山本太郎左衛門の話 その六
作:坂田火魯志





「山本五郎左衛門!?」
 平太郎はその名を繰り返した。
「そうだ。我は人ではない」
「やはりな」
 それはすぐに察しがついた。
「では一体何者じゃ」
「我は人でもなければ天狗でもない。かといって鬼でもない」
「ほお」
「魔王の類である。比熊山を城にする者である」
「比熊山か」
 思い当たることが丁度あった。
「やはりあの時か」
「その通り」
 山本と名乗ったこの異形の存在は答えた。
「あの時お主は岩に腰掛けたな」
「うむ」
 平太郎は素直に答えた。隠すつもりもなかったし出来るとも思わなかった。
「あの岩は我等にとっては大事なものであったのだ」
「そこに腰掛けて怒りを覚えたということじゃな」
「そうだ」
 彼は重い声で答えた。
「そして懲らしめてやろうと思いお主のもとに家来達を送ったのだ」
「そうだったのか」
 平太郎はこの一月ばかりの怪異を理解した。以前上田が彼に言ったこととほぼ同じであった。
「それでこの一月ばかり毎日化け物共がわしに会いに来ておったのか」
「左様」
 山本は答えた。
「無論お主の命を奪おうなどとは考えてはいなかった。懲らしめるだけにするつもりであった」
「そうだったのか」
「こちらにはこちらの掟がある。人を殺めてはならないのだ。それに」
「それに?」
「我は人を殺すことは好まない。それは魔王としての誇りに関わるからだ」
「魔王としてのか」
「そうだ。少なくとも我はそう考えている」
 中には恐ろしい魔王もいる。崇徳上皇や早良親王等がそうであると考えられている。
「上皇様や親王様は違うお考えであろうがな」
「まあそれはそうじゃろうな」
 それは平太郎もよくわかっていた。生前のことを思えばそれは頷ける。
「魔王といっても色々といるわけだな」
「そうだ。少なくとも我はそうだ」
「ふうむ」
 平太郎はそれを聞き大いに勉強になったと思った。彼は今まで妖怪も化け物も同じだと思っていた。考えることも同じであるとばかり思っていたのだ。
 当然その首領である魔王もだ。皆上皇や親王と同じ考えだと思っていたのである。
「あの方々にはあの方々のお考えがある」
 山本は言った。
「それについては我は言うつもりはない。我は我だ」
「そうか」
 どうも彼はそうした怨霊とは別の系列の存在のようだ。そういえば今まで死霊の類は見ていない。多くの妖怪変化がやって来たにも関わらずだ。
「それでもお主には無礼の罰を与えんと思いこうして一月手の者を送ってきたがすぐに慣れてしまった」
「まあのう」
 彼は僅か数日程で慣れてしまった。そしてそれからは逆に化け物達がやって来るのを待っていた程である。
「正直に言わせてもらうと我もそれには驚いた」
「ほう」
「もって数日で参ってしまうと思っていた。そうすれば引き揚げるつもりであった」
 そうやら彼はそれ程強硬にやるつもりはなかったようである。
「懲らしめであるからな。ところがだ」
 彼はここで一息置いた。
「お主は参らぬどころか逆に配下の者達を遊ぶ始末だ。我もそれに乗ったが」
「そうであったか」
「お主の胆力には感服した。それで今日ここに来たのだ」
「挨拶というわけだな」
「その通り。実はまだ手があるのだが」
「それは何じゃ」
「我の知り合いに神野悪五郎という男がいる。天下無双の猛者だ」
「そんなに強いのか」
「人ではない。その強さは魔王の中でも屈指であろう」
「そうか」
 平太郎はそれを聞きながら腕が鳴るのを感じていた。だが山本はそんな彼を嗜めるように言った。
「止めておけ。人では勝てはせぬ」
「それ程なのか」
「うむ。そうそう容易にはな。勝てるとしたら悪源太でも連れて来るしかあるまい」
 言わずとしれた源氏きっての猛者である。
「こう言っては何だがお主では勝てぬ。だがもう神野は呼ばぬ」
「何故じゃ」
「お主の難は終わったからだ」
「終わったのか」
「そうだ。元々一月と定めていた」
 どうやら山本は平太郎の下に配下の者を送るのは一月の間だけと考えていたようである。
「それは終わった。もうお主には何もせぬ」
「そうか」
 本来は安堵するのだろうが彼は違っていた。少し寂しいものを感じていた。
「むしろお主の肝に感じ入った」
「肝にか」
「うむ。この一月の間よくぞ平気でいられた。これ程までの者は今まで見たことはなかった」
「そうか」
「その肝に褒美をやろう。我が来たのはその為でもある」
 そう言うと懐から何かを取り出した。それは一つの槌であった。そしてそれを平太郎に手渡した。
「槌か」
 見れば外見はごく普通の槌である。
「無論ただの槌ではない」
 山本は言った。
「これには我等の技が込められている」
「あやかしのか」
「そうだ。お主に危機があったならばこれを使うがいい」
「これをか」
「そうだ。まずは北に向かう」
「ふむ」
「そしてそれで柱等を叩きながら我の名を呼ぶがいい。さすれば我はすぐに汝の下に現われよう」
「さようか」
 聞いても現実のものとは思えない。実に奇怪な話ではある。
「しかし」
 だがここで平太郎はあることに気付いた。
「お主は比熊山にいるのであろう。それならばこれは特に要らぬと思うが」
「それか」
 山本はそこで言った。
「我はあの山を離れることにした。九州を渡り南の島々に渡ろうと思う」
「南のか」
「そうだ。家臣と共にな」
 その家臣が今までの妖怪達であることは言うまでもない。
 その南の島というのは琉球だろうか。平太郎はふと考えた。だがそうなると一つ疑問が生じる。
 何故北に向かって槌を振るわなければならないのか。彼にはそれがよくわからなかったのだ。
「それもやがてわかることだ」
 どうやら山本は彼が何を考えているかわかっているらしい。それに対して言った。
「我等の世界はこの世界とは異なるからな」
「異なるのか」
「そうだ。この日之本の国にあるのは同じだが次元が異なるとでも言おうか。そもそも我等の世界は北にあるのだ」
「北に」
 そう言われてようやく合点がいってきた。北には死者の国があると言われている。
「我は死者ではないがな」
 山本はそれにはそう断った。
「配下の者にも死者はいない。だがそこに我等の国がある」
 どうやら妖怪の世界は死者の世界と同じ場所にあるらしい。そして彼等は付き合いがあるようだ。
 そういえば上皇や親王のことを知っている。彼等も魔王だというならば当然そこにいるということになる。
「あの方々はかなり高貴な方々だがな」
 山本は注釈をつけるようにして言った。
「我もそうおいそれをお顔を拝見することはできぬ」
「そうか」
「あの方々は恐ろしい。日之本に禍をなさんと常に考えておられる」
「それは聞いている」
 平安京が出来た経緯も保元の乱のことも知っていた。だからこそ彼等の恐ろしさもよく知っていた。
「我にはそこまでの心も力もない。それは安心せよ」
「うむ」
 魔王にも格があるようだ。そして出自も関係するらしい。
 どうやらこの山本は妖怪の魔王であるらしい。人の姿をとってはいるが妖怪であるようだ。
 そういえば確かに彼の家臣達は皆妖怪であった。魔王といっても色々あるようだ。
「さて」
 山本はここで畏まった。
「随分長居したな。長々の逗留忝い」
 そう言って頭を深々と下げた。これには平太郎も慌てた。
「いやいや」
 仮にも魔王というからにはかなりの身分である。その様な者に頭を下げられて恐縮してしまったのだ。
 彼も頭を下げた。やがて両者は頭を上げた。
「それでは失礼仕った」
「はい」
 最後は礼儀正しく終わった。山本はそのまま居間を出ると庭先に出た。平太郎はそれを見送る。
「いや、見送りは不要」
 そう言うが彼は見送った。やはりそれが礼儀だと思ったからである。
「かたじけない」
 山本はその心遣いに感じ入った。表情は変わらないが彼のそうした行動が気に入っているようである。
「肝だけではないのだな」
 そう言った。彼の人間としての節度も気に入ったのである。
「お主に槌を渡してよかった」
 そしてこう言った。それは心からの言葉であった。
 彼が庭先に下りるとそこに何やら異形の存在が現われてきた。見れば平太郎のところに来た者もいる。どうやら山本の配下の者達のようだ。
「それではな」
 山本は最後にそう言うと化け物達に護られる様にして囲まれた。そして籠の中にゆっくりと入った。
 山本が入った籠はそのまま担がれた。そして化け物達の行列の中央に位置し運ばれて行った。
「ううむ」
 見れば大名行列そっくりでる。違うのはそれを形作っているのが人ではなく、化け物であるということか。そして化け物達は闇の中に消えていった。彼はそれを最後まで見送っていた。

 こうして一月に及ぶ平太郎と化け物達の話は終わった。残ったのは一本の槌だけであった。
 彼はそれを大事に蔵の中に閉まった。そしてそれを取り出すことはなかった。
「まことに強い者になりたい」
 それが彼の願いであった。
「ならば他の者に頼っていては駄目じゃ」
 彼はそう考えていた。だから槌を大事に閉まったのである。
 そんな彼であるから化け物に対しても平然としていられたのであろうか。それともそうだからこそ化け物に出会うことができたのか。それは誰にもわからなかった。
 だが彼はこの一月の騒動でその名を知られることになった。彼に会いたいという者は列をなしその話に聞き入った。そして武芸者としても名を馳せるようになった。
「これが化け物の褒美かのう」
 だが違うと思った。これはまた別だとわかっていた。
 彼は自分の力でそれを得たのだ。化け物と正対しそれを受け入れた肝と度量があったからだ。それにより彼は名声を得たのだ。
 今も稲生平太郎という名は残っている。そしてその化け物達の話も。主のいなくなった比熊山は今も残っている。そしてあの平太郎が座った岩もその場所に残っている。だが彼等は何も語らない。以前あったことを知りながらそれは決して語らないのである。

山本五郎左衛門の話    完


                              2004・10・14