみ以外ならなんでも受け持とう」
 そうαが言うと、ルークは初めて表情を崩した。人の良さそうな顔を一層ほころばせ、頬に一筋流すものもあった。
「この子を……安全な場所へ返してやって欲しいんです……」
 破顔した老人は袋から一匹のクリーチャーを、我が子を慈しむような手つきで取り出した。
 そのクリーチャーはこぶし二つ程度の毛玉のようだった。よくみれば白くやわらかな球体から短い手足と、それとは対照的に長い尻尾を生やし、大きな黒瞳はαですら愛らしいと思わざるを得なかった。
「子供の……パンドラットです。この子は、可愛そうな子なんです。どうか、どうか幸せにしてあげてください……!」
 わしはただ保護して輸送するだけじゃぞ、と彼が言おうとすると、ルークはパンドラットを手渡し、背を向けた。
「では、これから報酬を差し上げます。すみませんが少しここで待っていて下さい」
 ここでαはようやくルークの言う「一番大切なもの」がなんなのかを悟った。思えば当然のことだった、彼は狼牙ストリートの住民なのだ。
 だがαに動く気配は無い。
「わたしはね、昔……といってもたかだか二年前ですが、あなたに息子の命を救われたんです。何も知らない三歳の息子は、家を出て狼牙ストリートを歩き回りました。外の世界が見たかったんでしょう」
 徐々に遠ざかるルークは、路地を目指しているようだった。
「息子は、あたりまえのようにここの住民に拉致されました。ちなみにわたしはその時、水晶通りで物乞いをしていました。そして当時十三歳のあなたが現われた……ふふっ、よく調べたでしょう? あなたはその場で十人からヒトを殺した」
 もう半分闇にさらされ、その老人は出会ったときよりも小さく見えた。
「息子は助かり、ここの住民が大勢死んだ。その息子もこないだ住民達の報復にあって死にましたが……、それでもわたしは喜べたんです。助かったときの息子の顔も忘れられません。そのお礼が言いたかったんです、始めは。でも……三日前にその子が現われて、結局ご迷惑をおかけしてしまいます、すいません」
 老人は見えなくなり、αもきびすを返して同じように闇に消えた。
 そのあと少しして、大きくも無く小さくも無い、絶叫が辺りを包んだ。
(……くだらぬ事だ)
 像は思う。
(あの老人の生命にいかほどの価値があると言うのか……。親が無くとも、誰からも望まれずとも、生物は勝手に生まれてくる。こんな世界において、たった一つの命がどれほどのものか)
 意味のない独白は続く。彼女――勿論、彼かもしれない――もある日突然生まれた。足はあれども踏み出せず、腕はあれどもふさがっている。頭は無いはずなのに思考だけは存在し、正直始めは気が狂いそうだった。
 しかし、慣れてしまった。
(……いや、だからこそ『思い』は価値を持つのか……?)
 答えの出ない永遠の疑問、こんなものはいくらでもあった。
 定時を迎え、クシボタルはその輝きを止めた。後は朝日待ちということだ。
 これでしばらく、眠れそうだ。


「うーむ……そういえば何からいつまで保護するのかを聞き忘れた……」
 着いたのはもう明け方、手を掛けた酒場のドアノブは、季節を謄写するように冷たかった。
 だからというわけではないだろうが、そこでαは自らの失敗に気付いた。
「まぁ、よいか」
 ドアを開くとベルセリウスが床で寝ていた。タロスは右腕のパーツを外してオイルを差し、マスターはグラスを飽きもせず拭いていた。
 全くいつも通りだ。違うのはαのリュックにギリギリ詰めた、一匹のパンドラットのみ。
 αはなにも言わずベルセリウスを踏みつけ、狭い店内を見渡した。カウンターに座るのは散歩疲れの足には辛い、かといってタロスのように床に座る気にはなれない。寝るなど論外だ。
 彼は何組かあるソファーの内、カウンターに一番近いものを選んだ。
「……ようやく帰ったか。いつもより遅かったな、なにかあったのか?」
 マスターの低い声がαの心臓を高鳴らせる。しかしそれを表情には出さず、即答した。
「なにも」
 タロスは先程の喧嘩のことはもう忘れたのだろう、黙々とオイルを差している。腕が終り、今度は頭部を外そうとしている。
「そうか、こっちには依頼が一つあってな。これから説明する。そのアル中を起こしてくれ」
 マスターが言い終るよりも早く、αはとんがり帽子の穴に片手を突き刺した。それをベルセリウスに向け、発動する。
「アンブレラ」
「みぎゃあああああぁぁぁ!」
 絶叫と共に間一髪でそれをかわし、飛び起きたベルセリウスは、深々と床に突き刺さってしまっているアンブレラの先端を見て、絶句した。
 硬化金属タトーサで出来ているこの酒場はしばらくしたら自己再生を行うし、木板は取り替える。穴についてはなんら問題無い。
穴については。
「アルファァァァ! その起こし方だけはやめてと、あれだけ言ったでしょおおおお!」
「やかましい! これ以外では絶対起きんくせに、ごちゃごちゃぬかすなアル中!」
 その後、二十ピノンほど殴り合った末、ようやく二人は落ち着いた。マスターの冷ややかな視線が、お互いの拳よりも痛かったからだ。
「……もういいか?」
「はい……」
 二人は同時に返事をして、同じソファーに並んで腰掛けた。
「よっし、メンテナンス完了! やっぱオレ様最高! この滑らかな間接の動きが……おっ、帰ったのかアル。おけーり」
「……ああ……」
 傷をさすりながら半眼でαは答える。
 タロスは別のソファーを一人で占領した。
 マスターはカウンターから出てきて、まずはそれぞれに飲み物を配る。αはレモンティーという甘い飲み物、ほかはコーヒー、これは苦くてαには飲めないものだった。
「では依頼内容の確認からだ。依頼人はシィアを名乗る人間の女性。身元は今ネットワークで捜させているが、指名手配犯とかいうのではなさそうだ。依頼内容はクリーチャ―の捜索、そのクリーチャーはパンドラットという爆発生物で、報酬は……」
「ブッ!」
 αは飲みかけのレモンティーをベルセリウスに向かって吐き出した。
 先程と同じような絶叫を上げてトイレに走るベルセリウス。
 そんなことは耳にも入らず、αはひどく驚いた。
(何ィィィィィ!? パンドラットじゃと……いや、それよりも爆発!?)
「……どうかしたか? アルファ。何か心当たりでも?」
 タロスは気にしていないようだったが、マスターはそうもいかない。
「な、なんでもない……」
「なんでもないのにレモンティーをぶっ掛けるなぁぁぁ!」
 着替えた――といっても同じ白衣だが――ベルセリウスは暖炉の前で泣き叫んだ。暖炉からは熱源である発火トカゲが顔を出している。
「……まぁいい、続けるぞ。報酬は二千マニ、ただし生け捕りのみ。もっとも、パンドラットと言うのはショックを与えたりストレスをためたりすると爆発するから、生け捕りしかないな。詳しいことはこれから調べる」
「あ、私知ってるわそれ」
 もう立ち直ったらしいベルセリウスが、発火トカゲを火ばさみで突っつきながら言う。
「パンドラット。超貴重なクリーチャーで、一匹一万マニが相場だったかな。私達生物士のなかでは有名よ。なにせ爆発したときの威力が戦略級に指定されてるからね、軽く水晶通りをまるごと吹き飛ばせる規模だわ」
 αは止まらない冷や汗をぬぐった。自分の背中でもぞもぞしている毛玉が、まさかそんな化け物をだったとは。
「……なるほど、そんなものが行方不明じゃあ、まともな場所に捜索なんぞ依頼できねぇなぁ……」
 タロスの呟きからも驚愕の色が伺える。
「わかった。では今回の指揮はベルセリウスに任せたい。いつかの様に破壊活動をされてはかなわんからな」
 睨む、と言うわけではないが、マスターに視線を送られたタロスは肩を窄めて沈黙した。
「オーケー。だけど捜索じゃあほとんどネットワークに頼りっきりになりそうね。期限は?」
「三日だ。わかってると思うがトチるなよ。まだ死にたくない」
「りょーかいっ。じゃあ行きましょアルファ、タロス」
「よっしゃ! いっちょ街でも救ってやるかぁ!」
 タロスは勢いよく立ち上がるが、αは途中から話など聞いてはいなかった。
(どうする……? 受けたからには依頼は裏切れん……これは絶対じゃ。しかしエデンの情報網から逃げ切るなど不可能……)
「アルファ?」
 ベルセリウスは怪訝な顔で彼を見つめている。
 αは決心した。
「今回わしは降りる。腹痛がひどくてな」
「……あら、珍しいわね。いいわ、お大事に」
 二人が出て行ってすぐ、αも酒場を後にした。


 αの家は水晶通りではなく、水晶通りの隣り、煉瓦通りにある。比較的比較的整備の行き届いており、酒場からもそう離れていない。
 蝋が溶けたようなデザインで白い二階建て。ドアにはジェントルフェイスという、よく門番代わりに用いられる顔と腕だけのヒト――クリーチャーではない――がくっ付いている。白い息を吐きながら、いつものように自分のテーマを歌っている。
「紳士〜〜のたしなぁぁみ、キング〜ベア殺し〜〜♪ 紳士〜〜のひぃげぇぇは、世界〜いぃぃち〜〜♪ ……おや?」
 前方から走ってくる人影が見える。
「これはこれはご主人様、お早いおかえりで……ぎゃあああぁぁぁ!」
 通常は外開きのドアを、αはジェントルサンごと内側に蹴り破り、そのまま振り向きもせず二階へと駆け上がった。
 彼の部屋には飾り気というものが全く見られず、溶けた金属やネジが散乱していて足の踏み場もない。
 部屋に入った彼は跳躍してベッドの上に移動し、すぐさまリュックからパンドラットを取り出す。
 その白い爆弾は、不安定に二、三歩歩き、転倒した。
 彼が危惧していたのは、狭く身動きも取れないであろうリュックの中で、パンドラットがストレスを貯めてしまわないかと言うことだった。
 なにせ爆発されたら最後、彼は勿論この街ごと消えてしまう。神経質にもなろうというものだ。
「おのれ……あのジジィめ、こんな厄介物を押し付けおってからに……」
 もう死んだ者に文句を言っても仕方ないのは分かっていたが、さすがに事態が事態だけに愚痴らずにはいられない。
「どうする? とにかく三日間逃げ切らねばならん。二日はなんとかなる……じゃが最終的にはネットワークに捕まり、ベルセリウスとタロスが来てしまう……」
 パンドラットはよじよじと彼の頭の上に上り、動きを止めた。降りれなくなったらしい。
「とりあえず……」
 彼はベットから降り、履いている木靴でガラクタを踏みつけた。その際パンドラットはベットの上へ転げ落ちる。
 まずラジオつむりという電波で音声を伝えるクリーチャーを叩き起こした。まだ寝起きの為か、音はノイズ混じりだ。
 その後本棚に手を伸ばし『クリーチャー辞典』と銘打ってある分厚い本を一冊取り出した。
 ベットに戻り、あぐらをかいて辞典を広げる。寄ってきたパンドラットはとりあえず頭の上に乗せておく。
「パ、パ、パ……パントモナカ……ではなく、パンドラタライ……でもなく……あった!」
 ようやくラジオつむりが本調子になったか、音が聞き取れるようになってくる。内容はしがないジョブ反対派の演説のようだ。
「……パンドラット、危険度S指定。戦略級爆発生物……」
 彼の本を読み上げる声に重なるように、ラジオつむりから流れてくる演説はαの耳に流れ込む。
『――今、我々の生きているこの世界は、言うまでもなく先人の遺産なのである!』
「一説では、爆弾作りにかけて右に出るものがいないとされた爆薬士ボーガンの作品の一つであり、他国の要人を暗殺する依頼受けた彼のプレゼントを装った爆弾だという」
『世界崩壊! これが世の中を変えた!』
「しかしその爆弾は使われず、千年の時を経て、生物化」
『崩壊以前の世界は、人間という一種のみが征服していた! 愚かな人間どもは同族であるにも関わらず争いを続け、世界を腐敗させ、一度は修復に傾くも、結局は崩壊させてしまった!』
「大人になれば拳三つほどの大きさになり、繁殖もするが、その数は極小」
『だが! そのころは平等だった! 現在のようなジョブ持ちなど居はしなかった!』
「その威力は戦略級の名の通り、街も、ヒトも、積み上げてきた全てを、無意味に根源から破壊する」
『過去の過ちを知った今なら、我々は永遠を作れる! だがそれには全てのヒトが平等でなくてはならない! ジョブ持ちなど居てはならないのだ!』
「なぜ」
『なぜ!』
「このようなものが生まれてしまったのか……」
『このようなものが――ガガガガガ!』
 αの投げた辞典がラジオつむりに直撃し、音はノイズに代わる。
 頭の上でパンドラットが急に動き出した。今まで寝ていたようだ。
 αはパンドラットを掴み、向かい合わせる。
「おぬしにも名前が必要じゃろう。わしらは決していらないものなどではない、その証明の一つじゃな」
 パンドラットは勿論理解などしていないが、αには頷いたように見えた。
「そうじゃな……ミューというのはどうじゃ? なんか知らんがわしの家は代々古代文字の名を付けることになっておるからな」
 μ(ミュー)と名づけられたパンドラットは、鼻を掻こうとしていたが、手が届かない。
 αは指先で掻いてやり、μをベットに降ろした。そして勢いよく床に立ち上がる。
「よろしくのぅ、唯一の家族よ」


 依頼が来てからすでに二日と半日が経過していた。気温は暑くもなく寒くもない、さすがに紅葉が舞うことはないが、その秋らしさは十分に伝わってくる。
 だがこの二人には塵ほどの関係もなく、ベルセリウスは白衣を脱いで薄いシャツ一枚、タロスは上半身裸――これはいつもだが――、共に汗まみれだ。
「ど、どうしてぇぇ? なんで見つからないのかしらぁぁ? 答えてタロスゥゥ……」
「知らねぇぇ……」
 二人は街中を探し回り、最後の望みをマスターにかけて酒場へ向かっていた。
 予定なら初日でマスターのネットワークが目標を発見、二人でその場に出向き、残りの二日は酒でも飲んで受け渡しの時間を待つ、そんな楽な仕事のはずであった。
「……ねぇ、もし仕事に失敗したらどうする?」
 泣いたような声でベルセリウスが尋ねる。
「……依頼人を調べて、本当にパンドラットがこの街にあるのかどうかを確認する」
「それであったら……?」
「…………」
「黙らないでよぉぉぉ!」
 その後は沈黙が続き、酒場についた。
「マスタァァーー!」
 入るや否やベルセリウスがマスターの首を絞める。
「見つかったわよね? 見つかったわよねぇ!」
 マスターが苦しみながらも一枚の紙切れを差し出す。
「いや! 言い訳なんか聞きたくないわ! かくなる上は依頼人を暗殺しましょ? 全てを闇に葬って……え?」
 紙切れはタロスが受け取った。彼は何も言わずそれをベルセリウスに回す。
「……なかなかおもしろいことしてくれるわね」
「どうする?」
「勿論、いつも通りに」
 彼女は別人のように口の端を歪ませ、紙を破る。
「妨害するものは、生死を問わず排除する」
 白い紙のど真ん中、必要なことが必要なだけ、簡潔に書いてある。
『目標所持者名/α(アイテム士)
 現所在/アテネ山(グレイヴペブル内最北に位置)』


 辺りはもう薄暗くなっていた。
 二人はアテネ山から一番近い、エデンが買い取っている空家で計画を練っていた。
 依頼人へ受け渡すのは本日の終り、つまりあと六ピノラス。
「『敵』はアイテム士であることから、この山中に数々のトラップを仕掛けていると考えていいわ」
「了解だ」
 ベルセリウスはいつものように白衣、タロスも普段どおりだ。
 ただ二人の声の調子はいつもと明らかに異なった。
「時間がないから二手に分かれるけど……片方がやられても無視すること。目標はパンドラットのみ、ただしショックを与えると爆発するわ。気を付けてね」
「了解だ」
「では作戦開始」
 アテネ山に着き、ベルセリウスと別れる。
 山を登ってゆくと徐々に視界が闇に侵蝕されてゆく。風はそんなに強くなかったと思っていたが、木々のざわめきは案外耳に響いた。
 ベルセリウスの話ではαは山の頂上に潜伏していると言う。追っ手が二人の場合はそこが一番逃亡に適しているらしい。
 まぁ、オレにはどうでもいいことだ。彼はそう思う。
 自分の存在意義はそこではない。可能性は無限と大昔の哲学者は言ったそうだが、ブリキ人形である自分がブックマン――書物を喰らいそれを知識とするヒト――を差し置いて学術士になることはできない。そういうふうにできているのだから。
 自分に与えられた役(ジョブ)は狂戦士。一定時間内は地上で限りなく最強に近くなれる力。
 これとて最強に近いというだけで最強ではない。例えば今追っているパンドラットが爆発すれば、チュンッとでも音を立てて消し飛ぶことだろう。
 先日、とある演説家がこんなことを言っていた。『ジョブ持ちなど居てはいけない、不平等ではいけない』と。
 彼は切に望む、普通でありたい。
 そうすれば多くのヒトが助けてくれる、他人を助けることや、喜ばせることが生きる意味となるかもしれない。
 だが現実そうではないのだ。誰も自分の存在を意味付けてくれはしない。
 だからジョブ持ちだけのエデンに入った。依頼は必ずこなす、百%にこなす……そうでないと……意味が、ないのだ。
 そろそろ頂上かと思ったその刹那、タロスは横に跳んだ。元彼の居た場所に青色の何かが一閃した。
「アル……」
 その青色は闇の中でも十分目立った。もはや一筋の光も降りてこない山中で、二人は向かい合う。
「……どうも……二日会わんだけでも久しぶりのような気がするのぅ……、少々馴れ合いすぎたか?」
 タロスは眼を細めた、夜目は利くほうだ。
 αはリュックを背負っていない。機動力重視ということか。
「……パンドラットがいないな。どこへやった?」
 αの問いかけには答えず、タロスは抑揚を殺した声。
「渡さぬよ」
「死ぬぞ」
「おぬしがな」
 地を踏み抜く音は同時、静寂を破壊した。
 咆哮と共に突進してくるタロスの速度は、風のそれにも等しかった。
「アンブレラ!」
 このままでは捕まる、そう判断したときにはもう、アンブレラを起動させていた。一直線に伸びる円錐の槍は、タロスの腹部に深々と……突き刺さらない、紙一重でかわしている。
 繰り出された拳を、アンブレラのつばでなんとか受ける。前のように投げ飛ばされはしなかったが、突き抜けた衝撃に左肩が痛んだ。
「……っ!」
「降参しろアルファ! 距離が詰まればオレに勝つことはできん!」
 続けて下から抉るようなタックル、跳躍したαはタロスを飛び越え、その首筋に蹴撃を放った。効果は期待していない、距離を取る間を稼いだだけだ。
「シスタ!」
「無駄だ!」
 絡み付く鋼線を腕の一振りで引きちぎり、タロスはなおも突進を繰り返す。
 単純な、しかし速すぎる右ストレートはαの頭部に炸裂し、それを破砕させた。
(ち……、殺っちまったか……)
 だが、タロスの腕についたのは血液ではなく、半透明の液体だった。それに気付いた時にはもう、腹部に突き刺さる冷たいものを感じていた。
「がぁ!?」
 脳まで響く激痛に朦朧とする意識の中で、タロスは自分を見下ろすαを見た。
「全く……、アイテム士と闘うのじゃ、少しは考えよ」
 αはタロスに突き刺さったアンブレラを引き抜いた。
「そ……うか、ダミー……」
「あたりまえじゃ、アホ」
 あの瞬間、シスタで一瞬の隙を作ったαは、《意思持たぬ分身(ダミー)》というミスリルの一種を溶かした液体を散布、自分の偽者を作りあげた。
「コロ……すか?」
 αは頬を掻きながらタロスに背を向けた。
「まぁ、別に殺してもよいがな、おぬしはおもしろい奴じゃから……。生かしとこう」
 ――おもしろい奴だから――
 大した言葉ではない、普段聞いたら怒ったかもしれない。しかし今は妙に響く言葉だ。少し感傷的になっているのかと、失われる意識の中でタロスは苦笑した。


「……おかしいわ」
 歩き初めて二ピノラス、残りは四ピノラス。だが帰りにも時間を要するので、実質半分の時間が失われていた。
 それにしても……
「アテネ山は比較的低い……トラップは警戒しているけれど、この速度ならもうとっくに着いているはずだわ」
 トラップは一つもなかった。それも一つのトラップを効果的に使うための罠と判断してことさらゆっくり進んだ彼女だが、あまりにも到着するのが遅すぎる。
「となると……すでにトラップにかかってしまっている、か……」
 方向はずっと北しか向かない針を持ったクリーチャー、ノーザンビーで確認していた、それが仇となったようだ。
「天然迷宮(ラビリンス)……、ミスリルに特殊な加工をして木々に埋め込む、繊維を原料として電磁波を発生。生物の精神に影響を与える……だったかしら。文献でしか見たことなかったけど、こんなこともできるのね……」
 彼女はノーザンビーを解放した。
「所詮クリーチャーも生物ということね、成る程、生物士にとっては最悪のトラップ……勉強になるわ」
 彼女は軽く息を吸って口笛を吹いた。
 突如、彼女の足元が盛り上がり、周りの木々よりも高く、彼女を押し上げた。
 土竜、巨大なクリーチャーだ。
「……初めからこうすればよかったわ」
 視界を阻むものはなにもない。少々風は冷たかったが、意外と頂上が近い場所にあって安心した。
 二度目の口笛で土竜は土中に帰り、彼女は駆け出す……が、すぐに止まる。
 前方から歩いてくる人影が見えたからだ。
 α。
「……お久しぶり」
「うむ」
「和平交渉かしら?」
「そう思うか?」
「ええ」
 ベルセリウスは一歩進む、αは動かない。
「今、タロスとやってきたんでしょう? 彼、生きてる?」
「……うむ」
「それであなたは左肩を負傷している、隠しても見ればすぐわかるわよ。歩くバランスが悪いわ」
 彼女がもう一歩進み出た、しかしαは下がらない。二人の距離は狭まる。
「それじゃあ、私に殺されちゃうもの」
 突如αの右肩口が裂け、鮮血が彼自身の頬を汚す。
 何が起こったか分からなかった。αはベルセリウスを見失い、前方の空間を見つめている。
 そうしているうち、背中を十字に裂かれたのが勘で分かる。
 振り返るがそこに彼女の姿はなく、背後から首筋に当たるものを感じる。
「……遅いわ」
 生物士ベルセリウス。大部分のクリーチャーを操り、他人や自らの肉体を多少無理にでも操作することができる。
 この場合、右手の爪がαの肉体を裂くほど鋭利にしていた。
 彼女に動きを止められ、つばを飲み込む動作さえ制限される。少しでも動かせば彼女は躊躇なく自分の首をとばすだろう。
「死にたくなければ答えなさい。パンドラットはどこ? 黙秘は認めないわ」
「…………」
 ベルセリウスの爪に力が入る。
「……頂上の、小屋の中、テーブルの上のリュックじゃ……」
「そう……、悪いけど契約コウモリを置いていくわ。私がキーワードを叫んだならどんな遠くでも聞きつけて、あなたの全身の血を一瞬で吸い尽くしてくれる……。確認よ、パンドラットは頂上の小屋にあるのね?」
 αの肩に黒い羽を持ったクリーチャーが一匹舞い降り、白い歯を剥き出しにした。
「……ああ、そうじゃ……」
「そう」
 彼女はくるりと背を向けた。
「……少し失望ね、あなたはもうちょっと頑張れるヒトだと思っていたわ」
 αは俯いたまま、その場を動かなかった。


 頂上まで登ると、月がよく見えた。
 ベルセリウスはそれを少しの間眺め、木でできた四角い小屋の前で立ち止まる。
 昔はこの山の木にもよくヒカリ生首がぶら下がって、よくわからない奇声を上げていたものだが最近はあまり聞かない。ヒトによって大量に捕獲されたからだ。
 先日、とある演説家がこんなことを言っていた。『過去の過ちを知った今なら、我々は永遠を作れる』。
 愚かしい、そう思わざるを得ない。
 演説をしていたあの男は自己陶酔の勢いで、大してなにも考えずに吐いたのだろう。確かにジョブ制度を非難する声は多く、ジョブ持ちは全員殺してしまえという者もいる、選挙前の高感度アップには最適かもしれない。
 今の世界ができてからまだ数万年程度と言われるが、それよりさらに前、現在と同程度の文明を持った生物があったらしい。
 それらは今とは違って支配種族は人間一種類、しかも人間の中に特殊能力を持つものなど一人もいない、平等な世界だったという。
「……それでも、滅びたのよ」
 無意識の内に声が出た。それに伴って自らの状況を思い出す、時間がない。
 小屋の扉を慎重に開けると、当然だがなにも見えなかった。彼女は指を一度鳴らし、発火トカゲを呼び出した。
 発火トカゲというクリーチャーは少しの摩擦で発火し、全身を火が包んでも平気な顔をしている。そのため暖炉などにもよく使われるクリーチャーだが、優れた生物士が使役すれば火力を制御、その三叉の尻尾に点火して蝋燭代わりに使うこともできる。
 発火トカゲで室内を照らすと、椅子が三脚、丸いテーブルを囲んでいた。テーブルの上にはよくαが背負っているリュックがある。いつも何を入れているのかは彼女すら知らないが、今回はパンドラットのみを入れているらしく、もぞもぞと動いていた。
「…………」
 もう一度室内を見回し、それからリュックを開いた。
 次の瞬間、夜空を突き破らんとする爆砕音が、アテネ山を震わせた。


「ふぅ……」
 αは耳を塞いでいた両手をおろした。
「耳が良過ぎるのも考えものじゃのぅ……」
 そこでのびている契約コウモリを見ながら呟く。
 だるそうに起き上がると、全身に痛みが走った。
「ててて……、アホどもが無茶をしおって……」
 それでもなんとか歩き出し、山を下ってゆく。
「灯台下暗し……じゃったかな? 大昔の文献に書いてあったが、ヒトとは近くにあり過ぎるものには気付かんものらしい……」
 後はふもとまで一本道、彼はまた喋り始めた。辺りに誰もいない時、つい独り言を始めてしまうのは悪い癖だった。
「ミューは空家の二階で眠らせてある。ベルセリウスなら必ず頂上に目をつけると踏んでな」
 あと一ピノラスと半程度、そのくらいなら十分逃げ切れる。例えマスターのネットワークに感知されても、追うべき者はいないのだから。
「死んではおらんじゃろうがな……」
「当然ね」
 掛けられた声の落ち着きとは対照的に、αは声をあげそうなほど驚いた。
 前はベルセリウス、後ろはタロス、タロスは腹の傷が効いているようだが、ベルセリウスには大した外傷はない。
「驚いたわ、まさか中身がノミグモとはね。生物士の面目丸つぶれよ」
 αは血が滲むほどの歯軋りをした。
 甘かった。
「火気を好む超小型のクリーチャー。暗闇も私に発火トカゲを使わせる小道具だったのね。リュックを開けたとたんにノミグモが小屋中に散乱、発火トカゲの火に寄って来たものから高速で燃え上がり、粉塵爆発を起こす。さらにその爆音で契約コウモリを麻痺させる……見事なものだわ。正直タロスが来てくれなかったら危なかったかもね」
 αはタロスを肩越しに見やった。
 月明かりでは表情を読むに足りないが、おそらく無表情だろう。
「ミューってパンドラットの名前でしょ? 悪いけど捕獲させてもらうわ。タロス、お願いね」
「やめよ!」
 ベルセリウスに掴みかかろうと二、三歩踏み出したαは、首の根元あたりに強い圧力を感じた。
 タロスの手刀だ。
(……いかん! 失敗は許されぬ、絶対に、なにがあっても……そうでなければ……わ……しは……)
 視界は夜よりも暗く重たい、そんなまぶたに閉ざされた。

 

 

 

 

 

 


あとがき

 こんばんわ、沖田です。これで一章が終りです♪ 前半の説明とか軽量化してみたんですがまだ多いかなぁ……? 学校の課題と闘いながら頑張ってます(笑)