夢の犬の夢 2 |
作:しんじ |
2、ウォーニン
大きな建物からビニール袋を抱えた人たちが次々と出てくる。
そのビニール袋からは食べ物の匂いがしていたがウォーニンが近付こうとすると人々は彼を怖がって逃げて行った。
鎖につながれていないドーベルマンを怖がる。これは仕方ないことなのかもしれない。
影の多い山の中とは違って街は太陽がまぶしい。ウォーニンは目を細めた。
――とにかく腹が減った。しかし人間を襲って食べ物奪うということはしてはいけない。それはしつけられたことではなく本能で感じる。危険だと。
どうすればいい。
ウォーニンは考えた。すると知るはずもない人間のことが頭に浮かんだ。匂いまで鮮明に思い浮かべることができる。
ウォーニンはその匂いを探し始めた。
ゲームセンターで1日過ごしたため今月のこずかいは使い切ってしまった。
こんなことなら学校に行っとくんだった。そんなことを考えながら福永は1人家路を歩いていた。
夕暮れまでに時間がある。学校はまだやっている時間なので今帰ると母親に不審がられるのではないかという気がする。ま、うそを1つ2つ言えばごまかせるだろう。帰ってプレステやろ。
福永は学ランの内ポケットに手を入れた。
マイルドセブンライト。うまいとは思わないがワルを演じたい。が、内ポケットのマイルドセブンは箱だけになっており
「チッ!」
と福永は舌打ちをした。そしてタバコの箱を握りつぶし数m先の電柱に投げつける。
しかし投げられたそれは空気の抵抗を受けて電柱まで飛ばず手前で落ちた。福永はとりあえずもう一度「チッ!」とやっておく。
ゴミを道ばたに投げる。これも福永にとってはかっこいい。正しくないことをやる。それはかっこいいのだ。
福永はズボンのポケットに両手を突っ込んだ。そして少しやせた体をのけぞらせながらワルっぽく歩いてみた。
なんとなくかっこいい気がする。ただ……。
ただ、何だろう。なんとなく違和感がある。両手? 学生服で両手が空いてるっておかしくないか……?
「あ、かばん忘れてきた!」
と思わず大声を出してしまった。ゲームセンターか? 戻るか。
福永は振り返った。
「わあっ!」
福永は再び大声をあげた。真後ろにでっかい犬がいたのだ。腰の高さほどまである黒い大きな犬。ドーベルマンだ。
「な、な、な、な……」
と福永は恐怖のあまり声を発する。噛まれて殺されるんじゃないかとか考えてしまう。しかし犬は
「クゥーン……クゥーン」
と猫なで声(犬なで声)を出して体をすり寄せてきた。すると福永の緊張も一気に解け
「何だ、かわいいじゃねーか」
となった。
福永は犬の頭をさすりながらしゃがみ込み犬と視線を合わせた。
ドーベルマンの顔は頼もしげで、それでいてどこか寂しげで優しそうに見えた。
「俺と同じだ」
そう言いながら福永はドーベルマンのあごの辺りをくすぐった。
ゲームセンターに戻って家に帰るまでの間ドーベルマンはずっと福永に寄り添ってついて来た。
ここまで慕われてしまうと親心のようなものが芽生えてしまう。飼ってあげたい、と福永は思ったがこのドーベルマンが首輪をしていることでよその犬だと感じた。
「ちょっと待ってろよ」
福永は玄関の前で犬にそう言ってから家の中に入った。そして冷蔵庫の方に向かうとそこで母親と出くわした。
「あらお帰り。はやいじゃない」
母親は不審そうに言った。
「ああ。今日はなぜか4時間目までしかなかった」
「ふぅーん」
と母親は目を細めて福永を見るが福永はそれに構わず冷蔵庫を開けた。
何かないだろうか……。あ、これなら。
「ねえソーセージもらっていい?」
「いいけど……」
と母親は何か言いたげだった。そこで福永は何か言われる前に
「どーもどーも」
とおどけて母親から逃げた。そして家の外に向かう。
いなくなってないだろうな。
福永はそう思いながら玄関のドアを開けた。
「おお! いなくなるどころかお座りして待ってるじゃねーか!」
福永は妙に感激してしまった。
犬は福永の手にしたソーセージを見つけるとよだれを流してしっぽを振りはじめた。しかしそれでも犬はお座りを続けている。よくよくしつけられているようだ。
「なんてお利口な奴だ」
そう言いながら福永はソーセージの皮をむき犬に与えた。
すると犬はソーセージをあっという間にたいらげてしまう。
「お前食うの速いな……」
福永は言った。すると犬は
「腹が減ってたからな。もっとくれ」
とは言わなかったがそういう感じで再びお座りし舌を出して「ハァハァ」言い始めた。
「まだ欲しいのか。うーん……そうだ、牛乳あったな。ちょっと待ってろ」
福永は家の中に戻り再び母親の冷たい視線を浴びながら冷蔵庫から牛乳、棚から茶わんを取ってきた。
茶わんに牛乳を注いで犬の前に置いてやるとそのでかくて黒い奴は舌を使って牛乳を飲み始めた。
犬は茶わんがひっくり返るかと思うくらいの勢いで牛乳を飲む。
「もっとゆっくり飲めよ」
福永は犬の頭をさすりながらそう諭すが聞くはずもない。1杯目の牛乳を飲み終えた犬は2杯目を催促する目をした。
「しょうがないなあ」
と再び茶わんに牛乳を注いでやると1杯目よりはゆっくりと飲み始めた。
「そうそう。落ちついて飲めよ」
福永はそう言いながら犬がしている赤い首輪に目をやった。
すると福永はその赤い首輪に文字の彫られたプレートが貼り付いているのに気付いた。
名前か? えーっと……W・A・R・N・I・N・G。ウォーニング……。注意って意味か?
「ウォーニング」
福永が声に出して言うと犬は牛乳を飲むのを止め顔を上げた。
「やっぱり名前か」
福永はつぶやいた。そして名前を呼ばれたウォーニングの方は何も用事がないことを知ると再び牛乳を飲み始めた。
しかしなんだか聞き覚えのある名前だ。なんだろう。不思議な気分だ……。
福永は夢を見ていた。いつものあの夢だ。犬のウォーニンとなって生きるあの……。
――ウォーニンは男から与えられたソーセージを食べていた。
これっぽっちのソーセージじゃ腹はとても足りない。ウォーニンはソーセージを食べ終わるとお座りして食べ物を催促した。すると男は
「ちょっと待ってろ」
と言って家の中に戻って行った。それからほどなくして戻ってくると牛乳を与えてくれた。
牛乳はよく冷えていてうまい。1杯目をウォーニンは軽く飲み干してしまったので2杯目を催促した。
「しょうがないな」
と男は言って2杯目をくれた。いい奴だ。
ウォーニンが2杯目を飲んでいる途中男は
「ウォーニング」
と言った。ウォーニンは顔を上げた。
名前を呼ばれた。もしかしたらこの男が自分の飼い主だった人間ではないだろうか。きっとそうだ。
ウォーニンは再び牛乳を飲み始めた。
――次の日の朝、ウォーニンは男の家の庭で目を覚ました。まだ少し薄暗くて肌寒い。これから寒い季節が訪れることを感じる。
垣根のような広葉樹に囲まれた芝の生えた庭。なんとなく覚えがあるような気がする。自分は昔ここにいたのではないだろうか。
ウォーニンはそう考えながら起き上がった。そして前足を大きく前に出して体を伸ばす。犬の背伸びだ。
とその時バイクの音がして騒々しく何かを置いていく音がした。
吠えるべきかどうか考えたが、確かアレは「新聞屋」という奴だ、吠えるべきでない、ウォーニンはそう判断した。
そういえば今日は本当によく眠れた。こんなに安心して眠れたのはどれくらいぶりだろうか。山よりも落ち着ける。
しばらくここにいてもいいかな。
そう思うとまたウトウトして……。
「ああ! この犬まだいる!」
と言う中年の女の声でウォーニンは再び目を覚ました。何か知らないがこの女は怒っているようだった。
だが女はウォーニンのことを怖がっているようであまり近付いてこない。なぜ怒っているんだろう。ウォーニンがそう思っていると女は家の中に慌てて消えていった。
しばらくすると家の中から男が出てきた。ウォーニンにエサをくれた福永と言う男だ。
「オッス。ウォーニング」
福永は言った。ウォーニンはそのあいさつにこたえるように福永に体をすり寄せる。すると福永はウォーニンの頭をなでながらこう言った。
「今日な、昼ぐらいに悪徳業者っていうか悪い奴が家に来る。お前がそれを追い払うことになってる。そしたらお母さんにお前を飼ってもらえる。いや俺はもう大丈夫だって知ってるんだけど、とりあえずがんばれって言っておくよ」
ウォーニンは首をかしげた。だが何となく言ってることは分かった気がした。
夜と明け方は寒かったが昼はまだ暖かい。どうやら寒い季節はもう少し先らしい。
ウォーニンは芝生の上に寝転がって大きく口を開けてあくびをした。
この家の庭は広くもないが狭くもない。そしてそこに建てられている家も2階建てではあるが大きくはない。
見覚えのある家だ。しかし自分が昔この家に飼われていたのかというと何か違う気がする。
まあいい。ここにいると何か落ち着いた気分になれるのは確かだ。
ウォーニンは立ち上がって黄色い太陽を見上げた。
まぶしい。ウォーニンは目を細めた。
山で見る太陽もここで見る太陽も同じものだと思うと不思議な気分になる。
太陽というのはどこにあってどうやってあれだけの光を発しているのだろうか。
たぶん太陽というのも人間が造ったもので、人間の都合でつけたり消したりしているのだろう。人間は万能であるからしてそのぐらいはできるとウォーニンは思っている。
それよりも腹が減った。ウォーニンの飼い主である福永は今朝もソーセージと牛乳をくれたが全然足りない。はやく福永が帰ってきて欲しい。そしたらエサの催促をしようと思う。
とその時ウォーニンの庭に人間の男が入ってきた。何だか悪意に満ち満ちた男だ。
そいつはウォーニンを見て少し驚いた表情をしたが構わずに庭を横切り家のドアの前に立った。そしてドアの横のボタンを押して
「ごめん下さーい。サボテン教のものですが」
と大声を出した。しばらくすると「はい?」と言いながらドアを開けて福永の母親が出てきた。
「あ、わたくし、サボテン教新潟支部の山本と申します」
男はそう言ってうやうやしく頭を下げた。
「はあ……」
福永の母親はそう答えながらあからさまに嫌そうな顔をした。しかし男はそれに気を止めず
「おめでとうございます。この度あなたにサボテンと行く京都旅行の権利を進呈させていただくことになりました。つきましては……」
と男は長々と話を始めた。福永の母親は
「はい……はい……」
とあいづちを打ちながら話していたが一度ウォーニンの方を見て「助けて」という表情をした。
ウォーニンは最初からこの男を噛み殺したいぐらいに思っていたのでその表情にすばやく反応する。
体を伏せていたウォーニンは4本の足で立ち上がると、姿勢を低くして牙をむきだし低いうなり声をあげて見せた。
すると男はウォーニンを見て少し慌てた素振りを見せたが
「お宅の犬ですよね? 噛んだら訴えますよ。止めさせて下さい」
と強気の姿勢を見せた。しかし福永の母親も慌てずに半笑いの顔で
「いえ、うちの犬じゃないんですよ。よそのノラ犬でしてね。昨日から住みついて私も困ってるんですよ」
「そ、そうなんですか……。でも噛まないですよね?」
「さあ? 噛むんじゃないですか?」
と福永の母親が言うとウォーニンは男に飛びかかって男の足に軽く噛みついた。
「いたたた!」
と男は言いながら体をよじってウォーニンから逃げようとする。しかしウォーニンは離れず男は持っていたカバンでウォーニンを叩いた。仕方なくウォーニンは離れる。
それでもなおウォーニンはうなり声を上げて男を威嚇する。すると男は
「きょ、今日は帰ります。また来ますから!」
と言いながら走って逃げていった。
「もう来なくて結構ですからー!」
福永の母親は声が届くように言った。そしてウォーニンの方に向きなおり
「あんたお利口だね。なんか食べる?」
と微笑みながら言った。
「祐貴! ちょっと起きなさい!」
ヒステリックな母親の声がして福永は目を覚ました。
「なんだよー……」
「あの犬まだいるじゃない! 何とかしてよ!」
母親が金切り声を上げる。しかし福永は慌てず
「ああウォーニン、いやウォーニングのことか。大丈夫大丈夫。あれ俺だから」
と言うと母親は
「何わけわかんないこと言ってんの! もう今日中にどうにかしてよ!」
と叫んでから福永の部屋を出ていった。
「うー……」
と福永はうなりながら目覚ましを見た。
まだ6時半だ。なぜ俺がこんな時間に起こされなきゃならない。高校へは8時に起きて間に合うのに。
しかし目が覚めてしまった。福永は布団からはい出た。
少し肌寒い。まだ寒くなって欲しくないのだけど季節の訪れは仕方ない。
福永は部屋を出て家の外に向かった。
――起きた直後は夢の記憶がはっきりしている。しかし時間の経過とともに記憶は薄れ思い出そうとしても記憶がよみがえることはない。
福永はドアを開けて家の外に出た。黒い体のドーベルマンがいる。ウォーニングだ。
「オッス。ウォーニング」
福永は言った。するとウォーニングはこのあいさつにこたえるように福永に体をすり寄せてきた。福永はその頭をなでてやる。
――夢の記憶は確実になくなる。しかし人間は夢の内容を言葉にして覚えておくことができる。他の生物にはない能力だ。
俺は夢の中でウォーニングになっている。福永はそれを心の中で言って確認した。
そうだ。ウォーニングに伝えなきゃならないことがある。福永はウォーニングをなでながら
「今日な、昼ぐらいに悪徳業者っていうか悪い奴が家に来る。お前がそれを追い払うことになってる。そしたらお母さんにお前を飼ってもらえる。いや俺はもう大丈夫だって知ってるんだけどとりあえずがんばれって言っておくよ」
ウォーニングは分かったかのような顔をした。
福永は「……ははっ」と笑いながら家の中に戻った。
その日、福永が学校から帰ってくるとウォーニングは母親にすっかり気に入られており、家族の一員となっていた。