山本太郎左衛門の話 その四
作:坂田火魯志





 尾が二つになった巨大な二本足で歩く猫がいる。猫又だ。他にも古狸や狐もいる。天狗や鬼までいる。
「またえらく大勢いるのう」
 平太郎は一向を見て思わずそう呟いた。
「酒があると聞いてのう」
 猫又が楽しそうに言った。
「それでは来ないわけにはいくまい」
 狸もそう言った。見れば他の者達も同じ意見のようだ。
「では追加の酒や肴はあるのだろうな」
「無論」
 鬼がそれに答えた。
「ほれ、ここに」
 彼は障子の向こうから樽をもう二つ持って来てそう言った。
「肴もな」
 狐とが言った。彼等は手に揚げを入れた籠や干し魚を多量に持っていた。
「おお、これはいい」
 平太郎は新たな酒樽を見て目を細めて頷いた。
「これだけいても飲みきれぬかもな」
「その心配はない」
 天狗がそれに対して答えた。
「わし等にとってはこの程度何ともない」
「もっともお主にはしんどいかも知れぬがな」
 ここで猫又達は平太郎をからかうようにして言った。
「無礼なことを言うのう」
 平太郎はそれを聞くとあからさまに不機嫌な顔をした。
「わしがどれだけ飲めるのか知らぬようだな」
「まあな」
 妖怪達はそれに対して答えた。
「どうやら毎日飲んでおるようだがな」
「それでもわし等には勝てまい」
「言うてくれたな」
 彼等の挑発に口を尖らせてきた。
「では見せてやろうか、わしの飲みっぷりを」
「おお、見せてみよ」
「もしわし等を納得させられたら酒樽を二つやるぞ」
「何」
 それを聞いた途端平太郎の目が光った。さらに飲めるのかと思うと思わず目を輝かさざるを得なかったのだ。
「ならば」
 彼は杯を持ち替えた。大杯を取り出して来た。
「ほう」
 それを見た妖怪達は思わず声をあげた。
「それで飲むつもりか」
「そうじゃ」
 平太郎は得意気に応えた。
「これでどんどん飲んでやろうぞ」
「どんどんか」
「そうじゃ。では注ぐがよい」
 そう言いながらその大杯を前に出した。
「片っ端から飲んでやる故」
「よし」
 妖怪達もそれに応えた。すぐにその大杯に酒をなみなみと注いだ。
「飲んでみよ」
「ぐい、とな」
「よし」
 平太郎はそれを両手に持ってにやりと笑った。そして口に着けた。
 ぐい、ぐい、ぐい、と音を立てて飲む。まるで水を飲む様に飲んでいく。
「おお」
「これは中々」
 妖怪達はその見事な飲みっぷりに感嘆の声をあげた。
 忽ちのうちに全て飲み干した。だが平太郎は杯をまた前に差し出した。
「もう一杯」
 更に飲もうというのだ。
「そうこなくてはな」
「面白くとも何ともないわ」
 妖怪達もそれに応えた。その杯にまた酒を注ぎ込む。
 平太郎はそれも瞬く間に飲み干した。そして干し魚を口に入れると噛んで飲み込んだ。
「おかわりじゃ」
 そしてまた飲み干す。これを幾度となく繰り返した。
 そして樽を一つ空にした。だが顔色は普段とは全く変わってはいない。
「どうじゃ、わしの飲みっぷりは」
 空になった樽と大杯を妖怪達に見せつけながら問う。その顔は勝利者のものであった。
「ううむ」
 妖怪達はそれを見て思わず唸った。
「まさか樽一つ飲み干すとはのう」
「いやはや、見事なものじゃ」
「ふふふ」
 平太郎は余裕の笑みを浮かべていた。妖怪達の鼻を明かせたことが何よりも楽しかったのだ。
「では約束通り樽を二つもらえるのであろうな」
「無論じゃ」
「わし等も嘘はつかん」
 彼等は言った。そして鬼が樽を二つ抱えて来た。
「ほれ」
 そしてそれを畳の上に置いた。
「約束じゃ。好きなだけ飲むがよい」
「うむ。確かに受け取った」
 平太郎は受け取ったことを言った。そこでまた彼等に言った。
「では祝いに飲みなおすとするか」
「何と」
 これにはさしもの妖怪達も呆れてしまった。
「また飲むというのか」
「お主はうわばみか」
「うわばみ」
 酒を何よりも好む大蛇の妖怪である。平太郎はそれを聞いて辺りを見回した。
「そういえばおらぬのう」
「ふざけるでない。お主のことじゃ」
 妖怪達は平太郎に対して言った。
「わしか」
「そうじゃ」
 またもや口を揃えた。
「他に誰がおるのじゃ」
「全くじゃ。うわばみでもこれ程は飲まんぞ」
「そうか、そうか」
 平太郎は妖怪達の呆れた声を聞いてさらに機嫌をよくした。
「わしは化け物より凄いのか」
「まあのう」
 天狗が渋々ながらそれを認めた。
「わしでもそこまでは飲めはせぬからな」
 鬼もだ。見れば猫又も狐も狸も頷いている。
「まあ今日はお主に酒をやったと思えばよいか」
「わし等も結構飲ませてもらったしな」
「うむ、まあこれで今日は納得するとしよう」
 どうも彼等も酒をかなり飲むことができ満足しているらしい。上機嫌で席を立った。
「それではな」
「あとはお主だけで楽しむがいい」
 そして彼等は平太郎の家をあとにした。平太郎は一人になった。
「ふむ」
 彼は大杯に自分で酒を注いだ。
「よくよく考えてみれば」
 とあることに気付いた。
「化け物共と話をしたのは今のがはじめてじゃのう」
 面白いことだった。そういえば今まで話なぞしようとも思わなかった。
「話してみれば中々いい奴等じゃ」
 ここで目の前に置かれている二つの樽に目をやった。
「こんなものまでくれたしのう」
 そしてまた飲みはじめた。その日は心ゆくまで酒に親しんだ。
 翌二十一日は流石に飲んではいなかった。二日酔いで苦しかったからだ。
「やはり飲み過ぎたかのう」
 彼はその場では幾らでも飲める。だが次の日にはその酒がかなり残っているのである。
 こうした体質であった。しこたま飲んでも酔わないが次の日にも残っている。こうしたことを見るとやはり彼も人間であった。
 さてこの日は書を読んでいた。酒は行く水で何とか抜いた。ようやく頭がはっきりとしてきていた。
 今読んでいるのは平家物語である。平太郎はこの書が特に好きであった。
「入道殿か」
 彼はその中でも平家一門に思うところが多かった。
 栄耀栄華を極めながらも滅んでいった。その有様は実に物悲しい。天下を手中にしたというのに彼等は滅び去ったのだ。
「これも世の中の摂理か」
 歴史を知らないわけではない。その後の源氏のことも彼はよく知っていた。
 だからこそ思うのである。人の世は実に無常なものであると。
「どの様に強い者でも必ず死ぬ。滅びぬ者はおらぬ」
 平家物語からそうしたことを学んだ。滅せぬ者なぞいないのだ。
 では武芸は無意味か。決してそうではない。
 悪源太義平にしろ木曾義仲にしろ彼等はそれぞれの生き様を貫いた。今井兼平も斉藤実盛もだ。どうして彼等を褒めずにいられようか。思わずにいられようか。
「わしもこうなりたいものだ」
 平太郎は彼等のことを読む度にそう思う。そしてさらに武芸に励むことを誓うのであった。
 そうして読み進んでいく。ふと行灯に目をやった。
「蝋燭は大丈夫かのう」
 見ればまだかなり高い。当分は安心だった。
 紙に包まれて淡い光を放っている。その周りに蛾がニ三匹飛んでいる。
 他には何もいなかった。紙をこして蛾の影がちらちらと見えるだけであった。
 しかしそこに急に別の影が映った。
「むっ!?」
 それは人のものであった。それは今の平太郎と同じ様に書を読んでいた。
「今宵の客か」
 彼はそれが何であるかすぐにわかった。そして平家物語から目を離しそちらに顔を向けた。
 見れば何やらぶつぶつと口を動かしている。耳を澄ませば何かを唱えているようだ。
 だが何を唱えているかまではわからない。結局平太郎はそれは無視することにした。
「仕方ないのう」 
 そして書を読むのを再開した。目が疲れて書を閉じるとまだ映っていた。
「すまぬが今宵はこれでな」
 ふぅ、と行灯の火を吹き消した。そうするとその影も消え去った。
 それを見届けるとその場を後にした。そして蚊帳の中に潜り込んで眠った。
 翌二十二日は早くに起きた。そして修練に励み道場で教えた。
 弟子達が帰り一人になった。道場を後にする頃には夕方になっていた。
「今夜は何が出るかのう」
 そう考えながら居間に向かった。すると早速いた。
「おお」
 見れば居間を箒が掃いている。これは有り難いことだと思った。
「気が効くのう。近頃何かと忙しいわ気分が落ち着かぬわで掃除もしていなかったわ」
 平太郎はそれを見て目を細めた。居間が綺麗になると箒は飛び去り元の玄関に戻った。
 その日はこれで終わりであった。居間が綺麗になったことで平太郎は満足した。
 だが次の日はその折角の掃除が無駄になってしまった。
 夕方から椀や机等家財道具が飛び交った。それを見た彼はとりあえず頭に座布団を被りそこから襖の中に隠れた。
「これは危ないのう」
 そして安全な場所からそれを見守った。家財道具は飛び交うだけでこれといったことはない。別に平太郎を狙っているわけでもない。だが彼は面白くはなかった。
「昨日掃除してくれたのは何だったのじゃ」
 あらためて化け物の気紛れさに腹が立った。だがすぐに思い直した。
「化け物じゃな」
 結局その一言で済む話であった。
「化け物が何をしようとおかしなことはない。そう思えばわかるな」
 そう思うと妙に納得できた。彼はその日は襖の中で休んだ。
「明日のことは明日考えればよい」
 少し暑いがそれでもよく眠れた。目が醒めて出てみると家財道具は元の場所に戻っていた。それを見た彼はとりあえずはホッとした。
「掃除をしなくて済んだわ」
 彼が心配したのはそれだけであった。だがそれがなくて一息ついたのであった。
 二十四日は夕方から出て来た。まずはやけに大きな蝶が姿を現わした。
「蝶の妖怪か」
 考えてみるとこれは今まであまり聞いたことがない。中々珍しいものである。
 異様な大きさだ。鷲位はある。色は虹色であり実に美しい。そのまま見ていると飽きない。
「これはいいのう」
 こちらに何かをしてきそうでもない。彼はその蝶をゆっくりと眺めることにした。
 蝶はゆっくりと飛びながら柱の方に向かう。そしてそこにぶつかった。
 すると蝶は揺れた。少し動きを止めたかと思うとそこから無数に分かれた。
「ほう」
 平太郎はそれを見て声をあげた。まさかここで分かれるとは思わなかったからだ。
「どうなるかのう」
 そしてその次の動きを見守る。無数の蝶は銘々に飛びはじめた。
 よく見るとどの蝶も姿形が異なる。白い蝶もいれば青い蝶もいる。赤いのも黒いものいる。大きさも実に多様である。それが平太郎の周りを飛び回る。それだけでかなり美しい光景であった。
「よいぞよいぞ」
 彼は上機嫌であった。そしてそれを悠然と見ることにした。
 蝶の飛ぶのを見ていると時間が経つのも忘れる程であった。だがそれもやがて終わった。
 明け方になったのだ。鶏の声がすると蝶達は煙の様に消え去った。
「やはりな」
 この蝶達も妖怪変化の類であることはわかっていた。だが怖くはなかった。
 むしろ楽しい。ましてやこの蝶達は実に美しかった。
「こんなものならば今宵も出て来て欲しいものじゃ」
 彼はそう思ってすらいた。そしていいものを見ることができたという思いのまま眠りについた。
 だがこの二十五日はそうはいかなかった。今度はかなり厄介なものが来た。
 何と槍が来るのである。それは居間で自由自在に飛び回った。
「これはいかん」
 さしもの平太郎も難を逃れることにした。
 厩まで行った。流石にここまでは来ないような。
「ここなら一安心か」
 どうやらそのようであった。彼はその日はここで休むことにした。
「ぶるる」
 枯れ草の上に寝転がると馬が顔を近付けてきた。いつも乗っている馬だ。可愛がっている。
「おお」
 彼はその愛馬の顔を見て安心した。
「お主が側にいてくれるか、今宵は」
 馬は答えない。だがそのかわりに平太郎の顔を舐めてきた。
「ははは、よせ」
 彼は笑いながらそれを手で退けた。
「お主の気持ちはわかった。では今宵は二人でゆうるりと休もうぞ」
「ひひーーーん」
 馬は答える様に鳴いた。そして彼の側に寝転がった。
「うむ」
 平太郎は彼の腹の上に頭を置いた。そして腕を組み休んだ。
 朝の目覚めはまたいつもとは違っていた。どうも気持ちがいい。
「ふああ」
 起き上がるともう朝日が差し込んでいる。雀の鳴く音も聞こえている。
「これもなかなかよいのう」
 馬も目を醒ました。そして主に挨拶する様にいなないた。
「うむ、お早う」
 彼は愛馬に声をかけた。そして起き上がり居間に向かった。
「どうなっておるかのう」
 流石に不安であった。いつものよりも遥かに剣呑なものが飛び交っていたのであるからそれも当然であった。
 用心しながら居間を覗く。朝なのでもう何も飛び交ってはいなかった。
「どうやら安心かのう」
 しかしまだ油断はできない。彼は慎重に中に入った。
 槍は一本もなかった。どうやら他の場所に移ったらしい。
 屋敷の中を探ると元の蔵の中にあった。見れば蔵の鍵が壊れている。
「そういえばまだ修理していなかったな」
 平太郎はそれを見て舌打ちした。鍵が壊れているのは実は前からわかっていた。
 だが打ち捨てていたので。どうせ中には大したものもない。この蔵とは別の蔵に置いていたのだ。
 ここには古い服や昨夜飛んでいた槍等しかなかった。この槍にしろ先は錆びて到底使い物になる代物ではないのである。
「夜のせいで見えなかったか」
 またもや舌打ちした。どうもこれは彼の武士としての不用心を戒めることのような気がした。
 そう思った彼は反省した。そしてすぐに人を呼び鍵をなおさせた。そして槍の刀身も付け替えた。
「化け物に教えられたわ」
 いささか面白くなかった。だが戒めにはなった。
 顔を顰めながら修繕された鍵をかける。その中には当然あの槍もある。
「これでよし」
 彼は鍵をかけて言った。そしてその場をあとにした。
 その日は夕刻になると急に騒がしくなった。何でも隣の権八が重い病にかかったという。
「まことか」
 隣の家に詳細を聞きに行こうと思った。今の時点では単に騒ぎ声が聞こえるだけである。これでは何が何だか全くわかりはしない。
 居間を出ようとする。だがここであやかしが姿を現わした。
「こんな時にか」
 困ったがこれに対処せねばならない。何と柿が部屋の中に飛んで来た。
「柿!?」
 夏なのに妙なことだと思った。しかもよく見てみると赤々としている。増々わけがわからない。
 だがこれも怪異だと思うと納得がいく。そう思えばどんなことでも納得できるのだがら気が楽といえばそうなる。
 平太郎は居間の真ん中に座り込んだ。そして床に落ちた柿を手にとった。
「どれ」
 そしてそれをかじってみた。見れば本物の柿であった。
「むう」
 不思議である。実に不思議だ。夏なのに柿が食えるとは。
「西瓜でも飛んで来たら不思議なものじゃが」
 味はいい。適度に固く熟れ過ぎてもいない。
「わしの好みじゃな」
 彼は柿は固めが好きである。熟れ過ぎて柔らかくなったものは好まない。
「皮も固くなるし汁が多過ぎる。あれだけは駄目じゃ」
 酒は好きだがこうした果物も嫌いではない。この日は酒ではなく柿を楽しむことにした。
「とりあえず権八殿は明日でよいかのう」
 隣ではまだ騒ぎが聞こえてくる。だがこれも妙なことに思えてきたのだ。
 その理由は簡単であった。騒いでいる声がどれも聞きなれぬものばかりであったからだ。
「あれもあやかしの仕業か」
 そう思えてきた。すると急に出て行く気は消えたのだ。
 満腹になるとあとは拾い集めザルの中に入れた。そして溜め込んだ。
 見ればかなりの数が集まった。これだけで当分食うのには困りそうにもない位であった。
「他の者にも分けてやるか」