山本太郎左衛門の話 その五
作:坂田火魯志





 彼はその山の様な柿を見てそう思った。そして翌日それを実行に移した。
「柿はいらんか」
 家の前で村の者に声をかけたのである。
「柿!?」
 それを聞いた村人達は皆耳を疑った。
「それは嘘でしょう」
 まず皆それを疑った。
「この季節に柿なぞ」
「そうでござる、平太郎様も冗談が過ぎる」
「おい、わしは冗談なぞ言わぬぞ」
 だが彼はそれに対して口を尖らせた。
「大体わしが今まで嘘を言ったことがあるか」
「そういえば」
「ありませぬが」
 平太郎は真剣であった。ましてやこうした冗談は言わないしそれ以上に嘘を言わない人間であるのはよく知られていることであった。
「信じるか」
 彼はあらためて皆に対して問うた。
「はあ」
「そこまで仰るのでしたら」
 皆どうやらそれが嘘ではないとわかった。そして平太郎が手に持つザルの上に山盛りにされた赤々とした柿を見た。
「確かに柿ですな」
「それも赤々としている。実に面妖でござる」
「昨日居間に飛び込んで来たのじゃ」
 平太郎はそれに対して答えた。
「おそらくこれもあやかしの類であろう」
「やはり」
 皆何となくそうではないか、と思っていたがその通りであった。そう説明されると納得がいく。
「食べてみたが美味いぞ。皆の衆もたんと食うがよい」
「大丈夫ですか?あやかしのものだというのに」
「うむ。それは大丈夫だ。見よ、何ともないぞ」
 彼は自分自身を指で指し示して言った。
「このわしが何よりの証拠じゃ。他に証拠がいるか」
「いえ」
 彼等はそれで納得した。どうやら一応食べても大丈夫なようだ。
「それでしたら」
 彼等はそれぞれ柿を手にとった。そしてそれを口に運んだ。
「ふむ」
 かじってみる。甘みが口の中に広がる。微かな渋みもあった。やはり柿である。
「美味いですな」
「確かに。まごうかたなき秋の柿じゃ。まさか夏に柿が食えるとはのう」
 彼等は最初は異様に思ったがいざ口にしてみるとその思いは何処かに消え去った。食べてみると実に美味いからだ。美味いものはそうした思いを見事に消し去ってしまうのだ。
「いや、これは中々」
「実にいいですなあ。どれもかなり美味いですぞ」
「確かに。こんな美味い柿は滅多にない」
 彼等は口々に言った。そして季節外れの美味な柿を心ゆくまで堪能したのであった。
「ふう、食った食った」
「平太郎様、有り難うございます」
 彼等は満腹し満足してその場を後にした。だが柿はまだまだ残っていた。
「さてこれだが」
 見ればかなりある。平太郎は隣の権八にも持って行くことにした。
「本当に危篤ならば放ってはおけぬ。柿は身体を冷やすというが」
 権八は大の柿好きである。持って行っても嫌な顔はされないだろう。そう思い持って行くことにした。
「もし」
 彼はザルの上の柿を手に権八の家の門のところで声をかけた。程なくして声が返って来た。
「おう」
 それは権八のものであった。声を聞く限りどうやら元気そうであった。
「やはりな」
 どうやら昨日の騒ぎはあやかしの仕業であるようだ。彼はその声を聞き納得した。
「おお、平太郎殿か」
 彼は血色のよい顔で出て来た。危篤だったとは全く思えない。
「一体何の用じゃ」
「うむ。実はな」
 彼は持っている柿を彼に差し出した。
「昨日化け物がうちに次々と投げ込んでくれたものじゃ。どうじゃ」
「おお、これはいい」
 やはり彼は柿が好きであった。満面に笑みをたたえそれを手にした。
「有り難く受け取らせてもらうぞ」
「うむ」
 平太郎はそれを手渡した。権八はにこにことしている。
「美味そうじゃな」
「うむ。昨日たらふく食ったがかなりいけるぞ」
「それはいい。では早速後で頂かせてもらう」
「そうすればいい。たんとあるからな」
「うむ、礼を言うぞ」
 権八は笑顔で家の中に戻って行った。そしてそのまま消えた。
「元気であったな」
 それだけで彼はほっとした。
「まあ大体わかっていたことであったが」
 それでも実際に目で見ると落ち着くものである。彼はそれを見届けると自分の家に引き揚げた。
 それからその日は道場も休みなので修練に励んだ。木刀を振り水練をしに川へ向かった。汗をかき水で身体を冷やした。終わった時は実に気分がよかった。
 二十七日は夜遅くになっても化け物は姿を現わさなかった。彼は蚊帳の中で寝転がりながら化け物を待っていた。
「今宵は遅いのう」 
 楽しみにしているというのに何ということだ、と内心憤りすら感じた。
「まあこのまま待つとしよう。来なかったらそのまま寝ればよい。来たら奴等が起こしてくれるだろう」
 いささか勝手な考えを抱いていた。そしてそのままうとうととしだした。
 すると早速出て来た。暗闇の中で何かが彼の頬を撫でた。
「来たな」
 目を開けると目の前にいた。見るとそれは手であった。
「これは」
 それも女の手だ。上から伸びている。
 よく見ると上へ繋がっている。その付け根には何やら丸く大きなものがあった。
 そこには女の顔があった。平太郎を見下ろしてにたにたと笑っていた。
「ふうむ」
 彼はそれを見て思った。最初の頃に出て来たあの髪の毛で進む女の首に似ていなくもない。
 だが何かが違う。あの首に比べて恐ろしさが少ないのだ。
「わしが慣れたせいかのう」
 だがどうも違うようだ。この首は手で平太郎の頬を撫でた後はこれといって何もして来ないのだ。
 ただ彼を覗き込んで笑っているだけだ。無気味な笑いであるのは確かだが他には何もない。
 やたら大きな首ではある。それだけで平太郎の身体の半分程はある。白粉とお歯黒で化粧をし髪はちゃんと結ってある。見れば中々整った顔立ちである。
「こんな女と夫婦になりたいものじゃな」
 そう思わせる程の顔であった。だがこの女は人ではない。見ただけ迷うことなくわかる。
「残念なことじゃな。まあ退屈はしておらぬが」
 彼は笑いながらこの首と正対していた。首はやはり笑うだけでこれといって何もしては来ない。
 やがて跳びはねながら姿を消した。そして蚊帳も障子もすり抜けて姿を消した。
「いったか」
 静かになった。そうなると自然に眠くなってきた。
「では休むとするか」
 いささか拍子抜けしたところもあるが暫くぶりに変わった妖怪を見ることができた。それで満足したと言えばした。彼は目を閉じた。気が着くともう朝であった。
 二十八日は遠くに何やら光が見える。それも一つではない。
 無数にある。それは青白く蛍のそれにしては奇怪な光であった。
「さては」
 今宵の妖怪かと察した。それを見る為に庭に出ようとする。
 踏石の上の下駄に足を入れる。すると何やら異様に冷たい。
 冷たいだけではない。ぶにゃりと柔らかく、しかも足に粘りついてくる。何とも言えぬ妙な感触だ。
「蒟蒻を踏んだみたいじゃな」
 そういえば似ている。この冷たさと柔らかさはまさに蒟蒻であった。だがこの粘りは何なのか。
「餅かのう」
 そこまではきつくはなかった。しかし下駄からは足はするり、とは抜けなかった。手間をかけて脱ぎ別の下駄を取り出した。
 だがそれも同じだ。やはり冷たく柔らかい、それでいて粘りつく感触が足の裏に伝わった。
「ううむ」
 気分がよくない。足の裏がこうだと如何ともしがたい。彼は庭先に出る気が失せてしまった。
 居間に戻った。そしてそこから光を見ることにした。
 光は居間からでもよく見ることができた。蛍のそれにしては無気味な光だがそれなりに美しい。ゆったりと落ち着いて見ることにした。
「こうしていると別にここから見ても悪いわけではないのう」
 彼はそう思えてきた。そしてそのまま見続けた。
 光はやがて消えていった。そうすると彼は寝室に入って休んだ。
「今宵はまた綺麗なものじゃった」
 彼はその光を瞼に思い出しながら呟いた。
「この一月の間本当に多くのものを見ておるな」
 そこでふとそう思った。
「最初の頃は色々と思ったものじゃが今では楽しくて仕方ないのう」
 彼はにやりと笑った。
「おかしなものじゃ。化け物といっても普通に付き合うておる。わしも図太いものじゃ。いや、違うかのう」
 ここで思いなおした。
「化け物も人間も案外一緒なのかも知れんな。どういう理屈かはわからぬが」
 思えば人間にも悪い者はいる。化け物にも気のいい者はいる。少なくとも酒を共にした天狗や鬼からは邪気は全く感じられなかった。
「ではそれ程付き合いに注意する必要もあるまい。何、命は一つ。どうとでもなる」
 よしんば命を落としたらその時はその時だと思った。
「では寝るろしよう。願わくばずっと出て来て欲しいものじゃ」
 だがそれは適わないだろうと思っていた。根拠はない。そう思うだけだ。
 この日はそのまま深い眠りについた。そのまま朝まで目は醒めなかった。
 次の日は夕方から出て来た。
「むっ」
 不意に気配を感じた。上からであった。
 見上げると天井に無数の手が生えていた。それはだらりと垂れ下がっていた。
「ふうむ」
 冷静にそれを見た。見ればどの手も青白くまるで死人の手の様だ。
 平太郎はここで何を思ったか孫の手を持って来た。そしてそれを手の前で振った。
「どうなるかのう」
 猫の様に反応してくるかと思ったのである。だが反応は全くなかった。本当に死人の手の様に動かなかった。
「ただ生えているだけかのう」
 さらによく見るとどれも女の手だ。小さく柔らかそうである。
 暫く見ていると手は一つずつ天井に引っ込んでいった。そして全ての手が消えた。
 手が消えると襖が急に開いた。するとその入口一面に老婆の顔があった。
「また婆か」
 そういえば老婆の顔が度々出て来る。だが同じ顔ではない。
「別の婆のようじゃな」
 平太郎はそれを確かめながら老婆の顔の前に来た。そしてそれをまじまじと見る。
「のう」
 そして彼女に問うた。
「お主は先に出て来た者達の姉妹か何かか」
 だがその顔は堪えない。ただにたにたと笑いながら平太郎を見ているだけであった。
「まあよいわ」
 だが平太郎はそれを責めるつもりはなかった。
「答える気がないのならそれでよい。わしは別に答えよと無理強いはせぬ」
 彼は老婆の顔の前にどっかりと座った。そして側に置いてあった瓢箪と杯を手にとった。
「酒でも共に飲みたいがどうじゃ」
 だがやはり答えない。相変わらずにたにたと笑っているだけである。
「ううむ」
 無愛想なのかそうでないのか。答えないから無愛想と言えるが笑っているのでそうとも言えない。彼はもうこの老婆に言うことを止めにした。
「一人で飲むとするか」
 そして酒盛りをはじめた。暫くして上から女の騒ぐ声が聞こえてきた。
「先程の手の主達じゃな」
 ここでようやく先程の手が何故全て女のものであったか合点がいった。つまりあの手は今天井で騒いでいる者達のものだったのである。
 声は確かに騒がしい。だがその他にはこれといって何もない。別に天井が下がってきたりとか落ちてきたりということもないようだ。
「ならばよい」
 彼はそう割り切った。むしろ逆にこの声を酒の肴にすることにした。
「女の声を聞きながら飲むのもまた一興」
 そして酒を口にした。耳を傾ける。だが何を言っているかまではわからない。
「姦しいだけかのう」
 遠くから何やら風の音が聞こえてきた。どうやら只事ではない。
「野分か」
 夏である。野分が何時来てもおかしくない季節である。
 風は次第に強くなってきた。平太郎はそれを見てすぐに立った。
「すまんが今はお主等の相手はできぬ」
 老婆と天井にそう言うとすぐに家の戸締りにあたった。そしてそれが終わり居間に戻るともう老婆も天井の声も何処かへ消えていた。
「野分を感じたのかのう」
 もう跡形もなく消えたその跡を見ながらそう思った。平太郎はまた飲みだした。野分なら外には出られぬ。酒はふんだんにある。
「これも化け物の土産じゃな」
 彼等からもらった樽の酒にも手をつけた。そして心ゆくまで飲みそのまま寝た。
 起きるとやはり野分が来ていた。外から激しい風と雨の音が聞こえてくる。
「やはりのう」
 彼の予想は当たった。とりあえずは二日酔いを抑える為また飲みはじめた。
「迎え酒じゃな」
 出られないのなら飲むのが一番だ。彼はまた飲みはじめた。
 昼になると風も雨も次第に弱まってきた。どうやら通り過ぎたようだ。
「行ったか」
 平太郎は固く閉じていた雨戸を開けた。するとそこには一面の青空が拡がっていた。
「おお」
 実に綺麗な空であった。雲一つない。そして陽が雨にまだ濡れている地面を照らしていた。
 水溜まりにその陽が映っている。光を反射してまるで鏡の様である。
「これは絶景じゃ」
 平太郎は大喜びで外に出た。そしてそのまま村の中を歩き回った。
 そうやらあまり大きな野分ではなかったようだ。少なくとも風は大したことはなかったのか家々に被害はなかった。
 雨は凄かったようである。川はかなり水かさが大きかった。
「大事はなかったようじゃな」
 彼は村を見回してそれを確認した。そして今度は家に戻り馬を出してきた。
 それに乗ると辺りを走り回った。酒は歩いた時にあらかた抜けていた。
「飲んでばかりだとなまってしまうわい」
 辺りを駆け回った。それでひとしきり汗をかくと家に戻り行水で汗を落とした。
 さっぱりした気持ちで居間に来るともう夕刻であった。空は次第に赤くなってきていた。
「また夜になるのう」
 最近ではそれが待ち遠しかった。今宵は何が出て来るのかと思うだけで楽しくなる。
 いそいそと夕食を採り化け物を待った。空は赤から紫になっていった。
 その濃紫の空に無数の星達が瞬いている。赤い星もあれば青い星もある。晴れ渡った夜空に無数に煌いていた。
「いいのう」
 平太郎はその星達を満足気に眺めていた。星も好きである。
「天の川まで見えるわ。そういえば今年は七夕まで考えが及ばなかったわい」
 それが残念であった。実は彼は毎年あの二つの星を眺めながら酒を飲むのを何よりも楽しみとしていたのだ。
 だが見過ごしたものを今思っても仕方のないことであった。彼は来年見れたら見ることにした。
「その頃までに覚えておればよいな」
 ひょっとすると忘れるかも知れない、もしかしたら死んでいるかも知れない。人の一生とは一寸先のことすら全くわからないものであるからだ。
 星を見飽きると今に戻った。そこでゆっくりと化け物を待つことにした。
「さて今宵は何が出るかのう」
 待っていると不意に一陣の風が吹いてきた。涼しい風であった。
「野分が去ったのにか」
 面妖に思ったがこれもまた化け物の来る予兆と思うと納得がいく。ではそろそろ今夜の客が姿を現わす頃だ。
「来るか」
 平太郎は敷物の上に座った。そして客を待った。
「今宵は何かな」
 やがて障子の向こうに影が現われた。男の影だ。
 見ると異様に大きい。丈は平太郎の倍程はあろうか。
「大入道かのう」
 まずはそう思った。何かと思っているうちにその影の主が居間に入って来た。
「む」
 見ると大入道ではなかった。確かに大きいが身なりのよい中年の男がそこに立っていた。
「お主は一体何者じゃ」
 見れば本当に立派な服を身に着けている。能花色の帷子に浅黄色の袴、腰には両刀がある。歳は四十位で恰幅のよい身体つきをしている。見れば顔相もかなり良さそうだ。その背丈を覗けば大きな家の大名と言っても通用するであろう。そこまでの気品と風格が備わっていた。
「我か」
 その男は問われてゆっくりと口を開いた。重く低い声であった。
「我は山本五郎左衛門という」