夢の犬の夢 3
作:しんじ




3、トッピーの人

 吐く息が白い。寒い季節の訪れだ。
「ウォーニン、おいで」
 福永はそう言って手を叩いた。
 枯れかけた芝の上に寝ていたウォーニンは体を起こし福永のそばに寄ってくる。学校に行く前にウォーニンにさわる。日課だ。
 ウォーニンがこの家に来てもう1ヶ月ほどがたった。最初の頃はウォーニングと呼んでいた名前もだんだん「グ」を言うのが面倒になりウォーニンと略して呼ぶようになった。
「よし行くか」
 と福永は言って家の庭を出て学校へと向かった。するといつものようにウォーニンも付いて来る。
 福永はウォーニンとしばらく一緒に歩くが、あるところまで来ると
「ウォーニン、そろそろ帰れ」
 と言う。するとウォーニンは帰っていく。これもいつも通りだ。
 一応ウォーニンは福永のところの飼い犬となっているが、鎖でつながれてもいなければ犬小屋といったものもない。かろうじてあるのはエサ用の茶わんぐらいなもんだ。これも福永家でいらなくなった茶わんをつかわせている。
 ドーベルマンを飼っている。これはよく聞こえる。
 ドーベルマンを放し飼いにしている。これはよく聞こえない。
 大型犬でもあることだしモラルとして鎖は必要かな。しかしウォーニンを縛りつけたくないという気持ちもある。
 どうしたもんかね。
 福永は寒さに肩をすくめながら歩いていた。


 学校の帰りだった。家まであと少しというところで福永は女の人に声をかけられた。
 その女の人はジーパン姿で髪の少し長い美人ではあったが妙なことを言う人だった。
「ねえ、君!」
「はい?」
 背中から声をかけられた福永は振り返って返事をした。
「ねえ、君ってウォーニンの人じゃない?」
 その女の人は言った。滑舌がよく活発そうな話し方をする人だ。24、5歳だろうと思う。ただ誰かに似ている。有名人か誰か……。
「は? 僕は福永って言いますけど……」
 福永は緊張しながら答えた。
「いや、そうじゃなくて!」
 女の人は笑いながら言った。
「私が言ってるのは犬のことよ。分かる? 君の夢の犬ウォーニン」
「は? ウォーニン?」
 と福永は首をかしげてみせた。
「あれ、もしかして私の勘違い? 夢の中でウォーニンって名前の犬にならない? 君」
 とその女の人は困ったように言った。
「……なります。でも……」
 と福永は戸惑いながら答えた。するとその女の人は胸の前で手を叩いて安心した表情になり
「よかったあー。勘違いだったら変な人だもんね私。まあ元々変な人って言われるけど」
 うーん変な人だ。福永は気が少し引いてしまう。
「でも、どうしてそれを?」
 このことは誰にも言ったことがない。この人を怖いと感じる。
「ん、まあそれは話すと長くなるから」
 とその女の人は言ってから「それでね……」と続けて話す。
「それで私が何の用かって言うとね……」
「はあ。何の用でしょう?」
 と福永は無表情で言った。どういう表情をしたらいいのか分からないのだ。
「うん。トッピーに会わせて欲しいの」
 女の人は言った。
「え? トッピーって田原の所の白い犬ですか?」
「うそ! やっぱりトッピーってこの辺りにいるんだ!」
 と女の人はうれしそうに言ってから視線を近くの自動販売機に移し
「あ、ジュース飲む?」
 と言った。
 うーん変な人だ。福永は戸惑いながら思っていた。


  あったかいコーヒーを飲みながら福永とその女の人、坂口ちひろは田原の家の方に歩いていた。
「あ、そうだ。ウォーニンにお礼を伝えておいて欲しいんだけど」
 ちひろは言った。
「お礼? 何のお礼ですか?」
「えーっとね。私、っていうかトッピーは夢の中ですごくウォーニンに助けられたのね。そのお礼かな」
 このちひろの言葉で福永はやっと気付いた。そうだ。このちひろは誰かに似ていると思っていたがトッピーだ。トッピーに似ている。どこがどう似てるかと言われると困るがなんとなしに似ている。
「あ、あなたはトッピーなんですね。やっと分かりました」
 福永がそう言うとちひろは
「今頃気付いたの? にぶいねー」
 とあきれたように言った。
 にぶいと言われて少し腹も立ったが怒るわけにいかない。福永は平静を保ちながら
「ところでウォーニンにお礼が言いたいなら直接言えばどうです?」
 と言うと
「うそ! ウォーニンってまだこの街にいるの? どこ? どこにいるの?」
 とちひろは驚いたように言った。
「僕の家にいますけど」
「うそ? そんなのいいわけ?」
 と今度は怒ったようにちひろは言った。


 田原の家よりも先に2人は福永の家に行くことにした。トッピーに会うのはウォーニンに会ってからでいいのだそうで……。
「少し宗教的な話になっちゃうんだけどね」
 と歩きながらちひろは話し始めた。
「魂って分かるよね?」
「分かります」
 と答えながら福永はバカにされたようで不快になった。が、ちひろはそれにも気付かず前だけを見て話を続ける。
「その魂っていうのはね、数に限りがあって生存している生物の数よりも圧倒的に少ないのが現状なんだって。つまりこれがどういうことか分かる?」
「はあ、どういうことですか?」
 と福永。
「うん。簡単にいえば魂が足りないの。でも生命は増え続ける。じゃあどうしたらいいと思う?」
 とちひろは言って一時だけ福永の方を見た。
「簡単じゃないですか。生命を減らせばいいんですよ」
 と福永は口元を笑わせて言った。するとちひろは、ダメね、とでも言いたげな表情で
「それも正解だけどそれはあまりやっちゃいけないことなの。だったら魂を増やせばいいんだけどそれもダメなの。これは決まり。そしたら1つの魂が2つ以上の生命を担当するっていう方法しかないのよね」
「なるほど。だから僕の場合でいくと僕とウォーニンで、ちひろさんの場合はちひろさんとトッピーなんですね。本当かうそか分からない話ですけど」
 と福永が冷ややかに言うと
「うん。だって私が考えた話だもん」
 とちひろは真顔で言った。
 変な人――それを通りこして福永の中でやばい人になった。


 分からないことはたくさんある。だからちひろのように想像したりするしかないのだろう。
 福永は無口になってそんなことを考えていた。
「あ、君の家ってここ?」
 ちひろは言った。福永とちひろはようやく福永家に着いたのだ。
「そうです。ここです」
 と福永が言ってると庭の方で転がっていたウォーニンが体を起こしてしっぽを振りながら2人のそばに寄ってきた。
「あ、これがウォーニン?」
 とちひろはしゃがみこみながら言った。そしてウォーニンの濡れた鼻を中指でさわる。
「どうぞ。お礼を言って下さい」
 福永は半笑いでいじわるっぽく言った。
「うん。なんか不思議な気分だけど……。えーっとウォーニンさん、こんにちは。私はもう1人のトッピーです。このたびはいろいろ助けてくれてありがとうございました」
 とちひろはそういいながら頭を下げた。
 明らかにおかしな光景だと福永は思っていたが、ウォーニンが人間のように数回うなづているのを見てちひろの話を納得せざるを得ない気持ちになった。


 それでもまだまだ分からないことはたくさんある。
 ウォーニンと自分が同じ時間に起きて動いていることもおかしいと思うし、ウォーニン以外の夢を見ることだっておかしいと思う。
 結局ちひろのように自分で想像するしかないのだろうな。福永はちひろとたわむれるウォーニンを見ながらそんなことを考えていた。
「そろそろ行きませんか」
 いつまでも遊んでいるちひろに対して福永は切り出した。
「うん。そうね」
 とちひろはウォーニンの背中をこすりながら答えた。しかしちひろはそう答えておきながらもなかなか立ち上がらない。福永は少しイラついて
「いいかげん……」
 と言い始めると、ちひろは立ち上がって口を開いた。
「あのね、ウォーニンと君に言っておきたいことがあるの。聞いてくれる?」
 ちひろは福永をにらむように言った。
「な、なんでしょうか」
 と福永はその雰囲気に押されてか弱く答えた。
「どうしてウォーニンがここにいるの。おかしくない?」
 とちひろは厳しい口調で言った。そしてウォーニンと福永を交互ににらむ。
「お、おかしいって何がですか。別にいいじゃないですか、ウォーニンがここにいたって」
 と福永は反論する。
 ウォーニンの方は叱られていることが分かっているようで、体を伏せて小さくなっている。
「ダメなの! 夢に出てきたものとあまり干渉しちゃいけないっていうのは決まりなの!」
 とちひろは怒鳴る。「それに……」とちひろはウォーニンの方を向いて
「ウォーニン、君には他にもしなきゃいけないことがあるんじゃないの? きっとみんな君の帰りを待ってるよ。こんなとこで楽してちゃダメよ」
 とちひろは優しく言った。するとウォーニンは耳を伏せ、小さくしていた体をさらに小さくした。
「ごめん、私の言いたいことはそれだけ。気を悪くしないで」
 とちひろは微笑みながら言った。


 福永は見えはじめた2階建ての家を指さしながら
「あ、あれが田原って奴の家でトッピーのいる所です」
 と言ってちひろの顔を見る。するとちひろは少し緊張した面持ちで
「う、うん。一目見るだけだからね。干渉するわけじゃないから」
 などと言う。結局ちひろも夢に出てきたものと干渉したいのだ。自分だけは例外と考えているのか。
「私はね……」
 とちひろは歩きながら話し始めた。
「私は東京の方の大学で研究をやっているの。睡眠に関する研究をね」
「へー。そりゃすごいですね。大学生ですか」
 と福永が言うと
「違う違う。大学生じゃなくて研究生。大学に睡眠学の偉い教授がいてね、その人の所で研究をしているの。眠りの種類を分類したりとか人が夢を見る時は脳内にどういう物質が分泌されているのか、とかね」
「はー」
 と福永は関心する。ひょっとしてこの人は変な人なんじゃなくてすごい人なんじゃないだろうか。
「それでね、私が見た夢の1シーンからこの街と君を割り出すことが出来たのね。そしてようやくトッピーに会える。私たちの研究チームの夢の一つがようやく叶うの」
 とちひろは言ってから「そう、夢が叶うの」と繰り返した。
 田原の家の前までやってきた。しかし庭にはお目当てのトッピーはいない。
「あれ? いないな。どこ行ったんだろ」
 と福永が言うとその途端に玄関のドアが開いた。そして中から田原がトッピーと一緒に出てきて
「お、福永じゃねーか。どうした?」
 と不思議そうに言った。
「あ、ああ。今日はトッピーを見に来たんだ。……で、そのトッピーだけど何か腹が大きくないか?」
 と福永は大きくなっているトッピーのお腹を見て言った。
「ん、ああ、これか。病院に連れていったら妊娠だって。……相手も分かんねえのに。……で、そっちの女の人は?」
 と田原はちひろのことを聞いた。しかし福永とちひろはその質問には答えず顔を見合わせて
「あの時の……!」
 と気まずそうに声を合わせた。


 次の日の朝、福永は目覚まし時計で目を覚ますとすぐさま家の庭に向かった。
 寝巻きのまま庭に出て辺りを見回してもウォーニンの姿はなく、ウォーニンの茶わんだけがさびしく置いてあった。
 福永の心の中にウォーニンとしての記憶、夢の記憶が少しだけ残っている。
 ――群れのボスとしてやらなければならないことがある。
「山に帰ったのか」
 福永はつぶやいて冬の風に身を震わせた。

  (おわり)

  2001,1,19














 
あとがき

 この話に関しては実験的なところが多分にあるのですが、どういう部分を伝えたかったかとかはできたんでしょうか。
 それと文書を3つに分けたのはどうだったんでしょうねえ。そんなに長いものでもなかったので1つの文書にした方がみなさんに読んでもらいやすいかな、とも考えたんですが。
 まあ、長くないとはいえ54ページ。時間をさいて頂いて感謝ですね。よかったら感想ください。