耳に聴こえるは君の歌 4
作:ASD





     8

 火事騒動に関して、サシュアは一体神官達に何を言われるのだろうかと、気が気ではなかった。
 が……拍子抜けした事に、その件に関しては神官長も、他の神官達も、誰も何も言ってきたりはしなかった。確かに大げさな騒動ではあったのだが、サシュア達が神殿に避難して以後、割とあっさり鎮火してしまったせいもあったかも知れないが……。
 とは言え……まさかこのような不吉な事件を目の当たりにしながら、直接何も言われないだけならまだしも、別に影でひそひそと悪く言っているのだとか、そういう節さえ窺い知れぬというのは、いくらなんでもちょっとヘンではなかろうか。ここまで何もないとなると、恐縮を通り越して釈然としないものさえ、彼女は感じるのだった。
 それにしても……なかなかに、形容しがたい一夜であった、とサシュアは思う。
 ひとつには、あの不思議な少女との出会い。彼女が望んだ通り、神官長にもサイナスにも彼女のことは一切喋らなかったのだが、果たして何者なのか、興味は尽きなかった。
 そしてもう一つ。……どうやら、サシュアの呪いは本物であるらしい。
 これに関しては、もう腹を括るしかなかった。昨日の若い神官が言っていたように、清めの儀式を執り行って、それでも呪いが晴れないようならば、本格的に女神官となって一生ここに閉じこもって暮らすより他にないのかも知れない。それこそ、あの少女みたいに……。
 朝になってみれば、青々と繁っていた草原に痛々しい焦げ跡が残されていて、それがサシュアの目にも痛ましく映ったりもした。夜中の火事がどのような被害であったのかが、はっきりと見て取ることが出来たのだ。
「あれって、私がやっちゃったんだよねぇ……」
「いやいや、まだそう決まったわけでもないと思いますけど」
 サイナスが特に慰めるでもなくそう言うが、その口調もどこか無責任で、どうにも気休めの域を出てはいなかった。
 それでも、サイナスの言うように呪いと決めつけるのはまだ尚早だったかも知れない。火事の原因をそれとなく調査するために朝から神官達が丘陵の斜面沿いに広く散らばっては、焦げ跡やら、周囲の草むらを丹念に調べ歩いているのだったが……まだこれと言う何かが見つかったわけでもなかった。
 神殿の中に閉じこもっていてもしょうがない。神官たちが色々と調べまわっている間、サシュアはサイナスと一緒に表に出て、ただそれをぼんやりと眺めていた。同じように、神官長や女神官達も神殿の表に出ては、心配げに、あるいは物見高く見守っていたりしていた。
 丁度、そんな頃合いだった。
 そんな火事騒ぎだけでも、平穏な神殿の暮らしを乱すに充分な事件だったというのに……そこにさらに、波風を立てるような来訪者の姿があった。
 遠方から近づいてくる馬の蹄の音にまず最初に気付いたのは、斜面をうろついていた神官達だった。何事かと丘陵の向こう側に視線を巡らせた、そんな彼らの目に映ったのは……そこに姿を見せたのは、ものものしい騎馬の集団であった。
 その数おおよそ十騎ほどだろうか。決して大部隊というわけでは無かったが、それでもやたらに騒々しい、場違いに見える連中であった。そう見えるのは物々しく徒党を組んでいるせいばかりではなく、彼らは皆一様に、いかめしい武装に身を固めていたのだ。
 無骨な鎧を身にまとい、物騒な得物を腰に下げたり、背中に背負ったりしている。斬馬刀のようないかにもずしりと重そうな幅広の長大な刀剣を帯びているものもいれば、棒術に長けているのか、これもまた随分重量のありそうな鉄の棒きれを担いでいるものもいた。
 そんな彼らの乗る騎馬にしても、ただ騎乗用というばかりではない。それらは皆一様に軍用の逞しい駿馬であり、毛並みといい肉付きといい、実に立派な馬ばかりであった。もちろん、重武装に身を固めた乗り手を背負っても小揺るぎもしない、がっしりとした大柄なものばかりである。
 そこへ持ってきて、甚だしく違和感をおぼえずにはいられない事に、彼らはそんな武装の下にきちんと法衣を身にまとっていたのだった。
 法衣を身にまとうものと言えば、この世に悪名高き僧会の連中以外、誰がいるというのだろう。
 火事騒ぎに関しては皆一様に、やれやれ困ったぞ、という程度の表情しか見せなかった神官達だったが……その一団を前にした彼らの表情が、一斉に険しいものになるのを、サイナスもサシュアも見逃さなかった。火事の調査といいながらどこかのどかな雰囲気であったのに、彼らが出現しただけで、周囲には唐突に張りつめた空気が漂いはじめていた。
 そんな中、騎馬の一団から比較的軽装な一人の男が、神官長の元に進み出てきた。……もちろん馬上から下りようともしないのだったが。
「これだけの神官が勢揃いで、一体、何の騒ぎですかな?」
 口調は鷹揚だが、どこか図々しい雰囲気を漂わせていた。
 何せ、彼が語りかけている相手は、この神殿を預かる神官長その人なのだ。仕える神こそ違うかも知れないが、相応の身分の人間であり、そもそもは人生の大いなる先達であろう。神官長は齢六十を越える老人であったが、話しかけてきたその男――一応は僧侶であるはずだが――はまだ三十そこそこの、壮年の男であった。
 神官長は、それでも態度だけは丁寧な素振りを崩さずに、無礼な来客に言葉を返した。
「……そういうあなた方は、一体何用でございますかな。その法衣、異端審問官殿とお見受けいたしましたが」
「一目見て分かりますか。お詳しいですな、ご老人は」
 異端審問官は薄く笑った。
 その名を聞いてびくっと身を震わせたのがサシュアである。彼女は傍らにいるサイナスの手を、思わずぎゅっと握りしめていた。
 審問官は朗々たる声で、自慢らしげに名乗りを上げた。
「この私は、僧会より遣わされた巡視官にして異端審問官であるヴァッカルと申すもの。この近隣の村に、異端とおぼしき怪事ありとの報告を受けて、そちらへと急いでいる途上にござる」
「はて。そういう事であれば、方角が違うように思いますが。どこかで道をお間違えにはなっとりませんかな?」
「おや、そうだったかな」
 あまりにも白々しい答えだった。
 まさか実際に火事を遠目に見た上でここに駆けつけてきたとも思えない。という事は、最初から神殿に何かしら難癖を付けるためにわざわざ立ち寄ったと見るのが正解だったかも知れない。そもそも、異端審問官などという物騒な肩書きを持つ男が、本気で道を間違えるような間抜けだとしたら、それはそれで困った事態と言えたかも知れないが……。
 何より、彼が引き連れている配下がまた物騒である。法衣を着ているので辛うじて僧侶であると知れるものの、物々しい武装に身を固めたその身なり、まるで神の御使いなどには見えはしない。これまた悪名高き僧兵達であった。
 ヴァッカルが続ける。
「聞けばその異端者は、まだいとけなき少女であるというではないか。そのような純真無垢なるものが、いかようにして道を惑わされたというのか……我ら僧会にとって非常なる懸案であり、憂慮せざるをえない重大事である……そなたもそうは思わぬか?」
 そう言って、ヴァッカルは冷酷な笑みを、よりによってサシュアに向けたのである。
 サシュアは声もなく、ただサイナスの背中に隠れるばかりだった。
 少女が怯えるのを見やって、ヴァッカルは粗野な笑いをけたたましく放つと、そのまま配下の僧兵を率いて、来た道を引き返していった。
 僧兵達が去っていくさまを、神官達はうろんな目で見やるばかりだった。その中でただサシュアだけは、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
「ね、サイナス……私、どうなっちゃうのかな……」
「心配要りませんよ。……恐らくは」
 根拠のない言葉は、少女を安心に導くには今一つ、力及ばずじまいだった。




 ともあれ。
 どうにもこうにも、相手はまともな話し合いが通じそうな連中ではない、という事がこれで明白になった。
 しかもあれだけの数の僧兵を引き連れているとは。あの人数があれば、村人全員とこの神殿の神官全員を皆殺しにするのに充分と言えただろう。事の成り行き次第では、流血も避けられないかも知れない。……あのヴァッカルという男、そういう不安な予兆をどうにも拭いきれない、危うい御仁のように思われた。
 火事の原因を急ぎ究明し、釈明するという手もあったかも知れないが……理論的な説明がついたとして、異端審問官がそれを聞き入れるかどうか、甚だ疑問でもある。そもそも村で起きた事件も含めて、怪異の全てにどうにも納得するより他にないうまい説明がつかなければ、サシュアは自動的に異端者という事になってしまうのだろうし、そんな彼女を保護したかどで、神殿もまた難癖をつけられるのかも知れなかった。
 まさに、憂慮すべき事態である。神官長は思わず、ため息をついてしまった。
 それを横目で見ていたサシュアは、思わず神妙になって謝罪の言葉を口にしてしまう。
「すいません、私のせいで……」
「うむ……まぁそれはしょうがなかろう。異端審問官が愚か者だという事まで、そなたのせいにするわけにもいかぬしのう」
 神官長はなかなかに容赦のない言葉を吐くと、もうひとつため息をついた。
 そんな老人に、サイナスが問いかける。
「神官長には、このサシュアの件以外にも、何かもうひとつ別の心配事があるんじゃないですか?」
「もうひとつ? はて」
 そらとぼける神官長に対して、サイナスはあくまでも呑気な、世間話めいた口調で問い詰める。
「この神殿には、何か秘密があるのではないかと、僕は睨んでいるんですよ。僧会の連中に横やりを挟まれて、その秘密が脅かされている。あなたが憂慮しているのは、そちらの方なのではないですか?」
「吟遊詩人どのは、見かけによらずなかなかに鋭いのう」
 そんな物言いを、サイナスは敢えて聞き流した。
「もしかしたら僧会の連中も、そちらの方が目当てなのかも知れません。僕らが転がり込んできた事で、連中にうまい理由を与えてしまったのかも」
「そなたらが助けを求めて神殿の戸を叩いたこと、それを責めるわけにはいかぬよ……だが万が一、大事に至るとして、その時に何も知らぬままというのも、そなたらも寝覚めが悪いかも知れぬのう……」
「いや、寝覚めがどうって、まだどうにかなっちゃうって決まったわけじゃないと思いますが……」
 そう言ってサイナスは苦笑した。
 そんな二人のやり取りを、傍らで黙って聞いていたサシュアだったが……何も口を挟まずに大人しく聞いていたのは、要するにまるで話の要点が掴めなかったりしたからだった。
 そんなサシュアの態度を見やると、神官長はあらためて二人に向かって、話を始めた。
「お二人は、巫女姫さまの事はご存じかな?」
「巫女姫さま?」
 サシュアがおうむ返しに問い返す。
「えーっと……聞いたことあるような気もするけれど……」
 そう頼りなげに呟きつつ、サイナスを見やる。すがるような目で見られて、サイナスは苦笑しながら答えた。
「神の声を聞き、伝える者……と言われている特別な神官のことですね」
「その通り。吟遊詩人どのは、何でもご存じじゃのう」
「数十年に一度しか生まれない、貴き血のお方である、という風に伝え聞きます。世俗とは完全に切り離されたところで生まれ、育ち、そして神と人との橋渡しをするといい……位の高い一部の神官と、王家に連なる者以外は、顔を見ることさえ叶わぬとか。……まあ、僕が神官長どのに説明するのも馬鹿馬鹿しい話ですけどね」
「どうして?」
 サシュアの問いに、サイナスは順序立てて答えた。
「この王国に、教会と神殿の二つがあるのは、サシュアも知ってますよね?」
「うん」
「教会には司祭さまがいるように、神殿には神官の皆さんがいらっしゃいます。ここの神殿のように、神官が大勢いる所には、神官長という偉い人がいるわけで。……ここまで、分かりますよね」
「……うん」
「ここにおいでになる神官長よりも、さらにずっと偉い立場にいるのが、その巫女姫さまなんですよ」
 サイナスのその説明に……サシュアはただ呆然とした表情を見せるばかりであった。
「要するに、神殿に関係する皆さんにとっては、すごく偉い人、という事なのです」 
「へぇ……」
 まさに、へぇとしかいいようのない事だったかも知れない。神殿でさえ普段の生活には縁遠いサシュアであるから、そんな偉い人のことなど、雲の上の、さらに上の話であるかのようだった。
「……で、その巫女姫さまが、今の私たちと何の関係があるの?」
 彼女の質問に、サイナスも頷いた。
「僕もそれは気になりますが」
 神官長はそんな二人を見やると、まるで何事も無かったかのように答えた。
「その巫女姫さまが、この神殿においでになるのです」
 その口調があまりにもさらりとしていたので、一瞬二人には何のことだか分からなかった。
 サイナスが首をひねりながら、問う。
「あの……この神殿って、まさかこんな所にいらっしゃるというんじゃないでしょうね? 巫女姫さまは王都にある大神殿におわすのだと、僕は聞き及んでいますが……失礼ながら、ここはそういう重要な人物の拠点とするには、少々……」
「そうじゃのう。このような田舎じゃからのう」
 神官長はそういいながら苦笑する。
「巫女姫様は確かに大神殿におわしまする。ですが、こちらにもまた、巫女姫様がおわしまするのじゃ」
 神官長は静かに、そう繰り返しただけだった。
 その言葉にさっぱり要領が得ない、と首を傾げたのがサシュアである。無論サイナスにもたったそれだけで推察のつく話ではない。釈然としない表情の二人に対して、神官長が淡々と告げた。
「今大神殿においでになる巫女姫さまも、かつてはこちらにいらっしゃった。そして今ここにおいでになる巫女姫さまも、いずれは王都の大神殿においでになる事じゃろう。巫女姫さまがいずれ立派な巫女姫さまにおなりになるためには、色々と学ばれなくてはならぬ事柄がありましてな」
 その言葉に、サイナスはようやく合点が行った、という表情を見せた。
「……つまり、この神殿は代々の巫女姫を養育するための場所なのですね?」
「その通り」
 神官長は深く頷いた。
 サシュアはびっくりすればよいのかどうかも分からない、と言った複雑な表情のまま、呆然と呟いた。
「知らなかった、そんなこと」
 ……まぁ、確かに彼女が知るわけもない事ではあったのだが。
 そんな二人の様子に、何故か満足げな表情を見せつつ、神官長が言う。
「まぁ、特別秘密というわけではないのですがの。神殿の衰退は吟遊詩人どのも知っての通りゆえ」
「そもそもサシュアは、ここに神殿があったことも知りませんでしたからねぇ」
「えっ……それは、そのっ」
 有ることぐらいは知ってたけど、と彼女は弁解じみた言葉を口走った。
 ともあれ。
 その話を聞いて、サシュアははっとした。
 それじゃ、自分が会ったのは。
「サシュア、どうかしましたか?」
 どうやら、驚いたのが顔に出てしまっていたようだった。
「あ……ううん、何でもない」
「ともあれ……」
 神官長が再び口を開く。
「僧会が何かにつけ神殿を敵視し、難癖をつけてくるのは今に始まった話ではないゆえ、わしもそれはとうに諦めておるが、巫女姫さまに難が及ぶのはどうしても避けたいところじゃ……」
「例の、ヴァッカルとかいう審問官は、その巫女姫さまの事を知っているのでしょうかね?」
「さて。知っていても、知っていなくても、どちらにせよややこしい話になりそうじゃて」
 そう言って、神官長は深いため息をついた。




     9

 ともあれ、そんな神官長の憂慮をよそに、異端審問官は夕方にはもう一度、神殿を望む丘陵の上に姿をみせていた。
 何せ村と神殿とは、おおよそ徒歩で半日ほどの距離しかないのだから、騎馬で踏破すれば往復でも半日とはかかるまい。神殿やサシュア達に与えられた猶予は、どのみちどれほどあったわけでもなかったのだ。
 神官達も事の成り行きは気になるようで、どのような様子であるのかをその目で確かめるために、入り口の辺りに列をなして集まってきていた。そんな彼らはひそひそと何かを言い交わしては、丘陵の上に並ぶ騎馬の群れを、ただ力無く見やることしか出来なかった。
 そんな神官達の列に混じって、サイナスがぽつりと言葉を吐く。
「弓矢でもあれば、絶好の的なんでしょうけどねぇ」
 確かに、丘の稜線の辺りにただ立ち尽くしているだけの騎馬の列は、あまりに無防備というか、無警戒なように見えた。神殿の側に、彼らを排除出来るだけの武器なり何なり、そういう手段はないものと高を括っているのだろう。残念ながら、それは事実だったのだが。
 やがて僧兵達は、けたたましくも蹄の音を鳴り響かせながら、丘の斜面を殺到するように駆け下りてきた。
 ついに、その時が来た……神官達の間に動揺が走った。
 だが神官長だけは、深くため息をついたかと思うと、特別うろたえる様子もなく悠然とした足取りで人々の前に進み出ていった。
 そのまま老人は、神殿の入り口の前に立った。それは来客を歓迎しているようにも見えるし、侵入者を押しとどめようとしているようにも見える。
 相対する僧兵達は、まさに怒濤の勢いで馬を駆っていた。そのままか弱い老人など蹴散らしてしまうのでは……あるいは勢いに任せて、蛮刀を振りかざして老人を斬って捨てるのでは……そんな不安が、後方で見ている神官達の胸に去来する。
 だが僧兵達を率いる異端審問官にも多少の分別はあるようで、神官長の姿をたしかめると、僧兵達に止まるように指示を下した。
 騎馬の群れが、神官長のすぐ目の前で、ピタリと足を止めた。
 ずらりと甲冑の列が並ぶそのさまは、間近で見やればことさらに威圧的に見えた。
「神官長!」
 そこから進み出て、口を開いたのは、異端審問官ヴァッカルだった。いかにも尊大な口振りで、まるっきり命令口調のままに神官長に言葉を投げてよこす。
「少女を我々に引き渡してもらいたい!」
「はて。唐突に何をおっしゃる」
「しらばっくれるな! 朝方、ここに少女がいたであろうが! あの娘だ。あの娘を出せ」
「しらばっくれておるのではなく、順序立てて話すように、と申し上げているのでござるが」
「あの少女は『魔女』だ! れっきとした異端者だ!」
 ヴァッカルは、馬上でしっかりはっきりと断言した。
「今日村へ行って、司祭に詳しい話を聞いてきたぞ」
 あの司祭の話ではそういう結果になろうかと、サイナスは遺憾ながら納得してしまった。
「畑も見てきた。家畜の具合も見てきたぞ! 宿屋の惨状も、私みずからがこの目で検分してきた! 少女があやかしの歌を口ずさめば、至る所で怪異が起きているではないか! この火事騒ぎも、おおかたその娘のしわざであろう。さ、少女を引き渡せ! 隠し立てするとためにならぬぞ!」
 どうにもその口調からすれば、別段隠し立てしなくてもためにならなさそうなのは明白だった。最初からサシュアを糾弾する以外の選択肢を持ち合わせていない相手に、みすみす彼女を渡すわけにはいかない。
 ……というような線で、サイナスも神官達も特に相談することなく意見を一致させていたのだが、あいにく必ずしもそれを行動で示せるわけではなかった。何より彼らは神官なのであって、武人ではあり得ない。武装した僧兵を相手に、抵抗をすると言っても無理があった。
 そもそも、ヴァッカルのような人間から見れば、彼ら神官達もれっきとした「異端者」なのである。最初から丁重に話し合って事態を解決しようという意図が、向こうには一切無かったのだった。
 誰かが明確に拒絶の意思表示をしたわけでもないのに、ヴァッカルは早々にしびれを切らして、声を荒げる。
「むむ……異端者め。僧会の使者の言うことなど最初から聞く耳もたぬ、というわけか……仕方がない、押し通る!」
 どの辺が仕方がないのかよく分からないが、ヴァッカルは配下の僧兵達に即座に号令を下した。神官達も、神官長もサイナスも、誰一人それを押しとどめる事は出来なかった。
 号令を受けて、僧兵達は堰を切ったような勢いで神殿の建物の中へと殺到していく。騎乗したままの、無法な押し入りであった。
 そのような乱暴な突撃は、神官風情に容易に食い止められるものでもない。都合よく脇に退くことが出来た者はまだ運が良かったが、かなり大勢が追い立てられるままに奥へと逃げていった。そんな神官達を、馬に乗った僧兵達が非情にも追い立てる。
「審問官殿! この異端者どもは斬り捨ててもよいのでしょうか?」
「まあ待て、早まるな。脅かせば、こやつらは抵抗などせぬ」
 そんな物騒な会話が交わされていたりもするのだった。
 実際、馬上から武器を振り回して威嚇すれば、神官達はただ血相を変えて逃げまどうばかりだった。そもそもむやみやたらに暴力を振るうのは、神に仕える者としての信条に反する事でもあり、抵抗らしい抵抗はほとんど見受けられなかった。
 サイナスと神官長はと言えば、運良く脇に退いて難を逃れた一群の中にいた。
「ついに始まってしまいましたねぇ……」
「ううむ、何たる無法」
 いつもは柔和な表情を崩さない神官長が、憂いを通り越して憤りの言葉を吐いた。そのまま僧兵達のあとを追うように、大股でずかずかと神殿の中へと戻っていく。サイナスも事の成り行きを見守るためにあとに続いた。無論サシュアや神官たちの身も案じられるとあって、自然と足早になってしまうのは避けられなかった。
 神殿の奥からは、逃げまどう神官や女神官達の悲鳴が聞こえてきた。そうは言ってもまだ深刻な阿鼻叫喚が聞こえてきているわけではないので、刃傷沙汰などのような事態には発展していない様子だったが……。
 異端審問官達はと言えば、そんなサイナス達をずっと後方に残したまま、調子にのって神殿の奥へ奥へと突き進んでいく。
 やがて彼らがたどり着いたのは、あの女神の像のある大広間だった。
 そう、そこはサシュアとあの少女が出会った、あの広間だった。今その場所には女神官達がひとかたまりになって息を潜めていた。
 その中に、サシュアの姿もあった。
 彼女は人の輪の中に紛れ込むようにして立っていたのだったが、何せこの神殿にいる女神官らの中には、サシュアと同じような歳格好の者は誰一人としていない。
 そんな中から少女の姿を即座に見つけ出せたのかどうか……ともあれヴァッカルは、女神官達の姿を見出すと、にたり、といやらしい笑みを浮かべた。
「異端者め。こんな場所にこんなに大勢隠れておるとは……」
 下品かつ粗野な笑みを浮かべた僧兵達が、またたく間に女神官達を包囲する。重武装の騎馬の群れにぐるりと包囲されては、ただ神に仕えるばかりの身にはなすすべもなかった。
 そんな僧兵達の後ろから、成り行きを見守るために表から駆けつけた神官達が姿を現した。その先頭には、神官長とサイナスの姿もあった。神聖なる殿堂を馬脚で踏み荒らすその所業に、神官長はただただ憤り、呆れ果てるばかりであった。
「審問官殿は馬を下りるという事を知らぬのか。用がある旨を告げる、罷り通りを願い出る……どこへ行っても当然の作法と思うが」
「ふん。異端者どもめ。得体の知れぬお前らが何を企んでいるか知れたものではないのに、そんな悠長な事がしていられるか」
 神官長として、というよりは年長者として当然の諌めの言葉を、ヴァッカルはあっさりと一蹴して見せた。
 サイナスが、脇に立ったままぽつりと漏らす。
「……僕にはあなたのその図々しい精神構造の方が、得体が知れませんけどねぇ」
「何か言ったか、楽士」
「いえ、何も」
 サイナスはしたり顔でそう返事したまま、あとは何も言わなかった。
 実際、異端審問官も吟遊詩人ごときにはかまけてはいられないようだった。何せ今の彼は、異端者を狩り立て、手柄を立てることしか頭にはないのだから。
「ふっふっふ……大僧正睨下に素晴らしい報告が出来るぞ。かくのごとき異端! 神殿とはこのように、異端を育て、我らを脅かす機関である! 即刻討ち滅ぼすように、進言申し上げねば……」
 うわごとのように呟くヴァッカルは、はっきり言って不気味であった。
 異端審問官はにたにたといやらしい、気味の悪い笑みを浮かべたまま、女神官達の列を、じっくり検分するように眺め回した。そんな彼が不意に指さしたその先に、震える眼差しで事の成り行きを見守っていた、サシュアの姿があった。
「そこだ! 少女はそこにおるぞ! 捕らえるのだ!」
 獲物を見つけたヴァッカルの命令を受けて、僧兵達はそこでようやく馬から下り、そのまま女神官達の輪の中にずかずかと踏み込んでいく。
 女神官達もそこはさすがに立派なもので、粗野な大男らが太い腕を伸ばして迫っているというのに、しっかりと身を寄せ合って、サシュアを取り囲んだまま彼らを近づけぬようにと抵抗を試みたのだった。だがそれも無駄な抵抗だったようで、僧兵達は女神官を一人ずつ邪険に引き剥がしていくと、ついにサシュアの細い肩に手をかけた。
「い、いやっ」
 拒絶を示す少女を、屈強な男達が無理矢理に取り押さえ、引きずり出そうとするその様子を見やれば、僧兵と「異端者」と、どちらが悪者であるのか分かったものではなかった。
 その時だった。
「その娘を放すのだ!」
 鋭い声が、広間に響きわたった。