耳に聴こえるは君の歌 2
作:ASD





     4

 司祭が去っていったあと、サイナスがなおも広場でぼんやりしていると、村の子供たちがどこからかわらわらと現れては、彼を取り囲んだ。
 サシュアに限らず、吟遊詩人が物珍しいのはやはりどの子供も同じようだった。吟遊詩人はせがまれるままに、子供達の喜びそうな話を語って聞かせる。砂漠や草原のちょっと不気味な怪談話とか……その手の語り物は、彼が実に得意とするところであった。
 小さな観衆たちからひとしきり喝采を浴びたあとで、サイナスは彼らにさり気なく質問してみた。司祭が言っていた、「子供達の噂話」というのを、実際に聞いて確かめたかったのだ。
 が……これという感触は、その場では得られなかった。
 そもそも異端審問なんて言葉が口をついて出てくる事自体、サイナスとっては理解しがたい事だったのだが……実際話を聞いてみると噂というのはどうも、司祭がどこかでそう口走ったのを子供達の誰かが聞いて、面白半分に広めてしまった、という事であるらしかった。
 異変のあるところにサシュアの姿があったとして、彼女が具体的に何かをした、というのを誰かが目撃したというわけでも無いみたいだった。
 ……まぁそうは言っても不思議な事が起こっているのは確かだ。村人も動揺していたが、要するに司祭自身がそういう意味では一番動揺している、というだけの話なのだろうか。




 やがて再び夜がおとずれた。
 昨晩に続けて、再び人々が食堂に集まってきた。
 賑やかな宴にこそならなかったものの、サイナスの歌はその晩もまた、大勢の村人達の耳を楽しませる事となった。昨晩は賑やかな歌で村人たちを散々盛り上げて、得意の語り物で子供達を夢中にさせたが、今日は流行ものの恋歌などをしっとりと歌い上げてみたりした。
 サシュアが来ないのが不思議だったが、聞けば、母親が熱を出して寝込んでしまったという。
 そんなサシュアは、次の日も朝一番にサイナスの所に乗り込んできた。
「サイナス! サイナス!」
「何ですか、朝っぱらから騒々しい」
 少々眉をひそめながら、淡々とした口調でたしなめたサイナスは、その朝も食堂のテーブルでのんびりお茶などをすすっていた。
「だって、昨日は全然歌が聴けなかったもの。今日は一日付き合ってもらうから。それに」
「それに、何ですか」
「約束。覚えているでしょう?」
 言われてみて、サイナスは思い返してみる……思い返す、ふりをしてみる。細かい所はともかく、大体の所はおおむね最初から覚えていたのだが。
 二年前にこの村を去るときに、サシュアとは実に色々と、細々とした約束をさせられたものだった。歌やらジッタの弾き方やらを教える……つまり吟遊詩人らしい特訓をする、という約束である。
 厄介な約束をしたものだ……と思ったが、今この場で二年前のように、一緒に連れていってくれ、吟遊詩人の弟子入りがしたい、など言い出されるよりはずっとましなのかな、とも思う。
 少なくとも二年分はサシュアも成長したとみえて、むやみにそういうわがままを言うような事はなかったのだが……。
「……そう言えば、お母さんの具合はもういいんですか?」
「うん。朝になったら、すっかり熱が下がってたから」
 あっさりとしたものだった。必要以上に心配しないのは、こういう事が彼女にとっては日常である、という事なのかも知れなかった。
 というわけで、二人は宿を出て、広場の片隅で「練習」を始めた。
 宿の食堂でもよかったのだが、さすがに食堂が二晩続けて盛況とあれば、宿のおかみもそろそろゆっくりしたい頃合であろう。
 ……本当のことを言えば、客に付き合って飲み明かして、すっかり二日酔いになっていた宿のおかみに半ば追い出される格好となったのだが。
 最初は意気込んでいたサシュアだったが……何せジッタを触るのは、今日がほぼ初めてだったりする。前に来たときは、サイナスが何のかんのと理由をつけて、大事な商売道具にはほとんど触れさせなかったのだ。
 三十分ぐらい奮闘してはいたのだが、どうにも弦の抑え方がまずいようで、綺麗な音がなかなか出ないし、指の運びも難しい。
 次第に嫌気が差してきたのか、結局いつの間にかサイナスの伴奏で彼女が延々と歌い続るという、いつもの所に落ち着いてしまっていた。
 気持ちよく一曲歌い上げたところで、サシュアが自信ありげに、サイナスに問いかけた。
「どう? サイナス」
「……どうって、何がです?」
「何がって、私の歌よ。今日からでもすぐに、吟遊詩人になれるんじゃない?」
「うーん。それはちょっと……」
 サイナスが苦笑いを浮かべると、サシュアは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「どうせ、私はサイナスみたいに歌もジッタも上手くないわよ」
 そんなサシュアの言葉に、サイナスが苦笑しながら言う。
「それ以外にも、せめて自分の生まれた土地の伝承とか、そういうのに詳しくないと。吟遊詩人ってのは、物知りじゃないとつとまらないんですよ」
「うーん……」
 その手の話に詳しいのは村の年寄りである。が、サシュアには母親以外に家族はいなかったし、他の子供達みたいにそういう話を年寄りからじっくり聞くような暇もあまりない。彼女はこう見えて、結構な働き者なのだ。
 サシュアはため息混じりに言う。
「そもそも、ジッタが弾けないと駄目なのよね……」
「そうですよ。練習しなくちゃ」
 サイナスはそう言ったが、結局サシュアは歌の方が好きなようで、立て続けにもう一、二曲と、歌ってみせたのだった。
 ……そんな時だった。
 広場に、時ならぬ風が吹いた。
 不意に吹きつけた風に、サシュアの栗色の髪がさわさわと揺れる。風は次第に勢いを増し、びゅうと空気を切り裂く音が、二人の耳にもはっきりと聞こえるようになっていった。
 しかもそれだけでは終わらなかった。やがて風はその勢いをさらに強めていく。不意の突風に身体をあおられ、二人は思わずよろめいてしまった。
「わわっ」
 転げそうになるサシュアを、サイナスが慌てて抱きとめる。
 そもそも二人は立っているわけではなく、広場の端の草むらに腰を下ろしているのだ。そんな二人が飛ばされそうになるなんて、どんな風だというのだ。
 しかもそのまま収まっていくどころか、勢いはさらに増していく。
「……サシュア、こっちへ!」
 危険を察知して、サイナスは何とか立ち上がり、サシュアを促した。
 何事かとおろおろしている彼女の小さな身体を、ジッタと一緒くたに抱え上げて、サイナスはまるで転がり込むようにして、宿の建物の中へと駆け込んでいった。
 中に入ると、さっきまで二日酔いで寝ているのか起きているのか分からぬ様子だったおかみが、びっくりした表情で二人を見ていた。
 別に二人の慌てぶりを見咎めているのではない。風はいつしか、宿の建物全体をぎしぎしと揺らしていたのだ。
 不意に、バリバリと大きな音が響いた。
 三人は何事かと食堂の天井を見上げ、そして顔を見合わせた。
「何なの……?」
「……ここでじっとしていれば、安全ですよ、きっと」
 不安げに尋ねるサシュアを、サイナスがそう諭した。
 外では、びゅうびゅうと吹き付ける風の音。バリバリという音は……屋根板が風にはためいているか、もしくはひっぺがされているのだ。壁は堅牢な石積みだが、屋根は板を葺きつけてあるのが、ここいらの地方の建物の造りだった。
 外で何が起きているのかはもはや明白だった。宿屋の建物が、時ならぬ嵐に見舞われているのだ。
「何でよ! さっきまで、あんなにお天気よかったのに……!」
 サシュアのそんな声を掻き消すかのように、しばしの間、外ではごうごうと風が唸りを上げ続けていた。




 それでも、時間にすればそれはほんの数分の事だった。
 サシュアが散々怖がった割には、宿屋の屋根板を数枚ひっぺがした他は特に被害らしい被害はなかった。
 何より怪我人が誰もいなかったのは不幸中の幸いだっただろう。あの場に誰か外を出歩いている人間でもいれば、ひとたまりもなかっただろうが。
 さすがに今度の騒ぎには、村人達も不安を押し隠してはいられなかった。畑を襲った不幸、病気になった家畜。そして今度の突風騒ぎ。……疑惑の目が、一人の少女に注がれた。
「……って、何で私なの?」
 サシュアは当然抗議の声をあげたが、聞き入れる大人はいなかった。
 別に彼女の仕業だというはっきりした証拠がない以上、抗議はもっともではあったのだが、だからといって因果関係を無視出来るものでもなかったのだ。突風のあったあの時、彼女が広場で歌っていたことは宿のおかみ他、数人の村人の証言があった。
 しかもその場には、サシュアを擁護する発言をしづらい雰囲気があった。そもそもは彼女に疑惑の目を投げかけたのは村の司祭であり、そんな彼がここぞとばかりに睨みをきかせていたのである。
「ともあれ」
 何がともあれなのかさっぱり分からぬままに、司祭はざわざわと会話をする村人達を制止して、告げた。
「事の次第がはっきりするまで、サシュアには自宅にて謹慎して貰う。その間、もちろん歌は禁止だ」
「司祭さま、そうは言いますが」
 村人の一人が、疑問を述べる。
「その、事の次第ってのを、どうやってはっきりさせるんですかい」
「うむ、それだ……残念ながらこの私は非才の身、このような人知を越えた出来事の白黒をつけるのは難しい。だが、そういう事に長けた方が、世間にはいらっしゃるのだ。その方を、村にお招きしようかと思っておる」
 司祭が何を言い出そうとしているのか、村人達は不安なままに聞き入っていた。
 普段の礼拝など村の生活には欠かせない人物には違いなかったが、こと今回のような件に関して、前向きかつ明快な答えをもたらしてくれる人物であるとは、正直思えなかったのだ。
 やがて、彼が何を言い出したかと思えば。
「異端審問官を、この村にお呼びしようかと思っておる」
 その言葉に、村人達は一様にうすら寒いものを覚えた。
 ……僧会が教える神の言葉は、この世の様々な物事に対して説明をつけてくれる。がしかし、世の中全てがそれで割り切れるとは限らない。
 僧会の教えでは、そういうものは全部「異端」ということになってしまうのだが……そういう釈然としない物事のひとつひとつを神の教えに照らし合わせて、それが神の理の中でどのように説明が付けられるのか、つけられないのか。それらの判断を下し、異端なるものを神の教えの元に導く……というのが、異端審問官の役目である。
 が、まあそれは建前であって、実際にはその名前の通り「異端」を「審問」するための役職で……早い話、教義に従わない者を糾弾したり、告発したりするのが仕事である、と解釈して構わなかった。
 遠い過去には、そんな告発やら糾弾が横行していた暗黒の時代があったという。
 そういうはるかな時代の事を村人達の誰が知っているわけでもなかったが、異端狩りの当時どのようにむごたらしい事が行われていたのか、昔語りは散々に現世に語り伝えているのだった。無論サイナスなど、そういう話を沢山知っている事だろう。
 それゆえに、異端審問官と聞いて、いい風に考えるものは一人もいなかった。
 しかもそこで問題にされているのは、まだ十三歳になるやならずの少女なのだ。彼女の母親がこの場にいなくて良かったと、胸を撫で下ろした村人が何人もいた――病気がちな彼女は、こういう席にも滅多に顔を出さないのだ。
 そもそも、異端狩りなど遠い過去の事ではないか。今更異端審問など、何をどう審問するというのだ、というのが人々の思いだったが……それでも異端審問官なる役職は、実際に今の世にも現存していた。
「まことに幸運なことに」
 司祭の言う言葉に、村人達は幸運どころか、陰鬱な気分にさせられる一方だった。
「さる高名な審問官が、地方の村々を巡察中であるとかで……こちらの方にも数日のうちにお立ち寄りになられるという」
 そう言った司祭の手には……いつ用意したのか、伝書鳩が用意されていた。
「その予定を、若干繰り上げていただいて、早急にこちらに駆けつけていただこうかと思う」
 そう言いつつ、司祭は鳩を空へと解き放とうとした。それを村人達が大慌てで押しとどめる。
「しっ、司祭様! 早まっちゃいけねぇ!」
「そうだそうだ。様子を見るも何も、まだはっきりしたことは何も分かっちゃいねぇよ!」
「様子を見るって話なら、その審問官さまが来るまでの間、俺らでじっくり観察してりゃいいよ。な、そうだろ?」
 村人達の必至の懇願を受けて、司祭は渋々伝書鳩をあきらめた。彼は落胆を隠そうともしなかったが……何がそんなに残念なのだ、と村人達は無言のまま憤るより他になかった。




     5

 とは言え、深刻な事態であるのは言うまでもなかった。
 さすがにこういう成り行きになると、いつも元気なサシュアも幾分は落ち込んだ表情になったりもしていた。
 彼女は司祭の言いつけ通り、自宅に大人しく謹慎する事になった。
 というか、村をうろついている所を司祭にでも見咎められれば、何を言われるか分かったものではなかったのだ。
 そんな事の成り行きを母親に伝えるために、村の男達がぞろぞろとサシュアの家を訪れたりもしていた。
 少女の母親は、気丈であるとはとても言い難い女性で……そういう意味では、今回の出来事はちょっと荷の重すぎる事態だったかも知れない。
 だがそうは言っても、我が子がのっぴきならない所に立たされているのだ。何も知らないままでいるわけにはいかなかった。知らせを届けてくれた村人たち数名と、この先どうすればよいかと話し合ったりもしていたのだが……。
 ……そういうところに呼びつけられたのが、サイナスだった。
「えーと……どういうご用件でしょうか?」
 そもそもはサシュアに歌うなと言ってあるのだから、吟遊詩人が彼女の家に出入りするのも好ましい話ではなかったかも知れない。それもあってサイナス自身、恐る恐るサシュアの家を訪ねたのだったが。
「実はあなたに、折り入ってお願いがあるのです」
 そう切り出したのは、サシュアの母親当人であった。病弱だという説明の通り、サイナスと面会しているその時も、寝台に身を横たえたままだった。
 元気な娘とは対照的に、どこか影のある、憂いを秘めた女性だった。そのせいもあるのかも知れないが、彼女はサイナスでさえびっくりして何も言えなくなるぐらい、美人であった。
 いわゆる「母親」らしいたくましさとは無縁であった。逆に、まるで触れただけで簡単に壊れてしまいそうな、そんなはかなげな美しさが、実に印象であった。
 何となく、この親子に村人達が何かと優しい理由が、サイナスには分かったような気がした。この場に駆けつけた村の連中は全員男だったが、そんな彼らが一様に、まるで思春期の少年のように目を輝かせたりしているのだからたまらない。
 自分が何故そこにいるのかと、何だかいたたまれない思いにさえなってくるサイナスであったが、辛うじてその場から逃げ出すのだけは踏みこらえた。
「えーと、その……僕みたいな吟遊詩人に、一体何をしろと?」
 サイナスが恐る恐る尋ね返すと、サシュアの母は頼りなげなか細い声で答えた。声は細かったが、口調そのものは意外としっかりとしていた。
「実は、娘をこの村から連れ出して欲しいのです。……異端審問官がやってくる前に」
 しかもまた、飛び出してきたのは実に思い切った話だった。
「えーと……僕は一向に構いませんけど、少々まずくはないですか? まるでサシュアが異端であることを、自ら認めるかのような行為なんじゃないかと思いますが」
「ですが村に残ったとしても、何かと理由をつけて、異端とされてしまうのではなくて?」
「まぁ、そうですけど……」
 言いごもるサイナスに、サシュアの母は続けた。
「実は、この村から街道へ向かっていった途中に、神殿があるのです。吟遊詩人どのはお気付きでした?」
「……神殿、ですか」
 思わずおうむ返しに呟いてしまったサイナスだったが、内心では「そう来たか」と関心していた。
 神殿と、僧会。事実上の二つの宗教……それはこの王国特有の、特殊な事例であった。
 かつてこの王国には、旧来の神々を信奉する古い宗教があり、そんな神々を祀るやしろが国土のあちこちに点在していた。
 それを一般に「神殿」と呼びならわすのであるが。
 そんな折、国の外からやってきた「僧会」と呼ばれる連中が、王国に彼ら自身の教えを広めはじめた。街々や村々に教会を建立し、司祭を置いた。
 そういう連中を支持している諸外国との兼ね合いもあり、その王国でも僧会による布教を容認したのであるが……彼らには、ひとつ困った事があった。
 彼らは、教義の中には記述のない、彼ら以外の宗教やそれを信じる者たちを「異端」として糾弾し、攻撃する、という悪癖があったのだ。これに多いに迷惑を被ったのが神殿であり、そんな神殿を生活の中心に据えていた民衆であった。
 まだ民衆はいい。そんな連中に言われるままに改宗すれば、事なきを得たのであるから。
 困ったのは、王家である。王家の重要な祭典・礼典の数々を神殿が取り仕切っている関係上、この世から神殿が消滅してもらっては、具合が悪い。……そういう流れから、王家は神殿を異端視し糾弾することを、国法で禁じたのである。
 ……そういう風に王家の保護を受けて滅亡を免れた神殿であるが、逆にそういう経緯であるがゆえに、王家にゆかりのある者以外には、次第に縁遠い存在になっていった。
 事実この村に来るのは二度目のサイナスも、神殿が近くにある事などまったく気付きもしなかったわけだが……。
 が、しかし。
(それは確かに、うまい選択だな……)
 サイナスは一人、大いに関心していた。
 神殿を糾弾する事が国法で禁じられている以上、僧会はおおっぴらには神殿に手を出せないのだ。その神殿に助けを求めるというのは、実際に有効な手だてのように思えた。
 問題は、誰がサシュアを神殿へと連れていくのか、である。
 半日の日程とはいえ、サシュアを一人で行かせるのは少々心許なかった。道に迷わないとも限らないし、道中、凶賊や獣など、危険が皆無と言い切れるものではない。
 それに、いったんは思いとどまった司祭が、もう一度伝書鳩を飛ばす気にならない保証は何もなかった。異端審問官の方で旅の予定が繰り上がっている可能性もあるし、両者が途中で行き会う不安は拭えなかった。少女の異端者が一人旅をしている、などと報告されれば、発見されたが最後、というものである。
 では村人の誰かが……という事になると、今度はその人物の村での立場が危うくなる。異端に通じる者、などと審問官に判断されたりするのは非常にマズいし、司祭との折り合いが悪くなるのもなかなかに居心地の悪いものであろう。
 無論、サシュアの母ならばそれを厭いはしなかったが、彼女の場合、身体が気持ちについていかない。
 となれば……やはりよそ者であるサイナスが、一番の適任者であるように思えた。
 草原や砂漠など、僧会の威光などまったく届かない土地へ旅したこともあるサイナスである。どんな地を訪れようとも異邦人である彼だから、異端と判断されようが、別に意に介するものでもなかった。
 彼の心配はと言えば、サシュアと一緒に出立したとして、彼女がこのまま神殿に行かずに吟遊詩人になる、とか言い出したらどうしようか……などというぐらいのものだった。
 話がまとまれば、善は急げ、である。とるものも取り敢えず、サイナスとサシュアは二人、その日のうちにこっそりと村を旅立っていったのだった。
 ……結局、しびれを切らした司祭が伝書鳩を空に放ったのは、彼らの出発からどれほども立たないうちの事だったのだが。