山本太郎左衛門の話 その二 |
作:坂田火魯志 |
七日は夕食を終えると来た。台所に行くと白い大袖があった。
「また女か」
それを見て最初に思ったのはそれであった。それを聞いたか袖は怒った様な動きでこっちに来た。そしてその中から手を出してきた。
平太郎に触れようとするが彼はそれをかわした。すると手は諦めたかやがて姿を消した。
「行ったか」
姿が消えたのを確認すると部屋に戻った。そして壁を背にしたまま次の化け物を待つことにした。
「今度は何かな」
そう思うと早速来た。障子がひとりでに開いた。
「よくもまあよく自然に開く障子じゃ」
笑っているとそこからいつもの者達がやって来た。
今度は坊主の首であった。髭があったり、顔が赤かったり、髪がまばらに残っていたりするところを見ると破戒僧のものであろうか。それが串刺しになっている。
「生前の悪行の報いじゃな」
おそらくこの破戒僧達は生前の悪事の末にこうした処罰を受けたのだろう。そしてそれを恨みに思いこうして化けて出て来ている。少なくとも平太郎はそう考えた。
「さて、この連中は何をするのかのう」
刀を持ったまま彼等の行動を見守った。首達は平太郎を睨んだまま彼の周りを飛び回った。それ以外はこれといって何もして来ない。ただ飛んでいるだけである。
「袖よりも害はないのう」
気味が悪いがそれだけである。とりあえず油断していなければ何もしきそうにない。彼は首が消えるまで待つことにした。
明け方になると消えた。やはり鶏の声と共に煙の様に消えていった。
「結局一番怖いのは鶏か」
今度から鶏と一緒に寝ようと思ったがすぐに止めた。臭いうえに五月蝿くてかなわないからだ。
そう考えながら横になった。朝だと出て来る心配はない。暫くぶりに寝転がって休むことができ有り難かった。
「朝までいてくれたらいいのだがのう」
ふとそんな考えを持つ平太郎であった。
とりあえずその日はゆっくりと寝た。夕方まで眠りようやく起き上がった。
「よう寝たのう」
気が付くと日が暮れていた。起きるととりあえず飯を食い化け物を待った。
待つだけだと面白くもない、だが書を読む気にもならなかった。月が綺麗だったのでそれを見ながら酒を飲むことにした。
「やはり月はいいのう」
彼は月が好きだった。満月も三日月も好きであった。
満ちている月は満ちている月で、欠けている月は欠けている月で魅力があった。彼は夜空に浮かぶ黄色く大きな月を見ながら酒をちびり、ちびりと飲んでいた。
月を眺めながらだと酒は一気に飲めない。あくまでそれを眺めながらゆっくりと飲む。それもまた一興であった。
「さてと」
酒がなくなった。彼はそれを脇に置いた。
「今日は何が出て来るかのう」
そして化け物を待った。月を眺めながらゆっくりと待った。
月が山の端に隠れた頃に何やら後ろから物音がしてきた。
「来たか」
彼はゆうるりと後ろを振り向いた。そこでは畳が上がっては落ち、上がっては落ちを繰り返していた。
それと共に埃が舞う。それは彼のところにも飛んで来た。
「今宵はこれか」
彼は台所へ行った。そして酒をまた持って来た。幸い今日は台所には何も出ず楽に取り出すことが出来た。そして埃の届かないところに移りそれを見ながら酒を飲んだ。
「月もよいがこれもまたよいのう」
笑いながら酒を飲む。見れば月を見ていた時より酒が進んでいる。
暫く経つとそれも止んだ。彼は寝室に戻り壁にもたれかかって休んだ。
九日は居間にいた。酒は昨日かなり飲んだので今日は飲まないことにした。
「飲み過ぎは身体に毒じゃ」
父からも弟からもそう注意される。確かに彼の酒量はかなり多かった。
「大酒も豪傑の証じゃ」
そうは言うもののやはり身体に良くないのは事実であった。あまり過ぎると確かに身体に疲れがたまってくる。
この日は飲みもせず書を読んでいた。論語ではなく孟子であった。
「孟子は言っていることはよいのだが」
彼はこの書については思うところがあった。
「ちと理想ばかり追い求め過ぎておるな。これでは現実に対しては弱い」
彼は現実主義者であった。武芸は現実の世界のものであるからだ。
空想で武芸を語っても肝心な時にやられるだけである。彼はそれよりも実際に鍛錬を積み相手を打ち負かすことが必要であると考えていた。
「それでも見るところはあるな」
一方で孟子の良いところを認める度量はあった。
「孟子のいいところは主張がわかり易いところじゃ」
彼はそうした意味で孟子を認めていた。
「人に信用される人間や国になれ、か。それは同感だ」
彼は血気盛んであった。それだけに孟子のそうした正義感の勝つ思想は気に入っている部分があった。
「それに行動が伴わなくてはならん。やはり人は動かなければならんのだ」
そうしたことから彼は朱子学は好まなかった。陽明学に深い共感を覚えていた。
地合同一、彼は常にそれを念頭に置いていた。
だからこそ武芸にも励んだ。日々鍛錬し己を磨くことが彼にとっては不可欠のことであった。
それを考えると今家に出て来ている化け物達の相手も修業のうちであった。そう考えると苦にはならなかった。
読み終え書を置く。そして寝室に入ると何やら尺八の音が聞こえてきた。
「来たな」
平太郎はその音を聞き笑った。そして障子が開くのをゆっくりと待った。
すると虚無僧が入って来た。尺八を吹いている。どうやら先程の音色は彼等のものらしい。
「成程」
それを見ながら妙に頷くところがあった。この笛の音を聞いていると何故か気が和むのであった。
「妙なことがあるものじゃ。化け物の笛で落ち着くとは」
不思議ではあったが納得した。例え化け物が吹いていても尺八は尺八であった。それを聞いていると落ち着くのも当然であった。
見れば一人ではなかった。ぞろぞろと入って来る。そして彼の周りを歩き回った。
それ以外は何もしない。やがて彼等はその場に寝転がりだした。
「おい、待て」
かなりの人数である。これだけの数に寝られては流石に彼の寝る場所がなくなってしまう。それを怖れたのだ。
だが相手は化け物である。言っても聞くとは思えない。仕方なく彼は退き壁にもたれかかった。
「今日もここか」
苦笑しながらまた壁にもたれかかって眠りに入った。そして朝日が昇ると共に目覚めた。
十日には夕暮れ時に馴染みの者がやって来た。
「久方ぶりじゃのう」
見れば隣の村の貞八である。
「おお、お主か」
平太郎は彼の顔を見て顔を綻ばせた。
二人はかねてよりの馴染みである。やはり武芸を通じて知り合った。
剣の試合に出た時に会った。そして勝負をしているうちに打ち解け合ったのである。今では権八と共に気を許せる友であった。
彼は剣は強いがそれ以外は気のいい穏やかな者であった。それが豪胆な平太郎とは個性が違いかえって仲を良くした。人は時として違う個性をも認め合うものである。
「どうしてここへ来たのじゃ」
およその予想はついていたがそれでも聞いてみた。
「うむ、面白い話を聞いてのう」
平太郎はそれを聞きやはりな、と心の中で呟いた。
「何でも化け物が出るそうだな」
「うむ」
平太郎はそれを認めた。認めなくとも結局は出て来ているのだ。
「どんなのが出て来ておる」
「知りたいか」
「無論」
貞八は答えた。
「一体何が出て来るのか。少し教えてくれんか」
「ああ、いいぞ」
平太郎はその申し出を快諾した。
「まあ入れ。酒でも飲みながら話そう」
「おう」
貞八もいけるくちである。二人は嬉々として家の中に入った。
「成程のう」
貞八は腕を組みながら話を聞いていた。
「また色々と出て来ておるようじゃのう」
「まあな」
平太郎はニヤリ、と笑って答えた。
「じゃがこれはこれで中々面白いぞ」
「そうなのか」
「うむ、これと言って大した危害はないからな」
彼にとっては大入道も女の首も大したものではなかった。戦場の話に比べれば、と本気で思っていたのだ。
「慣れると案外面白いものかも知れん」
「慣れるとか」
「うむ、そろそろ慣れてきたぞ」
彼はそう言ってまたニヤリと笑った。
「今度は何が出て来るかとわくわくしておる」
「豪気じゃのう、お主は」
「ふふふ、褒めても酒しか出ぬぞ」
「それだけで充分じゃ」
「そうか、ははは」
二人はこんな話をしながら談笑していた。やがて日が暮れてきた。
「そろそろかの」
貞八は暗くなってきた外を見ながら言った。
「いや、まだまだ」
だが平太郎はそれを否定した。
「化け物は勿体ぶっておってのう。真夜中になければ中々出て来ぬのじゃ」
「本当か」
「うむ。まあ一概には言えぬがな。大体その頃じゃ」
「今は出て来ぬか」
「おそらくな」
「本当か!?」
貞八はやけにしつこく問うてきた。
「じゃから一概には言えぬ。化け物にも色々いるからのう」
「そうかそうか」
彼はそれを聞いて安心した様に笑った。
「では今出て来ても不思議ではないのだな」
「うむ」
貞八はこんなにしつこかったか、と首を傾げた。どうも普段の彼とは違うように思われた。
(何やらおかしいのう)
平太郎はそう思いはじめた。その時貞八の顔が妙な形に歪んだ。
「む!?」
彼は一瞬目を瞠った。そこで貞八は平太郎を見据えてきた。
「その言葉を聞いて安心した」
彼はからからと笑ってそう言った。
「わしが出て来ても不思議ではないのだからな」
「どういう意味じゃ」
「知りたいか」
彼の目から光が消えた。まるで人形の様な目になった。
「ううむ」
平太郎は考え込んだ。どうも答えると何やらよからぬことが起こりそうである。だが答えたかった。それよりも好奇心が勝った。
(何が起こってももう驚くこともないわ)
そう考えられる状況でもあった。何を今更、と思った。今までの化け物達のことを思えば。彼は意を決した。
「知りたいのう」
彼は答えた。そして大きく息を吐き出した。
(さて、何が起こるか)
貞八を悠然と見下ろした。
「では見せてやろう」
貞八は頭を屈めてきた。
「わしのとっておきの余興をな」
そう言うと何と彼の頭が割れてきた。
「何と」
これには平太郎も驚いた。頭は頂上から横に真っ二つに分かれていた。そこから脳が見えている。
その脳から何かが出て来た。それは小さな人間の手であった。
「おぎゃあおぎゃあ」
中から赤子が出て来た。血と脳漿を身体にまとい無気味な笑みを浮かべながら貞八の脳から這い出て来たのだ。
「今夜は赤子の怪か」
平太郎は既に落ち着きを取り戻していた。そして赤子の動きを悠然と構えて見守った。
それは一人ではなかった。何人も這い出て来る。
そして平太郎の周りを這い回る。だがそれだけであった。
「やはり何もして来ぬか」
彼はそれがわかると安心した様な笑みを浮かべた。
「貞八よ、中々面白い余興じゃな」
そして貞八に対して言った。
「お主の余興、たんまりと楽しませてもらった。ご苦労であった」
貞八はその言葉を聞くと悔しがりもせずそのままの態勢で姿を消した。やはり煙の様に消えていった。
続いて赤子達も消えていった。そして後にはやはり何も残らなかった。
「赤子共の這った後まで消えているの」
灯りを頼りに畳を見るとそこにも何も残っていなかった。
「さてと」
彼は全てを確かめ終えると壁に背を付けた。
「では休むか。化け物が来たらその時に起きるとしようぞ」
そして彼は眠りに入った。その日はそれで終わりであった。彼は比較的ゆっくりと眠ることができた。
翌日目が醒めるとまず隣村に向かった。そして貞八を尋ねた。
「何じゃ?」
聞くと彼はその日はずっと家にいたらしい。彼の家族もそう言った。
「わしの姿を借りたあやかしか」
「うむ、実に瓜二つであった」
彼は昨夜のことを貞八に説明した。貞八も化け物のことは知っていた。
「面白いのう、わしも有名になったものじゃ」
貞八はそれを聞くと上機嫌で笑った。
「見たいか」
平太郎はそれを聞き話を振ってみた。
「いいや」
だが彼はそれをやんわりと断った。
「お主に迷惑がかかるからいい」
「そうか」
こうして二人は別れた。平太郎は暗くなった頃に家に戻って来た。帰ってみると刀が一振り何処かへ消えてしまっていた。
「これは」
すぐにわかった。化け物共の仕業だ。
「おい」
彼は天井に向かって言った。
「あの刀はわしが恩義ある方から譲り受けたもの。隠してもらっては困るな」
それは事実であった。彼はその刀を剣の免許皆伝の時に祝いの品として剣の師からもらったものだったのだ。
「あれを隠すことは許さん。すぐに戻すがいい」
だが返事はない。これもわかっていることである。
そのかわりに天井から何かがニュッ、と出て来た。それは黒く細長いものであった。
「むっ」
見ればその刀であった。それは天井から生える様に出て来ると下に落ちてきた。そして平太郎の手の中に収まった。
「わかってくれればそれでよい」
彼は満足した声で天井に向かって言った。
「じゃが今度は許さんぞ」
そう付け加えて刀を元の場所に収めた。それが終わると風呂に入った。普段は夕暮れ前に入るがこの日は遅くなったので今入った。風呂はわりかし好きな方である。今は熱いので行水だ。
「さてと」
まずは盥を取ろうとする。その時だった。